さよならより速く、私はあなたに逢いに行く   作:Werther

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第五章 - もう一度、あの場所で

 物語っていつ始まるものなんだろう。

 どこから始めても、いつもそこが始まりだった気もするし、いつもそこは何かの終わりだったような気もする。

 全ての物事は本当は繋がっていて、始まりも終わりも、本当はどこにもないのかも。

 だから、例えばいつだろう? と考えてみても、分からないんだ。

 歌に出逢った時。

 みんなに出逢った時。

 Liella!を結成した時。

 ……でさえ、どこが始まりなんだろう。

 可可ちゃんに初めて声をかけられた時?

 グループの名前を決めた時?

 二年生になって、一年生のみんなが入ってくれた時?

 思い出す、どこも何かの始まりで、どこも何かの終わりみたいな気がした。

 五人でいた時、九人になった時……八人に、減った時。

 

「マリブコーク一杯、ください」

 

 はっとして顔を上げると、カウンターを挟んでその人が、まんまるの赤い瞳でこちらを見ていた。慣れ親しんだお客のように、そこにいてくれた。

「……ちぃちゃん、お酒弱いんだからダメだよ」

「えぇー、いいじゃん軽いのくらい……お堅いなぁかのんちゃんは」

 千砂都は不満そうに言いながら、両手で頬杖をついて唇を尖らせていた。

「だーめ、もっと緊張感持たなきゃ、だって……」

 かのんは言いつつ、暗くなった窓の外を眺める。おもてには灯りひとつなく、張り詰めてしんとした暗闇が満ちている。いつもの営業時間より、もうずっと遅い時間だった。

「……私たち、どうなるんだろうね」

 かのんは目を伏せて、手元のグラスを拭き上げながら言う。ナプキンに染み込んだ水がガラスの内側を撫でて逆に濡らしてしまった。

 そのすぐ向こう側で、千砂都は首をかわいくこてん、と傾げてみせた。

「さぁ、でも、なんかワクワクしない?」

 千砂都があまりに軽い口調でそう言うので、かのんは呆れてため息を吐く。

「もう、ちぃちゃんってば……」

 ちょっと前、かかってきた突然の電話。

 

 ────四季が、タイムマシンの開発に、成功しましたの

 

 何を言われているのかも分からなかった。

 

 ────私たちで過去に、行きませんか?

 

 かのんはその電話を受けたのと同じ場所で、そのことについて考えていた。いつまでも動かないかのんに痺れを切らせた千砂都が、代わりに電話を取ったのだった。

 それから先は千砂都が話をしていたので、かのんにはその会話は半分だけしか分からなかった。

 その夜、千砂都に、話をされた。これはとてもとても危ないことだけど、本当にやるのか、ということ。現実には思えないかもしれないけれど、どうやら本当らしいよ、ということ。諸々のこと。

「ねぇ、私たち、やっぱり────」

「やっぱり……なんですの?」

 気がつくと、カウンターを挟んで正面、千砂都の隣に人がいた。かのんをジト目で見つめて、肩肘をついていた。

「わ……っ」

 かのんはいきなり増えていた人に驚いて、思わず後ずさり、持っていたグラスを手放してしまう。

 あっ、落ちる。

 そう思ってかのんは目を瞑った。けれど、かのんは身構えるばかりでいつまで経ってもそれが割れる音はしなかった。

「ふぅ、セーフ……っす」

 声がして、ゆっくり目を開く。

 そこにはグラス片手にへらりと笑う、淡い栗色の髪を垂らした、綺麗な人がいた。かのんの記憶にあるその人よりもずっと大人っぽくて、澄んだ声だった。

「かのん先輩、ぼーっとしてちゃダメっすよ? きな子たちはもうダークヒーローなんっすから」

 ぽかんとするかのんに、きな子は言った。得意げなきな子を前に、辺りは一瞬、音も動きも静かになる。視界の隅で千砂都が隣にいた夏美に声をかける。

「ねぇ、きな子ちゃんってあんなキャラだったっけ……?」

「……なんだか混乱していたので、適当に説明したら逆にノリノリになってしまいましたの……夏美は知らないですの」

 そう言ってやれやれ、と首を振る様子からは、二人がずっと一緒に過ごしてきたんであろう信頼感のようなものが感じられて、かのんは胸があたたかくなる。

「……変わってないね、きな子ちゃんたち」

 かのんはきな子の手からグラスをやさしく取って、カウンター裏の同じものが並ぶところに置いてからそう言った。目の前で千砂都が微笑んだのが、かのんには見てもいないのに分かった。

「そう言うかのん先輩も、全然変わってないっす! ……あ、でも前より色っぽくなったっすか?」

「それには同意見ですの、なんだか前にも増して……うぐぐ、私なんて未だにちんちくりんキャラでリスナーには通していますのに……そういうのはきな子の方がいいとかみんなは言いますの……」

 後半に従って声も身体も萎んでいく夏美を、そこにいる三人で見つめていた。みんなそれぞれきょとんとしていて、それから夏美が悔しそうに目を逸らしたところで誰からともなくぷっと吹き出す。

「ちょ、なんで笑うんですの、かのん先輩と千砂都先輩はまだいいとしても、きな子が笑ってるのは納得いかないですの!」

 むくれた夏美が言う。もうここは夜のかのんのカフェじゃなくて、あの夏中みんなで一緒にいた部室だった。穏やかな笑い声、かつてのはしゃぎ声。

「……みんな、本当に変わってないね」

 かのんは目を細めて笑った。すると夏美がテーブルをいきなり叩いて、立ち上がりながら言った。

「変わってないっていうのは失礼ですの! 今に夏美だってスーパースターになってメディアにもバンバン出てやるんですの! あのグソクムシ先輩にも負けないくらいの!」

「……だーれがグソクムシですって?」

 すっ、と。

 音もなく夏美の背中に現れたその人は、その金髪をわずかに揺らして夏美の肩に手を置いていた。冬だから、当たり前だけどコートを着ていた。

「ひいっ⁉︎」

 夏美は驚いてびくっと跳ねたけれど、肩に置かれた手で動けていなかった。

 でも、そうなったのは、夏美だけじゃなかった。それを見ていたかのんもまた、そうで。

「…………っ」

 久しぶりに見るその金糸、わざと薄暗くした店内でも吸い込まれてしまいそうなエメラルドの瞳。最後に会ったのは、もうずいぶん昔のような気がする。あの居酒屋。触れ合ったその胸もと、女子トイレの個室、不器用すぎた何もかも。

 かのんは思い出し、忘れかけていた感情が呼び起こされてしまいそうになる。

 ふと、夏美を押さえていたその人がこちらを向いた。すぐ向かいの至近距離で、その人はかのんを見て信じられないくらい、やさしく微笑んだ。

「久しぶり、かのん……元気、だったかしら」

 そう言って、すみれは懐かしいものでも見つめるみたいな目で、かのんを見つめた。

 それでかのんは、何かひとつ、大切なことを忘れた気がした。そんなやさしい顔で見てくれるほど、とてもとても長い時間が経っていて、もうお互いに大切な守るべきものがあるんだね。そう、かのんは思った。

「……うん、久しぶり、私は、すごく元気だよ」

「……そう、よかった」

「あ、千砂都〜かのん〜お久しぶりデス〜!」

 いつの間にかすみれの隣にいたその人がそう言って会話に割って入ってきた。

「わ、可可ちゃん……! 久しぶり〜元気してた〜?」

「はい〜! 千砂都もお元気そうで何よりデス!」

 千砂都は振り向いて可可の手を取って、二人で女子高生みたいに楽しそうにはしゃいでいた。その様子をカウンターの内側でかのんは見ていた。かのんの隣にいたきな子も、そっちをじっと見ているようだった。

「仲良く同窓会しに来たんじゃないのよ……全く、めんどくさいったらめんどくさいわね」

「同感ですの、私たちはあまり再会を喜んでいる暇もないんですの」

 可可と千砂都の横で、すみれはまだ夏美に手を置いたままで言った。夏美もその手に促されるまま座って、すみれを見上げて頷く。

「……そうだね、私たちは、あまり遊んでいる場合でもなさそうだね」

 かのんは言葉通りに、出そうかと思っていたカクテル用のリキュール類をこっそり裏に片付ける。

 するとまた、夏美の隣で声がした。

「……そうですね、わたくしもそう、思います」

 ひっ、と今度はすみれも、千砂都でさえ一緒に飛び退いた。その人は、最初からいたみたいに夏美の隣の席に座っていた。相変わらず背筋がしゃんと伸びているのが、何年振りでも変わらなくて少しかのんは笑ってしまいそうになった。

「恋ちゃん……」

「レンレン! お久しぶりデス〜! お元気デシタか?」

 可可は千砂都を離れて、恋の背中へと飛び込んだ。わ、と言って恋は前に倒れて、可可がその後ろから抱きついていた。すみれがため息を吐いているのが見えた。

「えぇ……みなさんも、お元気そうで」

「……久しぶり、恋ちゃん」

 かのんは呟く。なんだかみんな、何年振りかも分からないくらいなのに、土日明けの学校みたいな気がした。

「お久しぶりです、かのんさん」

 恋はやんわり微笑んでいた。少しも変わらないその声、その黒髪、その笑顔。かのんは懐かしくて言葉も出なくなる。

「……では、先ほども言いました通り、善は急げと言いますのでさっさと始めちゃいますの!」

 静かになったところで夏美が切り出してくる。でもかのんは、まだ一人足りない……それも一番重要な人が来ていないんじゃないか、と思って辺りを見渡した。

「私たちはメイちゃんが死んでしまう過去を書き換えるために、過去の重大な世界の分岐点にタイムマシンで向かい、そこで世界線の移動を図りますの! 世界線の移動はとてもシビアなので事前にバッチリ計画を立てておきますの!」

「……く、詳しいね、夏美ちゃん」

 かのんが言うと、千砂都と可可も目を丸くしているみたいだった。

「当たり前ですの! 私たちは政府に規制された数多の科学技術を使い過去に行く……いわばタイムトラベラーですもの!」

 ジッ

 その言葉を焼くようにわずかな火花の音がした。

「……ずいぶん偉そうじゃん、夏美」

 みんなが声のした方を振り向いた。カフェの奥まったところの壁にその人は白衣で寄りかかっていて、咥えたそれを左手で外すと、薄く煙を吐いた。

「私を差し置いて、何を話すつもりだったのか……聞かせて貰おうかな」

 四季が静かに言うと夏美はひいっ、と分かりやすく怯えた声をあげた。

「あ、あはは〜冗談ですの〜、ほら四季もこういう冗談好きかなと思って〜」

 顔を引きつらせて手を横に振っている夏美を、四季はじっと見つめていた。かのんはふと、あれこの二人ってお互い呼び捨てだったかな、と思ったけれど、些細なことなのでまぁいっか、と思った。

