後藤ひとりにとって時花有紗は、初めてできた友達であり、同時に……理解の及ばない存在だった。
とりあえず朝家を出てすぐに有紗の顔があった時には、思わず意識が飛びそうになるほど驚愕したものだ。そしてさらに説明を聞き、ひとりと一緒に登校したいがために近場にホテルを取って来たという話を聞いた時には、軽く眩暈がした。
(……まだ付き合いが短いけど、分かってきた。有紗ちゃんって、思い付いたら即座に動く行動力の化身なんだ。その上突拍子もないことでも、実行できちゃうだけの財力もある)
まだ有紗と知り合って3日程度ではあるが、それでも有紗の行動力が凄まじいのは実感していた。精々朝に2時間程度一緒に通学するためだけに前日からホテルに宿泊してやってくるなど、普通は思い付いたとしても実行しない。だが、有紗は実行する。
出会ってから3日で、プロポーズ、自宅訪問、朝の出待ちとジェットコースターのように急展開を引き起こすさまは、圧巻の一言だった。
「あまり長々と話しても遅れてしまいますので、さっそく参りましょう」
「あっ……はい」
ひとりにとって有紗は一種の嵐である。人が嵐に抗えないのは道理……結果として、ニコニコと笑顔で告げる有紗に、ひとりは顔を崩壊させながら頷く他なかった。
そのままふたりで駅に向かい。電車に乗って並んで座る。チラリと横を見てみると、楽し気な表情を浮かべている有紗が居る。
(……なんか、不思議と電車が似合わない。見た目がリムジンとかで送迎されてそうなお金持ちオーラがあるせいかな? 見た目だけなら凄く大人しそうなお嬢様って感じなんだけど……行動力が凄すぎるんだよね)
そんなことを考えつつ他愛のない会話をしていたひとりだったが、有紗がなんの気なしに告げた言葉に硬直することとなった。
「なるほど、ちなみに普段学校ではなにをされているんですか?」
「ふ、ふふ、普段学校ではなにを!?」
いわばそれは油断していたところに繰り出される強烈なボディーブローのような重さのある一撃だった。普段学校でなにをしているか? それは、陰キャぼっちに対して精神を殺しかねないような破壊力のある質問である。
さすがにひとりの反応は予想外だったのか、有紗は少し戸惑ったような様子で言葉を続けた。
「え、ええ……あっ、休み時間などのお話です」
「や、休み時間……あっ、え、ええと……」
それは有紗にしてみれば、内容を明確にするために告げた補足ではあったが、ひとりにとって追撃のストレートパンチに等しい。
なぜなら、なにも無いのだ。学校に友達はおろか挨拶を交わす相手すらいない状態のひとりが、休み時間になにをしているかといえば……なにもしていない。虚無の時間である。なんなら「早く学校が終わってくれ」と祈りながら、寝たふりをしている時間である。
「やはりお友達とロックの話などをされているんでしょうか?」
「おお、お、おと、お友達……」
「あの、ひとりさん? 大丈夫ですか?」
そして、留めとばかりにコークスクリューパンチのような痛烈な言葉が投げかけられ、ひとりの精神はもはやノックアウト寸前である。
当たり前のように、ひとりにも友達が居るという前提で話す言葉。悪意がないからこそ、その言葉は強烈にひとりの精神に突き刺さった。
しかしさりとて、人とは見栄を張る生き物である。ここで素直に、友達はおろか話す相手も居なくて寝たふりをしていますと返答するのは、ちっぽけなプライドが邪魔をした。
結果としてひとりは、大量の汗をかき、明らかに嘘をついていると顔に書いてあるような表情で小さく呟いた。
「……あっ……その……休み時間は、く、クリエイティブな活動とかを……」
「クリエイティブな活動? ああ! オリジナル曲を作ったり、作詞したりということですか? さすがの熱意ですね」
だが、その明らかに嘘と思わしき言葉であっても、素直に信じて賞賛する有紗の笑顔を見ると、今度は強烈な罪悪感を覚えた。
見栄を張って嘘をついた己があまりにも哀れで醜く思えた。結果、ひとりは湧き上がる罪悪感に耐え切れず、死んだ魚のような目で本当のことを口にした。
「………………ごめんなさい。嘘です。休み時間は、基本的に寝たふりをして過ごしてます」
一度口にしてしまえばスラスラと言い出せなかったことが口を突いて出てきて、ひとりはそのまま懺悔するかのように言葉を続ける。
「……あっ、その、私、中学時代というか……ずっとひとりも友達がいなくて……それどころか、中学時代にやらかして、誰も自分を知らない高校に行きたくて選んだだけで……高校行ってもなにも変わらず……バンドをやりたいと思ってもなにもできず……ネットでひとり演奏してるだけのクソ陰キャです。すみません」
「そうだったんですか……ひとりさん、ひとつよろしいですか?」
「あっ、は、はい」
ひとりの話を聞き終えた有紗は、なにやら難しい表情でひとりの方を見つめてきており、その視線に思わず背筋が伸びた。
(あ、有紗ちゃん怒ってるかな? そ、そうだよね。聞かれなかったからって、陰キャでコミュ症でダメダメなことも、全部隠してたわけだし……怒って当然だよね)
ひとりは有紗の表情を怒りと捉えた。好意を向けていた相手の情けない正体を知り、失望と怒りを抱いているのだろうと、そう思った。
「……その、浅学で申し訳ありません。たまに聞くことはあるのですが、詳しく意味を理解しておらず……陰キャとは、どういう意味なのでしょうか?」
「……はえ?」
だが実際はまったくそんなことは無く、真剣な表情で予想外の質問を口にする有紗を見て、ひとりはポカーンと呆けたような表情を浮かべた。
そのあとで陰キャという言葉の意味を説明すると、有紗は納得した様子で頷いたあとで、心底不思議そうに首を傾げ、陰キャという言葉の説明はひとりには当てはまらないと、当たり前のように告げた。
そして、戸惑うひとりに対し、優しい微笑みを浮かべながら言葉を続ける。
「私はひとりさんと会話していて不快に感じたことなどありませんし、むしろ楽しいです。陰気や陰湿と感じたこともありません。あまり自身を卑下し過ぎるのはよくないと思いますよ」
「……有紗ちゃん」
まだ有紗とは知り合ったばかりではあるが、その言葉に微笑みに他意は一切感じず、心からそう思っていることが伝わって来た。
(有紗ちゃん……や、優しい!)
