翌日の練習は、最悪の雰囲気のまま終わった。
バンド練習の前に結束バンドとしての活動方針として次の一曲を作ろうと、最高の一曲を作り上げようとの話になったのだが──同世代の人気バンドたちの動画を見ると俺たちとの差を痛いくらいに感じさせられた。
それだけでなく、リョウ先輩は何か考え事をしているようでいつものような演奏とは程遠い集中力のない状態であり、虹夏先輩も昨日のことがあったからかは分からないが心の中の乱れが表に出るようにしてドラムの精細を欠いていた。
かく言う俺も、乗り切らない気持ちから感情を指先に伝え切ることができないばかりか、演奏についてだけではなくメンバー揃っての練習日だというのに虹夏先輩とは目を合わすことすらできなかった。先輩の方も、気まずそうにこちらから目を逸らしているように感じた。
昨日のような事があったからこそ何か話さなければならないとは思いつつ、かける言葉も見当たらずに逃げるようにして平静を装った。
喜多ちゃんは喜多ちゃんで、先ほど見た同世代の人気バンドの歌声に気圧されているようだった。元々、自分には才能がないと言ってメンバーの中で肯定感が低く焦りがちだった彼女はプレッシャー感じているのだろう。
そしてひとりも普段と変わらない(普段からそんな自己主張しないのでわからないだけだろう)様子でありながらも、練習中の表情はいつも以上に張り詰めた真剣なものであった。
──結果として、練習としては散々な形に終わってしまった。
それも半分はきっと、自分のせいである。
俺自身精彩を欠いた演奏をしてしまい、虹夏先輩との気まずい雰囲気を全体に伝播させてしまっていたのだから。
しかしだからと言って何かを出来るわけでもなく、いつものように帰路へと着く。
いつまでも工事の続く駅前を通り下北沢駅の改札をくぐる。
そうして下北沢から渋谷の数分間、井の頭線の椅子に座り電車に揺られながら今日のことを振り返っていた。
今日も今日とて無言でひとりの横に座っているのだが、駅のホームから彼女はちらちらとこちらを見ていた。
流石に気になったので、俺は徐に口を開いた。
「どしたの、さっきからチラチラ見てるけど」
「え、あ……なにかあったんですか?」
「なにか?」
「あ、今日、いつもと様子が違かったから……」
普段は人の気持ちに鈍感そうなくせに、相変わらずこう言う時に限ってちゃんと周りの人のことを見ている。
いつも少しでも悩んでいると、彼女には看破されてしまうものだ。本当に、いつもそうだ。ズルいやつめ。惚れちまうだろ。
「虹夏先輩と、ちょっとね……」
「け、喧嘩ですか?」
「喧嘩ではないんだけど、うーん説明するのが難しい」
喧嘩ではないのは間違えないだろう。
ただ、彼女なりにきっと楽しみにしていた日を俺が上の空で過ごしてしまっていたため台無しにしたのだ。
それに、未確認ライオットの件も──今後のプロを目指して本気でやるかどうかも宙ぶらりんにしたままだ。
「まあ、気持ちを踏み躙っちゃったのかな」
そう言うとひとりはえへへと笑い、ぽつりと言葉を続けた。
「私も、いつもそんなのばっかりです」
彼女の横顔に目をやる。
俯きながら苦笑いで話すその姿は、格好悪くて格好いい。
「ずっと友達も作れなくて、いつも話しかけられると慌ててテンパるから多分いつも踏み躙ってます……」
「ぷっ」
「わ、笑い事じゃないです」
ひとりは小さく手を振りながら、抗議をするように慌てて返事をする。そんな姿も可愛らしくて、ちょっとおかしい。
それにしても、彼女が普段の人間付き合いでそんなことを考えているとは知らなかった。
