さよならより速く、私はあなたに逢いに行く 作:Werther
景色はカラフルな線みたいに流れていった。速すぎてスローモーションの映像を見ているみたいだった。足は可動限界を軽く超えている速さで動いているのに、不思議と負荷は全くなかった。シキ、なかなかやるな、と自分で自分に感心したことに苦笑する。
「……もうすぐ第一ポイントよ! 急に止まるから目回さないでよね!」
風に紛れてすみれ先輩の声が聞こえる。私は大声で「はい!」と返事をする。
やがて流れていた景色は、急に正しい色と形を取り戻した。私は前につんのめって、注意されていたのに目が回ってしまう。
「おっと……ほら、大丈夫?」
すみれ先輩はそう言うと両手で私の身体を支えてくれた。
「は、はい……」
「よし、ならいいのよ」
私は徐々に平衡感覚を取り戻していき、周りも見えてきた。
どうやらここは、三、四階建ての雑居ビルの屋上らしかった。周囲を高いビルに囲まれていて、ここだけ凹んだみたいになっていた。なるほど身を隠すにはうってつけのポイントだったが、果たしてどうやってここまで登ったのかは気になった。いや、怖いから、考えるのはやめておこう。私は自分でシキの若干のマッドサイエンティスト気質が怖くなってしまった。
「すみれちゃん、レーダーに反応は」
いつの間にか隣にいたかのん先輩が、そう訊いた。すみれ先輩は涼しい顔でまたさっきやったみたいに目の前の空間に手をかざして座標平面を出した。
「……見る限り、ここの近くにはいないわね、しばらくは大丈夫そう」
「あの……一度に走り切ってしまうのでは駄目なんでしょうか」
真剣に空中に浮いた地図を観察する先輩方に、私は尋ねる。するとかのん先輩が私を見て、説明してくれた。
「このパワードスーツね、連続運用は五分が限界なの、それから使い切ったら十分はチャージに時間がかかるから、駄目なんだ」
「そういうこと、万能じゃないのよ、結構弱点あるんだから」
かのん先輩に続いてすみれ先輩もそう言った。確かにそれならこんな変な場所に隠れるのも納得ができる、と思った。
「おい、四季」
呼ばれて振り向くとかのん先輩と足を繋がれたままになっているメイが私を睨んでいた。
「十年後ってなんだよ、なんでそれ聞いてもそんなに平然としてんだよ、今の状況も…………四季は、何を知ってるんだ?」
言われて私は怯んでしまう。どうこたえていいのか分からなかった。どう言えば分かってもらえるのかも。
「それは……」
私は言い淀み、俯いてしまう。メイに隠していることは山ほどあった。時を繰り返す毎に隠しごとは増えていった。
「さっきの黒ローブの奴らも……なんで私たちを狙ってるんだ、知ってるんだろ、四季」
なぁ。とこっちを鋭い眼差しで見つめるメイに、私は何も言うことができない。だってこれから起ころうとしていることは、あまりにも残酷だから。すみれ先輩がすぐ横で私たちを見ていた。
「私……四季がなんだか急に違う人になっちゃったみたいで、怖いんだ」
メイはそう続けた。私ははっとして顔を上げる。メイは私をどこか不安そうに見ていた。まるで見たことのない人を見るかのような目で。
「メイ…………あのね」
私はたまらず口を開く。繰り返す時の中で、抱えるものばかり増えていって、私の両手はもういっぱいだった。
「チャージ完了! みんな行くよっ!」
言おうとしたのに、その言葉はかのん先輩の号令で遮られてしまう。それはそうだ。今は戦闘中なのだから、悠長に喋っている余裕などある訳がなかった。
「…………学校に着いたらこの子のことも私たちのことも全部教えてあげるから、もう少し我慢なさい」
不安そうにするメイにすみれ先輩がそう言った。メイはそれを見て何か言いたげだったけれどこくりと頷く。今の私たちは、何としても奴らから逃れなければならなかった。
「じゃあ行くよ、みんな、準備はいい?」
かのん先輩は言いながら隣のメイの腰に手を回す。私の隣ですみれ先輩もそうした。それから右手で輪っかを作ってOKサインをする。かのん先輩が頷く。
「第二ポイントまで走るよ! よーい、どんっ!」
そして私たちはまた風のようになって、まだ明るい東京を走り抜けた。
思っていたよりも行動はスムーズに進んだ。
