この都市に住まう人間の中では、俺やここの人々は恵まれている。それは間違いない。
悪魔都市バビロン。憎きソロモン王によって、72の魔神と、それに付き従う下級悪魔どもが召喚されてからというもの、この都市は地獄だ。地獄に帰るために、他の魔神全てを斃さねばならないという盟約を課されているらしい魔神共は、戦いの余波でいくら人間が死のうとお構いなしに争い続け、時には残虐な悪魔によって玩具扱いだ。
だが、このバビロンにおいて、俺たちは……ここの住人達は、他所の人間がどうやっても手にできない安住の地というものの恩恵を受けていた。
「バティン様!助けていただきありがとうございます!」
「バティン様がいらっしゃるお陰で、我々は生きていられるのです」
「バティン様は我々の誇りです!」
敬愛と賛美の声を一身に受けるのは、宝石のように輝いて見えるどこまでも可憐な少女。
「そんな、当たり前のことをしただけだよ。私、みんなのこと大切だから」
領民を愛し、領民に愛される我らが領主、魔神序列18位・バティン様。
「謙遜する必要はありません。バティン様のご慈悲は絶えず領民達の救いとなっているのですから。
それに付き従う、メイド姿の魔神、魔神序列61位・ザガン様。
このお二方が俺たちを庇護することで、他の悪魔はこの地に手を出すことができず、我々領民は安寧を享受できているのだ。
ところで。
この地に住まう領民にとって、最高の栄誉とされているのが、バティン様に選ばれることだ。
バティン様に選んでいただき、それを了承した者は、身体を美しい宝石へと変えていただき、バティン様と共に永遠を生きることができるのだ。
バティン様と共に永遠を生きれるし、安全とはいえ、辛く苦しいのは変わらない暮らしから逃れることもできる。その上、魔道具でもある宝石としてあの方の力にもなれる。この地に住まう民は、この栄誉を至上の喜びとし、選ばれれば誰もが喜んで宝石となった。
俺の唯一の家族である母が選ばれたのは、一カ月前の話だ。ここの領民らしくバティン様を敬愛していた母は、二つ返事で了承し……唯一心残りであったらしい俺に「あなたもいつかバティン様に選ばれてもらうのよ」と言い残し、ザガン様に連れられ、バティン様の館へと歩いていった。
その日は……いや、誰かが選ばれた日は、まるでお祭りのような盛り上がりがこの地を包む。領民達は口々に選ばれた者に祝福の声をあげ、やがて宝石を掲げたバティン様の凱旋に歓声をあげるのだ。
ともかく、ここはそんな場所で、そういう日常がこれからも流れるはずだったのだが、その日常を崩しかねないことが起きた。
なんか知らんが、魔法に目覚めた。たまたま蔵書に魔導書があり、それを開いてしまったのだ。
「今のは、貴方ですか?」
「ザガン、さま……」
わけもわからず魔法を暴発させた俺は、神出鬼没で知られるザガン様に詰められていた。魔力反応を追って現れたらしい。戦闘モードの彼女は角と光る紋章が現れ、魔神と人間の根本的な格の違いを思い知らせる。
そのまま、事情聴取よろしくあれよあれよとバティン様の館に招かれることとなってしまった。
初めて足を踏み入れるバティン様の館の中は、辺り一面に宝石が飾られていて、その美しさに感激……できるはずもなかった。
『痛い痛い痛い痛い痛いぃ!』
『ああぁっ!こんな、こんなのが永遠に……っ!?』
『誰か、誰かぁ……もう、終わらせてよぉ……!』
聞こえる。終わることのない苦しみに悶える人々の声が。飾られた宝石の一つ一つから。
「これ、は……それじゃ、みんな……騙されて……」
「あ、君が魔法を使ったって子?」
「バティン、様……」
四方から流れる苦悶の声の中にあってなお、その少女はいつもと何も変わらない愛らしさで俺の前に現れた。
「はい。確かに彼が魔法を行使しておりました」
「っ!……そ、そんなことより、なんで……なんで選ばれたみんなが、こんなっ!苦しんで……」
「……あぁ、魔力が強くなったから、聞こえるようになったんだ……ふふ、どう?みんな、こんなにキラキラしてて、大きく叫んで、とっても生き生きしてるでしょ?……ほら」
天使のように笑いながら、魔神は一つの宝石を手に取り、俺に見せる。それは。
『いたいぃ、いたい……わたし、なんでっ……あああぁ!』
母の声で啼く宝石だった。
そこにいるのか。あの日俺に別れを告げたあの人は、ソレの中で苦しんでいるのか。
「なんで……なんでこんな酷いことを」
「酷いって、なんのこと?」
こてん、と小首をかしげる魔神。直感で分かった。彼女に裏表はない。本気で分かっていない。
「だって……みんな苦しんで……こんなに痛いって」
「痛いことの、何がいけないの?」
「は──」
ソレか。そこが、決定的な断絶なのか。このお方は、初めから、痛みというものを理解できていないのか。
「人間ってさ、悲しいことがあると元気がなくなっちゃうでしょ? でも……宝石になったみんなはこんなに叫んでいて、とっても元気!これってすごく良いことでしょ?」
「……」
そういう、解釈か。じゃあ、嘘ではないのか。100%の善意で、愛する領民を地獄に叩き落としているのか。
「バティン様……宝石になった人って、元に戻れたりは……」
「無理だよ〜、それができたら永遠じゃないじゃない。あ、私が死んじゃったらみんな壊れちゃうかもしれないけど、魔神は寿命とかないし、私とっても強いから、他の魔神に敗けたりもないだろうしな〜」
どうやら、ここの哀れな石たちは二度と人に戻れないらしい。その上、苦しみから解放されることも、現実的にはなさそうだ。……バティン様の強さは本物だ。その強さに、俺たちはずっと守られているのだから。
「あ、もし良かったら次に選ぶのは君に」
「結構です」
「むー、そっかぁ」
今となってはとんでもない提案を、即断る。彼女はそれでも、軽く頬を膨らませて拗ねたような顔をするだけで、何も強制はしない。愛も、優しさも、本物だから。
色々考えて、俺は諦めることにした。そもそも、俺にできる反抗と言ったら他所へ逃げるくらいだし、仮に大きな力……バティン様を殺せるくらいの力があったとしても、結論は変わらない。
もし彼女を殺したりなどすれば、外から痛みどころか慈悲も良識も持たない悪魔が押し寄せてきて、好き放題されるだけだ。
それに比べれば、バティン様は本当に良い領主なのだ。魔力の強い者にのみ聞こえるという、この悲鳴にさえ目を瞑れば。
ならば、この秘密は胸にしまい、恩恵を享受するべきなのだ。そう結論づけ、母だった石ころから目を逸らす。
あの時、母は死んだのだ。その石ころは、母ではない。ただの綺麗なだけの飾り物。そう、俺は自分に言い聞かせた。
事情聴取も、本当にそれだけで、バティン様は俺の説明を何一つ疑わず、一時間と経たずに家へ帰してくれた。バティン様との会話は楽しく、彼女はやはり優しくて……もしこの方が痛みの意味を知れば、罪に耐えられるのだろうかと、そんなことを思った。
どちらにしろ、俺はこの秘密を自分の中で抱え込む以外には何もできない。
立ち去る時、最後に聞いたザガン様の「賢明な判断です」という耳打ちが、俺の頭から離れなかった。
ちなみにシャロームくんが去った後庇護者を失ったオリ主は木端悪魔にゴミのように殺されました。
シャロームくんさぁ……また罪重ねちゃったねぇ……(ニチャア