「ウチ天才だよ!将来日本一になるんだ!」
タマモクロスは、その言葉を疑ったことはなかった。
小さい体に、崩れやすい体調。おまけにうちは貧乏だが、いつか自分の走りで世間をあっと言わせて、家族に楽な生活をさせてあげたいと、幼心に思っていた。
「おやおや、そうかいすごいねぇ。
ちょうど良かったよ。今このアパートには一階に一部屋空きがあるから、手続きをすればすぐにでも入居できるよ」
「本当ですか?よろしくお願いします。
この娘にはできるだけ走るのに良い環境で生活させてあげたかったので」
近くにはレース場があるアパート。少し古臭く感じるが、タマモクロスにとってはどんな豪邸よりも光り輝いて見えた。
「やったー!ウチこれからバリバリ走って、日本一のウマ娘になってお母ちゃん達楽させたるで!」
タマモクロスがそう高らかに宣言した時、アパートの2階から誰かの声が聞こえてきた。
「さあ柚木、早く河原まで行こう」
「ちょ、ちょっと待ってオグリ!急ぐと危ないよ」
「あっ、落ちる」
「うえっ!?」
タマモクロスが振り返ると、自分の目と鼻の先に驚いた顔をしたウマ娘と男の子が、階段から落ちてきていた。
「なあぁ!?」
「オグリ!」
タマモクロスが地面に押し倒される。けれど、身構えていたほどの衝撃も痛みもなかった。
「いたたっ……。君、大丈夫?」
まるで女の子のような声に、タマモクロスが恐る恐る目を開けると、太陽を背にして見たこともないような綺麗な顔をした男の子がこちらを覗き込んでいた。
「はえっ?」
思わずタマモクロスから間の抜けた声が漏れた。
覆いかぶさるようにしてタマモクロスを庇っていた男の子の白い髪が、光の中で宝石のように揺れて輝いている。線の細い顔立ちは、まるで女性のようにも思えるけど、背中に回された腕の力強さが、確かに目の前の人を男性だと認識させた。
タマモクロスは男の子の腕の中で縮こまり、まるで熱に浮かされたようにその顔をじっと見つめていた。
「あ、あれ?もしかして目を開けたまま気絶したりしてないよね?」
「あっ…!だ、大丈夫。大丈夫、です。
助けてくれてありがとう…」
なぜだかいつもの関西弁が出てこなくて、タマモクロスの話し方はしどろもどろな感じになった。
「あらあら、この子ったら…」
意味深な笑顔で、タマモクロスの母親はその光景を眺めていた。
「危なかった」
「あっ!オグリ大丈夫だった!?」
「ああ、大丈夫だ。柚木が庇ってくれたから、全然痛くなかった」
タマモクロスの反対の腕に、もう一人ウマ娘がいた。そのウマ娘も、柚木と呼ばれた少年に庇ってもらったのか、怪我もなく無事なようだった。
タマモクロスは起き上がって、上から落ちてきた二人を見た。タマモクロスより年上だと思う、ちょっとかっこいいかもしれない男の子と、どこかボーっとした顔に長い葦毛で、足にぐるぐる巻きにされたテーピングが特徴的なウマ娘。
地元でも見たことがない程、珍しい二人に、タマモクロスはとても興味を持った。
「アンタらここに住んどる人たちか?ウチはタマモクロスっちゅうて、今度っからここに家族で住むことになったんや。二人ともよろしくな!」
「僕はこのアパートの二階に住んでる、柚木って言うんだ。
今度からご近所さんだね、よろしくタマちゃん」
「私は柚木の部屋の隣に住んでいるオグリキャップだ。さっきは走りにいけるのが嬉しくて、つい焦ってタマを危ない目に合わせてしまった。すまなかった」
「なんや堅っ苦しいなー。別にウチはへっちゃらやったから、そない気にせんでええで。
それよりも、オグリって見た感じ足が悪いように見えるんやけど、そないな怪我で走るんは危ないからやめとき!」
それを聞いたオグリキャップは、少し自慢げに言った。
「いや、私は走らない。走るのは柚木の方なんだ」
「へー。このひょろっとした兄ちゃんが走るなんて、意外やなー」
「そんなにひょろっとしてるかな?」
「なんやったらウチが柚木に走りを教えてやってもええで。ウチは結構走るの得意やから、ちょっとは力になれるかもしれへんで」
「それは」
「大丈夫だタマ。柚木はすごい。
なにせ、ウマ娘よりも走るのが速いぐらいなんだ」
「はっ?」
オグリキャップが言ったことを、タマモクロスはにわかに信じられなかった。
「いやいや、ウマ娘よりも速いなんてありえへんやろ。
だって、普通の人間がウマ娘に敵うわけないやん」
「そんなことはない。柚木の走るスピードは、きっとタマより速いと思う」
「……はぁーん!?」
聞き捨てならない言葉に、タマモクロスの眉が吊り上がった。
「オグリ。まだ一緒に走ったこともないのに、タマちゃんにいきなりそういうことを言うのは良くないよ」
「えっ?柚木は勝てないのか?」
「まあ…、たぶん勝てるけど…」
「そうだろう。柚木の走りはとてもすごくて、綺麗で、かっこよくて、とても速いんだ。君ならきっとどんなウマ娘にだって負けないと思う」
「どんなウマ娘でもっていうのは、さすがに自信ないけどね」
見た目とは裏腹に、柚木の自信は力強かった。
タマモクロスは意外に思いつつも、自分の闘走本能がバリバリと刺激されていくのを感じた。
「えらい自信やないか。人間がウマ娘に勝てると思っとるんか?」
「まあ、ちょっとだけね」
「そこまで言うんやったら、勝負や柚木!言うとくけど、手加減なんてせんからな!」
「おおっ!出会ってすぐ勝負だなんて、まるで漫画みたいだ。すごいな柚木!」
「煽ったのはオグリだけどね。まあでも、勝てるかどうかはわからないけど、やるからには全力で走ってみるよ」
「おお、どーんとかかってきー!人間がウマ娘に勝てるわけないんや!もしウチが負けるようなことがあったら、鼻でうどん食べたるわ!だーっはっはっはっー!」
「なっ!?タマは鼻でうどんを食べられるなんて、私よりもよっぽど大食いじゃないか!?」
「そうじゃない、そうじゃないんだよオグリ」
タマモクロスは青空に向かって高笑いをした。
きっとこの二人は、今まで走って競い合えるような友達が少なかったのだろう。だから、人間がウマ娘に勝てるなんて、あり得ないようなことを想像してしまうのだと思っていた。
だから、河川敷で柚木が自分よりも先にゴールしたときに、タマモクロスから唖然とした声が出た。
「んなあほな……」
タマモクロスは誓って手を抜いていたわけではない。それでも追いつけなかった。
「やったな柚木!タマよりも先にゴールした君の勝ちだ!」
「うん。タマちゃんもすごく早かったけど、何とか勝てたよ。
それで、どうかなタマちゃん?僕も結構速いでしょ」
柚木は遠慮がちにそう言ったが、一緒に走ったタマモクロスにとっては、速いなんて言葉だけでは片付けられないほどの衝撃を受けていた。
柚木の走りは、オグリキャップの言っていたように、すごくて、綺麗で、かっこよくて、とても速かった。
タマモクロスは誰かの走りを見て、初めて心の底から感動した。
震えている手を握って、タマモクロスは衝動のままに叫んだ。
「もう一回や!」
「えっ?」
「もう一回ウチと一緒に走ってくれ!さっきは人間だからってバカにして悪かった!
