不老不死の人格破綻者による曇らせエピソード集   作:曇らせ大好き人間3号

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……大変お待たせしました(小声)


オリヴィアの記憶②

 

結婚。──それは言うまでもなく、一種の人生の転機だろう。ひとりで歩んで来た人生という名の道が、それを機にふたりで歩む(もの)となる。辛い事も、悲しい事も、嬉しい事も、楽しい事も──その大半が己だけのものでなくなり、相手と折半される事になる。或いは共有する事になる、と言い換えても良いが。兎も角、一人分の想いを二人で分かち合い、二人分の想いを相互に共有し合う。個人と個人から、そんな深い関係へと変転するのが『婚姻』という儀式だ。

 彼の地元ではその儀式に際して、相互にアクセサリを贈り合う風習があったらしい。私の地元やこの辺りではあまり聞かない習俗だったが、互いにしか分からない愛の証、愛の形というのも中々に良いものだ。折角だからとお揃いの指輪を贈り合って、それを婚姻の証とした。今私の左手で煌めいているこの白銀は、正にその証。……眺めていると中々に幸せな気分になれるので気に入っている。

 

 そして当然と言えば当然だが、その様な儀式を経た二人がそれまでと同じ距離、同じ温度、同じ湿度で在れる筈は無く。その節目を機に、互いの態度すらも変化し得る。それが悪い方に働いた連中が結婚を『人生の墓場』などと揶揄し、その決断を悔いているのだろうが。(こと)私、否、私たちにとっては、その変化は歓迎すべきものでしかなかった。

 私が結婚を迫る前のレーヴェは、何と言うか、危なっかしい奴だった。生き急いでいると言うか、或いは死に急いでいるとすら表現出来る様な。きっと気紛れに選んだに過ぎないだろう私などを傷つけまいとして、受けなくとも良い──私が受けていても大した怪我にはならなかっただろう攻撃までもを体勢を崩してでも受け切って、常にボロボロになっている。そんな奴。曰く、『刺激を求めての事』であったそうだが、それにしたって綱渡りが過ぎた。

 だが、今はそこまでの危なっかしさは無い。……相も変わらず私を徹底的に守る姿勢は見せてくれるが、それでも今までの様な異常なまでの無理はしなくなった。『お前の傷も、私の傷も、結婚した以上は同じ事だ』、『お前はちょっと傷付いたくらいで私に愛想を尽かすのか』というアドバイス──と呼んで良いものか判断に困るが──が功を奏したのだろうか。彼が無理やりに受けるより私が受けた方が程度が浅くなるであろう攻撃は、見逃す様になってくれた。良い兆候だ。……多分、死に瀕する刺激より、私と長く生きる事を優先する様になった証だろうから。例え多少我が身に傷が増えようと、それは喜ばしい事だ。

 そしてそれだけではない。危なっかしさと同時に、よそよそしさも薄れ、こちらは直ぐに掻き消えた。

 結婚前はどこか一線を引いている様で、私に触れようともしなかったり、必要以上に近寄ろうとして来なかったりと寂しい奴だった彼が、今ではすっかり大型犬の様だ。

 朝。食事をしている私を見付けると目を輝かせて近寄って来て、ピタリとくっ付いて座ってくる。

 昼。ソファで昼寝をしていると、いつの間にか隣で心地良さそうに眠っている。

 夜。暇になると構えと言わんばかりに近付いてきて、頭を撫でてやると大人しくなる。

 そら、犬の様だろう?それも、凛々しい番犬と言うよりは愛嬌のある座敷犬だ。きっと、彼にしっぽがあったなら、ブンブンパタパタと大きく振り回されていただろうと容易く想像出来る程だ。

 恐らく、元来スキンシップは旺盛な奴だったのだろう。気を許した相手にはとことんまで甘え、じゃれてくる。そんな奴。その本性を覆い隠す厚い衣を私が剥いだ事によって、彼本来の姿が見え隠れする様になったのだと思う。……真っ当な女なら或いは鬱陶しいなどと思うのかも知れないが、生憎と私は勝手にズブズブと依存して、挙句こちらから結婚を迫る様な女。徐々に距離が近くなっていくその様は、傾きっぱなしだった熱量が徐々に釣り合って行く様で寧ろ歓迎したいくらいだった。

 

