1978年、財閥解体後も再結集し依然として日本社会に確固たる地位を築いていた月山グループ傘下の研究所にて、一つの革新的な技術が発表された――人工食物生産システムの確立である。
人工食物とは、有体に言ってしまえば培養人肉であり、これは専ら喰種のために生み出されたといっても過言ではなかった。
そのため、開発当初より内外から激しい批判を受け、一時は研究の無期限凍結まで危ぶまれたが、月山グループの上層部が異常なまでの熱心さで研究を推し進めたことにより、システム確立にこぎつけた。
生産システムには高コストというデメリットがあったが、これは一旦月山グループが負担する形で治め、後に政府の負担となった。
日本政府は即日記者会見を開き、月山グループの活動を最大限に支援し、さらなる研究支援と喰種対策法の改正を約束した。
これは月山グループ並びに関連企業からの圧力と、月山家当主月山観母氏と時の内閣総理大臣の個人的な友誼による根回しで、改正法案を国会へ提出した当初は野党から相当な突き上げがあったものの、
「これで喰種の影に怯えずに済むようになる」
という総理大臣の一言により、民意に押される形で法律が成立し、翌1979年、喰種対策法改め喰種保護法が施行された。
懸念事項であった
法案の内容は改正以前とは大きく異なり、喰種の権利をある程度認めるものとなったが、あくまで最低限の衣食住の保護にとどまり、依然として喰種を基本的人権の適用外としていた。
居住移転の自由については一切認めず、政府の管理する居住区(口さがない者は強制収容所と呼んだ)に押し込め、これを拒否した喰種は容赦なく
法案施行により政府の負担増と引き換えに喰種被害が劇的に減少し、多くの市民は喜んだが、それ以上に喜んだのは喰種であることは間違いない。
人類種の天敵である喰種が、何故天敵となったのかは言うまでもなく、人肉を捕食してRC細胞を摂取しなければ生命活動が維持できないためである。
その前提が崩れれば、一部の過激派を除き、人工食物にありつきたいと考えるのは自明の理であった。
喰種がみな、好き好んで人を殺したいと思っている訳ではなかった。
例え仮設住居に押し込まれ、最低限の衣服しか与えられず、一か月に一度しか食物が供給されないとしても、それまでの生活に比べれば遥かにマシだった。
そして何よりも、生きていることを許される、その夢のような現実を実感した喰種達は狂喜乱舞したのである。
だがその現実は、あくまでも日本国内に限ったものであり、国際社会は依然として喰種排除を悲願としていた。
喰種との共存という歴史的ニュースが世界中に飛び交っても、世界各国は腰を上げるそぶりすら見せなかった。
海外に居住する喰種達の絶望は計り知れない。
希望を打ち砕かれた彼らの目線は、もはや自国にはなく、日本に向けられていた。
一度夢を見た人間を止めることは難しい。
力を持った喰種ともなれば尚更である。
当然というべきか、必然というべきか、改正法案可決から間もなくして日本列島へ向けて大量に海外喰種の不法入国が相次いだ。
人口過密地帯である中国大陸。
地理的に近い朝鮮半島、台湾、極東シベリア。
東南アジアからボートで乗り込んでくるのはまだかわいいもので、遠くアメリカ西海岸からアラスカ、オホーツクを経由して泳いで渡ってきた猛者まで実在する。
これら招かれざる客達の増加に伴い、比例して犯罪件数は飛躍的に増加した。
喰種保護法の適用はあくまで日本国内の喰種に向けたものであり、海外喰種にまで適用できるほどの法整備はなされていなかった。
適用を日本国籍を持つ者に限定するという意見もあったが、そもそも日本の喰種にさえ日本国籍を持つ者が少ないという事実から却下され、日本政府は事態の収拾になりふり構わず強硬手段を取ろうとした。
C.C.Gに丸投げしたのである。
当時の混迷ぶりが分かる迷采配だった。
C.C.Gからしても余りにも過度な要求と言わざるを得なかった。