だから、もう一度、いや、あと10回は一緒に走ってくれや!」
負けた悔しさなんて、微塵も感じられないくらいのすごい走りに、タマモクロスは夢中になった。
それを聞いた柚木は、少しだけ闘争心をむき出しにした顔になって、タマモクロスの言葉に嬉しそうに頷いた。
「いいよ。10回でも20回でも走ってあげる。
その代わり、これからも一緒に走ってよ。タマちゃんと走るのすっごく楽しかったから」
「ぬかせ!そうやって余裕ぶっていられるのも今のうちやからな。いつかぎったんぎったんのばっきばきにして、抜かしたるからな!」
「柚木もタマもすごい仲が良くてうらやましい。
……私もいつか一緒に走れるようになる」
走り出した二人を、オグリキャップはうらやましそうに眺めていた。
こうして笠松仲良し三人組が結成され、後日タマモクロスは二人が止めるのも聞かずに、鼻からうどんを食べようと四苦八苦することになるのだった。
子ウマのじかん! タマモクロス
『さあレースも終盤に差し掛かり、ここでウマ娘たちが一気にスパートをかけます』
青空の下、子供のウマ娘たちが、レース場を駆けていく。
誰もがゴールを必死で目指しながら、なぜか後ろを何度も気にするように振り返っている。そして、軽やかな足音が背後から聞こえてきたとき、全員が一斉に身構えた。
『おおっと!ここでタマモクロスが上がってきた!』
「すまんけど」
来たと思った瞬間には、抜かされていた。
「ぶっちぎらせてもらうで!」
周りのウマ娘たちは、タマモクロスと競り合うことすら出来なかった。自分たちよりも一回り以上小さな体に、追いすがることも出来ずに、タマモクロスがゴールするのを後ろから見ていることしかできなかった。
「よっしゃー!柚木、オグリ、勝ったでー!」
観客席に向けて手を振るタマモクロスに、一緒に走っていたウマ娘が息も絶え絶えになりながら、信じられないような面持ちで呟いた。
「”白い稲妻”の話し、本当だったんだ…」
笠松で行われているレースに参加してくるすごく小さなウマ娘が、軒並み1位をかっさらっていくという噂が真実であったと、そのウマ娘は思い知った。
「小さいウマ娘だなんて、全然嘘じゃん」
だって、後ろから見るタマモクロスの背中は、この場にいるどのウマ娘よりも大きく感じられたから。
「それじゃあタマちゃんの優勝を祝して、かんぱーい!」
「ふぁんふぁーい」
「って!?なに先に食べとんねんオグリ!?」
柚木のアパート部屋の中で、笠松三人組はジュースで、先日のタマモクロス優勝祝いをしていた。
テーブルに所狭しと料理が並べられて、そのどれもが美味しそうな見た目をしていた。
「全く、ちょっと小さな駆けっこ大会で優勝しただけで、こんな優勝パーティーをやろうなんて、2人とも大げさやなー」
「全然大げさなんかじゃないよ。みんな頑張って走ってた大会で、勝ったタマちゃんはやっぱりすごいよ!」
「ふぉうばふぁま。ふぁまはふごふぁっふぁ」
「ほめてくれるんはごっつ嬉しいけど、食うかしゃべるかどっちかにせえやオグリ!
ちゅうか、料理食いすぎやで!ウチかて柚木の料理楽しみにしとったのに!」
「あははっ。今日は二人のために腕によりをかけてたくさん作ったから、いっぱい食べてってよ」
「ほんまか!?ほな、ウチも遠慮なくいただきます!」
そう言って料理をほおばったタマモクロスは、目を見開いて叫んだ。
「うんまっ!これごっつうんまいやんけ!」
「そう言ってもらえると頑張って作ったかいがあるよ」
「なんでこない上手に作れるんや!これ、絶対そこいらの店で食うよかうまいやろ!
ああ、あかん!箸が止まらへん!」
「ごくん。わかる。わかるぞタマ。柚木の料理はどれも絶品で、いくらでも食べれてしまう。私は柚木の料理を食べているおかげで、20キロも太ることができた」
「オグリはもう少し食べる量を減らそうね。
ほら、口の周りがベタベタになってるよ」
柚木がオグリキャップの口元を拭くと、それがさも当然かのように目を閉じて、甘えるように手に顔を擦りつけた。
その時の顔を見て、タマモクロスはオグリキャップが柚木をどう想っているのかわかってしまった。
(なんや…、オグリもか)
「って!?オグリ『も』ってなんや『も』って!!」
「い、いきなり頭を振って、どうしたのタマちゃん?」
「なっ、なんでもあらへん…。ちょっと衝撃的なことに気づいてもうただけや」
「ふふっ。タマはたまに変なことをするんだな」
「オグリにだけは言われたないわ!」
タマモクロスとオグリキャップは騒がしくしながらも、おいしいと言って瞬く間に料理を平らげていく。柚木はそんな2人を嬉しそうに眺めていた。
「それで、タマちゃんは笠松のほとんどのレースを制覇したけど、これからどうするの?」
「そういえばそうだな。あとタマが出られるものと言えば、みんなで被って走ろうティラノサウルスぬいぐるみマラソン大会ぐらいしかないな」
「いや、誰がそんなもん出るっちゅうねん。
ウチの目標はそんなもんやないで。今までの笠松のレースを全制覇したのも、これからの野望のための前座や」
「野望ってなんだい?」
「それはな、全国の強いちびっ子ウマ娘を集めて開催される、『ジャパンポニーカップ』にでるんや!そこで勝って、子供の日本一ウマ娘になるんや!」
柚木もオグリキャップもその決意に、おおっと歓声を上げた。
「全国…!それはすごいね」
「けど、タマの走りならきっとできるさ!」
「へっ、おおきになオグリ。ウチはまだまだ強くなる。例え体が小さかろうが、家が貧乏だろうが、関係あらへん!
そんなもんはいくらでもひっくり返せるってことを証明したるわ!
…ってなわけで、手始めに勝負や柚木!」
タマモクロスが柚木を指差して言った。
「……えっ?僕?」
「当たり前やろ!他に誰がおるねん!
まさか昨日一緒に走ったことも忘れたんか!?」
「えーっと、昨日って、確か河川敷でやったレースだよね?」
「せや!あれでウチを10本勝負で全部負かしたことは忘れとらんで!」
「いや、でも僕ウマ娘じゃないし、タマちゃんと大会で競うことはないから、別に負けても関係ないんじゃない?」
「あかん!ウチは日本一のウマ娘になるんやで!せやのに、実は男の子に勝つことができないなんて知られたら、日本一なんて恥ずかしくて口に出せへんわ!」
「そんなことはないと思うけど、そこまで言うなら勝負しよう。
僕はタマちゃんと走るの、すごく楽しくて好きだよ。
だって、他の人はそこまで一生懸命に走ってくれないからね」
柚木の狂暴な面が、一瞬だけ顔からのぞき出た。
その顔を見ると、タマモクロスの肌が泡立つ。
柚木は自分の走りをなんでもないように言っているが、タマモクロスや周りの人間が、その足の速さに、畏怖も込めてこう呼んでいるのを知っている。
ウマ息子と。
「……へっ。走る時だけおっかない顔するやんけ」
「僕は今まで、走りではあまり負けたことないのが自慢だからね」
「ぬかせ!今度こそ勝つ!」
タマモクロスはそう宣言し、柚木にぼろ負けして草むらに寝転んだ。
「あぁーっ……。あかん。
あいつなんやねん…。なんで勝てへんねん……」
タマモクロスは疲労で倒れこんでいるというのに、どんな体力なのか、柚木はオグリキャップを背中におんぶして、夕焼けに染まる河川敷を走っていた。
川面の光に照らされた柚木の走りは、神秘的なまでに美しかった。
(ほんま、憎たらしくなるほどすごいやっちゃっで)
「すごいすごい!柚木の走りは、まるで風になったみたいだ!」
「あははっ!そう言ってくれると、僕も嬉しいよ」
「いつか私も、こうやって走ってみたいな」
「走れるよ!だって、ほら」
柚木がオグリキャップを背中から降ろすと、オグリキャップはその足で、しっかりと地面に立つことが出来た。
そのまま、柚木がオグリキャップの手をとって、支えになりながら歩くのを手伝った。
オグリキャップはゆっくりとだったが、確かに自分の足で歩いていた。
「立って歩く。それだけでも奇跡って言われてたのに、もうここまで歩けるようになってるんだ。
きっといつか走れるよ。そうなれるように僕も手伝うから」
「柚木……。ありがとう、君には助けてもらってばかりだ。
私の夢のためにも、いつか必ず走れるようになって、今度は私が柚木をおんぶすると誓うよ」
「いや、そんなお返ししなくていいよ…」
二人にしかわからないような絆があるオグリキャップに、タマモクロスはうらやましいと感じつつも、少しだけ尊敬する。
(もしもウチが、生まれた時から走れんかったら、あんな風に笑えたやろうか…。
オグリは走れへんでも、毎日きついリハビリとマッサージをして、少しでも歩けるように努力しとる。
…まあ、ほとんど柚木がつきっきりで付き合ってるのは、ちぃとばっかしうらやま……不健全やけど、それでもまるっきりしんどくないわけないはずや)
「オグリはすごいなぁ……」
「何がすごいんだタマ?」
「どわぁ!?」
いつの間にか横に来ていたオグリキャップに、タマモクロスは悲鳴を上げて飛びのいた。
「い、いきなり横にくるなんて、びっくりするやないか!」
「それは違う。私は何度もタマの名前を呼んだのに、ぼーっとしていて近づいているのにもタマが気づかなかっただけなんだ。
具合でも悪いのかタマ?」
オグリキャップの心配気な眼差しに、気まずそうに頭をかきながら、タマモクロスは立ち上がった。
「なんでもない!ちいとばっかし、ちっさいことで悩んでた自分が情けなくなっただけや」
「なるほど。つまり、タマは身長のことで悩んでいたのか」
「ちゃうわ!ちっさいことに悩んでたわけやないわ!」
「タマ、悩みがあるのなら私がきこう。タマの身長はどうにもならないが、それ以外で力になれることがあれば、いくらでも手伝おう」
「どうにもならないとか、まるでこの先も全然伸びないみたいな言い方はやめぇや!
