トンネルを抜けるとそこは居酒屋だった。
「はっ」
がばり、と体を起こす。
ここはどこだ、私は誰だ。
先ほどまで酒臭くて柔らかい天国にいたはずではないか。
そう、確か後藤のライブを見に行って久しぶりにピアノを鳴らしてゲロ吐いてその後の記憶が一切ない。
というか、ここ、居酒屋……?
「あ、大倉くん起きた」
「え、あ、おはようございます」
目が覚めた先には伊地知さんが居た。
「横のぼっちちゃんは──灰になってるね」
「真っ白に燃え尽きた!?」
横を見るとそこには最終巻を迎えたボクサーのように真っ白になった後藤がいた。
「おい、後藤。死ぬなー、おーい」
「うえへへ、大倉くん、一緒に天国来てくれたんだ」
「いや、さっきまでいた」
「何で2人とも天国行きたがるの?」
伊地知さん、やはりツッコミのキレがいい。
「ほら、大倉も好きなもん頼みな」
「あ、怖いおねーさん……じゃなくて伊地知さんのおねーさん」
「そろそろ本当に怖いおねーさんになってやろうか?」
「ひいい嘘ですごめんなさい調子に乗りました」
伊地知さんのおねーさんがメニューをこちらに差し出してくれる。今日1日で分かったことなのだが、この人怖いけどめっちゃいい人だ。
「というか大倉くんさ、私とお姉ちゃんのこと呼びづらそうだから虹夏でいいよ、呼び方」
「え、いや、普通にハードル高いっす」
ほんと年上女性が得意じゃないと言っているのにこの人はなに下の名前で呼ばせようとしているのだ。うっかり惚れちゃうだろ。
「少年さ〜、いいだろ? 青春だよ〜? 虹夏ちゃんも呼んでほしいんだよね? だって今彼氏いないでしょ?」
「ちょ、彼氏は確かにいないですけどそーゆー意味じゃ」
やはり歳上というのは強い。下手に逆らわない方が身のためなのかもしれない。
たしかに「伊地知さん」と呼んだら姉妹お二人が反応してしまいそうではある。まあ、このまま関係が続けばの話なのだが。
俺はゴクリ唾をのみ、決心して口を開く。
「あ、あー、虹夏、せんぱい?」
「っ〜〜!」
恥っず、恥っず、何これ何の罰ゲーム?
というか虹夏先輩もそんなに頬を赤らめないでくださいほんと惚れちゃいますから。
というか酒のおねーさんも伊地知さん(今度から怖いおねーさんは伊地知さんと呼ぼう)もにやにやしないでほしい。
「ふふーん、譲くんけっこう可愛いねぇ。母性くすぐられる感じ〜」
「や、やめてくださいほんと俺コミュ力ないんで下の名前で女子呼ぶの慣れてないんです!」
「虹夏ちゃんも満更でもないしね〜」
「〜〜っ、わ、私ちょっとお手洗い行ってきます!」
酒のおねーさんにいじられて虹夏先輩は脱兎の如く席を立ってしまった。虹夏先輩、かわいすぎる、もう惚れちゃっていいかな?
「おい、あんま私の妹いじめるなよ」
「でも今の可愛かったでしょ?」
「くっ、たしかに……」
伊地知さんも立派なシスコンでした。
「いいから早くメニュー選びな」
シスコンさん、もとい伊地知さんはメニュー表をこちらに手渡した。
「じゃあ俺はレバ刺しとたこわさで」
「随分おっさんくさいメニューだな」
「悪かったですね、好きなんですよつまみ。はい後藤メニュー」
「あ、ありがとう」
俺はいつの間にか復活していた後藤にメニューを渡すと、スマホを構えている喜多さんへ伊地知さんは声をかけた。
「というか、ねえそれって──」
「イソスタです。わたし大臣なので!」
「大臣?」
喜多さんがシャッター音を鳴らしながらドリンクを写真に撮っていた。伊地知さんはそれに対して「それってさ、何が楽しいの?」と続けた。
「楽しい気持ちのお裾分けというか、友達が楽しそうだと楽しくないですか?」
喜多さんはそう言い満面の笑みを浮かべる。
キターンと光って見える。喜多ちゃんパワー眩しい!
「いいぞー、喜多ちゃんパワーでお姉ちゃんのひねくれ体質を浄化しちゃえ!」
「ひねくれ? 店長さん優しいじゃないですか!」
「やめろ……死ぬ……」
喜多ちゃんパワー恐るべし。あの恐怖の伊地知さんすら風化させてしまうほどの陽キャパワーだ。
「あ、あの、決まったのでメニューどうぞ」
後藤もメニューが決まり、喜多さんにそのメニュー表を手渡した。
すると、
「ありがとう! えーっとじゃあ私、アボカドとクリームチーズのピンチョス」
「うっ」
「ぴんちょす?」
後藤さんはうめき声をあげ、俺は突然現れた謎の単語にはてなマークを浮かべる。
全く通用しない中南米系の助っ人外国人投手みたいな名前だな。
「あと、スパニッシュオムレツのオランデーズソース添えください!」
おらんでーずそーす?
