文化祭1日目が終わり、明日のライブに備えて結束バンドのメンバーたちは練習を行っていた。一通り明日のライブで行う演奏を通して最終リハを行って問題ないことを確認した。
その際の演奏で、ひとりはあることに気付いて喜多の方を向いた。
「なぁに、後藤さん?」
「あっ、いえ……喜多さん……いっ、いつの間にかすごく上手くなってて驚きました」
「そう? まぁ、まだバッキングだけなんだけど……後藤さんにそう言ってもらえると嬉しいわ」
喜多は最近目に見えて演奏技術が上がっていた。本人の熱意もあり、ひとりからだけでなくリョウにも空いた時間にギターを教わっており、その練習の成果は徐々にではあるが確実に表れていた。
「……あっ、明日のライブ、少しでも盛り上がるといいですね」
「絶対大丈夫よ。皆後藤さんの演奏にビックリしちゃうかもね」
「えっ、い、いや、それは……」
「すると思うわよ。だって、後藤さんの演奏は人を惹きつける魅力があって、本当に凄くカッコいいんだからね」
「そっ、そうですかね?」
明るい表情で賞賛する喜多の言葉に、ひとりはやや戸惑うような表情を浮かべる。調子に乗るときはとことん乗ってしまうが、基本的には己に自信のないひとりには、喜多にそこまで賞賛してもらえる理由が分からなかった。
そんなひとりを見て、クスっと微笑んだあとで喜多は口を開く。
「……だってそもそも、私は後藤さんの演奏に惹き付けられて、声をかけたわけだしね。アレが無ければ……後藤さんが引き留めてくれなければ、結束バンドに戻れることは無かったと思う。私にとって後藤さんは……ううん。ひとりちゃんは、最高にカッコいいヒーローだよ。だからもっと自信を持って」
「あっ、あ、ありがとう……ございます」
「私も演奏でもひとりちゃんを助けられるようなギタリストになって見せるから……これからも一緒に頑張ろうね!」
「……はい!」
いままで名字で呼んでいたひとりを名前で呼び、一緒に頑張ろうと告げる喜多にひとりもしっかりと頷いて返事をした。
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文化祭ライブの当日となり、ひとりも緊張しつつもある程度落ち着いていた。自分への注目は他の3人に比べて少ないだろうとは思っているが、それでも家族や有紗も来てくれるので頑張りたいという思いも強い。
実際に準備をしてステージの幕が上がると、最前列に有紗の姿があり、家族やひとりのファンの大学生なども足を運んでくれていた。
ただ、最前列でステージ用にカップ酒の空瓶を並べつつ酔っぱらっているきくりに関しては「呼ぶんじゃなかった」と軽く後悔していたのだが……。
そして喜多がMCを行いさっそく一曲目がスタートした瞬間、有紗が目を見開くのが見えた。
(……有紗ちゃん? どうしたんだろ……演奏が始まってすぐ驚いた顔、有紗ちゃんは凄く耳がいい……もしかしてっ)
有紗の様子に疑問を抱いたひとりは、その原因が音にあるのではないかと考えてすぐに、なにか問題があると考えつつ音に集中してみるとその原因は早い段階で見つけることができた。
(高音弦の音がおかしい。チューニングがズレてる?)
昨日のリハでは問題なかったはずのチューニングがズレていることに気付いたひとりは、それが有紗が驚愕していた理由だとすぐに分かった。
再び有紗に視線を向けると、目が合った有紗は指をひねるような動きを見せる。
(……あの動き……ペグ?)
