ある夜、豊崎のもとにかれんから電話がかかってくる。
甘い展開を期待する豊崎。だが、白銀×かぐやの新作同人を執筆中のかれんにそんな意図は全くなく、妄想シチュを語りだす!
と言った感じの短編小説です
楽しんでいただければ幸いです
時系列としては番外編④(コミック8巻198話)の後になります
ネタバレはしていないはずですが、念の為
2024/12/3 他所サイトへの掲載と冒頭部分の修正をいたしました
ある土曜日の夜、紀かれんは悩んでいた。自室の勉強机に広げたノートを睨み、軽く握った手を口元に当てる。庭から聞こえる鈴虫の鳴き声も窓から差し込む月光も彼女の悩める心を救ってはくれない。
「うーん」
小さくうなりながら真剣にノートを凝視する彼女はせっせと勉学に励んでいる……わけではない。視線の先のノートには白銀御行と四宮かぐやが電話越しに仲睦まじく会話している漫画が描かれている。カリフォルニアと東京、約8000km離れた二人が織りなす『海を越える純愛編』のクライマックスシーンだ。白銀御行が『月が綺麗だな』と電話越しに好意を伝えるコマが途中まで描かれている。何度か書き直された形跡のあるコマに筆を加えようとするのだが、どうしても手が動かない。
「難しいですわ」
かれんは一人小さく呟く。そもそも、夏目漱石が『I love you』を『月が綺麗ですね』と訳したというのは根拠のない俗説だ。あの白銀会長ともあろうかたがそんな俗説を用いるだろうか。かぐや様がそれを聞き胸を高鳴らせるだろうか。そんな疑問が脳内に渦巻いてしまう。かれんはペンを机に置き、小さくため息を吐く。
「行き詰りましたわ」
ページをめくり全体を見直すと改めて作品の粗が見えてきた。電話での会話は通常の会話とは異なる。家族に隠れて会話を行う緊張感、普段合わない時間に話す特別感、お互いの表情が見えないことにより時にすれ違いが起き、時に大胆な言葉が飛び交う。そんなドキドキエモーショナルなシチュを表現したいのに、リアリティが足りない気がする。そもそも電話で相手の声はどう聞こえるのか?話すときのトーンは?姿勢は?そんな事が気になりイラストにすることができないのだ。
だが、かれんはこういう時の対処法を知っている。自らシチュを実践し確かめてみるのだ。そうすることで、想像がより鮮明になることを彼女は最近学んだ。
「誰かに電話をしてみましょう」
彼女はそう呟いてスマホを起動する。問題は誰と話すかだが、電話シチュを試すことができ、且つシチュを語り合える相手が望ましい。彼女はそう考えながら連絡帳を眺める。
「エリカに話すことではありませんし」
エリカと電話でおしゃべりするのは楽しいに決まっている。だが恋愛音痴の彼女と妄想を語り合えるはずがなく、ただのおしゃべりで終わってしまうだろう。もっと妄想を語り合える相手が好ましいのだ。
「石上編集でしたら」
石上に電話をかけようとするが、指の動きが止まる。確かに彼なら妄想の矛盾点を指摘し、より良い作品に昇華するようなアドバイスをくれるだろう。だが彼の正論パンチは殴る相手を選ばない。彼が言うであろう言葉をかれんは想像する。
『うっわ、受験を控えたこの時期にナマモノ同人描いてるなんて正気ですか?人生棒に振りかけてる自覚あります?妄想描き綴っても成績は上がらないんですよ』
「休憩!息抜きですわ!」
正論で殴ってくる想像上の編集に思わず言い訳をする。昼日中ならまだしも、夜に彼の口撃を受けたら夢に出てきそうだ。
「他の方!もっと優しく妄想に付き合ってくれそうな手頃な方!」
そう叫びながら連絡帳をスクロールしていると、豊崎三郎の名前が目に入った。かれんは彼のことを自分と同じシチュ妄想にいそしむ同志だと思っている。同じ学年の彼なら受験勉強の息抜きの大切さもわかってくれるはずだと都合のいいことも考えた。
「手頃ですわ」
そう言って、かれんは電話をかけた。
着信を知らせるスマホに映し出された名前を見て豊崎の鼓動が激しくなる。慌ててスマホを拾い上げ電話に出る。
「も、もしもし?」
緊張で声が上ずりそうになるのをなんとか抑える。
「もしもし、紀です。豊崎くん、今お時間よろしいでしょうか?」
「うん、良いよ」
