わたしは、魔法少女になれたことが人生で一番の幸福だった。

オリジナル魔法少女ものです。

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幸運なあなたへ

 魔法少女になれたことは、わたしの人生の中で一番の幸運だ。なぜなら、そのお陰で不運に見舞われる平凡以下のわたしとは、永久にお別れする事が出来たのだから。

 

 五月。始業式から一ヶ月が経ち、長期休みの感覚も消え始めた頃、わたしは教室の中で弁当箱を開いていた。昼休みはいつも周りの同級生たちがグループを作っていく中で、わたしは自分の席から一歩も動くことなく、その周りにも誰も来る事はない。もう中学も三年目になるが、わたしの周りに親友と呼べる人はついぞできないまま、クラスの中では悪い意味で少し浮いていた。不運なことだ。

「や、睦月さんは今日も一人?」

 弁当箱の卵焼きをつついていた時、不意に声をかけられた。顔を上げると、背の高いクラスの同級生がこちらを見て立っていたが、わたしは彼女が十咎さんという苗字であること以外、何も知らなかった。

「そうだけど、何?」

「いやあ、いつも一人だからさ」

 一切誰にも許可を取らないまま、十咎さんは向かいの席の椅子に腰かけた。わたしが弁当箱の中身を適当につついていると、十咎さんは椅子の背もたれに両手を置いて、逆向きに座りながら、左手中指に嵌められた指輪をきらりと光らせた。

「なんか困ってることとかあったらさ、いつでも言いなよ。これでも、お仲間なんだから」

「……困ってることなんてない」

 それだけ言って、わたしは視線を弁当箱に戻した。今のところはグリーフシードにも困っていなかったし、噂に聞くような魔法少女同士の諍いにも巻き込まれてはいなかった。だから本当に何にも困ってはいなかったのだが、目の前に座るお節介な同族は、そんな不愛想な私の態度が気に食わなかった様子で、あっそ、とぶっきらぼうに言った。

「魔法少女は助け合い、だろ。そんな態度じゃ、いざというときに大変だぞ?」

「十咎さんには関係ないでしょ、どうせ助けてくれないくせに」

「そんなことないよ、言ってくれればアタシはいつでも助けるよ」

 少し不機嫌そうにそう言う彼女はしかし、わたしとは一度も一緒に魔女退治をしたことはないし、魔法少女になりたてだったわたしが苦戦しているときも、一度だって加勢に来てくれたことはない。

「ほっといて」

「……はいはい」

 席を離れていく十咎さんの背中を眺めながら、わたしは魔法少女になった頃のことを思い出していた。

 

 それは今から一年近く前の話で、わたしは魔法少女になるのにちょうどいい年齢だったらしいことは、キュゥべえが猫のように前足で顔を搔きながら教えてくれた。

「わたしは、幸運になりたい。ツイてない惨めなわたしじゃなくて、他の誰よりも運のいい、かっこいいわたしになりたい」

 それが、私の願いだった。キュゥべえは真っ赤な瞳でわたしの目を見つめていた。

「それが君の願いだね」

 キュゥべえの長い手のような耳がわたしの胸に触れた瞬間、わたしの頭の中にはそれまでのわたしの人生が走馬灯のように流れていた。運悪く抽選に外れて、それまでの努力が全部無に帰した中学受験。小学校からの流れが多く、誰とも馴染めなかった中学校生活。テストはヤマが外れて学年でも下から数えた方が早く、席替えで苦手な相手が隣に来た。運の悪い事ばかりな人生だったから、これからは幸運で幸福な人生を送りたい。そうして……。

 気が付いた時、わたしは魔法少女になっていた。左手の中指に感触があって、そこにはいつの間にか銀色に光る指輪が嵌められていた。中心にはめ込まれた黄色い宝石が美しい輝きを放っていて、わたしはそれを夕暮れの空へと翳しては、内側から湧いてくる不思議な力をゆっくりと噛みしめていた。ぞわりと背筋に寒気が走って、わたしは思わず振り向いたが、後ろには夕暮れの街並みが広がっているだけだった。

「さあ、さっそく魔女のお出ましだね。準備はいいかい?」

 キュゥべえがひょいと肩に乗ってきたが、その身体の重みは全く感じなかった。わたしは周囲を見回したが、キュゥべえが言うところの魔女の姿はどこにも見つけられなかった。

「ソウルジェムを出してごらん」

「ソウルジェム?」

「その指輪さ」

 わたしが首をひねりながら左手をキュゥべえの方に向けると、その前足がわたしの指輪にそっと触れた。すると指輪が淡い光に包まれ、卵型になったこぶし大の宝石がふわりと手の甲に浮かんだ。

