さよならより速く、私はあなたに逢いに行く   作:Werther

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序章 - Sing! Shine! Smile!

 風が吹いていた。

 ぬるい風。

 さっきまで着ていたはずのコートのことなんて遠い昔の話で、今ここは、夏の日差しに焼かれる紛れもない炎天下だった。

「二十七年、前……」

 かのんは足もとに広がる通りを見下ろしながら、呟く。そこは確かにその場所のはずなのに、記憶にあるその場所と同じ場所ではなかった。

「わぁ、これがきな子たちの生まれる前の竹下通りなんっすね……」

 かのんの隣にきな子がやってきて、そう言う。

「……夏美もにわかには信じられませんの、でも、見えてることが全て真実ですの」

 そのさらに隣に出てきた夏美が緊張した声でそう言った。

「っ⁉︎ そ、そういえばこの時間軸にしっきーがいるかどうかを確認しないとデス! どうしてこの場所で時空間が歪んだのかが可可たちには分からないのデスよ!」

 おもむろに、後ろにいた可可が言って、みんなそっちを見つめる。可可に左肩を預けているすみれも頷いてみせた。

「そうね……闇雲に動いても始まらないわ。まずは作戦会議よ。私たちが何をするべきなのか、ここだけでは判断ができないわ」

 すみれは言うと後ろを振り向いて、その巨大で周囲に似つかわしくない機械仕掛けの球体を見つめた。

「……これもここに置いておくには目立ちすぎるわ、何か隠す方法を考えないと」

 すみれが言うと、かのんの隣にいた千砂都がまっすぐ上に手を伸ばした。

「私、知ってる。それも頭にインプットされてあるから、ちょっと待ってて」

 千砂都は言うなり可可とすみれの横を抜けると、その巨大な機械の根元に立って、手をかざした。

 すると、そこにあったものは空間ごとぐにゃりと歪んだかと思うと、瞬きを一回するよりも早く、周囲の空間に同化して消えた。さっきまでは見えなかった、タイムマシンに遮られていた向こう側が見えるようになっていた。

「……はいっ! どうかな?」

 千砂都が得意げにこちらを見てくる。かのんは、やっぱりちぃちゃんはすごいなぁと思いながら、その様子を一番離れた場所から見ていた。

「やるじゃない、千砂都……流石は私たちの部長ね」

「……可可にだってあれくらいできマス」

 すみれが感心したように千砂都を褒めていると、その隣で可可が唇を尖らせていた。

「ん? なに、可可、あんた拗ねてんの?」

「すっ……⁉︎ 拗ねてマセン! なんでそうなるデスかこのスットコドッコイのオタンコグソクムシは!」

「あぁ、はいはい……分かったってば、分かったわよ」

 苦笑みたいな微笑みみたいな、幸せそうなその表情を浮かべるすみれの横顔を、かのんはぼんやり見ていた。

「かのんちゃん! みんなも!」

 そうしていると、千砂都が声を張った。ここは、結ヶ丘とは違う場所だけれど屋上だった。今も昔も、いつでも号令をするのはちぃちゃんだな、とかのんは密かに思う。

「一旦タイムマシンの中に戻って作戦会議しよう! すみれちゃんの言う通り、闇雲に動いても仕方ないよ」

 千砂都が言うと、かのんの隣にいたきな子と夏美が頷いて、屋上の縁から戻り始めた。すみれも、可可も、それに続く。

 かのんも、真下の人のうねりから目を逸らして、千砂都のいる方へと向かった。

 焼け焦げるようなアスファルトを、踏み締めて。

 

 

 

 ✳︎

 

 

 

 タイムマシン内部はなぜかひんやりしている。

 機械が辺りの空気を冷ましてしまうのか分からないけれど、常にしんとした空気が満ちている。どこかの空気に似ている気がしたけれど、どこかまではかのんには分からなかった。

 かのんたち六人はタイムマシンのコントロールモニター手前に集まっていた。

「……んで、どーするのよ、私たち」

 誰も話さないので、すみれが口を開いた。しかしなお、誰も意見を言おうとしなくて、タイムマシン内には沈黙が満ちた。

「……どーしようかなぁ」

 千砂都もお手上げといった様子でため息を吐いた。それはそうだ。だってかのんたちは二十七年の時を超えてきただけで、何の説明もされない。何が起きているかの状況説明もないのに、何をどうすればいいのか分かるはずもなかった。

「……あ! トランシーバーはどうっすか⁉︎ 四季ちゃんも付けてるはずっすよ!」

 きな子が不意にそう言った。確かにかのんたちは全員やり取りができるように耳に小型のトランシーバーをつけていた。だけれど、今までドタバタしすぎていて、気に留める暇もなかった。

「夏美がやってみますの! あーあー、応答願います、応答願いますの、若菜四季……」

 夏美が自身の左耳に手を当てて、四季の名前を呼んでいた。その声が丸い天井によく響いた。

「……ダメですの、何の返事もありませんの」

 しばらくやってみてから、夏美はため息を吐いて首を横に振る。まずは、四季がいてくれないと話が進まなかった。今のかのんたちのリーダーは四季で、当然四季の指示が必要だった。

 またうーん、と唸っているだけの時間が、しばらく続いた。

「あ!」

 そんな中、かのんがいきなり大声を上げた。もちろんみんな驚いたようにかのんを見つめた。

「スマホ! 私たちスマホ持ってるじゃん! それで連絡すればいいんだよ!」

 かのんが言いながらスマホを圧縮装置から取り出した。夏美の隣にいたきな子が頬を綻ばせて手を叩いた。

「流石っす、かのん先輩! なんでこんな簡単なことに気づかなかったんっすかね〜」

 きな子が言っている前で、かのんはスマホを立ち上げてそれをタップしようとした。そして、メッセージアプリを開いて、手が止まった。

「え……?」

 そこにある、

『Liella!同窓会(9)』

 だったはずの文字列は、

『繝ェ繧ィ繝ゥ蜷檎ェ謎シ夲シ??』

 見る見るカタカナと中文の混じった文字化けの羅列のようになり、すぐにアプリどころかスマホごとそのような状態になってしまった。かのんはバグのように黒ずんでいく画面を呆然と見つめていた。

「……この時代、まだスマホなんて便利なものは発明されてないわよ、かのん」

 すみれが言いながら、コントロールモニター前の席に座っている可可の肩にそっと触れていた。かのんは文字化けだらけのスマホをしまうと、ふぅとため息を吐いた。

「うぅ、可可たちはどうすレバ……」

 可可は言いながら目の前のコントロールパネルに、思いっきり身体を投げ出す。

「ん……? ここのボタンなんっすか?」

 その横にいたきな子が、ふと気付いたように言った。

「……? 可可も知らないボタンデス……なんなんデショウ」

「押してみないっすか、それ」

 きな子がそう言うと、夏美が怒ったようにきな子を制した。

「ダメですの、きな子! ゲームでもきな子がこういう変なボタンを押してロクなことになった試しがないですの!」

「えぇ〜、でも今はみんな煮詰まってるし、やれることをやるべきっすよ」

「ダメですの! 何か大事になったらどうするんですの!」

 きな子は夏美と揉み合いながら、すぐにバランスを崩して可可の隣に突っ込んだ。近くにすみれがいたけど、止めるより早く、まあまあな勢いで二人は倒れた。

 そしてきな子と夏美はコントロールパネルの端の方に、団子のようになってぶつかった。

 その時だった。

 部屋の真ん中に、ブゥンという低い音と共に、何かが現れたのは。

「わっ⁉︎」

 かのんが一番に驚いて、思わず声を上げた。それに従ってすみれが、きな子と夏美が、可可と千砂都が振り向く。

 そこには青いホログラムで、よく知る人が映し出されていた。これも公表されていない技術の一つだろうか、とかのんは思う。

『できれば……このタイムマシンは使われることなく、このメッセージも誰も見ないで済んでくれれば、嬉しい』

 その人は、全員が自分を見つめるのを確認したかのようなタイミングで、話し始めた。白衣のポケットに両手を突っ込んでいて、髪はいつも通り長くてぼさぼさだった。

「四季……ちゃん」

 かのんが名前を呼んでも、そこにいる四季は言葉を途切らせることはなかった。だってこれは録音映像だ。

『私は、でも、ようやくここまで来たから、失敗する訳にはいかない……恋さんなら、分かってくれると思う』

 恋の名前が出た時に、かのんの視界の隅で、誰かがびくっと震えたような気がした。けれど、かのんはそれには気づかないフリをした。今の自分達には悲しみに立ち止まる余裕はなくて、情けないことにそうするしか出来なかった。

