不老不死の人格破綻者による曇らせエピソード集   作:曇らせ大好き人間3号

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おかしい。5000字くらいの予定だったのに。気付けば倍になっていた。


雪渓の奇跡ーアンネローゼー

 

聖教が広く伝道されたこの世界に在って、『命の神』の名は本当によく耳にする。何せ聖教徒たちの崇める唯一神様だ。世界最大の宗教組織の信仰対象ともなればその名を口に出す者も多くなるのは必然であるから、致し方の無い事ではあるのだけれど。

 しかし、僕にとってその名は、耳にするだけで殺意の沸く忌み名だ。あのクソッタレのカミサマが祝福(のろい)なんぞ授けてくれやがったお陰で、僕はこうして何百年とこの地上をさ迷っている。

 ……いや。改めて考えると、命の神(アレ)が呪いを寄越して来たお陰でオリヴィアに出会えた、のか。そう考えるとあながち悪いばかりでも…………いや、彼女と出会わせてくれたのも命の神なら、彼女と同じ墓に入る事を邪魔してくれやがったのも命の神だ。差し引きゼロ。やっぱ嫌いだアイツ。可能な限り速やかに信仰を失って零落して欲しい。

 

 …………何の話だったっけ。

 

 ああ、そう。『命の神』の名前はよく話題に上がるって話だ。

 

 嘗て────オリヴィアが息を引き取ってから数十年くらいの頃の僕は、この名前に一々過剰反応していた。いい加減彼女の手料理が恋しくて、けれど死ぬ事も許されなくて、荒れていた時期だ。

 東で「命の神が再誕した」との声を聞けばその素っ首を叩き落とす為に出奔し。西で「命の神の天罰が下った」との声を聞けばやはりその素っ首を叩き落とす為に急行し、という具合。

 

 そんな状態だったから、割と適当な噂話だろうと当時の僕は食い付いた。例えばそれが────煎じて口に含ませれば、死者すら甦らせる花がある、なんて荒唐無稽な話であっても。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

竜の雪渓、と呼ばれる山脈がある。名の由来は至ってシンプル。年中雪に覆われた、竜の棲む山であるから。

 その中でもひときわ高い山。その天辺に、ある花が咲くという噂があった。

 その名も、オルフェウスの花。雪華の中に在って尚も白く、陽を受けて煌びやかに輝く、なんて噂される幻の花だ。……だが、その花の真価は、その幻想的な姿には無い。オルフェウスの花は、万能の妙薬の素材となる薬草としての価値があるのだ。

 その花を用いて生み出された薬草は、一口飲めばたちまちに病が癒え、傷に塗ればどれ程手酷いものであろうと瞬く間に治り、挙句死者すらも甦らせるなどとまで言われる始末で、貴族に商人、果ては王族までもが求めて止まない代物なのだとか。

 聖教徒たちは、その花を指して『命の神の意志を宿す花』であるとよく吹聴していた。……成程、確かに死者を甦らせるなどという効能が真実であれば、あのクソッタレの意志の一つや二つ宿していたって不思議じゃない。

 

 そんな代物に、僕は大変に興味があった。

 死者を甦らせる効果そのものに、ではない。仮にそれが真実であったとしても既に骨になってしまったオリヴィアは甦らせられないだろうし。それに、仮にそれが可能だとしても、やるつもりは無い。死者を永遠の眠りから揺すり起こす事の惨さは、僕がこの世で一番よく分かっているつもりだ。

 僕が興味を持っているのは、(ひとえ)に死者が甦る際のプロセスだ。

 死者を甦らせる、という効能は、確かに僕に纏わり付いた呪いと良く似た効能だ。仮にそれが真実であったなら、十中八九『命の神』はそこに絡んでいる。ゆえに、その光景を一目この目にする事が出来たなら、この呪いを解く手がかりになるかもしれない。

 

 

 

 そんな訳で。

 来ちゃいました。──竜の雪渓。

 

 無論、こんな危険地帯に馬車が通っている筈も無いから、馬車で可能な限り進んだ後は、徒歩でここまで進んで来た。

 

『あー、遠かった』

 

