夏休みの最終日となる8月31日。今日は虹夏さんの提案で結束バンドの皆さんと一緒に江の島に遊びに行く予定になっています。
江の島がひとりさんの家から比較的近いこともあり、現地集合という形になりました。
「おはようございます、ひとりさん」
「あっ、おはようございます。有紗ちゃん」
私は基本的に車での移動ということもあり、一度通い慣れたひとりさんの家に向かって、そこからひとりさんと一緒に電車で江の島に向かうことに決めてこうして訪ねてきました。
私がひとりさんと一緒に行きたいという理由が9割ですが、ひとりさんも「有紗ちゃんが一緒なら安心」と言ってくれました。
ふたりで電車に乗り、並んで席に座って、これから向かう江の島についての話をします。
「時期的に泳ぐのは難しいみたいですが、観光名所なども多いので楽しみですね」
「あっ、はい。むしろ、海水浴はまだ私にはハードルが高いので、少し安心したかもしれません」
「なるほど……海以外だと、江の島神社などが有名ですね」
「あっ、た、確かに聞いたことがあるかもしれません」
まぁ、私としては是非ひとりさんと一緒に龍恋の鐘に行きたいのですが……さすがに難しいですね。江の島に伝わる天女と五頭龍の恋物語に由来し、恋人同士で鐘を鳴らして近くのフェンスに2人の名前を書いた南京錠を付けると、永遠の愛が叶うと言われているスポットです。
今回は残念ながら諦めますが、いずれひとりさんとの関係が進展したなら一緒に行きたいものです。
「あと有名なのはやはり、新江ノ島水族館ですかね。私も詳しく知るわけではありませんが、有名な水族館らしいですね」
「すっ、水族館ですか……こっ、子供の頃に一度行ったことがあるような? よく覚えてないので江の島かどうかは分かりませんが……」
「ひとりさんの家の位置でしたら、可能性は高そうですね。行ってみると懐かしさがあるかもしれませんね」
やはり夏休みを経て以前よりさらに親しくなれたおかげか、ひとりさんとの会話もいままで以上に弾んでいるような気がします。
なによりひとりさん自身が、外出に対してある程度前向きな思考になってくれているのが大きいですね。この分だと、冬休みなどは旅行を計画してみるのもいいかもしれません。
そんな風に考えつつ、私はひとりさんとの会話を楽しみながら江の島に向かいました。
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江の島に着いて時計を確認すると、待ち合わせの時間まではまだ1時間少々ありました。
「少し早く着きすぎてしまいましたね」
「あっ、そうですね。遅れないように早めに出ましたけど、思ってたより早く着きましたね」
「虹夏さんたちが到着するまでまだ時間があるでしょうし、このままここで立っているのもなんなので、少し近場を見て回りますか?」
「あっ、はい」
あまり遠くに行ったりは難しいですが、近場なら問題ありません。浜辺までは徒歩5分程度みたいなので、海を見に行くのがいいかもしれませんね。
ひとりさんとふたりで海を眺めるというシチュエーションは大変素敵ですし、是非実行したいものです。
「ひとりさん、5分ほど歩けば海が見えるみたいなので、海を見に行きませんか?」
「あっ、はい。海を見るのは、久しぶりです」
ひとりさんも快く了承してくださったので、ふたりで歩き出しました。道中には案内の看板もありますし、いざとなればスマートフォンの地図アプリを使えばいいので、迷う心配もありません。
ほどなくして海岸沿いに辿り着く、ひとりさんと並んで海を眺めます。
「いっ、いざ来ると、やっぱり海って綺麗でいいですね」
「ええ、風も心地よいですし、今日は天気もいいので本当に綺麗ですね」
視界いっぱいに広がる海は日の光を反射してキラキラと輝いており、その雄大な美しさにひとりさんと一緒に見惚れます。素晴らしい景色ですし、やはり好きな相手と一緒に見る景色はより美しく感じるから不思議なものです。
そんな風に海を眺めて楽しんでいると、不意に声が聞こえてきました。
「うぇ~い、そこのおふたりさん! 暇ならうちの海の家で食べてきなよ!」
「お安くするよぉ!」
「ひぇっ!?」
海の家の客引きらしき方々が話しかけてきて、ひとりさんは怯えた様子で素早く私の背後に隠れました。しがみつく様に密着してくるひとりさんの温もりは大変素晴らしく、客引きの方々には感謝したい気持ちもありますが……ひとりさんが怯えているので、お帰りいただくことにしましょう。
「お誘いは嬉しいですが、人と待ち合わせをしておりますので申し訳ありません」
「そうなの? 残念だねぇ。じゃ、もし暇があったら遊びに来てよ」
「ええ、その際は是非。お仕事お疲れ様です」
「あはは、ありがとね。それじゃ、江の島楽しんでってね~」
客引きの方々としても、乗り気でない相手に長々と話す意味も無いのでしょう、私の言葉を聞いてすぐに手を振りながら去っていきました。
それを見送ってから、背後で怯えているひとりさんを安心させるように声を掛けます。
「ひとりさん、もう大丈夫ですよ」
「……あっ、はは、はい。あっ、有紗ちゃんは、やっぱり凄いです。リ、リアルパリピにも平然と対応して……」
「まぁ、向こうも別に悪意があって声をかけてきたわけではありませんし、そこまで怯える必要はありませんよ」
「うっ、わ、分かってはいるんですが……どど、どうしても、あのレベルになると……」
人見知りというのはすぐに治るものでもありませんし、致し方ない部分もあります。ひとりさん自身も自覚していろいろ変わろうと頑張っている面もあるので、気長に克服していけばいいとは思います。