『……私は、メイを助けるために、タイムマシンを作った』

 ホログラムの四季が口を開いてくれる。そのおかげで、かのんはそれに見て見ぬ振りをする言い訳を得られる。

『私と恋さんが作った組織、クロノダイバーたちの理念は過去の保存ということになっている……けれどこれは表向きの顔』

 四季が言いながら耳をかき上げる。その耳にピアスが覗いた。ホログラムは全体的に青色っぽいので、そのピアスも青色に見えた。

『私の作る技術は全て……特にタイムマシンは核兵器を上回る唯一無二の兵器として政府に認識されている。奴らは表向きは過去も未来も弄らないと言ってはいるけれど、それは真っ赤な嘘……』

 かのんを含むその場にいる全員が、固唾を飲んで四季の言葉を聞いていた。

『奴らは私のタイムマシンを使って、世界を、いや、この時代をも支配しようとしている……まぁ、タイムマシンが核兵器より強いのは事実だから、当然の成り行きではある』

 だってタイムマシンは核兵器のボタンを押すか押さないかを操れる。

 四季はそう付け足しながら、何かを考え込むように目を伏せた。そして、ゆっくりと、かのんたちを見つめる。

『……私の計画は、メイを救うこと。もし、ここにいる私が、タイムマシンで過去に行って、なんらかの影響でそれが実行不可能になった際には、助けてもらう必要がある……今回の私は、因果律を変えてしまうから、後戻りができない』

 四季は一言ずつ丁寧に喋った。かのんには、何を言っているのか分からない言葉もあったけれど、その緊迫した語調から、私たちはやるしかないんだ、とそう思わされていた。

『みんな、協力して欲しい……私たちの力で、メイを助ける』

 四季は言うと、かのんたちの方をぐるりと見て、ふぅ、とため息を吐いた。そしてそのまま、ホログラムの四季はその姿を消してしまった。いきなりだった。

「え⁉︎」

 かのんは驚いて声を上げる。だってまだ何の説明もされていなかったから、何をすればいいのか全く分からなかったのだ。それなのに、タイムマシン内部にはまた静寂が満ちていた。

「え、ちょっと、今ので終わり⁉︎ ま、まだ何も分からないよ……⁉︎」

 かのんが言うと、その近くの席に座っていた千砂都がかのんを見て言う。

「……多分、四季ちゃんも何が起きるかは分からなかったんじゃないかな、だから、私たちにそれぞれ力を預けて、私たちだけで対処できるようにした」

 千砂都の言葉を、みんなじっと聞いていた。するとかのんの向かいで、そっと手が上がった。

「……でも、それならこの時代で夏美たちは何をすればいいんですの、そもそもこの時代に時空間の歪みができていたことが、よく分かりませんの」

「きな子もそれには同感っす」

 二人が言うと、その傍にいた可可とすみれが同調するように頷いてみせた。

「まぁ、だからそれを探っていくしかないようね。でも今の話を聞いてると、闇雲に……という訳でもないんでしょう、ね、可可」

「ハイ! 可可たちは時空間の歪みが観測された座標に来ていマス! ですからこの時間にこの辺りで何かが起こるのは間違いないはずデス!」

 可可は自分の肩に置かれたすみれの手をそっと撫でながら、言った。

「可可ちゃんの言う通りだよ、私たちはここで、なすべきことがある……そしてそれはきっと、この近くで起こる」

 すぐ傍にいた千砂都もそう言った。かのんはまた一つ息を吸い込んで、そこにいるみんなを見渡す。

「……うん、行こう」

 ライブ前みたいなピリピリした緊張感だ、とかのんは思った。

「単独行動は禁止ね、基本は全員で動くこと、何かあったらすぐに報告……あと」

 他の全員に見られているのがかのんには分かった。かのんはそれを、とてもとても大切だと思った。

「……絶対に、死なないで。これは、リーダーとしての、お願い(命令)です」

 かのんが言うと、向かいで何人かがふっと息を吐いたみたいだった。

「当たり前ったら当たり前じゃない……あんたらも、聞いたわね? ちゃんとかのんの言うこと聞きなさいよ」

 すみれが言う。可可もやさしく微笑んでいる。

「当たり前ですの! 夏美はもうヘマはしませんの! 全部やりきって平和にした未来に帰るんですの!」

「きな子も……来たからには、やるっすよ。かのん先輩……みんな、気持ちはひとつっす」

 夏美ときな子も、気持ちは十分なようだった。かのんは後は、勇気を出すだけだった。

「かのんちゃん」

 声がした。

「っ⁉︎」

 気がつくと、いつの間にか立ち上がって隣に来ていた千砂都に、手を握られていた。

「────行こう、かのんちゃん、時間もどれだけあるのかも分からない」

 千砂都のその信念を宿した丸いルビーに見つめられて、かのんは胸に強い炎が燃えた気がした。タイムマシン内部はますます静かでつめたかった。

「うん、みんな、行こう!」

 かのんが行って、Re:era!の面々は、おもてに降り立った。

 

 

 

 ✳︎

 

 

 

 しかし、六人には些細だけれど重要な問題があった。

「……ちょっと、これどうすんのよ」

「……確かに、これは困りましたの」

 かのんたちは、タイムマシンの着陸した四階建てのビルの根元まで降りて来て、その外を行き交う人々を眺めていた。

 それもそのはずで、かのんたちが着ているのは、街中を歩くには派手すぎるステージ衣装のようなパワードスーツだったのだ。

「これ着て歩くのは、ちょっと目立ちすぎちゃうよね……」

 苦笑いして千砂都が言う。

「私もそう思う……うーん……」

 かのんは悩みながら、右手を腰辺りから引き抜くような動作をしてみせた。何か着れるもの、と思いながら。

「かのんちゃん、それ……」

「え……?」

 千砂都が目を丸くすると、かのんのその手には、白衣があった。それは四季が着ているのよりも一回り以上小さくて、かのんが着るのにぴったりなサイズだった。

「……これ着ていけってことかな」

 かのんが言うと、すみれと可可が同じように腰から何かを引き抜く動作をした。続いて、きな子と夏美も。

「……まぁ、たまたま入れてみましたって感じだけど、ないよりマシじゃないの?」

 すみれは言うと、自分の白衣に袖を通してみせた。すみれの着ているパワードスーツは黒を基調としているので、白衣をかけるとなんとなく前衛的なお洒落に見えなくもなかった。でもそれはきっと、モデルのすみれがやるからそう見えるだけだ、とかのんは思った。

「うじうじ言ってても仕方ないわ、多少ヘンな格好でも、行くわよ」

 すみれは言いながら、薄暗いビルの階下からおもてに繰り出していく。

「あ、待ってくだサイ、すみれ……」

 その後ろをとことこついていく可可も白衣を着ていた。かのんが振り向くと、いつの間にかきな子と夏美もそれを着ていて、隣を見れば千砂都もまた同じように白衣を着ていた。

「ほら、行こ、かのんちゃん」

 千砂都に言われて、かのんはようやく頷いて、白衣を着る。

 そして炎天下の竹下通りに、六人は繰り出したのだった。

 二十七年前の竹下通りは、かのんたちが高校生の時とは違って、タレントショップや、店先にじゃらじゃらした銀色のチェーンの、なんに使うのかよく分からないヴィジュアル系のアクセサリーなんかのお店が多かった。それに挟まれるようにクレープ屋やアイス屋がちらほらあるくらいで、かのんたちが見慣れていたタピオカのお店は一軒もなかった。

「……なんか、お店も全然違うんだね、たった二十年くらいなのに」

 かのんが言うと、千砂都がすぐ隣でうん、と頷いた。

「そうだねー、私もこんな景色を見ることになるとは、思わなかったな」

 千砂都はそう言った。かのんはその隣にいて、前にすみれと可可、後ろにきな子と夏美がついて来ていた。二列になって、なるべく人混みを掻き分けていた。

 ふと、かのんは前を行く二人を見つめる。可可は手が見えてないくらいダボダボな白衣を着ていて、どこかやましい風に見えなくもなかったし、すみれは単純にスタイルが良すぎて露出した脚とかが、かえって色っぽかった。後ろを見れば、きな子と夏美の白衣姿は健全な学生のように思えた。

 そして、かのんの隣を歩く千砂都の白衣姿は年相応というかかわいくて、よく似合ったからかのんはほっこりする。

「ん? かのんちゃん、どうしたの?」

「う、ううんっ、なんでも!」

 こっそり見ているつもりだったのに、気づかれていたみたいで、かのんは慌てて首を横に振る。

 とりあえず、この時代のこの時間のこの付近で、歴史における何らかの重大な分岐点があるというのは、タイムマシンの知識をインプットしている千砂都と可可から、明らかだった。

 しかし何が起きるのかはさっぱり分からなかったし、正確な場所も分からなかった。だからかのんたちはこの直射日光により焼かれて、さらに人混みで蒸された空気の中を歩かなければならなかった。

