ひとりさんと巡り合って恋に落ちてから、私は日々ひとりさんのことを知ろうとしてきました。その成果は十分に現れ、いまとなっては私はひとりさんの多くを知ることができました。
いずれは世界で一番ひとりさんのことを知っていると胸を張れるようになりたいと思っています。
しかし、そんな私でも未だにひとりさんの行動の意図が読み取れないことはあります。それは今回の件もそうで、ロインで届いたメッセージを見て現在首を傾げていました。
『10万円分のエフェクターを買おうと思うんですけど、どうでしょうか?』
ひとりさんがロインを送って来た理由は、おそらく以前に私が高額な買い物をする際は教えるようにと言ったからだと思いますが……気になる書き方ですね。
これが10万円のエフェクターというのなら分かります。ハイエンドエフェクターならものによっては10万円を超えるものもあるでしょうし、マルチエフェクターなどなら数十万という価格でも珍しくは無いです。
しかし、ここで注目すべきは10万円『分』という表記です。この書き方であれば、エフェクターを10万円で買えるだけ購入するとも読み取れます。
普通であればエフェクターを大量に買っても意味は無いです。好意的に解釈するなら、ギターソロでよく使われるオーバードライブやブースターを始めとする歪み系のエフェクターだけではなく、モジュレーション系やピッチシフト系など、複数の用途のエフェクターを買いそろえるという意味にも思えます。
とはいえ、ひとりさんもずっとギターを弾いてきたので、最低限必要なエフェクターは所持していますし、ここからさらにエフェクターをいくつも買う必要は感じません。
こういった場合に楽観視して曖昧に返答すると危険というのは、以前の氷風呂の件で学びました。
『理由なども含めて質問したいので、私も買い物に同行していいでしょうか?』
『あ、はい。有紗ちゃんが一緒に来てくれるなら、私も安心です。前に買い物した御茶ノ水の楽器屋に行こうと思っています』
とりあえずしっかりと事情を把握する必要があるので、同行を申し出ました。なんとなく直感ですが、この買い物はあまりよくないもののような気がします。衝動的な買い物というか……まぁ、その辺りはしっかりと事情を確認して対処することにしましょう。
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とりあえず御茶ノ水が目的地ということなので、駅で待ち合わせをしてひとりさんと合流しました。
「ひとりさん、とりあえず買い物に行く前に事情を知りたいのでどこか店に……ああ、あそこに入りましょう」
「え? ひっ、ひぃぃ……あっ、ああ、あの店は……」
「……コーヒーはお嫌いですか? コーヒー以外もありますよ」
まずは話をと思って駅前のコーヒーチェーン店に入ろうと提案すると、ひとりさんは青春コンプレックスを刺激されたような表情で震え出しました。
「よっ、陽キャの魔窟……スタパ。あっ、有紗ちゃん! わた、私、呪文とか唱えられないです……」
「呪文……えっと、ああ、呪文のように長い注文ということですかね? たしかに、物によってはかなり長い商品名もありますが、シンプルなものもありますよ。コーヒーとかココアとか、それに分からなければメニューを指差しても大丈夫です」
「あっ、そ、そうなんですね」
「ええ、それに私も居ますから、その辺りは安心してください」
「あっ、はい。私も、ついにスタパに……」
スタパに対してどんな印象を持っているのかまでは分かりませんが、以前のタピオカの際の時の様に緊張している空気はありました。
とはいえ、ある程度前向きというか私も一緒という言葉に安心してくれたみたいなので一緒にスタパに向かいました。
「注文カウンターに向かう前にメニューを決めてしまいましょう。スマートフォンで確認できるので……ひとりさんはどれがいいですか?」
「え? あっ、え、えと、私はよく分からないので……有紗ちゃんと一緒のとかで……」
