〈試作・未完〉めざせサブマリナー! ~めざさぶ~   作:みん提督

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第4話 事故

4月18日、午後2時過ぎ。沖ノ鳥島沖にて。

 

海面から潜望鏡だけを突き出し、エンジンを切って静かに敵を待ち構えている潜水艦がいた。潜水直接教育艦『伊126』だ。

「……潜望鏡上げ」

『伊126』艦長、遠藤の命令に呼応し、発令所中央を貫く潜望鏡がゆっくり上昇する。艦長帽を後ろ向きにし、潜望鏡を覗く。1週ぐるりと周り、水平線上に見える敵艦艇を観測する。

静かに、じとりとした緊張感が発令所に広がる。

「……目標視認、方位2-6-0、マーク」

目視により観測された敵艦のデータと、ソナーで収集された情報を水雷長の橋本が水雷盤上で照らし合わせる。

「目標は、敵大巡艦利根に間違いなし」

遠藤は冷や汗を拭うと、静かに、静かに命令する。

「……水雷長、魚雷戦……用意。総員配置につけ」

「了解。魚雷戦用意。全艦配置につけ」

クルーは足音を立てないように慎重に、かつ素早く狭い艦内を移動し、各員の戦闘配置につく。

副長の白鷺は遠藤の横に控え、指示を待っていた。

「目標、前方の敵大巡艦利根。発射雷数6、方位2-6-0」

橋本の指示により、発射管室は静かに命令を実行する。

「了解、発射雷数6、方位2-6-0」

発射管室長遠田五月(とうた さつき)の指示により、魚雷員の遥波(はるか なみ)と、国安璃花(くにやす りか)の両名により、6本の魚雷は装填準備を完了する。

「発射準備かんりょー、酸素魚雷ちゃん頼むよ」

魚雷をなめ回すように眺めて恍惚の表情を浮かべる国安に、遥は少し引き気味に言う。

「これ、酸素魚雷じゃないよ?」

「いいじゃない、気分よ気分」

国安は不機嫌そうにしながらも、しなやかな腕を動かして魚雷を台座に載せる。装填台に載せられた魚雷は、ゆっくりと発射管に装填されていく。

「発射管装填完了。注水開始」

発射管扉操作担当の高木真空(たかぎ まそら)の指示に頷き、発射管注排水担当の佐藤頼子(さとう よりこ)がバルブを操作して各発射管に注水を開始する。

「発射管、注水完了。前扉開きます」

この報告を聞き、発令所はいっそう高い緊張に包まれる。遠藤は深呼吸し、まっすぐ前を見つめ、ついに命令する。

「魚雷1番から6番……発射!」

直後、発射管に圧搾空気が送られ、全長7mの大型魚雷が海中に解き放たれる。6本の魚雷は間隔を開けて発射され、それぞれ水中に泡の航跡を残しながら扇状に散開する。命中率をあげるため、敵艦の未来予測位置に複数本ばらまくためだ。