「ちぃちゃん」

「ん、なに?」

 かのんはふと声をかける。

「この場所にいるのって、四季ちゃんじゃなかったら……やっぱり……」

 千砂都は行く先を見据えながら、小さく頷く。

「奴ら、だろうね」

 千砂都が言うのに、かのんは少し俯いてこたえる。

「そう、だよね……」

「奴らが、どうやって過去にやって来たのか分からない……でも、もしかしたら」

 千砂都は顔だけでかのんを見て言った。

「……タイムマシンは、四季ちゃんの作っていたものだけじゃなくて、もしかしてもう、クロノダイバーたちで完成させてるんじゃないかな」

 千砂都がそう言って、かのんは立ち止まってしまった。

 もしそうなら、事態は私たちの想像を遥かに超えるものになっている。かのんはそう思って、今自分達がものすごく危険な状況にいることが思われて急に怖くなった。

「……かのんちゃん?」

「う、ううん! 大丈夫! なんでもない!」

 かのんはまた歩き始める。

 白衣の変な集団はどこからどう見ても目立つので、自然と人混みが分かれていくようだった。そのまま駅とは逆方面に向かって、辺りに妙なものがないかどうか注意しながら歩いて行った。本当にタピオカのお店は一軒もなくて、かのんは内心びっくりしていた。まだスクールアイドルブームもきていないのか、そういうお店もなかった。

 歩いていると、すぐにカッコウの鳴き声が聞こえてきた。それが止むと、人混みは徐々に止まっていった。その向こうに横断歩道があることが見えないけど分かった。

 夏の日差しがアスファルトを焼いていた。本当か嘘か知らないけれど、太陽が熱すぎるとアスファルトを溶かしてしまうという未来で聞いたニュースをかのんは思い出していた。

「あ、暑い、ですの……」

「そう、っすね……」

 後ろできな子と夏美が気怠そうな声を出していた。それもそうだ。だってさっきまでかのんたちは冬にいたのだから、身体がいきなりの変化に戸惑うのも無理はなかった。

 やがて頭上でカッコウが鳴き始める。人混みに流されるままに、すみれを先頭にかのんたちは横断歩道を歩いていった。

 いくつもの靴が横断歩道の白い部分やそうじゃない部分を踏んでいった。かのんもその中を歩いて行った。一歩、一歩。

 その時だった。

 赤い髪が、視界の隅を過った。

 はっとして、かのんは立ち止まる。その髪は、その片方だけのお団子には、見覚えがあった。

 振り返る、かのんが振り返るのを追いかけるように、すみれも可可も、立ち止まった。

 忘れるはずなんてなかった、その人。あの日に置き忘れてきた全ての後悔と祈り。幻かと思った。でもその全ては、ここで、間違いなくその人の姿をして歩いていた。

「────っ、あのっ!」

 人混みの最中で立ち止まって、かのんはあらんかぎりの声を張り上げた。

 その赤い髪の後ろ姿の人が、立ち止まる。かのんの隣で千砂都が、他のみんなもその人を見つめていた。そしてその人はゆっくり人混みの中で、振り向いた。

「────っ⁉︎」

 かのんは息が詰まる。その顔、その身体、その瞳の青色から髪の赤色まで、全部そっくりそのまま、その人だった。

「…………メイ、ちゃん」

 かのんは呆然と立ち尽くしたまま、その名前をこぼした。

 カッコウ、カッコウ

 道の真ん中で立ち止まって向き合うかのんたちを避けるように、人は流れていった。

「────っ、メイちゃん⁉︎」

 かのんのすぐ前にいたきな子も、気がついて大声を上げた。かのんたちの目の前にいたその人は、きょとんとして口を開く。

「……私をお呼びになりましたか? ふふ、でも私の名前はメイではないですよ」

 その声は、確かに聞き覚えがあるような気がするのに、別の人のもののようでもあった。

「……米女、メイちゃんでは、ないんですか」

 かのんが訊くと、その人は目を丸くして驚いた。ちょっと訝しむような感じだった。

「どうして、私の苗字を……?」

 記憶にあるよりずっと丁寧な言葉で喋るその人は、かのんたちには違和感しかなかった。そしてその人は唐突に、衝撃の事実を言うのだった。

「私は、確かに米女の姓です……米女サツキ、と言います」

 カッコウの鳴き声の下、直射日光に晒された下、横断歩道の上。

 かのんたちはとんでもない人と出逢った。

 メイの母、だった。

 

 しかしメイの母────サツキは、かのんたちと対話をするのを避けるように、かのんたちの来た方の駅方面に向けて歩いて行った。

「あ、ちょっと────」

 かのんが手を伸ばそうとするも、サツキはすぐに横断歩道を渡り切ってしまった。ついでにかのんたちは横断歩道のど真ん中にいたので、もうどちらかに渡り切らなければならなかった。かのんは隣にいた千砂都を見る。

 どうする? と。

 そうかのんが問いかけるのと、けたたましく鳴いていたカッコウの声が消えたのと、その場の空気が張り詰めたのは、ほぼ同時に起きた。

「きゃあああああああっ!」

 絶叫。

 絶叫だった。

 その人だかりの声の先を、かのんは追いかけた。

 見ると、反対車線から大型トラックが猛スピードで突っ込んでくるところだった。それは加速して物理法則に従って()()()()来た感じではなく、唐突に何もない空間から現れた、という感じだった。かのんは本能で、そのトラックを操る奴らの正体が分かった。

 人は蜘蛛の子を散らしたように逃げていたけれど、トラックの方が当然速かったから、どこへ逃げても間に合いそうになかった。そして、その中心には、もちろん、あの人が────

「夏美ッ! 私とトラック止めなさい!」

「ガッテンですのッ!」

 声がかのんの耳に入る前に、すぐ前にいたすみれと夏美の着ていた白衣が、抜け殻みたいにその場に落ちた。

 そこからは、かのんの目には全てスローモーションで映った。

 トラックが歩道に突っ込んでいく。

 その向かう先、歩道と車道の際に、すみれが立っていて、思い切り片脚を引いて、両手を前に掲げていた。一瞬後に、夏美がその脇に現れる。二人のスーツの模様が七色に発光する。

 ダァン!

 そして、何かが強くぶつかったような、銃声にも似た音が響いた。トラックは歩道を食い荒らすように、少し乗り入れたところで止まった。

「すみれちゃんッ!」

「すみれっ!」

「夏美ちゃん!」

 かのんたちは口々に叫びながら、そのトラックの正面に走った。白衣が邪魔だったので、全員道路に脱ぎ捨てた。

 辺りは絶叫の渦だった。

 ふと視界の隅に映ったきな子だけ、他の人より不安そうな顔をしていたのが、かのんには少し気になった。かのんはそれで、二人がもし、無事じゃなかったらと思うと、背筋がぞっとした。

「ふぅ、ふぅっ、はぁ……」

「はっ、はっ……」

 しかし、トラックの前には、二人はちゃんといてくれた。その両手はトラックを押さえ込んで、踏み込んだ脚はアスファルトを削っていた。

「すみれ! 大丈夫デスか⁉︎」

 可可がすみれに駆け寄る。トラックから手を離したすみれは、バランスを崩したのかそのまま可可の腕の中に収まった。

「……ふふ、なーんてことないわ、大丈夫ったら、大丈夫よ」

「夏美ちゃん!」

 きな子が夏美まで駆けていき、その身体を抱きしめる。夏美も力が抜けたように、きな子の腕に身体を預けた。

「大丈夫ですの……私たちには四季の作ってくれたスーツがありますの、このくらいで死にはしないですの……」

 言いながら、夏美はかなり満身創痍な様子だった。かのんは混乱を極めるこの盤面で、何をすればいいのか分からず、ただおろおろしていた。焦りがさらに自分を動けなくさせていった。

 辺りの人が逃げていく。皆、竹下通りの向こう側へと走っていった。その一番後ろに、赤髪の、あの人もいた。

「かのんちゃん! 後ろッ! 運転席!」

 突然千砂都の叫び声が響いた。かのんは反射的に振り向いてそちらを見る。そこの運転席には頭まで黒いローブを被った人がいた。そしてその手には、黒光りする拳銃が握られていた。その銃口が向けられている先は、かのんたちの方ではない、竹下通りの、向こう側。

「────ッ、させない!」

 かのんは左腰から右手を引き出して、慣性のまま前方に構えてトリガーを引いた。

 銃声は一発だった。

 一拍遅れて、トラックのフロントガラスが粉々に砕ける音と共に舞い散った。黒ローブは手に持っていたそれを落として、倒れ込んでかのんたちからは見えなくなった。

「大丈夫? みんな!」

 かのんは言いながら、周囲を見渡す。倒れたすみれを抱いている可可と、倒れた夏美を抱いているきな子、そしてまだノーダメージの千砂都。

 かのんはやるべきことをやらなければ、と思う。

「多分、奴らの狙いはメイちゃんのお母さん……目的は分からないけど、この時代でメイちゃんのお母さんが死んじゃうと、メイちゃんはこの世に存在しないことになる……そうすれば、四季ちゃんの目的は果たせなくなっちゃう!」

 かのんはアサルトライフルを右手に提げたまま言う。

「みんなでメイちゃんのお母さんを護るよ! 動ける人から順番に、行こう!」

 かのんが言った。

 その時だった。

 目の前にあったすみれと夏美が止めたはずの大型トラックは、そこにはなかった。え、と思ったのも束の間で、かのんが振り向くと、竹下通りの道を埋め尽くすように、()()トラックの背中が見えた。そして、本当に意味不明だが、それはすでにかなりの速さで動いていた。

「────空間転移されてるっ、かのんちゃん!」

 隣で千砂都が叫んだ。この狭い道をあんな巨大なトラックが走れば、無関係な人まで巻き込んでしまう。

「行くよ! ちぃちゃんッ!」

 かのんは考えるより早く、動いていた。風よりも速く、竹下通りを突っ切って、トラックの前に立つ。すぐ隣に銀髪を揺らしてかのんの相方も来てくれる。

(……止めるっ!)