「これがソウルジェム、君の魔力の源だよ。そして、魔女を探すためのものでもある。ほら、何か感じないかい?」

「……向こう?」

「そうだよ。じゃあ、行ってみよう。大丈夫、僕がサポートする」

 キュゥべえに言われるがままに、わたしは何か気配を感じる方向へと足を向けた。しばらく街並みを歩いていくと、わたしが感じていた黒い気配がどんどんとその濃度を増していき、近づいてきているのを肌で感じる事が出来た。路地を二度曲がったところで、わたしはぴたりと足を止めた。

「ここ、かな」

「いるね。魔女の結界だ。さあ、変身してみようか」

「変身?」

「やり方は分かるはずだよ」

 わたしは怪訝な表情でキュゥべえを見つめたが、彼はそれきり何も言わなかった。わたしは卵型のまま輝くソウルジェムをじっと眺めていると、その中から流れ出てくる不思議な力の流れが自分の身体にも入り込んでいることに気付いた。その流れをソウルジェムに集めていくと、きらりと宝石が一段と強く輝いた。その光に包まれたと思った瞬間、わたしはいつの間にか見慣れない格好へと変身していた。全身を包む見たことのない服装は、縁起の良さそうな黄色の装飾で覆われていた。両手に握っていた銀と金の色をした大きな鍵のような武器はぴかぴかに輝いていて、いかにも幸が薄そうなわたしのしょぼくれた顔が綺麗に反射していた。

「うまく変身できたみたいだね。それが君の、魔女と戦う魔法少女としての姿さ」

 わたしが自分の姿をしげしげと眺めていると、キュゥべえはわたしの肩を足で叩いて、それから手のような耳で路地裏の先を示した。

「さあ、魔女との戦いだよ。気を引き締めていこう」

 それでわたしの意識も結界の方に向いて、両の手にある鍵をぎゅうと握りしめた。そこには何もないのに、確かに何かがそこにあるのだと感じていた。わたしはほとんど無意識に右手の銀色の鍵を振りかぶり、袈裟に振り下ろした。空を切ったはずのその軌跡に確かな手ごたえを感じた。空間が裂かれるように亀裂が入り、何もなかったはずのその路地裏に、奇怪な風景が突如として出現した。生物のように脈打つ起伏のある地面は暗い色をしていて、ぶんぶんと不快な羽音が充満する中に、わたしは一歩を踏み出した。薄暗いその空間はじっとりと気味の悪い空気が充満していて、わたしは無意識に流れていた冷や汗を拭った。手に握った鍵の金属的な冷たさに、少しだけ安心を覚えていた。ふと空を見上げると、そこにはいくつかの、何か虫のような、胴体の大きい妙な飛び方をしている何かがふらふらと飛び回っていて、耳に響く生理的な嫌悪感を催す羽音はそれが出しているようだった。その一つがわたしのことに気付いたらしく、徐々に高度を下げてわたしの方へと向かってきていた。近づいてくるそれはよく見るとわたしの身の丈ほどもあって、水飲み鳥のような頭部にだるま落としのような胴体がくっついた妙な形をしていて、それに不釣り合いな小さい羽根から不協和音を響かせていた。

「子守の魔女の手下だね。魔女ではないけど、彼らはいわば魔女の卵だ。放っておけば、いずれ魔女に成る」

「魔女に成ると、どうなるの?」

「人を襲うのさ。今でもそうだけどね。魔女に成れば、その被害はずっと大きくなる」

 キュゥべえが起伏のない声でそういうけれど、わたしにはそれに何の現実味も感じられなかった。その手下とやらは確かに耳障りな羽音を立てているけれど、それはわたしの事を少し観察するようにとどまった後、興味なさそうに上空へとまた飛んでいき、群れの中の一匹になった。

「それって、わたしが何とかしないといけないの?」

「君は、誰かが被害に遭っても何も感じないのかい?」

「だって、それはその人の運が悪かっただけじゃない」

 殺人事件も交通事故も、魔女に襲われるのだって、結局巻き込まれた人の運が悪いだけだ。どうして他人の不運の尻拭いをわたしがしなければならないのか、それが分からなかった。