 身体を捻って伸ばしつつ、独り言つ。本当に遠かった。まさか歩き詰めで10日も掛かるとは。……まぁ、そのくらい離れてなきゃ、人里なんて形成しても滅ぼされるだけなんだし仕方ないのだけど。

 

『竜、なぁ』

 

 人里が云々の話で思い出して、遥か上空を見遣る。そこで悠々自適に滑空する、空の王者(りゅうぞく)たち。数えるのも馬鹿らしいくらいの数が居る。中には勿論、あのレッドドラゴンなんかも含まれるだろう。……一匹相手にあのザマだったのにと考えると大変に気が滅入る。

 ……が、まぁ。別に、何回死んだって良いんだ。それに、あの時と違って無理に攻撃を受け続ける必要は無い。それどころか、注意を惹く必要すらも。コソコソと隠れて登っていれば、そのうち天辺に辿り着くだろう。

 

『よし……行くか』

 

 こんなものでも無いよりはマシだろうと思って持ってきた白いフーデットケープを被って、僕は雪渓の踏破に挑戦した。

 

 

 

 登山を開始して30分程、幸先悪く出会したドラゴンを自爆で葬る。どうやらグリーンドラゴン──レッドの二つ下級の種──くらいならば、それで一撃で倒せるらしかった。

 自爆した後は、雪を被ってほとぼりが冷めるのを待つ。数分はジロジロと見られている様な気配があったけれど、そのうちにその気配も何処かへ消えた。

 それを確認し、漸く起き上がる。そして『寒かった』などとぼやきつつパンパンと軽く雪を払っていると、林の方から人の声が響く。

 

『確か、こっちの方で音が……』

『誰?』

『へ?……わっ!?』

 

 危ない人だと困るから、先に声を掛けて『気付いてるぞ』と威圧しておく。

 

『ひ、ひと?こんな所で?あたし以外に?……嘘』

 

 声の主は、なんだか薄幸そうな少女だった。歳は18前後かそこらだろう。見かけ上は僕より年上だ。

 彼女も僕と同じで白いケープを着用しており、布の隙間からはショートソードが見え隠れしている。……護身用の最低限、って感じだ。とても戦闘を本分とする人のそれには見えない。

 警戒は、解いても良さそうだ。

 

『あんたもオルフェウスの花を探しに来たの?』

 

 少女は僕が警戒していた事に気付いていないのか、或いは気にしていないのか、こちらに近寄って小声で話し掛けてきた。……多分、大声出して(やつら)に見つかりたくないのだろう。意図を汲んで、僕も小声で答える。

 

『あんた()って事は、君もそうなんだね』

『あったりまえよ。そうでもなきゃこんな危ないとこ誰が来るもんですか』

『はは、違いない』

 

 彼女の目的も僕と同じ、オルフェウスの花だった。……誰か、生き返らせたい人が居るのだろうか。よくよく見てみれば彼女、溌剌としている様に見えてその実、目に覇気が無い。身体もガタが来ていそうだ。弱っている所を必死に誤魔化してるって感じ。

 抜け殻にも等しい身体を引き摺ってでも、甦らせたい人が居る。……多分、そういう事なんだろう。敢えて触れはすまい。

 

『ね、ところでさ。あんた……見る所、腕は立つのよね?』

 

 そんな風に少し観察していると、少女は僕の背に担いだ大盾を見ながら、そんな事を言った。

 なるほど確かに、僕は見てくれだけなら立派な冒険者だろう。盾も鎧も直剣も、全部そこそこ良い奴だし。

 けれど、僕はタンク以外何も出来ない。というか、ハナからするつもりが無い。僕は真っ直ぐな目をした冒険者を庇って目の前で死んでやりたいだけであって、真っ当に冒険者をやるつもりは更々無いのだから。

 つまり、彼女にとっては期待外れもいい所だという事だ。

 

『お生憎だけど、僕はただのしがないタンクだ。攻撃はからっきしだよ』

『そっか。残念。……いや、それでも。……ねぇ、あんた』

『なに?』

『これも何かの縁だし、一緒に登らない?』

 

