有紗の家に来て、衝撃を受けるほど素晴らしいピアノ演奏を聞き、その後時間を忘れて有紗とのセッションを楽しんだひとり……楽しく幸せで、笑顔を浮かべていたのも少し前の話、彼女はいま青ざめた顔に変わっていた。
「……あっ、ああ、あの、有紗ちゃん……こっ、ここは?」
「ひとりさんに使っていただこうかと思っている客室ですよ」
そう、今日はひとりは有紗の家に宿泊する予定であり、現在有紗から客室の案内を受けていた。だが、その部屋はひとりが想像していた以上に広く、煌びやかであり、まるでホテルのスイートルームのような空間だった。
(む、むむ、無理……陰キャに、こんな広くてキラキラした部屋は無理だよ!? もっと、こう暗くて狭い感じじゃないと……広すぎて落ち着かないし、家具とかどれもこれも高そうで怖いし、ここ、こんなところにひとりで泊まるとか絶対無理!)
あまりに豪華すぎる空間ということもあって、ひとりは完全に畏縮してしまっていた。そんなひとりの様子を見て、有紗は概ねひとりの思考を察した様子で、軽く苦笑を浮かべながら口を開く。
有紗としてもなんとなくひとりの反応は予想しており、一応客室を用意させこそしたが、たぶん使うことは無いだろうと思っていた。
「……ひとりさん、もしひとりで不安なようなら、私の部屋に泊まりますか?」
「あっ、有紗ちゃんの部屋がいいです! こ、こんな空間にひとりにしないでください……」
「ふふ、分かりました。それでは、私の部屋にしましょうか……少し手狭にはなってしまいますが」
「……あっ、いや、全然手狭じゃないです。有紗ちゃんの部屋、滅茶苦茶広いので……」
そもそも有紗の家自体、ひとりにとってはあまりにも巨大すぎて恐ろしく、有紗が傍に居ないと不安で仕方ないレベルである。
ともかく普段のひとりの生活とか別世界といっていい空間ばかりなので、有紗の部屋が一番心休まる場所であるのは間違いない。
有紗の部屋に戻ったひとりは、有紗に促されて室内にある大きなソファーに座っていた。視線の先には、65どころか、70インチは優に越えていそうな大型のテレビが見えた。
「ひとりさん、紅茶でいいですか?」
「あっ、はい……すっ、凄いですね。部屋にこんな大きなテレビまで……BDとかもいっぱい……」
「映画などもありますが、ライブのBDなどもありますよ。ロックについて勉強する際に使ったので」
「え? そっ、そうなんですか……あっ、本当だフェスとかのBDもいっぱい……」
「どれか見ますか?」
「あっ、えっと、それじゃあ……どれがいいですかね? このフェスも見たかったですし、こっちは好きなバンドが……」
やはり好きな分野になると食い付きが違う様子で、ひとりは有紗がテーブルの上においた様々なライブBDを見て悩まし気な表情を浮かべていた。
その様子を微笑まし気に見つつ、有紗は紅茶を用意してひとりの前に置いた。
「どうぞ」
「あっ、ありがとうございます……こういうのって、使用人さんとかがやるのかと思ってました」
「食堂などではその形ですが、私室では自分で淹れますね。私やお父様の部屋に入れる使用人は限られていますし、身の回りのことはできるだけ自分で行うようにしていますね」
「なっ、なるほど……あっ、美味しい」
「お口に合ったようなら、よかったです」
ひとりの言葉に微笑んだあと、有紗はひとりの隣に腰を下ろす。
(なんだろう、少しフワフワするっていうか、有紗ちゃんの部屋で有紗ちゃんとふたりって思うと……変な気持ち。安心してるのか緊張してるのか、よく分からない感じ……けど……)
隣で上品に紅茶を飲む有紗に視線を向けぼんやりと横顔を見ていたひとりだったが、その視線に気づいた有紗が振り向いて首を傾げる。
「どうしました?」
「あっ、いや、なんでもないです!? えっと、ここ、これが見たいです!」
「分かりました」
