結束バンドに所属して初めてのライブを終えて数日、ひとりはバンドメンバーである虹夏とリョウに呼ばれ、様々な話をした。
学校での話や音楽の話など親睦を深めるために様々な話をしたあとで、バンドのノルマについての話になった。ライブハウスにはチケットノルマがあり、集客が見込めない内はライブごとに数万円という金額を自腹で支払う必要がある。
そのノルマ代を稼ぐためにバイトをしようという話になったのだが、それはひとりにとっては一大事だった。
コミュ症のひとりにとっては人と関わるバイトは想像するだけで気を失いそうになるほどの恐怖の対象であり、母親が溜めてくれている結婚資金用の貯金を差し出してでも働きたくないと告げるほどだった。
もちろんその貯金を差し出すことは虹夏によって却下されたのだが、働きたくないひとりは必死に思考を巡らせ……そして頭に思い浮かんだのは、有紗の姿だった。
「……あっ、あの、『私を狙っているお金持ちの知り合い』が居るので、わ、私が身を差し出せばきっといっぱいお金くれると思うので、そ、それで……」
「もっと駄目だよ! なんてこと言い出すの!?」
「ぼっち……ロックだ」
「駄目なロックだよ! ぼっちちゃん、自分のことは大事にしないと駄目だからね!!」
ひとりがあまりにも説明下手なこともあって、当たり前ではあるが提案は猛然と却下された上に、虹夏からの軽い説教も受けることになった。
その後なんやかんやあり、最終的にSTARRYにてバイトするという形で話が纏まり……もとい虹夏の提案をコミュ症であるひとりが断り切れなかっただけでもある。
(……有紗ちゃんに土下座して、靴とか舐めたら、お金貰えないかな……)
帰り道にそんなことを考えつつ、それでも実際に実行しなかったのはなけなしの良心の賜物かもしれない。なお、実行しないまでも相談すればお金の融資を受けられただろう。ただその場合は、有紗に対して金銭的な弱みを持つことに繋がり、最終的に結婚までのルートが開かれる可能性が高かったが……。
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結果を語るならば、ひとりは有紗に縋ることは無く……風邪をひいてバイトを休むという狙いの元、氷風呂に長時間浸かったり、半裸で扇風機の前でギターの演奏をしたりと、バイトをするよりよほど辛そうな手段を選択。
その上で結局狙った通りに風邪をひくことは出来ず、「一緒に頑張ろう」とメッセージを送ってきてくれた虹夏に対して罪悪感と共に己の行いを恥じてバイトに向かった。
そしてバイト初日はなんとか周りのフォローもあって乗り切ることができ。そのことで思考が前向きになったひとりは、翌日からのバイトも頑張ろうと心に誓ったのだが……なんとも因果なもので、初バイトの日の夜に間違った努力の成果が実ることとなり、彼女は高熱を出して寝込んでしまった。
高熱と咳に苦しんでいたひとりの下に有紗が見舞いに来てくれ、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれたこともあってある程度症状が落ち着いたひとりは眠りについた。
そしてぐっすりと眠って目を覚ましたひとりは、枕元にあった目覚まし時計の時刻を確認する。現在の時刻は2時、深夜と言っていい時間帯だ。
(まだ、ダルさはあるけど、かなり辛さは和らいで……あれ? 右手が、温かい? なんだろう?)
