後藤ひとりはいま、混乱と羞恥の真っ只中にあった。原因は単純で、有紗が口にした言葉によるものである。そもそもではあるが、ひとりには油断があった。
己が動画サイトに投稿していることを有紗が知っているのは把握していた。なんなら、有紗の目の前で動画の編集作業をしたり、撮った動画を視聴させたりしたこともあった。
だが、それでも心のどこかに、動画サイトは見られていないという甘えに近い感情があった。
お嬢様然とした有紗とローチューブがイメージ的にあまり結びつかなかったというのもあるし、今日にいたるまでその手の話題を有紗が口にしなかったことも大きい。
だが、その実有紗はひとりのローチューブチャンネルを把握しており、しっかりと見ていたと知った時のひとりの心境は……そう、いわば、思春期にしたためたノートを他人に見られたが如き凄まじいものだった。
ひとりは「guitarhero」……ギターヒーローというハンドルネームでロウチューブに投稿しており、チャンネル登録者数も8万人近く、再生数100万越えの動画もチラホラ有する人気投稿者である。
そのことは別にいい。なんなら、ひとりにとっては数少ない誇れるものなので、少し自慢したい気持ちすらある。有紗が動画を見ていたのも別にいい。ひとりの動画はギターでカバー曲を演奏するという、基本それだけのものであり、問題は無い。
だが、投稿者コメントまで目を通されているのは……非常にまずかった。
なにせ、ひとりは日頃発散できない自己顕示欲や承認欲求を抱えており、それは投稿者コメントへの虚言という形で表面化している。
ありていに言えば、彼女は投稿者コメントで己でも自覚するぐらいイキっているのだ。
「ロインの友達は1000人越え」「バスケ部のエースの彼氏持ち」「学校中の人気者のリア充」など、あることないこと……もとい、無いことばかり書き記している。
だがそれは、演奏動画だけで真偽など確かめようがないという前提によって行われているものであり、現実のひとりを知るものが見れば一目で嘘だと分かる。
まぁ、実際は動画様子から、指摘しないだけでリスナーの大半も虚言であると気付いているのだが……。
(ど、どどど、どうしよう!? 有紗ちゃんが、あのクソイキりコメントを見てる? うわぁぁぁぁ、なんて、なんて言い訳すれば……)
現在のひとりの羞恥は、先ほどの間接キスの比ではない。いまにも頭から湯気が出そうなほど思い悩むひとりに対して、有紗は心配そうな表情で話しかけてきた。
「あの、ひとりさん? 大丈夫ですか?」
「だ、だだだ、大丈びますです」
「……えっと、投稿者コメントがどうかしたのでしょうか? 特に違和感を覚える部分は思い至らないのですが?」
「…………え?」
有紗の言葉にひとりの思考は一瞬停止した。あの投稿者コメントに違和感を覚えないというのは、どういう意味だろうか? さすがにひとりに対して肯定気味の有紗と言えども、あのコメントを現実のものであるとは思わないはずだ。
「……あっ、えっと、有紗ちゃんは、投稿者コメントを見て……どっ、どど、どう思いました?」
「え? アレは、現実のひとりさんを特定されないために、ああいうキャラクターを演じているのでは?」
「……」
目から鱗が落ちる思いだった。なるほど、確かに身バレ防止のために、あえて現実からかけ離れたことを書いていると言えば、筋が通ってしまう。
現実のひとりとは到底結びつかない内容でも、そういう設定で投稿しているだけといえば問題が無くなってしまうのだ。
(……あれ? これ、大丈夫なんじゃ、そうですって頷けば、有紗ちゃんは信じてくれるし、私のイキりがバレたりすることもない。頷けば……頷けば……)
これがもし、他の誰かであればひとりはすぐに頷いていたかもしれない。「その通りです」と胸を撫で下ろしながら……。
だが、かつてならともかくいまのひとりにとって有紗はかなり大きな存在である。コミュ症である彼女が、目的ありきとはいえ自分から買い物に誘うほど心を許している存在でもある。
「……あっ、えっと……すみません。そういう、意図は無くて……ただイキってただけ、です。そっ、その、理想の自分みたいな感じで……」
結局ひとりは、有紗に対し嘘をつくという選択肢を選ぶことは出来ず、正直に白状した。内心かなり怖くはあったが、有紗に嘘をつく罪悪感を抱えるよりはマシだと、判断した。
「なるほど、理想の……理想……ひ、ひとりさん? す、少し確認したいのですが……」
「あっ、はい。なんでしょう?」
有紗はひとりの言葉に納得した様子で頷いていたのだが、途中で珍しく表情を青ざめさせひとりの方を向いた。その珍しい反応に首を傾げつつ聞き返すと、有紗は真剣な表情で告げる。
「……バ、バスケ部に想い人が居るのですか?」
「はえ? いっ、いないです。というか、誰がどの部活に入ってるかすら、ロクに知らないです」
「……ほっ」
ひとりの返答を聞き、有紗は明らかにホッとした表情を浮かべていた。
(なんだろうこの反応? 特に私の嘘を咎めたりしてる感じじゃない……バスケ部? 想い人? ……あっ!)