 ふむ。同伴のご提案か。

 二人で進んだ場合、一人の時に比べて多少見つかりやすくはなるけれど、その代わりにいざ見つかった時に50%の確率で逃げ仰せられる。天秤に掛ければ、後者の方が重い筈だ。普通に考えれば、至って合理的な提案だろう。

 ただなぁ。(こと)僕に限れば、何のメリットも無いんだよな、その提案。たとえ見つかって死んだとしてもノーダメージだし。寧ろおいそれと自爆出来なくなる事を加味すれば、この提案は僕にとってデメリットしか無い。さて、どうしたものか。

 

 ……まぁ、良いか。要は見つからなければ互いにメリットもデメリットも無いのだし。バレなきゃセーフ、ってやつ。

 

『いいよ。行こうか。えっと……君、名前は?』

『アンネローゼ。あんたは?』

『レーヴェだよ。宜しく』

『ええ。宜しく』

 

 握手を要求されたので、素直に手を預けておく。……人と触れ合ったの、何気に久しぶりかもしれない。

 

 

 

 暇潰しがてらに話す中で分かった事だが、どうやらアンネローゼは元々冒険者でもなんでもなく、とある料理店の看板娘だったらしい。道理で剣もプロテクターも真新しい訳だ、と納得して頷いていると、『そういうの分かるんだ?』と驚いた様に呟いた。

 

 彼女が語った軽い身の上話が終わると、今度は僕の番だった。何やら期待した様な目で見られていて居心地が悪い。……なので、のっけからぶっ込んでやる事にした。

 

『こう見えて奥さんが居たんだ、僕』

『え!?なに、既婚者なのあんた?あたしより若そうなのに……良いなぁ』

『よく言われるよ』

『……ん?ちょっと待って。居た、って……』

『……まぁ、そういう事』

 

 彼女がそこに思い至った途端、地獄の様な空気が辺りに漂う。……なんて、作り出した張本人が呑気に実況する事ではないのだけれど。

 自分の事でもないのに、彼女はまるで我が事の様にとても悲痛そうな顔を浮かべていた。……人の痛みがよく分かる子らしい。是非ともその感性は大切にしてもらいたい。僕の場合、随分昔に擦り切れて無くなってしまったけれど。

 

『ま、それ以外に特段語る事は無いかなぁ。面白味の無い男だよ、僕は』

『そ、そう。……あたしは……それじゃあたしも、話しとこうかな』

『……別に、無理して話す事は無いよ。話したいんだったら、止めないけど』

『……んーん。話す。聞いてて楽しい話じゃないと思うけど……聞いてくれる?』

 

 

 

 彼女が僕に語って聞かせた内容は、思っていた以上にヘビーな内容だった。

 身内に不幸があったのだろうとは思っていた。そうでもなけりゃ、遥々こんな所までやって来る意味など無い。

 ……そんな生易しいものじゃなかった。

 彼女の父親は、地方領主だったらしい。要するに貴族だ。そいつがまぁ、テンプレートを描いた様なクズで、彼女の母を側室として迎え入れたが、身篭った子が女であるとわかった途端に追い出したのだそうだ。

 そんな経緯(いきさつ)があって、彼女はずっと母親と二人で暮らして来たのだそうだ。

 それでも、彼女も彼女の母も、強く生きてきた。その果てに、彼女は女としての幸せを掴みかけた。……近所に住む、所謂幼馴染との婚約が決まったのだそう。

 ……けれど。

 その後すぐに彼女の母が流行病を患った。その病は僕も知っている。……掛かったが最後、余程上等な医療魔法でも受けねば、決して治る事はないとされる病だ。

 それだけでなく、彼女の幼馴染──即ち、婚約者もその病を患った。

 その病を治せる程上等な治癒魔法を受けようと思ったら、平民の年収何年分という莫大な金が必要だ。……当然ながら、一介の平民でしかなかった彼女にそれ程莫大な金は用意出来ず、そのまま……という事らしい。

 

 そうして悲嘆にくれた彼女は、例の噂を耳にした。それを鵜呑みにして……否、半ば眉唾物であろうと気付いてはいたものの、己を盲目にして、ここまで遥々やって来たのだそうだ。

 

