「何故ウマ息子がいないのか、君は知っているかね?モルモット君」
試験管を眺めながらアグネスタキオンはそう問いかけてきた。試験管に入った怪しい色の液体はタキオンの心を表すかのように、ぐにゃりと彼女の顔を歪めている。
「それは性染色体にウマ娘を決定する因子があるからだね。X染色体が二つ揃った時にしかウマ娘因子は働かない。だからウマ娘因子が働くには、メスであることを決定するXX染色体が必要条件なんだ」
俺はトレーナーになるための必修科目で習った知識を披露する。といってもこの程度は既にトレーナーになった俺には出来て当たり前のことだ。
「そう、三毛猫と同じ理論だよ。三毛猫には原則メスしかいないが、それもXX染色体でしか三毛の模様が現れないようになっているからさ。しかし、この状況で冷静に答えられるとは……流石は私のモルモット君だと誉めてやりたいところだね」
「いやあ、こちらも実に快適な寝床を用意してもらってありがたいよ」
そう言って俺は両手足に食い込むベルトを力一杯振りほどこうとした。
ギシリと寝台が呻くがベルト自体はびくともしない。余程厳重に縛ってあるのが分かる。
「まあそう焦ることはないよ。モルモット君。すぐに実験は済むし、実験が終わればその拘束も解いてあげるさ」
そう言われたが、全裸でベッドに拘束されるという、今まで経験したことのない状況に俺は少なからず焦っていた。
「……それはありがたい話だが、君が服をひっぺがす趣味があったなんてな」
「何を言ってるんだい。モルモットが服を着ないなんて当たり前じゃないか」
「拘束するのも当たり前かよ」
「もちろん。実験対象が下手に暴れたら実験しずらいからね」
そう言って不敵に嗤ったその瞳は、普段よりも一層狂気に染まり、窓から差し込む夕陽に照らされて妙に色気のある茜色に光っていた。傾きかけた陽光のせいか、タキオンの頬は少し赤味を帯びているようにも感じる。
「つまり、暴れるようなこと前提の実験ってことかい。実に丁重な扱いを受けて涙が出るよ」
俺の皮肉を聞いたのか聞いてないのか、タキオンは机から一枚の紙切れを手に取りじっと見つめる。
どこか物憂げなその表情を、辛うじて自由のきく首だけを動かして見つめていた。
突然、彼女は悲しげな顔でこちらに向き直り、手にしていた紙切れを俺の方に突きつけてきた。
「……君には本当にがっかりさせられたよ……」
心もとない電灯と夕陽の逆光で見にくい中、俺は目を細めてその紙に書いてある文字を読む。
――瞬間、心臓が止まりそうなほど驚愕した。
その手には俺が理事長に提出したはずの契約解除の申請書が握られていたからである。
「……なぜ……それを……?」
首を不自然に前に曲げ、気道がうまく確保できない中で、俺は絞り出すようにその言葉を口にした。
「ルドルフ会長が気をきかせてくれてね。いくら規約上トレーナー側が一方的に契約破棄が出来るからといって、担当ウマ娘に了解もとらずにこのような重大事を決められてしまうのは如何と案じて、万一、万が一そのようなことは無いだろうという確認のために私に連絡を寄越したのさ」
そこまで言うとタキオンは例の紙を机に戻し、それを凝視しながら一つ深々と嘆息した。
「なあ悪いとは思ってる。だがお前はもう走れる体じゃないじゃないか。医師からも見放され、自分で作った薬でも結局そのガラスの脚は治らなかった。もうレースにも出られないのにまだ俺と契約して何か特があるのか?」
「……君は、実に、薄情だね」
……タキオンはこんなことを言う奴だったか?