そんなんやなくて、オグリの夢って何やろうって思っただけや」
「私の夢か?三人で走る事だ」
「えっ?」
「生まれたときから足が悪くて、立つことすら出来なかった私には、走ることがどれだけ楽しいかよくわからなかった。
けど、柚木とタマはいつもとても楽しそうに走っている。それを見ていると力が湧いてくる。勇気が出るんだ。私もいつかあんな風に走ってみたい。あの中に入って、二人と一緒に走ってみたい。そう思うと、どんな辛さや苦しみもへっちゃらになるんだ。」
「オグリ…」
「柚木もタマも、私にとても良くしてくれる。
二人にはいつも感謝している。
だから、いつかその恩返しもかねて、走れるくらい元気な姿を見せて、二人を喜ばせたい。これが私の夢だ」
タマモクロスは軽々しく夢を聞いた自分を恥じた。オグリキャップはいつも楽しそうで、悩みなんかなさそうだと勝手に決めつけていた。
けれど、そんなことはなかった。
生まれつきのハンディキャップに、本人がどれだけ苦しんだか、タマモクロスには絶対にわからない。
それでもオグリキャップは決して倦まず、僻まず、希望をもって生きている。
そんな姿勢に、タマモクロスはオグリキャップを心のそこから尊敬した。
「……オグリには敵わへんな」
「ん?何か私とタマは勝負をしていたのか?」
「ちゃうちゃう。オグリは本当にすごいなと思っただけや」
「なになに?何の話?」
話し込んでいた二人のところに、柚木が駆け寄ってきた。
「何でもない。ちょっと、夢の話をしとったんや」
「そうだ。私も聞いた事はなかったが、柚木の夢は何なんだ?」
「えっ、夢?
そうだなぁ……。走るのは好きだから、陸上選手になって大会にでも出たりして、賞金をもらって母さんを楽させてあげたいな」
「かー!なんちゅうおもんない夢なんや!」
「うちって貧乏だからね…。ちなみに二人の夢って何なの?」
「私たちの夢はな」
「待った!オグリ、柚木に夢の話は内緒や」
「どうしてだタマ?」
「サプライズや!いつか夢を実現できるときに、ばーっと見せて柚木を驚かせるためや」
「なるほど…、それは面白そうだな!」
「えー。教えてよ」
「ダメや!これは二人の秘密なんや!
オグリ、今日はウチの背中に乗れ!アパートまで柚木に追いつかれないように帰るんや!」
「ああ!秘密を守るためだなタマ」
そう言って、タマモクロスがオグリキャップを背負って、猛烈な勢いでアパートへ帰っていった。
事情をよくわかっていない柚木も、二人の楽しそうな様子に嬉しそうに目を細めて、追いつかないようゆっくりとした速度で走りだした。
ゲートの前で、ぐっと体を伸ばして呼吸を整える。それだけで、周りのウマ娘たちが緊張したのを、タマモクロスは肌で感じとった。
(警戒されとる。まぁ、それも当然ちゃ当然か)
以前よりも大きな大会に出るようになったタマモクロスは、他の者より低い年齢と身長ながら、レースで連戦連勝していた。
「タマちゃーん!がんばれー!」
「タマー!負けるなー!」
観客席で柚木とオグリキャップが手を振っていた。それにタマモクロスは、不敵な笑みを浮かべ、親指を立ててゲートに入った。
程良い緊張感と高揚感に包まれながら、タマモクロスは自分の調子が絶好調であると感じ取っていた。
(負けられへん。この大会に勝てば、いよいよ目指してた、ジャパンポニーカップへの出場権が手に入るんや。
だから、絶対に勝つ。絶対に勝つんや!)
ゲートが開いた。
一斉に飛び出したウマ娘たちの中で、タマモクロスは後方の位置を走った。それは望んだ通りの展開で、ここから最後に全員を抜き去るのがタマモクロスの必勝パターンだった。
(いける!この勝負もろたで!)
その時、前方を走っていた数人のウマ娘が、タマモクロスの前を塞ぐように進路を変えてきた。
良くも悪くも有名になっていたタマモクロスは、自分がマークされると言うはじめての出来事に、戸惑いつつもさらに闘志を燃やした。
(そない消極的なことして、どないすんねん!勝つつもりなら、もっと死に物狂いで走らんかい!)