ある程度体調が回復していることを実感しつつ、ふとひとりは右手に感じる温かな感触に導かれるように視線を動かす。
室内は暗いが目がある程度慣れていたおかげと、カーテンの隙間から差し込む月明かりでそれなりによく見えた。
ひとりの目に映ったのは、彼女の右手に手を重ね、近くの壁にもたれかかる様にして眠っている有紗の姿であり、その姿を見て不意に目の奥がジーンとするような感覚を覚えた。
(……有紗ちゃん……ずっと、居てくれたんだ)
有紗が居たことに言いようのない安心と嬉しさを感じたひとりだったが、すぐにハッとした表情を浮かべ気だるさを感じる体で起き上がった。
そしてキョロキョロと周囲を見渡してなにかを見つけたひとりは、少しふらつきながらも立ち上がる。歩く先にはハンガーにかけられた彼女が普段よく着ている桃色のジャージの上着。それを手に取ってかるく匂いを嗅ぐ。
(だ、大丈夫だよね? ちゃんと洗濯してるし、変な臭いとかしないよね……)
軽く確認したあとでその上着を持って有紗に近付き、眠っている有紗を起こさないように慎重に上着を体にかけた。
そのまま月明かりに照らされる有紗の寝顔を、ひとりは静かに見つめる。
(寝てても、上品な雰囲気で、有紗ちゃんらしいなぁ……)
ひとりにとって、有紗は初めてできた友達であり、性格的な相性もいい存在であり、まだ知り合ってからそう長くはないが大切な友達だと言える存在で……同時に『恐怖の対象』でもあった。
恐怖とは言っても、それは有紗に対してという意味ではない。たしかに出会いこそ奇妙な感じで、有紗の行動力にはたびたび振り回されているが、有紗自身は優しい性格であり、恐怖を抱くような相手ではない。
ひとりが恐れていたのは、有紗自身ではなくその関係性だった。
ひとり本人にとっては信じがたいことではあるが、有紗はひとりに一目惚れをしたことが切っ掛けでひとりと友達になった存在である。
つまり第一印象でひとりを好きになったわけで、ひとりの内面はあまり知らない状態だった。
だからこそ……情けない己を知られるのが恐ろしかった。ひとりは本質的に己に自信がない。だからこそ、己が本来有紗に好かれるような内面をしていないと、確信していた。
故に恐ろしかった。第一印象で己を好きになり初めての友達になってくれた有紗が、己の駄目駄目な中身を知れば失望してしまうのではないかと……こちらに笑いかけてくれる優しい顔が、冷めたものに変わってしまうのではないかと……。
一歩間違えば、見惚れてしまうような綺麗な微笑みも、優しく安心できる声も、温かな視線も、全てが夢のように消え去ってしまうのではと、そう思っていた。
だからこそ、ずっと怖かった。一緒に登校した際に友達が居ないと明かす際にも、今回バイトをサボるためにワザと風邪をひこうとしていたことを懺悔する時も、恐ろしくて仕方なかった。
だが、有紗はひとりに呆れることも失望することも無く、優しく微笑んでくれた。温かな目を向け、優しい声で気遣うような言葉を投げかけてくれた。
有紗はひとりの内面を知っても失望したり離れたりすることは無く、変わらず友達として接してくれた。安堵と嬉しさで、泣きそうになったのをハッキリと覚えている。
「……有紗ちゃん……いつも……本当に、ありがとうございます」
眠る有紗に小さな声で告げたあと、ひとりは再び横になって布団を被る。そして、そのまま目を閉じようとしたが、ふと思い出して右手を伸ばし……有紗の手に重ねてから目を閉じた。
不思議なものであり、初めて会った頃は少し話すのさえビクビクとして落ち着かなかったひとりが、いまは有紗が傍に居てくれることに安心感を覚えている。
日が経つごとに、有紗の存在が己の中で大きくなっているような、そんな感覚を覚えつつも嫌な気はせず……ひとりは、右手に温もりを感じながらまどろみの中に沈んでいった。
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ひとりが目覚めたのはすっかり夜が明けたあとだった。窓から差し込む光に眩しさを感じ、軽く目を擦りながら視線を動かす。
動かした視線の先には綺麗にたたまれた桃色のジャージがあり、その上にメモが置いてあり、綺麗な字で有紗からのメッセージが書かれていた。
『上着をありがとうございました。学校がありますので一度帰宅させていただきます。また、学校が終わった後で参りますね。お大事に』
その丁寧な文章を見てひとりは小さく笑みを溢した。己の体調を確認してみると、かなり楽にはなっているがまだ少々熱っぽさも感じる。だが、この様子なら明日には快復しそうな感じではあった。
有紗が用意してくれていたのであろうテーブルの上のスポーツドリンクを飲んで喉を潤したあと、ひとりは空腹を感じた。
