マギウス事変、その後   作:遠名 彬

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鏡界線

 それは、いともたやすく、あっけなく、そして突然に起こった出来事だった。

 

「……え?」

 

 目の前を紙切れのように飛んでいくチームメイトを呆然と眺めながら、水波レナは間抜けな声を出した。

 いつもの学校の帰り道。レナはチームメイトの十咎ももこと秋野かえでとともに、いつものように下校していた。マギウス事変から1週間とそこら、いまだに癒えないほど大きな傷を負った魔法少女たちが多い中で、レナ達のチームは珍しく目立った被害を受けることがなかった。だから彼女たち、特にももこは、とんと表舞台に姿を現さなくなった七海やちよの代理として積極的に西側の魔法少女たちの再編を進め、なんとか元どおりの神浜市を取り戻そうと動き回っていた。そんな最中だった。彼女たちの前に、ありえない強さの魔女が現れたのは。

 

「──ももこちゃん!!」

 

 背後から聞こえてきた耳を劈くような悲鳴で、レナはようやく我に返った。悪趣味な嗤い声を聞こえないふりをして、何かが飛んで行った方向に顔を向けた。

 誰かが倒れていた。背中も腕も普通なら曲がらない方向に曲がっていて、長袖の肘やスカートの腰あたりに赤黒いシミを作った、金髪の少女だった。そんな少女の周りには何に惹かれたのか、歯車とバネが無理やり組み合わさったような何かが群がりつつあった。眼前にある壊れた振り子時計のような怪物はゲラゲラと不愉快な嗤いをやめないまま、歯車たちの様子を伺うように振り子を揺らしているだけだった

 逃げなきゃいけない。レナは本能的にそう感じた。後ろには自分の服にしがみ付いているかえでがいた。逃げなければ殺される。無理やりにでも前に進もうとする自分の足を、思い切り地面に押し付けた。震える手を取って、走り出さなければ。目の前が真っ白になった。死にたくない。ただその一心があった。目の前で何人も死んでいった。自分の手で誰かが死んだ。自分が死人の仲間入りをするんだと思っただけで、簡単に心が折れてしまう。

 

「……かえで、逃げるわよ」

 

 情けない声を出すものだと、自分のことながら思った。後ろのかえでは甲高い泣き声で何かを訴えているけれど、そんなことを聞いている余裕はなかった。かえでの服を無理やりひっつかみ、レナは震える足を踏ん張って走り出した。

 

 そこから先のことは、レナは覚えていない。気が付けば、レナは真っ暗な自分の部屋にいた。カーテンの外はもう暗く、今が何時なのかも分からなかった。部屋の明かりをつけると、視界の端に姿見が見えた。

 

「……ひどい顔」

 

 鏡像の自分に吐き捨てた。それから顔を洗うついでに風呂に入って、布団の中に入った。疲れすぎていて何も考える余裕はなかったのに、静かな中で横になっていると、不思議と涙が溢れてきた。レナはその日、泣き疲れて眠った。

 

 ──────

 

 翌朝。レナが目を覚ましたのは、まだ太陽が出きっていない朝方だった。なぜだかじっとしていられなかったので、家族を起こさないように軽く朝食を取り、制服に着替えて家を出た。始業の時間までは相当な時間があったので、レナは久しぶりに通学路のあたりを散歩してみることにした。

 いつも通る道。いつも見る景色。何も変わらない中を歩いているのに、自分だけが地に足がついてないような気がした。いつものSNSのグループ宛に連絡を飛ばして、いつも待ち合うところに立った。そこは、ちょうど3人の通学路が交わる場所だった。いつもは大抵レナが最後に到着して、他愛のないお喋りをしている2人に向かって声をかけるのだ。今日のその場所にはまだ誰もいなくて、自分がよく似た別の世界に迷い込んだように思えた。今日は早く着いたから、遅れてくるであろうももことかえでに何と言ってやろうとか。放課後には3人でどこに遊びに行こうかとか。そんな他愛のない日常を、頭の中で空想していた。

 そのまま何分か……。自分と同じ制服の少女たちが隣を通り過ぎていく頃まで、レナはそこに立ちつくしていた。お喋りしていた同年代の少女の肩がぶつかった衝撃で、とっくに登校時間になっていることに気付いた。いつまでたっても来ない2人に心の中で悪態をつきながら、レナは1人で通学路を歩みはじめた。

 

「環さんは……今日も休み、と」

 

 教室に着いたレナは、1週間と少し前から誰も座っていない隣の席を眺めていた。人付き合いが得意ではないレナにとっての貴重な話し相手はもう学校に来ることはない。頭では理解していても、毎日のようにこうして席を眺めてしまい、その度に胸が締め付けられるような思いをするのだった。

 

 午前の授業が始まっても、携帯電話にももことかえでからの連絡はなかった。どうしても気になって、教師の顔が黒板に向かうたびに携帯を覗き込むが、しかし何度見ても、レナの投稿に既読が付くことすらなかった。レナがレナだから無視されているのか、どこか知らないところで2人の機嫌を損ねてしまったのか……。マイナスな感情が渦巻いて、レナは少し気分が悪くなってしまった。とはいえあの2人のことだから、何かあっても謝れば許してくれるだろう、というある種の安心感もあった。それからレナは、今日会ったらどうやって2人に切り出そうかと考えに耽っていた。それは隣に立った教師に頭を叩かれて、それでようやく自分が指名されてることに気付く有様だった。それほどももことかえでのことを考えていたことに自分で少し恥ずかしくなりながら、ノートに板書を写していた。

 

 午前の授業はつつがなく終わり、誰もが友人と共に弁当箱を開き始める時間。レナはカバンの中を覗いて、かわいいランチョンマットに包まれた弁当箱を取り出すと、席を立った。中庭のいつものベンチに座ったものの、やはり2人はそこにはいない。レナはきっと2人とも休んでいるのだろうとあたりをつけて、膝の上に置いた弁当箱を開いた。

 

「……あれ?」

 

 弁当箱の中は、空っぽだった。というよりも、誰かに食べられた後のようだった。変な臭いがするそれの蓋を閉めて、元どおりに戻して、レナはひとつため息をついた。今日は担任に怒られたし、宿題をやってくるのも忘れた。上手くいかないことばかりで、日常の歯車がうまく噛み合ってないような気分だった。

 

「あれ?レナ、今日は1人なの?」

 