「ぼっちちゃんは何食べる?」
伊地知さんは喜多さんの注文をなんとか確認すると次は後藤の番であった。
「あ、じゃあ、まっ、マチュピチュ遺跡のミシシッピ川グランドキャニオンサンディエゴ盛り合わせで」
「ふむふむ、マチュピチュマチュピチュってあん? どこだ?」
いや流石にそんなメニューあるはずないだろ。確かに喜多さんのメニューも本当にあるのか些か疑問であったが、少なくとも今の後藤の注文はあるはずがない。マチュピチュだぞマチュピチュ。かの有名な空中都市をどうやって食らうんだ。
「あっ間違えました、フライドポテトです」
「どんな間違いだよ」
おそらく喜多さんに憧れて唱えたであろう謎の呪文は早急に引っ込めて普通のポテトを頼んだ。
「私は酒盗」
「君いくつ〜?」
リョウ先輩はこれまた渋いチョイスであった。
だが分かる、分かりますよリョウ先輩。
「流石です、リョウ先輩」
「君もなかなかいい注文」
ぐっと腕を組む、俺たちの間には友情が芽生えていた。
「いやそこ何の結束だよ……」
・
俺は居酒屋の雰囲気に少しだけ当てられて、一度外の空気に吸いに行くことにした。
そもそもぼっちにとって歳上のきれーなおねーさん方に囲まれている状況を耐え切れるはずがない。こうやって息を整えにいかないと、それこそ灰になって消えてしまう。
「あー、もう結構暗いなぁ」
というか俺は一体何時間気絶し天国に行っていたのだ?
それにあの天国の柔らかさ、一体何だったのだろうか。思い出せない。
「あれ、大倉くんだ」
「あ、虹夏先輩」
居酒屋の外に出ると、虹夏先輩が居た。
そういえば、先ほどから姿が見えないと思っていたが、外に涼みに出ていたのだろう。
「大倉くん、ありがとうね」
「え、何がですか?」
「ぼっちちゃん、夏休み前とか学校楽しそうだったから」
「あ、はあ、そうですか」
そうだろうか。
俺の目に映る後藤は、正直いつも変わらずあんな感じだ。奇声を発したり、突然の謎の発作を起こしたりと結束バンドメンバーといる時と特に変わらない。
「うん。ぼっちちゃん、はじめて会った時よりちょっとだけ変わった気がするから」
「あ、はい」
「もちろんね、私たちに打ち解けてくれたってのもあると思うんだけどさ。喜多ちゃんは同じ学校だけどクラスは違うから」
確かに、後藤は友達になる前から考えたら変わったのかもしれない。
目を合わせるどころか、まともな返事もできなかった彼女が、今では一応俺と会話することくらいはできる。目は合わせてくれないが。
それは成長と取ってもいいのだろう。
であれば、きっとそれは俺なんかの力じゃなくて──
「た、多分それ、結束バンドとSTARRYの皆さんのおかげだと思いますよ」
「え?」
「俺も後藤と同じでぼっちなんで、傷を舐め合ってただけです」
「確かに大倉くん意外とぼっちちゃんに似てるところあるよね」
「ゔっ」
そう言うと、彼女は茶目っ気のある笑みを浮かべて髪の毛を揺らした。
居酒屋から漏れ出る光が彼女の綺麗な髪に反射し、俺の目には一段とキラキラして映っていた。
「なんで、まあ、後藤が変わったのは先輩たちの影響だと思います……俺友達少ないし人を見る目無いですけど、先輩たちはいい人なんだろうなーって思いました」
「あはは、急に素直になられても照れるなぁ」
虹夏先輩は照れを隠すように指先で頬を掻く。
なんかいちいち仕草が美少女で照れるんですけどやめて下さい。惚れますよ?