 ……そして、ここからは飽くまで僕の推察になるが……多分、彼女はここに『オルフェウスの花』を求めて来たのではなくて、『死に場所』を求めて来たのだと思う。

 竜の巣窟に挑もうなどと、たとえオリヴィアやリュガに匹敵する様な冒険者であっても無謀だ。况てそれが単独でのアタックであれば、尚の事。……幾ら闘争とは縁遠い生活を送ったであろう彼女とはいえ、そのくらいの事は容易に想像がついて然るべきだ。それでも尚歩みを止めなかったとなれば……彼女が根っからの狂人であるか、さもなくば命を捨てる覚悟があるか、だろう。

 無念の内に朽ちた最愛の家族を思えば、自死を選ぶ事など出来なかった筈だ。

 ゆえに。私は家族の為に懸命に戦ったのだ。その果てに命を落とした。……そういうシナリオを、無意識に見据えたのだろうと思う。万が一まかり間違って(きせき)を手に出来れば、儲けものというくらいの感覚で。

 そうしたら同じく愛する人の死に悩んでいると推察出来る少年が居たものだから、どうせなら最後まで足掻こうという気になった、といったところか。

 

『……慰める気は無いよ。多分、部外者の僕に下手に慰められても、腹立たしいだけだろうしね』

『……まぁ、そうね。それに、傷を舐め合ったって虚しいだけよ』

『だからさ。……絶対、手に入れよう。オルフェウスの花』

『……うん。そうしよっか』

 

 ……柄にも無く、そんな言葉が口を衝いて出た。

 最愛の人を亡くして悲しむ気持ちは、ちょっと分かるから。

 それに、どうせ僕の興味は蘇生そのものに無い。蘇生のプロセスが見たいだけだ。だったら……どうせなら、この子が少しでも幸せになれば良い。そう思った。

 

 

 

 天辺に近付く程、道は険しく、また身を隠す物は無くなっていく。森林限界はとうに超え、僕たちは大きな岩の影に隠れながら一歩、また一歩と目的地(ちょうじょう)へと近付いていた。

 ……が。いよいよ、問題が露出し始めた。

 

 再三確認した通りだが、この山脈の異名は『竜の雪渓』。遥か上空を悠然と舞う竜たちに気を取られがちだが、脅威はそれだけに非ず。

 雪渓。即ち、一年中雪が積もっているのだ、この山は。それ相応に気温は冷え込む。日中は幾分マシだが、丁度今この瞬間の様に、陽が落ち始めると────

 

『随分冷えて来たな……』

 

 吐く息が白いのは元からだが。鼻と喉が凍る様な感覚を覚え始めたのは、陽が沈み始めてからの事だ。

 ただでさえ高山ゆえに空気は薄くなっているのに、空気が余計とも取り込みづらくなって、体力を過剰に奪われる。

 おまけに視界が悪くなる程吹雪いていると来れば、もうコンディションは最悪だ。

 

 僕だけに限れば、それでも別に構わない。呼吸が満足に出来ないのは少しばかり苦しいけれど、何も死ぬ訳じゃない。その程度で死ねるのなら僕はとっくの昔にここに生活拠点を移している。

 ただ、真っ当な身体でこの山に挑戦しているアンネローゼにとって、それは致命的な問題だ。

 

 どこかで、休まなければならない。いや、もっと早く休んでおかねばならなかった。自分が不死身だからってすっかり気が回っていなかった。

 

『……洞窟か何かあればなぁ』

『…………ぇ?……ぁ、ごめ、聞いてなかった』

『いや。何でもない。……それより、あんまり喋らない方が良い。体力の無駄になるよ』

 

 そう言い含めると、彼女は『うん、わかった』とだけ呟いて、口を噤んだ。……律儀に答えなくても良いのに。分かったんだか、分かってないんだか。

 

 辛そうにしている彼女の肩を持ち、目を凝らしながら進む。……と言ってもこの吹雪だ。中々身を休められそうな場所は見つからない。

 

 無い。……無い!

 

 苛立ち。焦り。……それらが綯い交ぜになった思いが、頭を支配する。

 

 彼女の足取りが一秒経る毎に重くなる様な気がする。

 

 早く。早く、どこか休める場所に────!

