さよならより速く、私はあなたに逢いに行く   作:Werther

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さよなら一部/さよならより速く、私はあなたに逢いに行く
第一章 - Go!! リスタート


 その日は、蒸せ返るような暑い日だった。

 陽は街中にさんさんと照りつけ、ビルの壁や地面のアスファルトを焼いていた。溶けてしまいそうなくらい暑く、最高気温は今年最高を記録しているらしかった。そんな今朝のニュースをぼんやり思い出しながら、私はシャーペンでノートの隅をつつく。

 六時間目ともなると、教室は寝ている人が多い。疲れからか暑さからか、窓際の生徒は頭を机にくっつけている人がちらほらいた。それに対して先生は何も言わなかった。そのくらいの緩い空気。ぬるい風が吹いて教科書の縁を捲るように揺らした。

「はい、じゃあ今日はここまで、みなさん休みの間も課題はしっかりやるように」

 先生がチョークを置きながらそう言うと、すぐ後に慣れたチャイムの高い音が続く。教室はにわかに騒がしくなり、掃除のために教室の後ろのロッカーから箒を取り出したり、荷物をしまう音が混在して聞こえた。私も同じように机の上に散らばった荷物をしまう。

「四季、今日掃除当番じゃないだろ」

 ふと頭上から声が聞こえて、顔を上げるとそこには腰に手を当てたメイがいた。

「うん、そう」

「だよな、ほら、部活行こうぜ」

 メイはすでに後ろ手に鞄を下げていて、いつでも行ける様子だった。私たちの席は教室の後ろの方で、そこは人の出入りが激しかった。

「あ、待つっす〜!」

「待つですの〜!」

 聞きなれた声がして振り向くと、そこには部活のメンバーの、きな子と夏美がいた。

「二人とももう部活行くっすよね! きな子たちも一緒に行きたいっす〜!」

「夏美もLiella!の日常風景を撮影しながらお供しますの〜」

「やーめーろ」

 夏美が取り出した自撮り棒とスマホをひょいと片手で取り上げながらメイは言う。

「あ〜返すですの〜!」

 夏美はメイからスマホを取り返そうとしていたが、メイがくるくる動くから夏美はメイの周りを回りながらしまいには目を回していた。

「ふふん、まだまだだな、夏美」

 メイは得意そうに鼻を鳴らしていたから、その自慢げなメイはすごく可愛かったのだけれど、夏美も可愛そうだったから、メイの持っているスマホを後ろからつまみ上げる。

「ちょ、四季」

「メイ、あんまりからかっちゃダメ」

 私が地面を見下ろすと、メイも倣ってそうした。そこには夏美が目に渦を巻いてへたり込んでいた。

「な、夏美ちゃん、大丈夫っすか……?」

「お、お星様が見えますの……」

 きな子が夏美の肩を持って起こしていて、メイはいたずらっぽく笑っていた。メイは何をしていてもかわいいからずるい。なんでも許してしまいそうになる。

「ほら、部活行こうぜ」

 メイが教室のドアに手を当てながらそう言う。廊下の向こう側の窓から夏風が教室まで吹き込んできた。おもむろな涼しさに私は思わず目を細める。

 今日で、一学期は終わりの日。

 明日から、皆の待ち望んだ夏休みだった。

 

 

 

 ✳︎

 

 

 

「夏美のインフルエンサーパワーをフルに活用したLiella!日常風景盗撮計画が〜……」

「盗撮って言っちゃってるっす……」

「成功すればマニーががっぽり入るのですよ! それをLiella!の資金源にしてもっともっと人気を獲得しますの〜!」

 部室に着くなりやいのやいの言っている夏美ときな子を横目に、私は部室の扉をくぐる。窓は締め切られていて電気もついていない静かな部室では、埃だけがきらきらと宙を舞っていた。