「夏美ちゃん、四季ちゃんのこと知ってるアピールはやめるっす! なんで昔からすぐ知ったかぶろうとするんっすか?」

「だ、黙るですのきな子! あなたこそなんで時々そんなに毒舌になるんですの⁉︎」

 カウンターを挟んで言い合いを始めたきな子と夏美を通り抜けて、四季はみんながいる開けた場所へと歩いてきた。ちょうどかのんを正面にするくらいの位置で、四季は立ち止まる。

「…………かのん先輩」

「はっ、はいっ⁉︎」

 かのんは四季の醸し出す重たい雰囲気に気圧されて、思わず声が裏返る。

「場所の提供、ありがとうございます。位置としても立地としてもここは適していました……灯台下暗しとも言いますし」

 四季は言いながら、白衣のポケットから何かを取り出して、その蓋を開いて、そこに左手で持っていた煙草を押し込むようにして消した。パチン、と蓋が閉まる。

「みんな」

 四季が少しだけ、大きな声を出した。それだけで場は一気に静かになる。

「私は……メイを助けるためにタイムマシンを開発した。みんなも乗れるようにしてある……だから、もし、可能なら……」

 ゆっくりと喋る四季の声は、次第に自信なさげに尻すぼみになっていった。

「その、みんな私の計画に賛同かどうかはさておき……私は個人の人生を尊重して欲しいというか……」

「あーもー! まどろっこしいわね!」

 最終的に四季は一人で同じようなことを繰り返すようになって、すみれがそれを遮った。

「みんなそのつもりだから来てんの、今さら引くなんてできっこない……行くったら行くわよ」

 すみれが言うと、四季は初めて驚いた顔をした。それはあの日以来、表情というものの全てを見せなかった誰かではなくて、紛れもなく四季のそれだった。

「きな子も行くっすよ! 覚悟はできてるっす!」

「可可も行くデス! すみれにだけ行かせるワケがないのデス!」

 次々と席を立つメンバーたち。

「わ、私ももちろん行きますの!」

「私も行くよ、私たちの大切な人を、取り戻しに」

「わたくしも、行きます。そのために、ここまで来たのですから」

 気がつくと、かのん以外は一箇所に集まって輪になっていた。後は、かのんだけだった。

 かのんはその中でちらりと振り向いた千砂都と、目が合った。それでくっと息が詰まって、カウンターの内側から出る。そして千砂都が開けてくれたそのスペースに、滑り込む。

 みんなかのんの言葉を待っていた。

「……簡単な道じゃないと思う。きっとたくさん辛い思いをする。それでも、みんなはやるんだよね」

 かのんから見えるほとんどの人が、ゆっくり頷くのが見えた。その言葉は薄暗いカフェによく響いた。

「分かった……やろう、私たちで」

 かのんが言うと、みんなはすごく、穏やかに笑った。それからごく自然に、手を繋ぎ合った。かのんの右手には千砂都、左手にはきな子がいた。

「……かのん先輩、グループ名とかつけないんっすか?」

「え」

 ふと、きな子が言った。確かにこのグループは、かつての部活とは違うし、でもじゃあなんて呼べばいいんだろう、とかのんは思った。

「…………リエラ、でいいんじゃないかな」

 するとすぐ隣から声がした。他の人の視線がその人に集まる。かのんもその人を見た。

「……そうだよね、私たちはいつまで経ってもリエラ、だよね」

 かのんが言うと、その人はそのまんまるな赤い瞳を開いて、そっと笑う。

「えっとね、でもつづりを変えようかなって……私たちって、高校生の時はLiella!だったでしょ」

 カフェは静かで、でもたくさん人がいるのでそれは静寂ではなく沈黙と呼ぶべきものだった。

「だからRe:era!(リエラ)っていうのはどうかな……もとの意味のフランス語で結ぶ、と時代を繰り返すって意味を込めて、Re:era!」

 どう?

 かのんは、千砂都がそう言うのを聞いていた。そしてそこにいるみんなが誰ともなく微笑んだのが、かのんには見なくても分かった。

 四季がそんなかのんたちを、幽霊でも見るみたいな顔をして見ていた。

「……決まりだね」

 こくり。

 みんなは頷いて、それから自然と手を繋いだ。みんなも同じ気持ちなのが、繋いだ手を通じて伝わってくるみたいだった。

「もちろん、リーダーは四季ちゃんね、ここにいる人たちは、四季ちゃんのために集まったんだから」

 四季は困惑と呆然の間くらいの表情をしていたけれど、そこにあるのは多分、喜びだった。

 かのんは大きく息を吸う。昔のように。

「私たちはRe:era! 時間を超えて、メイちゃんを助けに行きます!」

 気がつくと、かのんたちは右手でピースサインを作って、輪の中心で指を揃えていた。ライブ開始前の、おまじない。

「さぁ、行こう! リエラ!」

 かのんの目の前、その時、四季の耳に赤色のピアスが覗いた。ちょっとその瞳が潤んでいる気がしたのは、気のせいだったのか。それはかのんには分からなかった。

 

 

 

「スーパー! スタートッ!」

 

 

 

 振り上げられる、空に掲げるピースサイン。昔より控えめな始まりのサイン。

 一人を叶える物語。

 これが、これから始まるたった一日のうちに起きた、歴史に残らない闘いの幕開けだった。

 本当に私たちはいつも、始まってばかりいるな。

 そう、かのんは思った。

 

 

 

 ✳︎

 

 

 

「……と、格好良く言ったはいいけど、かのんちゃんはほとんど何も知らないので説明は全部四季ちゃんがやりまーす」

 千砂都に言われて、かのんはしゅんとして引き下がる。かのんと千砂都は奥のテーブルに向かい合わせで座った。

「……かのんって千砂都の尻に敷かれてるの?」

「ん? 尻に敷くってなんデスか?」

 その隣のテーブルに向かい合わせで座っているすみれと可可が言った。

「な、夏美に訊かないで欲しいですの! 千砂都先輩がニコニコしてこっち見てて怖いですの! ていうか夏美はまだ何も言ってないですの」

 夏美ときな子はカウンターに座って身体を曲げてテーブルの方を見ていた。

「……まだぁ?」

「ひいっ⁉︎ ご、ごめんなさい、ごめんなさいですの!」

「……ふふっ、ちぃちゃん、怖がらせちゃダメだよ」

「……でも今のは夏美ちゃんが悪いっす」

 みんながそれぞれ手頃な椅子に座っているこの感じは、いつかラブライブの発表を見にみんなでここに来た時みたいだな、とかのんは感じた。久しぶりなのに昔みたいな感じで、楽しいんだけど不思議な感じがした。

 すると四季が真ん中にすっと歩み出て来た。いつものように胸ポケットのケースから煙草を一本取り出して、流れるような動作で火をつけて咥える。それはもうごく見慣れた四季の動きだった。四季は左手の指で煙草を挟んで、一息分だけ煙を吐いた。

 それから、右手の人差し指と中指を綺麗に揃えて自分の左側から右側につぅ、と線を引いた。

 すると他のメンバーが座っている前のテーブルだったりカウンターだったりに、ゴト、と音を立てて無かったはずのものが現れた。

 かのんはもちろん、他のメンバーも驚いていた。特に可可とすみれ。他のメンバーは、なぜだかあまり驚いていないようにかのんには見えた。

「…………これは、物質圧縮装置。リストバンドみたいに腕にはめて、収納されているものを思いながら手をかざすとそれが出てくる」

 四季が言いながら正面に手をかざすと、今度はそこに中くらいの黒いものが出てきた。かのんは息が止まりそうになる。

 アサルトライフルだった。

 四季の白衣にその黒色の異物はますます浮いて見えた。

「……こういうの、みんなもできるから」

「い、いやいやいやっ⁉︎ 私たち、戦うの⁉︎ め、メイちゃんを助けるためだよね、これ必要なのかな……⁉︎」

 四季がアサルトライフルを右手に構えて左手で煙草を(もてあそ)んでいた。吐く煙が冬の吐息のように上がっては消えていく。

「……念には念を、と思って。他にも色々入れておいた。各自使えそうなものを入れておいたつもり」

 四季は淡々と言った。

「……試しにみんな一つ出してみて、耳につけるタイプのトランシーバーが入ってる」

 四季が言うので、かのんは腕にそのリストバンドをはめて、四季の真似をして目の前に手をかざす。トランシーバー、と思いながら。

 するとそれが、かのんの手の内に音もなく現れた。これが規制された発明……と思ってかのんはぞっとするような、ちょっとワクワクしてしまうような不思議な気持ちになる。なんとなく付け心地を試すために、みんなはそれぞれトランシーバーを耳に付けているようだった。

「あ、ちなみに銃は安全性に配慮して実銃ではなくゴム弾のような非殺傷弾を採用しましたの! ただ当たると気絶するくらいにはめちゃくちゃ痛いかもしれないですの〜」

 夏美が得意そうに言うと、きな子が不思議そうに夏美を見ていた。

「え、夏美ちゃんが用意したんすか、これ……いつの間に四季ちゃんと連絡取ってたんすか?」

「え⁉︎ えっと〜、つ、つい最近ですの〜あはは……」

 夏美は助けを求めるように四季を見ていたけれども、四季は応じる様子もなかった。

「それと……みんな、スーツは着てるよね」

 四季が入口の方に立ってこちらを振り向いて、言った。

 かのんは正面の千砂都と向き合って、お互いに上着を脱ぐ。その下から、黒を基調にした七色の線の入った衣装のような服が現れた。それは、昔みんなで初めてライブをした時の衣装で。他のみんなも続々と上着を脱いで、その衣装を見せる。

「……うん、それは本人の潜在能力を引き出すための特殊なスーツだけど、安全のためになるべく着ておいて、何が起きるか分からないから」

 四季はそう言ってライフルの側面で煙草をもみ消して携帯灰皿にそれを突っ込んでいた。私のカフェだからか床に捨てない辺りがやっぱり四季ちゃんらしいな、と思ってかのんはこんな時なのにほっこりする。