そもそも日本国内の喰種居住区の管理は全てC.C.Gの管轄とされ、人手が足りないところに今度は海外喰種の取り締まりである。
手足が六本も八本もあって、なお足りないだろうという惨状だった。
「喰種の赫子でも借りたい気分だね」
とあるC.C.G局員の発言とされるそれは、もちろん冗談のつもりで発したものだった。
しかし、前述の通り人手は全く足りていなかったし、日本政府はなりふり構っていられなかった。
「事ここに至り、我々は、種族の垣根を越えて、一致団結する必要に迫られているのであり、賢明な喰種諸君に、日本喰種としての義務を果たして貰いたいと思っているわけであります」
これは総理大臣の、「喰種保護法第15条」追加法案を国会に提出した際の演説を一部抜粋したものである。
第15条は、簡単に言えば海外から来た「渡来喰種」の侵略に在来の「日本喰種」をぶつけて対抗する、言わば
新たにC.C.Gの中に日本喰種採用枠が追加され、通常の職員とは隔離された部隊が編成された。
居住区から徴兵されたのはいずれも腕の立つ喰種で、人品には一切考慮されていなかった。
ちなみに「日本喰種」なるものの定義は、
「日本に生まれ、日本を愛し、日本のために死す」
などという至極曖昧で滑稽なものであった。
このような、前時代的であり時代錯誤的な定義に鼻白む者は少なからず存在したが、どうせ死ぬのは喰種であり、こうでもしなければまた喰種に怯える生活が来ると言われてしまえば、掌を返して賛同した。
日本喰種に義務を与えた政府は権利を与えることも忘れなかった。
功績が認められた喰種には褒賞として基本的人権が与えられ、一親等と配偶者には居住区からの外出さえ許すとした。
日本政府としては、一刻も早く彼らに日本に対する帰属意識を持って欲しかったのである。
そもそもの喰種の性として、徹底的な個人主義と利己主義があった。
これまでの彼らの生活からすれば当然のことではあるが、曲がりなりにも人間と共存していく以上、これらの要素は無くせないにしても可能な限り薄めておきたかった。
士気が高い彼らの目の前に更に飴がぶら下がったことにより、新設された喰種部隊の働きは鬼神もかくやというものだった。
その働きで多くの渡来喰種が駆除され、辛うじて生き残った者も特別収容施設コクリアに監禁された。
栄光を以て凱旋した彼ら日本喰種達を、同胞である喰種は称え、人間ですら手放しで称賛した。
その中でも際立った功績で名を挙げ、名誉日本国民第一号として英雄となった者が芳村功善である。
彼は共食いにより赫子を身に纏う赫者となった変異種であり、実力は他の喰種より頭一つ抜けていた。
一人娘の教育を受ける権利のために自ら志願した彼は、その後も各地の戦場を転々とし、日本喰種達の立身出世の象徴として生ける伝説となる。
だが、渡来喰種の不法入国の増加に伴い彼らの奮闘もその勢いを失っていくこととなる。
世界各国は日本に喰種が逃げ出していくのを見て、これ幸いと国営メディアに圧力をかけ、日本列島が喰種の楽園であると印象付け、情報弱者である喰種達にも簡単に伝わるように報道し、焚きつけた。
外交ルートを通じて連日抗議を繰り返していた。
だがそれらは全て意味を為さず、意趣返しのように飛行機に満載になった喰種達を観光と称して送り付けた。
日本政府は激怒したが、それよりも遥かに激怒したのが日本喰種達である。
自分たちが血と汗で築いた人間たちとの信頼をいとも容易く破壊して回る渡来喰種達は彼らにとっては不倶戴天の敵であった。
日本政府の思惑通り、日本喰種達は日本に対する帰属意識を確立するに至った。
しかし、歴史を知る者にとっては自明の理だが、一度権利を得た者がその権利を奪われようとする時、彼らは苛烈な手段と意思を以て抵抗する。
どん底から這い上がってきたなら尚更であった。
日本喰種は、ナショナリズムをも得てしまったのである。
盛大に続かない