雨中紀行〜sleepless rainy days   作:お茶会おじさん

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 雨は止み、霧は晴れ、彼らは日常に戻りつつあった。

 幾らかの"非"を含んだ日常に。


18.雨上がりの栞

 

 遠くで誰かの声がする。最初は濁った水の中の泡みたいで、意味も形もなかった。まぶたの裏がうっすら明るい。まるで太陽が、布団越しにこっそり覗いてきたようだ。

 

 あと五分だけだ。あと五分だけ寝かせてくれ……。

 

「⋯⋯ろ。⋯お⋯⋯⋯よ。⋯⋯て。⋯⋯起きろってば!」

 

 もう一度、声。今度は少しはっきりしている。あまりのしつこさに舌打ちしそうになるのをこらえる。

 

 そして衝撃。いきなり殴られたようだ。この時点で体は目を覚ます。

 

「起きて!」

 

 肩を揺さぶられる。

 意識が、眠りの底からゆっくりと浮かび上がっていく。

 重たいまぶたが、少しだけ持ち上がった。

 

「⋯⋯? なんだよ……? もう少しだけ寝かせてくれよ……。」

 

「いい加減にしろ! 起きろって言っているんだ!」

 

 世界が輪郭を取り戻しはじめていた。

 

 目を瞑りながら頭を上げる。瞼を開けようとするが、まるでホッチキスで止められたみたいに激痛が走る。それでもなんとか開けようと、手の甲でこすりながらほぐしていく。

 

 たっぷりと時間をかけて開いた目には、手を腰に当てたマイが映っていた。

 

「はぁ。死んでいるのかと思ったよ。早く起きてよね。」

 

「ん、ああ。ごめんごめん。」

 

 あたりを見回したところ、霧は既に晴れていて雨が降ったあとの森特有の匂いがしていた。それ以上特に何の異変も見当たらず、少しホッとする。

 

 まだ頭は完全には覚めきっておらず、何度か目をパチパチとまばたきさせながらぼーっとしていた。そんな様子を見てマイは、

 

「あのさ~、そろそろボクも家に帰らないといけない時間だからさ、しっかり自分で立ってくれるかな。もう五時半を回ってるんだよ?」

 

 もうそんなに経っていたのか。寝る前は確か、三時半くらいだったはずだが⋯⋯。

 

 そこでなにか忘れていることに気づく。頭のロッカーを走り回ってみるが、十秒と経たないうちに走り疲れてしまった。

 

「ま、そんなに大事なことじゃないだろ。」

 

 思い出せないもの、分からないものは、取り敢えず後回しにして誰かに聞くのが一番だ。そう思い直す。

 

「何が大事じゃないの?」

 

「なんでもないよ。それより、マイ。お前の仕事とやらは終わったのか? 正直、今はなんも考えたくないから手短に。」

 

 マイはその小さな頬を膨らませて晶を睨む。

 

「自分勝手な理由だな〜。はいはい、もうお仕事は終わったよ。あとは、だいろさまに報告するだけだよ。ついでに君を家まで送り届けることかな?」

 

「別に良いよ、一人で帰れる。それにお前が家まで来たら雫がずっと引き留めるだろ? お前だって自分の家があるだろうし、それは申し訳ない。」

 

「実は引き留められて夕食を一緒にもらうまでがセットだったりして。」

 

「案外考えてるんだな⋯⋯。打算的な奴だ。まぁ俺はそれでも構わないけど、もう行くか?」

 

「うん、そうしよう。」

 

 マイは水筒を肩からかけ、俺は傘を取る。何度か振り返って森を見るが、やっぱりおかしなところはない。自分でも何に意識を向けているのか分からないが、深呼吸をして心を落ち着かせる。そうそう、今は覚えていないんだから、思い出せるときに思い出せば良い。そういうものだ。

 

 

 ヨモヤマを抜けてアジサイ園を通り、住宅街に囲まれた道路を通る。晶からすれば特に何の思い入れもない道なのだけれど、マイにとっては感慨深いものがあったらしい。時折古びた一軒家を見ては、

 

「昔はここに田中さんが住んでいてお菓子をくれた。」

 

 という普通の内容だとか、ブロック塀が四層置かれている壁を見て、

 

「ここに壁が四つも連なっているのは、もともとここに金貸し業の金箔さんが住んでいて、そこの屋敷を取り壊す際に兄弟で分けたところ、壁一枚で遮るのは嫌だ、と喧嘩が起きてお互いに壁二枚を置いた。」