 総括して、これ以上は無い程に順風満帆な新婚生活だ。怖いくらいに順調で、嘘みたいに幸せで。そんな、ほんの少し前の私なら想像すら及ばぬ日常。

 少しずつ色が変化し、然れど大きな変調は無い、そんな平穏の日々。その中で日増しに彼の新たな側面に目が行っ(気が付い)て、それら全てが愛おしく、魅力的。……こんな幸せで良いのか、と少し怖くなってしまうくらい。

 

 そんな仄かな不安を察知してか、私の膝の上に頭を乗せた彼が、手を伸ばして頬に触れてくる。

 あの日の鈍感っぷりが嘘の様に、彼は敏感に私の心を気取る。ただの甘えん坊な可愛いやつかと思えば、こういう所はやはり格好良いのだからズルい。

 

 頬に触れた熱を私も手で包んで、「ありがとう」と小さな声で呟く。途端、少し心配そうだった彼の顔が華やいだ。

 

「何かあるなら吐き出しなね」

 

 柔らかな笑みと共に、彼はこう締め括って、(もた)げた手を下ろした。……こういう所。結婚する前のおっかなびっくり私との距離を測っていたであろう時も、こういう細やかな気配りが多くあった。そしてそれがいつも、私の心音を掻き乱す。

 了解の意と、照れ隠しの意とを込めて、彼の頭を強く掻き回す。擽ったそうに目を細める彼。その愛らしい光景に思わず、口が軽くなる。

 

「気にするな。……幸せ過ぎて少し怖くなっただけだ」

「あー、そういう。……分かるなぁ。幸せなあまりに、この幸せが壊れた先の事を想像すると怖くなるの」

「ああ。だから壊れてくれるなよ。私の最愛(レーヴェ)

「僕の事は心配しなくてもへーき。それより人の心配して自分が壊れたら元も子も無いからね?」

「分かっているさ。気をつけるとも」

 

 互いにふふと微笑み合って、それきり会話は止んだ。夜の静寂が辺りを支配する。ランプの薄ぼんやりとした光が私たちを照らす。

 その淡い橙に、私は確かに『幸せ』を見た。その色はきっと、幸せの具現なのだと。……そう、信じていた。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

幸せの只中に在っても、私たちの使命は何ら変わる事は無い。相も変わらず日々街の周囲を警邏し、魔物が現れればこれを討伐する。金銭的な話をするなら既に私とレーヴェとの稼ぎを合算すれば残る人生は程々に慎ましく生きれば足る計算だったが、こればかりは金銭(それ)が目当てと言うよりはいっそ慈善事業に近い。私たちの様に戦える、戦いのノウハウのある者たちが引っ込んだとして、一体誰が脅威に立ち向かうのか、という話だろう。

 来る日も来る日も剣を採り、無限とも思える勢いで湧いて出る魔物共と切った張ったを繰り広げ、血に染った両手で想い人を抱き、眠る。……そんな生活。

 

 傍目には『血なまぐさい日々』と映るだろう。息吐く暇も無い、張り詰めた日々と。

 無論、それも決して間違いでない。『もう疲れた』と思った事は、一度や二度では利かないだろう。けれども、血なまぐさいなりにやはり幸せだった。結婚して既に2年もの月日が経てど、幸福が手をすり抜けた感覚は未だ一度たりともありはしない。疲れても、辛くとも、傍らにはずっと最愛(レーヴェ)が在った。ただそれだけの事で人は幸せになれるというのだから、やはり人間ってのも単純だ。

 

 それに、週に一度の癒しもあった。レーヴェと二人きり、誰に邪魔される事も無く街をぶらついて、その度に『これだ』と思う事をする。例えば歌劇を鑑賞したり、格式高い料理屋で美味い飯に舌鼓打ったり、その逆に安酒場や屋台を巡ったり。

 どれも甲乙付け難い思い出であり、私の、いや私たちの心の支えとなっていた。

 

 

 

 

 

 その日は週末。翌日にはデートが控えた日だった。

 もう何十、或いは何百と繰り返された習慣だったが、それでも確かに期待感が胸を満たし、心が(はや)る。

 血錆を落とすにもご機嫌で、鼻歌なども交えつつ二人で肩を並べ帰り支度をしている。

 

 陽は茜。あの日に見た淡い橙と同じ色。

 この時の私はまだ、その色が幸運の象徴でなくなる事など知る由も無く、その景色に密かに心を踊らせていたくらいだった。

 

 そう────(ゴウ)、と地鳴りの如き風切り音が頭上から鳴り響くまでは。

 