魚雷を射つと大きな音で位置がばれる。そうなると潜水艦には不利になるため、潜水艦は攻撃後、直ちに回避運動に入る。

「急速潜航、機関一杯(いっぱーい)、ダウン30度。深度50」

「了解。機関一杯(いっぱーい)、ダウン30度」

操舵員の剣崎がハンドルを奥に倒すと、若干遅れて艦は傾く。立っている乗組員は艦の傾きに身体の角度を合わせる。潜水艦ならではの独特の光景だ。

艦が深度50で回避運動を始めた時、ソナー室の水測員岩渕霞(いわぶち かすみ)から報告が来る。

「敵艦、回避運動を開始」

水中を航走する魚雷の先に、利根の舷側をとらえる。利根が増速し、舵を切る様子が目に浮かぶ。目を閉じて、集中する。その先をイメージする。

「……もう遅い」

今さら回避をしても間に合わない。そう確信する。

ストップウォッチを見つめる橋本は、薄く笑みを浮かべる。

「時間です」

直後、艦内の全クルーに聞こえるほど大きな破裂音が響く。魚雷が命中したことにクルーはそれぞれ静かに歓喜する。

「ソナー、どうですか?」

「爆発音は3つ、敵艦への命中に間違いありません」

岩渕からの報告を聞き、安堵する。汗をぬぐうと、横に控えるショートヘアーの眠そうな少女に訊ねる。

「光川さん、判定は?」

発令所記録員の光川夏は、専用のタブレットを操作し、リアルタイムで各艦に共有される評価を確認する。

「……『利根』の艦首に2本、艦尾に1本命中。浸水と機関室破壊により、航行不能。本艦の勝利判定……」

タブレットの情報を共有させながら小声で答える。最低限の連絡以上の会話はないが、故に仕事は速かった。

「ふぅ……なんとか勝ったな、艦長」

航海長の瀬良の言葉に頷く。

「はい……。では、浮上用意」

「了解、浮上用意」

「メインタンク異常無し」

「全艦問題なし」

「浮上せよ」

「浮き上がれ、メインタンクブロー」

「機関バッテリー駆動停止。ディーゼルエンジン始動に備え」

「機関バッテリー停止。ディーゼルエンジンスタンバイ」

発令所から全艦に命令が伝達され、『伊126』はゆっくりと静かに浮上した。

艦橋のハッチが解放され、数時間ぶりの新鮮な空気と陽光を全身に感じられる。この瞬間は、サブマリナーにだけ許された至福の時間だ。

「どうだろうか。今の我々なら直教艦でもやれるんじゃないか?」

得意気に言う瀬良だが、副長の白鷺は少し辛口だった。

「まだ1ヶ月も経ってませんよ。天狗になるには少々早いかと」

にこやかに言いきる彼女に、瀬良は頬を膨らます。

「いいじゃないか、副長。少しぐらいいい気になったってバチは当たらないさ」

「まぁまぁ、ちょっと落ち着きましょ」

航海管制員の名倉は楽観主義者だ。あまり物事を深く考えず、その場のノリで生きている。これも、2人の喧嘩を防ぐみたいな意図は無く、単に空気を呼んでそういうポーズを取っているだけだ。だから余計に場は混乱する。

「あんまり言いすぎるのも良くないです。名倉さん」

遅れて艦橋へ上がる遠藤に一同の視線が集まる。

「言うようになってきたね、艦長。最初の頃はあたふたしてただけだったのに」

名倉のからかうような言葉に遠藤は困り顔で目線を泳がす。

「いえ、別にそんなことは……ないでも……なくもなく……うぅん……」

言葉が尻すぼみになり、しまいには聞こえなくなってしまう。瀬良はそんな艦長を、簡潔に評価する。

「艦長、あんた発令所にずっといた方がいいんじゃないかな」

「ふぇは」

突然言われたことに驚き、にすっとんきょうな声をあげてしまう。白鷺が鼻で笑うのが聞こえた。

「だって、ほら、考えても見ろよ。さっきキメ顔で『もう遅い』とか言ってた奴が、1歩外に出たらこれだぜ?」

「いや、あの、それは!?…………」

恥ずかしい趣味が身内にバレた時のような恥ずかしさと何故か申し訳無さが体内を駆け巡る。

吹き出る変な汗を抑えられず、端から見れば挙動不審極まる姿だった。

その様子がよほど可笑しかったのか、白鷺と名倉は腹を抱えて笑っている。

「おい、笑いすぎだろ流石に」

ことの発端を作り出した張本人でさえ呆れるほどに笑い転げる2人。遠藤はまた恥ずかしさで艦長帽を目深に被り、赤くなった顔を隠す。沸騰したかのような真っ赤な顔を見られたくなかった。

一頻り笑い、白鷺は目尻に涙を浮かべながら感慨深く呟く。

「遠藤さん、やっぱりあなたって本当に面白いですね」

何がそんなにツボにはまったのか、遠藤には全くわからなかった。

自分を客観的に見るのは案外難しいものらしい。と、この時は特に痛感した。

 

 