「先輩たち、まだみたいだな」

 隣でメイが言って、私はそれに頷くだけでこたえる。メイはそれからカーテンと窓を開けてそこから顔を出した。

「あちぃ……まだ夏になったばっかなのにこの暑さはなんなんだよ……」

「今日、今年の最高気温更新なんだって」

 言いながらポケットから取り出したスマホの温度表示を見せると、メイは怠そうに上を向いた。

「こうも暑いし陽が長いと一日が長く感じるな。四季もそう思うだろ?」

「あ、うん、そうだね」

 暑くて私もぼうっとしていたから、なんだか浮いた返事になってしまう。メイが窓辺に手を引っ掛けて腕と足を伸ばして逆さまに私を見て笑っているのが見える。赤いくせっ毛がぜんぶ逆さを向いている。

「四季でもぼーっとすることあるんだな、かわいい」

「ちょ、ちょっとメイ、部室でかわいいはナシ……それに、かわいいのはメイの方……」

「いや、お前の方がかわいいだろ」

「や、やめて……」

 突然のメイの攻撃に私はなす術なんてなくて、メイはいつしか私を振り向いてまっすぐ見つめてそう言ってきた。

「またやってるっす……」

「あ〜これを撮影したいですの〜」

 二人の生暖かい目を感じながら、私は恥ずかしすぎてそのうちの片方……きな子の背中に隠れた。

「お願い……少しだけ隠れさせて」

「し、四季ちゃん⁉︎ ま、まぁいいっすけど……」

 メイの視線から逃れるために、とりあえずきな子の背中に私は隠れた。身体中暑いのは気温のせいか、それとも、メイのせいか。そんなの考えるまでもなかった。

「うぃっす〜! おや、一年生諸君早いね〜」

 ふと入り口から声がして振り向くとそこには千砂都先輩がいた。右手で作ったピースサインを掲げるお決まりのポーズをしている。私たちもそのポーズでこたえる。

「あ、ほんとだ皆来てる。早いね」

 その後ろからかのん先輩がひょこっと顔を出した。マリーゴールド色の髪が綺麗だなと、外苑西中学校にいた頃から思っていた。その頃、一度ステージを見ただけだったけど。その人もいつの間にか先輩になっていた。人生というのは数奇な巡り合わせの連続だと、つくづく思う。

 その時また扉の向こうの階下から何やら話し声が聞こえてきた。

「だからあんたが飲み物買ってきなさいって言ってるのよ……」

「可可はじゃんけんに負けただけで誰も飲み物買うとは言ってマセン。すみれが買いに行きやがれデス」

「なっ、あんた卑怯よ! 普通あの状況のじゃんけんは負けた方が買いに行くのが当たり前ったら当たり前じゃない⁉︎」

「知らないデス」

 がちゃり。と扉が回って頬を膨らませて睨み合った可可先輩とすみれ先輩が入ってくる。

「二人とも、またやってるの?」

 千砂都先輩が呆れ気味に言うと、可可先輩もすみれ先輩も声を揃えて「だって聞いて(くださいデス)!」と言った。

「可可と暑いし喉乾いたしどっちかが飲み物買いに行こうって話になってじゃんけんしたの、それで私勝ったんだけど可可は知らないってシラ切るのよ!」

「だって可可は一言も負けた方が買いに行くなんて話してないのデス、すみれが勝手にそう思っただけではないのデスか」

「なっ……あんた卑怯よ!」

 また睨み合いを始めた二人を見て千砂都先輩はやれやれとため息をついていた。かのん先輩が恐る恐るそんな二人に近づいて、あのー、と声をかける。

「私ちょうど自動販売機行くつもりだったから、よかったら二人の分も買ってこようか?」

 かのん先輩が言うと、すみれ先輩が眉を下げて「あんたねぇ……」と言う。

「いや、いくらついでとはいえ申し訳なさすぎるわ、私も行くから」

「なら可可も一緒に行きマス!」

 すみれ先輩が言うと可可先輩も続け様にそう言って、すみれ先輩はきょとんとしていて、かのん先輩はふふっと小さく笑った。さっきまでの空気が嘘みたいに晴れていた。痴話喧嘩、と言うのだとこの前千砂都先輩が楽しそうに言っていた。確かにそうかもな、と思う。それから三人は部室を出て行った。