「なんだ今の音────────は?」

 

 橙を遮った(かげ)の主は、人では及ぶべくもない巨躯を誇る絶対的強者。……上級竜種。下級竜種(ワイバーン)とは一線を画す、真なる(ドラゴン)。それも、真紅の鱗を持つともなればそれは最早竜より()。即ち、伝説に近い存在だ。

 

「どうして、お前がここに居る……!!」

 

 上級竜種(ドラゴン)は通常、人里近くには現れない。……いや、より正確に言うのなら、竜がまず現れない場所に築かれた人里こそが、今日(こんにち)まで存続している。

 

 明らかな異常。……どこかで竜種にまで波及する程に生態系が崩れたか、或いは眼前のそれがはぐれたか。いずれにせよ、そうそう起こるものでは────否、起こって良いものでは無かった。

 

 その異常を前にして、足が竦む。……ワイバーンは幾度となく剣の錆にして来た。一般に上級と呼ばれる魔物とももう幾度となく対峙して来たし、命の危機を感じたのも両の手では足りぬ程だ。だが、だから何だと言うのか(・・・・・・・・・・)

 これまでの手合いとは明らかに、生命としての格が違う。その身に宿す威圧感(オーラ)。ただそれのみで身体の動きが阻害され、頭の回りを鈍くされる。

 まるで時間が凍り付いたかの様に、指先ひとつ、ピクリとも動かせない。喉がカラカラに乾いて、言葉のひとつも発せない。

 

 剣を握る両手から、力が抜ける。せめてもの虚勢にと辛うじて保っていた足腰も、今にも砕けそうだった。

 

 だが。

 

 そんな私と対照的に、(レーヴェ)は毅然とその脅威に立ち向かった。

 

「オリヴィア!!」

 

 その劈く様な叫び声が、私の名を呼んだものと理解するには幾許かの時間を要した。

 ああ、今彼に名を呼ばれたのだ────そう噛み砕く間も無く、彼の二の句が紡がれる。

 

「君は街に戻れ!!応援を呼んで来い!!」

 

 平素とは全然違う、乱暴な言葉遣い。二年半も一緒に居て、ただの一度だって聞いた事の無い声色だった。その驚きが恐慌を頭の隅に追いやって、徐々に冷静さが帰ってくる。……そしてやっと、彼の言葉を呑み干せた。

 

「あ……い、いや、でも……」

 

 彼は『自分を置いて行け』と、そう言っているのだ。……だが、それはつまり。

 

「このままじゃ二人とも死ぬぞ!!

でも……君が急いでくれれば、二人とも助かるかもしれない!!」

 

 彼を犠牲に(・・・・・)この竜を討て(・・・・・・)と言っているも同義だろう。

 

「守るだけなら、僕の方が君より上手だ!!だから……!!」

 

 『僕を信じろ』、と。……彼は何時に無く鋭く引き絞られたその空色の瞳で、私を射抜いた。

 その言葉が半ば嘘である事など、分かりきっていた。こんな怪物を前にしてたった一人、大立ち回りして生き残るなど。凡そ不可能と言って良い。

 

 ……だが。

 可能性は、ゼロではない。彼は彼なりに、僅かながらも勝機を見出している。

 

 ……ならば、(わたし)がそれに応えてやらなくてどうすると言うのか。

 

 彼の姿をじっと見詰める。……所々滲んで暈けていて、まともに像が定まらないけれど。それでも最愛の人だ。多少の不足は記憶が補ってくれる。

 その勇猛な姿を、その苛烈な覇気を、目に焼き付ける。今後一生、決して忘れない様に。

 

「必ず戻ってくる」

 

 そう呟いたのち、私は疾駆した。慣れない身体強化の魔法なんぞも使って、文字通りの全力疾走だ。

 

 背の後ろから、けたたましい叫び声が聞こえる。……竜のものではない。レーヴェ(アイツ)のもの。攻撃を一身に誘引する為の半分魔法じみた技術だ。その声には、意地でもそこを越えさせまいとする覚悟が乗っていた。

 ここから街まで、私の足で1時間弱。そこから人を集め、戻って来る事を考えれば恐らく────最短でも3時間。

 

 最早私に出来るのは、その最短を目指す事だけだ。一刻も早く街に戻って、ほんの僅かでも早く説得してのけて、一秒でも早く彼の元へ駆け付ける。それだけ。

 