その日の午後、『伊126』は他の潜水艦と同じく、潜水支援教育艦『剣埼』に接舷し、補給を行っていた。

桐谷(きりたに)さん、この荷物第3貯蔵庫でいいんですよね?」

「うん。あ、まって、そこの荷物は後部兵員室に持っていって。機関科の子達の私物だから。あと、食糧は後で『364(ミロシ)』から補給を受けるから最低限でいいよ。それと足りなくなってた筆記用具、替えのTシャツもそれぞれきっちり積み込んでおいて」

「りょーかい」

「了解です」

甲板に無造作に転がる補給物資を整理しながら、補給作業を監督するのは『伊126』主計長の桐谷美鈴(きりたに みすず)だ。主計科員として圧倒的な成績で入学した秀才で、会計能力はずば抜けている。金にがめついのが玉に瑕だが。

「主計長、艦長来たよー」

「はーい、今行く」

ファイリングした書類の束を小脇に抱え、艦長会議を終えた『伊126』艦長の遠藤の所へ小走りに駆ける。特徴的なサイドテールを揺らす彼女が手を振るのが見えた。

「どうですか、桐谷さん。順調ですか?」

「まぁまぁですね。物資が多くてちょっとごたついてるけど」

そう言いながら書類の束を遠藤に差し出し、確認を促す。書類を受け取り、補給物資のリストを1つずつ確認する。

「艦長、ちょっと気になってることがあるんですけど、聞いてもいい?」

桐谷特有の中途半端な敬語が少し気になったが、指摘せずに質問を受け入れる。

「いいですけど……なんです、急に」

艦長帽の威厳に隠された彼女の体が、少し小さくなったように見えた。

「副長のこと、どう思ってます?」

聞かれたくなかったことなのか、遠藤は動揺する。聞かれたその瞬間から無難な答えを探し始める。

「えっと……どうっていうのは?」

要領をつかめない遠藤は、質問に質問で返す。時間稼ぎと思われたのか、桐谷は眉間にシワを寄せて再び問う。

「白鷺秋奈副長のこと、艦長はどういう風に感じているのですか?」

1歩踏み出し、遠藤に詰め寄る。

「ど、ど、どういう風っていつのはつまり……?」

桐谷の意図が読めず、質問に答えられるだけの文章を用意できない。桐谷はだんだん苛立っているように見えた。

「そのままです。艦長にとって、信頼できる人物か否かってことです」

「そ……それはもちろん…………し、信頼……信頼…………?」

信頼ってなんだろう? よく考えてみれば、私は白鷺にどのような印象を抱いているのだろうか。信頼してるしてないという感覚を得る前に、彼女について何か知ってることや知ろうとしてることはあるのか。

桐谷の言葉と、信頼というワードが脳内を高速で回転する。頭の中がかき回されてグチャグチャになる感じだ。冷や汗が出て、動悸が止まらず、呼吸が浅くなり、目の焦点は定まらなくなる。

「艦長……?」

さすがの桐谷も心配……いや、これは困惑のような目だろう。たった一言の質問でここまで動揺するなど考えもしていなかった彼女は、明らかに様子がおかしくなる艦長に恐怖すら感じ始めていた。

「………長、………ん長、………艦長!」

遠くから聞こえていた声が近くに響くような不思議な感じだ。ようやく戻った視界に映るのは心配そうにする桐谷の顔だ。

「ちょっと大丈夫なの、艦長? 私そんなに困惑するようなこと聞いた?」

半分の心配と半分の怒りを含んだ言葉は、ようやく遠藤の心を深淵からサルベージする。

「あ……いえ、えっと……」

しかしはやり、答えは出ない。アタフタと手をバタつかせて視線を泳がせるしかなかった。

「……マジでしっかりして下さいよ、艦長。海で何かあったら頼れるのあんただけなんだからさ!」

「……海で……頼れるのは……私、だけ?」

桐谷の言う通りだ。艦長は艦の運航に絶対の権限と責任を持つ。例え元帥旗や天皇旗を掲げていたとしても、艦長の命令は何物に代えても優先される。その艦長がこれでは心配にもなるだろうし、頼りない。そもそもそんな責任重大な役職、自分に勤まるのだろうか。