「タイムマシンを作ることは、政府の管理下でしか許されない……つまり私は、政府に離反する人間なの」

「…………」

「これから、私の秘密ラボに、みんなを案内する。ラボはちょっと変わったところにあってね、入り口がすごく遠くにあるの……でも、私たちにとっては、近いかも」

 四季は何か謎かけみたいなことを言っていたけれど、特に誰も気にしなかった。

「……そこにタイムマシンを用意してるから、すぐに過去に向かおう、そうすればこれも犯罪じゃなくなる、奴らも追ってはこれない」

「奴らって、誰っすか?」

 きな子が口を挟む。

「奴らは……政府の組織した時間超越特殊部隊、通称────クロノダイバー」

 かのんはそれを聞いて、いよいよというかいきなりのとんでもない展開に、ちょっと落ち着くのも兼ねてお手洗いに行きたくなった。それで奥の席から立ち上がった。

「あ、あの〜、私、ちょっとお手洗い行ってくるね?」

 非日常の緊張感に耐えかねて、かのんはぎこちなく動き出す。

「あ、危ないっ!」

 足を引っ掛けて転びそうになったのと、すぐそこにいた千砂都が瞬発的にかのんの下に滑り込んだのは、ほぼ同時だった。その、あまりの速さにすぐ横にいたすみれと可可は目を丸くする。

「あ、ありがとちぃちゃん、まさかコケるとは思わなくて……」

「いいのいいの、怪我しなかったんだから」

 千砂都にそう言われて、かのんは安心して床に座り込む。

「……千砂都すごいデス! すっごい速さデシタ!」

「……にしても今のは速すぎじゃない? いくら千砂都が運動神経が良いとは言えども……」

「それが、スーツの力……人並外れた瞬発力と運動を可能にした。ただし連続運用は五分、再使用には十分を空ける必要がある」

 四季はいつの間にかアサルトライフルは持っていなくて、その唇に煙草が咥えられているばかりだった。

 四季のすぐ後ろの入口側の席で、恋がじっとかのんたちを見ていた。

「…………ん?」

「……どうしたの、かのんちゃん?」

 ふと、かのんは立ちあがろうとする時に気がついた。何か、テーブルの下が、カウンターの下が、赤かった。

 かのんは、一番近くにいたきな子の席の下に膝立ちで近づいて、そこを見る。そして、息が止まった。

 ドラマでしか見たことないけど、この形状、この赤い数字がカウントする意味、そして繋がれた導線の先のいくつもの円柱。

「……ば、爆弾⁉︎」

 かのんは大声を出した。そこにいるメンバーがみんなかのんの方を見た。

 その時だった。

 入口の隣の窓から、光が差し込んだのは。

 当然朝日とかじゃない。もっと、何もかもを白日の元に晒そうとするような、白い光。四季がそれを見て、かのんたちを振り向いて、叫んだ。

「みんな! 伏せてっ!」

 かのんはそれを聞いて、一番傍にいたきな子を引っ張って、床に伏せる。その他の人も、四季の声を聞いて目の色を変えると近くにいた人を引っ張って床に伏せた。

 それとほぼ同時に、物凄い音がしてガラスが粉々に砕けた。そしてさっきまでみんなの頭や身体があったところを、風が走るように何かが通っていった。そして次の瞬間、辺りにあったガラスや食器類なんかが粉々に砕けた。

「……こ、れって」

「ちッ、もうバレるなんて……」

 四季は一人で歯噛みしていた。それから伏せたままの姿勢でかのんたちに振り向く。窓から炙り出すような光が差し込んでいて、誰かがそこにいる気配がしていた。

「説明してる暇はないし私がここで出来ることは少ない……」

 かのんがカウンターの下の赤い数字を見てみると、あと十秒であることが表示されていた。それ以外のテーブルにも設置されている。きっと、見えないところにもたくさん。

 四季はおもむろにしゃがみ込み、床に右手の人差し指を立てる。

「位相空間選択、移動対象指定完了、範囲形成、オーケー……パターン、ランダム」

 割れた窓から何かが投げ込まれる。四季はぶつぶつと何かを呟いていた。残り五秒。

「誤差確認、座標誤差修正、0.000004以下、発現位置、最終調節……オールクリア」

 四季は下を向けていた手を右側に、空気を切るようにサッと伸ばした。残り二秒。

 かのんはきな子の頭を抱え込むみたいにじっと(うずくま)っていた。あと一秒。

「転送ッ!」

 四季が言うのと、目の前で爆発音が聞こえたのと、視界がいきなり揺れ動いたのは、何から起きたのか分からなかった。

 かのんはいきなり足もとが割れて無重力になって、どこへ落下しているのかも分からないような浮遊感に襲われた。視界もぐわんぐわん揺れるので、その中できな子だけを抱きしめるのに必死だった。

 はっとして目を開いた。

 ドォン、という音は、少し離れたところから聞こえた。遠くから聞く花火みたいな音だ、と思った。

 そこを見渡すと、どうやら店からそう離れていない路地のようだった。薄暗く、狭い道は新宿開発の影響でぐちゃぐちゃに入り組んでいて、とても自ら入る気にはなれないような場所だった。この街ももう、一歩道を逸れれば貧民街が広がっている。

「いっ、たたたた……かのん先輩、大丈夫っすか?」

 かのんの下敷きになっていたきな子が言うので、慌ててかのんは飛び上がる。

「ご、ごめんね! きな子ちゃんこそ大丈夫?」

 かのんはきな子の手を取って、立ち上がらせてあげる。薄暗い、すえた匂いのする路地裏で、かのんはきな子と立っていた。

「なにが、起きたの……」

「分からないっすけど、多分、四季ちゃんが私たちを飛ばしたんじゃないっすかね……きな子も空間転移を見たのは初めてっす」

 きな子が言うと、かのんのつけっぱなしにしていた右耳のトランシーバーからザ、ザザァ……と音がして、それからすぐに声が続く。

『みんな、よく聞いて。今、みんなに私のラボの場所を送る。そこに、奴らを……クロノダイバーを振り払いながらやって来て……そこで、合流しよう』

 それだけ言って、通信は切れてしまった。ポケットに突っ込んでいたスマホが震えて、取り出すと昔の『Liella!同窓会(9)』のグループに最後に送られていたメッセージの下に、マップの位置情報が貼られていた。七年ぶりのメッセージだった。かのんはなぜだか胸が熱くなる。

「かのん先輩ッ!」

 きな子がいきなり声を荒げて、かのんの前に立った。そこには路地を塞ぐように、黒いローブを着た見るからに怪しい人たちが、わらわらと出てきていた。

「……あ、あはは、これはマズい、かも……?」

 かのんが言うと、きな子は両手を空中で引っ張るような動きをした。するとその手には、きな子の身体にぴったりなアサルトライフルが握られていた。きな子は右手にそれを自分の一部みたいに正面に構えて、顔だけで振り向いてかのんを見た。

「……やるしかないみたいっすね、かのん先輩!」

「えっ、えっ、銃なんて使ったことないよ⁉︎」

 かのんは立ち上がりながら首をぶんぶんと横に振る。

「そんなこと言ってる暇ないっす! やらなきゃやられるっすよ!」

「うえぇ……ど、どうしてこんなことに……」

 かのんは言いつつ、目の前の何もない空間を両側に引っ張るような動作をした。そして、構えた時には、すでにその手にはきな子のよりひと回り大きいアサルトライフルが握られていた。かのんは本当に出てきたそれの予想外の重さに驚き、落とさないように左手も添える。

「…………目的はここの突破と逃走っす、かのん先輩、やるっすよ」

「……分かった、きな子ちゃん、やろう」

 そして、路地の物陰に二人が隠れた瞬間に、高速の弾幕が張られて、戦いの火蓋が切られた。

 

 

 

 ✳︎

 

 

 

「……あんた、下がってなさい、危ないったら危ないわよ」

 すみれはそう言いながら、両手を正面に構えてライフルを取り出す。

「何を! 夏美たちはVRの世界で戦闘訓練もバッチリですの〜!」

 夏美も両腰から何かを引き抜く動作をした。すると、その両手には小さな拳銃が二丁握られていた。

 ここは寂れた繁華街の一角で、怪しげな看板の立ち並ぶネオン塗れの街だった。かのんの家からそう離れていないことは、一瞬前の轟音で分かった。そこから自分達が飛ばされてきたことも。

 そして目の前に、黒いローブを着た集団が、行く手を塞ぐように立ちはだかっていた。二人には逃げるより、倒すという選択肢を取る方が明白だった。幸いこちらは非殺傷弾を使っていたし、相手を殺してしまうこともなかった。夏美ナイス、とすみれは思う。

「……そう、じゃあ、お手並み拝見といこうかしら。やれるったらやれるのね」

「もちろんですの! 私はグーソクムシ先輩みたいに動くの遅くないんですの!」

「ふっ、あんたいっつも一言余計よ……じゃあ」

 すみれが一歩を踏み出す。夏美も両手に拳銃を構えてその後ろに付き従う。建物にかっぽり切り取られた真っ暗な夜空の下。

「行くわよ、夏美」

「はいっ、ですの!」

 そして次の瞬間、閑静な街に銃器の炸裂する音が、響いた。

 

 

 

 ✳︎

 

 

 

「はわわ……どうしまショウ、千砂都……」

「う、うーん……隙をついて逃げる、とか……?」

 薄暗い路地裏に二人はいて、そこは換気扇とかよく分からない大きなゴミ捨てのカゴみたいなものが連なっているところだった。

 そしてその入り口には、あいつらがいた。遠くで聞こえた轟音で、かのんの家で爆発が起きたことが可可には分かった。

「んー、でも戦うのは、どうすればいいのか分かんないし……弱ったなぁ」

「可可も何にも出てこないデス〜ど、どうしまショウ千砂都……」

 可可は言いながら、さっき見せてくれた四季の真似をして手を合わせたり開いたりしていた。可可たちは特に何の説明もされないまま、リストバンドを渡されていたので、てっきりみんな銃みたいなものが出てくるものだと思っていたけれど、なぜか可可と千砂都は出てこなかった。

 その時、地面が高い音を立てて削れて、二人がびくっとすると、その先で黒い銃口が二人に狙いを定めていた。

「わわわ……マズいデスよ千砂都……ど、どうしまショウ」

「んー、あ!」

 千砂都が思いついたように手をぱん、と叩く。

「走ってやっつける!」

 そのまま千砂都はクラウチングスタートの格好で、指さきを地面につけていた。

「え、え⁉︎」

 困惑する可可を横に、千砂都が脚と腰を持ち上げる。そのスーツが内側から光っていくように可可には見えた。

「よーい、どんっ!」

 建物に切り取られた細い路地に、千砂都の足音と銃声が、同時に弾けた。

 