有紗はたしかに異常な行動力で、ある意味でひとりは振り回されていると言っていい状態ではある。しかし、性格的な部分でいえば、心優しい性格である。
優しくフォローしてくれる言葉に、ひとりは感極まったような表情を浮かべる。彼女はそもそもの対人経験が少ないので、こういった優しい対応に弱い……もといチョロい。
「それにもうひとつ訂正を……ずっと友達がいないと仰られていましたが、いまはほら、ここに居ますよ? 友達一号です。ふふ、私がひとりさんの初めての友達というのも、なんだか嬉しいですね」
「……あっ……は……はい」
「これまでがどうであれ、些細なきっかけで大きく好転するというのはままあるものです。ひとりさんは高校に入ってたった2週間で、中学時代3年かけても出来なかった友達を作れたわけですし、むしろ凄いことではないでしょうか? この調子でいけば、更に2週間後にはもうひとり……いえ、ふたり以上の友達が増えていてもおかしくないですよ。バンドに関しても……いまはまだ、見つかってないだけですよ」
「……あっ、ありがとう……ございます」
このように優しく気遣うような言葉を掛けられてしまえば、それでもう振り回されていることなど遥か忘却の彼方。ひとりの心の中では、有紗は最高の親友と言えるようなレベルまで地位を爆上げしていた。
その後、休み時間にロインでやり取りもしようと約束をしたあと、有紗に告げた礼の言葉はもちろんひとりの本心ではある。
(……私、有紗ちゃんと友達になれて、よかった)
早朝に顔を見て悲鳴を上げかけてから1時間も経たないうちに掌は綺麗に返り、ひとりは有紗と出会えたことを感謝していた。
有紗の言う通りここから自分のリア充生活がスタートしていくのだと、そんな気持ちにすらなっていた。有紗との交友関係……友達となった切っ掛けが一般的なものとはとても呼べないものであるため、別にひとりのコミュ力が友達0状態から上昇していたりなどということは無いのだが……。
しかし、事実とは奇妙なもので、図らずも有紗が口にした2週間後にひとりに大きな転機が訪れることとなった。
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下北沢にあるライブハウス「STARRY」、そこにある練習用のスタジオにて、後藤ひとりは完熟マンゴーと書かれた段ボールの中で、不安に身を小さくしていた。
そもそもの経緯として、高校に入学してから一ヶ月ほどとなり、有紗という初めての友達こそ得たものの、ひとりの夢だったバンド活動は行えていなかった。
ただ、有紗という友達ができたことでマイナスに傾きかけていた思考も持ち直し、バンド活動を行うために行動を起こしてみようと前向きに考えられるようになった。
その第一歩としてギターを持ち、バンド女子らしい恰好をして高校に登校するという策を実行したのだが、己から周囲に声をかけたり、軽音部に所属したりする勇気はなく、残念ながら成果は得られなかった。
しかし、奇妙なところに縁は転がっているもので、学校からの帰り道にてギターボーカルに逃げられて代わりとなるギタリストを探していた伊地知虹夏に声を掛けられ、成り行きから彼女が率いるバンド「結束バンド」の初ライブに参加することになった。
そこまでは問題なかったし、ひとりとしてもずっとやりたかったバンド活動にライブが行えると乗り気ではあった。だがその乗り気は、自身はギター演奏が上手いという前提によって支えられていた感情だった。
たしかに中学時代から毎日6時間練習を続けたひとりの腕前は既にセミプロレベルではあった。しかし、それはあくまで単独で演奏する場合なら……である。
ひとりは他者と一緒に演奏した経験がなく、他のメンバーと呼吸を合わせることが重要なバンドにおいては、経験不足から本来の実力をまったく発揮することができなかった。
結果、彼女の前向きな思考を支えていた自信は砕け散り、残るのは観客の前で演奏することに対する恐怖のみだった。
一度は演奏することを諦めかけたが、己を気遣ってくれる虹夏、同じ結束バンドの山田リョウの言葉を受け参加を再度決意。それでも観客の前で演奏することは恐ろしいためリョウが用意したダンボールを重ねて、その中に入って演奏することとなった。
情けない己に対して、笑顔で「次頑張ろう」と、この先を示してくれる虹夏の笑顔に支えられ、いよいよ本番に向かおうとするタイミングでひとりのスマートフォンが通知音を鳴らした。
(あっ、スマホは置いていかないと、ライブ中に鳴ったら大変……いまの通知は……有紗ちゃんから?)