豊崎は即答する。気になる異性からの突然の電話に期待で胸が高鳴っている。見られているわけでもないのに髪を整える。
「豊崎くんは、今何をしてしていましたの」
彼女の問いに豊崎は机に広げた教科書を見ながら答える。
「勉強していたけど」
「まあ、お邪魔をしてしまいましたわ。すぐに失礼いたしますわ」
「そんな気にしなくて良いよ、ちょうど休憩しようと思ってたから」
早口で電話を切りそうになるかれんを豊崎は慌てて引き留める。
土曜日の夜の電話。それはつまり翌日の心配をせずに長話も可能であることを意味する。二人だけでとりとめのない会話をし、すぐ近くにお互いを感じ、同じ夜を過ごす。そんな甘い時間が手に入る……とは豊崎も思ってはいない。おおかた勉強を見てもらいとか妄想シチュを語りたいとかだろう。甘い空気にはならないという哀しい確信もある。それでも彼女の期待に応えようとしてしまうのは惚れた弱みというものなのだろう。
「良かったですわ。豊崎くんと是非お話したかったものですから」
「そ、そうなんだ」
豊崎は顔を赤らめ頬を指で掻く。淡い期待で胸がいっぱいになる。人によってはあからさまな好意と取られてもおかしくない言葉。彼女はそんな言葉を惜しげもなく言ってくるのだが、
「やはり、電話シチュ妄想のためには電話をするのが一番ですから」
「……なるほどね」
一拍置いてから豊崎は相槌を打つ。今の言葉で彼女の電話の目的が妄想シチュを語るためだと言うのが嫌でもわかった。舞い上がっていた気分が穴の開いた風船のようにしぼむのがわかる。妄想シチュ仲間認定されていることに豊崎は感謝しつつも、小さく諦念の籠った溜息を吐いた。
まあ、そんなものだと自分に言い聞かせながら彼女の話に合わせる。
「電話というと、離れている相手、つまり遠距離恋愛のシチュエーションなのかな?」
「ええ、そうですわ!愛する彼女の声が聞けない寂しさから思わず長距離電話をかける殿方。中々に良いシチュだと思いますわ」
かれんの言う『彼女』が『四宮かぐや』、『殿方』が『白銀御行』を指すことは豊崎にも容易に想像がついた。白銀は今、アメリカに留学をしているから、そこから着想を得た妄想なのだろう。
「ああ、電話シチュ、やはり良きですわ」
受話口から甘く高い声が聞こえる。まるで恋する乙女のような声音が耳元で囁かれ豊崎は思わずドキッとしてしまう。そんな彼の気持ちにはお構いなしにかれんは話し続ける。
「離れているからこそ愛のささやきに熱がこもる。お二人の言葉はより熱情的に闊達に交わされるのでしょう!!」
「電話ってだけでそうなるかな?」
何気なく放った豊崎の相槌にかれんが呆れたように溜息を吐く。
「はぁ、豊崎くんはちっとも分かっておられないのですね。電話というのは相手の表情が全く見えないのです。だから言葉をよりはっきりと伝える必要があります。会長でしたらそこのところをしっかり理解しかぐや様への愛の言葉を堂々と表現なさるでしょう!そしてかぐや様はその凛とした美しい精神で会長の言葉を受け止めるのですわ!私の中では体育祭が終わった秋ごろから頻繁に連絡を取り合い愛を伝え合う関係に……」
かれんの話を聞きながら豊崎は首をひねる。あの二人が付き合い始めたのはもっと後になってからのはずだ。そう疑問を口にすると、また呆れたような溜息が聞こえた。
「はぁ、豊崎くん、私は史実と同人の線引きくらいはできていますわ。その上でこうだったら素敵だという妄想を述べているのです」
「な、なるほど」
自信満々に答る彼女に気おされ、豊崎はただ頷くしかなかった。
「もちろん、かぐや様がスマホに機種変されたという史実は踏まえてますわよ。現実世界のお話を作る際には最低限の事実は抑えるのが鉄則ですから。その上で記録に残っていない箇所に妄想を入れ込むのですわ」
「そう言えば四宮さんって去年の秋までガラケーだったんだよね」
そんな話を白銀との雑談で聞いた気がする。豊崎は眉間を揉みながら記憶をたどる。
「確か四宮さんがスマホを買うまで生徒会のライングループを作らなかったって白銀が言ってた気が。四宮さんが仲間外れになってしまうって言って」
突然受話口からうめき声が聞こえる。
「うっ」
「紀さん?大丈夫?」