「魔女を倒すと、わたしには何かいいことはないの?」

「あるよ。魔女を倒せば、グリーフシードが手に入る。君の魔力の源であるソウルジェムは、魔法を使う度に濁っていく。それを浄化して綺麗にするためには、グリーフシードが必要なのさ」

「でも、こいつらは魔女じゃないんでしょ?」

「……そうだね。彼らを倒してグリーフシードが手に入る確率は、限りなく低いと言わざるを得ないね」

「じゃあ、わたしには何もいいことはないんだ」

 わたしはすっかり不安をなくしていた。振り向いて、入ってきた場所に僅かにに残っていた自分の魔力の感覚を手探りで追っていくと、いつの間にかわたしは路地裏へと帰ってきていた。もう一度振り向くと、そこにあったはずの空間の裂け目はきれいに無くなっていて、今まで見ていた陰惨とした風景が嘘のようだった。

「いつか魔女を倒すのに、いい練習相手だと思ったんだけど」

「大丈夫。なんたってわたしは、運がいいんだから。きっと弱っちい魔女が出てきてくれるの」

「そうだといいね。僕は他にやることがあるから、ここでお別れだ」

 キュゥべえは短い足でてくてくと歩いて行った。わたしは変身を解くと、そのまま、大通りの人混みに紛れて家へと帰った。

 

 午後の授業もいよいよ終わりといった頃、机の中に入れておいたスマートフォンの画面が光った。友達登録数の少ないメッセージアプリの通知が届いていたので、わたしは教師の目を盗んでロックを解除した。

『今日の夜、ユキさんとはいつもの所で!』

 それに了解とだけ返信を飛ばして、わたしは長々と無駄話を続ける教師の方に向き直った。時計を見やればもう授業が終わっている時間で、それでも話をやめない中年の教師にクラスメイトは皆あきれ顔をしていた。

 メッセージを飛ばしてきたのは、わたしの数少ない魔法少女仲間の安名メルだった。仲間、というより、一方的に懐かれている、と言った方が正確かもしれない。少なくともわたしは別に彼女の事は何とも思ってはいないし、ある日を境に突然音信不通になったとしても、さほど衝撃は無いと思っている。ただ向こうから時折連絡をくれるので、一緒に魔女退治をしたり、しなかったりする程度の仲。それ以上でもそれ以下でもなくて、でもわたしにとって友人と言えるかもしれない関係の魔法少女。

 

 メルとの出会いは、まったくの偶然だった。数週間前、いつものように新西区で魔女探しをしていたわたしは、少し強めの魔女の反応を見つけ、その結界へと踏み入った。いつか見たことがあるような薄暗い結界の中には神経を逆撫でするような羽音が充満していて、わたしは思わず眉を顰めた。

「もうやだー! やっぱりアンラッキーデイに外出るんじゃなかったー!!」

 そんな叫び声が聞こえてきたのは、わたしが何体かの手下を倒して、いつの間にかできていた虫刺されを掻いている時だった。地平線の向こう側、地面の不規則な起伏の奥から、一人の魔法少女が夥しい数の手下に群れられながら、全速力でこちらに向かって走ってきていた。

「あ! ちょっと! 助けてほしいです!」

 彼女はわたしの事を見つけると、ぶんぶんと手を振りながらそう叫んできたから、わたしは思わず一歩引いた。彼女の肩には今にも振り落とされそうなキュゥべえが前足で必死にしがみついていて、わたしは大きく溜息を吐いた。

「……アンラッキーデイ?」

 わたしとその魔法少女が協力して手下をなんとか追い払った後、ぜえぜえと息を切らしていた少女は、安名メル、と名乗った。

「そうです。ボクは占いをするんですけど、今日はアンラッキーデイなんです。だから家から出たくなかったのに、十七夜さんはまた……」

 ぶつくさと文句を言うメルの話を半分に聞きながら、わたしはアンラッキーデイ、と口の中で反芻した。

「ううん、今日はラッキーデイだよ」

「……え?」

 わたしは思い立って、メルの後ろに回った。そうして手に持った銀色の鍵を、彼女の背中に軽く押し付けた。やり方は誰にも説明されていなかったけれど、それをしようと考えた時、自然に口が動いていた。

