ぼっちな貴女に恋をして   作:ぬこノ尻尾

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二十五手混乱の目覚め

 

 

 さて、お父様はよく仰られていました「想定外の事態にこそ、いつも以上に冷静であるべき」と……想定外の事態は起こりうると考えた上で、起こったことに対して冷静に対処することが最も重要だと……。

 私もその言葉を胸に、日々冷静であろうと努めています。想定外の事態が起こった際にも、落ち着いて己のできる範囲で最善手を打てるようにと、メンタルコントロールには注意しています。

 しかし、そう思う通りに行かないのも人間です。私はいま思わぬ事態に動揺して、困惑してしまっていました。

 

 これまでの人生の中で、これ程までに迷い悩んだことは初めてかもしれないというほど、私は現在思考の渦に囚われていました。

 

 事の発端は朝の目覚めでした。私は寝覚めはいい方で、いつも朝はスッと起きることができます。今日もいつも通り目覚めた私の目に飛び込んできたのは……そう、ひとりさんの寝顔でした。

 地上に舞い降りた天使かと思いましたし、私は初めて人は真に美しいものを見ると何も考えられなくなってしまうのだと知りました。

 あどけないひとりさんの寝顔に、私の思考は一瞬で真っ白になりただただその奇跡のような愛らしさに見惚れてしまいました。5分ほどで我を取り戻した己を褒めてあげたいぐらいです。

 

 普段の愛らしい表情も好きですし、ギターを演奏する際のカッコいい表情も愛おしいですが、安心しきった表情の無垢な寝顔は、それらとはまた違った魅力があり凄まじい破壊力でした。

 叶うのなら今すぐに写真を撮って、スマートフォンの待ち受けに設定したいですが……本人の承諾も得ずに寝顔を撮影するわけにはいきませんので、我慢します。

 

 ともかくひとりさんの寝顔は大変愛らしく素晴らしいわけなのですが……私が動揺している要因は寝顔ではありませんでした。

 問題は現在の私の状況……私の体にはひとりさんの手が回され、ひとりさんは私にしがみつく様にして眠っています。

 つまるところ、私の体を抱き枕の様にして眠っているわけです。

 

 ああいえ、抱き枕にされていることは別にいいのです。むしろ幸せですし。何かを抱きしめて眠るというのは、寝姿勢を安定させる効果もありますし、睡眠の質を高めるセロトニンも分泌されて睡眠の質が上がるとも言われています。

 ひとりさんの快眠の一助となれるのはむしろ喜ばしいことなのですが……問題はこれからどうするか……その一点に尽きます。

 

 まず状況を考えて、このままひとりさんが目覚めた場合は、ひとりさんの性格上相当の羞恥を味わうことになるはずです。

 となると、この場において私の行うべき最善手は、ひとりさんが眠っている間に手を解き、ひとりさんが目覚めたら何事も無かったかのように挨拶をする。そう、それが最善です。

 

 ……最善だと……頭で、理解は……しているのです。

 

 ですが、人の欲望とはかくも御しがたいもので……ひとりさんに抱きしめられているというこのシチュエーションが幸せ過ぎて「あと少し」「もう少しだけ」という気持ちがひっきりなしに沸いて来て、行動を起こすことができないのです。

 正直、手を解きたくないです。もうしばらくこうして幸せな温もりを感じていたいです。ですが、ひとりさんのことを思うなら、ここは……うぅぅ……。

 

 最善と欲望の狭間で揺れ、頭が混乱して結論を出せずにいる状況……得てしてそういう時は、状況は好転しないどころか、悪化するものです。

 

「……んんっ……有紗……ちゃん?」

「あっ……」

 

 私が悩んでいる間に、ひとりさんが軽く身じろぎをしたあとで薄っすら目を開け……私とバッチリ目が合いました。

 結局最善手は打てませんでした。反省すべきですが、いまは現状に目を向けましょう。

 

「あっ、あれ? なんで有紗ちゃんがこんなに近くに……えっと………………え?」

 

 少し眠たそうな目で私を見て呟いたあと、ひとりさんは私の体に回している己の手を見て、もう一度私の顔を見て、なにかに気付いた様子で目を見開きました。

 ……とりあえず、初手は最善手は打てませんでしたが、ここから先は最善手を打てるように努めましょう。そう考えた私は、どんどん顔を赤くしていくひとりさんの背中にそっと手を回しました。

 

「あっ、わわ、わわわ、私、ああ、あの、その……ごめんなさ――ひゃぅっ!?」

 

 そして、慌てて手を離して飛び退く様に私から離れようとしていたひとりさんの体を抱きしめました。

 

「あっ、あああ、有紗ちゃん!? ななな、なにを……」

「いえ、勢いよく離れると、ベッドから落ちてしまうので……とりあえず、少し落ち着いてください」

「……あっ……す、すす、すみません」

 

 とりあえずひとりさんが羞恥のままに飛び退いてベッドから転落するという状況は防いだので、ひとりさんに落ち着く様に告げてから手を離します。

 

「それと、ひとりさんは誤解しているかもしれませんが……どちらが先にしがみついたかは、よく分からないんですよ」

「……え? えっと、それはどういう?」

「いえ、実は私が先に起きた際に、私とひとりさんは互いに互いを抱き枕にするような姿勢で眠っていたので……もしかすると、先に私がひとりさんにしがみついてしまった結果かもしれません」

 

 嘘ではありますが、時に嘘は人を救います。自分が寝ている間に抱き着いたかもしれないというよりは、どちらが先に抱き着いたかは分からないとなった方が、ひとりさんの精神的にもいいでしょう。真実を知るのは私だけなので、バレる心配もありません。