敵もいなければ、スーツを休ませるポイントも安全だった。かのん先輩とすみれ先輩は周囲をよく警戒していたようだけれど、私は、これなら無事逃げ切れるんじゃないかな、とぼんやり考えていた。
これが嵐の前の静けさとも知らずに。
✳︎
第二ポイントも越えた私たちは、最後は結ヶ丘まで直接走り抜ける、とかのん先輩に言われた。
景色はやっぱり色の線みたいになっていたけれど、その色合いだけでも見知った景色であることが何となく分かった。二人三脚をしてるみたいな姿勢なので、私の手はすみれ先輩の腰に回されていた。視覚からの情報がほぼないので、自然とその触れたところのしなやかさがよく分かる。元から綺麗な人だったけれど、十年経つと信じられないくらい美しくなっていた。
「もう少しよ! 頑張りなさい!」
すみれ先輩の大声が風に紛れて聞こえて、私は回した手に力を込めることでこたえる。
風を切る音と飛んでいるみたいな軽やかな浮遊感が続いていた。私はこれもそれも将来自分が作るのをうまく想像できなくて、おかしくもないのに笑ってしまいそうになる。
やがて、速度が落ちてきた。色の線だった景色はだんだんぼんやりとだけど姿形を取り戻してゆき、そのうちいつもの景色に戻っていった。ここはどうやら学校の前の道路脇らしかった。でも、正門までは今ひとつ距離があった。なんでこんな微妙な場所で止まるんだろう、と思ってすみれ先輩を見上げると、その横顔には今まで見たことのない焦りの色が浮かんでいた。
「すみれ、先輩…………?」
「ちっ……やられた、シンクロ解除」
すみれ先輩は苦々しく呟くと、足の輪っかが外れてすみれ先輩の方に戻っていった。それから私を一瞥して、早口で言う。
「説明してる時間はない、私とかのんで食い止めるから、あんたらは後ろに走りなさい」
言いながら、すみれ先輩はまた何もない腰から小型のアサルトライフルを取り出す。じゃきり、と金属の擦れる小気味いい音がしてそちらを向くと、すぐ後ろでかのん先輩もライフルを構えていた。
「四季ちゃん、メイちゃん、走って!」
かのん先輩が叫ぶのと、学校の正門から黒ローブの奴らが何人も出てくるのと、辺りに銃声が響いたのはほぼ同時だった。そこは突然、戦場と化した。
「メイ!」
私はかのん先輩の後ろで呆然としていたメイの手を掴むと、学校と逆側に走り出す。メイは一瞬面食らった様子だったけれど、私に手を引かれるとはっとしたように手に力を込めてきた。後ろでは平和な日本とはとても思えないような銃声が響いていた。
私たちはすぐに角を曲がって住宅街の隙間を走った。なるべく分かりにくそうな道を選んで走ったつもりだった。
それで次の角を曲がってまた走り出そうとした時だった。私は足が止まった。
「おい四季、なんで止まってんだよ、早く行かないと……」
メイが私の隣にやって来る。でも私の視線はそっちを向かない。道の先に、奴らが三人、いたから。
「メイっ! こっち!」
私はメイの手を掴んで急いで駆け出す。回り込まれてしまっては、私たちだけで奴らの相手をするのはあまりにも無茶だ。とりあえず、かのん先輩たちと合流しないと。
私はそう思い、来た道を戻った。次はここを左に曲がってあそこを右に……頭の中で経路を組み立てていきながら、足は緩めずに必死に走る。
そして二つ目の角を曲がったところで、愕然とする。奴らがいたのだ。一体どうやって私の通る道を当てたんだろうと思いながら、私はすぐに引き返して別の道に向かう。ふと握られた手に力が入ってそっちを見ると、こんな時なのにメイが私を見てにっ、と笑った。私は不意打ちに胸がぎゅっと詰まる。この子を絶対に護る、そう強く誓った。
「メイ」
「ど、うしたっ、四季……」
「これが全部終わったらっ、メイに、言いたい、ことがあるの……聞いて、くれる……?」
走りながら私が切れ切れに言うと、メイは私を見つめて言った。
「うん、私も、四季に言いたいことがあるんだ」
それだけ言うと、私たちはまた前を向いて走り出した。別の道を通って、私たちはまた角を曲がる。しかしやっぱりそこにも奴らがいる。私たちは引き返す。そうしているうちに、気づいたら最初に奴らを見た道路まで戻ってきてしまっていた。
「これって…………」
「うん、完全に囲まれた」
メイが私を見ながら言って、私はメイではなく敵を見つめながら言う。奴らはじりじりと距離を詰めて来る。