幸い歩いて移動できる程には体調も良くなっていたので、マスクを付け母親が居るであろう一階に移動することにした。
その際にいつもの癖で、たたんであったジャージを着たひとりだったが、直後に少し顔を赤くした。
(……有紗ちゃんの匂いがする。な、なんだろう、変に恥ずかしいな……)
有紗と一緒に居る時に漂ってくる柑橘系の香水らしき香りがジャージに微かに移っており、着慣れているはずのジャージがいきなり別の服に変わったかのような、変な気分だった。
妙な気恥しさを感じつつ、一階に降りて台所に向かうと、そこには母である美智代の姿があった。
「あら? ひとりちゃん、体調はどう?」
「う、うん。まだちょっと熱があるけど、だいぶ良くなったよ。それで、お腹が空いて……」
「そうなの、分かったわ。じゃあ、なにか作って部屋に持っていくわね」
「うん。お願い」
マスクを付けている状態で一目見て分かるほど、ひとりの顔色はよくなっており、美智代も安心したように微笑みを浮かべる。
そして、部屋に戻ろうとするひとりに対し、ふと思い出したように声をかけた。
「あ、そうそう。有紗ちゃんにちゃんとお礼を言っておくのよ。朝までずっといてくれたんだからね」
「うん」
「本当に優しくていい子よね。あんな子がひとりちゃんの友達になってくれてよかったわ」
「うん。私も、そう思う」
母親の言葉に同意しつつ、どこか嬉しそうに頷いたあとでひとりは二階の部屋に戻っていった。その後ろ姿を見送りつつ、美智代もまた嬉しそうな笑顔を浮かべた。
(前まで有紗ちゃんに対して遠慮してるような、少しおっかなびっくりなところがあったけど……ひとりちゃんの中で少し心境の変化があったみたいね。コレは本当にいずれ有紗ちゃんが娘になる日も……ふふ、なんてね)
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夕方になり、熱もすっかり下がってかなり元気になってきたひとりの元に、学校を終えた有紗がやってきた。
「こんにちは、ひとりさん。お加減はいかがですか?」
「あっ、もう熱も下がって、だいぶよくなりました」
「それはなによりです。ですが、ぶり返す恐れもありますので、まだせめて今日一日は安静にしておいてくださいね」
「あっ、はい」
布団に入って上半身だけ起こしているひとりのすぐ近くに座りながら有紗が微笑み、ひとりも少し笑みを浮かべて頷く。
今回の件で、ひとりにとって有紗は本来の自分を見せても失望したりしない相手と認識したからなのか、以前よりもリラックスして有紗と会話ができているような気がした。
「寝たままでも退屈だろうと、いくつか映画のBDを持って来たので、一緒に見ませんか? ひとりさんの好みが分からなかったので、いろいろなジャンルのものを持ってきましたが……」
「あっ、青春コンプレックスを刺激しない類の映画ならどれでも大丈夫です」
「青春コンプレックス?」
「恋愛映画とか青春映画とか学園物とか、私とは縁の無いものを題材にした作品には、その、拒否反応が……」
「なるほど、では、アクション映画とかがいいかもしれませんね」
青春コンプレックスに関しての話をしても、有紗は呆れる様子もなく楽し気に映画を選び、人気のアクション映画を選んで視聴する準備をする。
隣……近くに座りテレビの画面に視線を向ける有紗を見て、ひとりは少し躊躇うような表情を浮かべつつも、おずおずと口を開いた。
「……あっ、あの、有紗ちゃん」
「はい?」
「こっ、今回はありがとうございました。迷惑もかけちゃって……かっ、風邪がうつったりしたら、ごめんなさい」
「気にしないでください。私が好きでやったことですから……あと、そうですね。もし風邪がうつっていたら、その時は、ひとりさんに看病してもらいましょうかね?」
「あっ、はい。します、必ず……その、うつってなくても、いつか有紗ちゃんが風邪をひいたなら、その時は絶対……」
ハッキリとそう告げたひとりの言葉は有紗にとって少し予想外だった様子で、一瞬キョトンとした表情を浮かべたあと、心底楽し気に笑い始めた。
「……ふふ、駄目ですね。そんなことを言われてしまうと、風邪をひきたくなってしまうじゃないですか」
「あっ……氷風呂はやめておいた方が、いいと思います」
「ふふふ、やっぱり氷風呂は辛かったですか?」
「正直かなり……」
風邪をひく前よりも距離が近くなったように感じているのは、おそらくひとりだけではないだろう。友達としてより親しくなれたふたりは、そのまま楽しく共に映画鑑賞を行った。
後藤ひとり:ぼっちちゃん。有紗への好感度が急上昇。少し百合の波動が現れ始めたか? 原作では完治まで3日かかったが、有紗の看病のおかげで2日で快復した模様。