スマートフォンを確認すると、そこにはライブに出ることが決まってすぐ、心折れる前に有紗に送ったロインへの返信が届いていた。
『経緯はわかりませんが、よかったですね。初めてのことで不安や恐怖も沢山あると思いますが、夢に向かう第一歩ですね。どうか後悔だけは残さないように、楽しんでください。応援しています』
「……」
有紗らしい丁重な、そして心から喜び応援してくれていることが伝わってくるメッセージを、ひとりは静かに見つめる。
後藤ひとりにとって、時花有紗の存在は……現時点では、心の支えにはなり得ない。当然だ。彼女と有紗の交流はまだ2週間程度であり、いかに性格的な相性がよく、2週間でそれなりに親しくなれたとしても、それが劇的な変化を及ぼすには、あまりにも時間が短すぎる。
だが、それでも、なんの影響もないわけでは無い。
「……ぼっちちゃん、どうしたの? やっぱり怖い?」
「……あっ、ああああ、あの! リョウさん、だ、だだ、ダンボール、ありがとうございました!」
この瞬間、時花有紗という友達の心からの応援のメッセージは、恐怖に震える後藤ひとりの背を、微かに……しかし確かに押してくれた。
被っていた段ボールを脱ぎ捨てて立ち上がるひとり。その表情はいまだ恐怖に青ざめてはいたが、目には先ほどよりも強い光が宿っていた。
「ぼっち、大丈夫?」
「あっ、は、はい! こ、怖いのは変わってないです。たぶんお客さんの顔とかも見えませんし、足だって震えます。けっ、けど、私、ずっとバンドやりたくて、それでもできなくて……やっと踏み出せるかもしれない一歩で、後悔したくないんです!」
ひとりのその宣言を聞いて、虹夏とリョウは顔を見合わせて頷き合い、ひとりに向けて笑顔を浮かべる。
「うん! 一緒に頑張ろう!」
「頑張ろ」
「はっ、はい!」
奮起したひとりは、段ボールを被ることなくライブステージに立った。視線を上げることは出来ず、足も震えてはいたが……それでも、確かに夢に向けて一歩を踏み出した。
****
ライブを終えSTARRYからの駅に向かう帰り道、ひとりは有紗にロインを送る。そして新しく虹夏とリョウの名前が増えたロイン画面を見て、ひとりが少し微笑んだタイミングでスマートフォンが着信を知らせた。
「あっ、も、もしもし」
『急に申し訳ありません。電話しても大丈夫でしたか?』
「あっ、大丈夫です」
電話をかけてきたのは有紗であり、聞き覚えのある優しい声が聞こえてきた。
『初ライブ、どうでしたか?』
「あっ、えっと……私、全然人に合わせて演奏できなくて、全然いつもの実力が出せなくて、観客は怖くて顔も上げられなくて、足も震えて駄目駄目で……でも……でも……楽しかった……です」
ひとりにとっては、初めての誰かと共に行う演奏であり、いまも頭には鮮明にその時の思い出が蘇る。たしかに上手くは出来なかったし、反省点はそれこそ山のようにある。
それでもずっと夢に見ていたバンドとしての演奏は、彼女が思い描いたよりずっとキラキラと輝いていた。
『第一歩……踏み出せましたね』
「……はい!」
『けど、残念ですね。私も、ひとりさんのライブを聞きたかったです。次の機会には、呼んでくださいね』
「あっ、はい。必ず……えっと、有紗ちゃん」
『はい?』
「……あっ、ありがとうございました。えと、私、頑張りますね」
『う、うん? よく分かりませんが……ええ、応援しています』
当たり前ではあるが、有紗には己の送ったメッセージがひとりの背を押したことなど分かるはずもなく、唐突なお礼の言葉に不思議そうな様子だった。
だが、その後に続けられた応援の言葉は温かく心に染みるようで、明日からまた頑張れるような気がして、ひとりは口元に小さく笑みを浮かべる。
そのまま、駅に着くまでの少しの間、ひとりはライブの余韻を感じながら有紗との会話を楽しんだ。
後藤ひとり:チョロい、可愛い。2週間で有紗への好感度はかなり上がっており、それなりに仲良し、なおまだまだ恋愛感情的なのは欠片もない。
完熟マンゴー仮面:そんなものはない。