 

 そうして探す事、数分。漸く、僕は小さなあなぐらを見つけた。

 小さいと言っても、最低限風よけくらいにはなる。雪も奥まではそこまで入り込んでこない。休むには都合の良い空間だ。

 

 その奥に既に意識が飛び掛けた彼女を寝かせ、僕のケープやら鎧やらを着せてやる。少しでも厚く着込んでおいた方が良い筈だ。それでも安心は出来ないが。

 

 こんな事なら、自爆以外の魔法──火の魔法の一つでも身につけておくべきだった。どうせ使わないからと興味を持ってこなかったツケが今更になって回ってきている。

 

 僕は今、どうするべきなのだろう。

 僕に休みは必要無い。僕だけが今、自由に動ける。

 その自由で、何をすれば良い?

 

 考える。

 

 火を熾すのは無理だ。着火剤になる様な物も無ければ、種火に焚べる物も無い。

 

 彼女を休ませて、僕一人で花を探しに行く?……彼女がもう少し元気ならばそれが最善だったろうが、あの状態の彼女を一人にしておくのはダメだろう。

 

 何か、体力の付く物でも探して来て食わせるか?……と言っても、一体何を……。

 

『……あ』

 

 瞬間、劣悪な視界の先でワイバーンが地に足付けている様が目に留まる。

 

 ……やるしか、ないか。

 

 

 

 はいはい自爆自爆、と。

 全身消し飛ばすのではなく、頭部のみを破壊する様に何とか出力を調整し、2匹目で上手く行った。

 頭の先が吹き飛んだワイバーンの死骸を弄り回して、何とか肝を取り出す。……血なまぐさい。嫌いだ、この臭い。

 既に死んだというのにまだピクピクと動いているそれを、洞窟まで持ち帰る。

 

 竜の肝というやつは、昔から薬として用いられる。竜の生命力ってやつはそのくらい凄まじいものだ。何せ頭を吹き飛ばして、他の器官と切り離して持って来たのに今尚動いているくらいだ。

 これを食わせてやれば或いは、アンネローゼの状態も少しはマシになるかもしれない。そうしたら、彼女にはそのまま安静にしてもらって後は僕が花を取りに行って終了だ。

 

『アンネローゼ。……アンネローゼ』

 

 寝ている彼女の頬を軽く叩く。瞼がピクリと動き、やがて極めてゆったりと持ち上がった。

 

『ぁ、に……?』

 

 呂律が回っていない。……結構危なかったな。

 

『これ食べて。ちょっと血なまぐさいと思うけど……まぁ、多分鼻も利いてないでしょ』

『こ、ぇ……?』

『うん。辛いかもだけど、食べて。食べないと多分死ぬから』

『ん……』

 

 そして彼女は、時々噎せながらも肝を食み、嚥下した。

 

『あったかぃ……』

 

 効果はやはり絶大だった。血の気を失った彼女の頬が再び色付く。……この分なら、しっかり寝れば大丈夫そうだ。

 

『ちょっと寝てな。それで寝りゃあ、多分良くなるよ』

『ん。そうす、ぅ……』

 

 随分と寝付きが早いな。それだけ体力が落ちていた、という事なのだろうけど。

 

 ……寝顔は穏やか。呼吸も問題無し。……うん。大丈夫そう。

 となれば。

 

『もうひと頑張り、かな』

 

 

 

 翌朝。僕が洞窟に帰って来るのと、アンネローゼが目を覚ましたのは奇しくも同時だった。

 

『ん……よく寝た』

『お、起きたね。おはよう。調子はどうだい?』

『大丈夫そう。これなら山頂まで行けそうよ』

 

 そう言って、彼女は軽く右腕を回して見せた。……多少の強がりは含まれているのだろうけど、本当に問題は無さそうだ。

 けど。

 

『もうこれ以上登る必要は無いよ。後は下山だけ』

『は?……なに?ここまで来て諦めるって言うの?』

『ちがうよ。花ならほら……ここに』

 