「あら、皆さんもういらっしゃったのですね」

 三人減った部室が静かになったところで、入れ替わりに現れたのは恋先輩だった。長い黒髪のポニーテールが部室の扉を閉める時、振り向き様に揺れて、ふわりと宙を舞う。

「かのんちゃんたち今飲み物買いに行ったんだ、これでメンバーも揃ったし帰ってきたら練習始めよっか」

 千砂都先輩が隅の方で軽く柔軟運動をしながら言った。いつでも準備万端という様子の千砂都先輩を見て、私は思わず笑ってしまいそうになる。

 この部活は、不思議なくらい居心地がいい。今までずっと一人を好んできた自分にとって、それは思いがけない変化だった。

「ん? 四季笑ってるのか?」

「わっ……メイ」

 きな子の後ろに隠れていたはずの私の目の前にメイの顔があった。いつの間にか横から覗き込まれていたみたいだ。

「今日の四季なんつーか、かわいいな」

 メイはにっと歯を見せて笑うとそう言う。私はもう恥ずかしさで居ても立っても居られなくて、顔中に熱が集まるのが分かる。

「だ、だからかわいいは禁止……」

 私はきな子の後ろにまた隠れる。メイは何の気なしにそういうことを言うから、心臓に悪いんだ。

「……なんなんすかねこれは」

 その時、きな子が遠い目をしていたことなんか、私は露とも知らなかった。

 

 

 

 ✳︎

 

 

 

「はい、じゃあ今日の練習はここまでね! お疲れ様っ!」

 千砂都先輩がぱんっと手を鳴らしたその音は、雲ひとつない夏空に高く吸い込まれて消えていった。それに続いて一年生たちがばたばたと倒れていく。

「つ、疲れた、ですの……」

「きな子もっす……」

「私もだ……また元気にしてるの四季だけかよ」

 私は床に溶けかけのアイスクリームみたいになっている三人を見下ろしながら、そうしてる方が暑くないのかな、と思った。

 日陰に置いていた荷物からスポーツドリンクを取り出して飲むと、心地いいつめたさが喉を滑り落ちて行った。もうすっかりそこらじゅう夏の空気だった。

「……あれ」

 ふと、時計を見ると、いつもの練習終わりよりずいぶん時間が早いことに気づく。およそ一時間ほどだろうか、長針はいつもより手前を指し示していた。

「千砂都先輩、練習こんなに早く終わっていいんですか」

 同じく日陰に荷物を取りに来た千砂都先輩に、そう訊く。千砂都先輩は荷物を漁る手を止めると笑って、うん、と頷く。

「今日は一学期も最後の日でしょ、夏休み中も練習はしっかりやるし、今日くらいは早めに切り上げて皆ゆっくりしてもらおうかなって」

 千砂都先輩はほら、と言って首を伸ばし私の背後をおもむろに見遣る。そこには一年生三人が暑さと疲れで溶けていた。

「いつもあんなになるまで頑張ってくれてるから、よかったら今日は一年生で遊んできなよ」

 普段あんまりそういう時間ないでしょ、と言い加えて千砂都先輩は朗らかに笑った。

 その横で私のと同じスポーツドリンクを飲んでいたかのん先輩が話を聞いていたのかにこりと笑いかけてくる。

「あれ、かのんちゃん今日はりんごジュースじゃないんだね、珍しい」

 千砂都先輩がそう言うとかのん先輩ははにかんで笑う。

「うん、今日暑すぎだし、たまには飲んでみたいな、って思って。可可ちゃんの飲んでるオレンジジュースや、すみれちゃんのスプライトも美味しそうだなって思ったんだけどね、今日はこれにしたんだ」

 かのん先輩の言葉にふぅんと返すと、千砂都先輩は空を見上げた。かのん先輩もそうする。私も二人がそうするので同じように空を見上げた。油断すると重力ごと奪われて落っこちてしまいそうな青天井が街の端まで伸びている。

「夏が始まるねー」

 千砂都先輩が何気なく言った。

「そうだね」

 かのん先輩が短くこたえる。

 私は何も言わずに、ただ空を見上げていた。

 手に持ったペットボトルから、水滴が垂れて手のひらを濡らした。

 

