さよならより速く、私はあなたに逢いに行く   作:Werther

4 / 13
第四章 - Liella!

 あなたと出会ったのは春のある日だった。その日のことを、私はよく覚えている。ひどくあたたかい陽だまりみたいな声が胸中に満ち溢れて、こぼれて、泣いてしまいそうになったこと。

 

 ────ずっと一人でいいって、思ってたんだ。あなたが私の前に、現れるまでは。

 

 

 

 ✳︎

 

 

 

 かつ、かつ。という。

 石とも鉄ともつかないものが削れる音がしていた。覚束なく揺れる意識の中で、その音だけが鼓膜を通じて脳に滑り込んできた。

 なんだか長い夢を見ていた気がする。タイムリープマシンとか、未来の自分とか、クロノダイバーとか、きっとぜんぶ悪い夢の中の出来事だった。私はもう、死んでしまったのかな、と何となく思った。ぬるい風が頬に触れている。こんな心地いい中にいられるなら死んでもいいかもしれない、そう思った。

「はい、じゃあ今日はここまで、みなさん休みの間も課題はしっかりやるように」

 先生がチョークを置きながらそう言う。私ははっとして、顔を上げる。時計の針は数時間前を指している。私は、また、飛んだのだ。

 さっきの世界での出来事を思い出した。頭を撃ち抜かれた恋先輩、掴みかかってくるすみれ先輩、怯える可可先輩、私に向けられた銃口、鈍い痛み、メイの叫び声、血まみれのシキ、それと、それと。

 私はふと下を向いて自分の身体を確認する。制服はヨレも皺もない状態でよく肌に馴染んでいる。もちろん、銃創も血痕もない。それが当たり前であることに私は安堵し、ちゃんと飛べたことを改めて知る。

 久しぶりに聞くチャイムの高い音。それに続いて教室はにわかに騒がしくなる。放課後の少し浮ついた空気感。そういえば、今日から夏休みだっけ。私はあとどれだけ『今日』を繰り返すのだろう。分からない。分からなくて、私も同じように机の上に散らばった荷物をしまう。

「四季、今日掃除当番じゃないだろ」

 ふと頭上から声が聞こえて、顔を上げるとそこには腰に手を当てたメイがいた。私は、もうメイを見るだけで、どうしていいのか分からなかった。泣き出しそうになってしまう気さえした。

「メイ…………あのね」

「ん? なんだよ四季」

 教室の後ろの方の席の私たちの周りは、人の出入りが激しく、がやがやしている。メイはもう後ろ手に鞄を下げている。

「話したいことがある……今から私についてきて」

 私は立ち上がりながら言って、メイの顔を至近距離で見つめる。メイは驚いた様子で、わずかに私から離れてでも目は合わせたままでいてくれた。

 私も目を逸らさずに、真剣にメイを見続けた。そのうちメイははーっと息を吐くと、観念したように私を見て笑った。

「しょーがないな、四季がそんな真面目にする話、私が聞かない訳ないだろ」

 メイがそう言うので、私はありがとうの意を込めて無言で頷く。

「じゃあ行こう、メイ、ついてきて」

 私はメイの右手を掴んで、歩き出す。

「あ、待つっす〜!」

「待つですの〜!」

 聞きなれた声がして振り向くと、そこには部活のメンバーの、きな子と夏美がいた。

「二人とももう部活行くっすよね! きな子たちも一緒に行きたいっす〜!」

 きな子が元気に声をかけてくる。私とメイは振り向いて、二人に向き合う。

「あ〜ごめんな、ちょっと四季と行くところあるから、先部活行っててくれ」

 メイは頬をかきながらそう言った。それを聞いたきな子と夏美は顔を見合わせたかと思うと、ニヤニヤしながら教室を出ていった。

「ごゆっくり、ですの〜」

「先行ってるっす〜」

 行ったと思ったのに不意打ちで扉から顔を出してそう言う二人に、私たちは驚いてちょっと下がる。

「早く行けよ……」

 メイは手で二人を追い払う仕草をしながら、頬を赤らめて言った。

「行くよ、メイ」

 私はメイの手をぐいと引っ張って歩き出す。時を彷徨う私にとって、そのぬくもりだけが何よりの存在証明だった。

 校舎裏は湿っぽく、土の匂いがしていた。私たちは手を離して、その薄暗い影に身を潜めるようにして向かい合う。私たちは移動中は一言も喋らなかった。

「で……話ってなんだ」

 先に口を開いたのはメイだった。先に口を開いたというより、私が何も言わなかったので痺れを切らした、と言った方がよかった。

「…………」

 私は、話したいことはたくさんあるはずなのに、そのどれもがひとつも出てこなくて口を噤んだままになってしまう。私たちの間を色のないぬるい風が吹き抜けていった。

「おい、四季、どうしたんだよ」

 メイの優しい声が日陰に咲く花みたいに優しく私の胸の奥に触れる。あなたを、助けるために、私は何度も何度も、ここにやって来たの。

「ねぇ、もし…………」

「なんだよ、もう」

 メイの眉を下げた優しい顔が私を見ていた。もう、どうしようもなかった。口から言葉が、重力に従ってこぼれ落ちる。

「もし、私が未来からやって来たんだ、って言ったら……笑う?」

 

 

 

 ✳︎

 

 

 