豊崎はスマホに耳を押し付けるが何も聞こえない。何か事故でもあったのだろうか。もう一度問いかけると今度は声が聞こえた。
「だ、大丈夫ですわ。突然の公式の供給で糖分過多になっただけですから」
「よく分からないけど、大丈夫そうだね」
彼女の元気な声を聞き、豊崎は安堵の息を吐く。『糖分過多』とはどう言う状態なのか気になったが、彼女が喜んでいるようなので軽く流すことにした。
「豊崎くんのおかげで絶好調ですわ。ああ、かぐや様を悲しませない会長の心に真の武士道、本ッ当に素晴らしいですわ!!」
「良かったね」
彼女の弾む声を聞いているだけでこちらも楽しくなってくる。ニコニコ頬を緩ませ白銀×かぐやについて語る彼女の言葉に耳を傾けていると突然、
「貴方が好き、私と恋人になって」
「えっ!?」
突然の告白に豊崎は飛び上がる。
「それって、つまり、その」
「ええ、愛の告白ですわ。かぐや様から会長へ8000kmもの距離を超えて伝えられる愛の言葉。そして、会長も情熱的に『俺もかぐやが好きだ』と愛をお伝えになられるのですわ」
「な、なるほど」
期待で膨らんでいた胸がすぐにしぼんでいく。期待外れになることが分かっていても、どうして彼女に振り回されてしまうのだろう。
「私も情熱的な言葉で愛を囁かれたいですわ」
「そうなの?電話で?」
「電話でも面と向かってでも、情熱的に語る言葉に嘘はありませんわ」
それなら今ここで告白したら上手くいくのか。そんな思いがつのるが、口から言葉が出てこない。そのまま黙りこくる豊崎にかれんが心配そうに声をかける。
「豊崎くん、もしもし?どうかなさいましたか?」
「ああ、いや、何でもないよ」
自分の気持ちを隠すようにわざと明るい声でごまかそうとする。だが、かれんは得意げにフフンと笑いながら
「いけませんわ、豊崎くん。貴方の考えていることは分かっていますわ」
「そ、そうなの?」
「もちろんですわ。心の中を打ち明けてくださいな」
緊張で手に汗がにじむ。豊崎は大きく深呼吸するがそれでも激し鼓動を抑えることができない。ホームランで一発逆転の場面で打席に立つような、いやそれよりも激しい緊張に襲われながら豊崎は口を開く。
「そ、それじゃあ、言うよ」
「ええ、豊崎くんの理想の電話シチュを語ってください」
「え?何の話?」
予想外の方向に曲がった会話に豊崎のバットは空を切る。
「先ほどから私が語り続けていまして申し訳ありませんわ。豊崎くんもご自身の妄想を語りたいことくらい分かっていましたのに。さあ、思いのたけを存分に語ってくださいな」
まったく豊崎の機微を読めていない台詞が飛び出した。彼女は他人の恋愛ごとには鋭くても、自分への思いにはなぜか鈍い。そう言う性格なのだ。だからと言って豊崎の方も自分の気持ちを前面に押し出す勇気がないのだが。
ともかく、彼女に促されては黙っているわけにはいかない。豊崎は高ぶった感情を抑え、天井を見上げ思ったことを口に出す。
「そうだね。勉強の息抜きとか、気分転換に他愛のない会話をするのが良いかな」
「疲れた中での憩いのひと時というのは良いものですわね」
彼女の明るい声につられ豊崎は饒舌になる。
「うん。それにいつもより近く、耳元で声が聞こえるっていうのも良いよね。普段より近くにいる、隣にいるような感じがして」
「うふふ、今みたいな状況が好みなのですね」
「あ、ごめん。そんな意味で言ったわけでは」
「ふふっ、分かってますわ。私はカプ厨ですが、そこまで酷い勘違いはいたしませんもの」
彼女の自慢げな声が聞こえる。ドヤ顔で大きく胸を張る彼女の姿が容易に想像できた。気持ちが悟られず安堵する一方で伝わらずに残念にも感じる。告白が成功し付き合うことができたらという期待と失敗し振られたらという恐怖が心の中でせめぎあい豊崎の口を閉じさせる。沈黙をネタ切れと捉えたのかかれんは自分の妄想をまた話し始めた。
「私は電話をしながら同じ景色を眺めるシチュも好みですわ」
「同じ景色?」
「ええ。離れながらも同じものを見て、それを共有するのですわ」
彼女の言葉に促されるように豊崎は部屋の窓を開け空を眺める。頬を撫でる冷たい風が気持ちいい。豊崎はぱっと眼に映った物を口に出す。
「同じものというと、月とか?」
電話の向こうから彼女が窓を開ける音が聞こえる。