「私はゆずシトラス&ティーを頼もうかと思っていますが、柑橘系は大丈夫ですか?」
「あっ、は、はい。大丈夫です」
「サイズはどうしますか?」
「あっ、えと、スタパのサイズ表記って……よく分からなくて……」
たしかにいまとなってはそれなりに浸透してきていますが、来店したことがない場合は少々戸惑う部分かもしれませんね。
「主にサイズは4種です。小さい順から説明すると
「なっ、なるほど……じゃ、じゃあ、トールで」
「はい。あと、余談ですけどアメリカにはさらに上の
「さっ、さすが、アメリカ……」
簡単に説明しつつ、注文が決まったことでカウンターに向かって注文をします。ひとりさんがガチガチに緊張しているようでしたが、私がまとめて注文してしまえば問題はありません。
注文を終えて商品を受け取り、窓近くの席にふたり並んで座り、いよいよ本題というべきかひとりさんの目的について尋ねることにしました。
「……それで、ひとりさん。なぜ、10万円分のエフェクターを購入するのですか?」
「あっ、えと、それは……My new gearが……私の中の内なる怪物が……」
「う、うん? えっと、とりあえず最初から話していただけますか?」
詳しく話を聞いてみると、虹夏さんと遊んでいた際に話の流れからひとりさんの動画サイト用の名義である、ギターヒーローのトゥイッターアカウントを作成することになったそうです。
その際に新しい楽器や機材を買った際に「My new gear」の文字と共に写真と投稿するというのを見つけ、更には同様のことをしているリョウさんのアカウントを見つけ、羨ましくなりひとりさんもMy new gearをしたくなったとのことです。
そして、元々持っていたギターや機材の写真を全て上げても、望むほどのいいねや反応が貰えず……承認欲求が刺激されて、もっといいねが欲しいと思ったひとりさんはMy new gearを行うために、新しいエフェクターを購入しようと考えたと、そういう話らしいです。
「……なるほど、ことの経緯は大体わかりました」
さて、どうしましょうか? ひとりさんのいまの状況は、明らかに衝動的にお金を使おうとしている悪いパターンです。ほぼ確実に後々後悔するでしょうし、阻止するべきです。
しかし、無理に抑え込んだとしても承認欲求は消えないでしょうし……納得した上で思い留まってもらうには……。
「ひとりさん、ギターヒーローのアカウントを作ったということは、概ねそのアカウントを見るのは動画サイトなどでギターヒーローを知っている方が大半になると思います」
「あっ、はい」
「仮にひとりさんに動画サイトで好きな演奏者が居たとして、その演奏者がトゥイッターでひたすら自分の楽器や機材の写真ばかりをアップしていたら……どう思いますか?」
「…………そっ、そんなのいいから、動画上げてくれって、思います」
「そうですね。ある程度であれば皆さんも好意的に受け取って、賞賛してくれたり羨ましがったりしてくれるでしょうが、度が過ぎるとむしろ不快に思われる可能性もありますね」
「あわわわ……」
私の説明で少し冷静になってくれたのか、ひとりさんは青ざめた表情で震え出しました。おそらく、そういったコメントが付いた際のことを想像しているのでしょう。
「その上で確認なのですが……そもそも、ひとりさんが欲しいのはいいねやコメント……つまるところ、承認欲求を満たしてくれる反応であって、エフェクターではないですよね?」
「あっ、はい。すみません、醜い化け物を押さえられない俗物で……」
「承認欲求は誰しも持ち得るものですから、卑下することはありませんよ。それで、提案なのですが……いいねや反応が欲しいのであれば、私にひとつ案があります」
「あっ、案、ですか?」
「はい。なので、大量にエフェクターを買う必要はないのですが……まぁ、せっかく御茶ノ水に来たわけですし、いま使っているものよりランクが上のエフェクターをひとつだけ買うのなら、いいかもしれませんね」
「よっ、よく分かりませんけど……あっ、有紗ちゃんがそういうなら……」