 

 

 ✳︎

 

 

 

「にしても、千砂都先輩も粋なことしてくれるよな」

「夏美もそう思うですの〜、これでLiella!の新規生の日常風景盗撮計画が捗りますの〜」

「だから盗撮って言っちゃダメっす……」

 片手に学生鞄を提げてほどほどに固まって歩いていた。すぐに出て来られてなんでも揃っていて遊びやすい場所と言えば、ここ、原宿だった。まだ夕方というには早い時間の原宿は学校帰りらしい制服姿の女子たちが多く、その手にはカラフルなアイスやらクレープやらが握られていた。私たちはその中を歩いていく。

 でも、今日の目的は私たちも同じだった。

「お、ここじゃないか」

 先頭を歩いていたメイが立ち止まり、そう言った。他のメンバーもメイが見つけたお店の看板を見つめる。

「そうっす、ここっすね!」

「綺麗なお店ですの〜SNS映えが良さそうな……」

 目をきらきらさせる夏美をきな子はジト目で見つめる。

「夏美ちゃんはそればっかりっす……」

「いーから、並ぼうぜ」

 メイが言ってお店の前にできた列の最後尾に並ぶ。私たちもそうする。

 店先にいるだけで、果物と砂糖とチョコレートの混ざった甘い匂いがしてきた。生地を焼いているらしい香ばしい匂いも。

「いい匂いっすね〜、メイちゃん流石っす〜」

「わ、私はたまたま見つけただけなんだけど……」

「またまた、そんなこと言ってますの〜」

「うん、メイは甘いものには目がないからね、私たちなんかより断然詳しい」

「ちょ、お前らなぁ!」

 赤面するメイがこちらを睨みつけてくるけれど、怖くもなんともない。

 今日、どこいく?

 さっき帰り際、その話題になった時メイが一番に手を上げてスマホの画面を差し出した。そこに表示されていたのは、メイの好物のスフレパンケーキや、色とりどりのクレープを扱ったお店だった。他に行く宛もなかった私たちはすぐにそこに行くことに決定した。

 列に並んでる間も、陽射しはじりじり照りつけ肌を焼いた。人混みの中だからか余計に暑く感じるし、少し目眩を覚えた。私は鞄からスポドリを取り出して一口飲む。見上げた空が高い建物たちに切り取られて影絵みたいに浮いていた。

 ほどなくして私たちの番になり、それぞれ注文をしてまた少し待つ。数分後、私たちの手にはそれぞれふかふかでふわふわのクレープが握られていた。

「みんなで写真撮るですの! はいっ、チーズ!」

 夏美がそう言って自撮り棒を向けてシャッターを切ったり、

「美味しそうっす〜、贅沢な放課後っすね〜」

 きな子がクレープをくるくる回して感嘆のため息を漏らしていたり、

「…………」

 みんなの前だから興奮しているのを必死に抑えてはいるんだけど口許の緩みを隠しきれていないメイが黙ってクレープを見つめたり、していた。

 メイのクレープはブルーベリークレープで、ブルーベリーがふんだんに盛られているばかりか、ホイップにもブルーベリーが練り込まれていて薄紫色に色づいているものだった。それは、メイの好物と好物だもの、隠しきれないくらい嬉しいよね。ほんと、かわいいんだから。

 私たちはクレープ片手に、街を見て回った。この街は店の中に入らなくても、建物やショウウィンドウを見ているだけで楽しい。

 歩行者専用道路の脇にある建物たちを見ていったのだけれど、やがてそれは途切れて車の多く行き交う大通りに出た。

「普段この辺までだから、今日もうちょっと向こうまで行ってみないか」

 メイは向かいの通りを指差しながら私たちを振り向いて言った。

「きな子も行きたいっす! 四季ちゃんも夏美ちゃんもいいっすよね?」

 メイときな子の視線に私は首を縦に振るだけでこたえる。隣で夏美もそうしたのが分かった。

 私たちは信号を待った。向かいの信号機の赤い点滅が上から減っていき、カッコウが鳴いているのがすぐそこから聞こえる。

 その時だった。

 ピリリリリリリリリ、と甲高いアラーム音が鳴った。何かと思って音のした方を見ると、メイの手に持たれたスマホから音は鳴っていた。メイは慌てた様子でそれを止めると、ふぅ、と軽く息を吐く。