 

 だとか、まっさらな畑を見ては、

 

「ここには昔、ボクと同じような仕事をしているカエルの神社があったんだけど、カエルが常に神社にいるもんだから気持ち悪がって人が来なくなったんだよね。それで老朽化でバタンさ。」

 

 などなど、お前は謎知識が豊富なおばあちゃんかと言いたくなるようなことばかり言って、そういう場所で何度も立ち止まるもんだから、家に帰ってきたのは一時間後の六時半だった。

 

 既に疲れ切った足を家の中に入れたときは、思わず心のなかで叫んでしまったほどだった。

 

 そのままベッドに沈み込むように疲れて、玄関で寝転がっていると、姉の照華がやってきて足で晶を踏みつけた。

 

「おかえり。今日は珍しく遅かったね。遠くまで行ってたの?」

 

「ただいま。そんなに遠くじゃないよ。すぐそこの山まで。思ったより疲れたよ。ところで、足をのけてもらっても?」

 

「どこで油売ってたの? 出かけるときはスマホすら置いていったと思うんだけど。」

 

「いや足。足をのけてくれ。」

 

「分かった分かった。雫〜、地下室からのこぎり持って来て〜?」

 

「物理的に!? けっこうです、そのまま踏んでいてください。」

 

「我が弟の変態性が結果的に増してきていて、お姉ちゃんは恥ずかしいよ。」

 

「そうさせているのはあなたなんですけどね?」

 

「⋯⋯⋯⋯。」

 

 The・無言。沈黙は金なり、と言わんばかりの態度には思わずガクッとうなだれてしまう。にしても家に帰って早々何をしているのか⋯⋯。

 

 気を取り直して。

 

 姉の足をガシッと掴んで離れさせたあと、目にも止まらぬ速度で靴を脱いぎ、一気に部屋まで上がる。部屋に入り、鍵を閉めてからタイマーストップ。玄関からここまでわずか9.3秒、十秒を切っている。ははは。過去四番目に速いな。ちなみに過去一はお風呂場にゴキブリが家族連れで出たとき。6.5秒だったと記録している。

 

 自己ベストにはまだ遠いが十分な速さだ。そんな益体もないことを考えながらベッドに飛び込み、一人で叫びながらベッドの布団に包まる。

 

「ああ〜! この背徳感〜! たまんねぇぜ!」

 

 外出たあとにそのまま布団に包まることを汚いと思っていた時期が俺にもあったが、今ではむしろこっちのほうが楽しい。人間ってこうやって退化( 成長)していくんだなぁ。

 

「そうね。寝る前というのは、最も人が頭をリラックスさせようとしている状態だもの。進化するかも知れないね。」

 

「謎の切り込み方だな。もう少し普通の意見とかあるだろ。」

 

「生憎とこういった知識しか無いのよ。残念ながら。」

 

 体の上にまたがっているシアを半目で見ながら俺は布団を引き寄せる。ふ・と・ん、ふ・と・ん、と脳内合唱団が歌い出す。やっぱりあれっすよね、どんな時期でも布団っていうのは欲しくなるっすよね。蒸し暑かったら耐えられないけど、夏前の今くらいの気温なら最高だぜ。

 

 そのままスマホを取り出して動画を見始める。

 

「えーっと、そろそろ冷やし土煙さんの動画が出てるはず⋯⋯。」

 

 個人的にハマっているうp主の新着動画をラジオのように聴いていると、いつの間にか二時間経っていた。

 

 横に目をやるとシアが布団に潜り込んでじーっと俺の顔を見つめていた。こいつは何がしたいのか。それにしてもいつの間に家に入ってきたのか。

 

「ん⋯⋯? 家の中? シア?」

 

「どうしたのアキラ? 呼んだ?」

 

 今更だ。本当に今更だが、やっぱり言わせて欲しい。これはどうしても我慢できないものなのだ。例えば目の前にめくれそうなスカートがあったらめくりたくなるのと同じで。どうしても抑えられないことなのだ。

 

「なんでてめぇがここに居るんだよぉっ!」

 

 本当にすまない。どうしても言いたかったのだ。

 

 

 そこからのことは良く覚えていない。シアと押し問答を繰り返しているうちに、親父が夜ご飯を伝えに来たところから、脳内レコーダーがやっと再開したような気がする。親父は何も言わずうなずいて、すり足で部屋を離れたあと、ゴムを持って戻ってきて笑顔で渡してきた。

 