変に有紗を意識してしまっているかのような、なんとも言えない気恥ずかしさを感じつつも、嫌な気持ちはしない。しかし、どうも自分の心がよく分からないような感覚がくすぐったい気分だった。
ひとりが選んだBDをセットして、隣に戻った有紗と一緒にロックフェスのBDを見始めた。
なんとなく落ち着かない気持ちだったせいだろうか、無意識に安心を求めるようにひとりの手は有紗の手に触れており、それに気付いた有紗は優しく微笑んだあとでひとりと手を繋いで視線をテレビに戻す。
掌に感じる温かな温もり、安心する気持ちと落ち着かない思考、本当に奇妙な感覚ではあったが……ひとりは、小さく微笑みを浮かべた。
(なんか、変に落ち着かないけど……嫌な感じじゃない。有紗ちゃんとこうしてると、なんか温かくて好きだなぁ……)
****
ライブBDを見終わった後、それなりにいい時間だったので入浴を済ませて、有紗とひとりは広いベランダに出て火照った体を冷ましつつ星を眺めていた。
「そろそろ夜は少し肌寒くなってきましたね」
「あっ、そうですね。冬が近づいてきた感じですね」
「そういえば、寝間着のサイズは問題ありませんか?」
「あっ、はい。上品過ぎてちょっと落ち着かないですけど……服に負けてる感が強いです」
ひとりは、上品で綺麗な寝間着を着ており、普段とは違った雰囲気のその姿に有紗が数秒硬直するというハプニングはあったものの、それでも私服、メイド服を経て学んだおかげもあって今回は暴走することは無かった。割とギリギリではあったが……。
「いえ、むしろひとりさんの容姿であれば、どんな服を着ても可愛いと思いますよ。実際、いまの姿もとても愛らしく見惚れてしまいます」
「……そっ、それは、有紗ちゃんだけのような……でっ、でも、ありがとうございます」
有紗がお世辞を言ったりしているわけでは無く、心からそう思って口にしていることは付き合いの長いひとりも分かっており、小さく苦笑を浮かべる。
そのあとで不意に空を見上げてみると、天気がよくある程度は星が見えた。
「あっ、星はそこそこ見えますね」
「今日は天気がいいですが……都会だと、このぐらいが限界ですね。冬休みに旅行に行く際は星空が綺麗に見える場所もいいかもしれませんね」
「あっ、そうですね。有紗ちゃんは、どこか考えてたりするんですか?」
「あくまで現時点ですが、冬ですし温泉などがいいかなぁと考えています。電車で行けるのでアクセスもいいですしね」
「あっ、温泉……そういえば、本格的な温泉地とかは、行ったことないかもしれません」
有紗とひとりは冬休みに一緒に旅行に行くことを約束しており、有紗は現時点では温泉旅行を考えている様子だった。
(有紗ちゃんと一緒に温泉……温泉街とか、そこまで人が多いイメージもないし……いや、多いときは多いんだろうけど、それでも旅館とかで有紗ちゃんとのんびりできるのは……楽しそうだなぁ)
あちこち観光に回ったりという計画ではなく、温泉地でリラックスという方向の計画のようで、インドア派のひとりとしても賛成だった。
映えスポットなどを回ったりというわけでもないのであれば、ゆっくりできるし、有紗が一緒なら人が多い観光地でもある程度は安心だと思っている。
「あっ、この辺りからだと熱海とかですかね?」
「少し時間はかかりますが、草津温泉も行ける範囲ですね」
「なっ、なるほど……」
そのまま有紗とひとりは、しばらく冬の旅行について楽しく会話を続けた。
****
ベランダで会話を楽しんだあと、夜も更けてきたこともあって室内に戻る。その後もバンドやライブについてなどの他愛のない話をふたりで楽しみ、いい時間になったのでそろそろ寝ようという話になった。
「ベッドのサイズが大きくてよかったです。ああ、ひとりさん、この枕を使ってください」
「あっ、ありがとうございます」
有紗から枕を受け取り、クイーンサイズはあろうかという大きなベッドを見て、ひとりはふと考える。