タマモクロスにとっては、相手の邪魔をして勝つなど邪道でしかない。
内心の怒りにより、足音も荒々しく前のバ群にタマモクロスは突っ込んでいった。
「ひっ、ひぃ!」
そのバ群で、タマモクロスの前を走っていたウマ娘は、後ろから迫ってくる威圧感に怯えた。頭が真っ白になり、息が荒くなる。必死にタマモクロスから逃げようと、スピードを上げたとき、そのウマ娘の足が運悪くもつれてしまった。
「あっ」
「っ!」
小さく悲鳴を上げて、タマモクロスの進路上を走っていたウマ娘が転倒した。
突然のアクシデントを、タマモクロスは全力で避けようとしたが、相手を抜かすことに集中していたせいで、とっさに体が動かなかった。
「うわあああああああっ!」
「タマちゃん!」
「タマっ!」
最後に、驚いている二人の顔を見たような気がして、タマモクロスの意識は途絶えた。
「全治二週間やって…、あいたたたっ!」
「無理しちゃダメだよタマちゃん」
病室でベッドから起き上がろうとするタマモクロスを、柚木はそっと押さえた。
「タマ。今は痛くなくても、後から痛くなることはよくある。お医者さんの言うことを聞いて大人しくしておくんだ」
「うっ…。その通りや、オグリの言うことが正しい……。
けど……、勝ちたかったなー!」
タマモクロスは添えられた柚木の手を握りながら悔しがった。柚木が予想外だという顔をした。
「えぇー…。あんなに派手に転倒したのに、そんなこと言えちゃうなんてすごいね」
「あったり前やろ!もう少しで全国大会に手が届いたっちゅうんに、ほんま悔しいわ!」
「それだけ元気なら大丈夫そうだな。またお見舞いに来るから、出された食事にたこ焼きがなくても文句を言ったらいけないぞ」
「そんなことするか!心配せんでも、次の大会こそ優勝して、全国大会に出場せんとあかんのや!こんな怪我なんてすぐに治して、次こそはウチが勝つ姿見したる!」
そう息巻いているタマモクロスに、二人はお大事にと言って、病室を出てきた。
「あんな激しく転んだのに、タマが元気そうでよかったな柚木」
「……いや」
「うん?そんなに手の平を見て、どうしたんだ柚木?」
「……ああ。なんでもないよオグリ」
嫌な考えを振り払うように、柚木は頭を振って歩き出した。
思い出すのは、先ほどタマモクロスが自分の手を握っていた時のことだった。
あの時、タマモクロスの手の力は、弱弱しく、震えていたような気がした。
そんな違和感が、柚木に一抹の不安を抱かせていた。
タマモクロスが復帰してからのレースは、ひどいものだった。
入着すればマシな方で、ほとんどのレースの着順は後ろから数えた方が早い方ばかりで、ドベになることも少なくなかった。
「はぁ、はぁ、はぁ……。
この……ボケがぁ―!!」
雨の振るレース場で泥まみれになりながら、タマモクロスは何より不甲斐ない自分に向けて怒鳴っていた。
「な、なあ、柚木。
タマは大丈夫だよな?このまま負け続けたりしないよな?」
「オグリ……」
オグリキャップの心配そうな声に、柚木は答えられなかった。
二人から見えるタマモクロスは、激しい雨の中に消えてしまいそうなほど、儚く映って見えた。
ウマ娘用の走行レーンがある公園で、タマモクロスは一人でがむしゃらな走りを繰り返していた。
「あかん…。まだまだ足が前に出とらへん。もっかいや」
容赦なく照りつける太陽の下で、滝のような汗を流しながらも、タマモクロスは走ることをやめなかった。その姿は、まるで何かに駆り立てられているような必死さがあった。
スタート地点に戻って、走り直そうとするタマモクロスの体が、ぐらりと傾いた。
「タマちゃん!」
駆け寄ってきた柚木が、地面に倒れる前にその体を支えた。
「……あれ?柚木か…?」
「そうだよ!タマちゃん倒れそうになってたよ。これ以上走るのはダメだ、危ないよ!」
「そうだタマ。そんな無茶な走りをしたら、怪我してしまう」
心配そうな顔の二人に、タマモクロスは力ない笑みを浮かべた。
「なんや、二人とも心配して見に来てくれたんか…。
ウチは平気や。もうちょいしたら、良い走りができる気がするねん。
だからもっと走らなあかんのや」
「でも…」
「ホンマにもうちょいやったんや。あとちょっとで全国大会に出場できたはずなんや!
なのに、派手に転んだぐらいで、ビビッてもうとる!それが一番許せへん!」
タマモクロスの悲痛な叫びに、柚木とオグリキャップは何も言えなかった。
「そないなことで走れんくなったウチが、日本一のウマ娘だなんて、恥ずかしくて死んでしまいたいわ」
「タマ!そんなことはない!」
「うん。タマちゃん、今日ここに来たのは、トレーニングのことについて話したいことがあるからなんだ」
自嘲するタマモクロスに、柚木とオグリキャップが真剣な表情で、持っていたバッグの中から分厚いレポート用紙を取り出した。
「なんやこれ…?」
「タマちゃんの助けになればいいと思って、肉体面だけじゃなく精神面も強化できるようなトレーニングメニューを考えてきた」
タマモクロスがそのレポート用紙をパラパラとめくっていくと、そこにはわかりやすい図やシンプルな言葉を使ったトレーニングメニューが段階的に書かれていた。
「これ…ごっつう手間かかってそうやんけ。
こないな物を作っていてくれたんか?」
「うん。僕も走ることについては色々と勉強しているから、その知識と、ウマ娘特有の走り方を、オグリに手伝ってもらいながら書いたんだ」
「そうなんだ。私もようやく少しは走れるようになってきたから、タマと同じくらいの歳のウマ娘ということで、色々と参考にしてもらったんだ。
ほら、もうこんなに走れるんだぞ」
オグリキャップが走る体勢をとった。
その瞬間、タマモクロスの脳裏に、転倒に巻き込まれた時の記憶がよみがえった
「ひぃっ!」
「えっ?」
「あっ……」
タマモクロスの口から出た悲鳴に、柚木とオグリキャップも驚いたが、それ以上に、本人が一番信じられないような顔をして震えていた。。
「すまん…。今日はもう帰るわ」
「タマ、すまない。驚かせてしまったようだが、このトレーニングメニューを読めば」
「もう放っといてくれや!ウチはまだ走れる!
せやから、こんなことで挫けたりなんてせん!絶対に元に戻るんや!」
二人の顔を見るのが辛くて、タマモクロスは逃げるように俯きながら公園を出て、道路まで走った。
せっかく二人が自分のために気遣ってくれているのに、プライドが邪魔して素直に受け取れない。そんな自分につくづく嫌気がさした。
「タマちゃん待って!タマちゃん!」
「なんや柚木、追っかけてくんなや!」
振り返ろうとしたタマモクロスは、背後から突き飛ばされたことにより尻もちをついた。
「っ!なにすんねん!!」
大きな音がした。
顔を上げたタマモクロスの目の前を車が通り過ぎた後、柚木の体が嘘みたいに吹き飛んだ。
「…えっ?」
柚木の体は、ずいぶん長い間宙に浮かんだ後、石を打ち付けたような音を立てて地面に落ちた。
「柚木ーーー!!」
オグリキャップが似つかわしくないほど切迫した悲鳴を上げながら、寝ころんでいる柚木の元へ走っていく。もうあんなに走れるようになっているんだと驚くほどだった。
「タマ!柚木がっ!柚木がっ!」
あんな泣きじゃくるオグリキャップを見たのは初めてだった。なぜそんなに泣いているのか、タマモクロスにはわからない。
ふと、タマモクロスの目の前に、足があることに気づいた。
「なんで、こんなとこに足が…」
タマモクロスが足を持ち上げると、それは思っていた以上に軽くて、指に深く食い込んだ。
(これ、柚木の足やないか)
色白で細いくせに、信じられないほどのスピードを生む足が、どうして柚木から外れてここにある?
足の断面から、白い骨と赤い肉が見えて、雑巾を絞っているみたいに血が垂れ落ちていた。
道路上に流れていく血を見て、タマモクロスは徐々に、何が起こったのかを理解した。
その顔が絶望に歪んでいく。
「あああああああああああーーー!!」
タマモクロスは絶叫した。
それからのタマモクロスの記憶はひどく曖昧になっている。
救急車の赤いライトや、血に染まった柚木が台に乗せられていく姿。廊下の真ん中でお父ちゃんとお母ちゃんが柚木の母親に土下座をしていたり、床をじっと眺めていたりと、記憶はとびとびになっていた。
タマモクロスにとって、そんな光景は全て夢のようにぼんやりとしていた。
そして、しばらくして手術室から出てきた柚木は、まるで眠っているかのように穏やかな顔をしていた。
ただ、シーツの上から見ても無くなっている足が、先ほどまでの光景が夢でないことを告げていた。
「うっ…!」
タマモクロスは吐いた。
少しだけ頭の霧が晴れた時、タマモクロスは皆が寝静まった薄暗いリビングで、柚木が渡してくれたレポートを読んでいた。
そこには、丁寧な文字と可愛らしく書かれたオグリキャップのイラストが、どのようなトレーニングをしていけばよいのかということが事細かに書かれていた。
パラパラとめくっていくと、最後のページの端っこに小さな文字でこう書かれていた。
『一緒に頑張っていこう!』
「………ぅ。
ごめんっ……!