 かのんは心の中で強く念じるのと、スーツが七色に発光するのと、突き出した両手に強い衝撃が加わったのは、ほぼ同時だった。

「ぐあっ……⁉︎」

 激しく鉄のぶつかる音。

 未体験の暴力に、かのんは薙ぎ倒されそうになる。でも、この後ろにいるたくさんの人たちのことを思うと、一度これを止めてくれたすみれと夏美のことを思うと、かのんの手には、自分でも信じられないくらいの力がこもった。

「かのん、ちゃん……っ、もうちょっと……っ」

 隣から千砂都の必死な声が聴こえてくる。かのんはさらに力を込める。脚が地面を削っているのが分かった。

「とま……れえええええええええッ!」

 かのんは渾身の力を振り絞り、トラックの前方のくぼみに手を引っ掛けて、思い切り横に投げ飛ばした。

 ガァン! とすごい音がして、トラックは横倒しになった。かのんは息を切らせながら、すぐにアサルトライフルを取り出して構える。さっきみたいに運転席にいる人が撃ってくるかもしれなかったからだ。

「…………」

 しかしそこには初めから誰もいなかったかのように、空っぽだった。かのんは構えた銃を静かに下ろす。数多もの叫び声がこの街の平和を切り裂いていた。

「ちっ……逃げ足も速いのムカつくわね……」

 はっとすると、かのんの隣にはすみれがいた。かのんを見ると、ふっとやさしく微笑んだ。

「よくやったわね、かのん……ありがと」

 すみれのその素直な言葉に、かのんはどう答えていいのか分からなかった。昔は、そういうところを、私は好きになったんだっけ。じゃあ、今は?

「……あれ、なんですみれちゃんだけなの? 他のみんなは?」

 ふと、千砂都が言った。

 かのんとすみれは、辺りを見渡す。確かに、近くにきな子たち三人の姿はなかった。

「……ホントね、どうしたのかしら」

 すみれは言うと、耳のトランシーバーを二回叩いて、話しかける。

「もしもし、可可、聞こえる? 夏美でもきな子でもいいわ、応答しなさい」

 しかしすみれの表情は思わしくなかった。何も返事がなかったのだろう。でも、その時だった。

「あ! ねぇ! あっちに三人いるよ!」

 千砂都が来た道を指差して言った。確かにそこには、黒いスーツを着た三人が竹下通りの入り口で綺麗に一列に並んでいた。

「なによ、いるじゃない……おーい! 何してるの、早く来なさーい!」

 すみれが叫ぶけれど、三人は一向に前に進まなかった。

 何か様子が変だ、と思って、かのんたちはそちらに走っていく。

「どうしたの、きな子ちゃん、早く来ないと……っ」

 かのんがきな子に言いながら手を伸ばした。

 バチッ

 何かに当たったように、火花の散るような音がして、かのんの指先は弾かれた。

「……なに、これ」

 困惑するかのんの目の前で、薄い青色の見たことのない文字列が浮かんでは消えていた。さっきかのんが触れたところも、すぐ元に戻っていく。

「分かんないっす……すみれ先輩を追いかけようとしたら、なぜかここから進めなくて……」

 きな子がそう言う。夏美も苦い顔をしていた。その横で、可可だけが、真剣にその見えない壁に手を当てていた。

「…………磁場バリアだね、これ」

 かのんの隣で、千砂都がぽつりと言った。それを聞いて、可可はこくりと頷く。

「……このスーツを着ていると弾かれるバリアみたいデス」

 可可の触れた透明な壁の一部分に、見たこともない数式が浮かんでいた。

「……分断された、って訳ね」

 すみれが言う。しかし、かのんたちに考えている時間はなかった。目標は、メイちゃんのお母さんの保護だったから。

「……可可が」

「え?」

 ふと、可可が口を開いた。

「可可が、これを解除しマス。その間ワタシの守りは手薄になるので、防衛はきなきなとなっつーに任せマス」

 可可が静かに強くそう言うので、かのんは一瞬驚いた。けれど、すぐに頷いていた。

「大丈夫、かのんちゃん! 私たちは四季ちゃんから色んなことをインプットされてるから、これも解除できる! 三人を信じて、今は私たちのやるべきことをやろう」

 かのんの隣で千砂都も言った。その時、交差点を挟んで向こう側で、黒ローブが何人か現れた。考えている時間は、ないらしかった。

「……任せたよ、きな子ちゃん」

 かのんは言って、両脇にいる千砂都とすみれに目配せする。

「はいっす! ここはきな子たちにお任せしてくださいっす!」

「今度はヘマしませんの、すみれ先輩のフィアンセには夏美が指一本触れさせませんの」

 そう言うときな子は自分の正面に手を掲げて小さめのアサルトライフルを取り出して、夏美は両腰から二丁拳銃を取り出し、きな子に背中を預けるように立った。

「背中は任せたですの、きな子」

「夏美ちゃんこそ、頼んだっすよ」

 二人はもう、臨戦体制だった。

「行くよっ! ちぃちゃん! すみれちゃん!」

 かのんは叫んで、走り出す。

 直後にその背中から、銃声が折り重なって聞こえた。

 

 そしてかのんたちは、竹下通りを駅方面に向けて走った。さっきトラックを止めたので、スーツの使用限界を超えてしまったのか、高速移動は出来なかった。

 でも、すぐにそこに辿り着いた。

 人混み。

 そう呼ぶには、その光景はあまりに混沌としていた。

 大型トラックの衝突から、普通に生きていれば一生聞くことのない銃声から逃れるために、人は我先に、いや我先にと押し合い、叫び合い、力のないものから弾き出されていた。これを形容する言葉があるとするなら、それは多分『地獄』だった。

「────っ!」

 そして、その人だかりの中に、かのんは目的の人を見つけた。赤い髪、片方だけのお団子、すらっとした手脚。一瞬だけど、確かに見えた。

「サツキさんっ!」

 かのんが叫んだ声は、しかし阿鼻叫喚の渦に巻き込まれて消えていった。おまけに人混みは混沌を極めていて、どこにサツキがいるのかもさっぱり分からなかった。

 その時だった。

 不意に、青空がいきなり狭くなった気がしたのは。

 上を向いて、かのんはぞっとした。

 そこに、建設途中の建物の鉄骨を持ち上げていたクレーンが、不気味に青空を遮っていた。伸びる影は意味もなくかのんの焦燥を煽った。

「……? かのん、なに上見てんの、早く行かないと────」

「危ないっ!」

 すみれの言葉を遮って、千砂都が叫んだ。

 一瞬のことだった。

 空中に浮いていたはずの鉄骨は、その重さのまま、重力に従って落ちてきた。最初は細長い箸くらいのサイズだったのに、瞬きする間に、それは凶暴な鉄の塊になる。そしてその真下には、数多の人が渦巻いている。

 かのんは手を伸ばす。恋の顔が頭を過った。もう目の前で誰も死なせたくない、と思いながら。

 すみれが後ろで何か叫んでいる。でも間に合わない。かのんがどれだけ速く動いても、鉄骨の無慈悲な落下に間に合うはずもなかった。

 そして黒い影が人混みの中に落ちていって、そこにいる人を押し潰す……はずだった。

 かのんはそうなる瞬間を見たくなくて、目を閉じて俯いていた。目を逸らすことしか出来なかった。

 しかし、かのんの思ったような音は聞こえてこなかった。代わりに、驚きともつかないような絶叫がかのんの鼓膜を裂いた。

 かのんは目を上げて、はっとする。

 人だかりの上、そのスレスレのところで、鉄骨が浮いていた。それは、目を疑う光景だった。かのんの隣にいたすみれも、驚いたようにそれを見ていた。そして、二人は同時にばっと振り返る。

「………… Gravity seizure(重力掌握)