気がつけば、前にも後ろにも奴らがいた。私は苦し紛れに路地裏に逃げ込む。でも、これは得策ではなかった。なぜならこの先は────
「行き止まり、ですよ」
男性のような女性のような、機械音の混じった声がしてはっと振り向くと、そこには黒ローブの奴らが五人いた。そしてその先頭に、長身のあいつがいた。
「メイさんを渡してください、私たちは四季さんにまで手荒な真似はしたくありません」
長身は言いながら、ローブの内側に手を突っ込んでするりと拳銃を取り出す。私はそれを見て、メイの腕を掴んでぐいと後ろに引っ張る。そして怪訝そうに私を見つめるメイの前に、私は両手を広げて立ち塞がった。
「…………なんの真似です」
長身はこちらに銃口を向けながらそう言った。後ろの奴らも同じように私目がけて拳銃を構えている。
「メイはやらせない、メイを殺したければ、私を先に殺して」
「ちょ、四季、何言って……!」
「あなたたちに私を殺すことができる? タイムマシンが無くなったら困るんじゃないの」
私が言うと、長身は黙って私を見ているようだった。やがて首を横に振ると、ゆっくり銃を下ろした。
「仕方ありません、あなたがそこまで言うなら……私たちはこうするしかないようです」
私は思わぬ交渉の成立に驚き、次の言葉を待つ。これでメイは助かる、そう思ってメイを振り向くと、メイがいきなり叫んだ。
「避けろ、四季っ!」
私は強い力に引かれて身体ごと地面に叩きつけられた。そしてその一瞬後に撃鉄の音が路地裏に響いた。私たちの後ろの建物のコンクリートでできた壁が、ぱらぱら砕けた。
私は奴らを睨む。奴らは下ろしたはずの銃を全員が構えていた。
「では……二度と歩けない身体になるくらいは、覚悟してもらいます」
地面に倒れ伏す私を、今度はメイが覆い被さるように庇っていた。私は、それを振り解くことができなくて、メイの下でじたばたした。
「四季は殺させねえ、四季は、私の大切な人なんだ」
メイが力強くそう言う。黒ローブたちは何もこたえずにただ銃口をこちらに向けていた。
「…………やりなさい」
長身がそう言って、そして路地裏には乾いた銃声がいくつも重なって聞こえた。
「…………」
私はメイの頭を抱えて、メイは私の上に乗っかって、地面に倒れていた。私は今か、今かと自分の身体に加わるであろう痛みと衝撃に備えていたのに、それはいつまで経っても来なかった。
恐る恐る目を開けると、長身の後ろにいた黒ローブたちはばたばたと倒れていくところだった。まさかかのん先輩とすみれ先輩が来てくれたの、と思って、私はその路地裏が切れる辺りを見つめた。
でも、そこにいたのはかのん先輩じゃなかった。
その人は、かのん先輩のと似たアサルトライフルを淡い栗色の髪の上に掲げて得意げに笑っていた。
「背中がガラ空き……っすよ?」
その顔は、その声は、間違えようもなかった。服はかのん先輩やすみれ先輩と似たデザインのものだった。よく知ってるはずなのに、少し声には深みがあって、それがむず痒く心地よかった。エメラルドグリーンの大きな丸い瞳が私たちを柔らかく見ていた。首を振るとひとつに結われた後ろ髪がふわりと靡いた。
「あんまりどんぱちやらないで欲しいですの〜、銃弾だってわざわざ気を遣って非殺傷弾にしてるから安くないんですの」
そしてその後ろから拳銃のトリガーに指を引っ掛けて、おもちゃでも扱うみたいにそれをくるくる回しながらもう一人が言った。淡い黄金色に先の紫がかった髪と、そこに乗っかるトレードマークの花飾り。やっぱり他の人たちと似た衣装を着ている。よく知ったその口調は、やっぱり大人びていて、私は嬉しさで胸が震えた。
「かのん先輩とすみれ先輩を大量の戦力で足止めしてる間に四季ちゃんとメイちゃんを少数で誘導して攻撃する……いい作戦ではあるっすけどね」
「ですが夏美ときな子を忘れられては困りますの〜、特に人気エルチューバーであるこの私を放っておくのはいけすかないですの」
「学校を中心に強力な磁場を張っておくのも作戦として悪くなかったっす、このスーツ、連続運用と磁場に影響されやすいのだけが弱点っすから」
きな子はライフルを長身の黒ローブに向けながら、おどけて微笑んでそう言った。
「ほら、手上げるっす、あんたの味方はみんなおねんねしてるっすよ?」
きな子は拳銃を目線の位置に構えながら、長身に狙いを定めていた。その後ろで夏美も同じように拳銃を向けている。
