バレンタインデー。それは、世間にチョコが氾濫し、意中の相手に送ったり友達同士で贈り合ったり義理チョコを本命と勘違いしたりで人間関係が大きく動く日。そんなハレの日に、俺、吾妻康生はげんなりした気分で教室へと入った。自分の席にどっかりと座りながら、俺は愚痴るように呟く。
「あぁクソ、なんか空気まで甘い気がする」
クラスメイトの大半は、どこか変な雰囲気を漂わせている。特に男子達は肉食獣のような視線で周囲を見回し、緊張しているようだ。チョコが貰えるか、貰えないか。それこそが、今日という日の命運を分けるのだ。
どうせ俺には関係ない日だ。自慢では無いが、産まれて16年、俺がバレンタインにチョコを貰えたことは母親のものを除いて一度も無い。今年も俺のバレンタインはつつがなく終わり、そして虚しい気分に落とされるのだ。そうに違いない。まぁ、コミュ障でクラスでも孤立気味な俺が全部悪いんだけど。
「はぁ」
重い溜め息を吐く俺。そこに、場違いな明るい声がかけられた。
「おーう、今日も相変わらず暗いなぁ!朝飯食ってきたのかよ?」
「・・・・・・朝に食事すると気持ち悪くなるっていつも言ってるだろ。お前は相変わらず馬鹿元気だな」
声の主をじろりと睨む。そいつ・・・・・・間宮亮也は笑いながら背中をバシバシ叩いてきた。痛い。
「そんな褒めるなって!あっそうだ、二時限目に小テストあるだろ?俺範囲忘れちまってさ、教えてくんない?」
断りたかったが、そうするとこいつはしつこく絡んでくるだろう。中学時代からの付き合いだ、こいつの面倒さはよく分かってる。
「・・・・・・はぁ。範囲知っても今更だろ、まぁいいけどさ」
仕方なく教科書を取り出し、間宮に小テスト範囲を教える。人懐っこい笑顔でそれを聞く間宮を見ながら、俺はふと思った。こいつは顔も広いし大体の奴に好かれている。去年もどっさりと友チョコとやらを貰ってたし。嫉妬に近い感情が湧くが、それを抑えて聞いてみる。
「お前さ。今日のことどう思ってるんだ?」
「んあ?今日?体育から昼飯食ってからの社会の授業は絶対寝るだろって話?」
「いや、何言ってんだよ・・・・・・もういいや」
能天気に訳の分からないことを言う間宮に、溜め息をついて目を逸らす。きっと毎日が楽しそうなこいつにはバレンタインデーといっても他の日と大して変わらないんだろう。あぁ、早く帰りたい。そう思っていると、間宮がそういえばと言った調子で言ってきた。
「あぁ、そうだ。吾妻、お前放課後暇だよな?ちょっと頼みたいことがあんだけど」
「嫌だ。絶対面倒事だろ、それ」
「そう言うなって。それに面倒でもねえよ。彩乃がお前に用があるらしいから、帰りに俺んち寄ってほしいんだ」
「はぁ?彩乃ちゃんが?」
間宮彩乃。こいつの妹で、馬鹿で騒がしい兄と違って物静かで大人しい、優しい子だ。確か今年で中学三年になったはずだけど、一体何故・・・・・・?いや、まさか、もしかして。
「・・・・・・べ、別にそれくらいならいいけど。本当に彩乃ちゃんが言ってきたのか?」
「おう。まぁ、ここは兄の顔を立てて行ってやってくれ!」
肩を間宮にバンバンと叩かれる。痛い。だが、その痛みが気にならない程、俺は脳をフル回転させていた。彩乃ちゃんがわざわざ今日という日に俺に用があるって、つまり、そういうことか?今日はバレンタインだから、これは・・・・・・!