「──開け」

 少しの抵抗の後、鍵はするりとメルの背中の中に沈み込んでいった。そして、わたしは鍵を回した。

 がちゃり。確かな手応えと一緒に、メルは少しだけ呻いた。

「えっと、何を……」

 わたしはメルから鍵を引き抜いて、そうして自分の持っていた鍵をじろじろと眺めてみた。先端は切り落とされたように平らで、とてもこれが人体に入っていくようには思えなかったが、しかし自分がやったことは全く不思議には思わなかったし、そうするべきだ、と思っていた。

「これで、安名さんの今日はラッキーデイだよ」

 自然と口が動くようで、わたしは妙な気分だった。銀色の鍵が幸運で、金色の鍵が不運。魔法少女になったその時からそれは分かっていて、それを他人に使う使い方も、誰に言われなくても分かっていた。それがあまりにも気持ち悪かった。

「え、もしかして、睦月先輩はそういう魔法なんですか?」

 そう、魔法。魔法少女はそれぞれ、叶えた願いと密接に関わる魔法を持っている、らしい。わたしの魔法はいうなれば運気操作とでも表現すべきもので、自分と他人の幸運と不運をある程度操れるらしかった。鍵を差し込む前のメルはどこかどんよりした雰囲気を纏っていて、とても運がよさそうには見えなかったけれど、今のメルはどことなくしゃっきりとした風に感じられて、そういった雰囲気がきっとその人の運勢を示しているんだろうな、とわたしはぼんやりと考えていた。

「うん、まあね。……魔女、近いね」

 喋りながら歩いていたから、いつの間にか魔女の気配がはっきりと濃くなっていて、わたしとメルは身構えた。初めて二人で戦う魔女との戦闘は、とてもあっけなく、あっさりと終わった。

 

 それからというものの、メルは時折わたしと連絡を取り合っていた。どうにもその日にわたしがメルの占いをある程度捻じ曲げたらしく、そんなことができる魔法少女は睦月先輩だけです!なんて言いながら、その大きな丸っこい瞳を煌めかせるものだから、わたしはなんとも言えない気持ちになって、結局メルに振り回されるがままになってしまっていた。

 魔法。メルの占いは、それそのものが彼女の魔法であって、占われた運命からは逃れられない。わたしの魔法は運気を操るもので、わたしに()()()()人は強制的に幸運になるし、不運になる。魔法とはそういうもので、理屈ではない、奇跡なのだ。けれどそれぞれの魔法には相性みたいなものがあるらしく、わたしの魔法はメルの魔法と相性がいいらしい、とキュゥべえが言っていた。らしい、とはキュゥべえらしからぬ言い方だけれども、魔法少女が扱う魔法については、キュゥべえ自身も完全には把握していないものなんだとか。

 午後の授業もつつがなく終わり、終業のチャイムと同時にクラスは騒めきだす。わたしも教科書を鞄にしまって帰ろうかと思っていた矢先、机の上に乗せていたスマートフォンがバイブレーションでぶいんと動いた。

『夕飯食べてきて』

 それだけ。わたしは思わず溜息を吐いた。送り主は母だった。わたしの家には、父親がいない。父親は典型的なギャンブル中毒者で、よく手を付けてはいけないお金をギャンブルで使い果たし、運が悪かったのだと八つ当たりを繰り返していた。そんな父を母は見限り、唯一の子供であるわたしを連れて家を出た。母の実家はそれなりに裕福だったから、シングルマザーの家庭だけれど、何不自由なく暮らさせてもらっている。けれど離婚した時に母は精神を病んでしまってなにやら夜遊びをするようになってしまい、いまでは母は家にいないことが多くなった。そういう日は決まってわたしの分の夕飯など用意してはくれないから、渡された千円札を握りしめてその日の夕飯を食べに出かけるのだった。魔法少女になってからは、むしろ母が家にいないことの方が都合がいいと思うようになったし、夜中に出歩いても何も言われない家庭環境は不運なものでもあるが、幸運でもあった。

 中華料理万々歳は、新西区からちょっと行ったところ、住所上は水名区にあたる場所にある。少し寂れた食品サンプルの並んだケースを横目に戸を開くと、せわしなく動き回っていた少女がくるりとこちらを振り向いた。

「あ、睦月さん! いらっしゃい!」

 万々歳の看板娘、由比鶴乃さんだ。いつも満点笑顔の彼女は客からの評判も上々で、そこまで美味しいわけでもない町中華のお店にしては常連さんも多い。かくいうわたしもそのうちの一人なわけなのだが、別に味がいいからというわけではなくて安くて量が多いからであるが、一度それを由比さんに言ったところ非常に落ち込んでいたので、それ以降は味がおいしいということにしている。

