正直言って、私にとって学校に行くのは苦痛以外の何物でもない。
周囲が自分などいないかのように振る舞い、楽しそうに青春を謳歌している姿を見せつけられるわけだから。
だから仮病をしようと思ったことなど一度や二度では済まない。
だけど、その度にお母さんはそれを見破って学校へと行かせた。
そのくせ、私の体調が悪いと機敏にそれを感じ取って学校を休ませた。
これが母親の愛の成せる業なのだろう。
お母さんは私の事を本当によくわかってる。
つまり、何が言いたいかと言うと。
「ひとりちゃーん、お風呂場に居るならお風呂を沸かしてちょうだい」
「あ、はい……」
私が氷風呂を作って無理やり風邪を引こうとしたところ、先手を打つようにそんなことを言われてしまった。
「お姉ちゃんってばわかりやすいからね!!」
「わんわん!!」
妹のふたりと愛犬のジミヘンにまで小馬鹿にされる始末だった。
そこで私は考えた。
別に氷風呂じゃなくてもいいじゃん、と。
風呂上がりに湯冷めすれば、逆にこっちの方が効果あるんじゃないかって。
そうして私は扇風機を引っ張り出し、風呂上りに下着姿でギターをかき鳴らした。
すると。
「ひとりちゃん、明日バイトがあるんでしょ。
お馬鹿なことしてないで、ちゃんと早く寝なさい」
「はいぃ」
母は強し。
私の浅はかな行動を見破ったお母さんはそう言って一階に戻って行った。
いつもこんな感じだった。
でも仕方ないじゃないか。
嘘ついて学校を休んでも、なんか罪悪感あるし、私の存在を忘れられるかもだし。
なら病気になるしかないじゃない!!
病気やウイルスは平等だ。
小学校の頃にインフルエンザで学級閉鎖になった時も、私だけ忘れられることなく感染したし。
あの時は苦しかったけど、どこか解放された気分だった。だって誰もが病気で休んでいる。正々堂々、学校に行かなくて良いんだから!!
でも中学生の頃、お腹の風邪になった時は生き地獄だった。
ずっとお腹が痛くて眠るのもやっとで、トイレに行っても出るものが無い。それが三日以上続いた。
お母さんたちも心配して、毎日お医者さんを呼んでくるほどだった。
それらを布団の中で思い返し、私は大人しく眠ることにした。
あの時、お医者さんに言われたんだ。
「君は多くの人の愛で生かされているんだから。早く元気になるんだよ」
と。
愛ってなんだろう。
丈夫に産まれたことを恨んだこともあるけど、決まってその日はお母さんは悲しそうな顔をしていた。
やっぱり、私は分かりやすいんだろうか。
明日は、初バイトの日だ。
朝起きると、スマホの新着からアプリを開くと、虹夏ちゃんからメッセージが届いていた。
『おはよう(*^▽^*)
今日はバイト初日だね!!
不安だろうけどちゃんとフォローするからね!!
一緒にがんばろう!!』
ま、ママぁ~。
これがバブみと言う奴なんだろうか。
これはもう天使を通り越して女神、地母神なのでは?
虹夏ちゃんは私の第二の母になってくれる女性だった?
……いや止めよう、なんだか変態みたいだ。
虹夏ちゃんは優しいし可愛いし、きっと学校でも人気者だよね。
はッ、も、もしかして彼氏とか居るのかも!?
だとしたら急に遠い存在に!?
の、脳が、脳が破壊されるぅ!? *1
万人に優しそうな女の子の笑顔が、特定の男性に対して特別なモノが有ると知ってしまった時の感情がががががが!!
こ、こんなに苦しいなら、愛など要らぬ!!