 千砂都が片膝をついた姿勢で、左手を前に構えて、苦しそうに歯噛みしてそう言った。

「……あんまり、長くは、持たないからっ……かのんちゃ、なんとかっ、してっ……」

 千砂都が切れ切れに言った。その左手に負荷がかかっているのか、徐々に下に落ちてきていて、それを右手で支えていた。人々は自身の上に鉄骨が浮いているという異様な光景を前にしていたが、周囲の人はみな、まちまちな方向に逃げようとするので、まともに逃げられてはいなかった。

「かのんっ!」

 すみれが叫ぶ、かのんは無我夢中で腰から何か取り出す。何か出ろ、何か出ろ、と思いながら。

「…………なにこれ」

 かのんの右手には、さっきまでついていなかった手袋がはめられていた。そしてその手の甲に一体化するような形で、何かを射出するような細い口がついていた。

「え、え、どうするのこれっ⁉︎」

 かのんは分からずに、手を回転させたり伸ばしたりしてみた。

 すると、それからいきなりしゅっ、と細長いワイヤーのようなものが飛び出てきた。それは道の脇にあった電柱に引っかかり、かのんと繋がってぴんと伸びていた。

「かのん! それで鉄骨の下にいる人くるんで退かしなさいッ!」

 すみれが叫ぶ。かのんははっとして、手に繋がったワイヤーを見て、そしてすぐに、人混みを見つめる。あの足元をくぐり抜けて、そこにいる人たちにワイヤーを巻きつけて、引っ張る。

 考えるより早く、身体が動いていた。

 人の渦に飛び込んで、支点になる電柱の位置を考えながら、そこを素早く潜り抜ける。

 かのんは人混みから飛び出ると、叫んだ。

「すみれちゃん! そっち引っ張って!」

 道の反対側にいたすみれは、かのんを見て一瞬驚いたようだったけれど、すぐに状況を把握したようで、電柱に刺さっていたワイヤーに手をかけた。

「いくわよ! せぇのッ!」

 すみれの声と共に、かのんは自身の右手を思い切り引っ張る。千砂都の手が力が抜けたように下ろされたのも、ほぼ同時だった。

 鉄骨が落ちてくるその真下を中心に、人混みが真っ二つに分かれた。いくつか悲鳴が聞こえて、中にはバランスを崩して倒れた人もいたみたいだった。

 そして次の瞬間、中に浮いていた鉄骨は重力に従って、地面に落下した。激しく鉄を打ち付けるような音が辺りに響いた。

 再び、辺りを絶叫が支配する。

 人々は逃げてきたはずの方向にも逃げようともしたので、かのんたちのいる方にも走りかかってきた。かのんは慌ててワイヤーを引っ込める。

「わわっ⁉︎」

「千砂都! あんた大丈夫⁉︎」

 かのんとすみれは、地面にへたり込んだ千砂都を庇うように前に並んだ。

「へへへ……大丈夫、だいじょうぶ、ちょっとくらくらするだけだから……」

 そう言う千砂都は、外傷こそないものの、かなり息が上がっていた。四季の科学兵器は、その強さの代わりに代償を要求するものが多いことは、かのんもなんとなく察していた。

「ありがと、ちぃちゃん……でも、無理は絶対ダメだよ」

 かのんは言って、千砂都と見つめ合う。でも、今はまだ、互いの無事を喜ぶ場合ではなかった。

「かのんちゃん! 早くメイちゃんのお母さんの保護、急いで! 奴らには絶対にやらせないで! 私はすぐ後から追いつくから!」

 千砂都が言って、かのんとすみれは同時に頷く。

「分かったわ……かのん、行くわよ」

「うんっ! 行こう!」

 かのんは気合いを入れるように叫んで、人の流れに逆走するように走り出す。さっきスーツの高速移動を使ったので、また少し時間を置かなければならなかった。だからなかなか前には進めなかった。

 すみれもすぐ近くをついて来るのがかのんには分かった。でも、すみれの動きはなんだかぎこちないように見えた。どうも肩を庇って走っているような。

「……すみれちゃん」

「なによ」

 なんだかかのんは、久しぶりにすみれに喋りかけた気がした。

「すみれちゃんは、私の右側にくっついていて……撃たれた左肩、本当はまだちょっと痛いんでしょ」

 人混みの中、足は止めずに、顔も見ずに、かのんは言った。

「……あんたねぇ」

 ふとこぼれたようなその声は、こんな時じゃなければきっとどうしていいか分からなかっただろう。

 かのんはすみれを見た。肩が触れ合うくらい右隣に寄ってくれて。

 困ったように嬉しそうに笑うその顔は、ずっとかのんが望んでいた気がするものだった。この気持ちを私は昔、なんと呼んでいたんだっけ。

「ほら、行くわよ、王子様……エスコート、されてあげる」

 人混み。

「えー、私王子様かなぁ、お姫様の方がいいなぁ」

 呟き。

「はいはい、じゃあ今度はそう呼んであげるから……」

 すみれちゃんとの、つながり。

「行くわよ、かのん」

「うんっ! すみれちゃん!」

 あの頃みたいだった。銃火器。青空。都会の喧騒。

 何もかも違うのに、かのんは不思議とあの頃のような穏やかな気持ちだった。

 すみれちゃんといる、この感じが、私は好きだったんだな。

 かのんはそう思い、好きという曖昧な感情を無理に言葉に当てはめなくてもいいことを、ようやく知った。遅すぎたかな、どうかなぁ。

 かのんはそれでも足は止めずに人の間を縫って、少し屈んだ姿勢で、ひたすら前へ進んだ。

 そして、少しずつ人が分散してきたところで、ようやくかのんは足を止める。

「米女さんっ!」

 そこに、その後ろ姿を見つけたから。ちょうど、竹下通りを出て行くところだった。

 すぐそこにある駅へと逃げようとしているみたいだった。でも、かのんたちは一気に緊張した。

 その駅へと続く横断歩道の向こうに、黒ローブの人間が立っていたから。

「ちっ、しゃらくさいッ!」

 かのんが判断するより早く、すみれが猫のようにを姿勢を低くした。そして腰からアサルトライフルを取り出すのと、それごと姿が見えなくなるのはほぼ同時だった。

 ダン!

 短い撃鉄の後、向かいにいる黒ローブは倒れた。手前にいた赤髪の女性を抱き抱えるようにすみれは立っていた。右手にはアサルトライフルを提げたまま。

「かのんちゃん!」

 その時、後ろで声が聞こえた。振り向くと、高速移動を使って来たのか、千砂都がいた。

「かのん!」

「かのん先輩っ!」

 その隣に、さっき分断された三人がいた。バリアの突破に成功したのだろう。

「みんな! 無事でよかった!」

 かのんは竹下通りの入り口のアーチに近い位置に立っていたので、みんなと合流しようとした。そして────

 バチッ

 何かに当たったように、火花の散るような音がして、かのんの指先は弾かれた。

 そこには薄い青色の見たことのない文字列が、浮かんでは消えていた。それはさっき、見たことのあるものだった。

「……磁場バリア」

 かのんが呟くと、きな子と夏美が思いっきり顔を(しか)めた。

「またっすか⁉︎ 敵さんもしつこいっすねぇ……」

「全くですの……小癪(こしゃく)なマネばかりしますの」

 でも、その中で、千砂都一人だけ深刻そうに何かを考え込んでいた。

「…………なんでこんなに私たちを分断しようとするの……そもそもメイちゃんのお母さんを殺すだけならいくらでも他に方法がある……わざわざ私たちが邪魔できるような襲撃方法から、スーツの弱点を突く磁場バリア……」

 バリアに手を当てて、千砂都はぶつぶつと独り言を言っていた。

「そうだよ、メイちゃんのお母さんを殺すのだけが目的なら、こんな回りくどいやり方じゃなくていい……とすると、目的は別にある……」

「ちぃちゃん……?」

 かのんが千砂都の指先にバリア越しに触れようと手を伸ばすと、千砂都はいきなりがばっと顔を上げて、食い気味に叫んだ。

「分かった! 奴ら、私たちをあえて殺さずに私たちの持ってるタイムマシンの場所を(あぶ)り出すつもりだよ! だからこんなに磁場バリアを張って私たちを分断したりするの!」

 千砂都の発言に、そこにいたかのんたち四人はきょとんとした。一瞬状況が掴めなかったのだ。

「……なるほどね、道理でなんか戦いやすいと思ってたわ」

 ふとかのんの隣で声がした。見ると、そこには赤いお団子の女性を連れた、すみれがいた。

「つまり、私たちはただこの人を護ればいいという話でもなさそうね」

 すみれが言うと、千砂都はこくりと頷く。

「うん……私たちは、メイちゃんのお母さんを護りながら、私たちのタイムマシンを護らなきゃいけない……この戦いは、相手の持っているタイムマシンを先に制圧した方が、勝ち」

