「ん。辺り一面、雪でまっしろ」
ドラゴン討伐のため雪山を訪れた冒険者の二人組は、帰り道を見失い雪の中で一夜を過ごすことになる。
力持ちの剣士と、無口な魔術師。
二人は協力して野営の準備を始めた。
小説家になろうにも投稿しています。
北の霊峰にて、剣士と魔術師の二人組が吹雪の中を歩いていた。
剣士の名は、風叫ぶローレン。
魔術師の名は、白つくものアルフィ。
どちらもともに特一級冒険者の称号を戴く腕利きであった。
「ったく、まさかこんな吹雪になるとは。
山の天気は変わりやすいとは言うが、それにしたって酷いよな」
「欲張り過ぎたかもしれない。
ドラゴン丸ごと担いできたのは無謀だった」
剣士は腕を大きく伸ばして、気怠げに肩を回す。
魔術師が後方へ目を遣ると、そこには大きな竜の屍体があった。
その巨体を括った太綱の先は一つに束ねられて、剣士に担がれている。
「お前も金欠だって嘆いてたじゃねえか」
「ん、責任の所在を問うつもりはない。
ただ、次からは考えようと思う」
ドラゴンには捨てるところが無い。
権威を誇示する装飾品として、強力無二な杖の芯材として、美食家の舌を唸らせる食材として、また万病に効くという万能薬に必要なの一つとしても知られていた。
ただし、今回の二人組がこの霊峰を訪れた理由はそのいずれでもない。
人の味を覚えてしまった竜の討伐、それが二人に課された任務である。
しばらく前のこと、先の大戦の影響で食い詰めた小国があった。
小規模ながらも武勇に優れた騎士団を擁し、諸外国からも讃えられる精鋭揃いだった。
大戦が齎した影響は大きく、幾つもの国が焼けた。この小国もその内の一つだ。
踏み荒らされた穀倉地帯に、不運にも見舞われた蝗害。
近隣の国に助けを求めるも、どこにもそんな余裕は無く。
そうして彼らは一つの賭けに出た。
一世一代の大勝負。
狩れば一つのパーティが生涯遊んで暮らせるとも言われる竜狩りである。
屈強な騎士たちが連れ立って竜に挑んだ。
結果はといえば、その小国が地図に残っていない事実を見れば瞭然だろう。
騎士たちの亡骸と、人喰いの竜だけがその地に残ってしまった。
雪の中を進む足音と、吹き荒む吹雪の声だけが辺りに響く。
竜狩りの偉業を成し遂げた二人の英雄は、雪を相手に苦闘していた。
「そろそろ休むか」
「賛同する。
お腹も空いたから、夕飯も兼ねて」
背負っていた竜の屍体を降ろして、剣士は白い息を吐く。
ふと魔術師の視線に気が付いて剣士は首をかしげる。
剣士の口元にできた雪のひげを笑う魔術師は、同じく睫毛が雪で白くなっていた。
「凍えるからだ、かじかむこの手。
集えよ粉雪、貫けかなめ【氷色の打杭グレイシャー・パイル】」
魔術師の紡ぐ言の葉で魔力が逆巻いて、浮かび上がった雪の粉が氷の杭として再び形を成す。
刹那、空を裂く勢いで飛翔した氷柱が、分厚い雪の下にある大地へと突き刺さった。
そうして出来た杭に広げたドラゴンの翼を括りつけて、雪上の即席のテントの出来上がりだ。
寒さを凌げるような気密性は期待できないが、風除け程度の役割は果たせるだろう。
「火蜥蜴の護符は?」
「だいぶ前に二枚目が切れた。
日帰りの積もりだったから予備は持ってきてねぇ」
火蜥蜴の護符は、火の精霊の加護を受けたお守りだ。
精霊の力を宿した護符は他にも多くあるが、火蜥蜴の護符からは特に耐火と防寒の恩恵を得られる。
それが尽きたということは。魔術師は思案した。
「仕方ない。私が温める」
「大丈夫なのか?