「おっかしいなぁ、こんな時間にアラームなんてセットしてないはずなのに……」

 メイは言うとスマホをポケットにしまった。

「メイ、いっつも部活後自主練してるでしょ、それの終わる時間の目安にしてるアラームじゃないの」

「あぁ、そっか、言われてみればそうだな」

 私がメイに言うと、メイは納得した様子だった。

「あ、信号もう変わるっすよ」

「あ! あっちに何やら美味しそうなお店がありますの〜突撃してフォロワー数を伸ばすチャンスですの〜!」

 待ち切れないというようにきな子と夏美が先頭でこちらを振り向いている。私はそれがおかしくて笑ってしまいそうになる。

 信号が変わる。早足で歩いていくきな子と夏美が危なっかしくて、私の隣を歩いていたメイがおい、こけんなよ、と言いながら後を追う。なんだかメイ、二人の保護者みたい、と思って私はまた頬が緩む。

 叫び声が聞こえたのは、その数秒後だった。

 最初、女の人の絶叫が聞こえて、それが水たまりに石を投げ込んだ時波紋が広がるみたいに、背後で叫ぶ人が増えていった。

 と思った。

 一瞬だった。

 横断歩道を渡っていた人は蜘蛛の子を散らしたようになり、背中を向けて逃げて行った。

 そして、道路の先を見ると、大型トラックが逆走してこちらに突っ込んでくるところだった。

 私は横断歩道を半分と少し渡ったくらいのところにいて、トラックは真っ直ぐにこっちに走ってきていた。絶叫するみたいなエンジン音がよく聞こえる。

 逃げても間に合わない、と本能的に悟った私は、一歩も動くことができなかった。そこに立ち竦んだまま、間延びした一秒をぼんやり感じていた。

 トラックが近づいてくる。

 あぁ、私の人生、ここで終わりなんだ。ここまでなんだ。

 あと二十メートル。

 楽しいことばかりではなかったけどいいこともたくさんあった。特にそう、あなたに出会えたことはとても嬉しかった。

 あと十メートル。

 それに今ではこんなにたくさんの仲間に囲まれているのだって、信じられなかった。奇跡みたいな道のりだったと、思う。

 あと五メートル。

 もう目前に迫った死を前に見る、これは走馬灯というものなんだろうか。あなたの顔ばかり浮かんで最後まで言えないことばかり。こんなことになるなら、もっとたくさん言っておけばよかった。

「危ない! 四季!」

 その声が響くのと、身体に強い衝撃があって突き飛ばされたのと、目の前をトラックの側面が通過していくのを見たのは、ほぼ同時だった。

 りんごやなしを潰した時のような、ぐしゃりとも、ごしゃりとも言えない音がした。トラックは数十メートル進んでから動くのをやめた。その通った地面には片方だけタイヤ痕がついていた。それは、彼岸花みたいな真っ赤な色で。

 何が起きたのか理解できなかった。

 地面に私の持っていたクレープが逆さにひしゃげて落ちていた。

 静まり返っていたと思ったのに、一人が叫び出したのを皮切りに、人は皆また叫び始めた。皆逃げていくけれど、中にはトラックまで近づいて、何かを叫んでいる人もいた。夢を見ているみたいだった。それはそれは、悪い夢。

「四季ちゃん! 大丈夫っすか⁉︎」

 呼ばれて顔を上げると、不安と恐怖で顔をこわばらせたきな子がいた。

「私は、大丈夫……だけど、メイは」

 私が言うと、きな子は答えづらそうに目を逸らした。その後ろで夏美も突っ立っているのが見えた。

「夏美、メイは、どうなったの」

「それは…………」

 夏美もこたえずに目を合わせてもくれなかった。私は立ち上がり、トラックの方に歩き出す。どうやら足と手を擦りむいてしまっているらしく、歩くたびにひりひり痛んだ。

 トラックのタイヤ痕の横を歩いた。やがて人だかりができているそこにたどり着く。

 血。血。血。

 そこは、一面が血の海だった。赤い塗料をぶち撒けたみたいにそこらじゅう下手くそに塗りたくられていた。トラックの前方、その下のアスファルト、その色の中心には、頭がへんな方向に曲がったメイがいた。