 そう言って、懐から一輪の花を取り出す。

 銀雪の中、ひときわ輝く花弁を靡かせていたこの花。特徴も植生も一致している事だし、恐らくはこれが『オルフェウスの花』なのだろう。

 

『あんた……もしかして一人で行ったの!?』

『まぁ、元々その予定だったしね』

『……そりゃあ、そうだけど…………って、待ってよ。まさかその一輪だけ?』

 

 ……ああ、気付かれちゃった。

 

『……一輪しか、咲いてなかった』

 

 そう。山頂を隅から隅まで探したにも拘わらず、見つけられたのはたったの一輪。つまり、これだけ。

 

『……なら、それはあんたのよ。……奥さん、生き返らせてあげなさいよ』

『んーん。君にあげるよ。そもそも僕、誰かを生き返らせる気なんて更々無かったから』

『はぁ!?じゃあなんでわざわざこんな所まで来た訳?』

『生き返らせる気は無いけど、人が生き返る所は見たいんだ。僕の目的の為に』

 

 そう言って強引に彼女の手に花を握らせると、彼女はイマイチ釈然としない顔を浮かべていたが、やがて納得したように渋々頷いた。

 

『……生き返らせる時に、あんたを立ち会わせれば良いって事ね』

『そうしてもらえると助かるね』

『分かった。……交渉成立。それじゃ、早速降りましょ』

 

 ほんっとうに渋々、といった顔。多分、施されているみたいで気に食わないんだと思う。それでも背に腹はかえられぬというやつで、無理やり呑み込んだみたいだ。

 

 早速、との言葉に違わずぐんぐんと下っていく彼女の後を追い、僕も山を降りる。……正直、疲れたから少し休んでから降りたかったのだけれど。……まぁ、死ぬ様な事は有り得ないし、別に良いかと素直に付き従う。

 

 (はや)る気持ちが抑えられないのが見て取れる。歩む速度は登りとは比べ物にならない。疲れきって暗く沈んでいた瞳は、まだ薄ぼんやりとではあるものの、確かに光を湛えている。『早く』と僕を急かす声も、心做しか大きい気がした。

 油断し過ぎじゃないか、とも思ったけれど、案外何とかなるものだ。……僕らの思うより、竜は人間に興味が無いのかも知れない。

 

 そうして、順調に中腹辺りまで駆け下り。

 

 そこで、いよいよ問題が発生した。

 

『早く、行きましょ!……絶対、生き返らせて見せるんだから!』

『はいはい。分かったからもうちょっと静かに……』

 

 甲高い喋り声がいよいよ腹に据えかねたのだろうか。地鳴りの如き咆哮と共に、巨躯が僕らの頭のすぐ上を、音を脇に捨て置く程の速度で駆けた。

 瞬間、荒らされた空気が暴れ始め、僕らを巻き上げんとする。

 

『キャ!?』

『ぐっ……これ、は……!!』

 

 まずい。……そう思ったその瞬間に、僕は近くの大木に飛び付いた。暴風に身体を取られるその(すんで)の所で支えが間に合う。

 

 ……が。すっかり浮かれきった彼女に、周りを見る余裕など存在しなかった。

 風になされるまま、彼女の身体が遥か高く巻き上げられる。そしてそのまま不規則に煽られ、落ち行くは────

 

『え──────』

 

 断崖絶壁。彼女の落ちる先に彼女の身体を受け止めるものは何も無い。その落差は、どう小さく見積もっても一キロメートル。飾り程度のプロテクターなんぞがそれ程の衝撃を吸収出来る筈も無い。待っているのは、死だ。

 

 それを認識して、否、脳が認識するその前に、僕の身体は動いていた。

 

 全力で、全霊を以て、手を伸ばす。

 

『とど、け……!!』

 

 千切れても良い。少しでも前へ。

 

 コンマ一秒の戦い。

 

 果たして、その戦いの勝敗は────

 

『……!届いた!!』

 

 ────僕の、勝ちだった。

 

 彼女の片腕を両手で握り、全力で後方に引き抜き振るう。

 僕と彼女の立ち位置を入れ替える。

 

『ちょ、レーヴェ!?』

 

 その試みは、やはり成功した。……土壇場の運否天賦には弱い僕だけれど、今回ばかりはこちらに傾いたらしい。

 