「確かにそんな話信じろっていう方が難しいかもしれねーけどさ」

 部屋は静かだった。先に入ったメイは鞄を部屋の隅に置いて、そのまま奥のベッドにくるりと腰掛ける。

「四季がそんなに真剣になって言うなら、聞かないわけにもいかないだろ」

「…………メイ」

 私たちはメイの部屋に来ていた。両親はまだ帰って来ていなくて、部屋はどこも静かだった。

「ごめんね、部活休ませて……」

 私が呟くとメイははにかんで笑った。その顔がとても優しくていけなかった。

「気にすんなよ、四季のあんな真剣な顔見たら部活休むくらい何でもないって」

 メイは言いながら立ち上がると、窓の方に近づいてカーテンに手をかけた。私はそれを見ていて────

「開けないでっ!」

 気がついたら叫んでいた。メイは私の声に肩をびくりと震わせて、カーテンの隙間に差し込んでいた手を止めて私をゆっくりと振り向く。

 メイの私を見るその目に浮かぶ感情は、なんと言っていいのだろう。困惑とか、戸惑いとか、そういう曖昧な色を映していた。

「……開けちゃいけない理由でもあるのか?」

 メイが言って、私はそれにこたえることができなかった。だって、これから先に起こることは、あまりにもひどいから。

「言えない……」

 私は俯いて苦々しく呟く。それをメイに伝えるのは、あまりにも酷だった。私にとっても、メイにとっても、いや、そんなの都合のいい言い訳だったかもしれないけど。

「四季」

 ふと、淡いピンク色のカーペットを見ていた私のすぐ耳元で声がした。私は驚いて、顔を上げる。

「話してくれよ、どんな話だって私は聞くぞ」

 そう言うメイの顔はどこまでも優しかった。あぁ、私はメイのそんな優しさに絆されて、ここまで来たんだ。

「…………メイは、あと一時間で、死ぬの」

 口が滑るようだった。あれほど言えずに胸の底でわだかまっていた言葉がぽろぽろ口からこぼれ落ちた。

「…………」

 メイは何も言わずに私を見ているようだった。私はメイの顔を見ることができなくて足元をおろおろ見ていた。

 部屋には沈黙が満ちていた。私もメイも喋らないと、静かすぎて息を吸う音も、胸が鳴る音も、衣擦れの音さえはっきり聞こえるようだった。

「…………四季」

「……うん」

 呼ばれてようやく私は顔を上げる。メイは、やっぱり私を真っ直ぐに見ていた。

「それ、本当なんだな」

 メイの声は芯が通ったもので、私は息が詰まる。伝わっただろうか、と思って。

「……うん、本当」

 だから、私もメイのその透き通った群青をしっかり見つめ返す。この先に、未来があると、そう信じて。

「分かった、四季を信じる」

 メイはそう言って、真剣な表情で私に一歩近づいた。メイの綺麗な顔が間近に広がる。

「とりあえず、私たちはこれからどうするんだ」

「私たちはここにずっといる。カーテンは絶対開けちゃダメ、あとはなるべく二人で一緒に動く、それくらい」

「……分かった」

 私はメイが話を信じてくれた安心感からか、ふぅ、とため息を吐く。するとメイが私を見て小さく笑った。

「……どうしたの」

「いや、放課後になってから、四季初めて笑ったな、と思って」

 安心した。と言ってメイは歯を見せてまた笑った。私も少しだけ心に積もっていた記憶と過去の土砂が流れていくのが分かった。

「……よかった、信じてくれて」

「うーん、全部信じれてるって訳でもないんだけどな」

 私が安堵して言うと、メイは苦笑して言った。

「……そうなの?」

「まぁ、そもそも私があと一時間で死ぬ、なんて話、信じろって方が難しいよな」

「じゃあ、どうすれば信じてくれる」

 私が訊くとメイは両腕を組んで首を捻り考え込む仕草をした。

「そうだな……あ、私の秘密を言い当てられたら、私は信じると思うな」

 メイは思いついた、と言うように人差し指を立ててそう言った。

「メイの秘密……? 私そんなの知らない」

「だから今私が教えておけばさ、また四季が過去に戻った時にそれを言えば一発で私が信じるだろ、って話だよ」

 メイが言って、私はそれは確かにもっともだと思った。この世界を放棄した時のことを今から考えてどうするんだ、と思ったけれど、メイの提案は理解できるものだった。

「それは、確かに…………教えて、それは何」

 私が言うと、メイはすぐに何か言うのかと思ったら、もごもごと言い淀んで斜め下に視線を投げていた。

「…………やっぱ教えねー、やめた」

「どうして」

「四季に知られるのは恥ずかしすぎるんだよ」

 メイは小さくそう言うと、居ても立っても居られないという風に私にくるりと背を向けて、部屋の隅で静かにしている電子ピアノの椅子に腰掛けた。私もその後ろ姿にゆっくりついていく。

「…………メイさえよければ、聞いておきたい。私は……待ってる」

 私が言うと、メイは電子ピアノに目を落としたまま「あぁ」と一言言った。

 部屋は静かだった。照明ばかり眩しく、部屋は彩度が高かった。

「……時間までまだまだあるだろ、せっかくなら、聴くか?」

 メイは私を上目遣いで見つめてそう言った。子供みたいに素直で優しいお誘いだった。私は考えるより早く頷いていた。

「うん、久しぶりに、聴きたいな」

 メイはそれを聞くと、ピアノの蓋を上に開ける。メイの部屋にあるピアノは電子ピアノだけどアップライト型で、内部は電子音に合わせてハンマーアクションも搭載している最新式のやつだった。初めて私がメイの部屋を訪れた時に、見た目はアップライトなのに音量ボタンがついてる、と驚いてその時に教えてもらった。

 やがてメイは息を整えて鍵盤の上に指を乗せる。メイの指先は折れてしまわないか心配になるほど細いのに、でもしなやかで美しい。私は息をするのも忘れてそれを見ている。

 そしてゆるりとイントロが流れ始める。ピアノひとつだけから奏でられるその旋律は懐かしく、どこか切ない響きを孕んでいた。この曲は、私も、メイも、よく知っているはずだった。

「…………『未来は風のように』」

 私が言うと、メイは口だけで「セイカイ」と言った。

 イントロが終わると歌が始まる。メイの澄んだ声が出だしの歌詞を歌う。タイトルの名前と同じ歌詞からこの歌は始まる。

 メイは綺麗に、淀みなく歌った。私はその横顔をじっと見ていた。見ているだけ。

 歌は盛り上がりを迎え、伴奏はやや力強くなる。メイは目を閉じて音を泳いでいる。それをとても綺麗だと思った。メイが私に目配せをする。その言わんとすることは簡単に分かった。一緒に歌ってくれ、というのだ。