 突然後ろから声をかけられて、思わず跳ねてしまった自分を恥ずかしく思いながら、思い切り平静を装ってレナは顔を向けた。目を合わせた瞬間、そこに立っていた美凪ささらは怪訝な顔をした。

 

「うわ、すごい腫れてる」

「え……?」

「大丈夫?って、あんまり大丈夫そうじゃないけど……」

 

 本気で心配していそうなささらの顔を見て、レナは自分の目元をぺたぺたと触ってみた。そこに確かに違和感を感じて、携帯電話のインカメラを起動した。

 うわっ、と思わず声が漏れた。見事に両目が腫れ上がっていた。そんな顔を誰かに見られるのが嫌になって、レナはそっぽを向いた。

 

「大丈夫よ。余計なお世話」

「ならいいんだけど。隣空いてる?」

 

 そう言いながら許可をもらう前に座ってくるささらを少しだけ鬱陶しく思いながら、レナはベンチの端に寄った。丁寧に「いただきます」をしてから食べ始めるささらの横で、レナは何を見るでもなくただぼうっとしていた。

 

「レナはお弁当、食べないの?」

「……」

「もしかして、早弁したの?」

「……」

「……ちょっと、レナ?聞いてる?」

「……」

「ホントに大丈夫なの?」

「……」

 

 どう見ても大丈夫じゃなさそうなレナの様子を見て、ささらは箸を置いた。

 

「レナ。こっち向いて」

「……」

「レナ!」

 

 鋭い声に、レナは少しだけビクっとして、おそるおそるささらの方を向いた。ささらが改めてレナの顔を見ると、一晩中泣き腫らしたのか両目は真っ赤で濃い隈もできていて、どこか焦点が合っていないようにすら見えた。少なくとも、ささらの尺度でいうところの「大丈夫」な状態ではなかった。

 

「……な、なによ」

「あのさ、無視しないでくれる?」

「あ、えっと……ごめん」

「……もう一回聞くけど。本当に大丈夫なの?」

 

 少しの間を置いて、

 

「……うん。大丈夫。レナは大丈夫」

 

 自分に言い聞かせるように、レナはそう言った。

 

「本当にやばくなったら、いつでも相談して。同じ魔法少女だし」

「……それは関係ないんじゃない?」

「あるでしょ。その手の話は私たちしかできないんだし、ね」

「……うん。ありがと」

 

 終業のチャイムが鳴った頃には、外はもう夕方になっていた。さっさと帰ろうと荷物をまとめていた時、突然校内放送が流れ出した。

 

「えー、これより緊急集会を行います。生徒の皆さんは、体育館に集合してください。繰り返します。これより緊急集会を行います……」

 

 教室の中から一斉に不満の声が上がった。レナも準備の手を止めた。最近までは魔法少女が行方不明になることが多く、世間では連続少女失踪事件として連日ニュースを騒がせている。ニュースの中で確認されている人数はもう両手では数え切れないほどだが、現実を知っているレナのような魔法少女にとっては、それでも少なすぎるくらいである。その影響でどこの学校でも頻繁に全校集会が開かれていることは知っていたが、ここ神浜大附属では1週間ほど前にあった環いろはの失踪以来開かれてこなかった。それで生徒の間ではうちの学校は不用心だとか軽口が叩かれることはあったが、実際に開かれればそれはそれで拘束時間が増えるせいで、文句の一つも出るものだ。

 神浜大附属はそれなりに大きな中高一貫校なので、体育館には相当な数の生徒が押し寄せる。レナは人の波に乗って動きながら周りを見渡してみるが、視界の中には見知った顔を見つけることはできなかった。もちろん、ももことかえでも。肌寒い体育館の中で待つことしばらく、ようやく生徒指導の教師がステージに上がってきた。マイクの前に立つと、自然に生徒たちのざわめきも静かになっていった。

 

「えー、今日、急に集会を開いたのは、他でもありません。我が高校からまた1人、行方不明となった人が出たからです」

 

 ざわり、生徒たちがどよめいた。しかしそれは、教師の声ですぐに収まった。

 

「先程連絡がありまして。今日学校を休んだ十咎ももこさん。昨日から家に帰っていないそうです。もしどこかで見かけたら、すぐに連絡をするように。最近は学生の少女ばかりが失踪する事件が度重なり起きてますから、皆さんも外出する際は十分に、本当に十分に注意を払って、可能な限り親や友達と一緒に行動するようにしてください。それから──」

 

 それから先は、聞いていられなかった。レナは頭が真っ白になって、ただ呆然と立ち尽くしていた。ももこが失踪した。魔法少女が失踪したということは、最悪の事態も十二分に考えられることだ。

 そこまで考えてはっとした。

 昨日、私は何をしていたのか?

 どうして私は泣いていたのか?

 ももこに昨日何があったのか?

 まるで未完成のパズルのように、昨日の出来事だけがすっぽりと記憶から抜け落ちていた。レナはそれがあまりに恐ろしくて、思わず震えた。隣に立っている少女が怪訝な顔をしたのに気付いて、なんとか平静を装った。何か、恐ろしい何かが起きたということは間違いないはずなのに、それが何も思い出せないことにレナは苛立った。今すぐ叫び出したい気分だった。それでも何とか気を保っているうちに、集会は終わった。周りの同級生たちが帰り始めてもなお、レナはずっと同じことを考えていた。

 帰り道は、もう薄暗かった。考え事をしているせいで何度か危ないところがありつつも、いつものように道を歩いていた。レナがふと顔を上げると、そこはいつもの待ち合わせ場所で、こちらを向いた見慣れた顔があった。

 

「かえで……」

 

 かえでは、顔を真っ赤にして立っていた。昼に見た自分の顔とそっくりに泣き腫らした跡が見えた。

 

「レナちゃん……」

「……ひどい顔ね。ちゃんと寝たの?」

「それ、その顔で言うの……?」

 

 お互いにひどい顔をしながら、二人は揃って歩きはじめた。いつもなら真ん中にいるはずの誰かの分だけ、無意識に間を空けていた。

 

「……ももこちゃんのこと、なんだけど」

 

 しばらく無言で歩いていった後、かえでが口を開いた。

 

「行方不明になったんだって」

「……え?」

「どこかにももこがいるなら、レナが探さないと」

「レナちゃん!」

「何よ」

「……だって……。ももこちゃんは、もう……」

「ちょっと、縁起でもないこと言わないでよね」

「レナちゃん……!何言ってるの……?」

「……は?あんたこそ何よ。ウジウジネガティブなことばっかり言って……!」

 