「私はね、契約の破棄自体に怒ってるんじゃないんだよ。……なんの相談も無しに一人で勝手に決めてしまったことを心底嘆いているんだ」
……やっぱりおかしい……。
「な、なあタキオン。お前変わったな。前はもっとこう、ドライっていうか……。そもそも俺と契約しなかったら退学も覚悟の上だったじゃないか。それが……」
タキオンは悲しげな表情を張り付けながら俺の方に寄ってくる。
「ああ、確かに変わったね。昔の私だったらルドルフのお節介も一蹴していただろう。けどね……」
そこまで言うとタキオンは俺の寝台に腰掛け、上体だけ傾けると俺の顔の目の前までその眼光を突きつけてきた。
「君が悪いんだよトレーナー君」
モルモット呼びではないその常識的な呼び方が逆に俺の背筋を凍らせる。
「君が私を変えてしまった」
まるで背中に百足が這いずりまわるような悪寒。額からとめどなく冷たい汗が溢れているのが分かった。
上体を起こすとタキオンはまるで獲物を捕らえた獣のように、嗜虐的な眼差しで俺の体を上から下へゆっくりとねめつける。
「な、何が目的なんだ?契約の継続か?」
下半身に視線を落としていたタキオンはゆっくりと俺の顔に視線を合わせる。その瞳はいつもとは違う、怪しく妖艶な雰囲気を孕んでいた。
「言っただろう。契約の破棄自体は怒っていないと。トレーナー側からすれば実に合理的な判断さ」
「じゃあ一体……」
「ただ……」
俺の台詞を遮り、タキオンは手に隠していたであろう、先程の怪しい色の液体が入った試験管を取り出した。そして、試験管を煽ると一気に飲み干したように見えた。
次の瞬間、タキオンは俺の唇に唇を合わせてきた。
うねうねとうねる舌が俺の口内に侵入し、同時に先程の液体が否応なく俺の喉を通過する。タキオンとの初めての接吻はナメクジのような彼女の舌と不味い液体の味を味あわされ吐き気さえ覚えた。
全ての液体を流し込んだのか、彼女の唇は俺のそれから離れていく。やっと空気が吸えるようになった気管は空気を求めて俺を咳き込ませた。
「……何……飲ませた!」
ゆっくりと唇を離し、舌なめずりをする彼女は勝ち誇るように俺を見下してくる。
「言っただろう。実験だって」
「答えになってねえぞ!」
突然、俺の体は急激に熱さを訴えた、全身が上気して心臓が暴れだす。接吻ではまるで反応しなかった俺の愚息がムクムクと起き上がりだした。
「安心したまえ。その反応は単なる精力増強剤によるものだ。市販されているものを混ぜたにすぎない」
「はあ?『混ぜた』?」
「流石長年私のモルモットをしてきただけはある。耳ざといね」
彼女は不敵に嗤うと俺の体に覆い被さるようにその顔を胸に埋めてきた。
「さあ、私との子供を作ろうか」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「ああ、待ちきれないよ!トレーナー君!」
そう言うや、彼女は着ていた服を脱ぎだす。
黒いブラジャーに白く透き通った肌が夕陽に照らされ俺の網膜を刺激した。
「意味、分かんねえ!これが実験!?いよいよ科学者としての矜持も棄てたかタキオン!俺を襲って俺を道連れに学園からおさらばしようってのか!?」
すると彼女はピタリと動きを止め、俺の腰に跨がりながら口を開く。
「……ああ、そうだね。半分正解さ。私は実験のためにこの学園を去る。君がどうするかは君次第だけどね」
ますます意味が分からず、俺はタキオンを見上げる。彼女の頬は紅潮し、息も荒々しさを含んでいた。
「……三毛猫のオスは極稀にだが発見される。Y染色体がないとオスにはならないはずなのにどうして三毛のオスが産まれるのか……。トレーナー君は知っているかい?」
……まさか……!
「お前……今の薬品……」
だが俺の言葉に反応せず、彼女はさらに続きを語る。
「性染色体がXXYになっているのさ。普通なら二つしかない染色体が三つになって、オスを発現させるY染色体と三毛を発現させるXX染色体の二つの条件を同時に満たすんだ」
俺の四肢から熱が奪われるのが分かった。心臓が壊れるほど暴れだし、脳が危険信号を送り続ける。
「さあ、ウマ息子を造ろうか……」
誰も居なくなった校舎に、ただ肉のぶつかる音だけが木霊していた。