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黒色の雲は一つもなく、紫紺の空に浮かぶのは遥か彼方で眩く輝かしい光を放つ幾千の星々。
その下に群がる町々には、涼しい風が流れ、僅かにこの弱い体を震わせる。
時間は深夜。きっと誰も起きていないであろう、誰もが寝静まっているであろう時間帯に、架競天治は駒王町の端にある公園へと来ていた。
「……」
たった数日も経っていないにも関わらず、しかし俺は、この公園に来る事が、まるで十数年以来に故郷に帰って来た時の様にしか思えなかった。
だが、それも仕方がない事なのかもしれない。
そう思ってしまう程に、そう思い出せる程に、この公園での出来事は、壊れかけてきた俺の脳内に色濃く残る強烈なものだったのだから。
此処は俺が二度、死にかけた場所。そして、俺が初めて悪魔と呼ばれる存在を殺した、謂わば殺害現場だ。
無意識の内に使用したのだろう投影魔術で、俺は悪魔の体に幾つもの剣を射出し、突き刺し、殺害したのだ。俺自身、全く憶えてはいないが。
「…」
だが、殺害したのは事実だ。
この世界に転生して初めて、俺は此処で命を奪った。極悪非道な存在であろうと、この世界に生まれ落ちた生命を殺したのだ。
殺そうとしてきたのだから殺してもしょうがない、なんて言葉で自分を正当化しようなどとは思わない。だが、罪悪感を覚えているという訳ではない。
それにはきっと、無意識であったから、なんて理由は無い。否、そもそもの理由すら無いのかもしれない。
ただただ単純に、そのままの意味で―――命を奪った事に、罪悪感を抱いていない。
命を奪ったという自覚はあるが、しかし命を奪ってしまったという罪悪感は無い。
恐らく、敵と味方の区別が出来る様になったのだと、俺は思っている。
戦場。殺すか殺されるかの場所で、敵に情けを掛ける事はない。
英霊エミヤが、人類の守護者として数多の命を奪って、より多くの命を救っていた時の様に。
衛宮士郎が、英霊エミヤとしての定めを受け入れてしまった様に。現実主義になってしまった様に。
『誰かの為に、誰かを殺す』―――そんな、区別の枠組みが、出来上がってしまっているのだろう。
敵ならば殺す。味方なら助ける。味方だった者が敵になろうと、味方を助ける為なら殺す。敵だった者であろうと、味方になったなら信用する。
どちらかと言えば、この思考はHeaven's feelにおける衛宮士郎に近しいものかもしれない。
間桐桜という個人を助ける。多数の味方ではなく、たった一人の人間の味方をすると決めた衛宮士郎。
だが―――
「……なんて、自惚れだよな。」
否定する。自分の言葉で、自分の思考を拒絶する。
馬鹿を言うな。たかがその程度の事で、衛宮士郎や英霊エミヤに近付いたつもりか。青二才が。
抜かすな、架競天治。俺は偽物だ。贋物を偽った贋物、紛い物の紛い物だ。醜くて悍ましい男だ。
俺は借りただけだ。他人の力を勝手に借りただけだ。決して、本物に近付ける程の実力なんて持っていない。
区別の枠組み? 何を馬鹿げた事を。数度死にかけただけなのに、何を偉そうに語っている。
「……でも」
村正は、俺の背中を押してくれた。
一々そんな細かい事を気にするな、と背中を叩いてくれた。
「…俺がこうして悩んでいる事が、失礼に値するのか…」
『分かってるなら悩むんじゃねぇよ。女子じゃなくて漢だろ、手前は。』
「え―――」
声がした。確かに、声がした。
ゆっくりと、後ろを振り返る。
白い羽織が風に仰がれている。
赤銅の髪が、僅かに揺れている。
青年の姿をした刀鍛冶が―――其処に立っている。
「むら…まさ…」