 そこまで言って、レナはハッとした。目の前で今まで見たことのないような、悲しいような、怒っているような、複雑に入り混じった表情でこちらを正視するかえでの顔に気が付いたからだ。

 

「レナちゃんの……バカっ!!」

 

 絞り出すような声でそう叫んで、かえでは一目散に駆け出していった。

 

「かえで……。なんなのよ、もう!」

 

 モヤモヤした気持ちを吹き飛ばしたくて、レナは思い切り声を上げた。しかしそれで何かが変わるわけでもなく、レナの声は夕焼けに消えた。

 

 レナから逃げ出したかえでは、無意識のうちに少し離れた公園にたどり着いていた。覚束ない足でベンチに座り込み、空を仰いだ。レナの反応は明らかに変だった。目の前でももこが魔女に殺される場面をしっかり目撃したはずなのに。かえでとレナで、あの場所から逃げ出したはずなのに、行方不明?レナが何を言っているのか、かえでの頭では全く咀嚼できなかった。

 

「やあ、かえで。どうしたんだい?こんなところで」

 

 そんなかえでの前に、1匹の動物が現れた。真っ白な体に大きな尻尾を持ち、人の言葉を解する不思議な生き物。キュゥべえだ。

 

「キュゥべえ……」

「レナの事かい?僕も、レナに話しかけるかどうかは迷っているんだ」

 

 何でもお見通しであるかのように、キュゥべえはかえでの1番の関心事を言い当てた。それでかえでは少しの希望を覚えて、キュゥべえにレナの様子を話し始めた。

 

「レナちゃんがね、おかしいの。知ってることも知らないみたいで、なんか目もこっち見てないみたいで……」

「さっきの会話は、僕も見ていたよ。確かにあれは妙だったね。まるで、レナはももこが死んでしまっていることを知らないみたいだった」

 

 感情が無いが故の直球な表現に、かえでは露骨に嫌な顔をした。そんなことはお構いなしに、キュゥべえは尻尾を振りながら続ける。

 

「こういう事は、別に珍しい話ではないんだよ。僕はそういう魔法少女を何人も見たことがある」

「見たことがある、って……」

「人間の言葉で言うところの、“解離性健忘”というやつだ。人間が魂に強い衝撃を受けた時に、自己防衛のためにその衝撃についての記憶を失うことがあるんだ。君たち魔法少女に分かりやすく説明するなら、そうだね。例えば、“それを経験したら、絶望する”ような事象があるとしよう。それを経験した魔法少女は、様々な反応を示すはずだ。魔女化する魔法少女もいれば、踏み止まってしまう魔法少女もいるかもしれない。そういう反応と同じように、“経験したこと自体を忘れてしまう”こともあるんだ。こればかりは人間としての本能で、魔法少女じゃない普通の人間にも起こり得る話だけどね。レナはおそらく、“ももこが死んだ”という現実を目の当たりにして、それを魂で処理できなかったんだ」

「……思い出すことは、あるの?」

「思い出すかもしれないし、一生忘れたままかもしれない。強く記憶を喚起するファクターがあれば、思い出すことは十分に考えられるけど、それも確実とは言い難い。残念ながら、僕らでも人間の魂や記憶について完全に理解できているわけじゃない」

 

 かえでは、キュゥべえの言っていることを理解できているわけではない。しかし、レナの記憶喪失が珍しいことではないという事実と、治る見込みがないわけではないという事実だけが分かれば、それで十分だった。

 

「……ありがとう、キュゥべえ」

「なぜお礼を言うんだい?」

「レナちゃんのこと、教えてくれたから」

 

 夕暮れの空の下で、かえでは優しく笑った。キュゥべえはそんなかえでをしばらく見て、きょとんとしていた。

 

 その夜。ベッドに寝転がったレナの部屋に、久しぶりに見る顔が現れた。そいつはいつのまにか部屋に飾られたぬいぐるみに紛れるように座っていた。レナはそれを鬱陶しそうに一瞥して、すぐに枕に顔を埋めた。

 

「やあ。久しぶりだね、レナ」

「……何の用よ」

「君に、そろそろ魔法少女の本分を思い出してもらいたくてね。君はここ1週間、一体の魔女も倒してない」

「……」

「僕たちが神浜市に入れなかった間に何があったのか、その大まかなところは聞いている。だけど、そこで何があったとしても、魔法少女として魔女を退治する仕事を忘れてもらっては困るんだよ」

「……何もせずに魔女になった方が、アンタたちとしてはいいんじゃないの?」

「魔法少女は魔女になってもらった方が助かるけど、魔女がそのまま放置されて被害が広がってしまうのも困りものなんだよ。それは君たちの方が深刻に考える事態なんじゃないかな?」

「ハァ……」

 

 ああ言えばこう言うキュゥべえを前に、レナは口を開くことをやめた。

 

「とにかく。今神浜市にいる魔女は以前にいたとされてる魔女よりもずっと弱い。チームを組まなくても問題ないだろうから、しっかり使命を果たしてほしいな」

 

 それだけ言って、キュゥべえはどこかに去っていった。レナはそのまま顔を上げないまま、眠気におされるままに眠った。

 

 時計の短針が真上を少し過ぎた頃に目覚めたレナは、食事もせずに少し遠くのゲームセンターへと向かった。もっと近場に通い慣れた場所があったものの、以前そこでかえでに発見されたことを思い出したレナは違う場所に行くことにした。会いたくないわけではないのだが、レナには心の整理をする時間が必要で、とにかく一人きりになりたかったのだった。

 自動ドアをくぐる頃には、おやつ時も目の前といった時間になっていた。レナは特に何をするわけでもなくぐるりとゲームセンターを一周し、自動販売機で炭酸飲料のペットボトルを買った後、待合用の長椅子にどっかりと座った。休日のゲームセンターは思ったよりもガラガラで、目の前の新作ゲーム機にも誰一人として人はいなかった。レナがただぼうっとゲーム機のデモ画面を眺めていると、その台にひょいと飛び乗る影があった。キュゥべえだった。

 

「やあ、レナ。昨日はよく眠れたかい?」

 

 キュゥべえの言葉はテレパシーのようなもので、周りがいくらうるさくてもはっきりと聞き取れる。今のレナにとっては、それがひたすらに腹立たしかった。

 

「……何の用よ」

「昨日しっかりと伝えたはずなんだけどね。魔女探しをしてほしいんだよ」

 

 キュゥべえはちらりとレナの左手を見て、

 