(……あれ? なんか、えっと……同じベッドで寝るような感じになってない? あ、あれ? いつの間にそんな話に!? わ、私はソファーとかで寝るとばかり……)
ひとりはそもそも広い客室では落ち着かないということもあって、有紗の部屋に泊まることに決めた。言ってみれば、己のワガママでそうしてもらったという自覚があり、彼女はソファーなどで寝るつもりだった。
有紗の部屋のソファーはかなり大きく、余裕で寝ることもできるだろうと……だが、当然ではあるが、有紗がひとりをソファーで寝させるようなことをするかと言えば、それはあり得ない話だった。
「ひとりさん、どうぞ」
「え? あっ、あの、有紗ちゃん?」
「はい?」
「あっ、いや、なんでもないです」
ベッドに入ることを促す有紗になにかを言おうとしたが、結局口にすることは出来ずひとりはベッドに入った。驚くほど柔らかく雲の上に寝ているかのような感覚の質のいいベッドに感動しつつ、思考を巡らせる。
(……そもそも、友達の家に泊まるってこういうことなのかな? ベッドで寝てる人の家に泊まるなら、予備の布団とかなければ一緒のベッドで寝ることになるわけだし、有紗ちゃんの部屋のベッドは凄く大きいし、ふたりでも余裕に寝れるから……う、うん。普通、普通……)
心の中で己に言い聞かせるように思考を巡らせるひとりだったが、直後に枕元の照明以外が消されて、部屋が暗くなったことでビクッと体を動かす。
少しすると、布団が動く感覚がして有紗が同じ布団の中に入ってきたことが分かった。幸いベッドの大きさもあって接触などは無かったが、ひとりの心臓はうるさいほどに脈打っていた。
「ひとりさん、寝心地は悪くないですか?」
「あっ、ひゃぃ! 結構な、お点前です!」
「ふふ、なぜ急に茶道なんですか?」
「あっ、いや、えっと……な、なんか変に緊張しちゃって……」
楽し気に笑う有紗の声に導かれるように体を反転させて向きを変えたひとりの目に、微笑む有紗の顔が映った。
いかに大きなベッドとはいえ、同じ布団の中に入っている以上、接触がなくとも距離はかなり近かった。
(顔近っ!? あわわ……な、なんでこんなにドキドキしてるの? あっ、アレだ。有紗ちゃんが相変わらず綺麗すぎて、顔面戦闘力が高すぎるせいだ……う、うん。きっとそう!)
混乱した頭で思考を巡らせて、更に混乱するという悪循環を生みつつも、なんとか落ち着こうとしていたひとりに有紗が声をかける。
「明かりを消しますね?」
「あっ、はい!」
その言葉によって枕元の照明も消され、暗くなった部屋の中でひとりはさらに緊張を高めていた。
(な、なんか、暗くなったせいかな? 有紗ちゃんの息遣いが聞こえる気がするし、なんかいい匂いも……うぅぅ、落ち着かない。こ、これ、寝れるかな?)
ともかく思考が落ち着かず、このままでは眠れないと思っていたひとりだったが、直後に右手に温かな感触を覚えた。
まだ夜の闇に目が慣れていないが、有紗が手を握ってきたのだと理解できた。そして、それが緊張するひとりを安心させるためのものだと察することができて……ひとりの肩から少し力が抜けた。
「ひとりさん……おやすみなさい」
「あっ、はい……おやすみなさい、有紗ちゃん」
優しい声と手に伝わる安心できる温もり……慌てふためいていた心があっという間に落ち着いていくのを感じ、同時に眠気を覚えた。
手を繋いでいるということで、有紗が傍に居てくれると実感できるからだろうか? 少なくとも、先ほどまでの緊張はどこかへ消え、ひとりの意識は温かなまどろみに沈んでいった。
時花有紗:ひとりと一緒なので、基本的にずっと幸せいっぱい。ひとりとの旅行では温泉旅行を計画中。
後藤ひとり:有紗の部屋に泊まるとは言ったが、まさか同じ布団で寝るとは思わなかったのでかなりアタフタしていたが、やっぱり有紗と一緒だと安心できるのか、なんだかんだでぐっすり眠った。明らかに意識している場面が増えてきた印象。
Q.入浴シーンは?
A.温泉旅行の醍醐味なのでそこまでお預け