 

 

 ✳︎

 

 

 

「はぁ…………」

 白衣についた埃を払いながら、その人はため息を吐く。白衣のポケットに右手を突っ込んで、もう片方の手で煙草を摘み、心底嫌そうに煙も一緒に吐いた。

「…………めんどくさい」

「四季さん、背中は任せてください!」

 四季が呟くので、恋は四季の背中に自分の背中を預けながらそう言った。ここはどこかの建物の屋上らしきところで、四方を黒いローブの集団に逃げ場なく囲まれていた。

「…………さっさと終わらせましょう、こんなのに付き合ってる時間はないので」

「……はい! そうしましょう!」

 恋から四季の顔は見えないし、四季からも恋の顔は見えなかった。

 恋が自分の正面に手をかざし、圧縮空間からアサルトライフルを取り出した。

 四季は口から煙草を外すと、それを足もとに投げ捨てて踏み潰し、白衣のポケットから右手を無造作に出した。

 それが開戦の合図だった。

 黒い人たちはそのローブの内側からその手にすっぽり収まる程度の小さい拳銃を取り出す。

Ready to go, Ren?(やりますよ、恋さん)

「……Yes, right now.(はい、いつでも)

 四季と恋が飛び出した次の瞬間、夜空に折り重なっていつくもの銃声が響いた。

 

 

 

 ✳︎

 

 

 

 小気味よくパラパラと雨音に似た音がしていた。しかしそれは雨音のようにやさしいものではなかった。

 一瞬遅れて、辺りのものに穴が開いたりひしゃげたりする音が続く。

「……どうするの、きな子ちゃん」

 鉄で作られた分厚いゴミ箱の側面にかのんたちは隠れていた。カン、カンッ、と擦れる火花の中、かのんはきな子と固まっていたので耳元で言う。

「んーと、もうちょっとしたら、一瞬隙ができると思うっす……待ってもらっていいっすか」

「え、隙……?」

 かのんが首を傾げていると、きな子がはっとして顔を上げた。

「いまッ!」

 そしてきな子はいきなりゴミ捨て場の影から飛び出した。かのんは撃たれる、と思ってきな子を助けようとしたのだけれど、その一瞬、まるできな子が飛び出すのに合わせるみたいに銃声は途切れた。

 飛び出ていきながら、きな子はライフルを両手で構えて、そのまま低い姿勢で三回、発砲した。

「かのん先輩! 今っす!」

 強い語調で言われて、かのんは恐る恐る顔を出す。

 すると向こうにいた黒ローブがきな子の発砲した回数と同じ人数、倒れていた。

「……え」

「どーっすかかのん先輩! きな子、夏美ちゃんとこういうゲームの配信もよくしてたんで慣れてるんっす! エイム良いって評判なんすよ〜」

 困惑するかのんの前で、きな子は得意げに言った。かのんは何かを言おうとしたけれど、しかし視界の隅で何かが動く気配がした。じっとしている余裕はないらしかった。

「きな子ちゃん! 走ろう!」

「え⁉︎ あ、は、はいっす!」

 かのんは右手に初めて持つアサルトライフルを構えて、走り出していた。後ろからきな子が慌ててついてくるのが分かった。

 でも、そこの角を曲がりたいのに、真っ直ぐ行った先に、奴らがいた。夜でも黒く輝く銃口がこちらに狙いを定めていた。

「かのん先輩っ、前っ!」

 きな子も気づいたみたいだった。この狭い道で応戦するか、走ってこのまま逃げるか、かのんは考えて、でもそんな時間はなくて、仕方なくこのまま逃げようと思った。

(あぁあとちょっと速く走れればいいのに……)

 かのんは思い、そこであることに思い至った。自分達が着ているのが、ただのスーツではないことに。

 

 ────そのスーツは人並外れた瞬発力と運動を可能にしました

 

 思い出し、かのんは後ろのきな子に考えるより早く手を伸ばす。

「きな子ちゃんっ! 手掴んで!」

「え、え⁉︎」

「早くっ!」

 かのんが叫ぶのと、きな子が手をぎゅっと握るのと、銃声が響いたのはほぼ同時だった。

 しかし、弾が通るべきだった場所には誰もいなくて、路地裏には静かな残響だけがあった。

「────⁉︎」

 黒ローブは困惑した様子で付近を確認して回っていた。しかし、そこにはもう誰もいなかった。

 硝煙の匂いだけが、辺りに立ち込めていた。

 

 

 

 ✳︎

 

 

 

 ここは両側にいろんなお店の入り口や巨大な看板があるので身を隠すにはうってつけだった。

 いかがわしいネオンライトに照らされた弾丸の雨が後ろのごちゃごちゃした街並みを薙ぎ倒していった。

『……いい、夏美』

『はいですの』

 すみれは『寿司バー』と書かれたいかにも怪しい店の入り口に身を潜めて、道路を挟んで向かいに同じく隠れている夏美と、さっき耳につけたままだったトランシーバーでやり取りをしていた。

『何度か銃撃戦をしたけど、ちょっと相手の数が多すぎるわ……逃げようと思ったのだけれど、ここは道が開すぎててそれも難しい』

『……その通りですの』

 夏美は会話の隙間に物陰から身を出して応戦していた。あまり効いている様子はなかった。

『だから上から逃げる』

『……え?』

『建物の上をジャンプして、飛び越えるのよ、ほら映画とかでよくあるじゃない』

『……そ、それは映画の世界の話ですのっ!』

 銃弾が雨のように打ちつけて乾いた音が鳴っていた。店先のガラスが割れる。

『四季も言ってたじゃない、このスーツは人並外れた運動を可能にしたって……同級生が言ったこと、あんたが信じなくてどうすんのよ』

 すみれは言い終わると、腕だけで向こうに狙いを定めない攻撃をした。もうここからは無理にここで戦う理由はなかった。

『……分かりましたの』

 すみれは夏美と目を合わせ、それぞれの建物を上るために、息を整えていた。

 しかしそのまま行っても追われてしまう可能性がある。そうなれば終わりだ。

 すみれはそう思って、なんか時間稼げるものないの……? と思いながら手を腰から引き抜く動作をしてみた。

 するとその手にずしりと、昔よく買いに行ったスーパーの白菜ほどの重みがある何かが握られていた。

 すみれが見ると、それは分かりやすく、手榴弾だった。しかしなんとなく、これは閃光弾だ、とすみれは分かった。想像と一致したものが出てくる感覚があったから、そう思ったのかもしれない。

 すみれはライフルを腰にしまう動作をすると、それはやっぱり途中ですり抜けるように消えた。右手に持ち替えたその小さなパイナップルみたいなそれのピンを口で開けてなるべく道路の向こう側に放り投げる。

『行くわよ、夏美!』

 そうすみれが叫んで、走り出した二人の背中で、白い閃光が炸裂した。すみれは後ろを振り返らない。銃声が止まっているような気がした。

 四階の屋上の扉は鍵もかかっていなくてすんなり開いてくれた。すみれはその向かいの屋上にいる、手を振っている夏美に手を振り返す。

「今からそっち飛ぶから、ちょっと待ってなさい!」

「え、え、落ちたらどうするんですの⁉︎ まだ一回も試してもいないのに……」

「いいから、やるったらやるのよ!」

 すみれはそう言いながら、屋上と向こうの屋上の隙間を見積もる。……うん、人間がいける距離じゃないわね。

 でも、すみれはやるしかなかった。屋上には柵も何もされていない。飛ぶにはもってこいの夜空でもあった。

「……すみれ、行くわよ」

 すみれは自分でそう呟いて、走り出す。こんなところで止まっていては、メイどころか、自分の愛する人さえ守れないのだ。すみれの脳裏を卵かけご飯越しに見るあの子の顔がよぎった。

「…………お、おお〜」

 すみれは夏美のすぐ隣に立っていた。夏美は感心した様子で手を叩いていた。

「す、すごい、鮮やかでしたの……悔しいけど流石はスーパーモデルなだけはありますの」

「いいから、さっさと次、行くわよ」

 すみれは成功したことに喜びひとつしないまま、夏美の肩を持ってそう言った。

「え、つぎ?」

「何とぼけてんの、地面は敵さんでいっぱいだから上から逃げるって言ったじゃない」

 すみれは、何か夏美と自分を繋げるもの、と思いながら手を空中にかざす。すみれの手には腕に巻き付けたのと似たような銀色のバンドが握られていた。

「あ……それ知ってますの」

 てっきり泣き言を言うかと思っていた夏美は、驚きの方が勝ったようにそう呟いた。

「なによ、これ」

 すみれが問いかけると、夏美はすごく懐かしそうな顔をしながら言った。

「……脚に、巻き付けて使うんですの、二人三脚みたいに……四季が高校生の頃作ってた、ヘンテコ科学アイテムのうちのひとつですの」

「ふぅん……? どうやって使うの?」

 すみれは靴紐を直すフリをしながら屈む。

「簡単ですの、脚に巻き付けて、脚関節神経ブロック、一部シンクロ完了と言えばロックされますの」

「オーケー、分かったわ」

 そう言うと、すみれは夏美の腰を持って抱き寄せた。夏美がわ、と短く声を漏らす。

「脚関節神経ブロック……一部シンクロ完了」

 すみれが言うと、すみれの右脚に巻かれたその輪っかが、夏美の左脚に回って、かちりと音を立てた。

「え、す、すみれ先輩……?」

「さぁ、逃げるったら逃げるわよっ!」

 すみれが叫んだのと、両側の屋上の扉から、奴らが溢れ出してくるのはほぼ同時だった。

 そして二人は、狙いを定める銃口もものともせずに、夜闇を駆ける風になった。

 銃声は遅れてそこに響いた。

 誰もいない闇の中に。

 

 

 

 ✳︎

 

 

 