「ソウルジェムもしばらく浄化していない。いくら魔法を使わないとはいえ、グリーフシードを集めないとまずいんじゃないかな?」

 

 と言った。レナが左手のソウルジェムを見やると、それは確かに今までの透き通るような水色から、ほんの少し濁った青色に変色していた。

 

「……うん」

 

 無意識的に左手を陰に隠しながら、レナは呟いた。どうしようかと視線を落とした刹那、ぞわりと不快感が魂をなぞった。

 

「……魔女だ。近いね」

 

 キュゥべえは独り言のようにそう呟いて、そしてレナを見据えた。

 

「行くか行かないかは君の自由だ。使命を果たさずに魔女になっても、僕としては何の問題ない」

「……行くわよ」

 

 レナはゆっくりと腰を上げて、飲みかけのペットボトルを近くのゴミ箱に放り投げた。

 

「こんなところで死ぬために、レナは契約したわけじゃないんだから……」

 

 ゲームセンターのすぐ裏の路地だった。店の室外機がごうごうと稼働音を響かせる、人気のない薄暗い道だった。レナは近くを通る人々に見つからないようにこっそりと路地に入り、すぐに変身した。魔法少女としての武器であるどこかアニメチックな三叉槍で結界の外縁を切り裂くと、すぐに入口が現れた。その裂け目から漏れ出す魔力を肌で感じて、レナは気を引き締めた。

 ──大物だ。

 

「この魔女は相当強い魔女だね。こんな魔女が神浜にまだいたなんて」

 

 いつのまにか我が物顔で肩に乗っていたキュゥべえが、いつもの無感情な声でそう言った。確かにマギウス事変の後、神浜に現れる魔女は小物ばかりであった。

 

「……よし」

「レナ、気をつけて行こう」

 

 敷居を跨いだ瞬間、景色は一変する。現実と非現実の狭間を飛び越える。硬いコンクリートの床が、何かのコードか配線のような束の集まりに変わった。無機質な打ちっ放しの壁が、不気味なアンティーク調の世界に変わった。室外機のうるさく動く音が……神経を逆撫でするような、不愉快な嗤い声に変わっていった。

 

「…………!」

 

 その嗤い声を聞いた瞬間、レナは心臓を鷲掴みにされたような錯覚に陥った。目の前で何かがフラッシュバックする。ゲラゲラと嗤う何かの声で、心を削り取られていくように感じて、レナは猛烈な吐き気を催した。何かがおかしい。自分でも何がどうなっているのか分からなかったが、それでも結界の中に強烈な拒否反応を示していることだけは分かった。

 

「……レナ?大丈夫かい?」

 

 キュゥべえはレナが突然硬直したことを不思議に思った。呼びかけにも答えず、過呼吸のように浅い息を繰り返すレナは明らかに異常であった。水波レナは魔女退治が初めてというわけではない。キュゥべえは何が起こっているのか分からなかったが、しかし魔法少女が魔女に殺されてしまうのはなんとしても避けたかった。すぐに救援を呼べるように、近くの魔法少女を探しはじめた。

 

「……なによ、これ……」

 

 何が何だか分からず、レナはその場にへたり込んでしまった。怖い。逃げ出したい。そんな臆病な感情が心の中で幅を利かせて、レナの頭を支配しようとしていた。それが何故なのかが全く分からないという事実が、レナにとっては最も恐ろしい事実だった。

 

「……! レナ! 敵だ!」

 

 キュゥべえの言葉で、レナはハッとして顔を上げた。ぴょこり、ぴょこりと足の代わりらしい棒をばね仕掛けのように伸縮させながら、螺子と歯車の出来損ないな塊が動いていた。それは正面にあるくるくると巻かれた針金のようなものをこちらに向けて、観察するようにぴょこぴょこと動き回っていた。かしゃん、かしゃんと鳴る動作音を響かせる無機質な存在を、レナはしばらく呆然と眺めていた。それが動きを止め、レナに向かって針金を腕のように伸ばした瞬間、レナは絶叫を上げながら塊を槍で弾き飛ばした。

 

「来るなっ!こっちに来るなぁ!」

 

 視界の端に何かがダブる。目の前を何かが通る。それで、レナは記憶の引っかかりを掴んだ。目の前を飛んで行った少女は、自分の見知った魔法少女。あれは──。

 

「……ももこ!」

 

 レナは突然そう叫んで、槍を地面に突き刺して立ち上がった。そのまま真っ直ぐどこかを目指して走り出す。キュゥべえはそんなレナの肩にしがみつくので精一杯だった。

 

「レナ!?君はいったい何をやっているんだい!?」

 

 キュゥべえの問いにも耳を貸さず、レナはうわ言のように「ももこ、ももこ」と呟きながら、何度も転びそうになりながら結界の中を走り続ける。キュゥべえはそんなレナの周りに魔女の手下達が集まりだしていることに気付いていたが、それを伝えたところでレナに伝わるとは思えなかった。

 

「返事しなさいよ……ももこ……!」

 

 ふらり、とレナの体制が崩れた。足元にうねったケーブルのような地形に足を取られて、顔面から勢いよく地面に転んだのだ。キュゥべえはその衝撃で肩から放り出され、少し離れた地面にぽとりと落ちた。

 

「レナ、大丈夫かい? しっかりするんだ」

 

 結界に入ってから完全におかしくなってしまったレナのことを、キュゥべえは全く理解できていなかった。普通ではない精神状態であることは間違いないのだが、キュゥべえにはそれ以上の人間の心の機微は理解できないものだ。

 レナが起き上がる頃には、わらわらとどこからか湧いて出てくる魔女の手下たちによって完全に包囲されていた。右を見ても左を見ても同じような壊れた機械に囲まれて、とうとうレナはその場でうずくまってしまった。かしゃん、かしゃんと近づいてくる機械の足音が何重にも重なり、耳障りな騒音となってレナの心を引っ掻いた。

 

「ももこ……どこなのよ……」

 

 包囲している手下たちは、まるで喜んでいるかのようにかしゃかしゃと足音を立てた。そして、そのうちの一体がレナに向かって一歩を踏み出した。

 

「レナちゃんっ!」

 

 聞きなれた声が聞こえた。レナが反射的に顔を上げると、目の前に頼りない背中が見えた。少女が杖を振るうと、ケーブルだらけの地面の隙間から、意志を持ったような植物の蔦が姿を現した。それらは激しく波打ちながらレナの周りを包囲して、周囲に近寄ろうとする手下たちを妨害する。聖域の中で振り返った少女の顔は泣き跡にクマにとぐしゃぐしゃで、とても聖女のようには見えなかった。