「おい、救急車! あと警察も! 早く!」

「もう助からなくないあの子……?」

「こりゃ騒ぎになるな……」

 好き放題言う人々の隙間で私はふとトラックの運転席を見た。そこには黒いローブを羽織った、座っていても背の高い人がいた。まるで正体を悟られたくないと言っているかのような格好に、私は、でもこんなことをする人は変装をして当然か、と至極当たり前なことに思い至る。もう一度見ると、そこにいたはずの人は消えていた。ただ、それ以上頭はもう回らなかった。逃げたのなら取り押さえなきゃ、とか警察に連絡を、とかとても無理だった。

 周りから聞こえる囁き声を聞きながら、私は目の前の光景にどうしていいのか分からずにいた。

 メイが、死んでしまった。

 なんてそんなこと。

 

 

 

 ✳︎

 

 

 

 搬送先の病院でメイは改めて死亡が確認された。

 私はきな子、夏美と一緒に病院に行き、そこの待合室で並んで待った。病院の廊下は白いフローリングで音もなく、長く奥まで続いていて、気持ちが悪かった。天井の照明も白々しく明るくて照らし出される私たちはまるで実験動物みたいな心地だった。

 やがて医師らしき人が警察官と一緒に出てきて、メイが死んだことを言いにくそうに口にした。

 きな子と夏美は泣いていた。泣くと言うより、涙だけ流して、理性を保てないという感じだった。あれは半狂乱、とでも言えばいいのだろうか。

 警察官が言うには「保護者に連絡をしたから今日は送ってもらって帰りなさい」とのことだった。

 きな子は両親が北海道なので、夏美の両親に送ってもらうことになった。二人が帰ってしまうと、辺りは急にがらんとしていた。病院の廊下はつめたくどこまでも続いていた。私たちは別れるまで、一言も喋らなかった。

 私は一人でそこで待っていた。

 なんで自分がこんなところにいるのか、どうしてしまったのか、それを考えていた。でも、考えても考えても、分からなかった。

 時折看護師が通りすぎて会釈していった。人はほとんどこの通路を使わないようで、辺りはしんとしていた。それはそうだ。だってここ、霊安室の前なんだもの。

「若菜四季さん、お迎えが来ましたよ」

 しばらくじっとしていると、警察官がやってきてそう言った。きな子と夏美が帰ってから二時間くらい経った気がするのに、向かいにかけられた時計を見るとまだ二十分しか経っていなかった。

「ではお母様、後はよろしくお願いします」

 そう言う警察官の後ろから出てきたのは、長髪の青髪を結ばずに垂らしただけの無造作なヘアスタイルの女性だった。

 でも、その人は私のお母さんではなかった。似てるけど、違う。

「四季、帰るよ」

 その人が口を開いて言った。私は驚いて声を上げてしまいそうになる。その声があまりに懐かしいような気がしたから。一度も聞いたことがないはずなのに、その声は必ず聞いたことがあった。

「うん」

 私は気づいたら返事をしていた。立ち上がって、その人に近づく。太ももまでの長さの白衣を着こなしている彼女は、病院内というのもあって医者に見えた。警察官は何も違和感はないと言うように私たちを見ていた。

 私たちは病院のおもてに停めてあった車に乗り込んだ。もちろん運転席に彼女が、助手席に私が、だ。それは病院にあまり似つかわしくない黒のスポーツカーだった。

 彼女は乗り込むなりすぐにエンジンをかけて、発進する。私がシートベルトをつける間の出来事だった。

「……シートベルトつけないと、捕まる」

「あぁ、そうかもね」

 私の言葉に彼女は大して気にする様子もなく、涼しい顔でアクセルを踏み込んだ。

 夜の大都会の景色が私の肩を通りすぎていった。煌びやかなイルミネーションが統一感なくごちゃ混ぜに光っていて、私はそれをぼんやり見ていた。あの光の全てに誰かの生活があるなんて考えられない、と思いながら。