「そろそろその面拝んでやるっす、ほら、そのローブ外すっす」
きな子が言うと、長身は首をゆっくり横に振ったようだった。私とメイはいつの間にか手を繋いでその様子を見ていた。
「…………まぁ、もう、隠す必要もないでしょう」
長身は機械音ではなく、凛として澄んだ女性の声でそう言うと、きな子と夏美の方を振り返る。そしてローブのフードの部分に手をかけて、ゆっくりと後ろに下ろした。
きな子と夏美の顔が驚きに固まり、二人とも手に持っていた銃器を頼りなく下ろしたのが見えた。
そしてその人がこちらを振り向く。長い黒髪のポニーテールが、振り向き様に揺れて、ふわりと宙を舞う。それは見たことのある光景だった。
「お久しぶりです、皆さん…………わたくし葉月恋、と言います」
そう言ってつめたく微笑む綺麗な顔立ちの女性は、遠い日の面影がある、間違いなくその人だった。
「恋、先輩…………?」
きな子が困惑と混乱を混ぜたような表情を浮かべながら、そう呟いた。恋先輩は私たちから目を離して後ろのきな子を見つめる。
「え……だってきな子たちはメイちゃんと四季ちゃんを助けるためにこの時代に来たっす……クロノダイバーがメイちゃんを殺すのを防ぐために……なのに、なんで…………」
きな子が定まらない眼差しを揺らして言うと、恋先輩は淡々と言った。
「私が、そのクロノダイバーのリーダーを務めています」
私とメイはぽかんとしてそれを見ていた。きな子と夏美は訳が分からないと言いたげに恋先輩を見ていた。べたついたぬるい風が私たちの間を静かに吹きすぎていった。
「きな子ちゃん! 夏美ちゃん!」
その時、路地裏の向こうから聞き慣れた声が響いた。そっちを見ると、かのん先輩は立ったまま、すみれ先輩は座ってライフルを構えた。
そして二人は動かないその人を見て言葉を失いライフルを下ろす。
「恋、ちゃん…………?」
「恋、あんた生きてたの…………?」
かのん先輩もすみれ先輩も目の前の光景が信じられないというように、恋先輩を呆然と見ていた。
「お久しぶりです、かのんさん、すみれさん」
恋先輩は悠々とそう言った。その声には再会の喜びとか懐かしさとかはまるでなかった。胸の奥まで凍りついてしまいそうな、どこまでも色も温度もない声をしていた。
恋先輩はそのまま出口の方────かのん先輩たちのいる方に歩いていく。突っ立ったままの夏美ときな子の間を通り抜けて、恋先輩はつかつかと歩いていく。
私ははっとして叫ぶ。
「かのん先輩! そいつがクロノダイバーのリーダーでメイを殺そうとした張本人です! 逃しちゃ駄目です!」
私の声が路地裏に何重にもなって反響して、かのん先輩はそれを聞くと決意したような瞳で恋先輩に向けてライフルを構えた。
「恋ちゃん、生きてて嬉しいけど、何してるの。恋ちゃんは、私たちの敵なの?」
かのん先輩が困惑の滲んだ声で言っても、恋先輩は歩みを止めなかった。居心地の悪い空気が辺りをじわじわ侵食していた。
「質問にこたえなさい、恋」
かのん先輩の隣で、すみれ先輩がライフルを低く構えて短く言った。そして躊躇なく引き金を引く。発砲音はほとんどなくて、恋先輩のすぐ前の地面が削れる音の方が大きかった。恋先輩はようやく足を止める。
「こたえるまで通さないわよ、あんた、ほんとにクロノダイバーのリーダーなの。何の目的でメイを殺そうとするの」
すみれ先輩が言うと、私たちの前で夏美ときな子も振り向いて恋先輩に銃口を向けた。
「…………通してください、あなた方と話すことは、何もありません」
私たちから恋先輩がどんな顔をしているかは分からなかったけれど、恋先輩はやっぱり色のない声でそう言った。すみれ先輩が舌打ちをするのが聞こえる。
「あんたねぇ! 仲間を殺して何がしたいのよ! 許さないったら許さないんだからっ!」
すみれ先輩は激昂してライフルを装填するとまた恋先輩に向けて構える。でも、恋先輩は微動だにしなかった。それから辺りには沈黙ばかりが流れた。
それを破ったのは恋先輩だった。
「かのんさんとすみれさんにより部隊は半壊……少数部隊のこちらもきな子さんと夏美さんにやられてしまいました」
私たちは皆黙ってそれを聞いていた。恋先輩は喋り続けた。
