興味深そうな視線が集中する中で、有紗はどこか懐かしむような表情で語り始めた。
「私の友人……名前は
「……あ~あの、有紗ちゃん。ごめん、話の腰を折るようだけど……」
「はい? どうしました、喜多さん?」
「琴河玲って……天才ピアニストの?」
「ええ、現在はフランスのパリで活動しているピアニストです」
「やっぱり……相変わらず凄い交友関係……」
ここに居るものは大なり小なり音楽という分野に関わるものばかりであり、ジャンル外であってもある程度の情報は持っているものである。
ましてやテレビなどでもたまに紹介されている天才ピアニストとなれば、全員名前ぐらいは聞いたことがある様子だった。とはいえ、語っている相手が有紗なので……「まぁ、有紗の交友関係なら不思議ではないか」という結論に達したのか、驚きはすぐに収まった。
「話を戻しますが、その玲さんは同じ講師の下でピアノを学び切磋琢磨する友人でした。年齢が同じで実力も当時は比較的近かったこともあって、私と玲さんは仲がよかったですね。彼女は天才的な才能を持つだけでなく、努力家でした。玲さんは母子家庭なのですが、生活を切り詰めながら無理をして自分をレベルの高いピアノ教室に通わせてくれた母親に報いるために、世界一のピアニストになってみせるとよく語っていました」
「……そういえば、なんかの雑誌のインタビュー記事で母子家庭とかってのをチラッと見た気がする。リョウの方が詳しいかな?」
「うん。子供の頃に父親が死んで、幼少期はお金に困ってたってエピソードが多い」
「ええ、絶対にピアニストになると言って、文字通り誰よりも多く練習をしていたのが印象に残っています。それで、小学校の頃に私と彼女は一緒に同じコンクールに出場しました。国内で小学生が出れるものとしてはかなりの規模のコンクールで、そこで1位になれば国際コンクールへの道も開かれるような。玲さんにとっては夢の第一歩となるコンクールでした」
そこで有紗は、一度言葉を止めどこか懐かしむような表情で微笑みながら話を続けた。
「……彼女の演奏は圧巻でした。圧倒的な練習量に裏打ちされ、絶対にプロになってやるという強い想いの宿った演奏は、明らかに私も含めた出場者の中でも頭ひとつ抜けていました。私は彼女のその演奏を聞いた時、少なくとも今後ピアノという分野においては、彼女には敵わないとそう確信したほどでした。玲さんも確かな手応えがあり1位の確信があったのでしょう。演奏が終わった後は誇らしげな表情でした」
そこまで話したところで、有紗の表情が少し曇りひとりが心配そうな表情を浮かべる。それに気付いてひとりを安心させるように微笑んだあとで、有紗は本題となる話をする。
「ですが、そのコンクールにおいて審査員が1位としたのは……私でした。理由はとても単純です。そのコンクールのスポンサーとなっている企業がお父様のグループの傘下で、コンクールの運営としては私は絶対に機嫌を損ねることができない相手だったという、そんなお話です」
「……あっ、でも、そっ、それって……」
「はい。玲さんの努力と想いを、図らずも私の存在が踏みにじる形になりました。あの時の玲さんのすべてを悟ったかのような、絶望と怒りが入り混じった表情は、今も鮮明に覚えています」
『……』
結束バンドのメンバーたちも、少し離れた場所で聞き耳を立てていた星歌やPAも思わず言葉を失ってしまった。実際そういった忖度のような話は存在するのだろう。本人が望むかどうかは別として、有紗はそれを受ける側で、玲はそれによって切り捨てられる側だった。
友人の想いを踏みにじることになってしまった有紗の心境は想像して余りあるもので……。
「……まぁ、それはそれとして結果には納得いかなかったので、その場で異議を申し立てましたが」
「異議申し立てちゃった!? そうだよね! 有紗ちゃん、それでハイそうですかって引き下がる子じゃないもんね!?」
しかして、しんみりとしていた空気は有紗の言葉で吹き飛んだ。確かに言われてみれば納得のいく話ではある。彼女たちの知る有紗は行動力の化身であり、その場で黙っているなどということは想像できなかった。
「ええ、彼女の演奏が如何にして私のものより優れていたかと細かく説明し、審査員たちと長らく議論した結果……最終的に玲さんを1位、私を2位に変更することに成功しましたね」
「しかも、勝っちゃったよ!?」
「……さすが猛将、強い」
「なっ、なんというか……有紗ちゃんらしい感じですね。あっ、えっと、その友達は?」
実際当時の審査員たちにとっては、有紗は忖度が必要な相手であり、その相手が猛然と反論してきたのならそれを突っ撥ねるのは難しかったのだろう。
結果として、有紗は順位を見直させることに成功し、友人の心に大きな傷を残すことは無かった。
「途中からお腹を抱えて笑ってましたね。私らしいとか、お嬢様の皮を被った猛獣だとか、そんなことを言っていましたね。そして、初めから私の名前が書かれていた賞状に関しても、新しいものを用意するという提案を拒否して、私の名前の横に自分の名前を書き足して持って帰ってました」
「けど、結果的に丸く収まったのならよかったわね」
苦笑しつつ告げる喜多の言葉に、有紗はなんとも言えない苦い表情を浮かべる。
「いえ、まぁ、最終的にはいい纏まりとなったのですが……責任問題などかなり大きな騒ぎになってしまいまして、お父様にも手間をかける結果になってしまいました。お父様は私の行動は正しいと笑っていましたが、それでもあちこちに迷惑をかけてしまったので、それ以後コンクールには出場していませんね。元々、コンクール自体に興味は無かったので……」