 私も隣に立って息を吸う。

 伴奏が一瞬途切れる。

 私たちは声を揃えて歌った。

 

「信じることが大事だと

 自分に言い聞かせたら

 もっと もっと 遠く目指してみよう

 小さな存在だけど 大きな夢があるから

 負けないよ さあ一緒に飛ぼうよ」

 

「本気で飛ぼう

 さあ一緒に飛ぼうよ……」

 

 最後のフレーズは私だけだった。メイのピアノがゆっくりと薄れてゆき、やがて部屋にはまた静けさが戻ってきた。ただ、さっきと違って部屋には黄金色のひかりの粒がこぼれているような気がした。

「…………四季、なんで泣いてんだよ」

「……え?」

 私は言われて、自分の瞳から涙がぽろぽろ落ちていることに気づいた。拭っても、拭っても、あとからあとから溢れてきた。

「あれ、おかしいな……あれっ、私…………」

「四季」

 名前を呼ばれて顔を上げると、春に抱かれるような柔い感触があった。一瞬遅れて、私はメイに抱きしめられていることに気づく。

「大丈夫、私はいなくなったりしない」

 ぽんぽんと頭を撫でられ、子供をあやすみたいにそう諭される。その声はどこまでも優しかった。晴れたある朝の何気ない牛乳くらい安心な心地がした。

「うん、うんっ…………」

 私はメイの身体をちぎれそうなほど強く抱いた。メイは苦しいとも離れろとも言わずにただ抱かれてくれていた。

 どのくらいそうしていただろう。真っ黒な電子ピアノの脇で私たちはひとつの体温として静かに灯っていた。

 私たちはそれから二人で座るには狭い椅子に腰掛けて、じっとしていた。

 私たちはその時音楽そのものだった。

 詩とか歌とかメロディーとか、和音とかコードとか知らなくて、私たちは正しく音楽そのものだった。私たちの身体とこころがあるべき場所にあるだけで、それはもう例えようもなく音楽なのだった。

 それをどう言えばいいんだろう。

 この心地よさともどかしさ。でも肩に触れるあなたのぬくもりが、あなたもそう思ってるって語りかけてくるみたいだった。

「ねぇメイ、私ね、メイに言いたいことがあるの」

「なんだよ」

 この時がいつまでも続けばいいのに、と思った。時間も忘れて溺れていたい、と。

 そんなこと、なんて、淡い夢。

「私ね、ずっと前からメイのこと────」

 ピリリリリリリリリ!

 甲高いアラーム音が私の声をかき消した。私ははっとする。メイのポケットから取り出されたスマホから音は鳴っていた。メイは首を傾げてそれを止めると、ふぅ、と軽く息を吐く。

「おっかしいなぁ、こんな時間にアラームなんてセットしてないはずなのに……」

 メイは言うとスマホをポケットにしまった。

 私は一気に身体が緊張するのが分かる。来る。今度こそ、護ってみせる。私は自分の鞄からメイに気づかれないように銃を取り出し、ポケットに隠す。

 その時だった。

 玄関の方で何か物音がした気がした。何か物を落としたような、引っ掛けたような音。少なくともそれが人為的なものであることは、簡単に分かった。

 私たちは声を潜めて、囁き声で会話する。

「今の、聞こえた……?」

「あぁ、私の家族じゃないな、こんな時間には帰ってこない」

 私はごくりと唾を飲み、扉の先にいるであろう誰かに意識を集中した。

 一秒。二秒。

 時間がひどく長く感じられた。静寂はべたついて耳に絡み、空気は重くのしかかってくる。

 でも、それが起きたのは一瞬だった。

 扉が急に開いた。私たちは部屋の奥に固まってそれを見ていた。

 そしてそこから、黒いフードを深く被った────おそらく体格から男────がいた。あいつらに似ていたけれど、違う、と私は思った。こいつはきっとこの世界線上の暴漢だ。その証拠に、こいつはあいつらみたいに銃を持っていない、その手には、銀色に光る鋭利なナイフが握られていた。私はそいつがじりじり距離を詰めてくるのを、どこまで来たら撃とうか考えていた。

 メイを奥に追いやって、私が前に立つ。私はポケットに手を突っ込んでグリップを握りトリガーに指を引っ掛ける。

 それでよかった。

 そのはずだった。

 私は、メイが襲われるものだと思って間合いを測っていたから自分に相手が飛びかかってくるなんて、考えもしなかった。本当に、間抜けだと思う。

 私は気がついたら横に殴られて倒れ伏していた。頬に鈍い痛みが走り、全身のバランスを崩す。淡いピンクのカーペットの一部が自分の鼻血で赤黒く汚れた。

「ぐっ…………」

 顔を上げると、そいつは手に持った銀色の狂気を振り下ろすところだった。私はもう迷う訳にはいかなかった。

 ポケットから取り出したその無機質な口を、そいつに向ける。

「四季、危ないっ!」

 そして、私がその引き金を引いて火花が散ったのと、そいつがナイフを振り下ろすのと、メイが私たちの間に入ってきたのは、ほぼ同時だった。

 ぽす。

 そんな軽い音がして、私の目の前で、暴漢が倒れていった。それだけでなく、間に挟まっていたメイも。そして私の頬には生暖かいものがかかった。

「メイ……メイっ! 大丈夫、メイ⁉︎」

 私は倒れたメイを抱き寄せて、その身体を確認する。右胸からとくとくと鼓動のリズムに合わせて赤色が辺りに溢れている。私は気が動転して何が起きたのか分からなかった。

「はは…………そんなもの持ってるなら、先に言えよ……四季が殺されるかと、思っただろ……」

 メイは弱々しくそう言った。喋るたびにごぼ、と水が込み上げるような音がしてメイは苦しそうだった。その口からも赤い液体が伝った。

「メイ…………ごめんなさい、メイ、私っ……」

「……五枚、なんだ」

「…………え?」

 脈絡のないメイの言葉に、私は一文字の疑問を浮かべる。メイの胸から溢れる赤色は鉄の匂いがしていて、私のスカートとブラウスをじわりじわりと汚した。メイは血まみれの手を伸ばして私の頬に触れる。それは生暖かくて、ぬるっとしていた。