そんなことを考えていると、また桐谷は小言を言う。

「ほらまた、始まったよ。そうやって何でも考え込むクセやめましょうよ。あんた考えるのはいいんだけど行動が遅い、遅すぎる。しかもさぁ!…………」

こうして色々言ってくれるのは桐谷くらいだ。言われて傷付かないわけではないが、すこし言い過ぎな気もするくらいに彼女は色々なことに注意を払ってくれている。

助かってはいるが、何だか落ち着かないし苦手なのに違いはなかった。

他のクルーが止めに来てもほとんど止まらず、小一時間は説教が続くのがお約束だった。

 

そうして、日常を過ごす『伊126』のクルーに見下ろし、不穏な空気を漂わせる集団がいた。

「けっ、クラスの委員長気取りとか、小学生かよ」

「気に食わねぇなアイツ」

「いや、アイツに限らん。『イニム』がそもそも気に食わん」

「俺たち男子校の伝統を貶しやがって……」

「女にサブマリナーなんて務まるはずがない」

「生意気な女に灸を据えてやらなきゃな……」

「女が潜水艦に乗るだなんて烏滸がましいことだったと後悔させてやろう」

少年たちの邪悪な笑みに、『イニム』のクルーは気付かない。

新年度初の実習が間も無く終わろうとしていたその日、『イニム』には最初のピンチが訪れようとしていた。

 

 

 

4月20日。午後10時30分。伊豆諸島孀婦岩沖。

 

潜水艦『伊126』は順調に航海を続けていた。1ヶ月間の厳しい実習を終え、どこかスッキリとした心で、クルーは長浦への帰港を楽しみにしていた。伊豆諸島まで入ればあとはもうすぐだ。そんなすこしの気の緩みが、艦内に音もなく忍び寄っていた。

「さーて、さてさてー。お夜食の準備はどうですかーっと」

暇を持て余していた電測員の工藤海月は、午後12時に提供される夜食の準備に追われる烹炊室に遊びに来ていた。

「あれ、クラゲちゃんじゃん。今休憩時間なの?」

大鍋の中身を木ベラでかき回すは給糧員トリオの1人、絶対音感の只見遥(ただみ はるか)だ。大人しめに見えるが、自分の意見はきっちり表明する芯の太い性格の持ち主だ。

「いえなに、夜型のヒカリちゃんが張り切ってたんで、任せてちょっと艦内散歩でもと思いましてね」

手をヒラヒラさせる彼女。只見はすこし呆れ顔で言う。

「つまり、友達に押し付けてサボってる?」

「人聞きの悪いこと言わんでくださいよ。一応本人快諾してますからね?」

ふうーやれやれと大袈裟なアクションを挟みつつ大鍋の中身を覗き込む。

「ほぉー、コンソメスープですか。春とはいえ夜はかなり冷えますから、これは嬉しいですなぁ」

狭い烹炊室にふわりと香る優しいコンソメの匂いに舌鼓を打つ工藤。

「サボってる人の分はありませんよー、だ」

短い舌をちょろりと出しておどける只見。この仕草がかなりかわいいと評判だった。

「そんなこと言わずさー」

烹炊室に限らず、『伊126』艦内は深夜であるにもかかわらず、賑やかだった。機関室では食べ盛りなメカニック女子たちが、夜食の時間まで我慢できずに持ち込んだお菓子を食べていたり、発射管室はコイバナで盛り上がり、兵員室では暇なクルーがダラダラと夜更かししていた。

潜航中は特に昼夜の区別がつかなくなる潜水艦は、眠らない軍艦とも言える。特に指揮命令の中枢である発令所は24時間フル稼働できる状態が維持されている。それでも昼間航海に比べれば人数は少ないが。

夜間当直に付いていた記録員の光川は、発令所の中央に構え、海図情報を映すタブレットをつぶさに観察していた。

「……」

相変わらず無口だが、夜間で静かな艦内ではむしろありがたかった。育ち盛り寝盛りな瀬良に代わって艦橋当直をこなす航海員の内野と共に、『伊126』の当直士官として眠け眼を擦りながら仕事に励んでいた。

