「後藤さん大丈夫、目覚めた?」
俺は、俺を呼ばない喜多さんの声で目を覚ました。
知らない天井だ。
「あ、はい」
「よかったー。怪我も大したことないみたい」
嘘です知ってる天井です。
学校の保健室、窓際のベッドの上で仰向けになって寝ていた。
……頭痛い。
そういえば俺は、後藤が無謀なダイブをした直後にそれを助けようと舞台から降りたのだが、足元に落ちていた酒臭いおねーさんの空瓶に足を滑らせ後頭部を強打したのだった。
あの野郎、次会う時は死ぬほど文句を言ってやる。
俺の横では、同じように目覚めた後藤と喜多さんが仲良く話をしていた。
俺はこの百合空間で、目が覚めた事実がバレることが億劫だったため寝たふりをすることにした。コミュ障ぼっちは寝たふりが得意なのだ。
「あの……」
「ん?」
「台無しにしちゃって、本当にすみませんでした。せっかくの……」
後藤はしょんぼりとした声でそう呟く。
……いや、あれは仕方ない。俺も同じ立場にいたらやりかねないのだから。
それに、そのミスを差し引いても余りあるくらいに彼女は活躍していた。あの場のボルテージを最高潮に持っていったのは間違えなく後藤ひとりだったのだから。
「ううん! なぜか、逆に盛り上がってたかも……そのあと大倉くんも一緒になって倒れてたし」
「ぅえっ、大倉くんも?」
「ほら、横で寝てる」
「あ、ホントだ……」
2人の視線がこちらに向いているように感じる。俺の狸寝入り、バレてないよな……?
「あ、虹夏ちゃん達は……」
「今片付け中。後藤さんと大倉くんが大丈夫なら、このあと打ち上げ行こうって……でも、無理そうならまた今度に」
「あっ、はい」
どうやら俺が覚醒していることはバレていないようだった。
「──ぁ、驚きました」
「え?」
「喜多さん、いつの間にか上手になってて」
「……バッキングだけだけどね。私は、人を惹きつけられるような演奏はできない。けど、みんなと合わせるのは得意みたいだから」
本当にそうだ。
喜多さんは驚くほどにギターの腕が上達していた。人を惹きつけられるような演奏はできないと言っているが、逆に始めて数ヶ月でそんな演奏ができたら世の中はロックスターだらけだ。
それに、彼女は演奏だけでなく、人としての魅力でこの文化祭を大いに盛り上げるという役目を果たしたのだ。
「これからも、もっとギター頑張るから教えてね。後藤さ──」
喜多さんはいつものように後藤のことを呼ぼうとして──やめた。
「ひとりちゃんっ!」
「あっえ、あっ、はい」
「じゃあ先行くね、準備できたら来てね」
え、は? 何これ尊い。
後藤と喜多さんの尊すぎるやりとりに、俺は寝たふりをしながら限界オタクになった。
ぱたぱたと足音を立てて、喜多さんは保健室を後にした。
ドアの開閉の音が聞こえると、文化祭も終わりとは言え、今日という日に似合わないほどの静寂に包まれた。
「……お、大倉くん、起きてる?」
後藤は突然口を開いた。
さすがプロぼっち。寝たふりには敏感なのだろう。
「あ、うん」
俺は相も変わらずコミュ障全開の返事をする。
沈黙。
「……」
「……」
俺は薄目で彼女を見ると、文化祭ライブの余韻でまだ夢見心地といった表情だった。
「後藤、結構な勢いで落ちてたけど大丈夫か?」
「え、あ、はい。大丈夫です。大倉くんは……」
「たんこぶ出来た」
「え、ふふふ」
「なーに笑ってんだよ」
俺が自身の後頭部をさすりながらそう言うと後藤は小さく笑った。
「あ、いや、なんでもない……です」
まったく、変なやつだ。