 

「なので、この件はお互い様と……そういうことにしませんか?」

「あっ、あぅ……はっ、はい」

 

 もちろんこれでひとりさんの羞恥が解消されたわけではありません。現に今も耳まで真っ赤になっていますし……なのでこうして話しに一区切りを作ることで、この話はひとまずここで終わりという雰囲気にして、これ以上その話題に触れないようにします。

 こういう状況でアレコレと言葉を重ねても逆効果になる場合が多いですしね。

 

「さて、顔を洗って朝食にしましょうか」

「……あっ、はい」

 

 努めて明るい声でそう告げると、ひとりさんも少しだけ安堵したような表情で頷いてくれました。

 

 

****

 

 

 顔を洗って服を着替えたあとは朝食です。本来は食堂で食べるのですが、おそらくひとりさんが畏縮してしまうので、私の部屋に運んでもらうことにしてスマートフォンで使用人に連絡します。

 

「あっ、そうやって指示を出すんですね。てっきりハンドベルみたいなのを鳴らすのかと……」

「もしかしたらそういった家もあるかもしれませんが、私の場合はほぼスマートフォンですね。使用人の方々には作業着と共に業務用のスマートフォンが支給されているので、アプリを使って指示等の連絡はしますね」

「あっ、現代的ですね」

 

 たしかに映画などではハンドベルを鳴らしてメイドを呼ぶようなシーンも多いので、ひとりさんの想像は一般的と言えます。ただ、私個人の話であればハンドベルを用いて使用人を呼んだことはありませんね。

 

「ハンドベルは誰でもいいから近くの使用人を呼ぶというのには適しているかもしれませんが、距離があると聞こえない可能性もありますね。あと、私やお父様の部屋に入れる使用人は限られているのも要因かもしれません。まぁ、私はハンドベルで使用人を呼んだことはないので、完全に想像ですが……」

「なっ、なるほど、でも、こうして聞くとたしかにスマホで呼んだ方が効率は良さそうですね。内容も文面で伝えられますし、コミュ症的にも安心です」

 

 そんな話をしていると、使用人の方が朝食を運んできてくれました。室内の大き目のテーブルの上にふたり分の朝食を綺麗に並べてくださいます。

 

「ありがとうございます。手間をかけて申し訳ありません」

「いえ、お嬢様の頼みとあればお安い御用ですよ。それでは、また食べ終わってお下げする際にはお呼びください」

 

 そう言って綺麗な礼で頭を下げて出ていく使用人を見送ったあとで、ひとりさんと一緒に朝食を食べることにします。

 

「あっ、す、凄い品数……しかも滅茶苦茶お洒落……こっ、これがセレブの朝食」

「ふふ、普通の朝食ですよ。では、食べましょうか」

「あっ、はい……いただきます」

 

 行儀よく手を合わせていただきますと宣言したあとで、ひとりさんはクロワッサンを一口食べて目を輝かせました。

 どうやらお口には合ったようで、美味しそうな表情がとても可愛らしいです。朝からこうしてひとりさんの愛らしい姿を見られるのは、本当に幸福だとしみじみ思いますね。

 

「……そういえば、ひとりさん。今日はどうしますか?」

「あっ、えっと、STARRYのバイトもスタ練も休みなので、特に予定は無いです」

 

 ひとりさんの今日の予定は空いているということは、このまま一緒に居ても問題ないということです。大変素晴らしいですが、私の欲望ばかりを押し当すわけにも行きません。

 頭の中である程度これからの予定を組み立ててから、ひとりさんに提案します。

 

「では、ひとりさん。こういうのは、いかがでしょう? この後は昼近くまでのんびり過ごしましょう。雑談をしたりテレビを見たり、また演奏するのもいいかもしれません」

「あっ、はい。昼からは、どうしますか?」

「ひとりさんの家に向かう形で出発して、途中で昼食を食べたり興味がある場所があれば買いものに寄ったりしましょう。そして、ひとりさんの家に着いたら、ひとりさんの都合が大丈夫であれば引き続き一緒に遊ぶということで……」

「いっ、いいですね。楽しそうです」

 

 私の提案にひとりさんも乗り気な様子で、小さくはにかむ様に微笑んでくださいました。ひとりさんの家に着いたあとは、概ねいつも通りひとりさんの演奏や作詞風景を眺めたり、他愛のない雑談をしたりしつつ一緒に過ごす感じですね。

 私はひとりさんと同じ空間に居るだけで凄く幸せですし、最近はひとりさんも演奏や作詞への意見を求めてくれたり、ひとりさんの方から話を振ってくれることも多くなったので、最初のころよりずっと楽しいです。

 

 今日もまたひとりさんと一緒に過ごせると思うと、胸が弾み自然と笑顔になりますね。ひとりさんも同じような気持ちでいてくれたら、とても嬉しいです。

 

 

 

 




時花有紗:今回は珍しく、かなり焦って困惑していた。基本的に判断が早い有紗としては珍しい。冷静な彼女が己を律するのが難しいほど、ぼっちちゃんのハグは幸福だったのだと思われる。

後藤ひとり:寝ている時に無意識で有紗に抱き着いて抱き枕に……それはすなわち、体は無意識に有紗という温もりを求めている証拠では? なお、もう既に有紗がパーソナルスペースに居ることは、まったく精神的負荷にはなっていない模様で、長く一緒に居られることに喜んでおり、当初からは想像もできないほど好感度は上がっている。
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