ごめんっ!柚木……!」
タマモクロスは声を押し殺して泣いた。
それからの日々は、まるで現実感がなかった。
頭がぼーっとして働かず、タマモクロスは生まれて初めて走らなくなった。
家族が心配してくれる声にもうまく返すことが出来ず、逃げるようにあてどもなく出かけて、日が暮れるまで家に帰らない日々が続いた。
あれほど毎日駆けあがっていた二階への階段から目を逸らして、タマモクロスはただ一人、孤独に過ごす日々が続いた。
ある日、タマモクロスが夕暮れ時に河川敷を歩いているとき、横目にいつも走っていたコースが見えた。
息苦しくなるような感覚から、すぐに目を逸らすと、その先に誰かが立ちふさがっているのが見えた。
「タマ」
「オグリ…」
しばらく会ってなかったオグリキャップは、少しだけ大きくなっているような気がした。
真っすぐにこちらを見てくるオグリキャップに、タマモクロスは目を合わせずに蚊の鳴くような声で返すのが精一杯だった。
「なんの用やオグリ。今ウチは忙しいんや」
「私と走ってくれ」
「…なんやって?」
「私と走ってくれ、タマ」
「……ウチの事情はガン無視かいな。
それより、走れるようになったんか?」
「ああ。見ていてくれ」
オグリキャップが軽やかに大地を蹴った。以前とは見違える程の動きに、タマモクロスの足が思わず動きそうになったが、ぐっと堪えた。
「すごいやん。その調子で練習すれば、きっとそこらへんのやつには負けへんのとちゃうか」
「タマ。私が言いたいのはそんなことじゃない。
私の夢を覚えているだろう。今こそ、あの時の夢を叶えに行こう」
「……オグリ、アンタめっちゃ残酷なやっちゃな。
一人はもう走ることができないのに、どないして三人で走る夢を叶えるって言うんや?」
「違う!私が言いたいことは」
「違わへん!なんや、ウチに柚木を走れなくした責任をとれっちゅうんか!?
そうや!アイツが走れなくなったのは、ウチのせいや!だからって、なにができるんや!?
ウチの足を切り落として、アイツが走れるようになるならいくらでもやったる!もう走ることなんてどうでもええ!未練なんてあらへん!
けど、それをすれば今までのことがチャラになるんか!?
教えてくれオグリ!ウチはどうすれば、柚木に許してもらえるんや!?
どうすれば、ええんか……教えてくれ、オグリ……」
「タマ……!タマ……」
オグリキャップは泣いていた。
けれど、タマモクロスもこの気持ちをどうすればいいのかわからなかった。
「もう走らないのか?日本一のウマ娘になるって夢はどうなるんだ!」
「そんな夢、ウチにはもう口にする資格がない。
すまんなオグリ、きついこと言って。きっとオグリならウチよかよっぽどすごいウマ娘になれる。
応援しとるからな…」
オグリキャップを押しのけるようにして、タマモクロスが背を向けた。
去っていく背中にオグリキャップが大声で呼びかける。
「タマ!私はジャパンポニーカップに必ず出る!
そこに出てこい!自分の夢を諦めるな!」
タマモクロスはその声に答えず、ただ黙ってその場を立ち去った。
「あっ!しまった。お母ちゃん醤油きらしてたの忘れてた!」
「お母ちゃんが買い忘れって、珍しいな。なんや、特売のチラシ見とらんだんか?」
「ウチかてそんな時もある!悪いけど、近くのスーパーで買うてきてやタマ」
そう言われて、タマモクロスは近くのスーパーに買い物に出かけた。
帰る頃にはすでに薄暗くなりつつあったので、近道である公園の中を通りながら家路を急いだ。
その途中、誰かが公園の遊具につかまって体を鍛えていた。
(こんな時間でも頑張ってる人がおるんやな)
近くを通り過ぎようとしたとき、タマモクロスはその人の膝より下の足がないことに気が付いた。
思わずタマモクロスの手の中から、醤油が入った袋が地面に落ちる。
音に反応して、その人が振り返った。
「あっ……。ああっ……!」
「…タマちゃん?」
目と目があったとき、柚木がそう問いかけてきた。
その声を聞いた瞬間、タマモクロスは萎えそうになる足に必死に力を入れて、その場から逃げた。自分でも、なぜ逃げようとしているのかわからなかったが、ただ柚木の前から一刻も早く消えてしまいたかった。
「待って、タマちゃん!ぐえっ」
何かが倒れる音がした。
タマモクロスが振り返ると、柚木が地面に倒れていた。
「柚木!?」
逃げようとしていた足が止まった。けれど、柚木に駆け寄ることもできず、タマモクロスはその場に縫いつけられてしまったかのように動くことが出来なくなっていた。
「ゆ、柚木……」
「なんで逃げるんだよタマちゃん!?
顔打っちゃったじゃん!」
柚木は鼻血を流しながら、タマモクロスを睨みつけた。
久しぶりに見た柚木は、倒れた拍子に砂まみれになっていて、流れ出た血と混ざってひどい顔になっていた。
「あっ……、その、……すまん」
「そう思うならこっちに来て、そこに車いすがあるからそっちに僕の体を戻してよ」
「えぇぇっ……。む、無理や……」
「なんで!?」
断られるとは思っていなかった柚木が、驚いた顔をした。
「だってウチ……、柚木にひどいことしたし……」
「こうやって倒れたまま放っておかれるほうが、よっぽどひどいと思うんだけど」
「そう言うことやない……」
「じゃあなんだって言うんだよ?」
「そう言うことやない!柚木だってわかっとるやろ!そうやって立てんくなったのも、歩けんくなったのもウチのせいや!それなのに、今更どない面下げて、アンタの助けになるなんて言えるんや!
ウチは許されへんようなことをしたんや!そんなウチに、柚木のそばにいる資格なんてない!」
「…はぁああーーー!?」
タマモクロスは飛び上がるほど驚いた。
普段から笑顔を絶やさなかったあの柚木が、眉を吊り上げてはっきりと怒り狂っていたからだ。
「なんだよそれ……。
もう顔見せるなとか、絶交だとか一言も言ってないのに、なんで勝手に僕のそばからいなくなろうとしてるんだよ」
「だ、だって……!ウチ許されないことしたし……」
「許されないってなんだよ!僕がタマちゃんに足のことで文句言ったことないでしょ。なのに、なんで僕が許してないって話しが出てくるの?」
「い、いや……、だって……」
「そもそも、タマちゃん僕が事故にあった日から一回もお見舞いに来なかったでしょ!オグリはちゃんと来てくれてたのに、なんで来なかったんだよ!」
「それは、気まずくて……」
「気まずいからなんだよ!友達だろ!
仮に僕が怒っていても、謝りにくればいいだろ!それから許す許さないの話しをするならまだしも、勝手に僕が許さないとか思い込んで、自分には資格がないからって夢を諦めるとか言って、バカにするのもいい加減にしろ!」
柚木の瞳は暮れかかる空の下で、太陽の光のような輝きを放っていた。
「僕が足を無くしたのは、そんな夢を諦めるための言い訳に使われるためじゃない!
あの時タマちゃんは、もしも僕と立ち位置が逆だったら、僕が車にひかれるのを黙って見過ごしてたっていうのか!?」
「ちゃ、ちゃう…!そんなわけあらへん!
柚木がもしもひかれそうになってたら、ウチは絶対に助ける!」
「そうだろ!僕もそうだ!
例え僕かタマちゃなんのどちらかの足が早押しで無くなるっていうなら、僕は迷わずタマちゃんを助ける!
僕がこんなになっても、それを信じられないって言うのか!?」
「そんなこと……そんなこと……ない……!」
「そうだ!僕はタマちゃんのためなら、足を無くしたって、これから一生走れなくなってもよかったんだ!
だって、日本一のウマ娘になるって言ってたタマちゃんは、誰よりもすごくて、最高にかっこいい僕の大親友なんだから!」
「うん……。うん………!」
「諦めるなよ!僕は何も変わっちゃいない!