 

 由比さんが魔法少女だというのを知ったのは、わたしがメルと共に万々歳へと初めて訪れた時のことだった。メルは神浜市の東側、治安の悪い方に住んでいながら、魔法少女としては西側のグループに入っている珍しい魔法少女であった。なので大東学園の制服を着たまま新西区を歩いているのはよくあることで、道行く人からの不思議な目線も、彼女にとってはもはや慣れたものらしい。そんな彼女が入っているグループの一員とのことで、わたしはメル経由で由比さんと出会った。

「あ、メル! えっと、睦月さん、だよね!」

「……はい。まあ、そうです」

 準備中の看板がかかった店内から出てきた由比さんは神浜市大附属の制服を着ていて、それで初めて同じ学校の生徒なのだとわかった。それが分かったうえで思い返してみると、お節介な十咎さんやいくつか上の学年の綺麗な女生徒といっしょになにやら騒いでいるグループのうちの一人だったな、と気付いた。そうしてその中にメルを入れてみると、これが非常にしっくりくる組み合わせだったので、面倒なところに目を付けられたのだと、その時に初めて気付いたものだった。

「聞いたよー、メルの占いを変えたんだってね! さては睦月さん、すごい魔法少女だね!」

 そんなことないです、とわたしがどれだけ否定しても、由比さんはわたしの周りをぐるぐると回りながら煽てるのをやめないので、わたしは既に帰りたくなっていた。メルと由比さんが何かしらを話していたが、もう他人の会話すら聞く気も起きず、今日の夜も帰ってこないであろう母親のせいで夕飯を用意しなくてはならない現実に思いを馳せていた。

「じゃあさ、睦月さんがわたしに、その……ガチャってやったら、どかーんってなるかもってこと!?」

「どかーんって……。もしかしたら、由比先輩の幸運も上書きできちゃうかもしれないんですよ」

 メルはそう言ってこっちを見た。上目遣いになるその角度は、わたしには少し刺激が強い。

「まあ、そう、かも?」

「えー! すごい! じゃあさ、試しにわたしを、ガチャってやってみて!」

「……え?」

「わたしはさいきょーだからね! 不運なんて吹っ飛ばしちゃうから、大丈夫!」

 さあさあ、と背中を押されて、わたしは仕方なく開店前の万々歳の中へと入った。客のいない店内はがらんとしていて、わたしたち三人以外は誰もいなかった。魔法少女二人のわくわくを隠そうともしない目線に、わたしは渋々ソウルジェムを翳した。光に包まれて、変身する。両の手に現れた金銀の鍵をしっかりと握ると、二人の瞳はより一層輝いた。

「さあ! さあ!」

 くるりと後ろを向いた由比さんに、わたしは銀色の鍵を差し込もうとして、やめた。反対側に持った金色の鍵を見た。それは悪趣味なほどに煌めいていて、握った手のひらからは妙な気持ち悪さを感じた。わたしは好奇心に勝てないまま、それを由比さんの背中にあてがう。

「──開け」

 やはりあの時と同じように、鍵は少しの抵抗ののちにするりと体内に入っていった。その接続面を、メルは興味深そうに眺めていた。わたしは鍵を捻る。がちゃり、と何かが開いたのを、わたしは手応えで感じた。

「……あれ、なんにも起きないね」

 それから十分少々、わたしたちは万々歳の中で立ち尽くしていた。けれど特に何かが起こるわけでもなく、すっかり飽きてしまったメルと由比さんは勝手に客席を下ろして座った。

「うーん、不幸と言っても、どう不幸になるかは分からないですからね……」

「何か行動を起こさないと不幸になりようがないのはあるかもねー……、そうだ!」

 由比さんは立ち上がって、厨房の方へと歩いていく。

「魔女を倒しにいけば、何かが起こるは──」

 ずてん、と派手な音がした。わたしとメルが急いでカウンター越しに由比さんを探すと、彼女は厨房へと入る暖簾の下で、漫画のようにひっくりかえっていた。

「いたーい!!」

「ああ、これは不運ですね……」

 メルが足元から布巾を拾い上げてわたしに見せたから、由比さんは床に落ちていた布巾を踏んでこけたのだとわかった。

「……不運、しょぼくない?」

 それからわたしが万々歳から帰るまでに起きた一連の不幸については、由比さんの尊厳を守るために胸の中にしまっておこうと思う。

 

