珍しくひとりの方が提案してやって来たファミレス。夕食の時間には少々早いこともあってか、店内はある程度空いており、待つことなどは無かった。
席に座ってそれぞれ注文し、ドリンクバーで飲み物を取ってきて、料理が来るまでの間雑談をする。
「もうすぐSTARRYでの2度目のライブですね」
「あっ、はい。きっ、緊張はしますけど、前よりは少し気は楽です」
「2度目ですし、文化祭でもステージに立ちましたしね。そういえば、今回はチケットノルマは大丈夫ですか?」
「あっ、はい。今回はお父さんとお母さんは来れないですけど、がっ、学校の友達が2人来てくれるそうなので、大丈夫です」
妙な因果ではあったが、ひとりは文化祭でのライブ以降クラスメイトに友達と呼べる相手が2人できた。その2人がライブハウスでのライブにも興味を持ってくれて、今回のライブには観客として来てくれることになり、両親が来れない状況でも2人のファン、2人の友達、そして有紗のおかげで無事にチケットノルマを達成することができた。
「なるほど、それなら安心ですね。11月にもライブをするんでしたっけ?」
「あっ、はい。今回は、少し間が短めですけど、9月にはライブしてなかったので……」
「バンドとしての活動が安定しているのはいいことですね。ただ……」
「あっ、えっと……なにか気になることがありますか?」
少し考えるような表情を浮かべた有紗を見て、ひとりが心配そうに声をかける。その言葉を聞いた有紗は、軽く苦笑を浮かべつつ口を開く。
「気になるというほどでもないのですが、そろそろホーム以外のライブハウスでの演奏も経験してもいいかもと思いまして……」
「え? ほっ、他のライブハウス……ですか?」
「ええ、もちろん不安はあるとは思いますが、今後を考えると客層が違う場所での演奏の経験も積んでおきたいですね。まぁ、焦って行う必要はありませんが、メジャーデビューを狙うなら知名度は高めておいた方がいいでしょうしね」
「……あっ、た、確かに……有紗ちゃんって、マネージャーをしても敏腕そうですね」
「ふふ、そうですか? サポートスタッフとして動くことが少なく手持無沙汰気味なので、マネージャー業も兼務してもいいかもしれませんね」
そんな風に話して笑い合ったタイミングで、注文した料理が運ばれてきた。それを上品に食べながら、有紗は少し思考を巡らせていた。
(結束バンドの今後の課題はやはり宣伝等の発信力の不足でしょうか? STARRYのみでの活動ではどうしても常連相手ばかりになってしまいますし、知名度という点を考えれば情報発信の場は多い方がいいでしょうね。とはいえ、まだ結成1年未満……急ぎ足過ぎるのも問題ですが……)
結束バンドの実力自体はそれなりのものであるし、人を惹きつけるだけの魅力もあるが、メジャーデビューとなると課題も多く残っているというのが有紗の印象ではあった。
ただ、いまの段階であまり急ぎ過ぎる必要も無いとは感じていた。
「……あっ、えっと……有紗ちゃん」
「はい? なんでしょうか?」
「有紗ちゃんって、ピアノを弾くんですよね? 長くやってるんですか?」
「そうですね。いちおう3歳の時からなので、年数で言えばそれなりですね。3歳の頃をちゃんと弾けていたかと言われると首を傾げてしまいますが……」
「へぇ、あっ、有紗ちゃんが上手なのはキーボードの演奏を聴いて知ってるんですが、ピアノだとどんな演奏をするのかなぁって……」
それは本当に単純な好奇心からの質問だった。有紗がピアノを弾くことはかなり前から知っていたが、その演奏を聞く機会は一度も無かった。
キーボードの演奏であれば、路上ライブの際に聞いたが、あくまでキーボードであり演奏もコード弾きだった。なので、ひとりとしては一度有紗のピアノ演奏を聞いてみたいという思いがあった。
「私の演奏に興味がありますか?」
「あっ、はい。その、一度ぐらい聞いてみたいなぁとは……その、思います」
「なるほど、それは別に構わないのですが……ピアノが無いと」
「あっ、そうですよね。STARRYには無いですしね」
ライブハウスであるSTARRYにピアノは置いておらず、いざピアノを聞きたいという話になったとしても、ピアノを探すのもなかなか大変である。
それに気付き申し訳なさそうな表情を浮かべるひとりを見て、有紗は優しく微笑みながら口を開く。
「……ひとりさん、明日はスタジオ練習もバイトもありませんでしたよね?」
「え? あっ、はい。明日は土曜日ですけど、STARRYは休みで喜多ちゃんやリョウさんも予定があるみたいなので、練習は無しです」
「では、多少遅くなっても大丈夫ですか?」
「あっ、はい」
「それならよろしければ、食事のあとで……私の家に来ませんか?」
「え? あっ、有紗ちゃんの家に?」
突然告げられた提案に、ひとりは驚愕したような表情を浮かべる。それもそうだろう。なにせ有紗との付き合いはもうそれなりに長いが、基本的に有紗がひとりの家に来ることはあっても、ひとりが有紗の家を訪ねることは一度も無かった。
というかそもそも、ひとりは有紗の家がどこにあるかもよく知らなかった。
「私の家は松濤にあるので、ここから車で20分程度の距離ですし、当たり前ですがピアノもあるので」
「……あっ、えっと……だ、大丈夫なんですか? そそ、その、私みたいな庶民が尋ねても……」