空間対象の魔術は魔力を食うって言ってただろ」
魔術師はローブの襟を開いて、穏やかに微笑んで見せた。
黄昏の国で編まれた亜麻色のローブは伸縮性が抜群だ。
大きく広げれば、大柄な剣士の身を隠しても余りあるだけの大きさになる。
「平気。ローブの中だけなら、常駐してる身体強化術式と変わらない。
むしろそれより少ないくらい」
魔術師のローブは、最も初歩の結界魔術。
内側と外側を隔てて震える身体を隠す、魔術師にとっての鎧。自分のテリトリーであると最も強く認識できる場所。
「範囲が狭いほど強力な効果を付与できるし、魔力効率も良い。
このローブの中だけなら、自然に回復する分で大丈夫」
そう言って、魔術師は剣士を招き寄せた。
前を開くと外気が入ってきて、魔術師は一瞬だけぞわっと震える。
「すまん、世話になるな」
雪を被ってすっかりずぶ濡れの外套を脱いだ剣士は魔術師の元へと身を寄せて、おずおずとローブの中に入る。
「ん、お礼は牝鹿堂のパルフェいっこでいい」
牝鹿堂。剣士と魔術師が拠点とする帝都の一等地に店を構える、貴族御用達の菓子工房である。
その商品の中でも格段に値が張る菓子がパルフェだ。
その名に違わず完璧を体現するパルフェは、卵黄や高価な砂糖、ホイップなどを混ぜたクリーム状の氷菓に、果実を添えて甘いソースを掛けた甘味である。
価格相応の美味しさと満足感を得られるが、庶民には手が出せない程度には高い。
「うぐっ。
いや、これ売ったらそんくらいの余裕は出来るか。
なんなら秘蔵の琥珀酒もつけてやろうか」
「それはいらない。
貴方と違って、私は甘党だから」
などと軽口を叩きながら食事の用意を始める。
吹雪で空は見えないが、既に日は落ちているはずだ。
二人はこの場所で一夜を過ごすつもりでいた。
野営の際に食事を作る者が居なければ、硬くて塩辛い干し肉とカチカチの黒パンだけで食事を済ますことになる。
それを嫌って簡単な料理の仕方を覚える冒険者は多い。
荷物から小鍋を取り出す剣士も、またその一人だった。
「いつもので良いよな?」
問い掛けられた魔術師が頷く。
剣士は懐から取り出したナイフで干し肉を削いで、小鍋に落とした。
乾燥豆と砕いた茸の乾物を入れて、その上に近くから掬い取った新雪をたっぷりと積み上げる。
そうしてスープを作ろうとしたところで、剣士は火を使えないことに気付いた。
熟練の冒険者として、着火具くらいは持ち歩いている。
悪天候でも温かいものを口にしたいからと奮発して買った焚き火台で、雪上でも火を使うことはできる。
しかし燃料とする薪は無かった。
この吹雪の中で薪を拾いに行くことは、無理とは言わないまでも、火蜥蜴の加護無しにやりたいことではない。
訪れた出番に、魔術師はひとつ白い吐息を吐き出して応えた。
「ねむる恋の火、くすぶる種火。
淡く耀き、静かに灯れ。【恋色の灯火プラトニック・トーチ】」
淀みない詠唱が雪に染み入る。
そして小さな、消えない炎が揺らめいた。
風に吹かれようとも、雪に塗れようとも、その懸想が続く限り恋の炎が消えることは無い。
環境に即した的確な魔術の選択、それこそが白つくもの名が示す真髄である。
ちろちろと燃える炎が氷の結晶を融かし、次第に熱を持って温水へと変わってゆく。
雪が溶けて小鍋の中の嵩が減るたびに、剣士は雪を掬い入れてまたしばらく時が経つのを待つ。
その様子を、魔術師はぼんやりと眺めていた。
「よし、こんなもんだな」
そして、小鍋にはなみなみと雪水が湛えられて。剣士は雪を継ぎ足すのを止めた。
沸騰しないようにじっくりと小鍋を掻き回して、やがてその中身が完成する。
干し肉ときのこ、豆のスープだ。
荷物に吊していた鈍色のマグカップに半分を注いで、剣士は魔術師にそれを渡す。
そうして残った半分を自分で啜った。
「あー、味薄かったか?」
底に沈む豆をつまみながら剣士は首を捻る。
干し肉の塩に頼り過ぎたか、などと呟きながら剣士は荷物から黒パンを引きずり出した。
力任せに引き裂いて、その片割れを齧る。
もう一方を魔術師の方に差し出して、剣士は相方が静かに食事をしていることに気がついた。
ふと剣士が傍らを見ると、魔術師は何かの粉末をスープに振り掛けている。
「それ何かの調味料か?」
「むぐもぐ……」
魔術師は差し出された黒パンを粉末が浮いたスープに浸して頬張った。
剣士はその光景を、少し羨ましそうな目で見詰める。
すると魔術師は粉末の入った小瓶を差し出した。
「おう、ありがとな」
受け取ったそれを自分のスープに掛けようとして、剣士はその小瓶の中身に気を向けた。中を覗くと、真っ赤な粉末が入っている。
剣士にはその粉末に見覚えがあった。
燃えるような、あるいは血のような鮮烈な赤色。
光のない吹雪の中、小さな灯火だけを明かりにして、その赤色の粉が映し出される。
その粉末の名は。
「ってこれ激辛の極東辛子じゃねえか!