 お腹一杯になるまで食べても千円でおつりが帰ってくる万々歳は庶民の味方である。今日は夜まで店の手伝いをするのだと言っていた由比さんに見送られて、わたしは万々歳を後にした。外はすっかり日が落ちて真っ暗になっていたけれど、メルとの待ち合わせの時間まではまだ少し余裕があった。とはいえ特にやることもなかったので、わたしは腹ごなしにゆっくりと目的地に向かって歩き始めた。深夜へと向かう時間の商店街は活気にあふれていて、わたしは人混みが苦手だったから早々に路地に抜けた。新西区の方に向かって歩いていると、今日はやけに交通量が多いな、と思った。細い裏路地にも銀色の車両がひっきりなしに通っていき、それを避ける度に、わたしの中にはなんとなく嫌な予感が膨れていった。

「やあ、ユキ。今日はどこに行っていたんだい?」

「万々歳。……ねえ、キュゥべえ」

「なんだい?」

「今日って、仏滅だっけ」

 キュゥべえは少し考えて、

「それは六曜の話かい?それでいくと、今日はちょうど仏滅にあたるね」

「やっぱり」

 魔法少女になってからというものの、どうにもこの世界には運気の流れのようなものがあるのだと感じられるのだ。それは六曜だったり、風水だったり、よく分からないオカルトだったりするのだが、人間がこうと定めたもののはずなのに、幸や不幸がその通りに動いているように感じられるのは、わたしにはとても不思議だった。

「君はそういうところで運の良さを考えているようだけれど、僕にはよく分からないんだよね。運の良さ、という抽象的な概念を観測することはできないから、君が()()()()()()()っていう言葉の意味も、僕にはわからない」

「そっか。わからなくていいよ」

 わからなくていい、というか、他人に分かるように説明できない、というのが本当のところだ。わたし自身でも運気の流れというものは感覚的にしかわからないから、それを他人に、特に理屈っぽいキュゥべえに分かるように説明するのは無理難題だし、したところで何かを得られるわけでもないから、わたしは自分の中で納得がいけばそれでいいという風にしている。

 ぐるぐると考えながら歩いていると、いつの間にか待ち合わせ場所の公園についていた。新西区の一角にある小さな公園は、わたしがメルと出会った結界のあった場所で、あれ以来わたしたちはそこで待ち合わせをするようにしていた。錆びた車止めの上に腰掛けて、わたしはスマートフォンを開く。ゆっくりと歩いてきたからか、いまが待ち合わせの時間にぴったりだった。けれど周りを見回しても、メルの騒がしい姿はどこにもなかったから、遅刻かな、とわたしは大きく伸びをした。

 

 ふと気が付いて、はっとして顔を上げると、わたしは誰もいない公園の中で、うとうととうたた寝をしてしまっていたようだった。スマートフォンのディスプレイを見るとメルとの集合時間はとっくに過ぎ去っていて、けれどわたしの他にこの公園に誰か来たような形跡も記憶もなかったから、わたしは連絡アプリを開いた。一時間前に送った確認のメッセージには、既読すらついていなかった。

「起きたみたいだね、ユキ。こんなところでうたた寝なんて、君は呑気だね」

 キュゥべえがいた。小さなブランコの上に座って、こちらをゆらゆらと眺めていた。

「ねえキュゥべえ、メル知らない?」

「安名メルのことかい?彼女はここには来ていないね。今日はチームで魔女を倒すって話だったけれど、君とも約束していたのかい?」

「うん……まあ、いいや」

 車止めからひょいと下りて、わたしは帰り道に向かって歩き出した。キュゥべえもひらりと肩に乗ってきたけれど、羽根でも乗っているかのようだった。

 

 ふと、足を止めた。目の前から、いつか見たことのある少女が、よろよろと歩いてきていた。彼女は目の前にいるわたしに気付いていないまま、ふらふらと前に進んできて、そしてわたしと肩がぶつかった。