 目にも止まらぬ速さだった。

 スーツの残光が夏場の太陽を見た時みたいに目に焼き付いて、その通った道が見えた気がした。

 遅れて向かいにいた人たちが順番にばたばたと倒れていった。

「……ふぅ、速いねーこれ」

 倒れた人の後ろから、リストバンドを弄っている様子の千砂都が現れた。

「すっごいデス……今の、どうやったですか⁉︎」

 可可は足早に駆け寄って、千砂都に訊いた。

「えっと、さっきかのんちゃんがコケそうになった時、自分でもすごい速く動けたんだ。だからこのスーツは自分が速く動こうと思ったら、動けるんじゃないかなって思って!」

「へぇ〜、すごいデスね……どうやって気絶させたんデスか?」

 可可は倒れた黒ローブたちと千砂都を交互に見ながら言った。

「ただの当て身だよ……ちょっと速いからダメージは大きいかもだけど」

 千砂都は言いながら、可可に向き直ってその手をきゅっと掴んだ。可可は驚いてそのまま手を取られた。

「可可ちゃんにも出来るよ! ちょっと速く動くのを想像して走るだけ……っと、早速お出ましだよ」

 千砂都が目を向けた方向、一本しかない道の先に、奴らが入り込んでくるところだった。

「……可可ちゃん、私があいつらを倒して道を作るから、そこを走って来れる?」

 千砂都が結んだ手を外しながら、そう問いかけてくる。可可はびっくりして顔を横に振ろうとした。しかし、考えている時間は無いようだった。

 カァン、と近くのコンクリートが削れる音がして、千砂都はもう一度走る構えを取っていた。

「行くよっ! 可可ちゃんっ!」

 そう言って千砂都がそこから消えたのを見て、可可も、あぁもうヤケだ、と思って千砂都の真似をしてクラウチングスタートをした。

「……いきマスよ、すみれ」

 ちょっと勇気をください。

 そう思って可可は脚を踏み出した。

 そして風のようになって、千砂都が散らしてくれた包囲網を突破して、おもてに出た。しばらく離れるために、千砂都を追いかけて入り組んだ道を可可は走った。

「……あれっ?」

 順調に進んでいたのに、ふと前を行く千砂都が立ち止まってしまった。

「あ、あれ? どうしたんだろ」

「……あ、そういえばしっきー、連続では五分しか使えないって言ってませんデシタか? 十分のチャージがいるとかも」

 可可が言うと、千砂都はむむむ、と唸って、近くにあった民間住宅の階段の埃臭い踊り場に可可を引っ張って連れて行く。

「ここで隠れよう、チャージが完了したら、また安全なポイントを見つけて高速移動する」

 可可は話を聞きながら、何か自分も出てこないものか、と思って空中に手かざす。役に立つもの、と思って。

 すると空中に座標平面がいきなり浮かび上がった。

「────っ⁉︎」

 二人は驚いたけれども、すぐにそれが自分達の周囲の地図であることが分かった。そこにある二つの点が自分達、そして下側から迫ってくるのが────

「クロノダイバー、だね、これ」

 千砂都が言った。

「……行けるところまで、行きまショウ」

 可可は空間にもう一度手をかざしてそれをしまうと、そう言った。可可はひょっとしたら戦闘には向かないから、サポート系のアイテムをたくさん使えるのかもしれなかった。心の中で四季の心遣いに可可は感謝する。

 そして、数分間待ってスーツのチャージが完了したら、二人はまた物陰から飛び出した。薄暗い道をどこまでも走った。

 銃声も間に合わない、抜群のスピードで。

 

 

 

 ✳︎

 

 

 

 四季目掛けて撃たれた弾は、全て当たらなかった。

 途中まではまっすぐ進むのだけれど、四季に当たりそうになると、その周りの空間が奇妙に歪んで、弾は四季に到達する前にぱらぱらと落ちていった。まるでおもちゃのように。

 そのまま四季はゆらりと首を傾けると、そのままの緩慢な動作で自分の百八十度以内にいる敵を見据えて、そして消えた。

 そして辺りに風が吹いたかと思うと、四季はその半円の端っこの人の黒ローブの前で止まっていた。

 時を同じくして、恋は飛び出したその真ん中で、誰かが銃のトリガーを引く前に、アサルトライフルを構えた。そしてトリガーを引きながら半円を描くように素早く振った。それは形状自体はアサルトライフルに似ているが性能は散弾銃に近かった。そもそもそれはゴム弾だったのでアサルトライフルとは少し訳が違ったのだけれど。

 勝負は一瞬でついた。

 恋と四季が動きを止めると、その後から二人を取り囲んでいた人たちはばたばたと倒れていった。

 恋は振り向くと、四季を見つめる。

「すごいですね……銃も使わないで……どうやったんですか?」

 四季はやる気なさそうに首を回しながら、もうすっかり見慣れた動作でケースから煙草を一本取り出して火をつけた。ゆっくり煙を吐いてから、言う。

「人間って急所があるんですよ……闇雲に銃やナイフを使うより、指何本かを適切な場所に刺した方が効きます」

 四季は煙草を挟んだ左手の人差し指と中指を恋に見せるように振った。

「……非殺傷のゴム弾とはいえ、当たりどころによっては危ないです」

 四季はどこか遠くを見るように目を細めて、それから恋を見て言った。

「恋さんも、人殺しだけはやめてくださいね、嫌な思い出だけが何百年も残りますから……一人でご飯も食べれなくなりますよ」

 四季はそう言った。

 恋はその時、四季の向こう側で起き上がりこちらに銃を向けていた一人に気がついた。声を上げようとした時には、しかし四季が、音もなくその人の傍に屈み込んで、その銃をそっと下ろさせていた。そしてそのまま首に手刀を叩き込み、辺りはまた沈黙した。

「……ここにいても仕方ありません、行きましょう、恋さん」

 四季が立ち上がりながら言うので、恋はこくりと頷く。

 四季はそのまま屋上のギリギリのところまで歩くと、吸っていた煙草を真下のくすんだ街に落とした。

「……じゃあ、ついてきてください」

 そう言うと、四季は恋にはまるで説明もなしに、おもむろに夜空に飛び出した。

 恋は、スーツの説明こそ受けていたけれど、実際に使うのは初めてだったのでいきなりすぎて困惑する。しかし、やらない訳にもいかなかった。

「……よしっ」

 恋は小さく気合いを入れて、思いっきり振りかぶり、片脚を蹴り出した。ちょうどパルクールみたいに街の上を風になって駆け抜ける。

 速度を緩めると、向こうで新宿ばかり眩しくて、恋はその度、胸が痛んだ。

 そうして恋は四季と、数分でラボについた。そこからは新宿の灯りも地平線の向こうで、なんとなく遠くに青色が見えるくらいだった。

 それ以外のメンバーはまだ来ていないみたいだった。四季の個人ラボには恋も来たことがなかったので、ここが地理的にどこに当たるのか恋には分からなかった。

「行きましょう、場所が割れてもマズいですから」

 四季は首だけで恋を振り返り言うと、その建物の方に歩いて行った。

 恋は一人でその建物を見上げる。辺りは居住放棄区域なのか、灯りは少ないけれど建物だけは立ち並んでいて、その中に紛れるようにその建物はあった。若干高いようで、目視では六階建てはあった。

 恋は視線を戻すと既に四季は見えなくなっていて、慌てて後を追いかける。

 この建物は昔はホテルだったのか、入り口の扉は複雑な模様の入った豪華な作りだった。元々は自動ドアだったのだろうけれど、手で開かないと開かなかった。扉は重たくて、片方を押すともう片方もつられて開いた。

 ようやく脚を踏み入れると、そこは思ったより空っぽだった。所々に直方体の支柱があるだけで、後は灰色のコンクリートが広がっていた。奥の方に上に続く階段があるようだった。

 恋はそこを歩いていった。歩くたびに削れたコンクリートがカラン、と鳴って空虚に響いた。

「……四季さん、ここは」

 辿り着いたそこにいる四季に、恋は声をかける。

「数年前にはホテルだったらしいです……変なオーナーで、ホテルとして特殊な造りだったばかりか……」

 四季は言いながら、ゆっくり腰を折る。

「隠し部屋があってですね……普通に入るのはやや面倒なので、転移します」

 四季は自分の右手の人差し指を立てて、それで地面に半円を描いた。

 次の瞬間、恋は明るい場所にいた。

 よく見れば、そこは自分達の地下五階の研究所によく似た場所だった。でも似ているのは壁中が白いことくらいだった。そして部屋の真ん中には、それが鎮座していた。球体の、神々しささえ覚える、人類の叡智そのもの。

「他より上が高いと……誰もが上に何かあると思うもの、隠れ家には最適でした」

 四季は言って、恋の隣にやって来て一緒になってその巨大な装置を見上げた。避難通路は一応あっちに、と言って四季は顔の動きだけで奥を指した。

「────っ」

 恋は自分の呼吸が乱れていることに気づいて、はっとする。

 それが自分の目的だったはずだった。四季がその巨大な球体に触れて、下の部分が開いて梯子が降りてくる。もう、今しかなかった。

「四季さん」

 声はつめたい気がした。でも本当につめたいのは手のひらに伝わる、黒い凶器だった。

 場の空気は、一変した。

「……何の真似ですか」

 振り向いた四季がそう言う。その声は、張り詰めているような、淡々としているような、色のない声だった。恋はその銃口を四季に向けたまま、握り直す。

「……ごめんなさい、私はずっと、こうするために、生きてきたんです」

 恋が言うと、辺りにはいきなり沈黙が満ちた。その無言は永遠にも感じられるほど不快だった。恋の握っている銃は夏美の用意したものではなく、実弾の入った拳銃だった。政府から貰ったモノ。そのグリップが汗ばんでいくのが自分でも分かった。

「……どうして」

 そのあまりに短い一言は、何よりも恋を傷つけた。あの日からの十年間の記憶のフィルムが口元にべたべたに張り付いて恋は何も言うことが出来なかった。

 恋は首を振る。長い黒髪がゆったりと揺れる。誰に対して申し訳なくなっているのかも分からずに、恋は何度も、何度もそうしていた。

「ごめんなさい……四季さん」

 恋は気がついたら視界が歪んでいた。景色の色が線のようになって伸びていくので、自分が泣いていることに気づいた。恋は袖でそれを拭って、四季に向き直る。その時の四季の顔を、どう表現していいのか恋には分からなかった。ただ、そんな顔をさせたかった訳ではないのに、と恋は心の底から思った。そんな自分を死ぬほど殺してやりたかった。

 目的は若菜四季の作っている二機目のタイムマシンの破壊と、本人を含むその関係者の抹殺だった。クロノダイバーにはその命令と発砲許可が下りていたし、当然、恋もそうだった。最初から後には引けないと、分かっていたはずなのに。

