1-1 キヴォトスとチェンソー
──ジリリリリ、ジリリリリ、ジリリリ
──ガチン
「んん……」
けたたましい目覚ましの音が、デンジを微睡みから引きずり出す。寝ぼけ眼で見れば、いつもより遅い時間に起きてしまっている。血の気が引き、一瞬で目が覚める。
「うぉ! ヤッベ!」
遅刻するわけにはいかない。とりあえずパンやらで小腹を満たし、準備を済ませる。急いで学校へ向かおうと、ドアを勢い良く開けると……
「──あ?」
乱立するビル群。いつもより高い眺め。ボロい家々が並ぶ見知った風景ではない。
塞がらない開きっぱなしの口からようやく絞り出したのは───
「なっ……か……ここ、どこだよぉ〜!?」
『理解不能』を凝縮した叫びだった。
▽
(ナユタがいねえ。犬もニャーコもいねえ)
デンジはキヴォトスの通りを歩きながら、同居人たちが心配になっていた。
(オレの部屋そのままだったのに、オレしかいねえ。おまけにここどこだかわかんねえし)
同居人が消えた原因等々を難しい顔で考えるが答えは出ず、やがて思考は周囲のことにシフトしていった。
(てか、な〜んで皆して銃持ってんだ……? 禁止なんじゃねえの……?)
かつての上司で初恋の人の言葉が、ちょっとした懐かしさを伴って脳裏に思い起こされた。そして銃に関連づいて思い出された嫌な記憶に顔を顰め、頭を振る。
(天使のやつみてーな輪っかついてるし、犬とか猫が人みてえに歩いてるし、アイツは頭がなんか、機械みてえだし……どういうことだよ……)
デンジにとって、キヴォトスの人々は意味不明の塊みたいなものだった。往来の人々の姿は皆等しく、デンジの知る人間の定義からどこか外れている。頭上に浮かぶ『ヘイロー』──デンジ曰く『天使のやつみてーな輪っか』──然り、頭が機械の人間然り。
デンジの脳はパンク寸前だった。とりあえず、机上の書類にあった『ゲヘナ学園』とやらに向かう。急いで着た制服もそれっぽいしおそらく自分が通う学校なのだろう、という推測ありきだが。
(なんか、でも……女のコ多くね?)
デンジは気づいてしまった。これまで不可思議な状況で混乱した為に気づかなかったが、それら全ての思考を一旦停止することで少し余裕が生まれた。
(皆ツラぁいいな……制服着てっし、アイツは同じ学校じゃね!?)
心の中でガッツポーズをした。デンジにとってはもう、よく分からない状況のこと──現在地、周囲の人間の特異な点等々──はどうでも良くなっていた。
▽
地図と悪戦苦闘し、最終的には同じような制服を着た女学生にこっそりついていって、デンジはようやくゲヘナ学園に辿り着いた。しかし、デンジの前にはまだ立ち塞がる苦難があった。
(教室どこだよ……なんだ、13組って)
キヴォトスの中でも屈指のマンモス校であるゲヘナ学園。当然クラス数も多く、校舎もデカいし多い。ついていった女学生は違う建物へ行ってしまった。地図との悪戦苦闘が再開されそうだったその時。
「あの……大丈夫でしょうか?」
声の方を見れば、かなりの美少女。赤みがかった髪、黒縁の眼鏡から覗く、怜悧な光を湛えた金眼。右腕に不釣り合いなくらい大きなバッグを持ち、左腕には『風紀』と書かれた腕章をしている。
(かっ……カワイーー!!)
「?……えっと、どうされました?」
デンジは目の前の美少女に、半分心を奪われてしまった。見惚れてしまっていたが、眼前の少女の問いかけで我にかえってウキウキで質問をする。
「あぁ……そちらでしたら第二校舎で、あちらの方ですね。もっと細かい地図はスマホから学園
「お〜、大体そんな感じ」
「この時期に編入するのは珍しいですね。……ヘイローがない? あなた、外から来たのですか!?」
「外って……多分そう、なんじゃね?」
「なんであなたが分からないんですか!? いや、それどころじゃありません! キヴォトスにいるのは、それもこのゲヘナの地域にいるのは危険ですよ!」
「え〜、なんで?」
「なんでって、ゲヘナじゃ、というかキヴォトスでは抗争、銃撃戦が日常茶飯事なんですよ!? あなたみたいに外から来た人は銃弾1発で死んでしまうんですから!」
「え〜? なんでそんなアブねーことしてんだ? 大体、銃って禁止なんじゃねーの?」
デンジはずっと疑問に思っていたことを聞く。デンジが暮らしていた世界では銃を、それもカワイイ女のコたちがカワイイ装飾までして持ち歩いているなんてことは有り得ない。デンジには不思議かつ異常に思えた。
「自衛のためですよ。禁止なんてとんでもない。むしろあなたは持たなきゃ危ないですよ。私たちキヴォトスに住む人は銃弾くらいでは死にません。頑丈なんです」
『下手すりゃ悪魔より強くね?』という言葉を飲み込む。そして、理由を聞いたデンジは胸を張って言う。
「頑丈なら俺もだ俺も。銃弾1発くらいじゃ死なねーよ」
「そ、そうなんですか?」
「そーそー。なんたって俺にゃチェンソーがあるからなあ」
「チ、チェンソー?」
「チェンソーマンっているだろ? 悪魔バッタバッタ真っ二つにしてよ。実はあれ──」
「……
自分の耳が、あるいは頭がクソまみれになったのかとデンジは疑った。脳内で少女の言葉が繰り返し再生される。
──チェンソーマンって、何です?
その言葉の意味を理解すると同時に、デンジは頭を抱えて叫んだ。
「──なんっ、でだあアアアアアアアッ!!」
「ど、いきなりどうしたんですか!?」
本日、キヴォトスは快晴。
雲一つない突き抜けるような蒼空に、悲痛な叫びが木霊する。
目の前の少女は、チェンソーマンを知らない。
『俺がチェンソーマンだと言えばモテる』という安直な考えは、その事実によって無残にも打ち砕かれた。