その日は雨だった。
部屋の閉め切ったガラスに、未練たらしく水滴が流れ落ちる。
戸惑いも悲嘆も全部洗い流してくれたらいいのに。
(なーんて、ポエムなんて詠んでもしょうがないわよね……)
雨宮千雨は寮の部屋で小さくため息を吐いた。
吐いてから、自分のため息の多さに気づく。
(あーあ、余計に気が滅入る。ため息なんて吐いてもしょうがないのに。ネガティブよねえ、私。はあ……。あ)
普段の何でもない所作にまで後ろ向きな意味を見出すのは、気疲れの証拠だろう。
ベッドに倒れ込もうかと思ったが、二段ベッドの梯子を上るのも億劫だ。
GAKUENに初めて来た日、
鳴神美雷が先輩と決闘をして、
疲れて寝て、
下の段のベッドに美雷を運んだあの日から。
ベッドの下の段は美雷のものだ。
このGAKUENに来てから、千雨が自分自身に誇れる数少ないことのひとつ。
あの時、美雷をおんぶしてここまで運んだこと。
『そんなことを? 』と人は笑うかもしれないが、千雨が自分の体一つでやったこと。
その後からはずっとお世話になりっ放し……というか助けられたばかりの同居人に。
ドアの開く音が聞こえた。
「千雨ーーーー!! 晩御飯にするんだぜ!!」
「もう、騒がしいわね……。そんなに大声出さなくても、二人しかいないんだし。この寮の壁うっすいから隣に聞こえるわよ?」
わわ、と美雷が両手で口を塞ぐ。
そんな漫画の一コマみたいな光景に、思わず鼻で笑ってしまう。
さっきまで溜息ばかりついてた癖に。
部屋の中央のテーブルで二人で協力してご飯を広げる。
今日の食料調達係は美雷だ。
寮の一階の食料自販機。
誰がいつ、補充をしているかわからないそれは魔法少女達にとって貴重な食料源。
おカネを持っていく都合上、チンピラみたいな連中がたむろしていることも多かったが、最近は見ない。
……平和に、好きなものを調達できるのはいいことだ。
そして、美雷が食事当番の時にいつも食卓に並ぶものといえば――。
「……あれ?」
「千雨? どうしたんだぜ? 今日は千雨の好きなハンバーグだぜ!!」
「美雷、今日は買わなかったんだ?」
「……? 何のことなんだぜ?」
「肉まん」
「……あ!! 買うのを忘れてたんだぜ!!」
頭の後ろに手をやって、笑っている。
それを見るにつけてもまた、ため息が――。
「千雨」
「……なに?」
「やっぱり図書室で見たアレ……気にしてるんだぜ?」
「……あなたは気にしてないの?」
思わず食って掛かるような物言いになる。
申し訳なさそうにしている美雷を見て、千雨はよりいっそうの自己嫌悪におちいるのだった。
「ここがどんな場所でも、頑張っていくしかないんだぜ!! みんなで究極の魔法少女に……」
「ごめん、美雷」
美雷が驚いてこちらに目をやる。
その視線を逸らすように、千雨は顔を下げたまま言った。
「私は……いつも通りになんてしていられない!! だって……だって……!!」
狭い部屋に、少女の声が響く。
「あんなものを見たっていうのに!!」
●
図書室で四天王のひとり、紫戦車のバイオラを倒した後のこと。
ひょんなことから千雨たちは床にある秘密の鍵穴を見つけた。
同じく四天王である橙忍者のオレンからもらった鍵は見事に当てはまり、地下への階段が現れたのだ。
千雨たちは奥へと進んでいった。
言うなれば好奇心。
自分達が驚くような発見を期待する、さしずめ胸躍る冒険気分。
そして、その感情は粉々に打ち砕かれた。
階段を下りて、千雨達の眼前に広がっていた光景。
それは――。
何もない、真っ白な空間だった。
比喩でもなんでもない。
真の意味で何もなかった。
まるで透明なフィルタを何枚も、何枚も重ねて、果てがないくらい重ねて。
どこまででも見通せるけれども、どこまでいっても何もない。
まるでこの世のモノとは思えない光景。
千雨は強烈な
そして、吐いた。
何もない空間に千雨の
千雨の胃から逆流したそれは、いつまでも落ちていき――。
やがて最初から存在しないように見えなくなった。
●
外では、雨が降り続けていた。
まるでこの世界は潔白であると、全ては普通に回っているとでも言いたげに。
いっそ知らなければ、どんなに楽だったか。
けれど千雨たちは見てしまった。
このGAKUENは何かがおかしい。
生徒が荒れているとか、規則の類がガバガバであることなんて些細なことだった。
もっと根本的に、この場所には得体の知れない
あの場にいる全員が、そう思ったはずだ。
千雨の目の前にいる黄色の魔法少女だって――。
「あの時はビックリしたんだぜ……」
「そうね、いくらあなたでもそうでしょう……」
「千雨、酔いやすい体質なんだぜ? でも揺れとかはなかったんだぜ……?」
「……っ!!」
バン!! と暴力的な音が響いた。
まだ片づけてない食器類がカチャリと鳴る。
千雨が机を、両手で叩いたのだ。
「ふざけないでよ!! 誰が酔いやすいよ!? そんなミッエミエの気遣いで私が喜ぶと思ったの!? あなたそんなに頭悪くないでしょ!? 自分がバカやれば喜んでくれるって思ったの!?」
「千雨……私はただ……」
千雨がはっと気づく。
目の前の美雷は今にも泣きそうな顔をしていた。
今まで散々、美雷の力になりたいと、ずっと言ってきて――。
その結果がこれか。
「……っ!! ごめん!! そんなつもりじゃ……そんなつもりじゃない!! ごめん!!」
千雨は立ち上がって部屋から飛び出した。
まるで逃げるように。
(私……最低だ……!!)