 千砂都が言うのを、固唾を飲んで他のメンバーは聞いていた。唯一すみれの抱き抱えている人だけが、不思議そうな顔をしていた。その顔は、いつだったかまだメイちゃんが部活に入る前、二人で話した時にそんな顔してたな、とかのんはふと思い出した。そしてそれを、決して失くさせたりしない、と強く思った。

「ちぃちゃん、可可ちゃん、夏美ちゃん、きな子ちゃん」

 かのんは決意に満ちた声で言う。呼ばれた四人がかのんを見ていた。

「タイムマシンを護って欲しい、それで、クロノダイバーたちのタイムマシンの位置を特定して、制圧して……その間に」

 かのんはすぐ隣を見る。すみれは分かってるわよ、と言いたげにニヤッと笑ってみせた。

「私とすみれちゃんで、サツキさんを護り続ける。どこまで逃げても襲われるんだろうから、時間凌ぎにしかならないけど、なるべく長く()たせるから」

「かのん先輩! 後ろっ!」

 きな子が叫んだ。振り向くと、黒ローブが一人。手には拳銃。

「────っ」

 かのんは腰からアサルトライフルを取り出そうとした……けれど、その必要もなかった。

 タァン、と綺麗な重たい音がしてそいつは倒れた。隣を見ればすみれの構えたアサルトライフルの銃口から薄く煙が上がっていた。

「行くわよ、かのん……とりあえずここを離れましょう、どこでもいいから、なるべく遠くに」

 すみれが言った。

 その言葉は聞いたことがあるような気がしなくもなかった。私たちはきっと、全てを取り戻す戦いをしている、とかのんはなんとなく思った。

 深く、全員で頷く。

 もしも過去と未来、どこにいても。

 私たちはひとつ。

「リエラ! 散開ッ!」

 かのんの号令で、そこにいる全員のスーツが淡く発光する。

 そしてそこ目がけて銃声が響いた。しかし、音よりも速く、そこから人は消えていた。

 この残響が、第二ラウンドの開幕となる。

 

 

 

 ✳︎

 

 

 

「かはっ……ごほっ……」

 すみれがお姫様抱っこしていたその人を下ろした。

「大丈夫ですか……ごめんなさい、ちょっと速かったですよね」

 すみれが苦しそうにする赤髪の女性に声をかけるのを、かのんは見ていた。原宿駅の細いホーム。

「……やっぱり関節神経を一部でもシンクロさせてないと、人間の身体には負担が大きすぎるみたいね」

 すみれは言いながら、赤髪の女性の背中をやさしくさすってあげていた。

「……スーツの力で逃げるのには限界があるし、米女さんは生身の人間だから、私たちが三人で逃げる方法として最も適切なのは電車……だよね」

「そういうこと……かのん、集中なさい」

「うん、分かってる」

 かのんはすみれと背中合わせに、間にサツキを挟むようにして死角をなくしていた。駅構内には、まばらだけれど一般人がいた。

「あ、あの……」

 張り詰めた空気の中、かのんの背中で声がした。

「はい……なんですか」

「あの……今、これが現実の出来事なのかよく分からないので、変なことを訊くかもしれません」

 サツキの声は、メイの声とすごく似ていた。混乱していても凛々しくて、芯のある声。でも、メイのぶっきらぼうさはなく、すごくお淑やかな口調だった。

「どうして私のことを、メイと呼んだんですか? それがなぜか、すごく気になってしまって……」

 サツキはそう言った。かのんはそこで初めて思い至る。

 この時代にはまだメイちゃんは産まれてないんだ、ということを。

「それは……その……」

「かのんッ! おいでなすったわよ!」

 かのんが言い淀んでいると、すみれが声を張り上げた。

 はっとして見ると、どこからともなく黒ローブ姿の人間が湧いてきていた。

「ちっ……好き勝手に空間転移使って……四季の生み出した技術でしょうに」

 後ろですみれが言う。かのんが空中からアサルトライフルを引き抜いたのは、なんとなくすみれと同じタイミングだと分かった。見てもいないのに。

「やるわよ、かのん。千砂都たちが本丸を落としてくれるまで、ここは私たちで護る」

「オッケー、すみれちゃん……やろう」

 かのんはこんな時なのに、なんだか不思議と落ち着いていて、いっそ楽しくなってきていた。すみれちゃんと久しぶりにこうして肩を並べる。あの日以来上手く笑えなかった期限切れの日々は、十年という時を経てようやくここで形になった。

「実弾避けるのは無理だから、相手の手元をよく見なさい、ミスったら……お陀仏よ」

「うん、なるべく早めに片付ける、だよね」

 細いホームに放送が響く。環状線の外回り。昔からこの放送だけは変わらない。こんな時なのに、かのんは変に日常の中にいるみたいな気持ちになった。

しかし、一番かのんに近い黒ローブが、胸元から拳銃を取り出した。それが、合図だった。

 原宿駅の細いホームに、銃火器の炸裂する音が、響いた。

「はぁっ!」

「ふっ……そこっ!」

 声の後に続く銃声。

 銃声は全てかのんとすみれのアサルトライフルによるもので、それ以外の音は聞こえなかった。ホームにいたわずかな一般人は、必死に逃げていった。

 黒ローブは不規則に現れては、撃たれる寸前に姿を消して、また別の場所に現れていた。時間を与えると拳銃を構えられてしまうので、かのんたちは休みなくそのいたちごっこを続けるしかなかった。

「くっ……ちょっと、苦しいかしらっ……かのん!」

 カァン

「私は、まだ全然っ、いけるよっ! すみれちゃん、もう疲れちゃった、のッ!」

 ダンッ

「ふふっ、言うじゃない……じゃあ負けた方、ジュース、奢り、よっ!」

 バァンッ

「いいよっ! わたしっ、スプライトねっ!」

 タタタタ

「じゃ、私もッ!」

 狭いホームを駆け巡りながら、言葉を交わす二人。そこに電車が滑り込んでくる。何事もないかのように、止まって、間抜けな音を立てて開いた。

「米女さん! 入って! 早くッ!」

 すみれが言いながら、その人の近くに寄って護衛を固める。とりあえずこの場を離れるのは先決だった。場所が細長く、開けすぎていて、身を隠す場所もない。細かくスーツを使っていたけれど、限界は近づいていた。

「すみれちゃん!」

「なに、かのん!」

「私が殿(しんがり)やるから、サツキさんと電車乗って! 隣の車両から襲ってくるかもしれないから!」

 かのんが言うと、すみれは納得したように────もちろんかのんには見えなかったのだけれど────ひとつ頷いた。

「分かった! でもあんた、ケガしたら承知しないからね! ……約束よ」

「分かってる! 約束ったら、約束……でしょ」

 かのんは呟いて、背中ですみれを見送った。電車内は左右は入り口が狭いから守りには向いているけれど、窓が広すぎて外から丸見えだった。そこを護るのが、かのんの役目だ。

「さぁ……やるよ」

 かのんが呟いて、左右を見ると、黒ローブがわらわら湧いていた。

「…………え」

 しかし、かのんは目を疑った。

 その数が、尋常ではなかったのだ。

 さっきに比べてもいきなり異常に多かった。それこそ人混み、と呼んでいいほどには。しかもそれが左右に展開されていた。すぐに、銃口が向けられる。

(…………これは、マズいな)

 かのんに選択肢は二つしかなかった。ホームの前後を阻まれているから、もちろん左右どちらかに飛び込むしかなかった。

 そして、すみれたちのいる電車に飛び込む訳にはいかなかった。

「たあっ!」

 かのんはすみれと反対側のプラットホームから線路に降り立った。一瞬遅れてかのんがいたところを銃弾が通過したようだった。しかしすぐに狙いはかのんに定め直される。

「そう、こっちに、おいで……」

 かのんはギリギリまでそこにいる全員の注意を引くために、的確に近くにいる敵から順番に撃ち抜いていった。

『二番線、ドアが閉まります、ご注意ください』

 その放送がホームに響いて、向こう側でその扉が閉まる。かのんは隙を見て滑り込もうと思っていたのだけれど、奴らの注意を引きながらそうするのは不可能だった。こうなれば、かのんのここでやることはひとつだった。

 無事に電車を送り出すこと。

「────だよねっ!」

 かのんはギリギリまでスーツの稼働を制限しながら、モグラ叩きみたいに現れる黒ローブを各個撃破していった。

 向こうでノロノロと電車がホームを離れていった。そっちを狙う銃声は聞こえなかった。かのんは電車が駅を完全に離れたのを目視で確認してから、銃を下ろした。

 かのんのスーツの模様が七色に発光する。

「ようい────ドンッ!」

 かのんが叫んだのと、銃声が響いたのは、全く同時みたいだった。

 そしてそこには、誰もいなかった。

 

 

 

 ✳︎

 

 

 

 かのんはスーツの力で走っていた。

 さっき見送った電車の一番後ろの車両から順番に並走して、先頭車両を追いかけていた。

「すみれちゃん! どこの車両にいるの⁉︎」

 電車内には、外から見てもクロノダイバーたちがいた。かのんは走りながら、耳につけたままだったトランシーバーを起動する。

『……今応戦しながら先頭車両に向かって退却中! あんまし状況よくないわ!』

 風でごうごう唸る世界の中、すみれの声が左耳でする。かのんは速度を上げてそこに辿り着こうとした。

「あ、あれっ⁉︎」

 しかし、いきなりがくっとかのんの速度は落ちた。

 どんどん電車の方が速くなっているようだった。かのんはそう思ったけれど、実際は電車かが速くなっているのではなく、かのんの方が遅くなっていたのだ。

 スーツの力はここまでかなり温存してきたけれども、ついに活動限界らしかった。でもここで使えなくなるのはかなりマズかった。

「────っ、どうしよ……」

 かのんは突き放されていく電車を見ながら、必死に追いつこうと拳を握りしめて考える。

 ────拳?