足が無くなっても、僕は走ることが好きだ!ずっと走ることに執着してやる!
それで母さんを楽させてあげて、タマちゃんとオグリがすごい走りをするのを見届けてやるんだ!
僕が不幸になったからって、勝手に自分も諦めないといけないなんて勘違いするんじゃない!
僕は不幸になってないし、何も諦めてなんていないぞ!タマちゃん!」
「うん…!うん……!」
タマモクロスは泣いた。
柚木は自分以上に、タマモクロスの夢を大切してくれていた。なのに自分はその夢を、柚木を言い訳に使って、勝手に諦めようとしていた。それこそ、足を無くしてまで、その夢を守ろうとしてくれた柚木に対する最低の裏切りだった。
そんなことに、今更になって気づいた。
その時、柚木が這いずりながら、タマモクロスの元へ動き出した。
「柚木…!そんなんで動いたらあかん…!」
「動くな!」
柚木の一喝に、タマモクロスは身動き一つできなくなった。
「来たら絶対に許さないぞ!それこそ絶交だ!」
「せ、せやかて!」
「いいから、そこで黙って見てろ!僕が何も無くしてなんてないこと見せてやる!」
柚木は不格好に進んでいた。
足がないのに進むことがどれだけ大変なのか、タマモクロスには想像もつかない。けれど、柚木は細い腕の力だけで、砂まみれになりながらも、這いつくばって進むのをやめなかった。
息をきらし、汗だくになりながらも、懸命に進む姿に、タマモクロスの全身が震えていた。
「……が、頑張れ」
知らずのうちに握りこんでいた手を振って、タマモクロスは柚木に叫んだ。
「頑張れ!頑張れ柚木!ウチはここや!もうちょっとや!」
「ふんぬああああああ!!」
「頑張れ――――!!」
長い長い時間をかけて、柚木がようやくタマモクロスの元にたどりついた。
タマモクロスが抱き着くと、軽くなった体がタマモクロスの胸の中に収まってしまった。
「どう?僕ってすごいでしょ?」
「あぁっ……!柚木はすごいなぁ……。ほんまに…、ほんまにすごすぎるわ……!」
「へへっ。そうでしょ。
あとさ、気になってたことが一つだけあるんだ」
「……なんや?」
「突き飛ばしちゃったとき、怪我しなかった?心配してたんだ」
「……あ、あほぉ……。
そ、そないな心配しとらんで、もっと自分の心配せんか!このお人好し!」
「そんなに泣くことないじゃん」
「柚木が泣かすようなことするからやろうが!ウチかて…!ウチかて…、アンタの…ことが……うえぇぇーーーん!」
柚木に頭を撫でられながら、タマモクロスは声の限り泣いた。
「ごめんな……!ごめんな柚木!」
「いいよ。タマちゃんが無事で本当によかった」
タマモクロスが柚木を背負って、すっかり暗くなってしまった夜道を走っていた。
「すっかり遅なってもうた。ごめんな柚木」
「いいよ。あんなに泣いたタマちゃんなんて、お小遣いで買ったソフトクリームを、一口も食べてないのに地面に落としちゃった時以来じゃない?」
「なっ、なんでそないなこと覚えとんねん!」
「はははっ。忘れないよ。だって、三人で過ごした時間を忘れることなんてできないよ」
「……そっか」
「タマちゃんこそ大丈夫?僕と車いすを抱えてなんて、重くない?」
「はっ!柚木はウマ娘の力をみくびっとるな。アンタなんてウチからしたら羽みたいなもんやで!」
タマモクロスの手の力が少しだけ強くなった。背負っているはずの柚木は本当に軽過ぎて、手で抱えている車椅子の方が重たく感じる位だった。
強くつかんでいないと、どこかに飛んでいってしまいそうで、とても怖くなる。
「それオグリにも言われたな。軽すぎてどこかに飛んでっちゃいそうだって」
「ちょちょちょい!なんでウチがおんぶしとる時にオグリの名前が出てくるんや!?」
「……?オグリが僕をおんぶしてたらダメなの?」
「い、いや……。ダメっちゅうわけやないけど、なんかモヤっとするっちゅうか…」
「ふふっ、変なタマちゃん。最近のオグリは走れるようになってから、どんどん速くなってるんだよ。僕はおんぶされながら、そのトレーニングの手伝い」
「そ、そうなんか?」
「そう。そんなオグリの姿を見てて思ったんだけど、僕ウマ娘のトレーナーを目指そうと思うんだ」
「柚木が、トレーナー?」
「まあ、自慢じゃないけど、僕って足が結構速かったから、その時の経験や知識がトレーナーでも生かせるんじゃないかと思ったんだ」
「…そうやな。アンタみたいにウマ娘と同じ目線で走れたやつなんて、世界中どこ探してもおらへんやろうからな。きっと柚木はええトレーナーになるで」
「だといいなー。
それでさ、もしもトレーナーになれたら、タマちゃんとオグリが僕の担当ウマ娘になってよ」
「ウチとオグリが…?」
「そう。僕はもう走れないから、その分タマちゃんとオグリの夢を叶える手助けをしたい。
僕は二人の走りが好きだから、少しでも力になりたい。その背中に夢を見たい。
夢を押し付けてくるなんて、自分勝手だって怒られるかもしれないけどね」
「…んなことない!ウチの走りで、いくらでも夢見させたる!
手始めにジャパンポニーカップで優勝して、子ウマの日本一になったら、柚木をおんぶして日本一の走りを見せたる!」
「ほんと?夢が増えていいなー」
「約束や柚木!
どんなに重くたって、その夢だけは絶対に手放さへんで!
こればっかりはオグリにだって譲らへんからな!」
「泣かないでよタマちゃん」
「泣いてへん……!泣いてへんもん……」
柚木は本当にズルい。タマモクロスは泣きながらそう思った。
「ほななぁ、しっかりあったかくして寝るんやで」
「タマちゃん、たまに僕の方が年上なこと忘れてない?」
苦笑交じりの柚木を部屋に送ったとき、柚木の母親は優しい笑顔でタマモクロスに言った。
「この子をこれからもよろしくねタマちゃん。私は責めるつもりなんてないし、この子だってそうよ。私はあなたたち三人が仲良くしているのを見るのがとても好きだから、いつまでも仲良くしてもらえると、とても嬉しいわ」
「……はい。
本当に、本当にありがとうございます!」
タマモクロスは精一杯頭を下げた。
そして、柚木の部屋から出てきて、1階の自分の部屋に戻ろうとしたとき、階下に誰かがいることに気づいた。
「オグリ……」
「タマ……。少し話せないか?」
「…ああ、ええよ」
二人がアパートの前に来ると、オグリキャップはタマモクロスに向き直って言った。
「タマ、私は今度のジャパンポニーカップに出場する。
タマもその大会に出てほしい」
「ああ。ウチもブランクきついけど、今から出れるように頑張ってみるつもりや」
タマモクロスのあっさりとした返答に、オグリキャップは面食らった。
「あっ、あれ?おかしい。
ここでタマが出たくないと言って、私が持っているこのチョコバーを渡すことで、出たくなるという流れがあったのに」
「アホか!そないなもんでウチが釣られるかい!