「ごめんごめん、つい。……ちなみにさ、そう言う時どうしてるの?」
「いつも結局うまく行かなくて友達も作れてこなかったので……た、多分参考にならないよ?」
彼女は恥ずかしそうに俯いたまま視線だけをこちらに向ける。彼女より高い自身の目線からは、前髪の隙間に見える上目遣いの綺麗な瞳が見えた。
「家でギターを弾いて、ネットに動画を上げます」
「それ何も解決しないし、確かに参考にならないなぁ」
「だ、だから言ったのに……」
おそらくそれが、前に話にあがっていたギターヒーローなのだろう。そして確かに結局仲良くなれたりするエピソードじゃないし、今の俺の何かの参考になることはなかった。
けれども、こうやって彼女と話をしていると少し気持ちが軽くなった。彼女の横で過ごす時間は、俺にとって間違いなくとても心地のいい時間だ。
彼女の本気の原動力は、世の中の不条理とか不合理とか、そのストレスをギターに打ち込むことで発生しているのだろう。
人とコミュニュケーションを取るのが苦手で、誰よりも目立ってこなかった彼女だからこそ、誰かと繋がって誰よりも目立つプロになりたいのかもしれない。
「それでひとりはギター上手くなったんだな」
「そうかも知れないです」
「つまりそれだけ相当人の心を踏み躙ってきたと」
「アウウ」
「うそうそ、冗談だって」
それにしても、ぼっちのやるロックは現代日本に適応した本物のロックなのかもしれない。
「あーもう、分かんないなぁ」
「何がですか?」
「何もかも」
「な、何もかも?」
「雰囲気悪くしちゃうし、本気になる踏ん切りもついてないし、うじうじ悩む自分がもう訳わかんないなーって」
「わ、私もいつもそんなのばっかりです」
会話のループが発生してしまいそうだった。
「……あ、でも、最近はそんな風に悩むのも悪くないのかなぁって、思ってます」
ひとりのその言葉は意外なものに感じた。
彼女はどちらかというと俺と同じタイプで、うじうじ一晩中悩むような人間かと思っていた。そして、悩み続けるのはストレス値が高く脳の容量も割いてしまうため避けたいものだと思うからだ。
「作詞任されてる中だと、やっぱり悩んで色々考えてる時の方が書きやすかったり……」
ぼっちである彼女にとって、ロックは自己の表現であって、なおかつ独りぼっちというものを認めない社会への反発力そのものである。
好きな音楽を彼女はひたすらに続ける。
承認欲と反発力の二つを添えて。
でも、そんな彼女の本心も、どうしてプロを目指すのかも俺には到底わかるはずもなかった。
人の心を読めはしないし、そんなことを聞き出すほどのコミュ力もないのだから。
「確かに、ひとりの書く歌詞は他の人だと書けない感じはあるよね」
そして電車は渋谷駅に到着した。
君はなんのために、本気でやっているの?
そんなクサい話の内容を、直接彼女には聞けなかった。
・
「カラオケ行きましょう!」
「急だね喜多ちゃん」
翌日。
学校の昼休み。
セリフこそ違えど、この状況はデジャヴのように思える。
ストリートピアノを弾きに行った日を思い出す。確かあの日も喜多ちゃんに拉致られて来たっけか。喜多ちゃんだけに。
「なんだか譲くんがずーっと悩んでそうだったから、ストレス発散に行きましょう!」
「えー……前向きに検討しつつ善処しますね」
「それ絶対行かないやつ!」
相変わらず喜多ちゃんのクラスに拉致られると周囲から奇異の目を向けられる。
やめてくれ、学園のアイドル喜多ちゃんを俺は独り占めしたいわけじゃないんだ。そこ、男子殺意向けるな!
