朝食を食べ終えたあとで有紗とひとりは一緒に練り餌を作り、昨日相談した通り湖で釣りをすることになった。倉庫にある釣り道具や折り畳み式の椅子を持って湖に向けて歩く。
「あっ、今日もいい天気ですね。つっ、釣り日和でしょうか?」
「そうですね。ただ日差しが強い可能性もあるので、釣り用のパラソルを持って来てよかったですね」
「そっ、倉庫にいろいろありましたね。かなり本格的な感じでした。有紗ちゃんのご両親は、釣りが趣味だったりするんですか?」
「確かに一通り道具は揃っていましたが、むしろ釣りに用いる道具より、椅子やパラソル、簡易テーブルといった釣りをしながら別のことを楽しむ用品が多い気もしますね。お父様やお母様が釣り好きという話を聞いたことはありませんし、あくまでレジャーのひとつとして楽しんでいるのでしょう」
「なっ、なるほど、じゃあ、私たちと同じ感じですね」
「ふふ、そうですね」
有紗とひとりも釣りにそこまで深い興味があるわけでは無く、軽井沢旅行の一貫として楽しむレジャーという意味合いが強い。
そんな話をしながら湖畔に辿り着くと、さっそく椅子やパラソルの設置を行う。
「このぐらいの位置がいいですね」
「あっ、有紗ちゃん、釣れるかどうかは置いておいて、仮に釣れたら魚はどうしますか?」
「おそらく鯉や鮒でしょうし、そうでなくともあまり食用に向いた魚が釣れるとは思えないので、キャッチ&リリースでいいと思います。あくまで目的は釣りを楽しむことですからね」
「了解です」
仲良く準備を終えたあとは、釣竿に餌を付けて軽く湖に向けて投げ入れ、釣竿用のスタンドに立てかける。
「……あっ、後は待つだけですね」
「ええ、タブレット端末もあるので、映画でも見ながらのんびりと待ちましょうか」
「あっ、はい」
ふたりが行うのはウキ釣りであり、ルアー釣りなどのようにあまり竿を動かしたりする必要はなく、のんびりと時間を過ごすのが目的だ。
有紗がタブレット端末を持って来ているので、並んで折り畳みの椅子に座り映画を見ようとしたタイミングでふと、有紗があることに気付いてひとりに声をかける。
「……そういえばひとりさん、日焼け止めは塗っていますか? パラソルがあるとはいえ、それなりの時間日の当たる場所に居るので、塗っておいた方がいいと思いますよ」
「あっ、えっ、えと……日焼け止め……もっ、持って来てないです」
ひとりはそもそも生粋のインドア派であり、屋外で遊ぶという機会自体が少ない。その上基本的に肌を隠すジャージ姿であり、日に焼ける機会自体が極めて少ない。なので日焼け止めなどは持ち歩いてはいなかった。
「ジャージなので顔以外は大丈夫だと思いますが、念のために軽く塗っておきましょう。私が日焼け止めを持って来ているのでこれを使って……ふむ」
「……え? 有紗ちゃん?」
「ひとりさん、ジッとしておいてください。私が塗ってあげますね」
「はえ!? ちょっ、自分で――もう日焼け止めを手に出してる!? こっ、行動が早すぎ……」
ひとりが恥ずかしがるより早く、有紗は行動に移し日焼け止めクリームを手に出し、ひとりに動かないようにと言ってから両頬、顎、鼻、額の5か所に置く。そして中指と薬指を使い、顔の中心から外側に向けて馴染ませながら伸ばしていく。
「……うぅ、あっ、有紗ちゃん……これ、はっ、恥ずかしいんですが……」
「動かないようにしてくださいね。塗り残しがあるといけないので……ひとりさんの顔を近くで見れて私は凄く嬉しいです」
「なんで、更に恥ずかしいことを言うんですか!?」
有紗の発言にひとりは顔を赤くしつつ、顔をあまり動かさないように叫ぶという無駄に器用なことをする。そんなひとりを微笑まし気に見つめながら、有紗は丁寧に日焼け止めを塗っていく。
そして塗り終わった後で、日焼け止めを塗るのに使っていない人差し指で、ひとりの唇を軽く撫でた。
「はい、完了です」
「なっ、なな、なんで、最後に唇を撫でたんですか!?」
「日焼け止めクリームが付いているといけないと思いまして、あと単純にひとりさんの唇を撫でたかったので!」
「こっ、後半の割合が大きそう……」
「おおよそ9割と言ったところですね」
「思った以上の割合!?」
ウェットティッシュで軽く手を拭きながら微笑む有紗に、ひとりは顔を赤くしつつどこか呆れたような表情を浮かべるが、いつもの有紗と言えばその通りだったのでそれ以上特になにかを言うことはなく、改めて有紗と一緒にタブレット端末で映画を見ることにした。
並んで座りながら映画を見るという状態になり、ひとりはチラッと有紗の横顔を見る。
(……あぅ、やっぱ駄目だ。昨日からそうだったけど、有紗ちゃんに甘えたい気持ちが……)
継続して甘えたい気持ちが強いひとりは、少し落ち着きなく視線を動かしたあとで、有紗の手をそっと握る。するとすぐに有紗は手を握り返してくれて、それが嬉しかったのかひとりは軽く有紗にもたれ掛かるように身を寄せて密着する。
心地よい風が頬を撫で、有紗からは心地よい匂いと温もりを感じ、じんわりと心の奥底から幸福感が湧き上がってくる。
(こっ、これまずいなぁ……こうやって有紗ちゃんにもたれ掛かるの、なんか凄く幸せで癖になっちゃいそう。せっかく釣りに来たんだし、魚が釣れて欲しいって気持ちもあるけど……いまはもう少し、釣れないでいてほしいなぁ。もう少し、有紗ちゃんにこうして甘えていたいから……)
果たして魚にその願いが通じたのかどうかは分からないが、ひとりが願った通りしばらく魚がかかることはなく、ひとりはしばしの間有紗とふたりでゆっくりと過ごす時間を満喫することができたのだった。