有紗の動きがペグを示していると気付き、演奏の合間にペグに触れてみると……。
(1弦……それに2弦も!? ペグが……故障してる。どうすれば……弦を張り替えても、ペグが壊れてたら意味が無いし、替えのギターも無い……いまは、まだ高音弦を使わない演奏で対応できるけど、2曲目のギターソロは……)
可能な限り高音弦を使わない演奏を続けながら、対策を考えて視線を動かす。心配そうにしつつも、それでも己を信じてくれていると分かる有紗の目を見て勇気を貰い、必死に思考を巡らせ……きくりがステージ端に置いている空瓶を見て閃いた。
(そうだ! ボトルネック奏法なら、チューニングが狂ってても高音を演奏できる……そのためには……)
そして一曲目が終わり、二曲目の前のMC。元々の台本通り、喜多から虹夏にMCが移ったタイミングでひとりは喜多に近付いて、小声で話しかける。
「きっ、喜多ちゃん……力を貸してください」
「どうしたの? ひとりちゃん?」
「……ペグが故障してて、高音のチューニングが異様に合わないんです。だから、ギターソロには奏法を変えて対応しようと思うんですけど、準備に少し必要で……演奏が途切れちゃうので」
「分かった。ひとりちゃんの準備が終わるまでの演奏を繋げばいいのね? 任せて!」
何の因果か、昨日ふたりで話した「いつか演奏でひとりを助ける」という場面が早速やってきて、なによりひとりが自らを頼ってくれたのが嬉しく、喜多は力強く頷いた。
そして、ふたりの会話はリョウにも聞こえており、リョウはMCが終わり二曲目が始まる直前に虹夏に簡潔に声をかけた。
「ソロ前、数秒アドリブ」
「……了解」
短い言葉であっても付き合いの長い虹夏には伝わっており、両者ともに頷き合って二曲目をスタートさせる。
演奏が進みギターソロが近づいたタイミングでひとりがチラリと視線を向ければ、喜多は任せろと言いたげに頷き、アドリブ演奏を始め、リョウと虹夏もそれに合わせる。
バンドメンバーの心がひとつになっているような心地良い感覚の中で、ひとりは素早くしゃがんで空瓶を手にとり、それを用いて喜多から引き継ぐ形でボトルネック奏法にてギターソロに見事対応して見せた。
演奏の良さもあるが、ボトルネック奏法のパフォーマンスは観客にも新鮮かつ好印象に映り、2曲目が終わった後には大きな歓声が起こった。
その中にはひとりを賞賛するような言葉も多く、ひとりの実力をもっと多くの人に知ってもらいたいと思っていた喜多の表情も明るくなる。
そして、自身の演奏でひとりを助けれたこと、なによりひとりが自分に助けを求めてくれたことが嬉しく、テンションの上がった喜多はボーカル用のマイクを手に取りひとりに向けた。
「ほらっ、ひとりちゃんも一言ぐらいなにか言わなきゃ!」
「え? あっ……うっ……」
だがそれはコミュ症のひとりにとっては、あまりにもハードルの高い振りだった。この場面で咄嗟に気の利いた返しが出来るようなら、そもそもコミュ症などになってはいない。
(えっ、あっ、コミュ症は事前に台本作ってないと喋れないのに、予想外の振りされたら……)
ひとりの思考は一瞬で混乱の渦に呑まれる。さらにせっかく会場が盛り上がっている状態であり、ここで雰囲気を壊してしまうわけにはいかないという強迫観念にも似た思いの中で、混乱するひとりが導ぎ出したのは「なにか面白いことをしなければ」という大事故待ったなしの結論だった。
(なにか、面白いこと……面白いこと……はっ!?)
必死にキョロキョロと視線を動かしていたひとりの目に留まったのは、先ほどボトルネック奏法に用いた酒の瓶、そして最前列に居るきくりの姿だった。
頭に思い浮かぶのは新宿FOLTで見たきくりのライブ、その際に行われた観客席へのダイブ。大盛り上がりだったその光景を思い出し、混乱状態のままギターを置いてステージ端に向かっていた。
たしかにロックのライブ、とりわけハードロック系のライブに置いてモッシュやダイブといったパフォーマンスは定番ではある。だがしかし、それは演者と客との共通認識によって成り立つものでもある。
FOLTにおいてのきくりのダイブが盛り上がり成立していたのは、ホームであるハコで常連客も多く、きくりがそういったパフォーマンスを行うことも知れているという前提があったからである。
プロのバンドであっても、初めての舞台でダイブを試みる際にはハンドサインやジェスチャーで、そういったことをしたいというのを観客に伝え、意思の疎通ができたと感じてから実行する。
では今回の場面はどうか? ここは学園祭のステージであり、ライブハウスではない。観客は必然的に本格的なロックライブやハードロックには縁のない学生たちばかりである。