「五枚なんだ……私が、お前に宛てて書いた、ラブレターの枚数」

「…………え?」

 メイはこんな時なのに微笑んでそう言った。私は聞き間違いかと思って、目をぱちくりさせてメイを見る。

「これが、私の、秘密……過去の私に言ってやりな、驚く、よ……」

「ま、待って! メイ! そんなの、私っ…………」

 私は最後まで喋れなかった。私が言おうとしたのを、メイは私の口にわずかに人差し指だけで触れて、止めてしまったから。

「お願い、な。こうならないように、助けてくれるんだろ、私を……」

 メイは泣き出しそうな目で私を見ていた。カーテンの向こうは夕暮れが始まっているらしく、カーテンはうっすらと茜色に染まっている。悪い夢みたいに、この部屋の全てがひどく綺麗だと思った。夕陽色のカーテンも、血まみれのメイも、見知らぬ人間の死体でさえ。

「メイ…………私もね、あなたに言わなきゃいけないことがあるの」

 私はメイを抱き寄せて、耳元で囁く。

「私ね、ずっと前からメイのことが────」

 かくん、と。

 その時腕にかかる重量が一気に増えた。私はバランスを崩して前につんのめってしまいそうになる。

「…………メイ?」

 私は震える声でメイの名前を呼ぶ。メイは瞼を下ろしていて、ただ安らかに眠っているだけみたいだった。もう胸から血も溢れていない。ただ、それが寝ているのではないことは、もう私が何度も見てきた光景のはずだった。

「……ごめんなさい、メイ、ごめん、なさいっ…………」

 涙が溢れてやまなかった。あとからあとから、ぼろぼろと溢れてきた。部屋中死の匂いがしていた。もうここはすっかり行き止まりだった。

 私はようやくメイの身体を横たえて、立ち上がる。メイの顔は綺麗だった。どこかの国のお伽噺みたいにキスをすれば目が覚めるんじゃないかと、思ってしまうほどに。

 その時、死んだと思っていた暴漢が、身じろいでうめき声を上げた。

「…………まだ生きてたの」

 私は自分の口から出るあまりにつめたい言葉の響きに自分で驚く。でも、身体は反対に、なめらかな動作でそいつに銃を向けていた。

 直後に銃声が四度響いた。

 頭に二発、胸に二発。暴漢はそれっきり動かなかった。私はそれを特に確認することもないまま、歩き出す。

 私はまだ、時間の狭間に迷い込む。

 メイとの約束を果たすために。今度こそ、今度こそ。

 おもてに出ると夕陽は深い血の色をしていた。

 私は孤独とか、絶望とかの感情を振り切るように、学校へと戻る道を走った。目からとめどなく溢れる涙には、気がつかないフリをしながら。

 陽はいつまでも、暮れなかった。

 

 

 

 ✳︎

 

 

 

 はっと目が覚める。

 そこは見慣れた教室だった。

 窓際の生徒は頭を机にくっつけて寝ている人がちらほらいた。教室の前にかけられた時計を見ると、時間は六時間目が始まったばかりを指している。ぬるい風が吹いて教科書の縁を捲るように揺らした。

 隣を見る。メイが下を向いてノートに何かを書いている。メイの胸には穴は空いていない。それが当然であることに私は言いようのない安堵を覚える。

 先生は黒板に丁寧に板書をしていた。

 私はおもむろに椅子から立ち上がる。静かな教室に私が立てた音は当たり前だけどよく響いた。クラスメイトたちが驚いたように私を振り向く。背を向けてチョークを黒板に触れさせていた先生も、それに気づいてゆっくりこちらを振り向いた。

「若菜さん、どうしたのかしら?」

 みんなの視線が痛かった。でも私にはそれを気にする余裕も時間もなかった。早く、速く、一秒でもはやく逃げなきゃ。

「米女さんが気分が悪いそうなので保健室に連れて行きます、お願いします」

 私が早口で言うと、隣でメイがこちらを見上げたのが分かった。私は席を離れると、怪訝な顔をしたメイの手を握る。

「ついてきて、後で説明はする」

「お、おい、四季っ…………」

 私が強く手をひくと、メイの手に持っていたシャーペンが床に落ちてかつんと音がした。私はそれを気にすることもないまま、メイを教室の外に連れ出した。先生が何か言っているようだったけど、どうでもよかった。

 私はメイの手を握ったままがむしゃらに走った。

「おい、四季、こっち保健室じゃないぞ」

 メイが後ろから叫ぶ声が聞こえて、私はこたえずに手をさらに強く握る。

「ここで少し待ってて」

 私は科学室の前まで来るとそう言ってメイの手を離した。メイは驚きと戸惑いで眉をひそめていた。私は振り向いて科学室の扉を勢いよく開く。ずかずか足を踏み入れて、その奥で風景の一部となっているタイムリープマシンの傍から黒光りする拳銃を取り出してポケットにしまう。学生服のスカートのポケットは小さくて、それを入れただけで歪に膨らんでいた。