「なるほど……その琴河さんとは、いまも仲良くしてるの?」
最初に友人と前置きしていたので大丈夫だとは思うが、念のため確認するように尋ねた喜多に対し、有紗は苦笑しつつ言葉を返す。
「ええ、ついこの前も国際電話で散々騒がれました……ひとりさんとのセッションの動画を見たみたいで、『ズルい』だの『ボクもやりたい』だの散々駄々をこねて、結果的に今年の音楽の日にはキーボード持参で行くことになりました。あと、ひとりさんにも会いたいと……まぁ、長々と話に付き合わされました」
「へぇ、雑誌とかで見るとむしろクールな人って印象だったけど……」
「外の顔だけですよ。実際はかなり元気な人です」
そう言って語る有紗の表情は優しく、なんだかんだで玲との関係が良好であることを物語っていた。
「そっ、そんな話があったんですね……でっ、でも、有紗ちゃんのことをまたひとつ知れて嬉しいです」
「そう言ってもらえると嬉しいですね。いつかひとりさんにも紹介しますよ。まぁ、私としては少々暴走してしまった事件でもあるので、話題に上げるのは気恥ずかしかったのですが……」
「あっ、大丈夫です。話を聞いた限り、私のよく知る有紗ちゃんでした」
「……喜ぶべきか、嘆くべきか、少し迷いますね。ですが、ひとりさんが私のことをよく知ってくれているのは嬉しいです」
「……あっ、えへへ、有紗ちゃんのことなら、いっぱい知りたいですし、よかったらまた昔の話とかもしてくださいね」
「はい。ああ、ですが、私だけでは不公平ですし、ひとりさんの話も聞きたいですね」
「あっ、いや、私の過去にエピソードは全然……」
声をかけてきたひとりと嬉しそうに話す有紗を見て、虹夏はなんとも言えない表情を浮かべて呟いた。
「……えぇ、嘘でしょ? この流れから即いちゃつきに移行する? このバカップルは本当に……」
****
STARRYから駅に向かう道で、有紗とひとりは手を繋ぎながら歩いていた。街灯に照らされる夜の道は、騒がしくも少し寂し気な独特の雰囲気だった。
そんな中で、ひとりは少し迷う様な表情を浮かべつつも有紗に声をかける。
「……あっ、有紗ちゃんは、ピアニストになりたいとは思わなかったんですか?」
「正直に言ってしまえば、思ったことは無いですね。ピアノの演奏は好きでしたが、誰よりも上手くなりたいとか、プロになりたいとか、そんな風に考えたことは無かったです。嫌味な言い方になってしまうのですが、昔から大抵のことはすぐに人並み以上にこなせました。だからかもしれませんが、特定のなにかに強く熱意を持って取り組むということは無かったんです」
「……あっ、確かになんでもできちゃうと、なにに力を入れていいか迷うかも……」
「ええ、だからこそ、ピアニストになりたいという夢や願いの籠った彼女の演奏には感動しましたよ。私もいつか、これぐらいに熱意を持てることが見つかればいいなと……」
有紗が音楽において最も重要なのは心であると認識しているのは、過去に聞いた玲の演奏が根幹にある。技術的に大きな差はなくとも確実に己より上であると確信できる演奏。思いとはあそこまで演奏の質を高めることができるのだと、心から感心して感動したからこそ、なんだかんだで有紗も音楽は好きなのだろう。
「……まぁ、もっとも、願いは叶っていまはそういったものを見つけることができましたけどね」
「え? そっ、そうなんですか? それはよかったですけど……なにを見つけたんですか?」
「ふふふ」
「……あえ? なっ、なんで、私を見て微笑んで? え? あっ……」
詳細は語らないまま、どこか楽しそうにひとりを見つめる有紗の視線……それに若干戸惑っていたひとりだったが、すぐに思い至ったのか顔を赤くした。
そう、有紗が語った熱意を持てるものとは……つまりは、ひとりのことであると暗に示しているようなものであり、なんとも言えない気恥ずかしさがあった。
そんなひとりの反応を見て、有紗は楽しそうに、そして愛おし気に微笑んだあとで口を開く。
「……突然ですがひとりさん、抱きしめてもいいですか?」
「ほっ、本当に突然ですよ! なっ、なんでですか!?」
「いえ、なんというか、こう、ひとりさんを愛おしいという気持ちが溢れてきたので……ですかね?」
「あぅぅ……いっ、いまは、人が多いから駄目です」
「……人が少なければいいんですか?」
「うぐぅっ……あっ、いや、えっと……まっ、まぁ……人目が少なければ……はい」
茹蛸のように真っ赤な顔で小さく頷くひとりを見て、有紗は心の底から幸せそうな笑顔を浮かべていた。
時花有紗:やはり猛将。忖度も正面から踏みつぶした。あまりにも天才がゆえに情熱や夢が無かったが、現在はひとりと巡り合ったことで毎日非常に楽しくて幸せである。
後藤ひとり:人目が少なければハグOKなぐらいに好感度高まってるぼっちちゃん。なんだかんだで有紗にストレートに愛情表現されると、最近は嬉しそうにしてる気がする。
琴河玲:有紗の幼馴染で天才ピアニスト。現在はパリを拠点に活動中のボクっ娘。有紗に対して恋愛感情などは無く、ひとりとの仲を応援しているが、『有紗の一番の親友』という部分には極めて強い拘りを持っている。外面はクールだが、割と子供っぽいところもあり、親友である有紗にはよく駄々をこねてる。有紗と自分の名前が書かれた賞状は宝物としていまも額縁に入れて大事に保管している。例によってほぼ出番はないので気にしなくてOK。