いや、落ち着け。よく間宮の家に行ってゲームしたりはしているが、彩乃ちゃん自身と関わったことはあんまりない。精々が家にお邪魔するときに挨拶したりするくらいだ。その程度の関係なのに、チョコを期待するのは流石に滑稽すぎる。きっと、偶然何か別の用事があったりするんだろう。そうに違いない。うん。
「と、とりあえず顔だけは出す。それでいいだろ?」
「いいんじぇねえか?あっそうだ、そういや昨日の月9でさぁ」
俺の思考を知ってか知らずか、間宮はさらっと話題を変える。適当に相槌を打ちながら、俺の意識は放課後にしか向いていなかった。・・・・・・なお、間宮はその後の小テストで轟沈していた。気分がすっとした俺は性格が悪いんだろう。
放課後特有のざわめきをかき分けて、俺は校門を出た。間宮は委員会の仕事だとかで連れていかれたので、あいつの家に向かうというのに俺一人だ。いつもの帰り道をどこか緊張しながら歩くと、二十分程で間宮家についた。
「ふぅー・・・・・・」
玄関前で息を整える。いや、緊張することなんか何も無い。いつもと同じようにすればいいんだ。なんとか平静を保ちながらインターホンを押すと、すぐに彩乃ちゃんの声が聞こえてきた。
『は、はい』
「あー、吾妻です。亮也から妹が用事があるって言われたんだけど・・・・・・」
『すっすぐに開けます!』
焦ったような声の後に、どたどたと慌ただしい音が玄関まで聞こえてくる。がちゃりと開いた扉の先には、頬を紅潮させて息を切らしているような表情の彩乃ちゃんが立っていた。
「ど、どうぞ、吾妻さん」
「あ、うん・・・・・・」
明らかにいつもと違う様子に動揺しながらも、促された通り家に入る。リビングに通されると、彩乃ちゃんが温かいお茶を持ってきてくれた。まだまだ気温は低いので、これはありがたい。
「ありがとう。気が利くね」
「い、いえ、そんなことは」
ふるふると首を振る彩乃ちゃん。いつもはもう少し物静かな雰囲気なのだが、やはり今日は様子がおかしい。お茶を啜りながら、呼ばれた理由を聞いてみる。
「えぇっと、なんか、彩乃ちゃんが俺に用があるって聞いてるんだけど・・・・・・」
「は、はい!あの、そのですね・・・・・・えっと、実は、吾妻さんに、その・・・・・・」
俺から目を逸らしながら、もじもじと何かを躊躇しているような様子の彩乃ちゃん。これは、まさか・・・・・・いや、実際に貰うまでは分からない。勘違いの可能性もある。そう俺が邪推していると、彩乃ちゃんはばっと頭を下げて走り去っていってしまった。
「ご、ごめんなさい少しだけ待っていてください!」
「え、ちょ」
俺が声をかける間も無く、彩乃ちゃんは階段を駆け上がり、扉を閉まる音が聞こえてきた。リビングに取り残される俺。・・・・・・ど、どうしよう、気まずい。追うわけにも、さりとて帰るわけにもいかず、俺はお茶を飲みながら所在なさげにソファに座っていることしか出来ない。と、
「──、───!」
二階から、微かに話し声が聞こえてきた。彩乃ちゃんが誰かと話しているのか?いや、しかし間宮の両親は共働きのはずだし、当の間宮も帰ってきていない。電話だろうか?