 浮遊感に身を任せ、そのまま後ろを振り返る。世界は、何だかとてもスローモーションだった。

 

 目が合った。

 

 真黒の瞳が、水彩絵の具の様に滲んでいる。

 後悔。自責。悲哀。逃避。錯乱。……色々な感情が入り交じって、ぐちゃぐちゃになって。けれどそのアンバランスさが、どこか美しい。

 ああ、良い顔だ。随分久し振りに、そんな顔を見た気がする。

 あんまりに綺麗で、見惚れてしまいそう──なんて事を考えるとオリヴィアに叱られてしまいそうだけれど。……でも、その今にも涙が零れ落ちそうな悲愴の顔が、やっぱりとても綺麗だった。

 

『ふたりに会えるといいね』

 

 呪いの如く、言葉を遺す。

 蚊の鳴く様な小さな声だった筈だ。……それでも彼女は、僕の最期の一言をその耳にしかと収めた。そう、表情の変化が教えてくれる。止めどない滂沱の涙が、地を濡らした。

 

 ああ。……望外に、欲求を満たす事が出来た。

 

 呪いの真実からは遠ざかってしまったけれど。……それでも良いかと思えるだけの価値が、あの顔には込められていた。

 

 浮遊感が掻き消え、僕らを平等に縛る重さが途端に牙を剥く。

 大地が。……彼女が、加速度的に遠ざかって行く。

 

 その光景を、しっかりと目に焼き付け。そして遂に、大地との感動の再開だ。

 ぐしゃ、とまるで果実が潰れる様な音が脳裏に響き、瞬間、あんなにも色鮮やかだった景色が黒一色に塗り潰される。

 

 そしてそこで、僕は意識を手放した。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

目を覚ますと土の中だった。

 そこまで厚く被せられている訳じゃないみたいだけど……重い。土ってのも案外バカにならないものだ。

 

 あと……口の中が、何故だか苦い。毒草を間違って噛み潰した時みたいな……いや、あれよりは幾分マシだけど。滑落した時に木の葉でも噛み砕いたか。

 

 重さに反発して、身体を起こす。……するとそこは、竜の雪渓、その入口だった。

 どうやら、ここまで落ちて来ていたらしい。

 

 ……いや、違うな。彼女(・・)が、降ろしてくれたのか。いくら僕の体格が貧相とは言え、人一人ともなればそれなりの荷物だったろうに。

 しかも、どうやら態々埋めて(弔って)くれたらしい。僕の埋まっていた辺りの土が、直近で一度掘り返されている痕跡があった。

 所詮は行きずりの、一時の協力者でしかなかった筈なのに。……やっぱり、彼女は律儀だった。態々どこに落ちたともしれない僕の死体を探し当てて、埋葬してくれたのだ。……見てくれも性格もまるで違うけれど、そういう律儀さは、どこかオリヴィアに似ている気がする。……ああ。だから、幸せになって欲しいと思ったのかな。今更ながらに得心が行った。

 

 空を仰ぐ。色は、郷愁を誘う茜だった。

 

『……たまには、顔でも出そうかなぁ』

 

 呟いた声は宙に消え。……そして、僕は歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 そして。僕が王都に辿り着いた頃には、またひとつ、『命の神』についての新たな噂話が流布されていた。

 

 曰く────『オルフェウスの花』は結局、ただの御伽噺だったのだ、と。

 





幸せにはなって欲しい。それはそれとして、地獄を見て表情を曇らせて欲しい。両者は両立します。誰が何と言おうとそう声を大にして言いたい。

ラストシーンについて、僕の表現力ではこのあたりが限界でした。伝えたい事がちゃんと伝わっていると良いのですが。……後は曇らせ好きの同志諸兄に委ねます。



結びになりますが、皆様へのお礼を。
拙作に対して多くの反響を頂きましてありがとうございます。正直想定を遥かに上回る勢いで大変驚いております。
一晩のうちにバーに色は付いてるわ、日間には載せてもらってるわ……大変貴重な経験をさせて頂きました。
皆様、是非今後ともよろしくお願いします。
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