 かのんはふと、自分の握ったものを見た。それはついさっき電柱に引っ掛けて使ったものだった。

(やるしか、ない)

 かのんはもう一番後ろの車両まで引き離されていて、考えている余裕はなかった。

「────ふっ」

 かのんは右手を思い切り前に突き出す。そこから、ワイヤーが飛び出す。一直線に伸びたそれは、電車の上のわずかな出っぱりに引っ掛かって、巻きついた。

「やあぁっ!!!」

 かのんは右手をぐっと握りしめて、足を思い切り踏み出す。

 そしてかのんの身体は宙に浮いて、それに合わせてワイヤーは収縮した。

 一瞬にして、かのんは電車を右手で掴んでいた。

「くっ……」

 振り落とされないように、必死で左手も使って電車に喰らいつく。

「やああああああああっ!」

 もうスーツの活動限界がきているのはかのんにはなんとなく分かった。だからここで振り落とされる訳にはいかなかった。

 思い切り力を込めて、なんとか電車の上部に転がり込む。かのんは肩でようやく息をしているばかりだった。

 でも、休んでる暇はない。

 かのんはワイヤーをしまって、電車の上を走り出す。周囲の景色は心なしか古めかしくて、ビルなんかは記憶にあるよりずっと多い気がした。

「すみれちゃん! 今どこ⁉︎」

『先頭車両! ここが最後の砦みたい!』

 かのんは叫びながら、車両と車両を飛び越える。遠くで銃器の炸裂する音が聞こえてきた。

 かのんは急ぐ。もうスーツはしばらく使えない。少なくとも十分程度。だからかのんには急ぐくらいしかできなかった。

 アルミみたいな鉄みたいな、空洞になった何かを踏んでいるような音がしていた。電車を踏むのは変な感覚だった。

 そして先頭に辿り着いた。ここからどうやって電車の中に入ろうかを考えて、かのんは足元に目を落とした。

「…………え?」

 そしてかのんは、目を疑った。

 それは、ついさっきに何度も見たことのある装置だった。赤い灯りが点滅している、無機質なそれ。カフェで、四季のラボで。それは────

「時限、爆弾……⁉︎」

 かのんは目を疑った。そして、さらに悪いことにそれは、よく見ればひとつではなかった。一番先頭にある時限爆弾だけ他のより一回り大きくて、それから電車の背に沿って────つまりかのんが走ってきた車両全てに、その子機のような、似た形の装置が設置されていた。

『かのん⁉︎ どうしたの、応答して⁉︎』

 耳元ですみれの声がする。全ての物音が遠ざかっていく。どうすれば。どうすれば。どうすれば、どうしたら、私は。ここにいる人がみんな死んでしまう。助けなきゃ、いや助ける。でも、どうやって?

 いきなりの無理難題に、かのんの頭はどうすればいいか分からず思考停止してしまった。

『かのん⁉︎ 返事して、かのん⁉︎』

 すみれの声で、しかしかのんは現実に引き戻された。世界はいきなり彩度を落としてモノクロになっているような気がした。黒い風がないていた。

「……時限爆弾が、ある。私たちのカフェに仕掛けられてたのと、同じやつ」

『えっ⁉︎ ほ、本当に⁉︎』

 すみれは驚いたように言った。それから舌打ちが聞こえたかと思うと、かのんの真下で立て続けに銃声が聞こえた。一瞬遅れて、窓ガラスがバラバラに砕ける軽い音がして、後ろにその破片が流れていった。

『こっちはこっちで手一杯! かのん! お願い、なんとかして!』

 すみれの声は必死で、下で何が起きているかはかのんが想像するまでもなかった。

「……で、でもどうしたら」

 かのんは狼狽(うろた)えて、でも立ち止まっている時間はなくて、電車の頭につけられたその装置の前に屈む。それは真っ黒で、学生鞄くらいの大きさで四隅をボルトのようなもので留められていた。その部分は蓋のようになっているらしかった。

「────出て」

 かのんはそこを目がけてトリガーに指をかけて構える仕草をする。それを引く動作をした瞬間に、かのんの手にはアサルトライフルが握られていた。

 鋭い鉄の弾ける音が、風に流されていく。続け様に、四回。

 バゴン、と鈍い音がして、その蓋も後方に吹っ飛んでいった。

「────っ」

 そして、かのんはその中身を見た。そこには複雑な配線のコードがひしめいていて、唯一時計のように表示された赤い四桁の数字だけが読めた。それが何の時間であるかは、言われなくても分かった。その時間、わずかに『01:30』

「どうしよ、どうしよ私……っ⁉︎」

 刻一刻と、無常に減っていく数字。かのんはどうなるかも分からないけれど、とりあえずこれだけでも電車から外してしまおう、と思って、銃を構えた。

『かのん! それを撃っちゃだめデス!』

 その時、耳元でいきなり大声がして、かのんは指が止まった。

『それを撃ったらその場で爆発しマス! こっちでおおよその事態把握はもうできていて、後はその電車さえ守り抜けばいい状況デス!』

「可可ちゃん⁉︎ どういうこと⁉︎」

 トランシーバーによる通信は磁場バリアによって遮断されていたはず……とかのんは思ったけれど、そんなことを言っている場合でもなかった。

『時間表示をしている部分に五色のコードが繋がっているはずデス……ありマスか⁉︎』

 かのんは言われるままにそこを確認する。残り五十秒を刻むその下に、そのコードが確かに繋がっていた。青、緑、うす桃色、橙色、水色。

「ある! あるよ!」

『それを今から可可が言う順番に切ってくだサイ! それが安全装置で、順番を間違えたら爆発しマス! いいデスか⁉︎』

 かのんは可可が言い終えるより早く、アサルトライフルを構え直していた。あと三十秒。

「いいよ! 言って!」

『順番は……水色、橙色、緑────色、ザザ……う……色……………』

 かのんは言われた三色のコードを順番に撃ち抜いていった。しかし、

「可可ちゃん! 後半聞き取れなかった! もう一度お願い!」

 合わないラジオみたいにザァザァ掠れる音が、可可の声を遮った。肝心なところが聞こえない。

『え…………どこ……っ、クロノ…………妨害…………』

 今度はほとんど何を言っているのか分からなかった。赤い数字、あと二十秒。

「可可ちゃん! 可可ちゃん!」

 かのんは叫ぶ。しかし今度は何の反応もなかった。かすかに聞こえた単語から、また奴らが何かしたのかもしれない、とかのんは素早く思う。あと十五秒。

 その時だった。

 背中の方で、轟音が響いた。振り返ると、一番後ろの車両の両方の窓ガラスが、爆風と共に砕け散っていた。続け様に、そのひとつ手前の車両の窓からも、爆音と共に炎が巻き起こる。電車が緊急停止していく。