「…………さよなら、四季さん」

 恋は言って、頬を伝う涙を拭わないまま、突き出した右手のそれの、トリガーを、引いた。

 激しい撃鉄が、広い部屋に響いた。

 しかし、撃ち終わった恋の手が下ろされることはなかった。

「……かはっ」

 恋は、肺から酸素がなくなるのを感じた。特に身体に強い力が加わった訳でもないのに、息ができなかった。手に力が入らなくて、拳銃が床に滑り落ちてカツン、と音を立てた。気がつくと、恋の身体の下に、青い髪が流れていた。宙ぶらりんの恋の手をそっと、その手が包むように下に向けていた。

「……すみません、恋さん、やっぱり私は一人で行きます」

 崩れ落ちる恋のすぐ横から、その拳銃の先を摘んで持ち上げて、四季はそう言った。それからすぐに四季は部屋の真ん中にあるその装置にまた近づいてしまう。

 恋は膝をついて俯いたままの姿勢から、ようやく四季に、鳩尾を突かれたことを悟る。息を、整える。

「…………ふふ、もう、遅いですよ」

 恋が呟いた声は、情けないほど震えていた。四季がもう一度、振り向く。

「私の目的は……このタイムマシンの破壊と、あなたたちを始末することです……そして、あなたが使える科学兵器は、私たちも既に研究済みです」

 恋が言う姿が、四季の赤い瞳に映り込んでいた。その瞳がとてもかなしいようでいけなかった。

「クロノダイバーはタイムマシンを、もう完成させています。四季さん、あなたはもう、不要な存在なんです」

 恋はおもむろに両手を自分の前にかざす。そこに現れたのは、恋の両手に収まるくらいの長細い鉄の塊で、側面にタイマーがついていた。あとたったの、三。

「さよなら……四季さん」

 恋は言うと安全装置を外してそれを目の前に放り投げた。タイマーが動き出す。あと、二。

 恋は人差し指で地面に半円を描く。さっき四季がしたのと同じように。

「……転送」

 恋は呟くと、そのまま視界は一度歪み、四季の姿も、タイムマシンも、何も見えなくなった。

 そして恋は、さっきいたホテルの入り口にいた。あと、一。

 恋はホテルに背を向けて、歩き出す。

 そして、次の瞬間、こもった轟音がして地面が大きく揺れ動いたのを、恋は感じた。

「…………さよなら、私の、大切な人」

 恋は夜に擦り切れた金色の瞳で、そう言った。

 クロノダイバーのリーダー、葉月恋として。

 

 

 

 ✳︎

 

 

 

「はぁ……はぁっ……」

「ふぅ……大丈夫? きな子ちゃん」

 息を荒げるきな子に、かのんは問いかける。さっきスーツの力で少しだけれど引っ張ってしまったので、身体に負担がかかっているみたいだった。街並みの隙間にある路地で、少しだけ休憩していた。

「だいじょうぶ、っす……きな子はまだまだいけるんで、早く行こうっす……」

「……うーん、もうちょっと休んでからじゃないと、危ないよ」

 かのんはそう言ってしゃがみ込んでいるきな子の背中をさすってあげていた。この路地には人気(ひとけ)がなく、ある程度視界も開けているのでいきなり襲われる心配もなかった。

「かのん先輩は、昔からやさしいっすね……きな子は、そんなところに……」

 きな子の言葉は最後の方は吐息だけになってしまったので、かのんには聞き取れなかった。

「なにか言った? きな子ちゃん」

「……ううん、なんでもないっす」

 きな子は微笑んでそう言うと、突然立ち上がり、かのんに向き直った。夜の闇が降っていた。

「さ! 早く目的地に行こうっす! さっきのでスーツの使い方も大体覚えたっすから!」

 きな子は腕を見せるように折り曲げた。かのんはそれを見て、なんだか微笑ましくて笑ってしまいそうになる。

「……なにがおかしいんすか? かのん先輩」

「……ううん、なにも」

 かのんときな子は遠く青く光る新宿と反対方向を見据える。

「よし、行こっか!」

「はいっす!」

 二人で並んで、それぞれが走り出す姿勢を取る。やっていることは命懸けの戦いのはずなのに、なんだか昔部活のトレーニングで走ってた頃に戻ったみたいに思えるのが、かのんにはおかしかった。

 アスファルトを蹴って駆け出す。二人は風のようになって、どこまでも、街をくぐり抜けていった。

 色の線みたいになって流れる景色の中、かのんは色んなことを思い出していた。

 すみれちゃんと海見に行ったなぁ。

 すみれちゃんにあの居酒屋の女子トイレの個室で告白したなぁ。

 ちぃちゃんとぐちゃぐちゃな座敷で初めてしたキスのお酒の味。

 ちぃちゃんと一緒にカフェの経営をするの、すっごく楽しかったなぁ。

 これが全部終わったらまだまだ伝えたいことがある。一緒にいてくれる感謝だけじゃなくて、もっと、こう、言葉にならない────

「かのんさん!」

 気がつくと、やや広めの道路の真ん中に、人が立っていた。きな子がゆっくり速度を落として、かのんも立ち止まる。

「恋ちゃん! 無事だったんだね!」

「よかったっす! 夏美ちゃんたちは……まだ来てないんすかね」

 かのんたちは恋と合流できた。道の真ん中の分かりやすいところにいてくれたので、かのんには見つけやすかった。

「ふぇぇ……つ、疲れたデス」

「やー、まだちょっと慣れないなーこれ」

 いきなり、隣にどてっ、と倒れ込む人と、その横で軽く屈伸をしている人が現れたので、かのんはびっくりした。

「可可先輩! 千砂都先輩!」

 きな子が名前を呼ぶと一方はヘトヘトな様子で、一方は軽く微笑んで手を振っていた。

「かのんちゃん、無事でよかったぁ」

 千砂都はかのんを見つけると、そう言ってふにゃりと笑った。かのんはそれだけで、胸がはち切れそうな気持ちがした。

「ちぃちゃん……よかった、無事で」

 かのんは千砂都まで歩いていき、そのままぎゅっと抱きしめた。本当はものすごく心配していたことに、会ってからかのんは気がついた。

「わっ……か、かのんちゃん……⁉︎」

 千砂都はいきなり抱きしめられて、困惑したような声を上げた。でもそれも最初だけで、すぐにかのんの背中にも手が回された。いきなり銃と爆弾の飛び交う戦場に投げ込まれて、怖くない訳がなかった。そのぬくもりをとてもとても守りたいとかのんは切実に思った。

「ふぅー……やっと着いたと思ったら、なにやらお熱いですの」

「ホントねぇ……あ、シンクロ解除」

 かのんは千砂都との抱擁を解いて、声のした方を見た。そこには銀色の輪っかを指に引っ掛けて回しているすみれと、ため息を吐きながら地面に手をついている夏美がいた。

「二人とも! 無事だったんだね!」

 千砂都が嬉しそうに歩み出て、かのんはそんなみんなを後ろから見つめていた。きな子が夏美に近寄って、その手を引いてやさしく立ち上がらせていた。

 かのんはそっと、そのひと時の穏やかさから離れたところにいた人に声をかける。

「……恋ちゃん、無事でよかった」

「え⁉︎ は、はい、そうですね……」

 かのんは穏やかに声をかけたのに、恋は変に驚いたような反応をした。それでかのんは首を傾げる。

「……そういえば、四季ちゃんは一緒じゃないの?」

「…………え、あ、すみません……何でしたっけ」

 恋はぼうっとしているみたいで、話しかけてもよく分からない()があった。

「四季ちゃんは一緒じゃないの? って訊いたの。恋ちゃん……疲れてる?」

 かのんが心配で訊くと、恋は首を緩く横に振った。黒いポニーテールがそれに合わせて揺れた。

「いいえ……大丈夫です、四季さんは、あの建物の地下で、タイムマシンと共に私たちを待っています」

 恋は言うと、すぐ隣にある建物を指差した。いつの間にか喋っていたのはかのんと恋だけで、みんな恋の言葉を聞いていたので、みんなそちらを見た。寂れたホテルのような見た目の、六階建てくらいに見える建物だった。

「なぁに? じゃあさっさと行けばいいじゃないの、そこに四季のラボがあるんでしょ」

「すみれもたまには普通なこと言うんデスね……」

「ちょっと、どういう意味⁉︎」

 すぐにお互いの頬をつねり始めた二人を見て、相変わらず仲良いなぁ、と思ってかのんは眉が下がる。その傍にいる千砂都を見る。

 そしてあれ、と思う。

 昔あんなに辛かった感情が、どこにもなかった。あんなに騒ぐ頭と腹の奥がぐしゃぐしゃになっていたはずなのに、それはもうどこを探してもなかった。かのんにはそれが、信じられなかった。時の流れ、というもの。

「ていうか、こんな道路のど真ん中にいたら見つけてくれと言っているようなものですの……早く行った方がいいと思いますの」

「同感っす。いつまでもここにいるのは危険だと思うっす」

 夏美ときな子もそう言った。千砂都もうん、と頷いて、一同は自然とホテルの根元へ近づいていった。

 すぐに辿り着いたその扉は豪華で、複雑な模様が入っていた。手で開かないと開けなさそうだ、とかのんは思った。

「きな子ちゃん、そっち持ってもらっていい?」

「はいっす!」

 かのんはきな子にそう指示すると、両側から力をかけて扉を開き始めた。重たい扉が、ゆっくりと開いていく。

「え」

 短い疑問の声が後ろから上がり、見るとそこには目を丸くしたすみれと可可がいた。

「ちょっと、それ、なに……?」

 すみれの目線の先、開いた扉のその奥を、かのんも覗き見る。

 息が止まった。

 真っ赤だった。

 それがなんであるか、かのんにはすぐに分かった。さっきカフェにあったのと同じ時限爆弾。

 それがおびただしい数、床中に設置されていた。それは赤い目をした蜘蛛が大量にいるようにも見えて、狂気じみていた。

「みんな逃げてッ!」

 かのんは振り向いて叫んだ。

 そこからは、状況を瞬時に飲み込めた者と、そうでなかった者と、混乱して動けなかった者で分かれた。

 そして悪いことに一番扉に近いきな子が後者だった。

「あ……わ……あ……」

「きな子ちゃん! 落ち着いて、速く逃げよう!」

 かのんはきな子の肩をゆすり、必死に語りかける。可可を連れてすみれが走っている。夏美と千砂都はどうするべきか戸惑っているみたいだった。

「…………かのんさん」

 そうしていると、隣で声がした。振り向くとそこには、なぜか申し訳なさそうな顔をした────その時のかのんにはそう思えた────恋がいた。

「私が、四季さんを助けに行きます……みなさんは、早く逃げてください」

 恋はそう言うと、すぐにその扉に向かって歩き出した。その隙間から、向こう側へ滑り込む。その後ろ姿が、何故だかひどく寂しそうだった。

「れ、恋ちゃん! ダメだよ、いつ爆発するか分からないのに……そんなの!」

 かのんが言うと、恋は顔だけで振り向いて、半月みたいに瞳をまぶたに隠して色のない声で言った。

「……多分私は、ずっと四季さんのことが、好きだったんです」

「え」

 きな子が夏美に抱かれて離れていった。世界は不安定なスローモーションみたいにかのんの目には映っていた。赤い世界に佇む恋の、見たことのない切ない笑顔。

「あと私は、多分、みなさんのことも、大好きでした」

 恋は言いながら、赤い世界の奥に進んでいってしまう。それをかのんは止めることが、できない。

 最後に振り向いた恋の顔が、果てしもなく寂しそうな顔をしていたことだけ、かのんはよく覚えている。

 