「お待たせ、行こう」

「行くって…………どこへ」

 私のことを変なものでも見るような目で見ていたメイは、さっぱり分からない、と言うように首を傾げていた。

「…………遠くへ」

「は?」

「遠く、どこでもいいから、遠くに行こう」

 私はそう言った。

 行く宛なんてなかった。何をすればいいのかも分からなかった。どこへ行けばいいのかも。私には何も、分からなかった。

「四季、大丈夫か? なんか変だぞお前」

 メイは私を覗き込んで言った。そんなに私はひどい顔をしているだろうか。だってメイのため。メイのため、メイのため。

「ほら、授業戻ろうぜ」

 メイは私の脇を抜けて歩き出そうとしていた。

「駄目っ!」

 私は今度こそ叫ぶ。静寂の廊下にその二文字が反響して、ゆっくり沈んでいった。メイが肩を震わせて立ち止まる。振り向いて私を見る目が、困惑の色に揺れていた。

「いいから、私と一緒に来て……」

 俯いて、消え入るような声で私が言うと、廊下はまた静かだった。どう説明していいのか分からなかった。なんて言っても無駄かもしれなかった。私にはもう、何も分からなかった。

 俯いた視界の先、気がつくと、自分のつま先に向き合うように、誰かのつま先があった。

 はっとして顔を上げる。そこには、わがままな子供をあやす親みたいな優しい困り顔のメイがいた。

「いいよ、四季が言うなら理由があるんだろ、でも後で教えてもらうからな」

 メイは言うと、私をまっすぐに見て笑った。

「…………うん、ありがとう」

 私は言うなり、メイの手を掴む。メイはもうさほど抵抗もしなかった。

 そのまま、走り出す。廊下の窓から夏風が吹き込んで私たちの間を通り過ぎていった。

 どこへ向かうのかも知らず、どうすればいいかも分からず、私たちはただ、ただ風のように走った。

 

 

 

 ✳︎

 

 

 

 どのくらい来たのだろう。

 どれだけのものを犠牲にして来たのだろう。

 ここが何回目の時間軸なのか、もう数えるのも辞めてしまった。私にとって、そんなことはもう些細なことだった。哀しいとか辛いとか、最初は思っていたはずだったけれど、もうよく分からなかった。それにシキとも決別した今、私の今の状況を話せる相手はどこにもいなかった。

 例えば。

 部室に行くたびに、先輩方が一人ずつやって来るのを見ながら、私は自分が未来から来ていることを、告白しようとする。でもその度に、そんなことをして誰が信じてくれるんだ、と思って口を噤む。練習が始まる。

 例えば。

 部活後四人で歩いている時に、今日はそっちの道じゃなくてあっちの道を通ろう、と言おうとする。もしくはもう帰ろう、と。でも私がそう言うのに首を傾げる姿を何度も見たから、私は何も言えない。

 例えば。

 交通事故で、転落事故で、通り魔に、変質者に、そうでもなければ奴らに、メイの頭が胸がお腹が引き裂かれて、そこら中に鮮血が舞うこと。あぁ、また駄目でしたと諦めてその時間全てをやり直すこと。

 例えば。例えば。例えば。

「おいっ、四季…………どこまで、行くんだよっ…………」

 走りながらとめどなく溢れる思考を遮ったのは、後ろからのメイの息切れした声だった。立ち止まって振り向くとメイはぜいぜい言いながら息を整えていた。

「ごめん、メイ……」

 周りを見ると、ここは知らない街だった。原宿みたいに人通りはそこまで多くなくて、どちらかと言えばオフィスビルと小規模な飲み屋の混合した少し古っぽい雰囲気の街だった。でも、ここがなんと言う街なのか、私にはどうでもよかった。

「おい、そろそろ話してくれてもいいんじゃないのか」

 私たちは信号で立ち止まる。メイが膝に手を当てながら私を見上げて言った。私は喉に重りがつっかえたように、何も言えない。真っ青な空をビル群がちぐはぐに切り取っている。

「私たち、何から逃げてるんだよ」

「…………それは」

 言おうとして、メイの方を見つめた。そして、息が止まった。

 交差点を挟んで向かいに、黒いローブの高身長の人が立っていた。それは今まで別の時間軸で幾度となく見てきた奴だった。黒いローブを着ているから顔までは見えなかったけれど、なんとなくこちらを見ていると、直感的に分かった。

「メイ、こっち!」

 私は暑そうに胸元をぱたぱたさせていたメイの手を掴んで、反対方向に一目散に走り出す。

「四季! どうしたんだよ!」

「いいから走って! 早く!」

 私たちはビルとビルの隙間の織りなす道を縫って走っていった。両脇にはオーセンティックバーや、スペインバルなんかの夜のお店がたくさん並んでいて、今はまだ陽が出ているから、それらはじっと黙って景色の一部になっていた。

 私は後ろをろくに確認もせずにただ走った。

 やがて通りにそれすら無くなると、室外機と吸水管だけがある路地裏に出た。奥はもう行き止まりらしかった。

 そこまで来て、私はようやくメイの手を離して、周囲の気配を確認する。路地裏は湿っぽく、少し埃臭いような匂いがしていて静かだった。どうやら、誰もいないみたいだ。

「一体何見たんだよ、四季。急にこんなところに逃げるみたいにして」

「それは…………なんでもないの」

「なんでもない訳ないだろ、四季、お前どうしちゃったんだ?」

 メイが心配そうに近づいてくる。私は時空を超えて襲いかかってくる恐怖の影を相手に怯んで、立っているのがやっとだった。足元のコンクリートが味気なく乾涸びている。

「あのね、メイ、実は────」

 私はとにかく何とか説明しようと口を開く。まだ時間はあるだろうか。それまでにメイに状況を分かってもらって逃げなければ。私は、何から、話せば。

 そう思ってメイを見つめた。

 その時だった。顔を上げてメイの顔が見える前に、私の身体は強い力で突き飛ばされた。二、三メートルほど後ろに飛んで、地面に転がる。膝と肘の辺りに鋭い痛みが走った。身体は、うまく動いてくれなかった。

 ようやく顔を上げると、両腕を後ろに組まされて壁に押し付けられているメイが見えた。メイを押さえているのは、黒いローブを着たあいつらだった。その後ろにもいつの間にか三人、同じ格好をした奴らがいて、そのうちの一人はさっき交差点を挟んだ向かいにいたあいつに違いなかった。