そんな中でステージ上から演者が飛び降りてきたら……そう、ぶつからないように避けるに決まっている。
(……あっ、これ……終わった)
混乱や極度の緊張による思考の加速によって引き延ばされたかのような時間の中で、ひとりの目には自分の落下地点の人たちが離れていくのがスローモーションのように見えた。
当然そうなると待ち構えるのは床……となるはずだったが、ひとりだけその場に残っている人物がいた。
(え!? あ、有紗ちゃん!? な、なんでそこに……駄目、避けないと――)
先ほどまで別の場所、きくりたちの傍にいたはずの有紗がいつの間にか落下地点に居て、ひとりを受け止めようと両手を広げていた。
そのことに焦るひとりではあるが、空中で何ができるわけでもなくそのまま有紗にぶつかるような形となり、ふたり一緒に床に倒れることとなった。
(……ど、どうなったの? 痛くは……ない。柔らかくて、いい匂いが……)
有紗が上手く衝撃を逃がして受け止めたことで、殆ど痛みを感じることは無かった。そしてひとりは倒れた有紗の胸に抱かれるような形で受け止められており、ひとり自身も両手を広げてダイブしていて、ぶつかった際に無意識で有紗にしがみついたことによって、抱き合うような形で倒れていた。
「……ひとりさん、文化祭ステージでダイブは、無理ですよ」
少し呆れたような、それでいて「しょうがないなぁ」というような優しさの籠った声が聞こえて顔を上げると、有紗が苦笑しているのが見え、そこでようやくひとりの思考は状況に追いついてきた。
「あっ、有紗ちゃん!? ごっ、ごめんなさい! だ、だだ、大丈夫ですか? 怪我とかしてないですか!?」
「大丈夫です。ひとりさんの方こそ、怪我はありませんか?」
「だっ、大丈夫です」
「……それならよかったです」
真っ先に有紗の怪我を心配したひとりだったが、どうやら有紗に怪我はないようでほっと息を吐いた。そんなひとりに対し、有紗は優しく微笑みながら言葉を続ける。
「ひとりさん、演奏カッコよかったですよ」
「あっ、ありがとうございます……そう言ってもらえて、嬉しいです」
その言葉はとても嬉しい賞賛であり、思わず笑みを浮かべたひとりだったが……次の有紗の言葉で凍りつくことになった。
「難所は乗り切りましたしもう大丈夫……と言いたいところですが……問題は、今現在とんでもない注目を集めているところでしょうかね?」
「………………え?」
有紗の言葉に現在の状況を思い出し、ひとりが軽く周囲を見ると……体育館中の視線が集中していた。顔を赤らめている人が居たり、ニヤニヤと笑みを浮かべている人が居たり、拍手をしている人が居たり、大笑いしている人も居たりと多種多様ではあるが、概ね微笑まし気な表情といえた。
その理由は傍目に見た状況にあった。実際はひとりの突拍子もない行動を有紗がフォローした形なのだが、周囲から見た印象はまったく違う。
まるでテンションが上がったひとりが、観客席に居た愛しい相手にステージから飛んで情熱的に抱き着いたかのように見えたのだ。
ひとりも整った容姿であり、有紗は絶世と呼べる美少女、そんなふたりが抱き合い倒れ込む姿は、まるで映画のワンシーンのように美しく見え、その後に微笑み合っていた姿には青春と愛情を感じた。
そんな温かな視線を大量に向けられて、陰キャかつコミュ症のひとりが無事でいられるかといえば……そんなわけがない。
(……あっ……終わった……私の高校生活……)
のちに愛情の表現として秀華高校に代々受け継がれていくこととなる伝統……ラブダイブというパフォーマンスを図らずも築き上げ、ある意味伝説となったひとりは……あまりの羞恥に脳がオーバーフローを起こして、あっという間に意識を手放した。
ひとりが気絶したことで結束バンドの3曲目は中止となったのだが……その時の会場は、過去類を見ないほどの熱気と盛り上がりに包まれていたという。
そして、それをのちに知ったひとりは、羞恥に悶えて地面を転がりまわった。
時花有紗:この子は鬼つよメンタルなので、今回の件は特に気にしていない。いずれ結婚すれば披露宴とかもあるし、なんの問題も無い。
後藤ひとり:文化祭でひとつの伝説を作った少女。傍目に見ると本当に、ひとりが有紗の胸にダイブしたとしか見えない状態だった。原作のようにロックなやべー奴ではなく、美しい愛情と情熱を見せたロッカーと認識されており、むしろ好印象を抱かれている。
観客たち:めっちゃ盛り上がった。中には百合百合しい光景に涙を流している者も居た。結束バンドの次のライブのメンバーは体育館内の異様な熱気に若干ビビっていたとかいないとか……。