「おっとっと……十咎さん?」

「ん……睦月さんか。こんなところで何してるんだ?」

 明らかに憔悴している十咎さんは学校で見たような活力はどこへやら、すっかりしょぼくれていて、周りに纏う空気も淀んでいるようだった。

「やあ、ももこ。どうしたんだい? 元気がないようだけど」

 キュゥべえがそうやって声をかけた瞬間、十咎さんはものすごい表情になって、私の肩に座っていたキュゥべえをひったくった。

「キュゥべえ……お前、騙してたんだな」

「騙す? なんのことだか分からないな」

「とぼけんな! ……メルが、ああなったのは、何なんだ!」

「あれが君たちの運命さ。君たちが魔法少女になった時から、ああなるのは決まっていたのさ」

「そんなこと、一言だって!」

「聞かれなかったからさ」

「……ちょっと待って。メルに何かあったの?」

 まったく話についていけないわたしがそう問うと、十咎さんは苦虫を噛み潰したような顔をして、わたしの方を見て、深呼吸をした。

「……メルが、魔女に成った」

「……は?」

 言葉の意味が理解できなかった。

「メルが、魔女に、成った?」

 反芻してみても、やはりその意味を認識することはできなかった。いや、頭が認識を拒んでいた。メルが、魔女に、成った?

「ああ……。ありゃどういうことだ、何で魔女に成ったんだ!」

「君たちのことを、僕は魔法少女と呼ぶじゃないか。やがて魔女になる者。ぴったりな名前だね」

「……ふざけんな!」

 十咎さんが思いっきり、キュゥべえを地面に叩きつける。それは生っぽい音を立ててアスファルトに衝突し、頭が半分ほど潰れてしまった。

「はあ、はあ……」

「メルが、魔女にって、なに?」

 わたしは自分の声が震えているのに気付いた。十咎さんはわたしの方を見ると、両手でわたしの肩をがしりと掴んだから、それでわたしはびくりと跳ねた。

「いいか、落ち着いて聞いてくれ。メルはな、魔女に成ったんだ。アタシたちの目の前で、魔女に」

「そんな、ことが……」

 嘘と否定するのは簡単だった。けれど目の前に立つ十咎さんの鬼気迫る表情と、情けなく震えている声と手と、潰れて動かなくなってしまったキュゥべえの姿とが、これが本当の話なのだとわたしに訴えかけていたから、わたしは、その言葉の意味を、ようやく、理解した。

「魔法少女って……魔女に、成るの?」

「そうさ。君たちのソウルジェムが濁り切った時、魔法少女は魔女に成る」

 どこからともなく、キュゥべえが現れる。二体目のそいつは地面に打ち捨てられていたキュゥべえの残骸に近づくと、あろうことかそれを食べ始める。

「きゅっぷい。あまり僕を壊さないでほしいな。勿体無いからね」

 いつもと変わらない平坦な声に、わたしは言い知れぬ恐怖を抱いてしまった。

「え、あ、」

「クソ、どんだけいるんだよコイツは……」

 目の前がぐるぐる回っていた。白い尻尾がゆらゆら揺れていた。十咎さんのポニーテールも風に揺れて靡いていた。何事かを口にした。キュゥべえがそれに答えた。ひどい耳鳴りがした。何も考えられなくなってきた。なんとか平静を取り戻そうとして、わたしは正面を見た。

 赤い眼がわたしを見ていた。

「いやぁぁぁ!!!」

 自分でも制御できない絶叫が、わたしの中を駆け巡った。魔法少女。魔女。ソウルジェム。グリーフシード。キュゥべえ。ぐるぐると思考が回った。ぐらりと視界が傾いて、一気に目線が下がった。転んだんだとわかった。

「睦月さん! 落ち着いて!」

 上から覆い被さるように何かが来て、わたしはそれを跳ね除けようとしたけれど、それは何度もわたしを押さえつけてきたから、わたしはついに抵抗できなくなって、冷たい路面に横たわった。上から荒い息が聞こえてきて、それで少しだけ冷静になったわたしは、自分を見下ろす赤い瞳とも見つめ合う事ができた。

「魔法少女が、魔女に成るって、それって、そんなことって、じゃあ、わたしは、わたしも、魔女に成るって、そういうことでしょ?」

「そうだね。ユキもいずれは魔女に成る。それは君が魔法少女になったその時から決まっていたことなんだよ」

 キュゥべえの静かな声が、それが確かな事なんだと説得力を持って訴えてきていた。

「そっか、そうなんだ……。最初っからか……。あはは、そうなんだ」

 頬を、冷たいものが流れた。その寂しさがどんどんと心を犯していくのを、わたしは泣きながら感じていた。

「わたし、なんて、運の悪い……」

 

 魔法少女になったことは、わたしの人生の中で一番の不幸だったことに、わたしは最後に気付いたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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