「さっき、喜多さ……喜多ちゃんに名前で呼んでもらいました」
「へー、そうなんだ」
俺は一応寝ていた設定なので知ったかぶる。
だがあんなに尊い瞬間を俺が忘れるわけがない、なんなら録音して保存しておけばよかったとさえ思っているのだから。
後藤はそう言いながらやはり嬉しそうに笑った。
「あ、あの。わ、わたしたちって、と、と……トモダチですよね?」
「じゃなかったらこんなつるんで無いよ」
後藤はガバリと恐ろしいほどの速さで直角に起き上がると、突然にやけ出したと思ったら今度は顔面を蒼白にして震え出す。
「あ、あの、その……」
彼女が何を言いたいか、薄々勘づいていた。
だが、きっとそれを口にするのは後藤にとって非常にハードルの高い行為なのだろう。
なぜなら、それはきっと俺にとってもハードルが高いのだから。
「てか、元気そうなら片付け手伝ってきな。保健室でサボるのがくせになってるぞー」
「え、あ、はい」
彼女がなんとか口に出そうとする言葉を、俺は遮る。どうせ言えないんだから無理しなくていいのに。
しかし、言葉を続けることができなかった彼女は肩を落とした。
……まったく、面倒なやつだ。
かく言う俺も面倒な人間で、だからこそ、まあ彼女に惹かれたわけなのだが。
たんこぶはまだ痛いが、触ったりぶつかったりしなければ問題ないほどだった。俺はベッドから降りて立ち上がる。
ちらりと横目に見る彼女は、寂しそうにしていた。
そのまま保健室の出口へと向かった。
がらり、とドアを開ける。
俺は振り返ることなく口にした。
別に、正面きって言うのが恥ずかしいとか……そんなわけじゃない。
「片付け、行こうぜ……ひ、ひとり」
沈黙。
そして、
「え、え、あ、あ……あぁぁぁぁぁあ!?」
後藤ひとりの声が校舎中に響き渡った。
・
文化祭の片付けも終わり、これからみんなで打ち上げに行こうという話になった。
俺は片付けの疲れに加えて後頭部を強打したせいかまだ本調子でない体を休ませるべく、まだじっとりと暑い校舎の外で冷えた缶ジュースを口元で傾けた。沈みかけの太陽はまだしぶとく熱を俺たちに届けており、家々の隙間で最後の粘りを見せていた。
文化祭の終わりに感じる哀愁を、茜色に照らされた校舎はより一層引き立てる。
「大倉くーん」
そうやって校舎裏で黄昏ていると、頭の上に生えた触覚をぴょこぴょこと揺らしながら虹夏先輩が現れた。
「あ、うす」
俺は軽く会釈する。
「もー、結構探したんだよ? すぐにどこか行っちゃうから」
理由はわからないが、確かに俺のことを探していたようである虹夏先輩の額には確かに汗が滲んでいた。
「あ、ちょっと待っててください」
俺はそう言うとその場を駆け出す。
「ちょ、ちょっとー!?」
「すぐ戻るんで!」
そう言葉を後にし、少し離れた場所へ向かう。
虹夏先輩は、こちらの突然の行動に呆気に取られた様子だ。
すぐ近くの目的の場所につくと、空き缶をゴミ箱に捨て、二つほど“つめたーい”缶ジュースのボタンを押す。自動販売機はガタガタと音を立てて缶を吐き出す。右手一本だけでその二つを手にすると、虹夏先輩を待たせている校舎裏に戻ることにした。
「お待たせしました」
「もー、またすぐにどこか行って……大倉くんは猫みたいだね」
「あ、ありがとうございます。猫派なんで嬉しいです」
「全く……」
虹夏先輩は呆れたようにそう言う。
俺はそんな彼女の機嫌を取るべく、手元の缶ジュースを一つ放り投げた。
「え、あ、っと」
突然投げられた缶ジュースに慌てながら、しっかりと両手のひらに収めた。彼女は「つめたっ」と小さく口にした。