「ほら、前回2人で出かけた時にまた一緒にお出かけしようって約束したじゃない?」
「え、したっけ?」
「ええ! 多分、おそらく、したと思うわよ」
「適当だなー」
……どちらにせよ、今こうやって喜多ちゃんが俺を誘っているのは間違えなくいつもと様子の違う俺を気遣っての事だろう。
だとすると、その好意を俺が断る理由なんて無いのかもしれない。
「まあ、良いけど」
「え!?」
「いや、なんで誘っといて驚いてるの?」
「6割くらいは来ないかなーって予想してたからよ」
「さらっと酷いこと言うね」
「普段の行いを振り返って言って欲しいわね」
誘われたのも俺で、オッケーしたのも俺のはずなのだが、いつの間にか論破されている状況になってしまった。
でも確かに、ウジウジ悩んでいる時は気分転換として爽快に歌い飛ばしてやるのもいいかもしれない。そもそもカラオケ自体が非常に好きではあるから。
「それに、私も……焦ってるから」
彼女は打って変わって元気のない声音で小さく言葉を吐き出した。彼女の胸中などコミュ障の俺には到底分からないが、得体の知れない不安を抱えている自分自身の姿に重なって見えた。
だからこそそんな姿を見ていられなくて、自分自身に向けるかのように明るく振る舞った。
「──今日のカラオケ、点数低い方が奢りね」
「え?」
「ボーカルなんだから、負けるはずがないよな?」
「……まあ」
「俺が勝ったら奢らせるだけじゃなくて煽り散らかしてやるから気をつけな」
「……ふふっ、さいてーね」
「俺に不利な勝負なんだから、そのくらいいいだろ」
「私が負けたら立場ないじゃない」
「負けなきゃいい」
「言うわね」
「口先だけならね」
その言葉を聞いた彼女はおさえながら笑った。
気分転換も、悪くはない。
・
「──変わらない愛の形探してるぅぅ!」
「いえーい!」
女子と2人きりでカラオケに行くなど、少し前の自分であれば到底考えられなかった事だろう。
なんなら男と2人きりで行ったことがないのに、カラオケ2人きり童貞を学校の人気者の美少女に捧げることになった。
俺はいつか披露すべくこそこそヒトカラで練習をしてきた十八番を熱唱する。
「譲くんって結構歌上手いのね……なんかちょっと勝てるかどうか不安になってきた」
「音程取るのは得意だからな。まあでもボーカルとして人に聞かせるレベルでは間違いなくない──お、点数出るぞ」
モニターはギラギラしながら身勝手に俺の歌を採点する。音程と、表現力が何個か。
音程の得点は非常に高く表現力はそこそこ、結果として──
「ちょうど90点か……」
「わー、ちゃんと90点台乗せてきてる……でも今のところ私の勝ちね」
「十八番でこれならやっぱり勝ち目ないなぁ……まだ時間結構あるけど降参で」
その前に何曲か歌う中で、彼女は94点の高得点を叩き出していた。初めて見るような高得点にさすが結束バンドのボーカルだと感じた。
「でもやっぱり、94点なところが私よね……」
「勝っといて何言ってんのさ」
「どうせなら95点超えたいじゃない、94点止まりってところがみんなみたいに抜けたところがない私みたいだなーって思っちゃった」
「ギリ90点のやつの前で失礼な事言うね君」
「まあ勝ちは勝ちよね。お会計お願いします!」
キターンと喜多ちゃんスマイルを浮かべる。この支払わせ能力はパパ活とかめっちゃ向いてそう(ド偏見)。
「へーい」
彼女の歌声は綺麗だった。音程も取れているし、全体的に卒なくこなす分には問題がなかった。だが流石にボーカルを初めて一年も経っていない彼女の歌声は「何か」が足りない気もした。トップアーティストのような、聞くものを魅了する何かがだ。
「残りの時間、結束バンドの曲の練習をしてもいいかしら?」
「当然、というかそれ目的じゃないの?」
「まあ、それもそうなんだけど──カラオケ誘ったのも、今日は譲くんに聞きたいこともあって。……なんで、未確認ライオット乗り気じゃないの?」
「相変わらず急だね、喜多ちゃん」