『霊体…だっけか? まぁ、手前にしか見えねぇから安心しろ。』
「霊体…で、出来るものなのか? それは…その、簡単に。」
『知るか。ただ、せっかく儂から言ってやったのに今もうじうじ悩んでる手前に、今度は頭に拳骨叩き込んでやろうと思ったら出来たってだけだ。』
「げ、拳骨か……」
体が竦む。村正からの拳骨…想像しただけで激痛が走る様な感覚を覚えた。
『背中押して間もなく出てきたんだ。手前、まだ自信だの、資格だの言ってんだろ。』
「……」
『じゃあ聞くがな。手前、この力を選んだ事を後悔してんのかよ?』
「…違う。そんな訳はない。そんな事は、断じてない…! この力は、俺の憧れだ。大人になってからも、ずっとずっと憧れてきた…」
『なら、さっさと覚悟決めろ! 手前が自分で選んだ憧れなら、思い切って振え! じゃねぇと、宝の持ち腐れだ。』
怒号が、胸に響く。激励が、心を叩く。
憧れからの言葉が、憧れている人からの言葉が―――とても、嬉しい。
『そら、さっそくお客だ。儂に見せてみろ、手前の決意を。』
□ □
「……
ドクンっ―――と、心臓が大きく跳ね上がる。
だが、頭は割れていない。地獄の様な激痛と苦痛が、頭に走ってこない。
寧ろ、スッキリとしている。誰も住んでいない無人の部屋の様に、頭の中がスッキリとしていて、余計なものが何一つとしてない。
イメージするのは、リロード。弾を込めた弾倉を入れ込み、銃身を引いて弾丸を銃口へとセットする様に。
回路を開き、魔力を走らせ、その脳裏に―――自分が映すべき剣の形を読み込ませる。
雌雄一対の宝剣。英霊エミヤが最も愛用していた宝具。
干将・莫耶―――英霊エミヤの愛剣とも言える雌雄一対の剣を象った宝具。
右手に干将、左手に莫耶を握り締め、更に深く意識を投影へと潜らせる。
投影魔術が投影するのは、その武器のみにならず。武器の所有者の技量すらも、英霊エミヤは投影していた。
「…っ!」
バチッ――と、体に稲妻の如き激痛が迸る。
やはり、まだ完璧ではない。村正に認められようと、やはり未熟な我が身では英霊エミヤの力を完璧には扱え切れない。
だが、そんな事はとっくの昔から理解している。力が上手く扱えない事など、予想していた。
贋物の贋物。贋作の贋作。たかが僅か力に慣れた程度で使いこなせると勘違いする程、愚かではない。甚だしくはない。
自分の力量は弁えている。自分がまだ、彼等には届かない事など知っている。
だが―――憧れている人の一人が、力を振るえと言ってくれたのだ。
「あぁ――――――この程度の痛みで、弱音など吐けるかッッッ………!!!!」
恥ずかしい姿など、弱々しい姿など、見せられる訳がない……!
激痛に抗いながら、自分の体の中身が書き換えられていくのを感じる。
技術の投影。自身の技量ではなく、その使い手の技量を投影し、己が物として振るう。
英霊エミヤの技量―――クラスの相性を無視し、アルスター伝説の英雄であるクー・フーリンを相手取った彼の技術を、投影する。
後ろで、彼が見てくれている。村正が、見てくれている。
そして、俺の中でも―――彼等が、見てくれている。
示さなければならない。自分が、貴方達の力をこれから振るうという事を。貴方達に憧れているという事を。
そして、それを―――人の為に使うという事を。
「魔剣…? いや、聖剣か…? いや、違う。どちらでもない…? なんだ…何なんだ、お前!」
悪魔が叫ぶ。お前はいったい、何者なんだと。
「ただの―――
雌雄一対の剣を握り締め、そう告げる。
憧憬の力を選び、自らを壊しかけ、己が分を弁えた男。
されど憧れを止めず、贋物の贋物である事を自覚しながらも、前に進む事を選んだ男。
それが―――架競天治である。