「────、──」
何を言っているかまでは分からないが、声は彩乃ちゃんのものしか聞こえてこない。やっぱり電話が何かで話をしているようだ。会話らしい声は数分間続いたが、声が唐突に途切れて静かになる。しばらくして、彩乃ちゃんが二階から降りてきた。
「ごめんなさい、お待たせしちゃって」
「いや、大丈夫だけど・・・・・・」
なんだか、彩乃ちゃんの雰囲気がさっきと違う。ニコニコと笑ってて、明るくなったというか、陽気になったというか。不思議に思っていると、彩乃ちゃんは俺の前に立って無邪気な瞳で見つめてくる。
「それでね、康生くん。実は、貴方に渡したいものがあるの」
「え、あ、うん」
急に下の名前、しかもくん付けで呼ばれて戸惑う俺。まるで別人のような態度の彩乃ちゃんは、ぐいっと顔を近付けてきた。吐息が顔にかかり、俺は思わず顔が熱くなっていく。
「あ、あの、彩乃ちゃん?」
「ふふふ・・・・・・」
普段からは想像も出来ないような魅惑的な笑みを浮かべながら、彼女は俺を見つめている。なんだか甘い香りが鼻につき、俺は蜜に群がる虫のように吸い寄せられそうな気分になった。思わず顔を逸らしかけたところで、彩乃ちゃんが離れながら言う。
「はい、ハッピーバレンタイン!」
後ろ手に隠していたのか、丁寧な包装がされた箱を渡してくる。手のひら大のそれに、今の言葉。これは、もしかして。
「私の手作りなんだ。食べて、くれるかな?」
ば、バレンタインのプレゼント・・・・・・!まさか俺に、しかも彩乃ちゃんが渡してくるなんて。信じられない思いで彩乃ちゃんを見ると、彼女はニッコリと笑顔を浮かべ、熱っぽい視線を向けてきていた。
「今、ここで開けて食べてほしいの。駄目?」
可愛らしく小首をかしげる彩乃ちゃん。なんだか、本当に別人みたいだ。俺はドギマギしながらも頷いて、手元の箱に視線を落とす。慎重に包装を剝がしていくと、甘い香りが強くなっているように思えた。
「うおぉ・・・・・・」
箱を開けると、そこには色とりどりの丸いお菓子が入っていた。確か、これって、
「私手作りのマカロンだよ、康生くん」
そう、マカロンだ。というか、手作り?マカロンって手作り出来るものなんだ・・・・・・。
「ねぇ、知ってる?バレンタインデーに渡すお菓子って、種類によって違う意味が込められてるんだ」
俺の耳元まで顔を寄せて、彩乃ちゃんは悪戯っぽく囁いてくる。心臓が激しく脈打ち、額に汗がじわりと滲んだ。まるで魔性の女のような彩乃ちゃんの振る舞いに、正直興奮してしまう。
「マカロンを渡す意味、康生くんはなんだと思う?」
意味。意味って言われても、俺はそういうことには詳しくない。だけど、今日の彩乃ちゃんの様子から想像すると、その、つまり・・・・・・。顔を真っ赤にしながら考えこむ俺。そんな俺をずっと見ていた彩乃ちゃんが、不意に顔を背けた。
「っ、く、ふ」
何かを堪えるような表情の彩乃ちゃん。もしかして、俺が何かしてしまったのだろうか。
「えっと、どうしたんだ、彩乃ちゃん?」
戸惑いながら聞いてみると、彩乃ちゃんはこっちを見て、表情が歪み、そして、
「っぷ、ははははははははっ!駄目だこれっ、だから言ったろ彩乃、俺じゃあ無理だって!ははははははっ!」
爆笑、し始めた。訳の分からないことを言いながら、お腹を押さえて震えている。
「は、え・・・・・・?」
間抜けな俺の疑問の声は彩乃ちゃんの笑い声にかき消され、どこにも響くことは無かった。
「えぇと、つまり・・・・・・恥ずかしくてマカロンを渡すことが出来ない彩乃ちゃんの代わりに、間宮が憑依?して俺にマカロンを渡したって?いや、彩乃ちゃん、流石にそういう冗談は・・・・・・」
「いや、だからホントなんだって!少し前に俺が熱出したろ?お前が馬鹿が風邪引くなんて珍しいなとかお見舞いに来た時に言ってたやつ。あの日から、俺幽体離脱出来るようになったんだよ!」
「いや、信じられるわけ無いよ・・・・・・」
目の前の彩乃ちゃんは、普段やさっきまでと違って明るく快活な態度で接してくる。まるで間宮そのもののような振る舞いだが、流石に憑依なんてオカルトじみたもの、信じられるわけが・・・・・・。
「あぁクソ分かった!だったら今からお前に憑依して一旦外出るからな!意識戻った時家の外にいたら信じろよ!」
そうまくし立て、ソファに座った彩乃ちゃんの体からがくりと力が抜け、意識を失う。何かの演技かと訝しむ俺の背に、ゾクリと悪寒が走った。
「なっなんだ、これ」
冷たい何かが、俺の中に入ってくる。体ががくがくと震え、視界が一瞬でぼやけていく。まさか、さっきの話は本当に・・・・・・?