「メ、イ…………」

 私はぼやける視界の中何とか手を伸ばす。奴らは私を興味なさそうに一瞥すると、すぐにメイに視線を戻した。

「若菜四季……彼女も時間遡行者です、殺しますか」

「いえ、我々の目的は米女メイの抹殺です。それに若菜四季は将来タイムマシンを作るのです……今死なれては困ります」

 黒ローブの一人が言うと、長身のもう一人が喋った。それは変声機を通したような、女とも男とも取れる、少し機械っぽい声だった。その声には聞き覚えがあった。

「お前が…………お前が、メイを」

 揺れる視界の焦点を合わせて、私はよろよろと立ち上がる。

「動くな!」

 私がポケットに手を当てたところで、変声機越しでも分かる鋭い声がする。私は一瞬怯み、動きを止める。

「それ以上動くと米女メイを殺す」

「……動かなくても殺すくせに」

 私が言い放つと、長身の黒ローブは首を緩く横に振ったようだった。

「あなたは、相変わらず頭が良いですね……全く、久しぶりです」

 その言葉には含みがあった。でも、それがどういう意味なのかまでは私は分からなかった。何が久しぶりなのかも。

 長身はため息を吐きながら、ぽつりぽつりと話し始める。

「できればあなたとは闘いたくないのです、あなたは将来タイムマシンを作る、そして自分自身で過去に干渉して歴史を変える。つまりあなた一人いるといないのでは、全く別の未来になってしまう。これがどういう意味か分かりますか?」

「…………」

「あなたは特異点なんです。通常の物事はある事象に向かって収束していくけれど、あなたの場合は違う。あなたはこの世界を形作る取り外し不可能なひとつの鍵なんです。あなたがいなくては、この世界は成り立たない」

「…………だから何」

「米女メイのことは、諦めてください。私も心苦しく思いますが、世界には人一人の命より重いものがあるのです」

 四季さん。と唐突に名前を呼ばれる。さん付けであることに驚いたんじゃない。その呼び方には覚えがあるような気がして、どきりとした。でも何故そう思ったのか私にはさっぱり分からなかった。路地裏はじっとり濡れた空気が満ちていた。

「タイムマシンは正義の発明なんです。これを使えば無慈悲なテロも世界大戦も避けられる。だから平穏な世界の為、安易に過去を変えてはならないのです。それがたとえ、誰かを救うためであっても」

 黒ローブは淡々と言った。それは嘘ではなさそうだったけれど、本当でもないな、となんとなく思った。建前をすらすら言われているようなそんな不快な感じがあった。

「だから私たちは米女メイを殺します…………やりなさい」

 長身が言うと、一人が素早くメイを壁に押し付けて、もう一人がメイの頭に拳銃を突きつけた。それが苦しかったのかメイがううっと小さく声を漏らす。

 そしてその銃のトリガーに指がかけられる。もう後わずかでそれが引かれる、そう思ったその時だった。

「動くな!」

 私はそう叫ぶと、ポケットから銃を取り出して、構えた。

「動いたら……撃つ」

 その銃口の向く先は、あいつらではなく、自分の頭だった。

「……何の真似だ」

 長身が一歩前に出てきて言う。押さえつけられたメイが横目にこっちを窺っているのが見えた。私はもう、これしかない、と思っていた。

「私が死ねば、タイムマシンは未来で作られることはない、つまりお前らもこの時代にやって来ることはなくなるし、私が死ねばメイは私を庇って死ぬこともない、誰かが死ぬんじゃなくて、私が先に死ぬ……それが、私の辿り着いた答え」

 私は言って、拳銃を右のこめかみに当てて両手でそれを包むように握る。祈るように顔を上げると、建物と建物の隙間から細く伸びた空がばかみたいに綺麗だった。私はその空に向かって「さよなら」と言う。

 メイ。

 私の大切なメイ。

 あの春の日、声をかけてくれて本当に嬉しかったよ。

 はじめまして。って、照れ臭くてどこか懐かしいね。

 あの放課後、私に笑いかけてくれたのが本当に幸せだったよ。

 歯を見せて笑うあなたの笑顔は私の心のジグソーパズルのずっと埋まらなかったピースを埋めてくれた。

 ねぇ、メイ。

 科学に興味もないくせにいつしか科学室に来てくれるようになって他愛もない与太話してみて子供みたいに笑うのはいつも眩しかった。

 メイ。メイ。メイ。

 私は五月も好きなの。なんだか空気があなたみたいにぽかぽかしてるから、あなたが隣にいなくてもあなたを感じられるような気がしてしまって、私はずっと一人だったのに、離れていても伝わるぬくもりがあることを、こんな弱さだけで知ったの。

 ねぇ、メイ。

 伝えられないことが山ほどあった。

 言い足りないことが星の数だけあった。

 ばいばいと、私たちが家に帰るのに別れる時、私の言葉はいつも、書きかけの手紙のようにもどかしく終わってしまう。

 でもね、もう、いいの。今日で、ここで、メイとは本当にお別れ。

 メイ。

 私の大切なメイ。

 大好きとか愛してるとかそんな言葉でも足りないや。私にいっぱい奇跡をくれた。ありがとう、メイ。安っぽいと思うけど、最期にこれだけ言わせてください。

 

 ────メイ、あなたを、心から愛しています。

 

 私はメイの方を見る。何か私に向けて叫んでいるような気がする。でも私は世界中スローモーションになったみたいでその声は聞こえない。もう、いいの。

 ばいばい、メイ。

 そして路地裏に銃声がひとつ響いて、世界は静かになった。

 

 

 

 ✳︎

 

 

 

