無事に任務が終えたその日の夜。零は自室の机で研究所から盗んだ資料を睨みながらカルピスを飲んでいた。
2023/6/6
実験No.666風切零についてのレポート
【実験番号】
No.666
【個体名】
風切零
【製造年月】
2018年一月十四日
【製造目的】
ナノマシンウイルス実験の実験隊として製造
【使用されたナノマシンウイルスの効果】
・身体能力向上
・寿命と細棒の永久化
・完全記憶能力の発現
【実験結果】
六六六回目の実験により初のナノマシンウイルスの適合例。
以後は二人同時体制の監視の元経過観察を行うものとする。
【実験No.666個体名風切零の脱走についての報告】
経過観察十日目、突如として房の中から姿をくらました。調
査の結果風切零はナノマシンウイルスの身体能力向上の効果
により壁を破壊し脱出したもよう
「んだよ・・・。これ」
全てを読み終わった零が資料をグシャリと握りつぶし机に叩きつける。実験、個体、製造、ナノマシンウイルス、気になることは多々あるもののこの資料が示していることはある一つの事実へと零を向かわせた。
「俺は、人間じゃない?」
もちろんこれは資料を読んだ上での零の考察には過ぎない。そもそも研究所にいた記憶も、そこから脱出した記憶もない。
そもそもの話産まれたのが今年の一月と言うのも可笑しな話だ。
「だとしたら、なんだ?俺は・・・・・なんなんだ?」
次の日、開店前の喫茶リコリコ内。
「ねぇ、千束。あの子、何かあったの?」
上の空で開店準備を進めている零を見ながらミズキが千束に質問する。
「昨日はミズキと一緒に居たんだからミズキの方が知ってるでしょ?」
「特に変わった所は無かったと思うけど・・・。ウエイターだってちゃんとやってたし」
二人がミカを見てみるがミカも知らないようで皿を洗いながら首を左右に振る。
「ねぇ、零〜。今朝から様子がおかしいぞ〜」
「別に・・・千束には関係ない」
「関係ないって・・・」
零の素っ気ない態度に困惑しながらも千束はいつもの調子で零に話しかける。
「ずっと上の空じゃ勿体無いよ?ほら、人生って有限なんだしさ」
千束のその言葉に昨晩見た資料の内容を思い出して零が動きを止めて千束を睨みつける。
「俺の時間をどう使おうが俺の勝手だろうが!何にも知りもしないくせに語ってんじゃねぇ!」
声を荒げ千束を捲し上げる。息を切らしハッとした零が呆然とした三人から目を逸らして店の外へと向かう。
「・・・・・買い出しに行ってくる」
それだけ言うと零は店から出ていった。しばらくの静寂の後千束が口を開く。
「先生・・・・・」
「今はそっとしておこう。彼には少し時間が必要なようだ」
「うん・・・」
その後一日、上の空のまま仕事をこなす零を見ながら千束もまた仕事を続けていた。
そんな最中、リコリコの常連であり警察の阿部がテレビに映し出される杉並ナノマシン研究所の爆発事故についてのニュースを見なが見ながらとある話を始めた。
「最近は何かと物騒でウチも出ずっぱりなんだよ」
「それなのにここでコーヒー飲んでていいの?また上司の人に怒られちゃいますよ?」
「千束ちゃんの笑顔を見れるなら上司の小言なんてなんて事ないさ」
こんなたあいない会話から始まっていく。
「そう言えばついこの間も何か騒ぎが起こってとみたいでウチの署総動員で杉並で人探ししたっけな」
阿部の言葉に千束がテレビを見る。
「あ、これは内緒で頼むよ?署長から口止めされてるし」
「分かってますよ〜」
阿部が店を出るのを見送ると共に千束は零を見るが零は何も気にせずに客から注文を取っている。
「零、そっちは千束に任せてこっちを手伝ってくれ」
「分かった」
ミカの声に零がキッチンへと消えていき直様千束がミズキに駆け寄る。
「ねぇ、ミズキ」
「何?」
「お店閉めた後ちょっと零のこと足止めしててくれない?」
「それは別にいいけど何するつもり?」
「零の居ない間に部屋を調べようかなって」
ミズキがため息を吐きながら注文された料理を千束に手渡す。
「わーったわーった。でもあんまし期待すんなよ〜」
「ありがとう、ミズキ」
その言葉と同時に千束はリコリコの業務へと戻るため料理を客へと運び始めた。
その日の夜、ミズキに店の後片付けと帳簿付けを頼まれた零が渋々引き受け終わったのが深夜の十二時過ぎ。