 

「……かえで」

「レナちゃん、大丈夫?」

「どうして、ここ……」

「僕が教えたんだよ。ちょうど1番近くにいた魔法少女が、彼女だったのさ」

「レナちゃんのことだから、きっと隣町まで逃げてるだろうと思って。立てる?」

 

 自分の行動をことごとく先読みされていることには少し腹が立ったが、レナはそれでも自分を見捨てずに追ってきてくれたかえでに心の中で感謝をした。口に出すことはないけれど、それでもかえでなら心の中まできっと分かっているだろうと、レナにはある種の信頼があった。差し伸べられた手を掴んで、レナは震える足で結界の中に再び立った。ついさっきまで心を蝕んでいた恐ろしさは、かえでの顔を見ただけですっと和らいだ。繋いだ手から感じる暖かさが、乱れていたレナの頭の中を綺麗にしていった。ひどい顔で笑顔を作るかえでの姿は、痛々しいながらこの世のものとは思えないくらい可愛らしかった。

 

「……いくわよ、かえで!」

「いくよ、レナちゃん!」

 

 愛用の三叉槍を大袈裟に回して、それでようやくレナの目はしっかりと手下を見据えた。自分の背中にはかえでがいて、かえでの背中には自分がいる。それだけで、どんな恐怖にも打ち勝てるような気がした。

 かえでの植物が引いたその瞬間、レナは飛び出した。不意を突かれた手下たちは慌てているのか、普段より不規則にがしゃんがしゃんと音を立てているだけであった。勢いがついたレナの槍が、金属で出来ている手下の体を、豆腐に鎹を打ち込むかのようにあっさりと貫いた。ピクリとも動かなくなったスクラップを、回避行動を取る暇もない手下に思い切り投げつけた。飛んできた豪速球をキャッチできるはずもなく、手下二体分のガラクタが結界の床に散らばった。

 

「邪魔よ!」

 

 魔力の節約も考えず、レナは次々と手下たちを屑鉄に変えていった。反対側ではかえでが植物を操り、逃げ惑う手下を続々と解体していた。たった二人による手下の虐殺は、そこに集った手下たちが残らず動かなくなるまで続いた。自分の持ち分を片付けたレナが振り返った頃には、かえでも最後の一体を破壊するところだった。かえでが掲げた杖を振り払うと、蔦に絡め取られて動けない手下の、背骨のような金属棒がべきりと圧壊した。それで、最後の手下も動かなくなった。

 

「……ん?」

 

 その様子を見ていたレナは、地面に打ち捨てられた手下に少しの違和感を覚えた。手下たちはそれぞれ体を構成する部品が少しづつ異なっていたから、あえて言うところの“個性”があるのだが、とある一体に明らかに不相応な部品があるのに気づいた。それは金属でもなんでもない、毛の生えた塊だった。レナは手下の体に手を突っ込んで、その部品だけを引っ張り出した。

 それは、ぬいぐるみだった。ちょうど鞄にくっつけられるくらいの、そこまで高価そうではないぬいぐるみ。何の工夫もない簡素な体に、長い耳の生えた頭がくっ付いていた。少しイケてるスカーフを巻いた、モカウサギのぬいぐるみ。

 

「レナちゃん?どうした……の……」

 

 固まったレナの方を向いたかえでは、その手の内にあるものを見て同じように固まった。白い体にいくらかの赤黒いシミを作った、ウサギのぬいぐるみ。見間違えるわけがない。何故ならそれは、かえでがクレーンゲームで手に入れた景品だったから。

 

『私をもう一度チームに入れてください!』

 

 レナの頭の中に、いつかの記憶が蘇ってきた。それは、3人の記憶。ももことかえでと本当の意味でチームを組んだ、あの日の記憶。

 

『これを……私たちチームの証に出来たら、って』

 

 ただのぬいぐるみに5千円もかけたんだって、かえでが半ベソをかきながら持ってきたぬいぐるみ。世界でたった3つしかない、ももことかえでとレナだけの、チームの証。それが見るも無残に汚れて、所々が解れて、よりにもよって人を襲う魔女の手下の体の一部としてガラクタ同然に扱われていた。それは、ももこがもうこの世にはいない。ももこがこの結界に巣食う魔女に殺されてしまったのだという決定的な証拠だった。

 レナはしばらくのあいだ、モカウサギのぬいぐるみを手に持ったまま硬直していた。レナはももこが殺されたことなど、今この瞬間まで綺麗さっぱり忘れてしまっていた。それは彼女の心が自身を守るために起こした心理的な反応に過ぎなかったが、偶然手下に拾われたモカウサギがその記憶の蓋を強引に突き破った。今のレナには、目の前を紙くずのように飛んでいき、ボロ雑巾のように地面に横たわったももこの姿を、目の前にいるかのように鮮明に思い出すことができた。そんなももこを見捨てて無様にも逃げ帰った挙句、そのことを忘れて日常を過ごそうとした自分自身のことも、妙に冷静に俯瞰することができてしまった。

 

「……ぁぁぁああ!!」

 

 レナは獣のように咆哮した。ぬいぐるみを胸に抱いて、枯れたと思っていた涙を流した。泣けば泣くほどに、ももこの記憶が浮かんでくる。人見知りで人嫌いだった自分を、初めて真正面から見てくれたももこ。お節介が過ぎて鬱陶しいこともあったけど、いつでも誰かのことを考えているような人だった。頼りになったももこ。大好きだったももこ。水波レナを見つけてくれた、ももこ。想えば想うほどにどんどん気持ちが湧いてきて、どれだけ泣いても泣き足りない気分が暴れていた。

 

「……レナちゃん、レナちゃん、ほら、立って」

 

 涙声のかえでに促されるがまま、レナとかえでは魔女の結界から歩いて脱出した。とっくにレナ達に気付いているはずの魔女が追いかけてこなかったことは、2人にとっての幸運だった。そうして元の路地裏に帰ってきた2人は、日が暮れるまで泣き腫らしていた。

 

 ──────

 

