(5章以降、特に9章以降のネタバレの内容を含みます)
【ウルサスの大地を進む新生レユニオンたちとそれぞれの過去】
ウルサスのとある渓谷を徒歩で移動中の新生レユニオン一行
迷彩狙撃兵の提案で遊撃隊とスノーデビルたちの隠し拠点で野営することになった
指揮を執るguardは迷彩狙撃兵が何か隠し事をしているのを警戒する
捕虜として同行している【彼女】は迷彩狙撃兵の考えに感づき……
酒は飲んでも飲まれるな!
未成年の飲酒喫煙ダメ絶対!
迷彩狙撃兵はまだまだ戦闘経験のない新人で、後に彼らの隊長となる無口な少年もまた、まだ幼い見習いだった。
ブリザードで身動きが取れなくなったレユニオン一行は遊撃隊とスノーデビルの隠し拠点で嵐を凌ぐことにした。
象のような巨大な熟練の兵士と新米の兵士は立場の垣根を越えてわずかばかりの息抜きに興じていた。
そんなときに、無口な少年が盾兵のそばに近づいてきた。
『ん、どうした。ボウズも飲みたいのか?』
『いや、別に』
『はっはっはっ! 相変わらず無口なボウズだ! だが、まぁお前さんにはこいつはまだまだ早い。もう少し大人になったら楽しみ方を教えてやる』
『なんだ、新兵訓練には飽き足らず、こんなところでも虐めてるのか?』
『おぉ、エレーナか。いやいや、このボウズが俺の火酒をじっと見つめてたからな。まだ早いって話をしてたんだよ』
『ほう、お前にも子供にそいつを飲ませないという分別はあったのか』
『はっはっはっ! 俺の酒を子供が飲んだのなんざ、あとにも先にも俺の水筒を舐めて眼を回したお前だけさ! おかげで俺が大尉に大目玉喰らうハメになったがな! ガッハッハッハッ!』
『昔の話を……』
『立ち話もなんだ。お前も飲むか?』
『結構だ。それよりもそっちの新兵の方が物欲しそうにしているぞ--』
凍原の表面を冷たい風がなぞっていく。
南の地ではとうに緑が芽吹く時期だ。しかし、ウルサスの大地は世界の時流という本流から切り離されてしまった溜め池のようにいつまでも変わることなく静かに、そして、淀んでいる。
「ここは……」
褐色の岩肌に凍った雪化粧が残る渓谷を移動中に1人の迷彩狙撃兵が足を止めた。
「ん? どうしたんだ?」
guardにとってこの何もかもが凍り付いた土地の大半は未知の社会だ。道案内をできるのは、あの厄災の龍か、あるいは彼女がかつて従え、凍原での活動経験のあるレユニオンのメンバーたちだけだった。
「……なぁ、まだ日没までは時間はある。だが、このペースで移動するとこの渓谷のど真ん中で野宿することになる」
迷彩狙撃兵は慎重に言葉を選んでいるようだった。
落ち着きのない彼の仕草からguardが読み取ることが出来たのは、彼が後ろ暗い何か、あるいは到底公には口にしてはならない至極個人的な事情を隠している、ということだけだった。
「……」
見知らぬ土地、見知らぬ場所。こんなところで彼が新生レユニオンを裏切り、罠に嵌めたら自分たちはどうなるだろうか。
かつてチェルノボーグで見たあの怪物のようなドクターやケルシーには到底及ばないまでも、凡人なりに全力で思考を巡らせていく。
(この男が裏切る可能性はあるか?)
あり得ないことはない。なぜなら、何らかの事情で他者を陥れざるを得ない状況とは善人にも悪人にも人しか訪れるものだ。しかし、彼が裏切る状況もまた同様にそこまで追い詰められているときに限られるだろう。
わずかばかりの対価のために自分たちを裏切る可能性もないことはない。
しかし、その程度で降りかかってくる災厄では、災厄を体現したあの龍女を飲み込むことは出来ないだろう。
その先の結末は文字通り火を見るより明らかだ。
それに、彼がそこまで浅はかな人間ではないことはここまでの活動である程度理解できている。
「わかった。この近くに野営できる場所があるのか?」
「あぁ、話が早くて助かる。実はこの渓谷は少し先に谷底に下る坂がある。そこに遊撃隊とスノーデビルたちの隠し拠点があるんだ。かつて彼らと行軍していたときに雪で身動きが取れなくなったときに利用した。運が良ければ資材の補給も出来るかもしれない。タ……あの女に確認を取れば詳細な通り道も知っているはずだ」
「そうか。なら、君を信用する。目的地までどれくらいかかる?」
「そう遠くない。日没前には野営の設営も間に合う」
「わかった。そうしよう。案内を頼む」
「任せておけ」
迷彩狙撃兵は周囲をよく観察しながら隊列の先頭を歩んでいく。
後を追うものたちには彼の背中にどこかに期待と焦燥の様子があるのを見て取ることが出来た。
「……」
「おい、早く歩け」
「あぁ……」