 お辞儀をしながら両手で受け取るシアを視界の端にとらえつつ、急いで部屋を飛び出し、夜ご飯のトマトスープに目もくれず玄関に駆け込む。目指すは徒歩十分のゲーセン。走れば三分くらいで着くだろうか。

 

 そんな概算をしながらスニーカーに足を突っ込む。ほんの少し、よよよとこけかけた後、勢いそのままに加速。店まで、ただ、ひたすらに、足を動かした。

 

 息を切らしながらたどり着いた安楽の地で一人、ガランとした店の中。何も考えずに画面上の自機を操る。しばらくして、ゲームオーバーの文字。ため息を吐きつつもポケットから百円玉を取り出して、縦穴に突っ込む。軽快な音が鳴ると同時に、再び我が戦闘機と共にフルパワーで駆け抜ける。

 

 力強く飛翔した戦闘機は、ボスたちから執拗な集中砲火を受け、再び地に落ちた。再び百円玉を取り出そうとするが、手が滑って台の下に転がっていってしまう。手を伸ばしていると閉店を告げる曲が流れ始め、壁際から機体の電気が切れていくのが見えた。

 

 急いで手を動かし、少しばかりの格闘の末、ようやく百円玉を取り出す。そして顔を上げると、目の前には黒い画面に不貞腐れたような、悲しんでいるような、何とも言えない顔が映っていた。肩を落として、ぽかーんと口を開ける。

 

 天井を見上げてふと思わず、

 

「……人生って上手くいかねぇもんなんだな……。知ってたけど。」

 

 と、そんな当たり前の現実がぽつりと漏れた。

 

 

 

   ◆◆◆

 

 

 さて、ここからは晶の妹君である雫について語っていこう。今回の紀行文は、彼と彼女が主役だったから彼らについて話さないまま終わるというのは良くないだろう?

 

 じゃあ、始めるね。

 

 ハローワールド。

 

 阿波雫は図書館から帰ったあと、借りた本を棚に積み上げる。棚には様々な分野の本が並んでおり、専門書からラノベまで多種多様なものが乱雑に置かれていた。

 

 雫の趣味は幅が広い。メカニックはもちろん、楽器や植物の栽培、スポーツまであらかた経験がある。これら全てを関連付けさせて、応用をするのが好きなのだ。

 

 ただ、あまりにも関連させすぎて、はたから見ればどことどこが繋がっているのか全く分からない。それは家族の全員から見てもそうだった。おまけに雫の部屋は女の子の部屋とは思えない程に、油と汚れがひどい布や大小様々な歯車にまみれており、本人以外は入ろうと思ってもどこに足を置けばいいのかわからない有様だった。

 

 おっと、話が脱線した。失礼。ここからは雫の今日について書いていこう。

 

 雫がキッチンに入ると、トマトを煮込んだいい匂いが漂っていた。キッチンに目をやると姉である阿波照華が、鼻歌交じりに鍋を混ぜていた。袖をまくってエプロンもつけているが、髪を束ねていない。不合格だ。これだから普段料理を作らない人間は適当にしか準備をしないんだ。まったく。ふざけんなよ?

 

 おっと、キャラクターがぶれてしまった。失敬。気を取り直して、ハローワールド。

 

 どうでもいい話をしているうちに、雫は照華と短い会話を終わらせて、食器を机に並べていた。今日はチリコンカンである。トマトが安く、豆もセールだったので買ってきたのだ。美味しいものが美味しく食べられるというのは、本当に素晴らしいことだと思う。語り手である私は、銀座にあるようなシュークリーム一箱くらいしか食べれないからね。

 

 ……え? 贅沢しすぎだって? も~、いやだな~。これだからお前ら人間と話すのは疲れるんだよね。せっかくの私の大事な時間が消し炭になってしまうよ。

 

 彼女たちは私が懇切丁寧に作ったチリコンカンをたいらげた後、そのままリビングのテレビでゲームをし始めた。対戦型の格闘ゲームで、常に照華が優勢のようだった。そのまま彼女たちは、おやすみを言ってそれぞれの部屋に入った。

 

 そういえば、晶はまだ帰ってきていない。さっき、アナスタシアって子が晶の後を追ってか、玄関から颯爽と出ていったばかりだが、晶は逃げきれたのだろうか? いや、無理だろう。あの子のほうが一枚上手そうだったし、今頃は町中を必死に逃げ回っているのかもしれない。

 

 

   ◆◆◆

 