「今日は月が良く見えますわね」
「うん。そうだね」
雲一つない夜空に明々とした月が昇っている。それを掴もうとするように豊崎は手を伸ばす。まだ、満月にはなっていない栗のような形の月。それに手を重ねゆっくりと手を握る。当然、月は掴めず手の向こう側から眩い光を放っている。
「ロマンチックですわ」
彼女のつぶやきは今の二人のことを言ったわけではない。それは豊崎にもわかっているのだが、やはりドキドキする自分がいる。自分の気持ちを弄ぶように踊る彼女。その動きに翻弄されているのに、もっと見ていたくなる。一緒に踊ろうとして、たとえ振り回されるだけでも、それがなぜか楽しく感じる。こうして共に過ごす時間は何物にも代えがたく、二人で見る月は今までにないほど
「月が綺麗だね」
そんな台詞が口からこぼれる。夜風に身をゆだねながら彼女の返答を待つ。だが、しばらく待っても返事がこない。
「もしもし、紀さん?」
「あ、はい。大丈夫ですわ、ええ」
何やら慌てたような、それでいて慎重に言葉を選んでいるような声が聞こえる。
「あの、豊崎くんは夏目漱石はお読みになるのですか?」
突然の問いに豊崎は首を傾げつつも答える。
「授業で読むくらいだよ」
「そ、そうですわよね。命拾いしましたわね豊崎くん」
そう言ってから彼女が大きくため息を吐くのが聞こえた。豊崎は『命拾い』の意味を聞こうとするが、その前にかれんが話し始める。
「あの、私、そろそろ就寝の時間ですので」
何かを振り切るようなきっぱりとした口調で言われ、豊崎は引き留める言葉を失う。
「ああ、そうなんだ。じゃあ、またね」
「ええ、また学校でお会いしましょう」
かれんは別れの挨拶をすますとそそくさと電話を切ってしまった。豊崎はさみしい思いをしながらも首を傾げる。
「紀さん、何か様子が変だったな」
自分が失礼なことを言ってしまったのだろうか。だが、思い返してみても心当たりはない。
「そう言えば漱石がどうとか」
そう言ってスマホで夏目漱石について調べ始める。
五分後、
「そう言う意味なんだ」
豊崎は顔を覆い机に突っ伏す。彼女はあの言葉を聞いたときどう思ったのだろうか。『命拾い』というのはつまり『告白と思われなくて命拾い』という意味なのだろうか。ではあのまま告白していたら彼女はどう答えるつもりだったのか。様々な疑問が頭の中を渦巻く。豊崎の長い夜が始まろうとしていた。
豊崎が悶絶しているころ、かれんも顔を赤くしながらスマホを握りしめていた。まだ胸の動悸は激しいままだ。
「わかっています、そう言う意味ではないことは」
自分に暗示をかけるようにそう呟く。
夏目漱石が『I love you』を『月が綺麗ですね』と訳したというのは俗説だ。出版社の社長の娘がそんな俗説に惑わされてどうする。彼が恋愛感情を抱いているなどあり得ないではないか。そもそも彼は漱石を読まないと言っていた。『月が綺麗』と言ったことがすぐに愛の告白に繋がるわけではない。
「いけません、恋愛脳の悪いところが出ていますわ」
こめかみを両側から指で押し、煩悩を消し去ろうとする。私がすべきことはありもしな恋愛にうつつを抜かすことではないと、かれんは気持ちを切り替える。
「私がすべきことは……」
彼女は大きく深呼吸をしてから机に向き直りノートの新しいページを開く。
「すべきことは、このシチュを作品に反映すること!」
彼との電話で生まれた偶然のシチュ。そして自分が感じた胸の高鳴り。これらを同人に昇華することこそ自分の使命と彼女は心得た。
「安心してください豊崎くん。あなたとの会話は無駄にしませんわ」
電話越しに『月がきれいだな』と告白をする白銀のイラストが描かれていく。かれんの夜は始まったばかりだ。
本日の活動
進展あり?
紀かれん×豊崎三郎を語りたい(いずれお二人は結婚しますので、カプ名を略したりしません)
無自覚小悪魔に振り回される年頃の健全青少年の図がすごい好きでした
バレンタイン回とか番外編の壁ドンとか、フラグが立ちそうで立たない関係性が良かった
ですので、本短編も紀さんに豊崎くんが振り回される感じを目指しました
その上で豊崎くんへのエールも込めて彼が少し報われる結末を目指したつもりです
豊崎くん、ファイト!