 死後の世界ってどんなものなんだろう。

 雲の上とかに天国はあるのかな、いや、私はたくさんの人を傷つけてきたから落ちるのは地獄かな。まぁどっちでもいいか。

 本当にメイには酷いことをしちゃった。許してなんて言えない。何回私のエゴに巻き込んで殺してしまったか分からない。でももう、おしまいだった。

 これでよかったんだ。私はぼんやりする意識の淵でそう思った。

 それにしても、死んだ後だっていうのにやけに湿っぽく、埃臭い匂いがしていた。折り畳まれた足はごつごつした感触に触れていて、あの世にもコンクリートはあるのかな、なんて思った。これじゃ生きてる時とあまり変わらない。

 右手で頭に触れてみる。あれ、頭がある。おかしいな、さっき銃で貫いたはずなのに。身体に触れる。あれ、身体もある。どうしてしまったんだろう。私は恐る恐る目を開く。ぼんやりしていた焦点がやがて合ってくる。

 そこはさっきの路地裏だった。黒ローブもメイもいた。ただ、さっきと違うのは、黒ローブは長身を除いた三人が地面に倒れ伏していて、メイの拘束が解かれていることだった。

 長身が忌々しく叫んでいる。

「誰だ⁉︎ 大人しく出てこい! 誰に手を出したか分かっているのか⁉︎」

 私は状況が掴めなくて混乱する。長身も狼狽しているのか上下左右を振り向きながら叫んでいる。

 私がそれを見ていると、後ろですたっ、と誰かが着地したような足音が響いた。誰だろう、と私は思う。そもそもこの先は行き止まりだから、建物の上から飛び降りても来ない限り、誰も来れるはずがなのに。

 私は振り向いて、言葉を失った。

 

 

 

「おまたせ! 二人とも! いや〜探すの手間取っちゃってさ、ごめんね!」

 

 

 

 その人は、色とりどりのまるでステージ衣装のようなものを着ていた。優しいラベンダー色の垂れ目で私を見ていた。春みたいに柔らかい声だった。その人のマリーゴールド色の髪が綺麗だなと、外苑西中学校にいた頃から思っていた気がした。そんなはずはないのに、その人は大人びた顔立ちでそこにいた。

 

 

 

「全く……あんた、銃は大切な人を護るためにあるのよ、自殺しようとするなんて、情けないったら情けないわね」

 

 

 

 その隣で金糸のような美しい長髪を靡かせてエメラルドグリーンの瞳でその人も言った。似た衣装を着ていたけれど、よく見るとデザインが微妙に違うようだった。前髪の両脇から、ぴょこんと髪が出ているのも変わらないけれど、やっぱりその顔や身体は記憶にあるその人よりずっと大人びていた。

 その人の下に私の拳銃がひしゃげて転がっていた。

「何ちょっとかっこいいこと言ってるの、すみれちゃん、いいから早くやるよ」

 言いながら、彼女は両手を広げて前にかざす。すると何もなかったところからアサルトライフルが出てきてそれを彼女は両手で受け止めて素早く構えた。

 その動きには見覚えがあった。いつだったか、シキがタイムリープマシンを初めて取り出した時のこと。物質圧縮、それは未来の技術のはずだった。なら、この人たちはまさか、そんな────

「ツッコミ雑っ! はいはい分かった、やるったらやるわよ、かのん……お姫様っ!」

 その人は言いながら腰元から何かを引き抜く動作をすると、腕を前に構える。そして構えた瞬間には先ほどより一回り小さいライフルが握られていた。そのまま路地の入り口の方へ向けて躊躇なく引き金を引いた。そこにいる黒ローブのすぐ前の地面が爆発するように抉れた。しかし銃自体はほとんど音がしなかった。

「わっ、すみれちゃん、サプレッサーつけてきたんだ、偉いね」

「あんたのなんでそんなデカい音すんのよ、過去に行く時は隠密行動が基本だから必ずつけようねってこないだ話したばっかでしょうが……なんでしてないのよ」

「えぇ……ちぃちゃんが、音出た方がかっこいいじゃん! って言ったから……?」

「…………これは後で二人とも説教ね」

 ごめんってば、といたずらっぽくその舌をぺろっと出す時の笑顔には覚えがあった。目の前の夢みたいな光景を、もう信じるしかなかった。

「すみれちゃん、敵逃げてる! 私は二人の確保行くからそっちお願い!」

「はいはい……仰せのままに!」

 その人はエメラルドグリーンの瞳をぎらつかせて、アサルトライフルを提げて走っていった。向こうでは黒ローブが角を曲がるところだった。やがてその人も同じところに消えていく。その間くらいの位置に、へたり込んだメイがいた。

