準備を終えて結束バンドの路上ライブがスタートする。下北沢は音楽の街と呼ばれており、基本的に音楽に関しては寛容で、路上ライブに足を止めてくれる人も多い。
あとは足を止めた人たちの興味を惹けるだけの実力が備わっているか否かではあるが……その辺りは問題ない。むしろ、最近ではメンバー全員がレベルを上げたと言っていい結束バンドの音楽は多くの人を惹き付ける魅力に満ちていた。
「……いいバンドだねぇ」
「聞いたことないバンドだったけど、上がってきそうな感じだよな」
そんな風に結束バンドを評価する声があちこちから聞こえ、きくりや有紗といった結束バンドをよく知る者たちも微笑まし気な表情を浮かべていた。
そして演奏がひと段落すると、サンプルCDを持ち帰ったり物販を購入してくれたりする者もそれなりに居て、成功といっていい結果だった。
「いや~皆、よかったよ~」
「ありがとうございます……有紗ちゃん、物販手伝う?」
「ああ、いえ、大丈夫ですよ。はい、ありがとうございました」
きくりの言葉に笑顔を浮かべつつ、虹夏は物販を行っている有紗に声をかける。物販の前にはそれなりの人が並んでいたが、有紗は問題なく笑顔で捌いでおり、確かに助けは必要なさそうだった。
物販関連は有紗に任せて結束バンドの面々は楽器の片づけなどを行っていると、妙な雰囲気の客が物販コーナーに近付いてきた。
帽子を深くかぶりサングラスをかけて、どこかコソコソとした様子でサンプルCDを貰おうとしていた様子の人物を見て、有紗が首を傾げて口を開いた。
「……やみさんでは? なぜそんな格好を?」
「ッ!? しっ、しー!」
一度見た相手の顔は忘れない有紗がすぐにその人物が愛子であると気付いたが、愛子はやや慌てた様子で結束バンドのメンバーたちの方を見る。幸い結束バンドのメンバーたちはきくりと話しており、愛子には気付いていない様子だった。
「……た、たまたま取材で近くに来てて、前にあんなことを言った手前、次に会うならちゃんとライブハウスのライブでって思ってるから……内緒にしといて」
「は、はぁ……分かりました」
己を見返してみろというような挑発をした愛子にも変なプライドがあるのか、この場で結束バンドのメンバーたちには会いたくない様子だった。その理由は単純で、愛子は既に結束バンドを認めており、高く評価しているので、次に会う時はちゃんと謝罪をした上で改めて取材をする時だと考えている。
今回は本当に通りがかっただけなので、あまり取材をする時間がないこともあって、サンプルCDだけ貰って帰るつもりだった。
有紗からCDを受け取った愛子は、去り際に小さく微笑みを浮かべて口を開く。
「……いいライブだった。来週も時間があれば見に来るわ」
「ええ、お待ちしています」
微笑みながら愛子を見送った有紗は、特に愛子のことを話すことはなく他の観客への対応を行い。持って来ていた物販の商品をある程度売り終え、人が居なくなったのを確認して片づけを始めた。
するとその様子に気付いた結束バンドのメンバーたちも有紗の元に近付いてくる。
「有紗ちゃんもお疲れ~結構売れてたね」
「ええ、購入したり投げ銭をしてくれる方も多かったですね」
「……やはり、有紗の近くに置いたのは正解だった。このビジュアル、放っておいても人は寄ってくる……ふふ、結構ありそう」
実際有紗の容姿はかなり人目を引くので、投げ銭の箱を有紗の近くに置くのは非常に効果的だった。近くということもあって、投げ銭を入れると有紗が笑顔でお礼を言ってくれていたので、それを目的で投げ銭を入れていた人もそれなりに居た。
ともかくこれで無事に路上ライブは終了して即撤収……とはならなかった。
「……えっと、ひとりちゃんは有紗ちゃんの背中に張り付いてなにを?」
「あっ、きっ、緊張から解放されて全身ガクガクなので……」
「ぼっちちゃんは、いま精神安定に重要なアリサニウムを補充中なんだってさ~」
「……私の体からそんな成分が分泌されているのは、完全に初耳なのですが……」
かなり精神的に成長しているとはいえ、それでも極度の人見知りであるひとりにとって路上ライブは極めて緊張するものであり、終わった後はすぐには歩けないほどに足も震えていた。
そして彼女にとってこの場で一番安心できる場所は有紗の傍なので、自然と有紗の近くに寄ってきて疲弊した精神の回復を図っており、それを虹夏はアリサニウムの補充と称していた。
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路上ライブも無事に終わり、今後は毎週行ってファン獲得を目指す方針で纏まった。そして3月の中旬が近づいたころ、有紗はひとりと共にショッピングモールに買い物に来ていた。
目的としては、互いに贈り合ったバレンタインデーのお返し、ホワイトデーが近いこともあってどうせだからと一緒に買いに来た形である。
尤も、有紗は手作りをする予定なので、買いに来たのは材料だが……。
「あっ、やっ、やっぱり、それっぽい客が多いですね」
「まぁ、この時期ですとやはりホワイトデー用の購入が多いでしょうね」
「あっ、そっ、そういえば、マシュマロとかは贈っちゃ駄目なんですよね」
「そうですね。ホワイトデーのお返しにはいろいろ意味があるのですが、マシュマロには『あなたが嫌い』という意味があると広く知られていますね。ただこれは元々は『あなたから貰った愛を優しさで包んで返す』というコンセプトでチョコレート入りのマシュマロを送るという誠実な意味だったらしいですよ」