結局、何一つ変わっていなかった。
GAKUENに来て、鳴神美雷に出会って、それで都合よく変わりたいなんて願って。
性根は何一つ変わってないではないか。
(逃げてばっかりの臆病者……!! バカッ……バカッ……私のバカッ!!)
雨の中を飛び出す。
傘をさすなんて発想は、今の千雨にはない。
むしろ濡れていたいとすら思った。
気付けば寮の裏の壁にもたれかかっていた。
服が水分を吸って重たくなる。
意識が心の奥底に沈んでいく。
かつて桃ヶ崎晴菜が鳴神美雷に言っていたこと。
自分との決闘を受けなければ、雨宮千雨は寮の裏で野ざらしだと――。
ふっと自嘲気味な笑みが浮かんだ。
その方が良かったのだろう。
自分みたいな人間、誰とも接するべきではなかったのだ。
人の足を引っ張るだけの、お荷物。
劇的な幸せも劇的な悲劇も訪れない。
ただ、漫然と生き、そのまま終わるだけの――。
「千雨!!」
声の主は、鳴神美雷だった。
なぜここにいるのか。
聞くまでもない。
だから千雨はその声に気づいても、体育座りで顔を伏せてみる。
自分からすれば、超人的な人格者で強者。
全く手の届かない
こんな卑屈でダメな人間もいるんだぞ、という。
一言で言うなら、イヤミである。
「……帰ってよ」
「こんなところにいたら風邪をひいちゃうんだぜ!!」
「いいもん。風邪ひいて、TAIGAKUになって、そのまま魔法少女なんてやめてやる」
「……千雨!!」
思わず顔を上げる。
聞こえた台詞が妙にガラガラ声に聞こえたから。
ずぶぬれのセーラー服に負けず劣らず。
鳴神美雷は、顔をグシャグシャにしてそこに立っていた。
「……泣いてやんの」
「泣いて……ない……」
「……。いや、泣いてるでしょ?」
「これは……雨なんだぜ……」
「ベタなのよ……ばか」
雨は降り止む気配もない。
千雨の気持ちだって、とめどもなくあふれてくる。
いつもなら心の中で思うだけの一言一言が、何の重しもなく口を衝いて出ていく。
「私のことなんか放っとけばいいのよ……お人よし」
「そんなこと……できない。だって千雨は友達で……」
「たまたまあの日、電車で会って、たまたま同室だっただけじゃない。ぜーんぶたまたま」
「それでも今まで一緒にいた」
「別の人と一緒の方が、あなたも楽だったんじゃない? 私の力なんて役に立ってない!!」
「そんなことない!!」
「どう考えてもそうでしょ!!」
つまり、だ。
「私なんかいなくたっていいのよ!! 替えなんていくらでも効く存在!! 代わりの歯車だか、上位互換だか知らないけど、いくらでもいるでしょ!! 何で私が頑張らないといけないのよ!? 何で私がいなきゃいけないのよ!? ねえ、ねえ……!?」
はたと千雨が止まる。
さすがに状況にたじろいだからだ。
美雷はいよいよ顔面崩壊して嗚咽をもらしていた。
本邦初。
鳴神美雷の号泣フェイス。
「千雨がいなくなったら、私が悲しいんだぜええええぇぇええええぇぇーーーー!!」
「そ、そんなに……!? ってかあんまり大声で泣かれるとさすがに恥ずかしく……」
「泣いてないんだぜええええぇぇええええぇぇーーーー!!」
千雨がこれはいかんと必死にあやす。
正直、もう自分の話は忘れた。
程なくして美雷はすすり泣き程度には収まった。
その様子を見て、千雨は溜息を吐いた。
何だか、毒気が抜けた。
冷たい雨も、今は心地よい。
溜息と一緒に鬱屈とした気持ちが出ていったようだ。
「……帰りましょっか」
「……うん」
こんな自分にそこまで言ってくれてありがとう。
その一言だけは胸にとどめておいた。
●
二人してずぶ濡れになったから着替えてお風呂に入った。
着替えた後、小腹がすいたから寮の1階で肉まんを買った。
1個じゃ多すぎるから、二人で半分こして食べた。
その後、遅くまで雑談していた。
良い時間になってきてベッドに入ろうかという時だった。