「それに今や私も多勢に無勢……少しでも怪しい動きをすれば蜂の巣にされてしまうでしょう。私はもうメイさんを殺すどころかここから逃げることすらままならない」
メイを殺す、と恋先輩が言った時に握られたままの手がびくっと震えて、私はその手にそっと力を込める。恋先輩の言葉は淡々としていて、熱を帯びることなく続いていく。
「でも、Re:era!の皆さん、私たちの勝ちです」
でも、恋先輩の演説は、唐突に終わりを告げた。私たちは何を言われたのか分からずにぽかんとする。そしてその一瞬後、遠くから爆発音と、地響きが聞こえた。
「……なに、今の」
「学校の方だよ……嫌な予感がする」
すみれ先輩の疑問に、かのん先輩がこたえる。もちろん、恋先輩に銃口を向けながら。でも、その向けられた銃口を恋先輩は笑顔で見つめていた。
「たった今、あなた方のタイムマシンと、四季さんの使っていたタイムリープマシンは破壊しました。これでもうあなたたちは時代を越えることはおろか逃げることさえできません……もちろん四季さんも」
私たちは恋先輩の言葉をただ聞くことしかできなかった。あまりにも唐突だった。私は何があっても、あれさえあればなんとかなると思っていた。壊されるなんて考えもしなかった。
「ちょっと……嘘でしょ、じゃあタイムマシンに乗ったままの可可はどうなったのよ⁉︎」
「ちぃちゃんもだよ! あの二人は司令役としてずっとタイムマシンに乗ってるのにっ……」
すみれ先輩とかのん先輩が今までになく敵意を恋先輩に向けているのが分かった。恋先輩はふいに私たちを振り向くと、笑ってるのに笑ってないような顔で笑った。
「あなたたちが助かりたければ…………メイさんをこちらに渡してください。三十分だけ待ちます。屋上で、お待ちしています」
恋先輩はそれだけ言うと、歩き出した。かのん先輩とすみれ先輩が銃を向けたけれど、その間をいとも容易く抜けていった。きな子も夏美も、何もできなかった。
路地裏の向こうは明るくて別世界みたいだった。
✳︎
それからみんなで走って学校に向かった。辺りは人だかりができていて、何やら物々しい雰囲気だった。人数分の足音が高い青空に吸い込まれては消えていく。
学校に着くと、私たちは先を走っていたかのん先輩とすみれ先輩に続いて裏庭に行った。もう生徒もみんな帰ってしまっていて、人目を気にする必要もなかった。
「可可っ!」
すみれ先輩が叫んだ。学校という場所では到底見ないような上部が球状になっているその巨大な装置のようなものが何かは……言われなくても分かった。
「可可、可可っ! 無事なの⁉︎ 返事して⁉︎」
すみれ先輩は取り乱した様子で、タイムマシンの入り口らしきところを叩いている。私はメイとまだ手を繋いだまま、それを見ていた。
「すみれちゃん、これっ…………」
その時、夏美ときな子を連れてタイムマシンの裏に回り込んでいたかのん先輩が悲鳴を上げた。私たちは恐る恐るかのん先輩に近づく。すみれ先輩も私たちの後に続いた。
「────っ⁉︎」
それを見て、私は言葉が出なかった。正面からだと焼け焦げているだけだったタイムマシンは裏から見るとその半分は熱でひしゃげて消滅していた。中が全部丸見えになっていて、そこには巨大なモニターとか、見たことのない配列のキーボードなんかが並んでいた。
「そんな、可可……」
「すみれちゃん」
それを見て膝から崩れ落ちるすみれ先輩に、かのん先輩が近づいて上からぎゅっと抱きしめた。すみれ先輩の顔は苦痛と哀しみに歪んでいた。
「かのん……あんた……」
「すみれちゃん、まだ泣いちゃダメ、私たちは闘わないと」
「…………」
「すみれちゃんが哀しそうな顔してたら、可可ちゃんも哀しがっちゃうよ、ほら今は膝ついてちゃダメ」
「…………可可ね、一月前も言ってくれたわ、すみれは笑顔が似合いマスって。私が柄にもなく泣いてたからね、それからこの薬指にこれをはめてくれたの」
すみれ先輩はそう言うと、自分の左手を揃えてくるくる回してみせた。その薬指に銀色の指輪がちらりと輝くのが見えた。
「あんたも、千砂都と、そうだったんじゃないの」
すみれ先輩の瞳からは大粒の涙が溢れていた。かのん先輩も切なそうに眉を下げて、その涙をそっと拭う。
「うん、そうだよ。来月から一緒に暮らす予定だった。でも私たちの活動はそんなに甘いものじゃないから……って、分かってたんだけどなぁ……」
