ひとりさんの所属する結束バンドのライブが決定したのは大変喜ばしいことですが、ひとりさんにはチケットノルマという壁が立ちはだかるようでした。
そんなひとりさんの力になろうと、例によって休日にひとりさんの家にやってきました。もう、通い慣れたものでお義母様もひとりさんを呼ぶことなく家に上げてくださいます。
リビングに居たお義父様とふたりさんとジミヘンさんに軽く挨拶をしたあとで、2階のひとりさんの部屋に向かい扉の前に立つと、哀愁漂うギターの音色が聞こえてきました。
「失礼します……ひとりさん、なにをなさってるんですか?」
「……あっ、いまの絶望の気持ちをギターで表現してました」
「なるほど……ところで、ひとりさん。ギターの音が少しズレてましたよ」
「あっ、え? どこですか?」
「本当に少しだけですが、G……ソの音だったので、3弦ではないかと」
少し感じた違和感を伝えると、ひとりさんは押し入れに移動してチューナーを取り出し、ギターに取り付け、ギターの先についているペグを回して音を調整していました。
その間に私はテーブルの前に座って、先ほどまでひとりさんが見ていたものを眺めます。2枚のチケット……どうやら、ふたりさんもチケット販売の対象外だったみたいですね。
するとそのタイミングでチューニングを終わらせたひとりさんもテーブルの前に戻ってきました。
「なんとなく、先ほどの絶望の気持ちというので察しましたが、ひとりさん……チケットを売るあては?」
「あっ……無いです」
「う~ん。私の友達に声をかけるという手もあります。私が声をかければおそらく来てくれるとは思いますが……どうせなら、ちゃんとひとりさんや結束バンドに興味を持った方に来てもらいたいところですよね」
「そっ、それはまぁ、確かに……」
「どうでしょう? とりあえず、ギリギリまでは売れる相手を探してみるというのは……それでどうしても見つからなかった場合は、私が友達を誘って行きますので、ひとりさんがノルマを達成できないということは無いです」
「あっ、有紗ちゃんっ……」
私が提案すると、ひとりさんは感極まったように目に涙を浮かべました。どうも、よほど絶望していた様子です。たしかに、普段のひとりさんのことを考えると、いまからライブまでに2人の相手を見つけるというのは極めて困難かもしれません。
ただ、ひとりさんの性格上まったく何もせずにいるとも考えづらいです。
「……ひとりさんは、なにかしら売るための方法などを考えていたのではないですか?」
「あっ、えっと……いちおう、地元で配ろうと思って、バンドの宣伝フライヤーは作ってみました」
フライヤー……この場合は空から撒く広告物という意味ではなく、ポストカードサイズの小さなビラのことを指しているのでしょう。
ひとりさんが取り出したフライヤーには、ライブの日時や場所が記載され、その上には絵が描かれていました。
「なるほど、もう作ってあるのですね。この絵は……」
「あっ、分かりやすくバンドメンバーを描いてみたんですが、ロックバンドとしてはちょっと大人しいですかね?」
「……いえ、分かりやすくていいと思いますよ」
危ないところでした。いま一瞬「ふたりさんに描いてもらったんですか?」と言いかけてしまいましたが、どうやら絵を描いたのはひとりさんだったみたいです。
可愛らしくていいとは思うのですが……せめて髪の色はカラーにしたほうが……いえ、ひとりさんが頑張って作ったものを否定するのもよくないです。
明らかに悪いとかならともかく、味があってコレはこれでいいですし、問題はありませんね。
「それじゃあ、それを……」
「でっ、でも、よく考えたら……コミュ症なので、ビラ配るとか……無理でした」
ああ、なるほど、だから先ほど絶望の気持ちをギターで表現していたんですね。目に見えて落ち込む様子でひとりさんを見て、私はひとりさんの肩に軽く手を置きながら微笑みます。
「大丈夫ですよ、ひとりさん。私が協力します。一緒に行きましょう。基本的には私がビラを配りますから、ひとりさんは渡せそうな相手が居た時だけ、渡してくれれば大丈夫ですよ」
「あっ、有紗ちゃん……ありがとうございます。凄く、心強いです」
完全に私が配ってしまうのも手なのですが、ひとりさんはコミュ症を直したいと考えているようなので、全部私が行ってしまうのも問題です。
「それでは、準備をして早速行きましょうか」
「はっ、はい!」