私は悟りを得て、虹夏ちゃんにメッセージを返した。
『自分がいかに愚かで卑しい存在か気づきました。
気づかせてくれて、私を苦しみから解き放ってくれて本当にありがとうございます。
今日からお寺に出家しようと思います』
『いや、ちゃんとバイトに来てよ!!』
即レスでした。
§§§
そして、学校を終え放課後になり、私は
「(着いちゃった、入りたくない……)」
もう一度入ったんだから、今度は独りで入れるはず。
そう思って、ライブハウスのドアに手を掛ける。
「(ぼっち頑張れ、ぼっち頑張れ、ぼっち頑張れ────)」
まるでドア型のオブジェかのように、扉を開けようとしても動かない。
いや、動かないわけじゃない、この間はちゃんと開いたんだから。
動かないのは私。バイトと言う囚人労働への拒否感が、決意を持って入ろうとする私を石像にしてしまう。
「チケットの販売は17時からですよ、まだ準備中なんで」
私がその声の方を向くと、目つきの鋭いヤンキーもかくやという女性が話しかけてきた。
「(スタッフさん!? あッ、怪しまれてる……誤解を解かないと……)」
「(役人の持ってきた書類で一応顔写真は知ってるけど、一応初対面だし、知らない振りしておかないと)」
「あっうぇ……いったん、おちおち、おち、おっおちついて?」
「お前が落ち着け」
だって無理、いきなり不良系の年上の女性と話すなんて私の人生経験で皆無だしー!!
「あたしはここの店長だけど、あんた客じゃないの?」
「あっえーと!! 私は今日からここでバイトさせてもらう者でしてきっと恐らく虹夏ちゃんからお話が行っていると思うのですけどすみません私なんか雇ってもらえませんよね身の程を弁えますじゃあお家に帰りますぅ……」
「いや、話は聞いてるから。中に入りなよ」
取り乱した私に引いたりせず、店長さんはライブハウスのドアを開けた。
「あ、履歴書でふ……」
私はバイトと言えば面接をすると聞いているので、己の罪状を書かれている書状を差し出すが如く店長に履歴書を渡した。
「うん。うわ、びっしりと書いてある……」
「あっ、履歴書はなるべく埋めた方がいいって、ネットで」
「学生バイトなんだから、そんなにお堅くなくて良いんだよ」
あっ、そうなんだ……。
「(実際志望動機とか自己PRとか、必死に絞り出して書かなくてもよかったんだ。そもそも仕事をさせてもらうのに本人希望記入欄とか、書くの烏滸がましいよね。もし、変な事書いて雇ってもらえなかったら、あばばばば!!)」
天使虹夏エル「(バイトの面接にも受からないとか、人間じゃなくない? ソドムとゴモラっとく?)」
デーモン山田「(こちらに短期間で稼げるバイトがあるよ、ちょっとマグロ取りにいくだけだから)」
人 間 失 格 !! もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました。
昔読んだ太宰先生の「人間失格」の一文が脳裏を過ったのです。
「恥の多い人生を送ってきました。自分には陽キャの生活と言うものが、見当もつかないのです……。だけどマグロ漁船だけは勘弁してください……」
「私はどんな鬼畜外道だよ」
「じゃ、じゃあ、圧迫面接……は?」
「いや、面接の全てが圧迫面接じゃないって」
そ、そうなの?
面接って面接官からネチネチと揚げ足を取られ続けるのを耐えながら、靴を舐めて合格という慈悲を乞う行為全般の事なのでは?
「虹夏から聞いてるって言ったじゃん。
面接は特に無しでいいよ」
「無しってことは、不採用? 門前払い? う、噂に聞く、お、お祈りメールが!?」
「おーい、大丈夫かー、現実に戻ってこーい」
「はッ、すすす、すみません!!」
またやってしまった……。
やっぱり私に、バイトなんて無理なんだ……。
「お!! ぼっちちゃん、早いね!!