「そういえばさ、あんまり聞いていいのか分からないけど、ピアノのこと……」
「ああ、気にしないでください。俺的には弾きたいんですけど、体が言うこと聞いてくれないだけです」
「……そうだよね、何があったかは知らないけど音楽と楽器に罪は無いはずだよね」
「ええ、おっしゃる通りです」
虹夏先輩は、妙に俺のピアノについての話題に触れたがる節がある。
デリカシーがないと言えばそれまでなのだが、俺はそんなに気にしていないし、彼女なりの距離の詰め方なのだろう。
「PTSDと心因性ジストニアらしいです」
「え?」
「まあ端的に言うとパニック障害とイップスです。一応ちゃんと病院行ったんですよ、でも自分的にはメンタルはそんな辛くなかったから何でか理由わからなくて」
突然暗い過去を一人語りし出してしまう。
居酒屋の空気に酔わされたのかもしれない。
「家庭内ごちゃったのは事実なんですけど、自分的にはそこまで引きずってなくて、弾けなくなった理由がわからないので直しようがありませんでした」
空気を悪くしてしまった。
別にわざわざ、今日みたいにライブがうまくいっためでたい日にする会話ではないのに。
「それってさ、大倉くん無理してたんじゃない?」
「え?」
「きっと弱い自分を見て見ぬ振りをしていたんだよ。それは悪いことじゃないけど、それも自分なんだーってちゃんと認めてあげないと」
「──あ」
心の中で、何かがストンと落ちる音がした。
これが腑に落ちたってやつか。
俺は、弱い自分を曝け出すのがただ恥ずかしくて許せないから、認めず隠していただけなのだ。盲点だった。
……いや、本当は気がついたはずだ。だからこそ、今日の後藤の演奏に俺は心を動かされたのだ。
人前に立つのが苦手で、でも目立ちたい承認欲求の塊で、面倒臭い幾つもの感情が混ざり合って、それでも自分に嘘をつかないで舞台に立った。
その姿にみんなの背中は押されたのだろう。
そしてもちろん、それは俺も。
「虹夏先輩、ありがとうございます」
「え、なに? どうしたの急に」
「俺、自分のこと好きになります」
「何言ってるのほんと急に……」
ほんと、何を言っているんだか。
「虹夏先輩、カウンセラー向いてそうですよね」
「え、そうかな? なんかちょっと嬉しいかも」
「ぼっち相手専門の」
「そんな限定されるの!?」
「だって俺とか後藤とか、ぼっちを手玉に取るの上手いじゃないですか」
「言い方が悪いなぁ」
それにしても、最初は後藤のバンドメンバーなんぞ心配していた。変な奴だし都合よく使われてないかとかいじめられていないかとか。
どうやらそれら全てが杞憂だったらしい。
「そうだ、良かったらなんだけど、大倉くん結束バンドでキーボードやってみない!?」
「えっ?」
虹夏先輩の口から出たのは予想外の言葉であった。
だが、そう考えると全てに合点がつく。俺にピアノのことを聞いたりするのは、きっとこのためというのもあったのだろう。
「弾けるようになったら、で大丈夫だから」
「か、考えておきます」
だが、今の俺はまだ弾けるわけじゃないのだから足を引っ張るのは火を見るより明らかだ。
だが、誘われて本当に嬉しかった。
だから、とりあえず今のところはこの保留の回答が俺に取っての精一杯だった。
「あんま優しくされちゃうと惚れちゃうだろほんと……」
「え"」
……ん?
「え?」
「あ、あはは、その……急にそんなこと言われると困っちゃうかも……」
「あ、ああ、あ、いや違うんです本当に、いつもの心の中のボケが口に出ちゃったんです許してください何でもしますから!?」
「心の中のボケって何!?」
あ、危ない。
危うく俺がちょっと優しくされただけですぐに惚れるちょろちょろコミュ障陰キャぼっちだと思われる所だった。
「お、俺もうそろそろ戻りますね。に、虹夏先輩も戻りますか?」
「い、いやー、私はもう少しここにいるよ。さ、先に行ってて」
「は、はい」
俺は恥ずかしさを隠すようにして足早に居酒屋へと戻ろうとする。
が、もう一度だけ足を止めた。
「虹夏先輩、ありがとうございました!」
「──うんっ!」
そうして俺は再び足を動かして居酒屋に戻ろうとすると。
「あっ」
「あっ」
後藤がいた。
え、今の話聞いてたの? 聞かれてた? え、まじで?
「……お、大倉くん、に、虹夏ちゃんと仲良いんだ」
「あ、いやー、人生の先輩としてアドバイスもらってただけ」
「……ふ、ふーん」
「え、待ってほんと何もないから誤解だから変な噂とか流さないで虹夏先輩にも迷惑かかるし──あ、いややっぱ何でもないや。後藤友達いないから変な噂も流れようないか」
「……」
いやなんか言えよ。
無言だとどう思ってるか分からないだろ。
「じゃ、じゃあ俺は戻ってるから……後藤は虹夏先輩に用事あったんでしょ?」
「は、はい」
いつもと違う、居心地の良くない沈黙だったため、俺は早く終わらせようとその場を後にする。
今日のことを考えると虹夏先輩にも感謝だが、こう見えてもお前に一番感謝してるんだからな。
「ありがとな、後藤」
居酒屋の喧騒の前で呟いた言葉は、彼女の耳に入ることなく夜の闇に溶けていった。