「え? そっ、そうなんですか? いまと真逆ですね」
「ええ、ですがマシュマロの儚い口どけが『優しくお断りする』というイメージを定着させ、いつしか真逆の意味になってしまったみたいです」
「へぇ……あっ、いい意味のお菓子もあるんですよね?」
博識な有紗の説明に感心した様子で頷きつつ、ひとりは逆に贈るといいものに関して質問をする。これからホワイトデーのお返しを選ぶ身としては、やはりできるだけいい意味のものを贈りたいという考えがあるようだった。
「そうですね。いくつか例を挙げるなら、キャンディーは『あなたが好き』、マカロンは『あなたは特別な人』、バームクーヘンは『幸せが続くように』、マドレーヌは『あなたともっと仲良くなりたい』、キャラメルは『あなたといると安心する』……この辺りがいい意味のお菓子ですね。あとはアップルパイもいちおう洒落の効いたお返しになりますね」
「アップルパイですか? そっ、それにも意味が?」
「ああ、いえ、特別な意味は無いのですがホワイトデーが3月14日で、円周率の概数も3.14でπ繋がりということで、外国ではこの日にパイ類を贈る習慣が有ったりするので、それにちなんだものですね」
「なっ、なるほど……」
「ちなみに、和菓子やラスクといった特別な意味を持たないものもあるので、そういうお返しを選ぶのもひとつの手ですね」
有紗の説明に頷きつつ、ひとりは自分が買うホワイトデーのお返しについて考える。
(私が有紗ちゃんに渡すお返しなら、キャラメル……かなぁ? え? あれ? でも今の話を聞いたうえでキャラメルを渡すのは、それはそれで恥ずかしいような……)
そんなことを考えて少し気恥ずかしそうな表情を浮かべるひとりに対し、有紗が穏やかに微笑みながら口を開いた。
「ひとりさん、ひとつ質問してもいいですか?」
「あっ、はい。なんですか?」
「マカロンは好きですか? 意味も重要ですが、相手が苦手なお菓子を贈っては本末転倒ですしね」
「あっ、はい。普通に好きですけど……」
「それならよかったです」
「……あっ、あの、マカロンを贈るつもりって聞こえるんですが?」
「その通りですよ? キャンディーもいいのですが、手作りするならやはりマカロンが適していますので、私にとってひとりさんはこれ以上ないほどに特別な相手ですからね」
「うっ、あっ、有紗ちゃんはそうやってすぐに恥ずかしいことを平気で……うぅ」
ほとんど真正面から好きだと言われているようなもの……ある意味では平常運転の有紗ではあるが、それでも気恥ずかしさは感じてしまう。
ひとりは少し呆れたような表情を浮かべつつ、それでも嬉しくないわけでは無いのか……頬を少し赤くしていた。
「……あっ、そっ、それにしても、人が多いですね」
「休日のショッピングモールですしね。最近は気温も温かくなってきているので、外に出やすくなってきているのも大きいですね」
「なっ、なるほど……もうすぐ春ですもんね」
そんな風に有紗を会話をしつつ、ひとりはふと考えた。
(……もうすぐ、有紗ちゃんと出会って1年経つんだ。本当に1年前と比べると、いろいろなものが変わってる。有紗ちゃんって生まれて初めての友達が出来て、夢のまた夢だって思ってたバンド活動もできてるし、学校に友達もできて……改めて思い返すと、いろいろ変わってる)
果たして1年前の3月に自分がなにをしていたかと考えても、ひとりでギターの練習をしていた記憶しかない。それが、たった1年で大きく変化した。
一緒に夢を追える仲間もできて、学校でロックの話ができる友達もできて……こうして、いつも傍に居てくれる親友にも巡り合えた。それがどうしようもなく、幸せなことだと実感できていた。
「……あっ、有紗ちゃん」
「はい?」
「そっ、その、手を繋いでもいいですか? えっ、えと、別に理由とかはないんですが……なんとなく」
「ふふ、はい。実はちょうど私も手を繋ぎたいと思っていたところだったんですよ」
「あっ、じゃっ、じゃあ、一緒ですね」
「ですね」
そっと伸ばした手を当たり前のように握ってくれる存在が近くに居てくれるのは、本当に幸せなことだと実感して思わず笑みを浮かべつつひとりは有紗と手を繋ぐ。
(……やっぱり、私も……ホワイトデーのお返しは、マカロンにしようかなぁ。い、いや、だって、有紗ちゃんが特別大好きな友達ってのは間違いないわけだし、意味合いとしては間違ってないよ! 友達として、特別な相手に贈るのだって問題ないはず……うん!)
心の中で自分に言い聞かせるようなことを考えたあとで、ひとりは照れつつも少しだけ繋いだ手に力を込めた。
時花有紗:例によって最強ビジュアルなこともあって、物販も投げ銭も大盛況だった。投げ銭は原作の10倍近く入っていたとかなんとか……ホワイトデーにはマカロンを手作りする予定。
後藤ひとり:友達→大好きな友達→特別に大好きな友達……そろそろ自分に言い聞かせるのも限界なぐらい好感度が上がっている気がする。精神的に疲労した際はアリサニウムを補充する。
アリサニウム:ぼっちちゃんの精神安定に絶大な効果がある成分で、有紗の近くに居ると補充できるらしい。近くに寄る<手を繋ぐ<ハグと一度に摂取できる量が大きくなるが、過剰に摂取するとぼっちちゃんは赤面してしまう。