私からはかのん先輩は後ろ姿しか見えなかったけれど、その背中は哀しみに満ちていた。夏美ときな子も、そんな二人に声をかけられないようだった。
「……部室に行きましょう」
すみれ先輩が突然立ち上がりそう言った。もうその目に涙は浮かんでいなくて、代わりに強い決意の光が宿っていた。
「最後の作戦会議よ、あいつらを……いや、恋をどう叩くか考える、いいわね」
すみれ先輩の言葉に私たちは強く頷くことでこたえる。握った手が震えていて、そちらを見るとメイだけが一人不安そうな目で私を見ていた。
「大丈夫、メイ、みんながいるから」
そう言って私はメイの手を強く握った。今度こそ護る。そう強く誓って。
それから私たちは部室に向かった。校内は当たり前だけど人がいなくて、普段だったらバスケ部とかバレー部の掛け声が聞こえてきそうな時間だったけど、そう言えば今日は学期の最終日で部活はあんまりやってないんだっけ、と思い出す。
部室に行く途中、科学室の近くを通ったので、私は思わず「ちょっとすみません」と言ってみんなから離れる。そのまま廊下を走って、突き当たりにある科学室に入る。そしてその奥の机の上にあるはずだったものに近づいて、唇を噛んだ。
タイムリープマシンは焼け焦げて炭のようになっていた。時間を示すメーターも、真ん中のボタンも、ヘッドホンもどれも同じ燻んだ色に落ち込んでいた。
私はもう、これを使うことができない。この世界で、メイを助けるしかないんだ。
私はそう強く決意し、科学室を後にした。
それから私は廊下を過ぎて階段を上がり、慣れた部室へと向かった。でも、近づくにつれて何やら騒がしい声が聞こえてきた。なんだろう、と思いながら部室の扉を開ける。
「お〜久しぶりデスね〜!」
「わ、四季ちゃん⁉︎ かわいい〜私のこと、分かるっ?」
そこには奥のソファですみれ先輩とかのん先輩にもみくちゃにされているグレージュのボブカットの幼い顔立ちの人と、さらさらの銀糸を両脇でお団子にした人だった。
「…………死んでなかったんですか」
私はさっきのタイムマシン前でのやりとりを思い出しながら、思わず呟く。
すると部室のみんなはしんと黙り込んで、それからソファの上の二人が堰を切ったように笑い出した。
「死んだって……あははは! かのんちゃんやすみれちゃんと同じこと言ってる! もーおかしいなぁ」
「千砂都の言う通りデス、なんで可可たちが死んだってことになるデスか、冗談はグソクムシくらいにして欲しいデス」
それを聞いて二人の上のかのん先輩とすみれ先輩が顔を真っ赤にする。特にすみれ先輩はトマトになったみたいだった。可可先輩の両腕を押さえつけて顔を近づけて睨んでいる。
「あれで死んだって思わない方が不自然でしょうが、なにが冗談よ、なにが」
「ふん、知らないのデス」
「あんた、生意気ばっか言ってると口塞ぐわよ、黙りなさいったら黙りなさい」
すみれ先輩が脅すと可可先輩は愉快そうにふふん、と鼻を鳴らした。
「ふぅん、どうやって塞ぐのデスか、グソクムシ? みんな見てる前でいつもみたいにする勇気がありマスか?」
「あっ……あんたねぇ!」
可可先輩がくすくす笑って「冗談デスよ」と言った。千砂都先輩も楽しそうに二人とかのん先輩を交互に見ていた。
「私もこれくらい攻めてみようか? かのんちゃん」
千砂都先輩はあどけない顔でかのん先輩の頬に触れながらそう言った。かのん先輩は頭を抱える。
「いや、いいです……」
私はそれを見てくすりと笑う。夏美ときな子も部室の隅で笑っている。まるでいつもの部室みたいだったけど、ここにいるほとんどの人は未来から来ていた。
「おい、四季」
ふと私を呼ぶ声があって、隣を見ればメイが私をまっすぐに見ていた。
「説明してもらうぞ、なんでみんなが未来から来たのか、あいつらが何者なのか、私がこの先……どうなるのか」
メイが言うと、急に部室は静かになった。みんなが私たちを見ているのが分かった。私が何も言わないでいると、部屋の奥で「いいよ」と一言声がした。
そっちを見ると、かのん先輩が私たちを見ていた。やっぱり髪、長くて綺麗だな、と思った。
「メイちゃんには、知る権利がある。全部教えてあげる。私たちがここに来た理由も、全部」
「…………」
「でも時間がないから、手短にするね。私たち、もうちょっとで闘いに行かなきゃなんだ」