お姉ちゃんもおはー」
「え、虹夏ちゃんのお姉様!?」
「前に説明したよ~、ほら、スターリー来るときに」
「そ、そうでした……。(心臓バクバクで聞いてなかった……。た、確かに、このツッコミのキレはまさしく姉妹!!)」
「(どんな判断基準だよ)」
「(あたしらが来るまで何があったし)
そういうことだから、そんなに緊張しなくていいよ、ねッ、お姉ちゃん♪」
「ここでは店長と呼べよ、あと仕事に私情を挟むな」
「もう、怖がらせないでよー」
店長さんはそれだけ言うと、ノートパソコンに向かって業務を始めてしまいました。
「(もしかして、これがコネ採用ってやつでは? に、虹夏ちゃんありがとう!! これで人生勝ち組、浪人生活と、早くもオサラバ!!)」
「(まだバイトだぞー、就職氷河期はこれからだぞー)」
「虹夏。私達、来年受験」(ぼそッ
「なんで急に現実突き付けてくるの?」
なぜか虹夏ちゃんの眼が死んでました。
やっぱり虹夏ちゃんみたいな陽キャでも労働はイヤなのかな。
§§§
私はテーブルの下で一息つきながらも、虹夏ちゃんにバイトのお仕事を教わることになりました。
掃除が終わったら、ドリンクを覚えることになり。
「トニックウォーターはここからで、ビールはこのサーバーからね。
カクテルは後ろの棚の──」
「(え、ちょ、まだ覚えられない早い、ちょ、まっあばばばばば!!)」
「(あ、しまった早すぎたか)」
「(こうなったら、う、歌にして体に覚えこませるしかない!!)」
「(なんでシームレスでそう言う発想になるの!?)」
私はギターを取り出し、虹夏ちゃんが教えてくれた内容を歌にしました。
必死に止めようとする虹夏ちゃんに気付かず。
「(確かに、上手い。だが人間の限界を超えてるわけでもない。
この間のライブは実力を発揮できてなかったのか? まあ、それはそれとして)」
ガンッ、と私は衝撃で我に返りました。
「仕事しろ……」
「なんであたしまで……」
私の所為で虹夏ちゃんまで店長にチョップを食らわされてしまいました……。
ほんとごめんなさい。
§§§
その後の自分はきっと人生最悪でした。
虹夏ちゃんにライブハウスは接客業と聞き、浮かれていたのも束の間。
開店時間になり、お客さんが入って来た私はバーカウンターの下から飲み物を出すことしかできず……。
「目を合わせなくて良いから、ちゃんと立とう!!」
接客という恐怖の業務に、私は目を回すばかりでした。
「ライブハウスのスタッフがお客さんと関わるのってここと受け付けくらいだし、良い箱だったって思って貰えるように、いつかは笑顔で接客できるようになろうね!!」
こんな私にも、めげずに次も頑張ろうって言ってくれる虹夏ちゃん。
出来るんだろうか、こんな私に。
「(太宰先生の言う通り、『ああ、人間はお互い何も相手を分からない。まるっきり間違って見ていながら、親友のつもりでいて、一生それに気づかず、相手が死ねば泣いて弔辞なんかを読んでいるのではないでしょうか』
愛想笑いが怖い。視線が怖い。何を考えているのか分からないのが怖い……)」
「(ぼっちちゃんが言うと、逆に重いなぁ)
ライブ始まったら、暇になったね。
(ああバカバカ、もっと気の利いた言葉を掛けろよ自分!)」
「おつかれー」
「おつかれ、って、受付は?」
ライブが始まってすぐに、こっちにリョウさんが合流した。
「店長が代わってくれた。
今日のバンドはどれも人気あるし、勉強になるから見とけって」
「あはは、うちのお姉ちゃんあれなの。
ツンツン、ツンツンツンツン、デレ~みたいな?」
「ツンが多いね」
最初のバンドのMCが始まった。
お客さんたちの黄色い声がこっちまで聞こえる。
「大丈夫、今日は初日なんだし、すぐ慣れるって」
虹夏ちゃんの笑顔が眩しい。
「あの、なんで私みたいなミジンコ以下にこんなに優しくしてくれるんですか?