想像とは違った有紗の反応を不思議に思いつつ思考を巡らせていると、ひとりは答えに辿り着くことができた。有紗が気にしていたのはひとりが投稿者コメントに書いた「バスケ部のエースの彼氏持ち」というものだ。
そして先ほどひとりが理想の自分を演じているといったことで、バスケ部のエースと付き合うことが理想ではないのかと考えた上で、恋敵の出現ではという具合に動揺していただけだった。
「……こほん。話を戻しますが、別に問題ないのではないでしょうか? 虚栄心などというものは、誰でも大なり小なり持っていますし、誰に迷惑をかけているわけでもありませんからね」
「あっ、有紗ちゃんにもそういうのがあるんですか?」
「もちろんありますよ。ひとりさんに好かれる私で居たいとか、いま以上によく思われたいとか、そう考えることも一種の虚栄心ですしね」
そう言って優しく微笑む有紗の表情にひとりに対する侮蔑などの感情は一切見えない。相変わらずの優しさを見せる有紗の反応に、ひとりも安堵した。
(よかった……ああでも、私のイキりとかは全然気にしないのに、ああいう部分だけ物凄く気にするのは、なんというか……有紗ちゃんらしいなぁ)
結局のところ、有紗の好意はいつだって真っ直ぐひとりに向かっており、少し呆れる反面……どこか、それを嬉しく思っている自分に気付き、ひとりは小さく苦笑した。
「あっ、虚栄心というなら、私はいっぱいありますね」
「ある意味では、それはなりたい自分が多いという長所でもあるのでは?」
「そっ、そうですね。なりたい自分は……いっぱいあります。でも、現実って、簡単じゃないですね」
それはここまでの会話がひと段落して安堵したからか、それとも隣に有紗という弱音を吐ける相手が居るせいか……ひとりは、ぼんやりと手に持ったタピオカミルクティーに視線を向けながら言葉を続ける。
「あっ、えっと、なんていえばいいのか……根拠もなく、上手くいくような気がしたりして……その、高校生になれば当たり前みたいにこうやってタピオカ飲んで、友達と自撮りとかして、陽キャの仲間入りできたり~とか、妄想したことは何度もありましたけど……思い通りにはいかないことが多いですね」
「……ひとりさんは、思い通りにいかない現実は、嫌いですか?」
「……たっ、確かに、上手くいかないことは多いです。妄想の私より現実の私は駄目駄目で……けど、なにも得れてないわけじゃなくて、進めてないわけでもなくて……えと、なんかうまく言えませんけど、嫌いじゃないです」
「そうですか……」
「あっ、あはは、な、なんか、急に変な話をしちゃって、すみません」
夢は何度も見た。けれども、相応に現実にも打ちのめされた。思い返せば昔はもっといろいろと夢を見ていた気もする。アレもしたい、コレもしたいと……だけどいつしか、現実を知って夢の範囲は縮小した。
ひとりには今も追いかけている夢や目標は存在する。バンド関連の夢や目標は、今後も大切に持ち続けて進み続けようと誓っている。
しかし、大きな夢を目指す過程で小さな夢を諦めた自覚もあった……そのはずだった。
「……ひとりさん、ちょっと失礼します」
「え? あっ、有紗ちゃん!?」
「はい。撮りますね~」