「……私が不審者だったらどうするの」

 ふと運転席の彼女が言った。私は言われた言葉になるほど、と思いながら口では違うことを言っていた。

「あなたは、そんなことはしない。もしそうなら、病院で警察に突き出してた」

「ふぅん」

 彼女は無表情で言いつつ白衣の胸ポケットから煙草のケースを取り出し、流れるような動作でひとつ咥えて火をつけた。左手でその煙草を持ってあまり美味しくなさそうに煙を吐く。

「どうして、あなたは私を連れ出したの。私は、あなたに会ったことがある気がするのは、どうしてなの」

 今度は私が問う番だった。

 私が言うと、彼女はおもむろに窓を開けてこちらを横目で見た。

「それはね……」

 開け放たれた窓から夜風が吹き込んで乾いた目に染みる。彼女の真っ青な髪が後ろに吹かれてその耳が露わになる。低い位置にある、赤とオレンジの間くらいの色のピアス。それは────

 

「私が若菜四季だから、私は今から十年後の未来から来た、あなた自身だよ」

 

 彼女はそう言った。

 これが私のあまりに長い一日の幕開けだった。

 

 

 

 ✳︎

 

 

 

 やがて私たちの乗る車は見知った街並みに踏み入れて、見知った学校の前まで来た。そこは結ヶ丘女子高等学校で、私たちがさっきまでいた場所だった。さっきまでいたはずなのに、もうずいぶん前のことのような気がする。それほどまでにこの数時間での出来事は現実味がないことばかりだった。

「あの……私はどうしてこの時代にやってきたの」

「“私”じゃ分かりにくいから、シキでいいよ」

 ぬるい夜に黒光りするスポーツカーをいとも自然に校門の前に路上駐車しながら、シキはそう言った。私たちは揃って車を降りると、校門に近づく。

「私の目的はひとつだけ……そのためにこの時代に来た」

 呟くシキの長い髪に夜風がからまってはほどけていった。私はそれを見ていた。本当にこの人が私なんだろうか、と思って。

「とりあえず、行くよ」

 シキは言うと、私に近づいて腕と腕をロックした。そのまま私の腰を持つと飛び上がる。いとも容易く校門を飛び越えると、そのまま閉まっているはずの玄関をどうやったのか開けて中に入った。非常灯の灯りのみで緑色と赤色にぼんやり照らされている廊下は不気味で少し怖いと、こんな状況でもなければきっとそう思っただろう。

「未来の私は、なんでもできるんだ」

「なんでも、って訳じゃない。できることしかできない」

 私が言うと、シキはあまり嬉しくなさそうに言った。私たちは廊下を抜けて、階段を登っていった。

「私の目的の話だったね」

 前を歩くシキが、踊り場で私を振り向いてそう言った。窓から月明かりが差し込んでシキの周りにこぼれてひかっている。

「私の目的は、メイを死の未来から救うこと……それだけ」

 シキがそう言うのを、私はその口許の動きをたどりながら聞いていた。

「……できるの?」

「残念ながら、私一人じゃできそうにない。だから、あなたに協力してもらおうと思った」

 私がシキに追いつくと、シキはまた前を向いて階段を登り始めた。

 やがてたどり着いたのは、科学室。まだ入り口の扉には『科学愛好会仮部室』の紙が貼り付けられている。メイがやってくれたその貼り紙は、嬉しいから未だに外せずにいた。シキはそれを見て一瞬立ち止まり、でも何も言わずに扉を開ける。