今回のような場合に関しては、私が一緒に居て対応できれば問題ないわけですしね。
「いきなり慣れるのは難しいかもしれませんが、怖がる必要はありませんよ。ひとりさんには、私が付いていますから」
「あっ、有紗ちゃん……うぅ、有紗ちゃんが傍に居てくれると、本当に安心します」
「そう思っていただけるなら、私としても嬉しいですね」
ひとりさんが私と一緒に居ると安心できると思ってくれているのは、私にとって本当に嬉しいことですし、こうして直接そう言ってもらえると心の中から湧き上がる喜びは非常に大きいものです。
思わず笑顔になるのを実感しつつ、ある程度顔色が戻ったひとりさんに声をかけます。
「ひとりさん、あちらに店が並んでいる通りがあるみたいなので、少し見てみましょうか?」
「あっ、はい。そういえば、ちょっと小腹が空いた気も……」
「お昼時までは時間がありますし、軽くなにかを食べてみるのもいいかもしれませんね。食べ歩きできるようなものがあるといいのですが……」
まだ時間には余裕があったのでひとりさんと一緒に店などが並ぶ通りに移動して、軽く眺めます。やはり駅近くということもあってお土産ものが中心ではありましたが、食べ物の販売もいろいろとありました。
ソフトクリームなどもありましたが、中でも目を引いたのが……。
「……しっ、しらすパン?」
「江の島のしらすは有名ですが、パンもあるんですね」
「あっ、合うんですかね?」
「食べてみますか? サイズは小さ目ですし、3個入りみたいなので、ひとつ買って分けて食べましょう」
ひとりさんと一緒に見つけたのはしらすパンという手のひらサイズの小さめのパンでした。ひとりで3個食べるには少々多いですが、ふたりで分けて食べるには丁度いいですね。
しらすパンを購入し、人通りの少ない場所に移動してからひとりさんと一緒に食べます。
「あっ、美味しい……中にチーズが入ってるんですね」
「美味しいですね。外のパンも揚げているのか食感がよくて、食べていて楽しいですね」
「でっ、ですね。あっ、で、でも、しらす感は無いですね」
「ふふふ、そうですね。チーズの味が強いですね」
しらすとパンというと不思議な組み合わせではありますが、意外と違和感などは無く普通に美味しい味でした。ただ、確かにひとりさんの言う通りチーズの主張が強く、しらす感というのはあまりなかったです。
さてしらすパンは3個入りです。私とひとりさんが1個ずつ食べたのであれば、当然ながら1個残るわけです。
「残るひとつは、半分にしましょうか」
「あっ、はい」
ひとりさんの了承を得てから、手で残りのしらすパンを半分にちぎり……ふとそこで邪念が頭をよぎりました。いえ、ひとりさんが嫌がった場合は強行しませんが、せっかくのふたりっきりでいいシチュエーションなわけですし……。
「ひとりさん、どうぞ……」
「……え? あの、有紗ちゃん? な、なな、なにを……」
「いえ、少しやってみたくて……駄目でしょうか?」
「あっ、い、いや、別に駄目じゃ……いっ、いただきます」
半分にしたしらすパンの片方を袋に戻し、もう片方を持って片手を添えてひとりさんに差し出す。簡単に言ってしまえば、恋愛ものの映画などでよく見る相手に食べさせる行為……いわゆる「あ~ん」というものです。
ひとりさんは私の意図を察して戸惑った様子でしたが、強く拒否することもなく少し顔を赤くした後で口を開いて、私が手に持つしらすパンを食べてくれました。
「……なんというか、思ったより気恥ずかしいですね」
「わっ、私はかなり恥ずかしかったです……うっ、こ、こうなったら……」
顔を赤くして少し不満げな表情を浮かべたひとりさんは、私の膝の上にあった袋を取り、中から残る半分のしらすパンを手に持って、先ほどの私と同じように差し出してきました。
「あっ、有紗ちゃんも……どど、どうぞ」
おそらくですが、ひとりさん的には先ほどの私が行ったことへの意趣返しというか、そういう意図なのは分かるのですが……私にとっては、むしろ喜ばしいというかご褒美でしかないです。
「ありがとうございます。いただきますね」
ひとりさんが差し出してくれたしらすパンに顔を近づけていただきます。思いがけず素晴らしい幸福が舞い込んできて、幸せいっぱいで笑顔を浮かべているとひとりさんが驚いたような表情を浮かべていました。
「なっ、なんで、有紗ちゃんは平気そうなんですか……」
「いえ、単純にとても嬉しかったので」
「うっ、うぐっ……そ、そんな笑顔をされると、文句も言えないです。うぅ、顔熱い」
恥ずかしそうな表情を浮かべつつも、それでもひとりさんは心の底から嫌がっている様子はなく、少し経つとしょうがないと言いたげに苦笑を浮かべてくれました。
なんとなく互いの心の距離が近くなったような、そんな感覚を覚えます。
「……そろそろ集合時間が近いですね。駅に向かいましょうか」
「あっ、はい。そうですね。もうちょっと、有紗ちゃんとのんびりしたい気持ちもありますけど」
「ふふ、私も同じです。また機会があれば、一緒に来ましょうね」
「……はい」
私とひとりさんは顔を見合わせて、微笑み合ってから並んで一緒に駅に向かって歩き出しました。
時花有紗:最近ひとりとよりいっそう仲良くなれてる気がして、幸せいっぱい。だいたい結束バンドのメンバーと行動する時は、ひとりと2人セットで行動することが多い。
後藤ひとり:有紗への好感度が極めて高く「あ~ん」も普通に受け入れる。なんだかんだで有紗とのデートを楽しんでいる感じがある。
蝉の墓:ねぇよ。そんなの……ぼっちちゃんが有紗のおかげで原作とは違い充実した夏休みを過ごしているので存在しない。