それはひとりと喜多が通う秀華高校の休み時間での出来事だった。例によって人気ものである喜多の周囲には多くの人が集まり、休み時間も楽しそうに会話をしていた。
ただひとつ後方のひとりの席にも英子や美子といったひとりと仲のいい者が集まり会話をしており、幸いなことにひとりが疎外感を覚えたり畏縮したりすることは無かった。
最近では喜多の友人の中でも数人仲良くなっており、学校でひとりに話しかける相手はそれなりに多い。
その要因として、やはり大きいのは有紗の存在だろう。有紗の影響でひとりが精神的に成長していることと、有紗というよく話す相手が居るおかげである程度会話慣れしてきたという要素もある。さらに学校内で大きな失態や、突発的な奇行もほぼ無く、むしろラブダイブや未確認ライオットなどの件で好意的な印象を抱かれているおかげもあって1年の時と比べて、ひとりを取り巻く環境は劇的によくなっていた。
「というわけで、ひとりちゃん。この映画、本当にオススメだよ!」
「あっ、そっ、そうなんですか?」
「あんまりメジャーじゃないけど傑作だと思う。私もAちゃんもかなり楽しめた。いちおう恋愛映画だけど、あんまり過度に恋愛恋愛した感じじゃないのもよかった」
「Bちゃんって、あんまり恋愛映画得意じゃないもんね」
「爽やかな感じのならいいんだけど、なんか変に感動させてやろうみたいなのが透けて見えるのは苦手」
「あっ、その気持ち、ちょっと分かります」
英子と美子と話しているのは映画についてであり、今回は英子が気に入ってる恋愛映画のBDを持って来ており、ひとりに勧めてきていた。
恋愛映画はあまり見ないジャンル……過去のひとりであれば、青春コンプレックスを刺激されてとても視聴に耐えることはできなかっただろうが、現在は青春コンプレックスはほぼ解消されていると言っていいので、いまならば問題なく視聴できるだろう。
するとそのタイミングで、喜多の友人が興味を持ったのか会話に参加してきた。
「そういえば、後藤さんって映画とかって見るの?」
「あっ、最近だと話題になってたアクション映画を見ました」
「あ~あの興行収入がかなり伸びてるやつだよね? 私も見に行こうかな~って思って行けてないんだけど、どうだった?」
「あっ、おっ、面白かったです。ネタバレになっちゃうので、ストーリーはあまり詳しく言いませんが、あっ、アクションとか凄かったです」
新学年が始まったばかりの頃は委縮していたが、有紗の話題を中心に喜多の友人たちもある程度打ち解けたおかげで、こうして突発的に会話に入ってきた相手にも普通に返答ができる。
そもそも、有紗とよく出かけているおかげで、ひとり自身に話題の引き出しがある状態になっており、今回のような映画の話に関しても、有紗と一緒に見に行ったおかげで比較的流行の話題についていけていた。
いつの間にか……少なくとも入学したばかりの頃とは違い、学校で過ごす時間はひとりにとって苦痛なものではなくなっていた。
*****
学校から帰った後、ひとりは英子から借りた恋愛映画のBDを視聴した。明日がバイトこそあれど休日だったこともあって、タイミング的に丁度よかったのも要因だろう。
映画を見たあとで日課のギターの練習をして、風呂に入り寝る支度をしたあとで、こちらも日課であるが寝る前に有紗と少しロインでやり取りをしてから布団に入る。
(……Aちゃんから借りた映画、結構面白かったな。Bちゃんが言うようにあんまり恋愛を前面に押し出してる感じじゃなかったのも見やすかった。まぁ、もちろん恋愛要素は多かったけどクドさみたいなのは無かったし……まぁ、女性同士の恋愛物だったのは驚いたけど、最近だとそういうのも結構あるよね)
英子が勧めてきた映画は女性同士の恋愛物ではあったが、ドロドロした感じなどではなくむしろサクセス系のストーリーのおまけとして恋愛があるような印象だった。だからこそ、ひとりも比較的楽しんで最後まで映画を見ることができた。
(主人公もちょっと陰キャ感あって、共感できたな。あと、相手役がちょっと有紗ちゃんに似てたかも、見た目とかじゃなくて性格が……優しくて頼りになるけど、アプローチがちょっと強引なとことか……衣装がずっとスーツだったけど……有紗ちゃんも、スーツ似合いそうだなぁ。着たら……カッコ……よさそう)
ぼんやりと先ほど見た映画のことを思い浮かべつつ、ひとりの意識はゆっくりと眠りに落ちていく。後々になって思えば、この時の思考が夢を見た原因だったのかもしれない。
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気づいた時ひとりは古びた室内灯に照らされた薄暗さを感じる部屋に居た。印象としてはライブハウス……STARRYに近い暗さかもしれない。
そして、ひとりの目の前にはパンツスタイルのスーツをしっかりと着こなした有紗の姿があり、有紗は思わず気圧されてしまう様な真剣な目でひとりを見て口を開く。
『……ひとりさん、私はもうそろそろ我慢の限界なんです』
「あっ、え? あっ、有紗ちゃん……」
『このまま貴女を、私のものにしてしまいたい』
「……ふぇ……えぇぇぇ!? ちょっ、待っ――ひゃっう!?」
熱の籠った目と口調で語る有紗に対し、ひとりはなんとか言葉を返そうとした。だが、それよりも早く有紗の手が勢いよく伸び、ひとりの逃げ道を塞ぐかのようにひとりの背にある壁に手を付ける。