「…………恋、先輩と?」
メイがぽつりと言うと、かのん先輩はぴくりと肩を震わせて「うん」と言った。
「メイちゃんは、今日本当は死んでしまうの。でも四季ちゃんが作ったタイムマシンで、過去を変えようとした。それを邪魔する奴らが……あいつら、クロノダイバー」
静かな部室では、埃だけがきらきらと宙を舞っていた。かのん先輩は続ける。
「四季ちゃんは、政府の管理下でタイムマシンを作っていたの。でも政府の支持する思想が過去保存……つまり歴史を変えてはならないとするものだったのね。でも四季ちゃんの目的はそれに反するものだった」
かのん先輩は言いながら私をちらりと見る。
「四季ちゃんは政府の機関でタイムマシンを研究する傍ら、こっそり自分の家の地下を改造して自分が自由に使えるタイムマシンを作ったの。それを使って、四季ちゃんは過去に行った」
私は声も出さずにかのん先輩の口が動くのを見ていた。
「でも、四季ちゃんがタイムマシンを使ったことを探知した政府がそれをもみ消そうと過去に部隊を送った……それで、私たちが助けに来たんだよ」
「あの…………」
「ん? どうしたの、四季ちゃん」
「タイムマシンは複数あったんですか」
私は疑問に思ったことを言う。するとかのん先輩はおもむろに私に「ありがとう」と言った。
「四季ちゃん、私たちのためにタイムマシンをひとつ隠しておいてくれたんだ」
「それはでも……私じゃないです」
「ううん、それでも、だよ」
かのん先輩は部室の上の時計を見上げる。そしてそこにある長針と短針を見て、ふっと息を吐いた。
「時間ね」
後ろですみれ先輩が真面目な顔をして言った。きな子と夏美もこくりと頷く。
「決着をつけに行ってくるから、二人はここで可可ちゃんとちぃちゃんと一緒に待ってて」
かのん先輩が言って、カラフルな衣装を着た四人は部室から出て行こうとする。
「ま……待って!」
気がついたら叫んでいた。みんなが私を見ている。メイも、私を見ている。
「私も一緒に行きます」
そう言った私を見ていたかのん先輩が、仕方なさそうにふっと笑った。
✳︎
屋上の扉の前は狭いし薄暗い。少し湿っぽくもあるここはどこか科学室に雰囲気が似ている。
私はその手前の階段に身を潜めて、ことの成り行きを見守っていた。
「お待ちしておりました」
凛然とした声がここまで聞こえてくる。何度聞いても、それは恋先輩の声だった。
「メイさんは、連れて来ましたか?」
そう続けられる。私は少しだけ顔を覗かせてその様子を見た。手がじっとりと汗ばんでいて気持ち悪かった。
「恋ちゃん」
かのん先輩の声だった。その声にさっきみたいな迷いや戸惑いは欠片もなかった。
「どうしてLiella!から何も言わずにいなくなったの、やっと会えたのに四季ちゃんの邪魔をするのは、どうしてなの」
張り詰めた空気が流れているのがここからでも分かった。沈黙が重く深く沈んでいく。
「あなたたちに話すことは何もありません……早くメイさんを出してください、さもなくばこの時代であなた方は終わりを迎えるでしょう」
恋先輩がそう言った。恋先輩はフードの部分だけを外して黒ローブを着ていた。屋上の四人は何も言えない。それはそうだ、自分達のタイムマシンは壊されているし、ここで恋先輩を撃っても未来に帰る術がない。さっき決着をつけてくる、と言ったけれど、あれも私たちを安心させるために言ったんじゃないかな、と思う。かのん先輩は、そういう人だった。
もう万事休すだと思った。私はこの先に何が起きても、それは見たくなかった。きっと血が流れる、誰かが傷つく。そんなの、私。
そして、その時壁に顔を押し当てて俯いていた私は、階段を登ってくる人に気づかなかった。その人がそのまま、私の隣を通り過ぎて行ったことも。私はふいに懐かしい匂いがした気がして顔を上げる。屋上の扉を抜ける赤いくせっ毛が視界の隅に映った。
私は心臓がどくんと脈打つ。まさか、そんな、行っちゃ駄目なのに。
「────メイっ!」
気がついたら私は屋上に飛び出していた。
いきなり現れたメイと私に、先輩方は驚いた様子で目を丸くした。でもそれも一瞬のこと。左右に散開していたかのん先輩、すみれ先輩、きな子、夏美は恋先輩に、恋先輩は直線上にいるメイに、銃口を向けていた。一瞬だった。私はなんとかメイの肩を掴んでいたから、ぐいと引っ張ってメイの前に出て恋先輩のその射線を塞いだ。