 さて、まだどうでもいい話を延々と続けるつもりは毛頭ない。しかし、ここからの内容は晶たちの生活にあんまり関係のないことなので、適当に相槌を打ってもらえればいい。では、準備はいいだろうか。

 

 まず、ここまでの流れでお気づきの方は既にかなりいるだろうが。そう、私が、雫と図書館で遭遇したロタというメイドである。私からすれば一シリーズの最終回あたりにポっと出てきたキャラクターが、後々の重要人物になるという展開はとっても嫌いなのだけれど、尺が間に合っていないのでここにやっと出てきたくらいなのだ。

 

 私は少し前に、試作品として作られた機械人間である。同じ機械人間たちは、だいたいが変わった能力を持っていて、大部分が人間の少女の形をしているという特徴があり、一般的に『機械少女』という名前で呼ばれている。私の体は、製作者の嗜好で“男の娘"の体になっているけれど、だいたい少女だ。

 

 自慢させてもらうと、阿波家の家事をほぼすべてこなしている。趣味というものはほとんどないが、料理を作ることや自分の服を作るのは好きだ。最低変態ご主人様……もとい、マスターにはいくつか感謝していることもある。

 

 

 唐突だが、話を聞いてもらおうかな。なに、大した話じゃないさ。めんどくさかったら、頃合いを見て飛ばしてもらっても構わないよ。

 

 最近思うことと言えば、この物語の結末は既に決まってしまっているだろうということだ。途中からでも付け足していける物語というのは、自身が体験して、それを結末または過程に結び付けれるような感性を持つ者だけが楽しめるものなのだ。私も漏れなく、特殊な能力を与えられているが、その力の使い方というのはこの物語を垣間見て文章に紡ぎだしている人物の塩梅で決まる。よって、例えば私が『万物に干渉する能力』や『世界軸のすべての情報を得る力』を持っていたとしても、この世界の中に住んでいる私たちにはこの世界そのものを壊すことなんてできないし、それはこの世界の観測者に許されていない。

 

 いくらどうでもいい話をしていたとしても、観測者の目線や視点という最低限のラインによって話は簡潔にまとめられる。私たちの人生が紙や電子媒体の上に文字で表されていたとしよう。その場合、私たちの人生は『文字』という『情報』に変換され、観測者に内容を整えて伝える手段になる。言い方を変えれば、私たちの人生の軌跡は、単なる情報に変わってしまうだろう。

 

 しかし私が言いたいのは、この世界の住民(少なくとも私)はこの考え方を悲観していないということだ。

 

 私たちにはこの世界の結末は見えない。もしかしたら、町の中を散歩してるときに車にはねられて死ぬかもしれない。もしかしたら、美味しく夜ご飯を食べてるときに、理由もなく人生が終わるかもしれない。そんなことだってあり得る。

 

 でも正直に言って、私たちの頭の中はそんなことを考えている余裕なんてないし、もしかしたらに自分の意志を預け切っているわけでもない。なんとなく、生きているだけに過ぎないんだなと思う。まぁ、それに、私は機械で体が出来ているから、部品の交換さえすればマスター以上に余裕綽々で生きれるだろう。(マスターがいなくなったらちょっぴり悲しいだろうけれど)

 

 私が自分の意志で「ロタ」を名乗れる理由。それはマスターから与えられた使命よりも大事な自分自身の意味を見つけ出せているからだね。ふと目を離したすきにどこかに落っことしてしまっているかもしれないけど、その時はまた探し出せばいいや。そう思わない?

 

 

 

 

 と、いう訳で今回の結論としては『結末が決まっていたとしても、そこにいくまでの旅路に自分で意味を見つけ出そう』ってことだね。

 

 ついつい話が長くて本当に申し訳ない。でもこれはこの世界を観測している奴が原因だから、私は悪くない。

 

 さてと、ここまで結構しゃべっちゃった。とりとめのない話を聞いてくれてどうもありがとう。また、会うときになったら、『文字の前のあなた』に会いに来るね。

 

 

 よし。今回はここで一旦、しおりを挟んでおこう。

 

 次もまた、ここから読み返そう。

 

 そう思って、私は目を閉じた。

 

 シーユー、ワールド。

 

 




 雨中紀行、並びに、夢中紀行が完結。今作が初めて完結させれる作品で、私としてはとても嬉しいです。また、今度会いましょう。

Me da igual si gano o pierdo, pero no sé dirá que morí sin haberlo intentado.


 作品の中では一週間しか経っていないのに、完成まで二年と半年かかってしまったことを申し訳なく思う。これは私の責任です。
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