先ほどまでより明るい表情になったひとりさんと共に、宣伝を行うために家を出て駅の方向に向けて出発しました。できれば、上手く売れてくれればいいのですが……。
****
結束バンド自体はまだ無名ですし、集客力は残念ながら現状では低いと言っていいです。そして、ライブハウスに訪れてライブを聞くというのも、馴染みのない方にはハードルの高いものであるのは言うまでもありません。
となると、当たり前ではありますが、結束バンドのライブを見に行きたいという相手を見つけるのは容易ではありませんでした。
「……ビラはそれなりに配りましたが、やはりその場でチケット購入とはならないですね」
「あっ、そ、そうですね。けど、有紗ちゃんが配ると、かなり高確率で受け取ってもらえれましたよね……これが顔面戦闘力の暴力……」
「確かに、受け取ってくれた方は多かったので、当日に足を運んでくれる方が居るかもしれませんし、無駄ではありませんね。ただ、ひとりさんのチケットノルマという観点では、進展していないのですが……」
「うぅ……」
コンビニの裏手にある神社の鳥居付近で一休みしつつひとりさんと言葉を交わします。実際、ビラはそれなりに受け取ってもらえており、持って来た枚数の7割ぐらいは配り終えていました。
ただその場で1500円のチケットを即購入するかとはならないものです。ただ今日は近場で祭りがあるみたいで、人は多いのでチャンスは十分にあります。
そんなことを考えていると、ひとりさんのスマートフォンから音が聞こえ、スマートフォンを確認したひとりさんが青ざめました。
「……ひとりさん?」
「あっ、他の皆は全部売れたみたいです……わ、私とは違って……」
「大丈夫ですよ。売れるスピードを競うわけでは無いのですから、ライブ当日までに売れれば差はありませんよ」
「うぅ、ほっ、本当に有紗ちゃんが居てくれてよかったです。ひとりだったら、完全に絶望してました」
私としてはひとりさんとこうしてふたりで出かけられている現状は歓迎すべき状況ですし……なんなら、この感じであと何回か一緒にビラ配りなどをしたいという気持ちもあります。しかし、ひとりさんの心境としては早くノルマを達成したいでしょうし、ままならないものです。
「とりあえず、少し休憩したら再開して……おや?」
「え? あっ、えっ!? い、行き倒れ……こ、声かけな……い、いやそれよりも救急車!?」
突然私たちの目の前にひとりの女性が倒れ込み、ひとりさんが慌てた様子でスマートフォンを取り出すのを横目に、私は倒れた女性に駆け寄って確認します。
チアノーゼや脱水の症状は見られず、呼吸も異常は無し、強いアルコールの臭い……泥酔……急性アルコール中毒の可能性も……。
「大丈夫ですか? 意識はありますか?」
「み……ず……水……お水ください」
「水ですね、分かりました」
「それと、酔い止め……あとしじみのお味噌汁……おかゆも食べたい。介抱場所は天日干ししたばっかのふかふかなベッドの上で……」
とりあえず、注文の多さは置いておくとして……意識はしっかりしているみたいなので、急性アルコール中毒の心配はなさそうです。
「……ひとりさん、救急車は?」
「あっ、えと、間違って時報に……」
「でしたら、呼ばなくても大丈夫だと思います。おそらく、二日酔いです。急性アルコール中毒の様子もないので……そこのコンビニで必要な物を買ってきましょう」
「あっ、はい!」
幸いすぐ近くにコンビニがあったので、水や酔い止め、栄養ドリンク……あと本人が希望した味噌汁やおかゆも購入して元の場所に戻りました。
助けた女性は廣井きくりさんと名乗っており、完全に二日酔い状態にもかかわらず味噌汁を飲みおかゆを食べたあとは、どこから取り出したのか大量のお酒を取り出して、また飲み始めてしまいました。
ひとりさんは初対面かつ酔っ払いということもあって、怯えてる様子だったので安心させるように声をかけます。
「ひとりさん、大丈夫ですよ。悪い人というわけではなさそうです。酔っ払いではありますが……」
「あっ、そ、そうなんですか……」
「そうだよ~安心してよぉ、ひとりちゃん」
「ええ、それに、もし仮に、ひとりさんに危害を加えようとしたりすることがあれば……私が対処しますので……」
「あれ? 有紗ちゃん? それ止めるって意味だよね? 始末するとかそういう感じのアレじゃないよね? なんかいま背中がゾクッとしたんだけど……あ、あれぇ? 飲み過ぎかなぁ?」