「飛んで火に入る夏の虫とはこのことですね、よく来てくれました、メイさん」
恋先輩は初めて嬉しそうな色を滲ませて言った。恋先輩に背を向けていた私はその顔は見えなかったけれど、きっとあまり見たくない顔をしているな、となんとなく思った。
「メイ、なんで来たの」
私は抱きしめたメイの耳元で囁く。メイも私の腕の中で身を捩って私の耳元に顔を近づける。
「私が来ないと、みんな死ぬんだろ」
その声は、声量こそ小さかったけれど、意志の強さとか、信念とかが写り込んでいて、私は深くそれを受け止めた。
「恋先輩と、話をさせてくれ、四季」
メイはそう言って、私の腕を片方ずつ外してゆく。私はメイを止めることができなくて、私の拘束がほどけてゆくのをぼんやり感じていた。
やがてメイは私の横をすり抜け、銃口を向ける恋先輩に向かい合った。
「初めまして……は変か、恋先輩」
「では、お久しぶりです……メイさん」
私は二人が言葉を交わすのを、その後ろで呆然と見ていた。会話は穏やかで、いっそ和やかでさえあった。でもそうでないのは、誰かがひとつ引き金を引くだけでどちらかが死ぬ、ということ。
「恋先輩は、過去で何回も私を殺したのか?」
メイは包み隠さずそう言った。恋先輩も表情ひとつ変えなかった。
「そうですよ、メイさんを、この手で何度も殺しました」
恋先輩は嬉しそうでも、哀しそうでもなくそう言った。感情の起伏がほとんど見られなくて、壊れた人形みたいだ、と思った。
「なんでだ?」
メイが腰に手を当てて訊く。いたって冷静そうだけど足がかすかに震えているのを、私は見逃さなかった。
「メイさんは、この世界に於いては今日死ぬんです。そうでなければ世界のバランスが崩れてしまう。私は、世界を守りたいのです」
恋先輩は言った。それは嘘ではなさそうだったけれど、本当でもないな、と思った。建前をすらすら言われているようなそんな不快な感じがあった。その感覚には覚えがあった。
「…………分かったよ」
沈黙と緊迫のなか、メイがぽつりと呟いた。
「私を殺せよ、恋先輩、代わりにここの奴らは殺さずに、未来に返してやってくれないか」
メイは半円形に散らばる未来の先輩方の顔をくるりと振り向いて確認すると、真剣な声でそう言った。私はメイが何を言ったか理解できずに、ぽかんと口を開ける。
「メイちゃん! ダメだよそんな死ぬなんて……」
かのん先輩が慌てた様子でそう言った。すみれ先輩も同意の面持ちでメイを見ていた。
「でもタイムマシン壊れてるんだ、こいつらのいう通りにしなきゃ結局全員殺される」
「考えようよ、考えれば何か方法があるはずだよ!」
かのん先輩は、必死にメイを説得しようとしていた。けれどメイの決心は固いらしかった。その瞳の群青が揺らぐことはなかった。
「恋先輩……約束してくれるか」
「ここにいる皆さんの安全ですね……えぇ、約束しましょう」
メイが言うと、恋先輩は満足そうに軽く頷いた。私はそれは駄目だと思うのに、声が出せない。もし恋先輩を殺せば、未来からやってきたみんなはこの時代に取り残される。そこを強襲されでもしたら、それこそひとたまりもない。だからと言ってメイが死ぬのは違う。私はもう、どうすればいいのか分からなかった。
「四季」
ふいに名前を呼ばれて顔を上げるとそこには振り返ったメイがにっと歯を見せて笑っていた。
「今までありがとな、楽しかった」
「いやっ…………」
「じゃあな」
メイはそれだけ言うとまた振り向いて恋先輩を見る。メイの手は、やっぱりまだ震えていた。
「恋先輩、いいぜ」
メイは短くそう言うと、両手を上に上げる。恋先輩はそれを見てから、目線の少し下、メイの胸元に銃口を揃える。
恋先輩の人差し指の先がトリガーにかかる。
「やめるっす!」
きな子が叫んでライフルを構え直すと、メイがきな子の方を見た。私から見て背になっていたからどんな表情をしていたのかは分からないけど、きな子はメイを見て、驚いたような哀しいような顔をしてライフルを下ろした。
そして今度こそメイは恋先輩に向き直る。恋先輩のつめたい銃口が不気味に円を描いている。
「さよなら……メイさん」
誰かがメイの名前を叫んだ。メイはふと私を振り向いて、そっと笑った。
そして屋上に、無機質な発砲音がひとつ響いた。