 十咎ももこが死んだ後も、神浜の日常には何の変化も起こらなかった。レナもかえでもいつものように学校へ行き、授業を消化して、帰る。マギウス事変が始まった頃、多くの魔法少女が日に日に姿を消していた頃はとんでもない大騒ぎが起こっていたものの、それがひと段落してしまえば事件も日常の大きな波に飲まれて、結局は平穏な日常に帰ってしまう。今でも事変前とは段違いな数のパトカーを見るようになったし、水徳商店街などは露骨に人の賑わいが減ってしまったが、神浜に残っている人々は日常を生きるしかないのだ。かえではももこがいなくなった大きな心の穴を抱えながら、なんとか日常へと帰ろうとしていた。一方のレナはももこがいなくなった心の傷が深刻で、何をするにも心ここにあらずといった風になってしまっていた。大抵かえでと一緒に行動するようになったから何とか日常を送れているものの、何もせずにぼうっとしている時間ばかりになっていたのだった。そんなレナの様子を神浜市立大附属に通う魔法少女たちは心配していたが、しかし誰の言葉もレナの心を揺さぶることはなかった。ただ恍惚として宙を見つめているレナの姿を見て、どうしたものかと頭を抱えるばかりであった。

 

「ほら、レナちゃん。行こ」

「……うん」

 

 それから、3日が経った。下校の時間になって、レナはかえでに促されるままに教室を出た。元々人付き合いは殆どなかったレナだが、初めの頃こそ心配する人に構われていた。しかし打っても響かないレナの相手をすることに誰もが疲れて、レナの事を気にかける人は日に日に減っていき、たった3日でかえでだけになっていた。ある程度人付き合いがあったかえでもレナに構うことで段々と周囲から距離を置かれ、今ではすっかりレナともども学校の中では腫れ物扱いである。それでもかえでには、事情を知っている自分がレナを助けなくてはならないという執着に似た強い気持ちがあったのだった。

 学校を出た2人は、夕暮れの道を並んで歩いていた。2人の間には会話はなく、呆然としたまま歩を進めるレナのことを時折心配そうにかえでが見るくらいである。まるで魂が抜けたようになってしまったレナを学校の時間だけとはいえ介護する形になっているかえでは数日でかなり憔悴してしまっており、とても雑談を始めるような元気はなかった。その上魔法少女としての勤めを果たすこともできず、今は極力魔力をセーブすることでなんとか穢れを保っている有様であった。レナはというと魔法の使い方を忘れてしまっているのか、ソウルジェムが穢れはじめているのにも関わらず、一向に気にする気配がない。なんとかグリーフシードを回収したいかえでは、調整屋から高額でもグリーフシードを買うことも検討した。しかしマギウス事変の後に調整屋も多くの魔法少女の反発によって閉鎖に追いやられており、緊急時の駆け込み寺すらなくなってしまっていた。なるべく今後のことを考えないようにしたかえでが前を向くと、そこには見知った魔法少女が立っていた。レナもそれに気付いたのか、かえでの隣で歩みを止めた。

 

「久しぶりね。レナ、かえで」

「やちよさん……」

 

 マギウス事変の後すっかり姿を見せなくなっていたベテランの魔法少女、七海やちよがそこにいた。彼女も相当苦労をしているのか、目の下には濃いクマをつくり、とてもトップモデルとして活躍している少女とは思えないやつれぶりであった。

 

「ちょっと、話があるんだけど。いいかしら」

 

 そんなやちよに連れられるまま、2人はその足でみかづき荘へと向かった。つい数週間前に訪れているはずなのに、みかづき荘の中は不気味なくらいに静かで、かえではまるで別の場所に来たようだと感じた。かつて5人の魔法少女がにぎやかに過ごしていたリビングには誰もおらず、ただ行方不明者の話をし続けるテレビの音が虚しく響いていた。お茶を入れてくる、とやちよが席を外した隙に、かえではテレビの電源を落とした。これ以上、暗い話を聞きたくはなかった。やちよは程なく戻ってきて、かえでとレナの前にマグカップをそれぞれ置いた。それから、しばらく3人は無言でお茶を飲んだ。やちよのマグカップが空になるまでの間、誰も口を開かなかった。かえでもやちよも、とても雑談で気を紛らわせようと考えるほど心に余裕を持ててはいなかったし、レナに至ってはまた魂が抜けてしまっているようだった。そうしてしばらく過ごした後、ようやくやちよが口を開いた。

 

「……2人に、手伝って欲しいことがあるの」

「……手伝って欲しいこと?」

「神浜にすごく強い魔女が1匹いるって話。知ってる?」

 

 空気が変わった。

 

「……それって、振り子の?」

 

 レナが反応した。それまで呆けていたレナの突然の真剣な語調で、やちよは少し驚いた顔をした。

 

「そうよ。知ってるなら話は早いわね」

「……ももこの、仇だから」

「……やっぱり、そうなのね」

「ふゅ……知ってたんですか?」

「いいえ。でも、ももこが負けるような魔女なんて、消去法で考えたら今の神浜にはそいつくらいしかいないもの」

「最近の神浜には弱い魔女しかいないって、キュゥべえも言ってました」

「今の神浜は魔女になる魔法少女が多いけれど、その大半はかつてマギウスに身を寄せていたらしい。僕らからすれば回収できるエネルギーが少ない分、魔女ばかりが溢れて困ってしまうよ」

 

 いつの間にか、どこからともなくキュゥべえが現れていた。テーブルの上にちょこんと座ったキュゥべえは、いつも通りの無感情な声をしていた。そして、その目はレナの方をじっと見つめていた。

 

「だけど、あの振り子の魔女だけは特別。たぶん、アリナが生前に育ててた魔女の一体だと思うわ」

「アリナ……アリナ・グレイだね。彼女もきっといい魔女になっただろうに、死んでしまったのは残念だよ」

 

 マギウスの1人だったアリナ・グレイは、フェントホープでの戦いで死んでいる。それはマギウスとの戦いに関わった3人の間では、もはや確認するようなことではない。

 

「マギウスとの戦いは、まだ終わってないってこと……?」

「どうでもいい。要するに、振り子の魔女を殺せばいいんでしょ?やってやるわよ」

「レナ、あなた1人じゃ返り討ちは間違いないわ。だから、昔の神浜みたいにチームを組んで退治しようって話ね」

 

 語気を強めるレナの事を、やちよは少し心配そうな目で見た。この話になってからというものの、レナは少し過激な雰囲気を纏い始めていた。

 

「チームを……」

「今のところ、私とフェリシア、それから夏目かこさんのところのチーム3人との共同戦線よ。レナとかえでにも、そこに加わって欲しいの」

「合計7人。魔女1体に裂くには、過剰すぎる戦力だね」

「それだけの相手ってことよ。これ以上、神浜から人死にを出したくはないもの」

 