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湖で行った釣りの釣果としては、有紗とひとり共に1匹ずつ鮒を釣り上げた。最初に相談した通り、釣った鮒はすぐにリリースし、昼時になったタイミングで片づけを行い釣りを終了した。
「お昼は軽めにパスタにしましょうか?」
「あっ、はい。カルボナーラとかにしましょう」
有紗の提案に頷いたひとりは、作るパスタに関してカルボナーラを提案した。その理由は単純で有紗がパスタの中ではカルボナーラを好んでいることを知っているからだった。ひとり自身は特にこのパスタが一番好きというものはないので、有紗が好きなパスタを提案した。
そんなひとりの気遣いは有紗にはしっかり伝わっており、有紗は嬉しそうに微笑みながら頷いた。
「分かりました。また一緒に作りましょうね」
「あっ、はい! ごっ、午後はなにをしましょうか?」
「そうですね。散策は昨日しましたし、釣りも先ほど行いました。遊具なども倉庫にいろいろあるので大抵のことは出来ますが……午後は少しのんびり過ごしましょうか? 昨日撮影した動画を編集したりするのもいいのではないでしょうか?」
「あっ、いいですね。動画サイトへのアップは家に戻ってからする予定ですけど、短い動画を作ってトゥイッターに投稿したりするのも……」
「普段とは違った場所での演奏なので、興味を惹くかもしれませんね」
アレコレ遊ぶ方法はあるが、元々ひとりがアウトドア派ではなくインドア派なのは有紗も分かっており、体を動かして遊ぶよりも家の中で出来ることにしようと考えた。
「その後は、テレビゲームでもしましょうか? 確かひとりさんが持って来ていましたよね?」
「あっ、はい。といっても、前に有紗ちゃんが当てて私にくれたトゥイッチですけど……あっ、でもふたりで遊べるソフトを買ってきたので、一緒に遊びましょう!」
「ええ、楽しみですね」
「はい!」
笑顔で午後の予定を話しながら手を繋いで歩く有紗とひとりの距離は近く、ふたりが纏う空気は不思議と以前より甘いもののように感じられた。
というのも、ひとりの方が有紗に対して以前より好意を表に出すようになったとでも言うべきか、昨晩の自問自答のおかげで少し心境に変化があり心の距離が近くなっていた。
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昼食を食べ終えたあとは、話していた通り昨日撮影した動画の編集を行い、ギターヒーローのツイッターアカウントに30秒ほどの短い動画を投稿した。
フルバージョンは後ほど動画サイトに上げると書いた上で、投稿するとあっと言う間に反応が現れた。
「あっ、もっ、もうコメントが……えっと……『ギターヒーローさんって、本当にリア充だったんですね。冗談かと思ってました』……あっ、あれ? ギターヒーローの方は、前々からリア充のキャラでやってたはずですけど……」
「ま、まぁ、いろんな印象を受ける人が居ますから……あ、ほら、他にもいろいろコメントが来てますよ。かなり反響がありますね」
ひとりはギターヒーローはファンたちにリア充の陽キャであると認識されていると思っていたが、むしろ大半のファンはそれが見栄であると……思っていた。そう、以前までは同じ背景で同じジャージという構図での撮影だったので、コメントにある様な話は虚言であると薄々分かりつつもスルーしている感じだった。もちろん中には信じている者も居たが、殆どのファンは気付いていた。
……だが、その認識もまた変わりつつある。トゥイッターに友人のものとして超高級ピアノが載っていたり、明らかに高級そうな新ギターを使って演奏していたり、そして今回はハイブランドのジャージを着て大自然の中での演奏と……「あれ? 実はいままでのコメントも真実だったんじゃ」と思えるような状態になっており、いままでよりもギターヒーローがリア充であると信じているファンが増えていた。
「……『今回はキーボードプリンセスさんも一緒なんですね! 凄く楽しみです!』……うん? キーボードプリンセス?」
「あっ、有紗ちゃんのことだと思います。いままでも、何本か有紗ちゃんとセッションした動画をアップしてたら、コメント欄でいつの間にかそんな風に……顔は映ってなくても、お嬢様感があるからじゃないですかね?」
「そのような愛称が付いていたとは、知りませんでした」
彗星の如くギターヒーローの動画に時折登場するようになった凄腕キーボードとして、有紗はギターヒーローファンの中ではかなりの人気を誇っており、彼女が登場してふたりでセッションしている動画は他と比べてかなり伸びがよかった。
そしていつしか、キーボードプリンセスの愛称で呼ばれるようになっており、かなりのファンを獲得していたりする。
「……プリンセスというなら、むしろひとりさんの方が相応しい気も……」
「いやいや、それに関しては完璧に有紗ちゃんですよ!? まっ、まぁ……有紗ちゃんは王子様みたいにカッコい時もありますけど……そっ、それはそれとして……凄くしっくりくる愛称だと思います」
時花有紗:ギターヒーローファンからキーボードプリンセスと呼ばれている。動画からでも仲の良さが伝わってくるためか、ギターヒーローとのカップリングを推すファンも一定数居るとか?
後藤ひとり:昨晩の自問自答のおかげで少し吹っ切れたのか、以前より有紗といちゃつくことに抵抗がなくなったというか、積極性が増したぼっちちゃん。帰宅後のチベスナ三人衆の反応が楽しみである。