ある日、自室の机で喜多は腕を組んで考え込んでいた。するとそのタイミングで足音が聞こえたあと、ドアがノックされて母親である久留代が入ってきた。
「郁代~貴女、今日バイトでしょ? 晩御飯はどう……うん? なにしてるの?」
「あ、お母さん」
夕方からバイトに行く喜多に、夕食を家で食べるかどうかを聞きに来た久留代だったが、さすがは親というべきか喜多がなにかに悩んでいる様子なのをすぐに察した模様だった。
そして、喜多に近付き机の上を見ると……そこには進路希望調査の紙が置かれていた。
「進路希望調査?」
「うん。学校に出すんだけど、ちょっと迷っててね」
「……はっ!? ま、まさか……駄目よ、郁代!」
「え?」
「確かにお母さんもバンド活動のことは応援しているし、実際に結果を出してるのも知ってるけど、それ一本に進路を絞るのはリスクが大きすぎるわ!」
久留代は少々思い込みの激しいところがあり、進路希望調査で悩んでいる様子を見て、我が子が受験をせずにバンドマンを目指すつもりなのではと考えた。
久留代は喜多のバンド活動は応援しているし、未確認ライオットのファイナルステージには夫と共に足を運び、必死に頑張っている娘の姿を見た。成功してほしいとも思っている……だが、それはそれとして、娘が大学受験をせずにバンド一本に進路を絞るのは親としては当然心配だ。
「どうしても未だに、高卒と大卒じゃ就ける仕事にも差がある現状よ。バンド活動が上手くいけばいいけど、最低限保険はかけておかないと、後々後悔するのは郁代なのよ!」
「ちょっ、お母さん? なんのこと? ……私、大学進学するつもりだけど?」
「……え?」
説得を試みようとした久留代だったが、当の喜多はキョトンとした表情で首を傾げていた。まぁ、喜多も母親の久留代が思い込みの激しい性格というのは知っているので、たぶん変な勘違いをしたのだろうと苦笑する。
「いや、もちろんバンドで成功出来たらそれが一番いいけど、キャンパスライフにも憧れるし……あと、ボーカルの私はいろいろ経験しておいた方がいいのよ。実際に経験したことと想像だけのことでは、歌の表現力にも差が出てくるから、大学に行くこと自体がバンド活動にも役立つの……まぁ、有紗ちゃんの受け売りだけど……」
「そ、そうなの……それなら、お母さんとしてはホッとするけど、じゃあ何に悩んでたの?」
どうやら喜多は大学進学をするつもりらしく、それは久留代としては安心ではある。ただ、それならば進路希望調査でなにを悩んでいたのだろうと思って尋ねると、喜多は再び苦笑しながら告げる。
「ああ、いや、先生が……いまの私の学力なら、ワンランク上の大学も狙えるっていうから、大学受験は確定としてどの大学を狙おうかな~って」
「なるほど……確かに、郁代の学力もずいぶん上がったわね。本当言うとお母さん、最初は郁代がバンドをするのに反対だったのよ。実際1年生の1学期はバンド始めてから目に見えて成績が落ちてたし、悪影響が大きいんじゃないかってね。ただ、お母さんも昔小説家になりたいって夢を追いかけてた頃があったから、夢に向かって頑張るのを応援したいって気持ちもあって、結構悩んでたのよ」
「……お母さん」
思い返してみると、確かに1年生の1学期……特に夏休み当たりでは小言もかなり言われていたし、成績について言及されることもあった。
ただそれは本当に最初だけであり、その後は基本的に久留代はバンド活動を応援してくれていた。
「ただ、成績が落ちたのは本当に最初だけで2学期になって目に見えて成績は良くなったからホッとしたわ」
「あ、あはは、それは完全に有紗ちゃんのおかげかな……有紗ちゃん、凄く教えるのが上手くて、テスト勉強だけじゃなく普段の勉強のコツとかも教えてくれて、おかげでテスト以外もいい感じになった気がする」