「光川さん、起きてます?」

あまりに暇なのか、伝声管を通して内野の声が聞こえる。外の波風の音に混じって聞こえる内野の声に、控えめに返す。

「………一応」

眠いとは言わなかったが、いつもよりも低い声のトーンが、脳が完全には覚醒していないことを物語っていた。

「眠いよねー、やっぱり。こっちは代わり映えしない風景が続くし、寒いし、当直やるぐらいなら海図室にこもってた方がマシだよ……」

高身長のせいで狭い艦内で不便を被る内野がそう言うのだから、本当に退屈で嫌なのだろう。自分も何度かやっているので、その気持ちはよくわかる。

「本当、つまんないよね~、夜の当直。なんか面白いこと起こんないかなぁ」

「面白いこと……」

しみじみと言う内野。光川は面白いことを考えるが、よくわからない。夜食の時間までまだ時間があるし、ゆっくり面白いことについて考えよう。と、思い立った次の瞬間。

重低な警報音が、静まり返る艦内に響く。

「!」

寝ていたクルー、夜更かししていたクルー、当直についていたクルー、仕事中のクルー、『伊126』の全てのクルーがその警報音を聞くと共に飛び上がり、準備を始める。

「全艦に達す、合戦準備。繰り返す、合戦準備!」

スピーカーから聞こえる艦長の声に、クルーは気を引き締める。ついさっきまで普通の女子高生と変わらず和気藹々としていたクルーの顔は、真剣な船乗りのそれに変わっていた。

「……面白いこと、起こったね」

伝声管越しに聞こえる光川の言葉に、内野は頭を抱える。

「これが……かぁ……」

艦橋の双眼鏡に蓋をするなど、潜航準備を始める。

発令所には艦長を始め、発令所要員が次々入室し、定位置に着く。

「潜航用意。総員配置につけ!」

発令所に1番最初にに入室した遠藤は、艦長帽を被りながら命令を飛ばす。

何もこんな時間にやらなくても(ふぁふぃふぉふぉんふぁふぃふぁんふぃふあ)……」

寝巻きのまま魚雷のような速度で発令所に突っ込んで来た瀬良だが、まだしっかり目覚めておらず、呂律が回らない。

「仕方ないさ、これも訓練だよ」

コンソールにしがみつき、準備を始めながら言うのは水準操作員の高嶺だ。

「寝起きだからってのは操舵ミスの言い訳にならないわよ?」

操舵員席に座り、コンソールを操作するのは操舵員(縦舵担当(ヘルムズマン))の凪川だ。

「へっ、どの口が言ってんだか」

隣に座って舵輪を握るのは同じく操舵員(潜舵・横舵担当(プレーンズマン))の剣崎だ。

各員が配置に付いたのを確認し、遠藤は次の指示を出す。

「潜航する。ハッチ閉鎖」

艦橋へ続くラッタルから落ちるようなスピードで内野が降りてくる。続いて水雷長の橋本がハッチを閉鎖し、潜航用意が完了する。

「ハッチ閉鎖完了」

「潜航開始せよ。ベント開け、ダウントリム一杯」

この命令により、艦は海中に姿を消し始める。灰色の船体は徐々に海水をかぶり、ゆっくりと水面下へと潜り込む。

「もう3回目ですから、動きも慣れてきましたね」

傾く艦内で踏ん張りながら、副長の白鷺が言う。この帰還航海中、各艦は課題として、艦長の判断による突発的な急速潜航訓練を行うことになっていた。回数は特に設定されていないため、艦によっては1度しか行わないこともあれば、20回も急速潜航訓練を行った艦もいる。