 そこで話はひと段落した。やちよは麦茶の入ったポットを持ってきて、空いたマグカップに順々に注いだ。かえではちらりと隣に座っているレナを見た。振り子の魔女の話題が出てからというものの、レナの瞳に生気を感じるような気がした。それが復讐心から生まれているものだったとしても、少しずつ快方に向かっているような気がして、かえでには嬉しかった。レナは座ったまま、じっとマグカップを見つめていた。レナにあてがわれたのは、薄緑色に黒猫の模様があしらわれたかわいらしいマグカップだった。

 

「詳しい連絡はまた今度送るから。それまで……無茶なことは、しないでね」

 

 少し余裕が出たのか、やちよの声色は柔らかかった。かえではゆっくりマグカップのお茶を飲みながら、自分の気持ちも楽になっていくのを感じていた。

 

「……はい」

「何かあったら、すぐに連絡して。こんな状況だもの」

「助け合わないと……ですね」

 

 どこにも頼れる場所がなく宙ぶらりんだったかえでには、やちよの言葉は福音だった。少しやつれながら、しかし柔らかく微笑んだやちよの顔を見て、かえでも自然と笑っていた。出口の見えない地獄のような現実の中に、一縷の希望を見出したような気さえした。それから数十分、3人は平穏な時間を共に過ごした。その中に会話は殆どなかったが、何事も気にすることなく過ごせる時間というものが、全員にとって何より贅沢なものだった。久しぶりにゆっくりとお茶の時間を取ったかえでは、安物のクッキーを口に入れただけで涙が出そうになってしまっていた。レナもあの一件から久しくまともに口を利いていなかったが、やちよの問いかけには素直に答えた。砂糖がたっぷりかかったクッキーを口に入れて、少し微笑みさえした。しっかりと少しずつ、レナなりに心の整理をつけていっていることは、かえでもやちよも理解できていることだった。

 

「……もう出るの?夕飯、食べていく?」

「あ、えっと……お父さんとお母さんが心配しちゃうので。最近は物騒だからって」

「そうね。それなら、早く帰らないとね」

 

 そんな他愛のない会話を交わすのも、まるで数年ぶりのような気がしていた。外はもう日が落ちて暗くなり始めている。失踪事件が大々的に報道され、多くの年頃の少女を持つ家庭が戦々恐々としているので、かえでの考えは想像している以上に深刻な問題ではあった。しかし少なくとも今この場では、3人は確かに救われていたし、その時間は親の心配とを天秤にかけても得難いものだった。

 

「それじゃあ、またね」

「はい。また」

「……うん」

 

 さようなら、とは言わない。示し合わせたわけではないが、その言葉は何か深刻な悲惨さを秘めているような気がしていた。そしてその感覚は、3人の中で自然と共有されていた。誰もが明日にいなくなっていても不思議ではない魔法少女の世界で生きているからこそ、そういう雰囲気には敏感になっているのかもしれない。やちよは漫然とそんなことを考えていた。2人を見送った後、リビングに戻るとそこにはキュゥべえが待ち構えていた。無機質な瞳でやちよのほうを正視しながら、しかしキュゥべえからは何も切り出さなかった。

 

「……何かしら?」

 

 キュゥべえが何かを話し始める前に、みかづき荘のインターホンが鳴った。玄関に戻ってドアガード越しに扉を開けると、外にはたった今見送ったばかりのレナがいた。

 

「あら、どうしたの?忘れ物?」

「……えっと、トイレ、貸してくれない?」

 

 もちろん。やちよは快くOKを出した。レナは勝手知ったるという風で、廊下の奥にあるトイレに入っていった。手早く用を済ませたレナが廊下を歩いていると、ドアの向こうからやちよとキュゥべえの話し声が聞こえてきた。レナは外で待っているかえでと少しの好奇心を天秤にかけて、好奇心の方を取ることにした。引き戸の横を忍び足で通り抜け、耳を澄ました。

 

「……本当に、彼女たちを巻き込んでよかったのかい?」

 

 キュゥべえの声である。キュゥべえはテレパシーで話す都合上、普通は会話を盗み聞きすることなどできない。しかしレナは、そんな基本的なことすら完全に忘れていた。

 

「ももこの仇よ?何も言わないわけにはいかないわ」

「とはいえ、今の水波レナは相当に不安定だ。実戦でチームの足を引っ張ることだって十分考えられると思うけど」

「それは……否定できないけど」

「死人を出す可能性を下げたいなら、彼女たち……というかレナは──」

「やめて。……はぁ。こんな時ももこがいれば……」

 

 何気ないやちよのぼやきは、しかししっかりとレナの耳に届いていた。ももこがいれば?レナがいては邪魔?これではまるで……。ももこの代わりに、レナが死んでいたほうが、ずっと都合がいいみたいじゃないか──。

 そこから先のことは、レナはあまり覚えていなかった。みかづき荘を歩いて出て行って、そうして外に出た瞬間、耐えられない何かが彼女の中で弾けた。

 

 みかづき荘の外でレナのことを待っていたかえでは、なかなか出てこないレナに少しむくれていた。小さなあくびをして、腕時計をちらりと確認する。時間的にはまだ余裕はある。トイレにしては少しばかり長いが、それだけレナにも何か思うところがあるのだろうと勝手に推測をして。一度中に様子を見に行こうかと思いたち、ドアのほうへと顔を向けたそのとき、みかづき荘のドアが開け放たれた。かえではそれでびっくりして、その後に全力で走り去っていったレナの姿をただ呆然と見守ることしか出来なかった。

 

「レナちゃん……?」

 

 かえではしばらくそのまま固まっていたが、すぐに正気を取り戻した。レナがどこかに走り去っていったことは、間違いなく一大事である。やちよが家から出てこないのは、2人の間で何かがあったのか、単に気付いていないのか。とにかくかえでは、すぐにその後を追って駆け出した。

 

「レナちゃん、待って、よ!」

 

 がむしゃらに走り去るレナの後姿を見て、かえでの心の中には良くない気配が怒涛のように湧き上がってきていた。何があったのかは分からない。けれど、今すぐレナを捕まえないと何か取り返しの付かないことが起こりそうな、そんな不安があった。外はすっかり暗くなっていて、かえでにはレナの後姿を追うのに精一杯だった。幸い人気のない方面に逃げていったから、人ごみに紛れて見失うことはなかった。住宅街の路地に入っていったレナを追って、かえでも路地に入っていった。

 