「ああ、郁代がよく話す後藤って子の恋人だったかしら?」
「あ~うん、まぁ、そんな感じ……有紗ちゃんは、頭も性格もいいし、運動神経も音楽センスも抜群だし、お金持ちで美人だしって、本当に完璧超人みたいな子で、私も歌い方教えてもらったりいろいろお世話になってるんだ~」
「そう、いい影響を受けられる相手がいるのはいいわね。まぁ、ともかく、話を戻すと……確かにランクが高い大学ってのもいいけど、ランクよりはまず大学に入ってなにをしたいかと考えるべきね。幸いまだ焦って決める必要がある時期じゃないから、興味があるならオープンキャンパスとかに行ってみるのもいいし、大学生の知り合いが居れば話を聞くのもいいかもね」
「……なるほど、ありがとう、お母さん。もうちょっと、いろいろ考えてみるね」
「ええ、それに進路も大事だけど今度のクリスマスのライブもあるんでしょ? 私もお父さんと一緒に見に行くから、そっちも頑張ってね」
「うん!」
穏やかに微笑む久留代に喜多も明るい笑顔を返す。それぞれに想いや願いはあれど、ひとまず両者の親子関係は非常に良好な様子だった。
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時を同じくして、喜多と同じ秀華高校に通うひとりも進路希望調査は有り、現在は家族全員がテーブルを囲う事態になっていた。
「……これより、ひとりの進路に関する家族会議を始めます」
「あっ、うぇ? なっ、なんでこんなことに……あっ、あと、家族会議って……当たり前のように有紗ちゃんも……」
「私も未来の家族なので、問題ありませんね」
ひとりの進路に関する家族会議が開催され、後藤家ではもうほぼ公認の未来の家族となっている有紗も当たり前のように家族会議には参加していた。
あまりにも堂々とした有紗の宣言に、直樹や美智代がまったく気にしていないということも相まって、ひとりがつい「あれ? 私の方がおかしいのか?」と一瞬考えてしまうようななんとも言えない空気だった。
「とりあえず、重要なのは第一志望に関してだ。ひとりはとりあえず、進学じゃなくてバンド活動に専念する方向でいいんだよね?」
「あっ、うん。学力的に絶対無理ではないけど、両立できそうに無いし……あっ、いや、バンド一本に絞って人生失敗する可能性もあるけど……」
「大丈夫です。いざバンドの方が上手くいかなかったとしても、私がなんとかします。これでも、ひとりさんが遊んで暮らしてもまったく揺るがない程度の財力は備えていますので、安心してください。いえ、もちろんバンドが上手くいくのが一番ですが……」
「有紗ちゃんのところにお嫁に行くなら安心ね~」
「おっ、お嫁!? いっ、いやまだ、そんな話には……お母さん!?」
「ふふふ」
とりあえずバンドに絞って失敗……バンド活動で生活できるだけの金銭が稼げなかった場合に関してだが、有紗という圧倒的財力を誇る存在がひとりと結婚する気満々であり、直樹や美智代の目から見てひとり側もそれほど嫌がっている感じではない。というか、きっかけさえあればすぐ恋人になりそうな程度には、有紗に対して好意を持っているのは分かっているので、そちらの方面に関してはまったく心配していなかった。
「こほん。まぁ、それに関しては置いておいて、バンドに絞る方向と考えて……第一志望をロッキンジャポンにするか、フシロックにするかが重要だ!」
「ふたりどっちもよく分からない~。どっちが凄いの~?」
「どっちも凄い!」
「有紗おね~ちゃん、教えて~!」
ロッキンとフシロックの違いが分からないふたりは、直樹は頼りにならないと判断して有紗に尋ねる。すると、有紗は優し気に微笑みを浮かべて簡単に説明してくれた。