 科学室はカーテンが開け放たれたままになっていて、窓じゅうから白い月明かりがこぼれていて眩しかった。シキはその端まで歩いていくと、くるりと振り返って私を見つめる。

「あなたは将来、メイを救いたいという願いのためだけに、タイムマシンを作るの。そしてこの時代にやって来る」

 シキはぽつりぽつりと話し始めた。その声は今の自分自身より幾分か低く、そして深いかなしみに満ちた声だと思った。

「だからあなたにメイを助ける手助けをお願いしたい、どう」

 シキの話は分かる点も多かったのだけれど、私は疑問に思うこともあった。シキはつめたい目でこちらを見ていた。

「質問……シキがタイムマシンを持っているなら、わざわざ私を過去に戻さなくてもシキ自身が戻ってやり直すのではダメなの」

 私が問うとシキはわずかに唇の端を歪めて、苦虫を噛み潰したような表情をした。

「……私は、すでにこれが一度目じゃない、自分で何度試してもダメだったから、過去の私に頼もうと思ったの」

 シキの言葉には緊張感と切迫感があって、私は何も言えなかった。

「……分かった、協力する」

 私は言いながら窓際のシキに一歩近づく。シキは目を丸くしてこちらを見ていた。今になって初めてシキの嬉しそうな顔を見たな、と私は思う。

「ありがとう、そしたらすぐに始めるから、こっちに来て」

 言われて私が近づくと、その隙にシキはまた煙草を一本取り出して火をつけていた。葉の焦げるわずかな音がする。

「煙草……美味しいの?」

「いや、全然」

 シキは心底不味そうにこたえると、煙草を咥えて自分の手を机の上にかざした。すると、シキの目の前に見たことのない装置が現れた。音もなくいきなりそれは現れたので、私は余計に驚いてしまう。

「……これも未来の技術?」

「そう、物質圧縮」

 シキは何でもないことのように言った。そして出てきた装置を触って何かを確かめていく。よく見ると、左側に数字が表示されていて、それはどうやら現在時刻らしかった。中央は何やら複雑そうで理解できない形状をしているが、右側はヘッドホンらしきものが引っかかっていた。

「これは……」

「私なら見れば分かると思うけど」

「タイムマシン、じゃなくて……タイムリープマシン」

「正解」

 私が言うとシキは嬉しくも楽しくもなさそうに「ピンポン」と言った。左手の煙草がやる気なさげに燻っている。

「私も、タイムマシンに乗るんじゃないの」

 私が訊くと、シキは煙草を床に投げ棄てて足で踏み潰してから、言った。

「あなたがタイムマシンに乗って過去に行くと、そこには過去の時点でのあなたがいる。つまり私も含めて若菜四季が三人いることになってしまう。それは困るから、私はタイムマシンを使うけれど、あなたはこれで記憶だけ飛んでもらう」

 シキは言いながら、タイムリープマシンを撫でていた。

「使い方は、あなたの思っている通り。左側のメーターが現在点で、ここに数値を入力してこのヘッドホンをつけるだけ。後は真ん中のボタンを押せば、過去に飛べる」

 私はその説明を聞いて、理解したとは思ったけれど、どうしても過去に戻ると言うのが、今ひとつ感覚的に理解できなかった。怪訝そうな顔を私はしていたのだろう、シキが私を見てふっと笑った。

「今起きてることが、信じられないって顔してる」

「まぁ、そうですね……」

「すぐにでも飛ぼう。もうこの時間軸で私たちができることはない」

 シキは私に装置の前を明け渡して、その脇に立つ。月明かりのみで照らし出された未来の機械はなんだか幻想的だ、と思った。

 シキが手早く数字を入力していく。私はヘッドホンを両耳にかける。

「目的地は今から五時間前、まだメイが生きている時点まで飛ぶ。いい、私たちは、必ずメイを救う」

 シキの声には意志の、信念の強さが滲んでいた。一体シキは、何年メイのことを想って、タイムマシンを完成させたのだろう。

「行くよ……若菜四季」

「うん、やって」

 私の声に合わせて、装置の真ん中のボタンがシキによって押される。途端に電流が装置の中心を走り、バリバリと焼けるような音がした。足元の地面が割れて重力を失ったみたいな激しい眩暈が襲い掛かり、吐きそうになる。隣でシキが何か言っていたけれど、聞こえない。

 最後に見たのは、白い稲妻みたいな電流だけ。

 私の意識はゆっくりと落ちていった。

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