もしかして、俺が乗り気じゃないのはメンバー全員に気が付かれているのだろうか。虹夏先輩にもひとりにも同じ事を言われており、ついに喜多ちゃんにまで聞かれた。この感じならリョウ先輩も気がついているのだろうか。
「……現状に満足してるんだよね。プロになる理由がみんなみたいに見つからなくて、まあ結局のところ言い訳みたいなもんなんだけど、それで本気になれてない」
その言葉を聞いた喜多ちゃんは頬を膨らませる。
「私も、たいそうな理由は無いわよ。というか、ズルいのよ」
「ズルい? なにがさ」
「才能とか実力とか、私に無いものなんでも持ってるあなたがそうやって悩んでいるのが」
その言葉を聞いて、俺こそ君の事が羨ましいと思った。
練習の分だけ目に見えて成長し、誰とも上手く接して卒なくこなす彼女のことが羨ましいのだ。隣の芝は青いと言うように、お互いがお互いをそう思っているのだろう。
「あ、嫌味とかじゃないわよ!? ただ純粋に、レベルの高い話の悩みだなって思って……」
「……レベルの高い話、か。そう見える?」
「ええ、私なんて──とにかくやるしか無いもの」
とにかくやるしか無いもの。
その言葉が嫌に胸にささった。
本気で出来ていない現状に、踏み出せていない俺は、とにかくやるなら出来ていないのでは無いか。
昔なら当たり前のようにやっていたそんな簡単な事が。
──もしかして本気で出来ないことに、理由を探しているだけでは無いのか。
そういえば昨日ひとりが電車で話していたことも似通ってるかも知れない。日常でうまくいかなかったことも、とにかく彼女は音にして転がりながら前に進んでいたのだから。
「とにかく、歌いましょ! 結束バンドの曲の練習早くしたいし」
そう言うとマイクを手に取り、スピーカーから音源を流し始める。
聴き慣れたいつもの歌声で、聴き慣れたいつもの曲が耳に入る。
いつもは自分もプレーヤーであるのだが、今日ばかりは彼女の歌声に集中出来たのもあり、その歌詞が普段以上に頭に入ってきた。
──そう言えば、作詞はひとりがしてるんだよな。
そして何曲か歌い、次の曲「忘れてやらない」を喜多ちゃんは歌い始めた。
割りかし低音のかっこいい歌声が魅力である喜多ちゃんの声でも、この曲は比較的に音が高く比較的明るい曲だ。割と王道のpop-rockとは言え、ひとりの作詞と言うこともあり能天気に明るいと言うものでも無い。
だが、こうして聞いていると後藤ひとりの内面を少しだけ覗けたような気になる。
忘れてやらない。
「忘れたくない」でも「忘れられない」でもない。
それは今を必死に生きてる彼女が、足踏みしながらも前に進む一歩を踏み出して、いつかこんな事もあったと笑ってやると決意の歌に聞こえた。
「繰り返す足踏みに未来からの呼び声が
響いてる『進めよ』と
運命や奇跡なんてものは
きっと僕にはもったいないや
なんとなくの一歩を踏み出すだけさ」
・
カラオケから出た俺は喜多ちゃんに別れを告げて井の頭線に乗り込んだ。
渋谷駅で、いつもなら地下深くに潜り東急線へと乗り込むのだがJRへと乗り込む。横浜行きの湘南新宿ラインだ。そこからさらに乗り換えて、下り方面に行く京急線に乗り込む。
金沢八景駅、彼女の最寄駅でもあるそこで下車する。
浜風はいつもより気分が悪いようで荒々しい向かい風だ。でも、風の強い日の方が空を覆う雲もなく暗い夜に浮かぶ小さい粒の星たちが少しだけ多く見えた。
俺はスマホを取り出す。
19:24。
顔認証でロックを解除し、ホーム画面を一度右にスワイプする。
慣れた手つきで緑色のアイコンをタップして、慣れない手つきで通話のボタンを押した。
仕方がない。コミュ障は電話が基本的に苦手なのだ。毎回なんでわざわざ電話するのか疑問に思ってしまう。メッセージでいいじゃん……。
でも今はその電話の有用性と言うべきか、使うべき意味がわかった。
──多分メッセージだと、言語化がうまく出来ないから。
そして俺は、後藤ひとりに電話をかけた。