お前、甘党じゃなかったのかよ」
「ん。私は甘党で相違ない」
そう言って、魔術師は不思議そうに首を傾げた。
顎に手を当てて考え込んだ魔術師は、少しの間を空けた後に納得したような顔で手を打つ。
そうして至極真面目な顔をして、剣士と目を合わせた。
「甘党は、お酒を飲まない人のこと。
そして辛党は、お酒を飲む人のこと。
私は甘党だけど、辛い食べ物も好き」
「なるほど、そうなのか」
剣士は感心した素振りで呟いた。
手の中の小瓶を転がして、摘まみ上げては炎に透かす。
「極東辛子なぁ。
前食ったときは口ん中が焼けるかと思ったからな」
「丸ごと齧るのが悪い。
適量振り掛ければ、これもまたむぐもぐ……」
「食べるか喋るかどっちかにしろよ」
スープで柔らかくした黒パンを頬張る魔術師を横目に見ながら、剣士は決意した。
漏らした息が白く染まる。
剣士は慎重に小瓶を傾けて、その中身を少量だけ振り掛けた。
そしておそるおそるに、赤色の浮いたスープを口に含んだ。
「意外に旨いな」
「分かってくれて嬉しい。
これは私のお気に入り。ふふん」
いつの間にやらパンをすっかり胃の中に流し込んだ、魔術師が、剣士の横顔を覗き込んでいた。
どこか誇らしげに微笑む魔術師のその表情は、もとより整った顔立ちであることとも相俟って、剣士にはとても華やいで見えた。
魔術師が炎を消して、料理に使った道具の後始末と片付けをして。
獣避けのために結界の魔術を刻んだ小石を設置して、二人は一つのローブにくるまった。
剣士は警戒のために意識を半分覚醒させたまま、魔術師は消耗した魔力の回復のためにぐっすりと眠りに就く。
何処でも安定して深い眠りに落ちられること、またどれだけ眠くとも完全には眠らず意識を保つことも、良い冒険者であるための条件だ。
いつも通りに草木が眠る刻が来るまで、二人はそうして眠った。
魔術師がぱちりと目を覚ます。
剣士も薄目を開けて、眠たげに眼を擦った。
「そろそろ交替の時間か?」
「うん」
知らぬ間に吹雪は止んで、満天の星空が顔を見せている。
よく澄んだ霊峰の空気、瞬く星々は普段よりも一層に輝いて銀世界を照らす。
「思えば遠くまで来ちまったよな」
「本当にそう。
昔はこんな景色、見れるなんて思ってなかった」
「とか言って、お前が連れてきてくれたんだぞ?」
かつては向こう見ずだった少年と、臆病だった少女。
杖とも言えない棒切れに、護身用の小さな短剣。
木の棒を振り回していたのは、もはや昔の話。
幼稚な夢を掲げて村を飛び出した二人は、いつの間にか一流の冒険者になってしまっていた。
かつての面影、最初の記憶。
幼少の魔術師を庇って剣士が負った面傷を、魔術師は優しく指でなぞった。
魔術師の視線は定まらず、そしてどこか虚ろだ。
「ははっ、まだ気にしてんのな」
「ん。その傷は、私のせいだから」
「気にしないで良いよ。
あのとき責任取るって言ってくれたの、嬉しかったぜ。
おかげさまで、ここまで来れたしな」
剣士はにっと笑って、魔術師の髪をわしゃわしゃと撫で回した。
「なあ、俺たちが知らない景色が、世界にはまだまだあるんだ。
その全部を、一緒に見に行こうぜ」
「……ん。えへへ」
魔術師は一瞬だけぽかんとした顔を晒して、剣士の言葉に頷いて。
そしてとても楽しそうに笑った。