「はぁ……はぁ……レナちゃん、どうしたの?」

 

 息を切らせながら、かえでは後姿のレナに聞いた。彼女は何も言わず、ただ肩を震わせているだけだった。何かに怯えているような、何かを恐れているような。一向にかえでの方を向かないレナに痺れを切らして、かえではその肩に手を置いた。

 

「ねえ、レナ、ちゃん……」

 

 突然、その手は振り払われた。思ったよりも強い力で、かえではたまらず尻餅をついた。目を白黒させて見上げたレナの顔は、涙に濡れていた。

 

「ねえ、かえで……。レナとももこ、どっちが好き?」

 

 振り返ったレナが放った言葉は、かえでが少しも想像していなかった問いだった。

 

「……え?」

「ももこじゃなくて、レナが死ねばよかったって……思ったこと、あるでしょ?」

「何、で?」

「レナもね、そう思ってた。なんで私が、なんで私なんか、って」

「レナ、ちゃん……」

「ねえ。かえで。もしもレナが……レナじゃなくてももこがここにいたら、その方が嬉しいでしょ?」

 

 レナは、かえでの目の前でおもむろに魔法少女の装束を身に纏った。そうして、持ち前の変身能力を使った。レナの体が一瞬光った後、そこに立っていたのは──十咎ももこだった。

 

「レナは……ああ、違う。アタシはさ……、その方が、いいと思うんだよね」

 

 自分の体を確認するように眺め回しながら、レナはそう言った。ももこの姿を借りているレナの目は全く泣いていなかったが、しかし生前のももこのような、生気に満ち溢れた目とは程遠い、深い絶望の色に塗りつぶされた目だった。

 

「ねえ、かえで。かえでも、そう思うでしょ?あんな根暗で底意地の悪いレナなんかより、アタシの方がずっといいって、そう──」

 

 乾いた音が、静かな住宅地に響いた。頬を打たれたレナが、信じられないような目でかえでを睨んだ。しかし、今にも泣き出しそうな潤んだ瞳でレナの目を睨み返すかえでの圧力は相当なもので、レナは思わずたじろいだ。

 

「バカなこと言わないで!」

 

 鋭い叫び声。

 

「レナちゃんは……レナちゃんなんだよ……?」

 

 かえでは涙声で、搾り出すようにそう言った。かえでには、レナの態度があまりに許せなかった。確かにかえではももこのことが好きだ。けれど、レナと比べてどちらが優れているなどと、そんなどうでもいい話を考えたことすらなかった。レナは、レナだ。意気地なしで何も出来なかったかえでのことを、まっすぐ見てくれたレナ。自信がないかえでを、いつも引っ張ってくれたレナ。子供っぽくて扱いやすくて、だけどいざという時には絶対に前に出てくれるレナ。かえではそんなレナのことが大好きで、だから3人でチームを組んだ。3人じゃなきゃダメだった。1人でも欠けたらダメだった。ももこが死んだとき、かえでも深い絶望の淵に沈みそうになった。けれど、レナがいたから耐えられた。一緒に戦ってきたレナがいたから、かえではすんでの所で耐えられたのだ。だからかえでは、「ももこの方がいい」だなんて、天地がひっくり返っても認めない。そんな気持ちから絞り出した言葉だった。

 

「レナは、レナ……。ヒッ、ヒッヒッ……」

 

 その言葉を聞いたレナは、引き笑いのような奇妙な嗤い声を上げ始めた。そしてそれはどんどん大きくなって、やがて腹を抱えて嗤い出した。突然狂ったようにゲラゲラ嗤い始めたレナの姿は明らかに異様で、かえではその狂気とも取れるものに気圧されて、怯えた目でレナを見ることしかできなかった。

 

「レナは、レナ……そうよね!キュゥべえに願っても!こんな風に魔法で姿を変えても!レナはレナ!ヒッヒッヒッ……愚図で間抜けで、何もできない水波レナのまま……。そういうことでしょ?」

「え、あ、レナ、ちゃ……」

「水波レナがなーんにもできないことなんて、レナが1番わかってる。ももこも守れない、そんなレナなんか……」

 

 レナは魔法少女の変身を解いた。からからと音を立てて足元に転がったソウルジェムは、どす黒く忌まわしい穢れに染まっていた。

 

「水波レナなんか……いらない」

 

 聞いたこともないような低い声で、自らを嘲笑しながら。月明かりに照らされた路地裏で、レナのソウルジェムは──割れた。

 

「嘘……なんだよね。こんなの。悪い夢だよね。ねえ、起きてよ、レナちゃん。ももこちゃん。やちよさん……。ねえ、誰か、誰か、私たちを助けてよ……」

 

 かつて親友だった魂の抜け殻を抱えたまま、鏡ばかりの世界で、かえでは絶え間なくぶつぶつと独り言を呟いていた。生まれたばかりのガラス靴の魔女は、手始めにその大きな足で邪魔な何かを踏み潰した。それから、結界の中は静かになったので、魔女は満足した。

 

 ──────

 

 七海やちよはその日、久しぶりにゆっくりと起きた。レナとかえでが訪れてから、不思議と心が軽くなっていた。昨日の夜中まで魔女を狩っていたフェリシアは、まだ起きてくる気配がない。1人分のトーストとカフェオレを作り、数週間ぶりの爽やかな朝を迎えていた。振り子の魔女を討伐すれば、マギウス事変からひと続きの緊迫した情勢はひと段落するだろう。レナとかえでのことも、これが終わればももこの代わりに面倒を見てあげてもいいかもしれない……。やちよはそんな風に呑気に考えながら、朝のニュースを見るためにテレビを点けた。

 

「──続いて、神浜市で連日起きている行方不明事件の続報です」

 

 ニュースキャスターが深刻そうな顔で、行方不明事件の話を続けていた。やちよはキッチンから、ちょうどカフェオレを運んでいるところだった。

 

「──新たに行方不明として捜索願が出されたのは、神浜市立大附属中学校に通う水波レナさんと秋野かえでさんの2名です。学校からの帰宅中、行方が分からなくなったとのことで、この2人についても、他の行方不明者同様に目撃情報を募集しています。これで、神浜市の行方不明者は合計で──」

 

 

 

「……やちよー、大丈夫かー?」

 

 起き抜けのフェリシアが部屋に入ってきたことで、やちよは自分のマグカップが床に落下していることにようやく気が付いた。割れてしまったマグカップの破片が、窓の外からの朝日を受けて白く光っていた。

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