 それ以外に思考は不要だ。要らぬものは頭から追いやって、ただ只管に、走る。

 

 景色は灰一色。音も抜け落ちた。……それで良い。今の私が残すべきものは、彼に与えられた使命。……そして、『どうか死なないでくれ』という祈りだけだから。

 

 

 

 

 

 人集めはこれ以上は無いというくらいスムーズに終わった。ギルドに駆け込むと、今正に冒険者たちが雄叫びを上げ、手を取り合って立ち上がる所だった。恐らく、誰かが説得を済ませてくれたのだろう。

 集まっていたのは22人。前衛から後衛まで、バランスよく揃っている。

 

              (あんた……オリヴィアさんか。)              (旦那さんは……ああ、いい。)            (その顔見りゃ察しが付く。)

               (こっちはご覧の通り準備万端だ。)……休憩は要るか?」

 

 抜け落ちた音が足を止めた事で徐々に蘇る。初めの方は代表者らしき青年の声も何も聞こえなかったが、最後の一言だけは耳に届いた。

 

 休憩?……冗談言うな。

 

「要らん。行くぞ」

 

 踵を返す様にして、再び来た道を戻る。

 正直、コンディションは最悪だ。人集めをある種の休憩と想定して、ここまでに余力を全て使い尽くすくらいのつもりで街まで駆けて来たのだから。

 だが、それが何だと言う。

 彼は今この瞬間も、あのおぞましい化け物にたった一人で立ち向かい続けている。

 それと比べたらたかが余力が無い程度(・・・・・・・・・・)、大した話じゃない。

 足りないなら絞り出せ。最悪、両の足と剣を振るう為の片腕、そして健全な頭と肺、それから心臓が残っていれば良い。……片腕くらいは、魔力として溶かしてしまっても構わないだろう。

 

 不足分の魔力を片腕を代償とする形で補い、再び全力疾走。意外な事に、そこまでやっても後続との差は生まれなかった。……都合が良い。この調子で向かえばきっと、私の思い描いていた最短などより余程早く辿り着ける。

 たった一分、たった一秒でも早く辿り着く事が出来たなら、それだけ彼の生存率も上がる。

 

 急げ。

 

 急げ。

 

 急げ……!!

 

 間に合ってくれ、と只管に祈り続け、灰に染まった世界を駆け抜ける。

 

 

 

 そして。その果てに、私の望んで止まなかった光景は広がっていた。

 本来は紅い筈の、灰色の竜。そしてそれと対峙する、私の最愛の人。

 

 生きていた。

 

 生きていた!

 

 彼は勇猛果敢に伝説へと立ち向かい、そして、時間いっぱい(私たちが辿り着く)まで、懸命にその命を保って見せた。

 

「レーヴェ!!!」

 

 力いっぱいに叫び、もう大丈夫だと伝えてやる。

 その声が届いたのか、彼はこちらに顔を向け、安心した様な表情を浮かべた。

 一方の私の方も安堵からか、世界に色が戻って行く。……薄らと微笑む彼は、身体中を竜と同じ紅に染めていた。これ程の手傷を負って尚生き残る頑丈さ。……流石、囮役を買って出ただけの事はある。

 

 だが、もう大丈夫だ。後は私たちに任せて、ゆっくり休め。

 

 チラと後ろを振り返る。……冒険者たちは誰一人脱落する事無く、トップスピードでここまで走って来た。有難い。お陰でこちらにはこれだけの面子が揃っていると、視線で以て彼に教えてやる事が出来た。

 そして、再び竜に向き直る。

 

 すると、そこにあったのは。

 

 淡い橙。炎の色。────幸せの色。

 

 ぐらりぐらりと揺らめくそれが、竜の口から放たれる。炎熱ブレス。竜種の得意とする攻撃のひとつ。

 

 それが。

 

 それが、放たれた。

 

 放たれた?

 

 ……一体、何に向けて?