「う、ぐ・・・・・・」
そして、俺の意識はどんどん遠のき、闇に落ちていって───
───気が付くと、玄関の扉の前で座り込んでいた。
「っおいおいおい、嘘だろ白昼夢か」
慌てて立ち上がり、間宮家の中に入る。リビングまで走るように向かうと、ソファに座って意識を取り戻している彩乃ちゃんがいた。
「お、おい!お前、本当に間宮なのか!?なんでこんなこと出来るんだよお前!おい!」
肩を掴んで揺さぶると、彩乃ちゃんは顔を真っ赤にしながら言う。
「ち、ちがいますっ、いや、兄が憑依出来るのが違うってことじゃなくて、今は私に憑依してなくてっ」
「え?」
恥ずかしそうな表情を隠すように手で顔を覆う彩乃ちゃん。それじゃあ、つまり彩乃ちゃんは彩乃ちゃんのままってことで・・・・・・俺は素早く肩から手を離して謝る。
「ご、ごめん!てっきりさっきみたいに間宮が憑依してるってことかと・・・・・・」
「い、いえ・・・・・・しょうがないです。あと、兄は今そこで爆笑してます。本当に悪戯好きなんだから、もう」
彩乃ちゃんが指差す方向には、食器棚があるだけだ。俺には何も見えないが、どうやら彩乃ちゃんには間宮がどこにいるのか見えているらしい。
「あーっと、つまり、生き霊の間宮がいるってこと?マジかよ・・・・・・」
「えぇと、『これで信じる気になっただろ?』って言ってます」
彩乃ちゃんの言葉に、俺は頷くしかなかった。自分の体が勝手に動いて外に出ていた、というのは変な常識を吹き飛ばすくらい衝撃だったからだ。それに、彩乃ちゃんの変貌振りも納得できる。よく考えたらあんなタチの悪い冗談を言う子じゃないしな。
「・・・・・・」
間宮が幽体離脱出来るようになったというとんでもないことを知ったのはいいが、だからといって現状が変わるわけではない。さっき彩乃ちゃん、じゃなくて間宮が言っていたこと・・・・・・恥ずかしくて自分が出来ないから、間宮に憑依してもらってマカロンを渡してもらった、という話は事実だった、ということだ。つまり、うん、そういうことな訳で。恥ずかしくて彩乃ちゃんの方を見れない。まさか、彩乃ちゃんに好意を持たれているなんて。
「・・・・・・ちょっと兄さん、うるさい。いや、だってしょうがないでしょう、だから私は・・・・・・そういうわけじゃないけど・・・・・・」
彩乃ちゃんが虚空を見ながらひとり言、じゃなくておそらく間宮と話している。はたから見ると変な感じだが、彩乃ちゃんの視線の先に間宮が霊体で浮いていると思うとより奇妙な気分になる。と、
「確かにそうだけど・・・・・・うぅん、でも私じゃあ・・・・・・えっ?いや、流石にそれは。嫌ってわけじゃないけど、って、ちょっんんっ!」
ビクンっと彩乃ちゃんが震える。しばらくそのまま震えていた彩乃ちゃんは、しばらくするとこちらに顔を向けてニヤリと笑った。
「よぉ、どうだよ俺の能力は?なんか異能バトル漫画とか始まりそうじゃね?」
「お、お前、間宮か。また妹に憑依したのかよ」
一瞬で雰囲気が変わるその様子に、俺は改めて驚いた。まさか、こんなありえないようなことが俺の人生に起こるなんて。まじまじと彩乃ちゃんに憑依しているらしい間宮を見つめると、間宮はウインクしながら言ってくる。
「なんだよ、俺の妹の魅力にやられちまったか?]