不意に身を寄せてスマホのカメラを構えた有紗に戸惑いつつ、カメラの方を向くひとり。シャッター音が聞こえて、有紗が手元にスマホを戻して、写真を確認する。
そこにはタピオカミルクティーを持って、有紗とひとりが並んで写真に写っている。
「陽キャの仲間入りというのはわかりませんが、タピオカミルクティーを持って友達と自撮り……ひとりさんが思い描いていた通りになりましたね」
「……有紗ちゃん」
「少なくともまだ高校生活は始まったばかりですよ。先のことがどうなるか、まだまだ誰にも分かりませんが……他にもひとりさんがやりたいと思っていたことがあれば、ぜひ教えてくださいね。ひとりでは無理でも、一緒なら叶えられることも多いでしょうからね」
「……はい」
分からないものだと、ひとりはそう思った。大きな夢を見る傍らに切り捨てた小さな夢……それを当たり前のように拾い上げて叶えてしまう有紗を見て、眩しいと感じつつも嫌な気持ちはしなかった。
本当に不思議なものだ。有紗が傍に居てくれるだけで、いろいろなことが叶う気がするし、いろいろなことを頑張れるような気がする。口では説明しにくい温もりを、ひとりは確かに感じていた。
「……さて、そろそろ買い物に行きましょうか?」
「あっ、そうですね。最初は雑貨屋……ですかね?」
「そうですね。飾りつけの方向性をある程度決めてから大きなものは買いたいですね。ひとりさんは、なにかこれを買いたいというのはありますか?」
「……あっ、えっと、なんかパーティグッズみたいなのがあれば、華やかかなぁって、ミラーボールとか……」
「ミラーボール……テーブルの上に置くタイプのものですかね? 遊具などを置いている店があれば、あるいは……」
ベンチから立ち上がり、アレコレと相談しながらショッピングモールの中に移動する。有紗と話すひとりの表情は、いつも通り俯き気味ではあったが……表情はどこか楽しそうで、口元には小さく笑みが浮かんでいた。
そのままいくつかの店舗を見て回り、ある程度飾りつけの方向が決まったタイミングで、ふと有紗がなにかに気付いて足を止めた。
「……有紗ちゃん?」
「ひとりさん、これなんかいいのでは?」
「え? あっ、コルクボードですか?」
「はい。飾りつけとは関係ないのですが……ほら、ひとりさんがいま結束バンドの皆さんと撮った写真を壁にそのまま貼っているので、こういったものがあれば、写真を飾りやすいかと思いまして」
「たっ、確かに……こういうのがあると、いいかもしれません」
有紗が示したシンプルなコルクボード、値段も手頃であり色合いもひとりの部屋の壁に合っているような気がした。
(ここに、結束バンドのアー写とか……有紗ちゃんと撮った写真を貼る……いいな。うん、買おう)
確かに有紗の言う通り、ひとりは現在結束バンドの写真をそのまま壁に貼っている。最初のようにびっしりとではなく1枚だけではあるが……。
結果ひとりはコルクボードの購入を決め、買い物を終えて帰宅して、有紗と飾りつけの準備をする傍らでこれまで撮った写真を貼りつけ……嬉しそうに笑みを溢していた。
時花有紗:イキりコメントとかはまったく気にしていなかったが、バスケ部エースと恋仲という部分は気にしていた。
後藤ひとり:ぶっちゃけ相当有紗に対する好感度は上がっている気がする。間接キスを意識していたり、百合の波動が強まってきた。