ライブが終わった。
俺はただ、ひたすら後藤さんに圧倒されていた。
「ご、後藤さん!」
この後みんなで打ち上げに行くらしい。もちろん俺はそんなものについていけるわけないので、今のうちにこの妙に昂る感情を伝えたかった。
「お、大倉くん」
「めっっっっっっっっっっっ」
「めっ?」
「っっっっっっちゃカッコよかった!!!」
「あ、ありがとう」
いつもみたいに調子に乗った喜び方を後藤さんはしていなかった。ライブの余韻をまだ感じているのだろう。
「俺、今日来てよかったよ」
「わ、私こそ、こうやってみんなが来てくれたから、な、なんとか出来たんだよ」
本当にすごいやつだ。
今日みたいに人もそれほど多くない日でも、ちゃんと一人一人に曲を届けようとしていてくれたのだろう。
そして、折れかけたみんなの心をまとめ上げたのだ。
俺もまた、そのひとりだった。
「俺もさ、頑張ってみるわ」
「え、な、何を?」
「ピアノ」
そう言い残すと俺はライブハウス内を駆けて、勝手に舞台に上がる。
「え、え? 大倉くん、どうしたの?」
突然の奇行に、結束バンドメンバーとその愉快な仲間たちの視線を一身に浴びていた。
そして、置いてあるピアノの前に座る。
「あ、大倉くんちょっと、勝手にはダメだよー」
伊地知さんがそう言う。許可も取らずに勝手に上がるのはよろしくない、分かっている。
だが、体が勝手に動いたのだ。
「いいんだ、弾かせてやれ」
「え、でも……」
ありがとう怖いおねーさん。あんたやっぱりいい人だよ。
「伊地知さんのおねーさん、すみません、ちょっと一瞬だけ許してください。今ならいける気がするんでー」
どくん、どくんと心臓が鳴る。
手が震えて動かない。
全く手が動こうとしない。
勇気を出したつもりだったのだが、そう簡単に克服できたら苦労しないよなぁ。
全く、肝心なところでダメダメな奴だ。
でも、諦めたくない。先ほどの後藤さんの演奏を聞いたら、腕が疼いて仕方ないんだ。いや、厨二的な意味ではないからね。
あーもうくそ、動けこの駄手。
今逃したらいつ動かすんだっていうの。
動け、動け、動け動け動け──
すると。
──じゃーん、と。
音がする。ギターの音だ。
振り返らなくてもわかる、後藤さんだ。
先ほどの曲──『あのバンド』
こう見えても俺は絶対音感を持っていて初見耳コピも余裕だ。腐っても昔は神童だと呼ばれていたのだから。
ギターに合わせて俺は──手を動かした。
(動いた)
そして、冷たくなりきっていた指先に、血液が通うのを感じる。指も動く。
そして俺は、ついに鍵盤に触れた。
ふと軽くなった腕と肩と指、俺は躊躇をせずに音、力を込めると。
「た、タイム」
ピアノはぼーんと音を鳴らした。俺は一年半ぶりに、ピアノを弾いたのだ。
しかし。
「ち、ちょっとトイレに……うぷ」
「えっ?」
一同は突然舞台に登り、突然ピアノを弾こうとし、一音だけ残して舞台を降りる俺に困惑している様子だった。
そして、俺はトイレに駆け込むと。
「おろろろろろろろろ」
盛大にゲロった。
・
「だ、大丈夫ですか?」
盛大にゲロを吐き終えた俺はふらふらとトイレを出ると、伊地知虹夏先輩が目の前にいた。
「いや、マジすみません勝手に舞台登って。あ、手はちゃんと洗いましたしトイレも汚してません」
「ありがとう。それはまあ別にいいんだけど──体調の方だよ、絶対大丈夫じゃないでしょ?」
なんだこの人は。初見の得体もしれぬ男に対してこの優しさ。しかも勝手にライブハウスの舞台に登った男だぞ。かわいくて優しいなんて無敵ではないか。
「あーいや、ちょっとピアノ弾きたかったんですけど。ここ最近の俺はピアノの前に座るとゲロっちゃうんですよね」
「なにその拒否反応!?」
リアクションまで素晴らしい。くっ、伊地知先輩、惚れちまいそうだぜ。
「や、やっぱり大倉くん、そ……そうだったんだ」
「あ、後藤さん」
「ま、前の授業の時も、か、顔真っ青にして保健室行ってたし」
「おお、それ正解」
あの日の俺もしっかりとゲロってました。
「む、無理してピアノ弾かなくても──」
「まったく、お前のせいだからな、後藤」
「サンガキエテル」
「あんなカッコいい演奏で背中押されたら、トラウマの一つや二つ克服したくなっちまうだろ!」
「ちょ、ちょっと待って。トラウマって何の話!?」
伊地知先輩は突然の話の流れについてこられず、待ったをかける。
それもそうだろう。俺と後藤さんは最近少しずつ仲良くなっているので、それとなく会話が通じるからまだしも、伊地知先輩からしてみたら突然謎の少年がゲロってトラウマとか言い出しているのだから。