「物凄く簡単に言えば、フシロックは洋楽……外国の歌が多く。ロッキンは邦楽……日本の歌が多いイベントですね。会場や雰囲気にも違いはありますが、どちらも非常に大きなフェスですよ」
「そうなんだ~! じゃあ、おねーちゃんは、日本のお歌だからロッキンじゃないの?」
「いや、邦楽でフシロックに出る例も結構あるんだ。そしてお父さんは、フシロックに立ってるひとりが見たい!」
直樹自身が洋楽好きということもあって、娘のひとりがフシロックの舞台に立つ姿を見たいと心から思っている。だが、同時にロッキンも捨てがたいと考えており、開催時期が近いふたつのフェスのどちらを目指すかに悩んでいる。
「フシロックは主に7月末頃、ロッキンジャポンは8月頭頃なので、両方に出るのは確かに難しいですね」
「あっ、でも別に1年で両方に出なきゃいけないわけじゃないし、最終的にどっちも出ちゃえば……」
「おぉ! 流石ひとり! フシロックとロッキンの2大ロックフェスの舞台に立つ宣言とは、頼もしいね! ひとりがロック史に名を刻むのが楽しみだよ」
「……」
当人であるひとりより乗り気な直樹に、ひとりはなんとも言えないような表情を浮かべた。だがまぁ、これでこの意味不明な家族会議が終わるならそれでもいいかと、特に否定せずに沈黙を持って解答としていたのだが……別の場所から爆弾は投下された。
「お母さんは、それより有紗ちゃんとの結婚式をどこでやるのかが気になるわ~」
「お母さん!?!?」
のほほんとした様子で特大の爆弾を投げ込む美智代にひとりが思わず叫ぶが、美智代は特に気にせず楽しそうに微笑んでいる。
「……確かにそれも気になるところだね。有紗ちゃんはその辺りも考えているのかい?」
「まだ悩んでいるところではありますね。国内もいいですが、やはりハワイやグアムも捨てがたいです。綺麗な海辺の教会でというシチュエーションには憧れる部分がありますね」
「あら、素敵ね~」
「あっ、有紗ちゃんもなんで当たり前のように答えてるんですか!?」
「いえ、かねてよりひとりさんとの結婚式をどうするかは考えていましたし、いま候補は13パターンほどあります」
「おっ、多いです……じゃなくて!? とっ、とにかく、もうこの話は終わり!! あっ、有紗ちゃん、私の部屋に行きましょう! 早く!!」
「え? あ、ちょっ――で、では、皆さん失礼します。ひとりさん、そんなに腕を引っ張らないでください」
とにかくこれ以上有紗をこの場に残していると、美智代や直樹と何を話すか分からなかったので、ひとりは真っ赤な顔で強引に有紗の手を引いて家族会議の場から離脱した。
もちろん、そんな風に恥ずかしがっているひとりの様子を見て、直樹と美智代は微笑ましげな表情を浮かべていたが……。
時花有紗:しれっと、後藤家の家族会議に参加するぐらいには馴染んでおり、ひとりとの結婚式の式場候補はかなり絞っている模様だが、それでもまだ迷っている。いっそ3回ぐらい結婚式をしたいとも思っている。
後藤ひとり:大学受験も不可能ではないが、とりあえずバンドに絞って活動するつもり。永久就職先も内定しているので問題は無さそう。年頃の女子高生っぽい反応を見せるようになり、両親もニッコリである。
郁代と久留代親子:原作と大きく状況が変わっている。第一に喜多が成績を落としておらず、むしろクラス内でも上位の成績。第二にひとりにギターを教わっているだけでなく有紗やリョウにも並行して教わっているので、原作のようなひとりに追いつこうとする焦りがない。第三にリョウが有紗のおかげで食生活にあまり問題が無く、喜多にお金を借りたりすることがほぼ無い。第四に既に未確認ライオットで審査員特別賞という明確な結果を出しているということもあって、久留代もバンド活動を応援しており喜多との仲も良好。