ミカに買ってもらったスマホでピッポッパと鳴らしながらとある人物へと電話を掛ける。
「もしもし」
『おー、黒。久しぶりだな』
スマホから聞こえる機械音に零は誰も居ない喫茶リコリスの席へと座りガラス窓から真っ暗な外を見る。
「あぁ、久しぶりだなウォールナット」
ウォールナットとは、ネット黎明期から存在するウィザード級とも言われるスーパーハッカーである。
零とウォールナットの出会いは数ヶ月前、自販機の下から集めに集めまくった小銭でネットカフェに入り、産まれて初めてコンピューターを触った時に偶然ウォールナットのパソコンをハックして以来の仲だ。
黒と言うのは零のネットの名前であり、ウォールナットから授かった第二の名前でもある。
「俺について調べてくんない?」
『・・・・・いきなりだな。まぁ、もう調べはついてあるよ』
「え、マジ?」
『ボクは無知が嫌いでな。初めてハッキングされた時にどんな奴か調べてみた。そしたら黒は2018年一月下旬以前の経歴が一切ない
生唾をごくりと飲みながら零はウォールナットの話に聞き入る。
『だが、問題はここからだ。そこからボクは黒が映った監視カメラをハッキングして黒の軌跡を辿ってみた。するとたどり着いたのが・・・』
「杉並ナノマシン研究所・・・・・」
『知ってたのか』
ウォールナットが感嘆の声を上げると共にパソコンのキーボードを叩き画面に良珊方のプロフィールを映す。
『幸いにもそこの責任者の方はまるまるハッキング出来た。良珊方座九之助。クローン技術の研究で一度学会から干されかけてるな。その後は知っての通りナノマシンの研究を始めている』
更にウォールナットは次のタブに画面を映す。
『研究データを抜き取るのは苦労したぞ。何せ今奴のバックにいるのはGRUのスペツナズだ』
「ロシアの特殊部隊が?」
『その歳でよく知ってるな』
「・・・・・なんとなくだよ」
零のスマホにウォールナットから画像が送られ、それを開けば何処かの基地が映し出される。
『目的が何なのかは分かってないけど少なくとも碌な事じゃないだろうな。一応そこが奴の保有する裏の研究施設だ。スペツナズの連中がフル装備で常に警備している。君が表の研究所をダメにしたから奴も今はそこにいるだろう』
「場所は?」
『択捉島』
「冗談だろ?不法占拠とは言え実質のロシア領土に忍び込めってか?」
『どうするかは黒に任せるけどそこを潰さない限り実験は終わらない。それじゃ、後悔のないほうを選べよ』
電話が切れて零はスマホをゆっくりと机に置く。結局ウォールナットは零の正体を教えなかったものの今の話からしてほぼ確実に零の正体がナノマシンウイルスのモルモットとして製造されたクローン。
以前千束にかけた人間離れを通り越して、もはや人間ではない自分が何者かすら零には分からなかった。
そんな何とも言えない気持ちを抱きながら帰路に着き、零は錦木家の玄関わ跨ぐ。
すでに千束は腹を空かせているだろうと思いながらリビングに入るとそこには見慣れた白髪のショートヘアーの少女が暗闇の中立ちすくんでいた。
「何やってんだ、こんな暗闇で?・・・・・あぁ」
零が視線を落とすと少女の手にはグシャグシャになった紙の束が握られていた。
「見ちまったか?」
零の観念したかのような問いかけに千束は胸ぐらを掴む。
「何で言ってくれなかったの?」
「不確定な情報だった」
「今は違うの?」
「多分、その資料の書いてあることは真実だ」
千束を引き離しドサッとソファに座り込み零はゆっくりと笑い始める。
「笑っちまうよな?結局のとこ俺って人間でもなければ自由に生きる権利すらないんだぜ?」
「そんなこと・・・・・」
「ないなんてどうして言えんだよ?お前だって・・・」
そこまで言って零は言葉を飲んだ。最早自分とこの少女は何ら関係のない赤の他人へと戻るのだから。
「今まで世話になった。出てくよ」
「え!?な、なんで!?」
零がソファから立ち上がるのを見て千束が零を追いかける。
「やる事ができた。多分そこで俺も死ぬ。これ以上俺に関われば千束もマスターもミズキも、客にまで危害が及びかねない」
そう言って零は懐に忍ばせていた発煙弾を爆発させる。
「うわぁ!?」
何も見えない中、千束は一心不乱に零の名前を呼ぶが返事が返ってくることはなく静寂で、煙が晴れるとそこに居たのは床に膝を着いた千束だけだった。