両手を拘束された黒いドレスの女は見覚えのある崖と、前方で浮き足立ったカーキ色の外套を何度か見遣って一度止めた足を再び歩み出した。
「着いたぞ」
まだ日没には時間があるが、谷底にはほとんど日が差しておらず、どこもかしこも凍てついていた。
「こんなところで野営したら、凍死しかねないんじゃないか?」
もしもこれが罠だとしたらあまりにも回りくどいと言わざるを得ない。そんな環境にguardは呆れて迷彩狙撃兵の方をじっと見つめた。
「ははは、ここじゃ無理だな。だが、よく見てみろよ」
迷彩狙撃兵は軽い口調で氷に覆われた岩肌を示した。
「? これは、扉?」
「あぁ。ここは日が当たらないから一年中氷が溶けない。さらにフロストノヴァとスノーデビルが源石結晶で結界を張ったおかげで、辺り一面氷の結界に包まれている。そんな場所に好き好んで近づこうなんて物好きはいない。でもって」
「ここに洞窟を掘って隠し拠点を用意し、偽装扉で封じた、と」
「さすが、察しが良い。遊撃隊には悪いが、一晩だけ間借りさせて貰おう」
迷彩狙撃兵は軽く両手を広げて得意気に口にした。
一方で、浮き足立っている彼の様子を注意深く観察していたguardが扉を指で軽くなぞりながら慎重に口を開いた。
「そうだな。それで、どうしてここを選んだんだ?」
厚手の手袋の指先に真っ白な霜が溜まっている。
「どうしてって、そりゃ、安全に休める場所を求めてきただけだよ」
ザラザラとした霜が地面に零れ落ちていく。
guardは慎重に壁に触れ、辺りを注意深く観察しながら口を開いた。
「他にも何か理由があったように見えたが?」
「あ、あぁ、はは……バレてたか……」
そう言って迷彩狙撃兵は自分の鞄に手を伸ばした
「実はな……」
guardが壁の確認を止めてゆっくりと振り向き、それまでの浮き足だった様子から打って変わって力なくうな垂れたカーキ色の外套と向き合った。
「こいつを」
迷彩狙撃兵が背後の鞄から静かに腕を引き抜く。
「見せたかったんだよ」
悲哀の混じった声がマスクを通して冷え切った空気を揺らした。
そのとき
「おい」
黒いドレスの女が一歩前に踏み出した。
「あ、おい!待て」
唐突な話の流れについていけず、反応の遅れたレユニオン兵が女の肩を掴む。
しかし、頑強で無骨な男の指は線の細い女の身体をわずかも揺らすことはできなかった。
そして、細い唇を小さく開き、重く冷たい声でぽつりと呟いた。
「そこじゃない」
「……なんだ?」
成り行きを見守っていたguardが凍土よりも重苦しい雰囲気を放つ二人を交互に見遣った。
沈黙は長く続くことはなく、先に静寂を破ったのはドラコの方だった。
両手を持ち上げ、右手の指でguardの背後の扉を指し示しながら、いつも通りの無感情で重い声を発していく。
「隠し拠点はその扉の向こうだ。だが、お前が求めているものは、そこにはない」
「……」
迷彩狙撃兵はドラコの方に眼を向けることはなく、黙って鞄から取り出したものを強く握りしめていた。
男のことなど気にする素振りも見せず、ドラコは青白く細い指を地面と平行に滑らせ、やがて迷彩狙撃兵を指し示した。
「……」
迷彩狙撃兵が拳を固く結び顔を挙げようとしたそのとき、
「そっちの壁を調べろ。そこにもう一つの扉がある」
その場にいた全員の視線が迷彩狙撃兵の背後に集まった。
「……そうか。だが、礼は言わないぞ」
「構わない」
「……」
guardは二人のやりとりが収まるのをただ黙って見つめていた。
彼に分かるのは旧レユニオン時代に何かがあったこと。そして、二人が語るその件について、今の自分には知る余地はないということだけだった。
『--えっ! 俺はそんな、いや、滅相もないですよ、そんな、そんな、へへ、そんなそんなご相伴に預かろうなんて……』
『全く、それは手を伸ばしながら言うことか?』
『タルラか。お前も酒盛りに参加とは珍しいな』
『そうしたいのは山々だがね。貴方たちにとっての大尉殿と同じで、私がいると彼らの気が休まらないだろう。それよりも私は今後の行軍計画について話がしたいんだ。エレーナ』
『なんだ、私の方が気が休まらないな』
『そういうな。私の秘蔵の酒を用意してあるんだ--』
三重の扉のおかげで通気口のすぐ傍を除いて、洞窟の中は比較的暖かかった。
「隊員の収容を完了。物資の方はどうする?」
扉の内側からペッローの男が現れ、入り口に立っていたguardに声を掛けた。
「遊撃隊のものだ。次の補給地点までに必要な最低限の不足だけに済ませろ」
男の方へはほとんど見向きもせず、guardは渓谷の対岸を黙って見つめていた。