「少し大きいだけの普通の家ですよ。食事のお礼ということで、ピアノを演奏しますので、ひとりさんさえよければ是非」
「あっ、は、はい。有紗ちゃんがいいのなら、お邪魔します」
思わぬところで自宅に誘われ、ひとりはやや緊張しながら頷いた。
(あ、有紗ちゃんの家って……どう考えても凄い家だよね? うん、少なくとも私の家のような感じなわけがない。は、反射的に返事しちゃったけど、だ、大丈夫かな? 庭にドーベルマンが居て襲い掛かってきたりとか、トラップとかあったりするんじゃ……)
有紗の家がどんな場所かは知らないが、豪邸であることは間違いないと確信していた。ここまでの有紗の金銭事情を見る限り、少なくとも普通の家が出てくることはあり得ない。
ただ、それでも、やはり興味はある。有紗の家に行ってみたいという気持ちには抗えず、不安を感じつつもひとりは有紗の家にお邪魔することを了承した。
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ファミレスから出て、有紗が呼んだ迎えの車に一緒に乗る。都合三回目の乗車となったロールスロイスだが、やはり未だに慣れないひとりは、若干落ち尽きない表情を浮かべていた。
「そうです、ひとりさん。もしよろしければですが、本日は泊っていきませんか?」
「はえっ!? え? 泊る? 有紗ちゃんの家に……ですか?」
「ええ、もちろんお義父様やお義母様の許可が出るならですが……客間はいくつもありますし、着替えも用意できますので、どうでしょう?」
「あっ、えっと、でも私が泊まったりすると迷惑なんじゃ……」
思わぬ提案であり、ひとりは困惑したような表情を浮かべる。ただやはり、相手が有紗であるからか泊ること自体にはあまり抵抗がない様子ではあった。
基本的にひとりの有紗に対する信頼度は極めて高い上……若干ではあるが、そういった友人宅への宿泊という行為に憧れもあった。
「そんなことは無いですよ。むしろ私としては、ひとりさんと長く一緒に居られるのは嬉しいです」
「あっ、うっ、えっと……有紗ちゃんがいいなら……はい」
「決まりですね。今日は夜は星がよく見えるみたいなので、一緒に見ましょうね」
「あっ、はい」
ひとりが宿泊することを了承すると、有紗は目に見えて嬉しそうな笑顔を浮かべる。ひとりの感覚としては夜に一緒に星を見るというのは、なんと言うかやたらお洒落な感じだなぁと思わなくもないが、有紗が喜んでいるなら水を差す気にもならなかった。
(なんか、変な流れになっちゃったけど……有紗ちゃん凄く嬉しそうだし、それなら、いいかな?)
そんな風に思いつつ、両親に今日は有紗の家に泊まることをロインで連絡した。すると、すぐに返信が届き外泊するのは構わないという返答だった。
そもそもの認識として、美智代や直樹から見ても有紗は極めて信頼できる相手であり、日頃からの付き合いも多いため安心である。
むしろ、長らく友達が居なかったひとりが、友人の家に宿泊する日が来ようとはと喜んでいる様子だった。
「あっ、お父さんもお母さんも問題ないそうです」
「それなら、よかったです。ああ、ひとりさん。寝衣ですが、希望はありますか? 用意させておきますので」
「あっ、えと……ジャージみたいなのがあれば……」
「ズボンタイプのものですね。分かりました。そう伝えておきます」
伝えておくという言葉を聞いて、ふとひとりはある疑問を抱いた。そう、誰に伝えるのかという問題だ。先ほどまでの有紗の口ぶりからして、家に有紗の家族は居ないはずだ。
ひとりも有紗とはそれなりに長い付き合いなので、有紗の母親が海外で活動していてあまり家に居ないことも、父親が仕事が忙しくあまり家に居ないことも知っているし、兄弟や姉妹が居ないというのも知っている。
「……あっ、あの、有紗ちゃん。有紗ちゃんの家って、もしかしてメイドさんというか……そういう人が居るんですか?」
「ええ、使用人の方々がいらっしゃいますね。それほど多くというわけではありませんが……」
「なっ、なな、なるほど……そういう家って、日本に実在するんですね……」
当たり前のように答える有紗の言葉に、ひとりは改めてこれから自分が向かう場所がとんでもないセレブ空間だということを再確認した。
正直、有紗が一緒でなければとっくに逃げ出していたかもしれない。
(ほ、本物のメイドとか居るって、やや、やっぱり有紗ちゃんの家って相当凄いよね? ま、まぁ、ここはもっと前向きに考えよう。私だって将来大ブレイクして、豪邸に住むかもしれないわけだし、実際の豪邸がどんな感じなのか知れると思えば将来のためになるよね! うん、大丈夫……)
まさしく未知の世界に踏み込むかのような心境ではあったが、それでも強引に自身を納得させるぐらいには、なんだかんだでひとりも有紗の家に行くという行為自体には乗り気な様子だった。
なんというか、有紗のことをまたひとつ知れると思うと、不思議と胸が温かくなるような……少しくすぐったいような、そんな気もした。
時花有紗:ダメもとで提案したが、ひとりが宿泊を了承してくれたことで内心滅茶苦茶浮かれており、少しいつもよりテンションが高い。ひとりと一緒になにをしようかと、いろいろ考えている。
後藤ひとり:初めて友達の家に泊まることになったぼっちちゃん……むしろ好感度的に考えて、有紗が押せば行けそうな気もする。いちおうメインの目的としては、有紗のピアノ演奏を聞くことである。