「メイっ!」

 私は考えるより先に走っていた。わずか数メートルではあるけれど、とても長く感じた。

「大丈夫……メイ、怪我はない⁉︎」

 私がメイの肩を強く掴んで前後に振ると、メイは目を線みたいにして顔を顰めた。

「うぅ……だ、大丈夫、だからそんなに揺らすなよ……」

 メイは苦しそうに言った。とにかくメイが無事であったことに安堵し、私はメイの首元に抱きついていた。

「よかった……よかった、メイ…………」

 私はちぎれそうなほど強くメイの身体を抱いた。メイはそれになされるがままになっていた。

「えっと…………二人とも無事、みたいだね」

 後ろから遠慮気味に声をかけられて、私たちはそちらを振り向く。その人は、眉を下げて柔く微笑んでいた。見間違えるはずもなかった。その人の名前は、私たちの憧れの。

「あの…………あなたは」

 私が訊くと、その人はうん、とひとつ頷いて地面に座り込む私たちに目線を合わせて言った。

「私は澁谷かのん、今から十年後の世界からやって来た、かのんだよ」

 すっかり長くなったマリーゴールドの髪がさわりと風に揺れた。でもそれは、間違いなくかのん先輩だった。

「もちろんさっきのがすみれちゃんね! あ、ちぃちゃんと可可ちゃんも来てるよ」

 立て続けにそう言うかのん先輩を前に、メイは混乱した様子だった。

「え、かのん先輩……十年後ってなに……はは、私夢でも見てんのかな…………」

「混乱するのも無理はないけど、今はあんまり説明してる時間もないんだ、ほら立って!」

 そう言うとかのん先輩はメイと私の間に立ち、それぞれの肩を持ってぐいと持ち上げた。私たちは若干宙に浮きながら立ち上がる。すごい力でびっくりしてしまった。

「力強いですね、かのん先輩」

 私がそう言うと、かのん先輩はうん? と疑問そうにしてからあぁ! と得心したように頷いた。

「これ、四季ちゃんが作ったパワードスーツだよ、ちょっとの高さなら飛び降りてもへっちゃらだし、腕力も脚力も三、四倍引き出せるんだって、すごいよねぇ」

「…………」

「あ、あとね、デザインは初めてみんなで学園祭に出た時の衣装をモチーフにしてるんだって、四季ちゃんほんとに仲間思いだよね」

 言われてみると、確かにかのん先輩の着ているのはあの初ステージの衣装に似ていた。

 そして立て続けに私の名前が出たので、メイが私の方を向いていた。それに気づいたかのん先輩が、ううん、と首を横に振る。

「その四季ちゃんじゃなくて、未来の四季ちゃん。私たちの、今のリーダーなんだ」

 かのん先輩はそんな驚くべきことをさらっと言った。私が、リーダー? 一体何の?

 疑問符ばかりか浮かぶ私を見て、かのん先輩は、また優しく微笑む。その笑い方は大人びたかのん先輩でも少しも変わらない。

「自己紹介が遅れちゃったね」

 かのん先輩は私たちを交互に見て、それから目を閉じてすぅっと短く息を吸った。やがてそのラベンダー色が静かな闘気を宿して開かれる。心が静かに燃えているような気がした。

「私たちはRe:era!(リエラ)タイムマシンの開発者の四季ちゃんを中心とした政府非公認の時間超越特殊部隊…………それが私たち……Re:era!(時代を繰り返す者)だよ」

 かのん先輩は淀みなくそう言った。私はぽかんとしてそのかのん先輩の艶やかな唇を見つめる。

「リ、エラ…………?」

 メイがその名前を繰り返す。無理もない。何度もタイムリープをして時空も時間も越えてきた私でさえ、今の状況は理解できなかったのだから。

「うん、そうだよ! 時が経っても何があっても、私たちはリエラだよね、ってみんなで決めたの」

 かのん先輩は細長く切り取られた空を見上げながら懐かしそうに言う。

 そこへ、突然風のような速さで現れた人がいた。すみれ先輩だった。

「ごめん、追い詰めたと思ったんだけど逃げられたわ、あいつら空間転移は卑怯よねぇ……と、それどころじゃなかった」

 すみれ先輩は左腕に巻かれているリストバンドのようなものをタッチすると、目の前の空中に座標平面のようなものが浮かび上がった。すみれ先輩はそれをスワイプして回転させ、私たちに見せる。

「これがこの街の縮尺図、んで中心が私たちの現在地、で、周りの赤い点が…………」

 地図にはひしめくように赤い点があった。しかもそれはじわりじわりと近づいてくるようだった。これは……

「クロノダイバー、ですか」

 私が言うと、すみれ先輩とかのん先輩が驚いたような顔をした。

「あんた、よくその名前知ってるわね……」

「ほんと……あ、でもそっか、四季ちゃんから聞いてたのか、そうだよね」

 かのん先輩の言葉に、私は無言で頷く。メイは、訳が分からないと言いたげに私を見ていた。

「とにかく状況はかなりまずいわ、最終的には私たちは学校に行かなきゃならないけど、まずはこの包囲網を突破しましょう」

「……学校って、結ヶ丘ですか」

 私が訊くと、すみれ先輩は「そうよ」と短くこたえた。

「どうして、学校なんですか」

「……そんなの、私たちのタイムマシンがそこにあるからよ、決まってるじゃない」

 すみれ先輩は言いながら空中の地図をしまう。それからおもむろに耳に手を当てた。

「可可、千砂都、聞こえてる? 脱出経路の確保はできそう?」

 すみれ先輩はそう言った。どうやら右耳にインカムのようなものを装着しているらしかった。

「うん……うん……そう、分かったわ、ありがとう」

 言い終わり、こちらを振り向いたすみれ先輩の表情は思わしくなかった。

「経路は何通りか組んでくれたみたいだけど、どのルートにもあいつらは少なからずいるわ、なるべく少ないルートを選んで行くけど……まず間違いなく会敵することになる」

「なら……なおさら早く行かなきゃね」

 すみれ先輩の言葉にかのん先輩が素早くそうこたえる。二人は見つめ合って頷くと、私にはすみれ先輩が、メイにはかのん先輩がついた。

 なんだろう、と思ってすみれ先輩を見上げると、その綺麗な顔でにやりと笑われる。

「あんたから教えてもらったやつよ」

「え…………?」

 すみれ先輩はそう言うと、左足を私の右足に近づけた。そしてかちり、とすみれ先輩の足から伸びてきた輪っかが私の足首にはまる。これは……と思って、すみれ先輩を見ると、面白そうに口を開いた。

「足関節神経ブロック……一部シンクロ完了……よね?」

 すみれ先輩の左手が私の腰に回る。それ、未来でも使ってるんだな、私。ふふ、どのくらい改良されてるのか、お手並み拝見だ。

「そうですよ、私が作ったんですから」

 私が言うとすみれ先輩は満足気に頷いて後ろのかのん先輩と目配せした。メイとかのん先輩の足にも、同じものがついていた。

 その時、路地裏の向こうに黒ローブの姿が見えた。手には拳銃が光っている。

「行くよ! みんな!」

「ちょっと速いけど、我慢しなさい!」

 それを視認したかのん先輩とすみれ先輩が叫ぶ。

 そして私は体験したことのないスピードで、風を切って走り出した。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。