「じゃあ電気を消して寝るんだぜ!! 寝るぜ寝るぜー!!」
「もう……電気を消すだけなのに毎日騒がしいのよ……」
初日からずっとそうだ。
癖みたいなものかと思っていたが、千雨にはある仮説があった。
「暗いのが怖いの?」
「……!! まあ、そういうところもあるんだぜ……」
やっぱり、と千雨は頷いた。
何やかんやずっと一緒にいるから、それくらいのことはわかる。
でも、美雷の寂しげな顔はそれだけじゃないことを物語っていた。
「暗いと自分が独りなんだって考えちゃうんだぜ……結構怖いんだぜ……」
鳴神美雷にも怖いものはある。
そんな当たり前のことでも、千雨は知ることができて良かったと思うのだった。
「ああ、そういうこと。その割にはすぐに寝ているようだけど……」
「そうなんだぜ?」
「そう!! でもってたまにイビキをかいてる!!」
「全く気付いてなかったぜ!! ……でも相部屋って二人で一緒のベッドに寝るものだと思ってたんだぜ。だからちょっと……その……」
え? と千雨が美雷に目をやる。
美雷は何やら右手と左手をしぱしぱと揉みほぐしていた。
どうやらモジモジしているらしい。
「……じゃあ、今日はいっしょに寝る? 下のベッドで」
「……!! ありがとうなんだぜ!! 実は一回やってみたかったんだぜ!! 千雨、よくわかったんだぜ!?」
「そりゃあ、そんな目で見られたらね……」
千雨は枕だけ持ってきて、美雷のベッドに入る。
なるほど確かに、二段ベッドの下は視界が覆われて寂しさが出ているかもしれない。
……天井が近いのも似たようなものだけど。
そんな感想を抱いていたら、美雷がにっこりと笑みを浮かべた。
「私のベッドにようこそなんだぜ!!」
「もう、大げさね……」
「でもお泊り会みたいで楽しいんだぜ!! 千雨、ありがとうなんだぜ!!」
「お泊りも何も毎日いっしょに生活してるでしょ……。まあでも、今日も美雷には苦労をかけちゃったし……これくらいは、ね」
電気を消す。
二人で横になる。
美雷の体は温かだった。
得意の『究極入眠』はもう発動しただろうか。
まあ、その方が都合よいだろうと思い、千雨はつぶやいた。
「ねえ美雷……私もなれるかな、立派な魔法少女に……」
何かしらの信念をもって、人を助ける。
そんな存在に――。
「……」
「もう寝ちゃったか……」
「……なれると思うんだぜ」
「……!! 起きてたんならそう言ってよ!! ……もう!!」
かたや、優しくおどけた口調
かたや、怒っているようで満更でもない口調。
他愛もないやり取りだけど、幸せな時間。
夢か
二人でそのまま遠い世界へ――。
●
――GAKUEN、夜の校長室にて。
しっかりとした椅子に白スーツに髭の男、更にそれと向き合う形で短髪赤毛のガタイの良い男が立っていた。
「はっはっは!! 魔法少女達の平和な日常の一幕!! これもまた究極の『日常』に必要なものなのだ……!!」
「ガハハ!! 校長の趣味は知ってますけどねえ!! これって本当に正しいことなんですかね!!」
「ククク……君までそんなことを言うのかね? 橙忍者のオレンは裏切り、バイオラも魔法少女に破れた……。降りても構わないが、その行動に意味があると思うかね?」
「ガハハ……!! わかってますよ……!! 俺は俺の仕事をやる……!! それにしたってGAKUENでやるべきことはまだ残っているはずでは? しかし残された時間も少ない……計画は既に破綻してませんかね? ガハハ!!」
「はっはっは!! 心配にはおよばない……明日に全部やる」
「ガハ……え?」
赤毛の男が真顔で対面の男を見詰める。
そのどこまでも黒い瞳からは、何も読み取ることができない。
「なに、難しい話ではない。残った主なイベントは文化祭に体育祭……要するに祭りを開けばいいのだ。そう、祭りをな……。そして最後に締めくくる……」
「魔法少女の卒業式でな」