夜間の訓練は初めてだったが、それでも既に2回は行った訓練。クルーの動きも洗練されて、無駄が無くなってきた。

「ウチも1ヶ月の航海でだいぶ練度も上がったし、これは最優秀成績艦も狙えるんじゃないか?」

得意気に言う瀬良だが、メンバーは誰1人首を縦に振らなかった。

「さすがにムズイって」

「あのバケモノ生徒会長超えるとか無理だって」

「やってみなきゃわからんだろが!」

1ヶ月間、苦楽を共にし、同じ釜の飯を食べたことで、『伊126』には仲間同士の強い絆が育まれていた。

発令所の楽しそうな雰囲気を尻目に、遠藤は隣に控える白鷺を見つめる。

(……私は、この人のこと。何にも知らないんだ……)

2日前に桐谷に言われた言葉がまた脳内を巡る。1度でも、彼女と腹を割って話そうとしたことがあるのか。自問しても答えは返ってこない。そうして1人自己嫌悪に陥っていると、不穏な音が聞こえてきた。

「何の音?」

発令所のメンバーには聞こえていないらしい。不思議そうにこちらを見つめるか、聞き耳を立てている。

「んー……別に、変な音はしませんけど」

「艦長、なにが聞こえたんですか?」

白鷺に問いかけられるが、正体が掴めず冷や汗が流れる。

「わかりません。でも、なんか嫌な音です」

一応ソナー室に確認を入れる。

「こちらソナー室。特に変な音は聞こえません。海中は3キロ先までクリアに聞こえますから、間違いありません」

ソナー員の岩渕が言うならそうなのだろう。で、あればこの音は何か。

遠藤が最初に感じた不思議な音の正体は、この直後にクルー全員が察することとなる。

突然、艦が激しく動揺を始める。

「!?……なに!?」

衝撃を受け止めきれず、遠藤は頭を強く潜望鏡に打ち付け倒れ込む。痛みに悶絶する暇はなかった。前後左右に揺れた後、艦が急速に沈んで行く感覚がした。天井の照明が明滅し、一瞬だけ闇が訪れる。

「艦長! 不味いぞこれは……」

高嶺がコンソールの表示を見て戦慄する。

「どうしたの、高嶺さん?」

ぶつけた頭部を抑えながら言う遠藤。視界が少しぼやけるのも気にせず、立ち上がる。

「深度がどんどん深くなってる……! 現在深度50m、このままじゃ、深海へまっ逆さまだ!」

発令所に冷たい空気が流れる。『伊126』の安全潜航深度は120m。もし、この深度を大幅に超えてしまったら……。

「艦がつぶれる……」

橋本がひとことだけ呟く。突然訪れた危機に、発令所は混乱する。

「アップトリム最大! 機関一杯! 高嶺さん、すぐに全タンク排水して!」

命令を受けてすぐさまコンソールを操作する高嶺。だが、彼女は焦るばかりで一向に艦の姿勢は戻らない。

「何してるんですか、速くトリムをあわせて!」

思わず急かすように言う白鷺。高嶺はさらに焦り、バルブや管制盤を操作するが、何も変わらない。クルーを嫌な予想が支配する。

「だ、ダメだ……メインタンクが操作できない……は、排水できない!」

「な……」

絶望に近い感情が、発令所を支配する。

潜水艦には潜航と浮上に使われるメインタンクと、水中の姿勢維持に使われるバラストタンクがある。潜水艦の浮き沈みはメインタンクでコントロールされるため、これが操作不能になるということはつまり、浮上するのはほぼ不可能ということだ。

「そんな……」

絶望した一同に、追い討ちがかけられる。

「本艦の圧潰深度は約250m。でも……この海域の水深は最大で約…………2500m……」

震える手で情報を確認する光川。発令所に、静寂が訪れる。

「じ……10倍」

へたりと力なく座り込む遠藤。どうしようもない、なにも出来ない。

そんな現実が受け止められなかった。ついさっき出来た頭部のキズから溢れる血が純白の制服や床を濡らすのを気にすることも出来ず、ただ無力感を感じていた。

 

 

絶望と共に、『伊126』は暗い夜の海のさら深くて暗い所へゆっくりと堕ちていった。

 

 

 




最近忙しいので、次話はまた時間空くかもなので、ご了承ください。
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