ウチには日本一のウマ娘になるっていう夢がある。その夢に柚木も相乗りさせてやることに決めたんや。せやから、もううじうじしとられへん。
全力で勝ちにいったる!」
そう言ったタマモクロスの目は、以前とは明らかに輝きが違っていた。
オグリキャップにとって、タマモクロスの悩みは自分ではどうにもならなかった。それを柚木が解決したことに、やはり自分の幼なじみはすごいという誇らしい気持ちがわいた。
だからこそ、オグリキャップは柚木にできることならなんでもしてあげたかった。
「タマ……。
私はタマと出会うもっと小さなころから、柚木の背中に背負われて、走る喜びや楽しさを教わってきたんだ。だから、今の私があるのは柚木のおかげなんだ」
「そっか」
「私はジャパンポニーカップに必ず出る。そして優勝して、走れなくなった柚木に、私の背中で日本一の景色を見せてあげたい。
それが私にできるせめてもの恩返しなんだ!」
「……どっちも考えることは一緒か」
「私たちは夢を託されたんだ。それはすごく大きくて、とても大事なことだと思う」
「せやな。
…………それと、この間の事故のことやけど」
「今は言わなくていい」
「オグリ……」
「まずは白黒つけよう。
話はそれからだ」
そう言って、オグリキャップは自分の部屋に戻っていった。
堂々とした姿に、並々ならぬ決意があることをタマモクロスは感じていた。
「全く……。ウチの友達はすごいやつばっかやなー」
年齢もバラバラで、性格も違うのに、二人ともどんな困難にも挫けることがない。
「ウチも見習わな」
タマモクロスはそう呟いて、自分の部屋のドアを開けた。
「タマ!醤油買いにどこほっつき歩いとったんや!」
「し、しもた!お母ちゃんごめーん!」
ジャパンポニーカップ開催当日、レース場につながる通路でタマモクロスとオグリキャップは鉢合わせた。
お互いの体から立ち上るような闘志に反して、二人の眼差しは異様なまでに静かだった。
「勝つんはウチや」
「私だ」
それだけで二人には十分だった。
並んで通路の先に進んでいけば、その先は今までの会場とは比べ物にならないほどの、広いレース場と大きな歓声が響いてきた。
そこに集まっているウマ娘たちは子供とはいえ、肌を刺すような気迫を纏っている。
それぞれがゲートに入っていく中、タマモクロスとオグリキャップのゲートは奇しくも隣同士だった。
(初めて会ったときから、こうなる運命やったのかもな)
『ウチ天才だよ!将来日本一になるんだ!』
『私の夢か?三人で走る事だ』
もうあの頃のように純粋な夢はなくなった。
けれど、今の夢の方が、何倍も重くて大切だ。
「さあ、行こうか」
「さあ、行こう」
だからこそ二人は負けたくなかった。
ゲートが開いた。
全国大会に出てくるだけあって、ほとんどのウマ娘が好スタートを切った。
横一列に並んでいた集団が、それぞれの位置取りをしていく中、オグリキャップは前方に、タマモクロスは後方に下がった。
レースは順調な滑り出しをした、かのように見えた。
最初にそれに気づいたのは、最後方を走る一人のウマ娘だった。
(ちょっ!皆はやっ!ついてくので精一杯…!)
別に彼女はこの位置を走りたかったわけではなく、純粋に周りのスピードについていけないゆえに、一番後ろを走らされるはめになっていた。
これでも、地元では向かうところ敵なしで、全国大会でも軽く優勝してやるという気持ちだったのに、その自信は早くも粉々に砕けていた。
(あぁあ!このままじゃビリになる!せめてそれだけは避けないと)
とても消極的な気持ちで、彼女は同じように後ろの方を走っていて、自分よりも下になってくれそうなタマモクロスに目を付けた。
(やった!こんなちっさい子なら、私でも勝てる……あれ?)
抜こうとしたのに、急に息苦しくなり、体に力が入らなくなった。
(な、なんで?どこか怪我でもした?せっかく目の前に勝てそうな子が……!?)
体に強烈なプレッシャーがのしかかる。
その時になって、彼女は初めて気づいた。
自分は、目の前の小さな子供に、腰が引けて自ら下がっているのだと。
(この子…何なの?)
彼女はその時、タマモクロスに特大の雷が落ちる幻を見た。
「全員、ぶち抜いたる!」
タマモクロスが吠えた。
はじかれたようにスピードを上げるタマモクロスに、一人また一人と抜かされていく。
(なんだこいつのスピードは!?)
(ひっ、ひいっ!)
(こんな所からスパートなんて、ペースが持つわけない!)
(いや、こいつは行く!)
ほとんどのウマ娘たちが、タマモクロスの走りを無謀だと捉えた。
しかし、ほんの数人は、タマモクロスの脅威を正確に理解した。
「止める!」
血気盛んな、タマモクロスよりも体のでかいウマ娘が、その進路を無理やり塞ぐような形で前に出た。
妨害ととられても文句の言えないような行為だったが、そのウマ娘にはここでタマモクロスを止めなければ、必ず負けるという確信があった。
「そいつはもう克服しとんねん」
かするような軽い接触で、そのウマ娘はタマモクロスに当たり負けした。
「なっ、なにー!」
体格差をはね返すほどのタマモクロスの力に、吹き飛ばされたウマ娘の方が驚いた。
崩れた体勢を立て直しながら、いったい、なぜ負けたのかを後ろから分析する。
すると、タマモクロスの走るフォームが、普通のウマ娘のフォームより頭一つ二つ分は低いことに気づいた。
(そうか!体の軽さを、重心を低くすることで安定させて、当たり負けしないようにしているんだ!)
地を這うような姿勢の走りは、下手すればこちらの足元をすくう可能性もある。
そんな相手に、むやみやたらラフプレーをするのはこちらの方が危ない。
(けど、いつまでそのフォームで走り続けるつもりだよ!?あたしならそんな姿勢、10秒だってもたない。
一体、どれだけのトレーニングで足腰鍛えりゃそんな走りができるようになるんだよ!)
(そない簡単にこのフォームは崩れへんで!
この走りはなぁ、ちっさいころからオグリを背負って鍛え、今は歩けなくなった柚木を背負いながらトレーニングしとるさかい。鍛え方がちゃうんや!
それに、ウチの背中には、もう一人の重たい夢も乗っかっとるんや。並大抵のことじゃ崩れへんで!)
タマモクロスは地を這うようなフォームで、バ群の隙間を一瞬のうちに駆け抜けていく。
はじけるような走りと、尾を引く閃光から、誰かがその走りをこう呟いた。
「い、稲妻みたい……」
タマモクロスと先頭集団の距離が、みるみるうちに縮まっていく。そして、視界の中にオグリキャップが見えたとき、タマモクロスは思わず目を疑った。
オグリキャップの走り方は、後ろにいるタマモクロスから見たらまんま柚木の走りだった。
強い足腰とゴムのように柔軟な関節を持っていた柚木が、まるで飛んでいるかのように駆ける姿を、オグリキャップの背中に見てしまう。
その背中に追いつこうと、いつも悔しい思いをしながら、それでも憧れていた。
(アカン。あの走り見とると、柚木追っかけてたとき思い出して、なんや、胸の奥がツーンとしてきてくるやないか!)
泣きそうになりながら、タマモクロスがオグリキャップに迫る。
オグリキャップが振り向くと、タマモクロスがすごい勢いであがってきていることに気づいた。
このままでは差をつけられると判断し、オグリキャップはタマモクロスに合わせて加速した。
互いに距離は縮まっていき、二人の速度は横に並んだ時に、ほぼ一緒になる。
しかし、その均衡は長くは続かず、オグリキャップはずるずるとタマモクロスの後ろへと下がっていく。
ゴールが見えてきた最後の直線で、タマモクロスはダメ出しと言わんばかりに、オグリキャップを引き離した。
(ウチの勝ちや!)
タマモクロスは勝利を確信した。
しかし、オグリキャップは負けることへの焦りより、タマモクロスの走りに目を奪われていた。
なぜなら、そのスパートのかけ方が、まんま柚木の走りにそっくりだったからだ。
ウマ娘のパワーに負けないように、姿勢を低くして一瞬のスピードとステップで相手を抜き去った柚木の走りを、タマモクロスの走りの中に見てしまう。
二人の走る姿を眺めながら、いつも憧れ、自分もあんな走りをしたいといつも憧れていた。
(いけない。あの走りを見ていると、柚木とタマの走りを眺めていた時を思い出して、なんだか、胸の奥がカーっと熱くなってきて、元気がわいてくる!)