 

 

 ────さよなら

 

 

 

 恋の唇がそう動いたのと、かのんが手を伸ばしたのと、千砂都に抱かれて飛び退いたのがほぼ同時に起きた。

 そして爆音が世界を包んだ。

 かのんの見ている世界は、赤茶色の爆風が吹き荒ぶばかりで、他にはなにも見えなかった。千砂都にお姫様抱っこをされている感触だけがあった。

 やがて音がおさまり、少し距離ができると、千砂都はかのんを下ろした。

 そしてかのんは急いで元いた方へと走る。千砂都が何かを言った気がしたけど、止まらなかった。

「恋ちゃんっ!」

 跡形もなく粉々に砕けた、かつて扉だったところを抜ける。中は瓦礫だらけで、二階ごと崩落したのか、地面に妙に厚みがある部分があって奥まで見渡せなかった。支柱だけがところどころに残っていた。

「恋、ちゃん……? 嘘、だよね……」

 かのんの声はコンクリートの隙間に吸い込まれるように消える。後には自分の足音が響くばかりだった。

「かのん」

 呼ばれて、振り向くとそこにはすみれがいた。目を伏せて、首をゆっくりと振って。それはすみれが言いたくないことを言う時の癖で。

「……もう、私たちは、何も知らない一般人じゃないの。次は自分がこうなるかもしれない……みんな、そう思っておいた方がいいわ」

 ふと見ると周りにはきな子、夏美、千砂都、可可もいた。皆それぞれ苦しそうな顔をしていて、かのんは絶望しながらも、当たり前だ、と思って自分を諌める。

 その時だった。

 入ってきた入口の方から、ステージのスポットライトのように眩しい光がかのんたちを照らしたのは。

「クロノダイバーっす!」

 きな子が叫んで、その声を皮切りに全員が散開する。

 ただ、ここは瓦礫以外に身を潜める場所がほとんどなく、雪崩のように入り込んでくる黒ローブの奴らには、きっとやりやすい場所だったろう。

「みんな! 上に逃げて! 入口からはもう逃げられない!」

 かのんは言いながら、走れ、と強く思う。そして全身のスーツの色がついている部分が発光して、かのんはスタートダッシュを切った。他のみんなもそうしてくれていると信じて。

 室内の空間を貪り喰うような弾幕が張り巡らされたのは、その一瞬後のことだった。

 

 走る。走る。走る。

 ひたすら上へ上へ、階段を上っていった。

 すぐにスーツの活動限界は来てしまって、それはかのんがちょうど屋上の扉を開けた時だった。撃たれるのを回避するために隙を見計らっていたせいで、余計にスーツの力を使ってしまった。

「ふぅ……これは、まずいわねぇ」

 隣に来たすみれが周囲を見ながら言う。

「うーん、私もこれはちょっとマルじゃないかも……」

「可可もデス……」

 かのんの同級生組はそんな様子で、きな子と夏美も良い案は出ないようだった。

 それはそうだ。

 スーツは全員ギリギリまで使用して再使用には十分かかる。その十分の間に奴らはここまで上がってくるだろう。そうなれば逃げ場もなくおしまいだった。

「どーしよ、これ」

 かのんは、黒すぎる夜空を見上げて、四季の顔を思い出していた。そもそもどうしてかのんの喫茶店で集まったのか。

 

 ────灯台下暗しとも言いますし

 

 それは近すぎて気がつかないことが、あるということ。四季はなぜ一番重要な秘密ラボをここの地下にしたのか。

 

 ────ラボは入り口がすごく遠くにあるの……でも、私たちにとっては、近いかも

 

 そう、ヒントみたいに言っていた四季のことを思い出した。あの時、あれは確かに何かを伝えようとするサインだった。

 ふと、かのんは自分達が正解に近いところまでこれている気がした。それは何の根拠もない、直感だった。私たちにとって一番近い場所は、そう。屋上だ。

「みんな! ここの入り口付近を隈無く探してみて! 小さなボタンひとつでも見逃さないで!」

 かのんはそう叫んだ。

 あと数分で自分達がやれる、最後の賭けだった。どの道今のかのんたちではこのビルから隣のビルへと飛び移って逃げることはできない。

「……なんだかよく分からないけど、やるったらやるわよ」

「きな子もやるっす!」

 そう言ってくれる人や、無言でそうしてくれる人たちがいた。かのんもそこに参加する。恋か四季がいれば、と強く思った。

 でもその願いは願いでしかなかった。かのんたちは必死に屋上を捜索した。あの頃みたいに、みんなで。

 そうしてしばらくして、扉のついている壁の辺りを念入りに探っている時だった。

「か、かのん先輩っ!」

 その扉のある箱状に盛り上がっている上に乗っていたきな子と夏美が突然叫んだ。

「どうしたの⁉︎」

 かのんは側面についている梯子を登って、その奥にいる二人のところまで行く。

「────っ⁉︎」

 そこには、下水道を管理しているマンホールのようなものがあった。ただ何となく、マンホールにしては幅があり、ここにあるには不自然な気がした。そもそもこの近くに水道はない。

 そしてそこに、明らかに後から掘られた文字が書かれていた。マンホールの円周に沿うように。

 

『Song for me,Song for you,Song for ???』

 

 それは分かりやすすぎるような、やっぱり四季らしい、パスワードだった。そこにすみれと可可と千砂都もやって来て、後ろから覗き込んでいた。

「ねぇ、誰か、何かここに文字を刻めるもの、持ってない?」

 かのんが言うと、すみれが手を開いて閉じてみせた。

「はい……これしか出てこなかったけど」

 すみれは言いながら刃先の鋭いナイフを取り出した。かのんが試してもそんなもの出てこなかったから、やはりリストバンドに入っているものは四季による何らかの采配がされているのだろう、とかのんは思った。

 かのんはそれを受け取り、素早く空いたスペースにアルファベットを刻んでいく。

 

『all』

 

 それが刻まれた瞬間、そのマンホールは低い音を立てて、ゆっくりと九十度回転した。その方向にいたきな子と夏美は慌てて避けていた。

「これ、って……」

「あの子、なかなか粋なことするじゃない」

 すみれがニヤッと笑った。

 そこには、まっすぐ奥にまで伸びる梯子があった。底が見えないほど、深く暗い。

「かのんを先頭にして、順番に行きなさい。私が殿(しんがり)を務めるから」

 すみれはそう言うと、目の前の何もない空間からアサルトライフルを掴んでいた。かのんたちに背を向けて、銃をいつでも構えれるように、辺りに細心の注意を払ってくれているようだった。かのんは急いで、その穴に飛び込む。

「ほら、早くおいで!」

「は、はいっす!」

 かのんに続いて、きな子が梯子を降りてくる。

「可可先輩と千砂都先輩は先に行くですの、夏美もここに残りますの……グソクムシ先輩にばかり良い格好させられませんので」

 夏美が言うと、かのんにはすみれの笑い声が聞こえた。

「言うじゃない、じゃあお手並み拝見と行こうかしら」

 すみれが言うのと、屋上の扉が決壊したのは、ほぼ同時だった。

「ちょっと暴れてくるわ、夏美、背中任せたわよ」

「ガッテンですの!」

 そう言って、屋上の中心に飛び出していったすみれは、背中越しに構えたアサルトライフルで屋上の入り口にいるクロノダイバーたちを的確に狙撃した。夏美も飛び出して、空中で拳銃を左右の手で抜き、地面に着地する頃にはすみれの撃ち漏らしをしっかりカバーしていた。

「やるじゃない、夏美。スーツの使用、最低限に抑えなさいね……このままここは死守するわよ」

「了解ですの! どんどんかかってこいですの!」

 その間に、可可と千砂都も穴に飛び込んだ。かのんにはでも、外の様子がどうなっているのか分からなかったから、ただ降りるしかなかった。

 そうしてしばらく降りた先、少し光が漏れている箇所があった。そこは壁が破れていて向こう側が見えているようで、意図的に作られたものではなさそうだった。

 かのんはその隙間から内部を見る。

 そこは壁が白くて物の少ない、有体に言えば四季の言う秘密ラボのようだった。しかし、そこに入るところはなくて、梯子はまだ下に続いていた。

「────ふぎゃっ!」

「────わぷっ!」

「────やっ!」

 そうしていると、かのんにぶつかったきな子に可可がぶつかって、可可に千砂都がぶつかったみたいだった。

「ちょっと、かのんちゃん止まんないでよ、狭いんだから」

 千砂都の声が真上から聞こえた。

「ごめんちぃちゃん、すぐ行く」

 かのんはそのままつめたい感触の梯子を降りていった。

 ようやく降り切るまでに、五分くらいはかかったような気がする。やっとかのんは地面があるところに出た。そこは先ほどの爆発の影響を全く受けていないようで、しかしここもまた壁も床も真っ白な空間だった。みんなが続々と降りてきた。