とりあえず、ひとりさんから私に対する信頼度は高いみたいで、大量のエフェクターを買うというのは思い留まってくれました。
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ひとつだけエフェクターを購入したあとで、一緒にひとりさんの家に移動して、私の案をお話することにしました。
「ひとりさん、いま練習中の流行曲がありましたよね?」
「あっ、はい。次の動画にしようかと……まだ、動画に出来るほど上手く弾けませんけど……」
「その曲のなかで、気に入っている場所を1フレーズだけ、新しいギターで演奏してみてください」
「え? あっ、はい。1フレーズだけ?」
不思議そうに首を傾げつつもギターを用意して言う通りに演奏してくれました。それを私はスマートフォンのカメラで、ひとりさんの手元だけを撮影します。
そして撮影した動画を、スマートフォンの機能で簡単に編集をしてひとりさんに送り、ひとりさんのスマートフォンを借りてトゥイッターに投稿します。
『新しいギターで練習中。ここのフレーズがお気に入り』
と簡潔にコメントを書いてその動画をトゥイッターに貼りました。
「はい。こんな感じですね」
「あっ、え? こ、これだけ? 数秒の動画で、ほぼ撮ったままなのに?」
「ええ、これで大丈夫だと思います。あとは、動画サイトの方にトゥイッターを始めたことを投稿者コメントで書けば大丈夫だと思いますよ」
怪訝そうな表情を浮かべていたひとりさんでしたが、動画の投稿者コメントを修正して少しすると、トゥイッターに反応が現れだしました。
「あっ、す、凄い……いいねがどんどん、増えて……そっ、それに、動画の再生回数も……」
ギターヒーローのファンの方が気付いてくれたのでしょう。元々ひとりさんの動画は、チャンネル登録している人も多く、繰り返し視聴している方も多いでしょう。導線さえできてしまえば、トゥイッターアカウントを見に来てくれる人は多いです。
『やっぱり、ギターヒーローさん上手いですね!』
『新しいギター、カッコいい』
『この曲私も好きです。次はこの曲ですか? 楽しみです』
そんな感じの好意的なコメントや反応も多く、ひとりさんは明らかに嬉しそうな顔になっていきます。その可愛らしい反応に和みつつ、私はひとりさんに声を掛けます。
「ギターヒーローのファンの方々は、つまるところひとりさんの演奏のファンでもあるので、こうして短い動画を上げれば写真より多くの反応をしてくれますよ」
「こっ、こんな簡単に……ギターや機材をあげても60程度だったいいねが、も、もうこんなに……ふへへ」
「ただ、こればかりしていても問題なので、動画サイトの投稿も行いつつ、こうした練習の1シーンを挟むと効果的ですよ。新しく買ったエフェクターも、次の動画に使うつもりといったコメントと共に、軽く音を鳴らす動画を添えると効果的ですね」
「なっ、なるほど……」
感心した様子でメモを取るひとりさんを見て、思わず苦笑しつつ、私は軽くひとりさんの肩に手を置いて微笑みます。
「ただ、トゥイッターもいいですが、目の前のファンのことも気にしてくださいね。というわけで、新しく買ったエフェクターでの初めての演奏を、聞かせてもらってもいいでしょうか?」
「あっ、はい! 任せてください!」
私の言葉に明るく嬉しそうな笑顔を浮かべたひとりさんは、急いで新しいエフェクターを用意して、素晴らしい演奏を聴かせてくれました。
時花有紗:My new gearキャンセラー。ぼっちちゃんからの信頼が極めて高いため、承認欲求が暴走気味のぼっちちゃんをも止められる。本人としてはスタパデートもできたのでご満悦である。
後藤ひとり:原作では承認欲求に突き動かされMy new gearをして、更には反応もイマイチで打ちのめされたが、有紗への信頼度があまりにも高く「高い買い物をする時は相談」という言葉をちゃんと覚えていたので、散財を回避した。
承認欲求モンスター:有紗ちゃんいっぱい褒めてくれるし、満たしてくれるから好き。