「わかった。……なぁ、guard。あの迷彩狙撃兵と【※龍門スラング※】女は放っておいていいのか?」
わずかに開いたもう一つの扉に入ったのは、この場所を訪れたことのある二人だけだった。
「構わない。誰にでも何かしら背負っているものは必ずある」
『--ねぇ、お酒っておいしいの?』
『ん? あぁ、まぁ、そうだな。歳取ったらわかるさ』
『ふーん』
『ま、お前さんが酒の味が分かるようなるまでは俺たちがしっかり守ってやるからよ! 頑張ってアーツの練習するんだな!』
『なに偉そうにしてるんだ。お前が一番練習が必要なんだろうが』
『まぁまぁ、酒の席でそう厳しいこと言わんでくださいよ。俺だって頑張ってるんですから』
『調子ばっかり良い奴だな。まぁ、俺も昔はそうやって大尉に扱かれた口だがな! はっはっはっ!』
『はっはっはっ!』
『……』
「--ファウスト、お前も知っての通り、ウルサス人はな。火酒を小瓶や水筒に入れて飲むんだ。寒いから身体を酒でかーっと温めるためにな」
静かな洞窟の入り口で迷彩兵は座り込んでいた。
「爺さんから聞いた話だけどな。極東ではさ、こういう酒を氷で冷ますんだってよ。向こうはこっちよりも気温が高いから、ぬるいもんはわざわざ冷たくするんだってさ。信じらんねぇよな」
剥き出しの岩壁には一本のクロスボウの矢が立てかけてあり、その前にはいくつかのグラスが並べられている。
「でもな、俺も龍門から逃げたあとでよ、たまたま極東のよさそうなウィスキーを手に入れたんだ。だから、氷のアーツ使いにその話をしてな、頼んで冷やして貰ったんだよ。そしたらさ、思ったより上手かったんだよ、これが」
水垢で汚れ、形も大きさも色さえもバラバラのグラスには白く濁った荒削りの氷が詰められている。
「ここじゃ、寒いからわざわざ冷やす必要ねぇし、こいつもウルサスの火酒じゃない。……お前の大好きだった女の残したヴィクトリアのウィスキーだがな」
シャリシャリと微かな音を立ててアルミのキャップを開けていく。
「ただ、ここにゃ、フロストノヴァと、それと、スノーデビルが張った氷もある」
トクトクと弾む音ともにグラスが一つ一つ琥珀色の液体で満たされて、
「だからよ、まぁ、なんだ、これは俺とあいつと、スノーデビルの連中と、……まぁあの女からの、プレゼントだよ」
カラン、カランとグラスの中で氷の崩れる硬く爽やかな音が鳴る。
「さぁ、飲め、……これが酒の味だよ。どうだ、……うめぇか?」
グラスの一つを持ち上げるとぐいっと一気に飲み干した。
「……なぁ、どうなんだ、教えてくれよ……チクショウ、なぁ、おかしいよな、こんだけで……酔っちまったのかな、クソッ……なんでだろうな、涙が出てきやがる……なぁ、俺にはさ、なんでかな、こいつがうめぇのか、それともマズいのか、わからなくなっちまったよ……。なぁ、だから、俺にさぁ、教えてくれよ……。頼むよ、馬鹿な俺によ、教えてくれよ……応えてくれよ……チクショウ……」
『これが秘蔵の酒?』
『あぁ、たまたま手に入ったヴィクトリアのウイスキーだ。年代ものではないが、ここの酒は味の深みがあって樽の香りがよく立つんだ』
『そうか。私は酒の味はよくわからんし、身体が暖まれば何でも良い』
『連れないことを言うなよ。歌を歌うように五感を楽しむことはときに人間として必要なことだろう?』
『……そうだな。だが、わからんものはわからん』
『なら、いずれ落ち着いてこいつを酌み交わすときが来たら、そのときはこの酒の素晴らしさを骨身に染みるまで語ってみせるとしよう』
『なら、私は火酒で迎え撃ってみせる』
『ははは、それは、うん、楽しみだな』
手錠に繋がれた細い手を埃とカビに塗れた木箱の中に伸ばし、瓶を一つ取り出した。ヴィクトリア式の美しい城と朗らかな農地の風景が描かれたラベルはほとんどが腐り剥がれ落ちていた。
「……」
入り口の方で啜り泣く男の声は洞窟内を反響し、最奥に佇むタルラの身体を包んでいく。
『で、飲めもしない火酒を大量に仕入れたと』
『はい、いや、しかし聞いてくれアリーナ』
『なんでしょう? 聞きますよ。教師ですから』
『ほら、遊撃隊やスノーデビルたちとは有益な関係を保っていたいじゃないか。そのためにはある程度の遊興の備えがあった方がいいと今回の行軍で学んだんだよ。だから、今回の件は勝手に決めて本当にごめんなさい、この通りだから機嫌を直してくれ、な、頼む、この通りだから。私が悪かった。これからはちゃんと相談するし、君のことは誰よりも頼りにしてるから頼むそんなに怒らないでくれよ』
『(タルラも大変なんだな……)』
『(離反しよ……)』