(結局、私は虹夏ちゃんに甘えるばかりだった。この間も今日も、全部虹夏ちゃんがお膳立てしてる)」
神に問う。無抵抗は罪なりや? *2
「(それなのに、この間も今日も、次は、次はと、信じてくれている)」
神に問う。信頼は罪なりや? *3
「……さっきも言ったけどさ、このスターリーを良い箱だったって、思って貰いたいっていつも思ってるんだ。
それは勿論お客さんだけじゃなく、ぼっちちゃんもなんだよ?
楽しくバイトして、楽しくバンドしたいんだ。一緒に、ね」
────いいや違う、信頼は罪なはずが無い!!
信頼に応えようとしないことが罪で、無抵抗で甘んじるのが罪なんだ!!
……MCが終わり、バンドの演奏が始まった。
会場が一体になって、お客さんも演者も楽しそうだった。
それに比べて、私のライブは……。
お客さんは二千円も払って見に来てくれているんだ。
そんな人たちに、今の私のままじゃ次もぐだぐだなライブにしてしまう。
「(少しづつでも、変わる努力をしないと……)」
「(ぼっちちゃん……)」
「(この曲いいな……)」
「すみません、オレンジジュースで」
私達が曲に聞き入ってると、お客さんが注文しにやってきた。
「は、はい!!」
教えられたとおりにカップに氷を入れ、ジュースを注ぎ、蓋をしてストローを通す。
「(笑顔で接客、笑顔で接客……笑顔でお客さんの眼を見て……)」
「(あ、この子がサトラレなんだ……)」
私は渾身の笑顔で、オレンジジュースを渡した。
「(接客業がしていい顔じゃない!?)」
「ふふッ、ありがとう。(案外普通の子なんだなぁ)」
わ、笑われてしまった……。
「でもスゴイ、ちゃんと人の眼が見れたね!!」
「あっ、頑張りました……」
全肯定虹夏ちゃん……ママぁ。
やっぱり地母神に違いない。
「ぼっちちゃんのおかげで、今のお客さん、今日のライブがもっと楽しい思い出になったよ!
ぼっちちゃんも一歩前進だね!!」
「え。一歩……。(千歩ぐらい進んだつもりだったんだけど……)」
「(バイト終わったら何食べよう……)」
こうして、私のバイト初日は終わりを告げました。
「じゃ、今日はお疲れ。気を付けて帰れよ」
「あっお疲れさまでした」
なぜか店長さんが店の外まで見送ってくれました。
「ぼっちちゃん!!」
「あ、っはい」
「またね!!」
店から顔だけ出した虹夏ちゃんが、私に向かってそう言ってくれました。
本当に、たったそれだけのことが私にとってかけがえのない救いでした。
「は、はい!!」
そして私は、ご機嫌のまま帰り道をステップしながら行きました。
「お、終わったー!! なんとか一日乗り切ったぁあああ!!
バイト意外とやっていけそうな気がする、明日も頑張るぞー!!」
翌朝。
「起きるのしんどい。今日もバイト、労働だ。これが、これからずっと続くの?
もうむり、氷水に入水しよ……」
きょ、今日こそ風邪をひくんだぁ!!
当初、私にぼっちちゃんの奇行を書くのは無理と思ってました。
だけど思ったより簡単でした。だって、私自身の闇を放出すればいいだけなんですから(死んだ目
そして、次回。
いよいよお待ちかね、あの子が登場します。
それにしても、かつてまだピュアな心を持っていた中学生の頃の自分は、『人間失格』を読んで主人公の同棲相手が「汚される」場面を全く以ってどういう事態か理解できませんでした。
後から知って、いやお前ら助けろよ、とは思いましたけどね。まあそれが出来たら陰キャじゃないんでしょうね。