 

 

 

「……レーヴェッ!!!!」

 

 

 

 淡い橙に、最愛の人が呑み込まれて行く。

 手を伸ばす。……到底、届く距離ではない。それでも、と手を伸ばす。

 

 届かない。

 

 私の手の届かぬ遠くで、彼が炎に包まれる。

 

 炎熱から覗く彼と、目が合った。

 

 安堵。その顔は紛れも無く、安堵だった。

 

 引き絞られた空色はすっかり弛緩し、口元は満足気に緩められていた。

 

 後は頼む、と。まるでそう告げている様だった。

 

 そして次の瞬間には、その顔すらも灼熱が呑み込んだ。

 

「────────!!!」

 

 声が出ない。彼の名を、呼んでいるつもりなのに。

 まるで声が枯れ果てた様だった。空気が喉をすり抜ける音だけが、虚しく響く。

 

 竜は執拗に、念入りに地を────レーヴェを、灼いた。

 

 私がその場に駆け寄る頃になって漸く、奴は熱を吐くのを止めた。

 

 残ったのは、熱し溶かされて硝子質と化した地面。溶融し凹んだ大地。……しかしその上に、最愛の人は居なかった。

 肉の一片、血の一滴すらも残らず、全て蒸発した。

 

 私の目の前で。

 

 私が遅かったから。

 

 私が声なんて掛けたから。

 

 私が目を離したから。

 

 私が。

 

 私の。

 

 私、の?

 

 ……ああ。何だ。

 

 私の、所為か。

 

 

 

 深い絶望が、私を包む。つい先刻まで僅かに覗いていた陽は、完全に地平に沈んだ。

 闇色。……視界が全て、闇色に掻き消される。

 音は最早、聞こえない。聞く必要が無い。

 何かが焼け焦げた様な臭いも、遂に感じ取れなくなった。

 

 全て、私の最愛と共に喪われた。私の落ち度で喪った。

 彼が居ないのなら。……もう何も見えなくたって良い。

 彼が居ないのなら。……もう何も聞こえなくなったって良い。

 彼が居ないのなら。……もう何も、要らない。

 

 だが。……何もかもが完全に消え去るその前に。

 

 せめて仇くらいは討たねば、会わせる顔が無い。

 

 背から剣を引き抜く。普段両手で扱っているそれは、片手で扱うには些か荷が勝った。重さも。大きさも。残された片腕には不相応に過ぎる。こんなものを無理やりに振り回せば、きっと残された方の腕ももう、使い物にならなくなるだろう。

 

 だが、元よりその覚悟だった。

 彼と共に在れたなら、例え両腕が無くとも幸せだろうと、そう思えていたから。

 今となっては、その望みも途絶えたけれど。……そうしたらそうしたで、やはり腕など要らない。最早命すらも必要無いのだから。

 

「……殺す」

 

 初邂逅の際に受けた恐怖が嘘の様に、私はただ殺意を研いでいた。人間らしい心など全て鋳潰して、ただ殺意へと鍛造し直し、それを研ぎ澄ます。

 恐怖なんてものは最早無くなった。……喪うものがこれ以上何もありはしないのだ。何を恐れる事があるか。

 

「     !!」

 

 傍らに並び立つ誰か──恐らく、冒険者のうちの一人だろう──が、何かを言っている。朧気だが、必死な表情に見えた。

 だが、どうでも良い。

 

 どうせ聞こえない。聞こえた所で聞く気も無い。

 

 無感情にそれ(・・)を一瞥したのちに、竜へと斬り掛かる。

 

 鱗に刃が弾かれる感覚。……やはり竜鱗は堅牢だ。聖銀(ミスリル)より堅いとの評もあながち間違いでないと思える程に。

 だが、そんな事は関係ない。

 例え壊せないものだったとしても、壊さねばならない。人の身では過ぎた獲物だろうと、討たねばならない。

 それこそが、それだけが私に出来る贖罪。彼にもう一度会う為の禊だろう。

 

 弾かれても。受け流されても。構わずひとつ所に剣戟を叩き付ける。

 只管に。

 只管に。

 只管に────────

 

 

 

 

 

 ────────どちらかの命の尽きる、その時まで。

 

 さあ。根比べと行こうじゃないか。

 





気付けばほぼひと月ぶりですか。大変お待たせ致しました。
お休みを(勝手に)頂いている間に推薦を書いて頂いたり、再び日間一位を、それも日を跨ぐ形で頂いたり……と色々あって、正直すごく驚いています。ありがとうございます。


以下言い訳やら何やらです。不要なら読み飛ばしてください。

私生活の方が今春で節目を迎えまして、引越し作業の為に執筆時間が中々取れず。……それはそれとして、ここまでお待たせする事になったのは私が遅筆なせいなのですが。
お待ち頂いている方が居たなら、大変申し訳無く思います。
そして予めお伝えしますが、多分今後もこうしてお待たせする事が多くなると思われます。それでも構わないという方は、是非とも拙作を応援してやってください。
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