「ふぅ……ちょっと疲れたっすね……」

「すみれ……大丈夫デスかね……」

「今は気にしても仕方ないよ……私たちは先に進もう」

 千砂都の言葉にみんなは同意したようで、その先を見据える。細長い廊下があって、その先から部屋から明かりが漏れているようだった。

「……行こう」

 かのんは言うと、先頭に立って歩き始めた。すみれの言葉通りに。

 スーツは少し間隔を空けているから若干なら使えるはずだ。かのんはいつでもアサルトライフルを取り出せるように準備をして、そろりそろりと歩いた。

 しかしその扉は自動ドアで、かのんが近づくとヴゥン、と滑るような音を立てて開いた。

 一同はぎょっとしたけれども、すぐに部屋の中に入る。一応、それぞれ銃を構えて。

「…………これ、って」

 でも、全員すぐに銃を下ろした。この部屋の中心にあるそれが、あまりにも目を引いたから。

「……うん、そう、じゃないかな」

 千砂都はゆっくり、かのんに近づいてそう言った。そこにあるものは、何も言われなくても、どういうものか分かるような、大きな球体だった。

「…………タイムマシン」

 後ろの夏美が驚愕を滲ませた声で、言う。

「……でも、それなら四季ちゃんは、どこにいるの……?」

 かのんは疑問に思って訊く。千砂都はあまり悩む間も無く、こたえる。

「多分、さっきの途中の部屋にあったのが四季ちゃんの作ったタイムマシンじゃないかな。これは多分、もしもの時のための、保険じゃないかな……だからもし四季ちゃんが死んでないとすれば、もう過去に行っている」

 千砂都の説明を、そこにいる全員で聞いていた。こういう土壇場での千砂都の意見は信用できることを、全員知っていたからだ。

「……なるほど、じゃあ私たちは四季の用意してくれてた二台目のそれで追いかけるって訳ね」

 後ろで声がして、驚いて振り返ると、左肩から血を流したすみれがいた。その後ろで、夏美も。

「すみれ⁉︎ ど、どうしたんデスかその傷……」

 可可が血相を変えてすみれに駆け寄る。その後ろで夏美が苦い顔をしていた。

「夏美が悪いんですの……夏美のサポートがもっとちゃんとできてれば、こんなことには……」

「あんたのせいじゃないから、しょげんじゃないわよ、ね」

 すみれは自分の血で白い床を汚しながら、やさしく微笑んでそう言った。言うように、掠っただけの傷らしかったけれど、それでも血が垂れていて痛そうだった。

 そういう強がりでやさしいところを好きになったんだっけな、とかのんは思った。でも、それがもうかつての感情ではないことにかのんは何度でも驚く。それはただ友人を想うような、あたたかい気持ちだった。好き、って、なんだっけ。私は何をそんなに、欲しがっていたんだっけ。

「で、でもきな子たちこんなの操作できないっすよ? 四季ちゃんもいないのに、誰がやるんすか⁉︎」

 きな子が言った。それはもっともな問いかけで、かのんもそう思った。タイムマシンがあっても、操縦する人がいないと何にもならない。

「あの……」

 その時、可可が控えめに声を上げた。全員の視線が可可に集中する。

「可可、それの操縦、できるかもしれないデス」

 それを聞いて、かのんたちはみんな目を丸くした。そしてその横で、もう一人手を上げる。

「私も、多分、できるよ」

 自信あり気に千砂都がそう言った。かのんは二人の発言に本気で驚く。

「え、な、なんで二人ともそんなことができるの⁉︎」

 かのんが言うと、可可はリストバンドを掲げて見せた。

「可可のこれには銃とか戦う用の道具は一つも入っていませんデシタ……代わりに、タイムマシンに関する資料を脳に直接インプットできる装置が入っていたんデス……ここに来るまでに既に使っているので、可可はこれについては何でも分かりマス」

「私も同じかな、だからこれについてはすごくよく分かる。操縦は任せてよ!」

 千砂都と可可は言うと、タイムマシンに近づいて、何かを触ると、タイムマシンの下部が開いて、梯子が降りてきた。

「さ! 乗って! いつ奴らが来るか分かんないからっ!」

 千砂都の声に従うように、かのんたちは順番に乗り込む。

 その内部の空気はつめたくて、未来の宇宙船みたいだ、とかのんは思った。

 千砂都は巨大なモニターとか、見たことのない配列のキーボードなんかが並んでいる、メインコントロールらしき椅子に座った。千砂都の座っている椅子の左右にふたつ椅子があって、その左隣に可可が座った。そこを頂点に四角形を描いて、各頂点に来るように椅子がふたつずつ並んでいた。

「……このタイムマシン、九人乗りだね」

 千砂都がふと思い出したように言った。メインコントロールの前に集まっていたかのんたちは、はっとして椅子の数を数える。確かに、九席あった。そう、私たちは……九人でLiella!(リエラ)

 それを取り戻すためのRe:era!(リエラ)

「……四季ちゃんを、助けに行こう」

 かのんは強く、そう言った。

 千砂都と可可は、モニターに表示される難解な英数字とギリシャ文字だらけの何かを、見たことのないキーボードで処理していた。

 その時だった。

 頭上から轟音がしたのは。

「ちっ……あいつらね」

 音はどんどん近くなっているようだった。ここがあることを掴んだけれど入れなかったら、上から爆弾で掘り進めようとしているのだろう。

「かのんちゃん! 準備できた! いつでも飛べるよ!」

 千砂都が興奮気味にそう言った。

「ちょ、ちょっと待ってくだサイ、千砂都……これ……」

 しかし可可の様子は思わしくなかった。そして千砂都もそれを見て、息を止めたようだった。

「なにったらなによ? もう時間ないわよ!」

 すみれが言うと、可可は困惑したようにかのんを見つめた。

「時空の歪みが、一箇所じゃないデス……」

 千砂都も再度キーボードの操作をやり直しているようだった。また轟音。どんどん近くなっている。タン、と千砂都がキーボードを叩いた。あくまで落ち着いた声で千砂都は言う。

「可可ちゃんの言う通り、タイムマシンで時間を越えると、時空間に歪みができるの……それが、なぜか、西暦2,005年と2,022年の二箇所で大規模な歪みが観測されてる……どっちに四季ちゃんが行ったのか、これじゃ分かんない」

「千砂都の言う通りデス……そもそもタイムマシンはしっきーの作ったこの二台だけなのではないのデスか……?」

 千砂都と可可がそう言った。その後、先ほどよりも近い轟音が、今度は揺れと共に聞こえた。

「きゃあっ⁉︎」

「わわっ!」

 きな子と夏美が重心を崩して床に倒れ込む。

「ちっ……まずいわね……かのん! どうすんの!」

 すみれが叫ぶ。

「えっ⁉︎ わ、私っ⁉︎」

「当たり前じゃない、このグループはね、たとえ四季がリーダーでも、あんたを中心に集まってるのよ、かのんは……どうするべきだと思う」

 すみれを含む全員が、かのんの言葉を待っているようだった。直後に、もう一度轟音が響く。今度はもっとはっきり、近くで聞こえた。凄まじい揺れがかのんたちを襲う。

「────っ、昔の方! 昔の方に行こう! そこで世界が分岐したら、その後の世界はなかったことになるかもしれない!」

 かのんが言うと、それを聞いた千砂都と可可は素早く手を動かした。真上からくぐもった銃声が聞こえる。

「よしっ! 行こう! 座標誤差修正まで終わってる!」

「はい! 了解デス!」

 タイムマシン上部に、何かが当たる音がした。それは天井が砕けた音のようにも聞こえた。

「千砂都ッ! 飛んでッ!」

 すみれが叫ぶ。千砂都は振り返らずに頷いて、可可と共に高速でタイピングをした。マシンガンのような小刻みな音が、タイムマシンの天井を外側から叩いていた。

「行くよ、みんなっ! できれば何かに掴まってて!」

 千砂都は言って、最後にボタンをひとつ押した。

 周囲の音がいきなり加速していくような、静かになっていくような気がして、一瞬すごい浮遊感があった。けれども次の瞬間、ものすごい重力が身体にかかって、かのんはうつ伏せで床に押しつけられた。内臓が押し潰されて、思わず吐きそうになった。

 しかしそれはほんの十秒ほどのことで、タイムマシンはすぐに静かになった。その球体の中でみんなはそれぞれ上を向いたり下を向いたりしていた。

「……お疲れ様、着いたみたい」

 千砂都が一番最初に立ち上がって言った。かのんと同じく床に転がっていたきな子と夏美はまだ潰れたアイスクリームみたいになっていた。

「ふぅ……結構キツいわね、これ」

 すみれは余裕そうに立ち上がって言った。そのままモニター前の可可まで近づいて、やさしくその身体を揺り動かしていた。

「かのんちゃん……大丈夫?」

 いつの間にか目の前に来ていた千砂都に、かのんは覗き込まれていた。かのんは密かに、ちぃちゃんはやっぱりすごいなぁ、と思う。

「……うん、大丈夫だよ」

 その手を取って、かのんは立ち上がる。まだ少し立ちくらみがした。

「外は……どうなってるの」

 かのんは言うと、モニター前にいた可可がタイムマシンのハッチを開けて、梯子を下ろしてくれた。かのんが最初に、後から千砂都が続いて降りてくる。

「────っ⁉︎」

 そこは、どこかの屋上みたいだった。さっきまでの四季のラボのある屋上ではなかった。

 かのんは驚きのあまり息が止まった。

 空が真っ青だったからじゃない。高いビルが辺りにたくさんあったからだ。それも、見慣れた気のするものばかり。それら全てはなんだか久しぶりに見たような気がした。

 かのんはゆっくり、この屋上の縁まで歩く。そして、下を見て、驚愕する。

 学校帰りらしい制服姿の女子たちが道を埋めていて、その手にはカラフルなアイスやらクレープやらが握られていた。それはこの場所が流行の最先端なのだと物語るようで、かのんは言葉にならない懐かしさに襲われる。本能的にここがどこなのかを察していた。

「…………ここ、って」

 隣に来て同じように下を見ていた千砂都に、かのんは呆然と声をかける。説明はされたはずなのに、まだ目の前の出来事が信じられなかった。

 千砂都がゆっくりかのんを向く。その赤い瞳に強い信念が燃えているような気がした。

「私たちのいた世界から、ずっと前の、過去の世界」

 気がつくと、すみれと可可、きな子と夏美がかのんたちの後ろで立っていた。風が吹いて、それぞれの髪を果てしなく撫でていった。

「私たちのいた時代から、およそ二十七年前……2,005年の、原宿だよ」

 千砂都がそう言った。かのんは目を見開いて、目の前に広がる光景をただ見ていた。

 眼下の街並みが騒がしかった。

 降り注ぐ日差しが眩しかった。

 信号のカッコウが狂ったように鳴いていた、ここはあまりに暑い夏の中。

 こうして、政府非公認の時間超越特殊部隊『Re:era!(時代を繰り返す者)』の初ステージが、この場所────原宿で、人知れず幕を開けた。

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