「────っ、私が、何とかしなきゃ」

 もう躊躇う余裕もなかった。かのんはどちらかのコードを切るかを選ばなければならなかった。どっちだ、どっちが正解なんだ、考えろ、私……っ⁉︎

 しかし、狙いを定める手のひらは自分の決断一つにのしかかる命の重みに耐えかねて、震えていた。あと十秒。

 怖かった。

 ただ怖かった。

 だって失敗したら、みんなが……すみれちゃん、が。

「かのんちゃん」

 ふと、震える手に誰かの手が重なった。かのんははっとして、そちらを向く。

「大丈夫、私がついてるから」

 千砂都だった。真後ろで爆発音が轟く。あと五秒。

 千砂都の手に導かれるように、最後に残ったうちの、片方に銃口を当てる。どうして千砂都がいるのかは、訊く暇もなかった。

 千砂都と何かひとつのことをしているのは、こんな時なのに安心な気が、かのんにはした。あと二秒。

 そしてそれを、二人で、思い切り引いた。青空に響く、最後の銃声。

 かのんはぎゅっと目を瞑っていた。一秒、二秒……しかし、かのんの思ったような音は、何も聞こえなかった。

「かのんちゃん」

 千砂都が呼ぶので、かのんはようやく目を開いた。そして、それを目の当たりにした。

『00:01』

 そう表示されたまま、止まっている数字を。

「ふぅぅ…………」

 かのんは肩の力が抜ける。

 辺りは急に静かになった。車両は緊急停止して、線路上で沈黙していた。

『かのんっ! あんた大丈夫っ⁉︎』

 その時、いきなり耳元ですみれの声が聞こえた。それでかのんはまだ自分達が戦いの途中であることを思い出す。千砂都を見て、かのんは叫ぶ。

「ちぃちゃん! 行こう!」

「オッケー!」

 千砂都は右手の親指と人差し指で丸を作って、にっ、と笑ってみせた。

 電車の端を引っ掴んで、そのままそこを軸にして円を描くようにして、窓ガラスを脚で叩き割って車内に入った。ガラスの破片がきらきら散らばる。

 そこには膝をついた低い姿勢で、頭を守るように身を屈めた赤髪の女の人がいた。さらにその近くにも、逃げてきたのか一般人が何人かうずくまっていた。

「すみれちゃん! 米女さん! 大丈夫⁉︎」

 かのんは叫ぶ。するとすみれはアサルトライフルを手の内で消して、フッと得意げに笑った。

「遅いったら、遅いわよ……もう全部片付けちゃったわ」

「えっ」

 そしてかのんは振り向く。

 そこには、誰もいなかった。向こうの車両は焼け焦げていて、人がいるようには見えなかった。恐らくクロノダイバーたちは撤退したのだろう、とかのんは思う。

「流石だね、すみれちゃん」

 千砂都が言うと、かのんの耳元のトランシーバーがいきなり音を立てた。

『……みんな! 今敵のタイムマシンをきなきなとなっつーが制圧しマシタ! 磁場バリアも千砂都が全て解除していマス! もうそっちも安全なはずデス!』

『ちょーっと手間取ったけど、チームプレーは夏美たちの方が上ですの、リエラに勝とうなんて百年早いですの』

『っす! これできな子たちがチャンピオンっすね〜!』

 急に賑やかになった通信を聞きながら、かのんはすみれの後ろにいる人に近づく。すみれがそっと道を開けてくれたような気がした。

「……米女さん」

 かのんは腰を屈めて、その人の顔を間近で見つめる。メイちゃんと同じ、青い瞳だ、とかのんは思う。

「は、はい……」

「怖い思いをさせてしまって、ごめんなさい……でも、もう、こんなことはあなたの周りでは決して起こらないので、安心してください。私たちが、あなたの大切な過去も未来も、全て護ってみせます」

 かのんはそれだけ言うと、立ち上がって振り向いて、すみれと千砂都を交互に見た。二人とも、全てのことを成し遂げた後のように自信たっぷりにはにかんで笑っていた。

「……行こう、ちぃちゃん、すみれちゃん」

 かのんの言葉に、二人は短く頷く。かのんも無言で頷くことでこたえて、スーツの出力を上げていく。三人のスーツの模様が七色に発光していく。

「あ、あのっ!」

 その時、かのんの背中で声がした。振り向くと、赤髪のお団子の女性がかのんをじっと見ていた。その人は、あの子に似てるけど、やっぱり大人びていて、別人だな、と今さらかのんは思った。

「……私のことを、メイ、って仰いましたよね」

「……はい」

 かのんは言う。

「それがなんだかすごく、大切な人の名前の気が、したんです……だから」

 その人はにっと歯を見せて笑った。その笑い方はとてもとても、見たことがあるような気がした。

「私に子供ができたら、あなたたちへの感謝と憧れを込めて、メイって、名付けようと思います」

 かのんはそれを聞いて、胸がぎゅっと握りつぶされそうな気がした。どう答えていいのか分からなかった。でも代わりに、自分達がするべきことは、しっかり見えた。まだ戦いは、終わっていない。

「…………ばいばい、米女さん……元気でね」

 かのんは呟くと、その顔は見ずに振り向いて、走り出す。すみれと千砂都も、一瞬で姿を消した。高速移動の名残の風が、電車内を吹き抜けていった。

 そして、そこには誰もいなくなった。救助が来るまで、その粉々に砕かれたガラスの上に映される新しい景色を、米女サツキはその青い瞳で追いかけていた。

 この日の体験を、サツキは生涯、誰にも言わないことになる。米女メイという名前を、全部一つにすると『数』という漢字になることは、不思議とすぐに気づいた。

 いつか子供ができたら教えてあげよう、とサツキはちょっとワクワクしていた。警察に保護されて線路の上を歩きながら、そう思った。

 すごい青空が広がっていた。

 吸い込まれてしまいそうな。

 手を伸ばせば届いてしまいそうな。

 そんな夏の日のことだった。

 こうして2,005年のある夏の日の事件は、幕を閉じた。

 

 

 

 ✳︎

 

 

 

「みんなお疲れ様! いや〜大変だったね」

「な、なんかすっごい余裕そうっすね……」

「クロノダイバーたちは全員タイムマシンに詰めて元の時代に強制送還してますの、もうここの時代に来ることはできないですの」

「そうデス! 私たちがこの時代でできることは全部終えたデスよ!」

 タイムマシンの中に戻ってきたかのんたちは、久しぶりの和やかなムードだった。思えば2,032年のかのんのカフェから逃げてきてここまで、ほとんど休憩なしで活動してきたな、と思い出す。実際には数時間しか経っていないはずなのに、空は暗かったり明るくなったり、暑すぎたり寒すぎたり、時間まで飛び越えちゃって、目まぐるしいことこの上なかった。

「さて……もう一つの時空の歪みは────っ⁉︎」

 千砂都がモニター前の席に座って、そこのキーボードを操作する。

「こ、れは…………」

「ん? どうしたのよ、千砂都」

 息を止めた千砂都に、すみれが声をかける。

「すごく大規模な時空間の歪みが発生してる……きっと四季ちゃんだよ、そんな気がする……一度や二度の時空間の移動の歪みじゃない!」

 千砂都は声を大きくして言った。かのんはそのすぐ傍で、千砂都の肩に手を置いて、その前のモニターに映る、理解できない複雑な何かの波形が重なったものを見た。私たちの、次に行くべき場所は、あの日。

 かのんたちは誰も何も言わなくても、自分達が次にどうするべきなのか分かっていた。

「次の世界では、可可と千砂都はここに残りなさい……前線には私とかのんが出るわ、サポートにきな子と夏美、いい?」

「え、な、なんでデスか」

「あんたらはここで司令塔やってくれた方がいいわ……四季も、そう考えているみたいだし」

 すみれは言いながら、向かいのきな子と夏美を見つめた。二人は強く頷いたようで、すみれは満足そうに笑う。

「さてと……そろそろ行きましょうか。道に迷うんじゃないわよ、かのん」

 すみれがおどけて言う。こんな風に昔みたいに何気ない冗談が言えるようになる日を、かのんはどれほど待ち望んでいただろうか。あまりに長い時を越えてきた。それでもそばにいる、私たち。

「むー、すみれちゃんだって、置いてっちゃうんだから」

 ふと、つめたいタイムマシンは、冬の日の部室に似ていたんだ、と気がついた。まだ下級生が入ってくる前の、五人で静かだった部室。

「はいはい、それくらいにして」

 千砂都がかのんとすみれのやり取りを遮る。可可が、千砂都の隣の席に座って、空中にキーボードを展開した。

「あとあんたらちゃんとサプレッサーつけなさいよ、みんなも。街中で銃パナすんだからね」

 すみれが言う。

「はーい」

「はいっす〜」

「はいですの!」

「私たちは銃持ってないから関係ないね!」

「デスね!」

 各々、好きに言いながら、それぞれの席に着く。メインコントロール席には可可と千砂都、その脇に、きな子と夏美、そしてさらに脇に、かのんと、すみれ。

 かのんはすうっと息を吸う。

「じゃあ、行こう! 四季ちゃんとメイちゃんを助けに!」

 思い切り叫んだ声に全員が頷いたのが、かのんには見ていなくても分かった。

 人の想いが時を超える瞬間を、人は奇跡と呼ぶのだろうか。

 最初は小さな星でも、それぞれが内に秘めた輝きを、想いを、繋いで結んでいくことで、きっといつか大きな願い(スーパースター)になる。

 かのんはいつか自分がつけたこのみんなのためのグループ名を思い出していた。

 いつの間にか私たちは、一人じゃなくて、燦々(さんさん)たるスーパースターだった。

 かのんは心から叫ぶ。

 後戻りなんてしなくていい、振り返らなくていい。

 私たちは前へ前へ、未来へ風のように進んでいく、一番星(スーパースター)だ。

 時間を超える、数秒前。

 今始まる今と、今終わる今を飛び越えて、全てを取り戻しに、あの夏へ。

 

 

 

「リエラ! スーパー! スタートッ!」

 

 

 

 ────そしてまた、ここから新たな物語が始まる。

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