「いや、なんかよく知らないけど一年半くらい前からピアノを前にすると体動かなくなってゲロ吐くようになったんだよねー」
「いや軽いって!」
だって事実を端的に並べたらこんな説明にもなろう。わざわざその理由まで深掘りして初対面の人に話すのも、なんかアピールしているみたいで嫌だし。
「でも、伊地知さん、後藤。どーでもいいと思うけど聞いてほしいんだ」
「何を?」
「な、何でしょう」
「ゲロは吐いたけど、一年半ぶりにピアノの音を鳴らせたんだ!!」
大きな声でゲロと叫んだ。
だが、俺にとっては本当マジで触れなくなっていたものだから大きな進歩なのだ。
月面着陸くらいの感動だ。
「俺、ほんと後藤と友達になれてよかった」
頭で思っているはずだけだったのだが、口から漏れ出ていた。
「え、えへへへへへ」
すると後藤は笑いながら──星になった。
〜ぼっち・ざ・ぼっち 完〜
「いやちょっと待って! なにか大事なものが終わろうとしてない!?」
「見てください伊地知さん。やつぁ、後藤は星になったんでさぁ」
「帰ってきてよぉ〜ぼっちゃん〜」
きっと大丈夫だろう。
ドラゴンボールの世界観並みに後藤は死ぬのだから。そしてその分生き返り続けている。星になってもコメディ作品だから場面が切り替われば元通りだ。
「というか、やっぱり大倉くん! 君のことを教えてほしいな!」
「え、ごめんなさい嫌です」
「なんで!?」
危ない危ない。テンションがかなり上がっていたため忘れていたが、俺は陰キャぼっちなのだ。そう簡単にホイホイついていくほど簡単な攻略対象じゃないぞ。
「いきなり自分語りとか痛くないですか……?」
「もう十分してると思うんだけど」
確かに。言われてみればそうだ。
というか、冷静に思い返してみると先ほどは死ぬほど恥ずかしいことをしたのではないか。思い返すと嫌なフラッシュバックをしてしまいそうだ。ピアノに触れられたこと以外は記憶の迷宮に仕舞い込んでおこう。
すると、怖いおねーさん(伊地知さんのお姉さん)と酒臭いお姉さん(酒臭いお姉さん)がこちらに近寄ってくる。
「あ、先程は大変申し訳ございませんでした。どうかこの金額で手をうってください」
俺は怖い方のおねーさんに気圧されて財布から8000円を取り出した。
「いや、取らないから。ってさっきより千円増えてない?」
「あ、いや、その、先程は一枚残しておこうかと思ってしまいました。舐めた真似してすみませんすみません」
「お、お姉ちゃん、いじめちゃダメだよ」
「いじめてないっつーの!」
ふむ、見事な姉妹漫才だ。
こちらが初動のボケを提供するだけで微笑ましいものを提供してくれる。
「説明しよう〜」
すると今度は酒臭いお姉さんが口を開いた。口を開くと余計酒臭い。
「今酒臭いだの何だの失礼なことを考えたそこの大倉少年」
「は、はい」
「君あれだよね、何年か前テレビとかにも取り上げられていた天才少年ピアニストくんだよね」
「あ、はい。僕が天才です」
「清々しいけど腹立つなぁ〜」
できれば詮索されたくなかった俺の過去の話なのだが、今はもう吹っ切れた気分であった。
「あ、聞いたことある、大倉譲って。すごいピアニストいるって──」
今度は伊地知さんがそう口を開く。
「そう、そのコンクールでさまざまな賞をとりまくり若くして天才ピアニストの仲間入りを果たしていたはずの俺が大倉譲です」
「清々しいけどいらっとするなぁ〜」
ま、まあ事実だし? 仕方ないじゃん?
いい意味で注目されること自体は大好きなのだ。しかし、いくら昔がちょっとピアノ弾けるやつだったとしても、今はもう何も弾けない一般人なのだ。
「そういえば君さぁ〜」
「ぐっ」
今度は酒臭いおねーさんにヘッドロックをされる。
「私に嘘ついたよね?」
「な、何をでしょうか?」
「まだ何も聞いてないのに違いますーって言ってた」
「いやーははっ、覚えてないで、いてててやめ、ぎぶぎぶぎぶ」
するとヘッドロックの締め付けは増した。
いや、しかし、酒臭さの奥に女の人のいい香りが、というか胸が、くっ、痛いけど悪くねえ!
「お、お姉さん」
「あれーぼっちちゃんどうしたのー?」
「ち、ちかすぎ……じ、じゃなくて大倉くん死んじゃいます」
酒臭い、胸の感触、痛い、酒臭い、痛い、胸の感触、痛い、痛い、酒臭い、痛い、あ、痛く無くなってきたこれが天国──
悪くない、人生だったぜ。
はじめまして、天国。
そうして俺は一生を終えた。