「ナイスキャッチです」
「これ……ありがとう!」
彼女は満面の笑みを浮かべた。
下北沢の天使とは彼女のことで間違いないようだった。
俺を探すために、わざわざこんな暑い日に歩き回っていたのだ。冷たい飲み物のひとつでも奢らなければ男が廃る。
俺は右手でタブを引くと、先輩も同じようにして缶を開けた。
「そう言う先輩は犬みたいですね」
「え、そう?」
「はい」
先輩は顎に手を当てて少しの間考える、その間も頭の触覚はぴょこぴょこと揺れていた。
「どの辺が?」
「人懐っこいところとかですね。あと、それ」
「それ?」
俺は彼女の頭の上を指差す。
頭のてっぺんにある黄色い三角形の特徴的なアホ毛もとい触覚だ。
「虹夏先輩のトレードマーク、犬の尻尾みたいです」
「えぇ!? いざ言われるとなんか恥ずかしいんだけど……」
照れている虹夏先輩の触覚はさらに早く揺れていた。本当に素直でわかりやすい人だ。そんなところが犬っぽい。
「そ、そうだ」
「どうしたんですか?」
何かを思い出したかのように手をポンと叩く。
「大倉くん、ありがとう」
礼を言うと彼女は頭を下げた。
一体俺は彼女に頭を下げられるようなことをしただろうか。
「え、あ、何がですか?」
「何がって──」
先輩と目が合う。
頭上に広がる夕暮れの空と同じような茜色の瞳は、言葉にし尽くせない程に綺麗だと感じた。
いつもなら逸らしてしまうだろうが、あまりにも綺麗過ぎてつい目を離すことができなかった。
「ピアノ。私さ、大倉くんに庇ってもらって腕を怪我させちゃったのに、その上ピアノの音で勇気つけられちゃった」
どうやら俺の気持ちは、音楽で彼女に届いていたらしい。不器用な人間だと自分でも思うのだが、それでもこうして通じたことが何よりも嬉しい。
「お、俺こそ、虹夏先輩には本当に感謝してます。先輩が結束バンドに誘ってくれなかったら、音楽辞めてましたから」
俺は今日、久しぶりに舞台に立った。
それは本当に楽しい出来事で、たぶん一生忘れないだろう。
そしてその舞台を用意してくれたのは、紛れもなく虹夏先輩だった。
……それともう一人。
「……それに、たぶん。こんなに文化祭ライブに全力で取り組めたのも、色々あったけど虹夏先輩のおかげだと思うので」
夕日は段々と沈んでいき、まだ少し熱の冷めやらない校舎の教室からはぽつぽつと光が見え始めた。
「……えへへ、なんか照れるね」
──されど文化祭は、終わりを告げる。
太陽が沈んでしまって、また登る頃にはきっといつもの日常だ。
達成感と満足感を感じながら、でもほんの少し胸の中に穴が空いたような気持ちだった。
それは、今までの人生で感じたこともないくらいにどうしようもない感情だ。
「ねえ、大倉くん。改めて言うのすっごい恥ずかしいんだけどさ」
「は、はい」
「名前で呼んでいい?」
「あ、いいですよ」
「意外とあっさり!?」
俺は彼女のその提案をすんなりと受け入れた。
受け入れたと言うのに、虹夏先輩はどこか不服そうな表情で「まったく」だとか「もう少しリアクションしてよ」だとかをぶつぶつと呟く。
「わたし、男っ気無いからこーゆーの慣れてないんだからね? 女心ちゃんと考えてよ」
「え、意外です。先輩めっちゃかわいいんで──」
「か、かわいい……えへへ」
「──彼氏の4、5人いるのかと思いました」
「し、4、5人って私をなんだと思ってるの!?」
「うーん、俺以外みんな女の子のガールズバンドだから良いものの、男ばかりのバンドに混ざったらバンドクラッシャーですね」
「酷いこと言うね!」