きくりさんは見たところ悪い人という感じではなかったので、問題は無いと思いますが……まぁ、いざとなれば手はいくらでもあるので、ひとりさんの身の安全はしっかり守るつもりです。
そんなことを考えていると、きくりさんはひとりさんが持つギターに興味を持った様子でした。話を聞くときくりさんもバンドをしており、ベーシストとのことでした。
「お酒とベースは、私の命より大事なものだから、毎日肌身離さず持ってるの」
「あっ……えっ……ベースはどちらに?」
「…………居酒屋に置きっぱなしだ。よしっ、取りに行――ひぎぃっ!?」
「あっ、申し訳ありません。つい、反射的に……」
急にきくりさんがひとりさんに向けて手を伸ばしたので、反射的に掴んで捻り上げてしまいました。悪意あっての行動というわけでは無かった様子なので、すぐに離したのですが……。
きくりさんは、軽く頬に汗をかきながら私の方を向き、ひきつった笑みを浮かべて口を開きました。
「……えっと、有紗ちゃん……凄くスムーズな動きだったけど……なにか、格闘技とかやってるのかな?」
「合気道を嗜む程度に」
「……嗜むとかいうレベルの速度じゃなかった……たぶん相当やってるよこの子……怖ぁ……」
****
3人で居酒屋にベースを取りに行き、駅前の開けたロータリーできくりさんと会話をします。その際に、ひとりさんがチケットを売るのに苦戦しているという話を聞いたきくりさんは、昔の自分と重ねた様子でひとりさんに同情してくれていました。
そして……おもむろに来ていた上着を脱ぎだしました。
「よし! 命の恩人の為に一肌脱いであげよう」
「えっ、あっ、わたっ、そういう趣味は……」
「……ひとりさんに手を出すつもりなら、相応の覚悟をしてくださいね」
「なんか、ふたりして凄い誤解してない? ……あと、有紗ちゃんに関しては、超怖いんだけど!? 完全に殺意を宿した目になってるんだけど!?」
どうやら、誤解だったみたいです。てっきりひとりさんに迫る気かと……そうなった場合は裏手の川に投げ捨てていましたが……。
「未来の妻たる私の前でひとりさんにふしだらな行為を目論んでいるのかと……申し訳ありません」
「え? あっ、そ、そうなんだ。ふたりって、仲よさそうだと思ったらそういう関係だったんだ! いや~最近の子は進んでるねぇ」
「ちっ、違います!? それも誤解です!!」
きくりさんの言葉を聞いたひとりさんが、今日一番と言える大きな声で慌てて否定します。顔は真っ赤に染まっており、大変愛らしく眼福でした。
しかし、確かに誤解されたままでは、ひとりさんが可哀そうなので、私の方からもきくりさんに訂正を入れておきます。
「きくりさん、私とひとりさんは恋人関係等ではなく、友人です……私の中では、将来は婚姻することは確定なのですが、少なくとも現時点では誤解です」
「……私ね、ひとりちゃんって結構ヤバい子だなぁって思ってたんだけど……有紗ちゃんも結構なレベルだねぇ」
私の言葉を聞いたきくりさんは、若干遠い目をしたあとで、気を取り直すように笑顔を浮かべました。
「……とと、話を戻すよ。これから、私たちで、いまからここで、路上ライブするんだよ!」
「「……え?」」
「ビラもあるし路上ライブで客呼んで、チケット買ってもらうのが一番いいよ。幸い今日はこの辺で花火大会みたいで、人も多いしね~」
なるほど、チケットの売り上げに一肌脱ぐというのは、演奏で協力してくれるということだったみたいです。しかし、路上ライブ用の機材などが無い状態ですが、それに関してはきくりさんがバンドメンバーに持って来てもらうという形で解決しました。
そしてその際に、きくりさんが私の方を向いて声をかけてきました。
「それで、有紗ちゃんはなに演奏するの?」
「私ですか? ピアノでしたら多少は……」
「じゃ、キーボードだ!」
「そう、なりますか? キーボードの演奏はしたことないのですが……」
「似たようなもんだから、大丈夫、大丈夫!」
「は、はぁ……」
どうやら私まで路上ライブの演者として参加することになったみたいでした。う、う~ん、まぁ、ひとりさんの助けになるのであれば……。
時花有紗:しょっちゅう訪れているので後藤家にはもう顔パス状態。もはや呼び鈴鳴らさず上がっても普通に迎えられるレベル。巻き込まれる形で路上ライブに参加。
後藤ひとり:有紗が居るおかげで原作と比べて精神面にかなり余裕があり、きくりに対してもスタスラと嘘を付いたりはしなかった。