有紗の体と壁に挟まれているかのような状況……いわゆる壁ドンという体勢になったひとりは、顔が赤くなるのを実感しながら戸惑った表情で有紗を見る。
(有紗ちゃん、凄く真剣な顔してる。そっ、それに、やっぱり、こうしてみると……カッコいいなぁ)
ひとりより有紗の方が身長が高く、こうしたシチュエーションになれば必然的に見上げる形になる。近くに居るだけで火傷するのではないかと感じるほどの有紗の熱い思いに、心臓が五月蠅いほどに脈打つ。
『ひとりさん、本当に心の底から貴女が愛おしい……私の愛を受け止めてください』
「あっ、まっ、あの、そそ、その……だっ、だだ、駄目です有紗ちゃん……あっ、有紗ちゃんのことは好きですけど……わっ、私たち女同士ですし、そっ、そそ、それに、こういうのはもっとゆっくり段階を踏んで……まっ、まだ、早くてその――っ!?」
『いま聞きたいのは、そんな言葉じゃないんですよ』
慌てながら話すひとりに対し、有紗は壁についているのとは別の手をひとりの顎に伸ばしクイッと顔を少し持ち上げる。
顔が力づくで上げられたことにより、有紗とひとりの目線が会う。真っ直ぐにこちらを見る吸い込まれそうなほどに美しい金の瞳に、ひとりは思わず息を飲んだ。
そんなひとりの唇を親指で軽く撫でながら、有紗はどこか妖艶にすら感じる微笑みを浮かべる。
『……落ち着きのない口は、一度……塞いでしまいましょうか?』
「はひっ!? ふっ、塞ぐって……あっ、あの……まっ、待ってください!? なっ、ななな、なんで顔近付け……あわわわわ!?」
まるでスローモーションのように有紗の顔がゆっくりと近付いてくる。口を塞ぐという言葉、そして近付いてくる顔……有紗がなにをしようとしているかは、流石のひとりでもすぐに察することができた。
吐息がかかるほどに有紗の顔が近づき、全身が沸騰するように熱いが、それでもひとりは動けないでいた。目が潤み思考がまったく纏まらない。
『……本当に嫌だったら、避けてくださいね』
「あっ、うっ……」
唇が触れるまであと10cmほどだろうか、有紗がどこか優しく微笑みながらそんな言葉を告げた。
(……あぁ、やっぱり、有紗ちゃんだ。なんだかんだで、ちゃんと私の気持ちを一番に考えてくれる)
強引過ぎるぐらいのアプローチの中でも、それでも一番重視してくれるのはひとり自身の気持ちであると、そんな意思が伝わってくるような有紗の言葉に、ほんの少しだけ心が落ち着くのを感じた。
残り5cmの距離まで近づく、まるで世界からふたりだけ切り離されたかのような静けさの中で、己の心臓の音だけがやたらうるさく響く。
「……ぁぅ……駄目……駄目です……有紗ちゃん……こんなの……」
駄目と口にするわりには、ひとりは体を動かすこともなく有紗から目を逸らすこともしなかった。
本当にスローモーションのようにゆっくりと有紗の顔が近づき、その距離が1cmになった時――ひとりは、ゆっくりと目を閉じた。
そして、次の瞬間唐突に意識が覚醒した。
****
目を開くと見覚えのある自分の部屋の天井が見えた。ゆっくりと上半身を起こして周囲を見渡すと、薄暗い自室……時計を見ると時刻は4時。
それらを全て認識した直後、ひとりの顔はボンッと爆発するかの勢いで赤く染まった。
(あぁぁぁぁぁ!? わっ、わわ、私、なんて夢を!?)
勢いよく布団を被って体を丸くして震えながら、沸騰しそうな勢いで熱くなっていく顔を両手で抑えて悶絶する。そう、ひとりは先ほどまで見た夢の内容をハッキリと覚えていた。有紗に猛烈なアプローチを受けて、キスを迫られるようなシチュエーション……。
(というか、あの夢、完全に昨日見た恋愛映画のシチュエーション!? んあぁぁぁぁ!)
早朝の4時でなければ力の限り叫んでいたであろう程の圧倒的な羞恥に布団の中でのたうち回る。夢で見た有紗とのやり取りは、英子に借りて見た映画のワンシーンに酷似しており、主人公がひとりに相手役が有紗に置き換わったものだった。
事実思い返してみれば違和感はある。有紗がスーツ姿だったり、覚えのない場所に唐突に居たり、だが夢を見ている最中にはまったく気づかなかった。
(顔、熱い……うぅぅぅ……なにしてんの夢の中の私!? 有紗ちゃんにも失礼すぎるよ!! あっ、いや、でもスーツ姿の有紗ちゃんカッコよか――じゃなくて!! あぁぁぁぁ、忘れろ! 忘れろぉぉぉ!!)
鮮明に覚えていてしまっているため、夢の中で自分に向かって迫ってくる有紗の顔が頭から離れない。少し油断すれば有紗の顔が近づいてくる光景が思い浮かび、最終的にそれを受け入れそうになっていた己を思い出して、再び悶絶することになる。
ともかく際限なく湧き上がってくる恥ずかしさと自己嫌悪……日が完全に登って母親が起こしに来るまで、ひとりは布団の中で悶え続けていた。
そしてその日のSTARRYでのバイトで、有紗と遭遇した瞬間夢のことを思い出して挙動不審になったのは言うまでもないことである。
時花有紗:夢の中でひとりに、壁ドンから顎クイのコンボを決めた。ただ最終的な部分でちゃんとひとりの意思を確認する辺りは、強引さの中にも有紗らしさがあった。
後藤ひとり:有紗とあちこち行っているおかげで、話題の引き出しも多く、結構クラスメイトと話せている。A子に勧められて恋愛映画を見た結果、自分と有紗に置き換わった夢を見た。強引なアプローチもそうだが、なにより夢の中の己が最終的にキスを受け入れるような感じになっていたことがともかく恥ずかしすぎて、しばらく有紗の顔がまともに見れなかった。