虹夏先輩は腕を組んで、あからさまに作った表情で怒ってますよとアピールをした。
ぶっちゃけ、彼女が男子に慣れていないのは意外だった。普段からクラスでも人気のありそうな彼女なのだ。見た目も、贔屓目抜きでかなりの美少女だ。ひとりに男っ気がないのは理解出来るのだが、虹夏先輩に関しては意外にも思えた。
「譲はいじわるだね」
「……」
脳がフリーズする。
虹夏先輩は上目遣いで俺の名前を呼んだ。
……軽い気持ちでオッケーしたのだが、これなんてご褒美? 今日俺は死んでもいい。文化祭も終わったし最終回にしよう。
「あっれー? 照れてる?? 照れてる???」
「……て、照れてないです」
「ふふふっ」
小悪魔みたいな笑みを、下北沢の天使である虹夏先輩は浮かべる。
「これからもよろしくね、譲!」
「……は、はい。虹夏先輩」
まったく、ずるい先輩だ。
こんなん惚れちまうだろ。こうやっていくつもの男を落としてきて、持ち前の鈍さで全て払い落としてきたのだろう。
虹夏先輩はニコニコしながらこちらを眺めていた。あんまりにも嬉しそうだったのでこちらも釣られて笑ってしまう。
すると、先輩はこちらに近づいてくる。
「あ、あのさ譲」
「な、なんでしょうか」
「こ、こ、今度買い物一緒に行かない?」
手を少しだけ伸ばしたら触れられそうなほどの距離にまで彼女は詰める。
「え、あ、はい。いいですよ、結束バンドのメンバーとですか?」
「ふ、フタリデ」
「は、はい!?」
「だから、2人で行こって誘ってるの!」
目前にまで迫った彼女の顔は、先ほどまで俺たちを照らしていた夕焼けよりも赤く染まっていた。
一体その言葉の裏にはどんな意味があるのか、俺はさまざまな可能性を邪推する。
何を買いに行くのか、とか。なぜ2人なのか、とか。目的はなんなのか、とか。からかっているのではないのか、とか。
そして。
もしかして、俺のことを好きなのでは──
「……あ、虹夏ちゃんと譲くん」
すると、ひとりが校舎脇からひょっこりと現れた。
「え"」
虹夏先輩はなぜか固まっていた。
そして、そのまま驚くほどのスピードで数歩後ろに下がる。
「み、みんな探してたんで……打ち上げいきましょう」
「お、おっけー」
俺はうるさく高鳴る心臓を無視するために、食い気味でひとりの言葉にリアクションを取る。
虹夏先輩は、焦りながらも項垂れていた。
「──というか今、ぼっちちゃん、譲のこと名前で……」
虹夏先輩は不思議なことを突然言い出した。
そもそも、先輩が俺の名前を呼ぶ提案をしたのは、結束バンド一年生'sの中で呼び名が少し変わったことに影響されたのではないのか?
「そうですよ、あと喜多さんもひとりのこと名前で呼んでました……ってその流れで俺のこと名前で呼んだんじゃ無いんですか?」
虹夏先輩はハイライトの消えた目で薄く笑った。
「あ、あはははは、ソウダヨ」
このバンドはひとりばかりが変なやつかと思っていたが、こうやってたまに虹夏先輩も変になる時がある。
「私だけだと思ったのに」
「何がですか?」
「……なんでもない。譲のばーか」
「えー……」
虹夏先輩は、ぺちりと俺の背中を叩く。
「返事、ロインで送ってね」
「え、あ、はい」
虹夏先輩はそう口にする。
2人で買い物。
それって、デート、では無いよな。
恋愛経験に乏しい俺は、何一つ理解することができず頭を抱える。
……頭が痛い。
考えても考えても答えは出ない。
いや、やっぱり頭が痛いのは後頭部のたんこぶのせいにでもしておこう。
この後は多分何話かストーリーが進まずに幕間的なやつ投稿します