オグリキャップの足が、爆発でもしたかのような轟音を立てて、地面を蹴り飛ばした。その体は、圧倒的な推進力により、見る見るうちにタマモクロスとの距離を縮めていった。
タマモクロスからすれば、あれだけ引き離したにもかかわらず、オグリキャップが隣に来ていることに、思わず文句の言葉が出た。
「チート使うなや!」
「タマだって!」
二人は酸欠で苦しい中でも、強気に笑って見せた。
不思議と、二人で走っていると、すごく苦しくて辛いはずなのに、まだ走れる気がする。
足はより速く。心臓はより強く。走っている最中だというのに、肉体が研ぎ澄まされていく。
理由はわかっている。
二人の走りが、ほとんど同じだからだ。
それぞれの体に合わせた部分も多いが、根っこは柚木の教えだ。
二人は相手の走りを、互いの手本のようにしながら走っていた。
『その足はこうやって動かすんだよ』
『視線をもう一段上げるだけで、姿勢が自然と良くなるよ』
『そう。あとは、今までやってきたことを信じて走るだけだよ。頑張って!』
まるで、柚木が隣で走りながら教えてくれているみたいだった。
二人は、錯覚に泣いてしまいそうだった。
奇妙なシンパシーを感じながら、タマモクロスとオグリキャップが、ゴールへと駆けていく。
やけに静かで、互いの呼吸の音しか聞こえないような静寂の中、小さな呼吸がどこかから聞こえた。
この二人しかいない空間に、一体誰がいるのかと思ったとき、二人の間からするり誰かが入り込んできた。
その人は、真っ白な髪に女性のような線の細い体で、けれど誰よりも力強い走りをしている。
それは柚木に見えた。
目を疑うような光景の後、一陣の風と共に、柚木は二人の間をするりと駆け抜けていった。
『楽しかったね、二人とも』
風はそんな言葉を残して去っていった。
二人はゴール板を通過しても、呆然としたように、コースの先を見つめていた。
「な、なあ、オグリ……。今のって…」
タマモクロスが振り返ったとき、オグリキャップは膝をついてうずくまっていた。
「ど、どないしたんやオグリ!?どっか怪我でもして痛いんか?」
タマモクロスが近くと、なんとオグリキャップは顔を覆って、ボロボロと泣いていた。
「柚木が……。柚木が、一緒に走ってるみたいだった…。
三人で走る夢…、もう叶わないって思ってたから……、嬉しくて、嬉しくてっ!」
「オ、オグリ……っ!」
オグリキャップは堰が切れたように泣き出した。
大声で泣く親友を前にして、タマモクロスはようやく自分がどうしようもないことをしてしまったことを認めた。
もう二度と取り返しがつかないことであるけど、それでも自分を許して受け入れてくれる親友に対して、感謝と申し訳ない気持ちがあふれてくる。
タマモクロスはオグリキャップに抱きついた。
「ごめんなぁ、オグリっ!アンタの大切な人を傷つけてしもうて、本当にごめんなぁ、オグリっ!」
「いいんだタマ。二人が生きていてくれただけで、本当に、本当に……良かった。このまま元に戻れないんじゃないかって、ずっと、ずっと怖かったんだ…!」
オグリキャップはタマモクロスの胸の中で泣いた。
不甲斐ない自分を見捨てなかったオグリキャップを、タマモクロスは本当にすごいと思った。
「おーい!タマちゃん!オグリー!」
レースが終わったことにより、関係者がぞくぞくとコース内に入ってきていた。その中に、柚木も自分で車いすを動かしながら、こちらに向かって手を振っていた。
「二人ともすごいレースだったね!見てるこっちも熱くなったよ!」
まだ遠い柚木に向かって、オグリキャップがタマモクロスの背中を押した。
「オ、オグリ?」
「タマ、今回はゆずる」
オグリキャップはまだ泣いていたが、それでも笑って見せた。
「けど、次は私が柚木に日本一の景色を見せてみせる」
拳を握って宣言するオグリキャップに、タマモクロスは少しだけ意地の悪い顔をした。
「やってみいや。幼なじみの時間では負けておっても、他のことではもう負けへんで」
「大丈夫だ。柚木は私が三歳の時に、将来お嫁さんにしてくれると約束してくれたんだ。だから、今回は遠慮なく、甘えてくるといい」
「そんな昔の約束で油断しとったら、足元すくわれるで。
なんせ…、うちらの勝負はまだまだ続いていくんやからな」
「けれど、私たちが将来どうなっても、三人一緒にいることは何も変わらないだろ?」
「せやな。ウチもアンタらと一緒に一生いたい!」
「私もだ、タマ」
タマモクロスは柚木に向かって駆けだした。
「どうしたの、タマちゃん?うわっ!?」
タマモクロスは何も言わずに、柚木を車いすから背中におんぶした。
「どうや、柚木!ウチの背中から見える景色は」
「すごく最高!まるで、夢みたいな景色だよ!」
「せやろ!なんせ、ウチこそが!」
タマモクロスは空に拳を振り上げて言った。
「日本一のウマ娘やからや!」
晴れやかな天気の中、トレセン学園の桜並木を、二人のウマ娘が駆けていく。
「急ごうタマ。このままでは、入学式初日から、遅刻してしまう」
「アンタが道に迷うからやろうが!なんで逆方向に行ったんや!?」
「すまない。美味しそうな匂いがして、つい」
「柚木の朝飯あんだけ食っといて、まだ足りんのかい!?」
その時、脇の木の陰から、車いすに乗った柚木が出てきた。
「タマちゃん、オグリ。僕は新米トレーナー柚木。君たちの走りに夢を見た。
僕の担当ウマ娘になってくれ!」
「はっ?」
いきなり出てきて、スカウトを駆けてくる幼なじみに、タマモクロスは柚木をアホを見る目で見た。
「何やっとんねん、アホか。そういうんは、遅刻しとらん時に言うてくれや」
「はいっ!私は柚木の担当ウマ娘になる!」
「やったー!これからよろしくねオグリ!」
「ああ。任せてくれ、柚木。共に夢を目指して駆け抜けよう」
「ちょちょちょーい!何二人だけで決めとんねん!ウチもいれんかーい!」
「あっ。たまちゃんも担当ウマ娘になってくれる?」
「なるに決まってるやんけ!うちだけ雑すぎるやろ!泣くぞ!
ちゅうか、なんで遅刻しそうな時に、スカウトしてくるんや!?」
「えー。だってタマちゃんがいの一番にスカウトしてくれないと受けてやんないなんて言うから、僕待ってたのに、いつまでもこないからじゃん」
「んなこと!………確かに言った気がする」
「でしょ?」
その時になって初めて、ふざけて言ったことをちょっと後悔するタマモクロスだった。
「よし、それじゃあ早く行こうか。いい加減遅刻しそうな時間だ」
「柚木は私の背中の上に乗ってくれ。決して君を遅刻なんてさせない」
「僕は学生じゃないから、別に遅刻は関係ないんだけどね…」
「あー!ずるいでオグリばっかり、柚木にかまって!」
「ずるくない。なぜなら、今は私の方が日本一のウマ娘だからだ。
さあ、行こう柚木」
「それも今のうちだけやで!今度はウチがオグリをぎったんぎったんにしてやっからな!」
三人で慌ただしく、学園への道を急ぐ。それが今も昔も変わらない、三人の関係だった。
「それで、柚木は何を目指してるんや?」
「世界一を目指したい。日本一は、子供のうちに二人が荒らしまわったから、そろそろもっと高いところを目指しても良いころだ」
「うん。とてもいいと思う。私たちなら必ずできる」
「せやな。期待しとるで、柚木」
「任せてよ。
だって、僕は君たち二人の背中に、果てしない夢を見てるんだから」
新たな始まりを前に、三人はいつものように笑いあった。
趣味のままに書くのはやはり楽しいですね。