「うるせぇ馬鹿!妹に憑依して体を好きに使うとか変態かよお前!」
「いや、だから俺は彩乃から頼まれたんだって。最初は流石に駄目だろって言ったんだけど、自分じゃテンパってお前にプレゼントを渡せない~って泣きつかれてさぁ。最初は霊体のままアドバイスするだけなつもりだったんだけど。まぁ、あれだ。彩乃がお前のことを好きだっていうのは本当だよ。だから俺も無理やり協力させられたわけだし」
感情豊かな振る舞いで言ってくる間宮。そ、それって結局、彩乃ちゃんが俺のことを・・・・・・いや、しかし。
「あと、どうせお前は知らないだろうから教えちまうけど、マカロンを渡すのは『貴方は特別な人』って意味だぜ」
「っ!?」
さらっと爆弾を投下され、俺の顔がボッと火照るのを感じる。特別な人。特別な、人・・・・・・!?
「お、お前、彩乃ちゃんの口で勝手にそんなことを・・・・・・」
「だから勝手じゃねえんだって。自分じゃ無理だから彩乃の体に憑依していい感じに渡してくれって言われたんだよ。ついでに自分の思いも伝えてくれって。まぁ、彩乃はあがり症でビビリだからな、最初は俺も断ってたんだけど結局は妹の恋を成就させようと人肌脱いだってわけだ。テンパるお前の姿を見てたら、我慢できなくなって笑っちまったんだけどな」
「・・・・・・間宮、お前やっぱ性格悪いわ。というか妹の体使って誘惑してくるとかホモかよ」
負け惜しみのように俺が呟くと、間宮はふっと真面目な表情になり言ってくる。
「いや、それがな。色々憑依してて気付いたんだが、どうやら憑依してる時ってその人物の感情に引っ張られやすくなるらしいんだよ。だから俺が取ったああいう態度も、本来なら彩乃がやりたかったことなんだよな。こいつ自身は恥ずかし過ぎて出来ないと思うけど」
・・・・・・なんか、驚くことが多すぎてわけが分からなくなってきた。だから、一番大事な所を確認をする。彩乃ちゃんの体の間宮を見ながら、核心を聞いてみた。
「彩乃ちゃんは、俺のことが好き、ってことだよな」
「おぅ。兄である俺が断言するけど、割と最初の方から惚れてたらしいぜ?お前と彩乃が会ったのが、俺たちが中学で仲良くなった辺りだから・・・・・・4、5年くらい前か」
「・・・・・・」
全然気付かなかった。間宮の家に遊びに行く時くらいしか会ったことが無いはずだし、彩乃ちゃん自身にそんな素振りも無かったように思える。彼女が本心を隠すのが上手かったのか、それとも単に俺が鈍感なだけか。どっちにしろ、相手の想いには答えないといけない。テーブルに置かれている箱の中のマカロンを見つめながら、俺はポツリと言う。
「間宮。彩乃ちゃんと話がしたいんだけど」
俺の言葉に間宮はニヤリと笑い、頷いてがくりと彩乃ちゃんの体から力が抜けた。数秒後、彩乃ちゃんは顔を上げて俺を見る。彼女は慌てたような様子でまくし立ててきた。
「あ、えっと、兄が変なこと言ってませんでしたか!?あの、違って、いや違わないんですけど、そのっ」
「お、落ち着いて彩乃ちゃん。大丈夫だから」
なんとか彩乃ちゃんを宥め、落ち着かせてから聞いてみる。
「・・・・・・ねぇ、彩乃ちゃん。このマカロン、食べてもいいか?」
「は、はいっ、粗末なものですが・・・・・・!」
俺は手を伸ばし、白色のマカロンをつまんだ。口に運び、かじってみる。さくさくふわふわな食感とともに、優しく丁寧な甘みが口の中に広がる。今まで食べてきたお菓子の中で一番美味しい。
「うん、美味い。手作りでこれとか、彩乃ちゃんはすごいな」
「いえ、そんな・・・・・・レシピ通りに作っただけなので」
照れたのか、赤面しながら俯く彩乃ちゃん。あぁクソ、俺は間宮のことを言えないくらい単純な人間らしい。彼女が俺のことを好きだと知っただけで、彩乃ちゃんを好きになりかけてるんだから。
「それで、あー、彩乃ちゃんに言いたいこと、というか答えたいことがあるんだけど・・・・・・」
ここまできて歯切れの悪くなる自分に嫌気が差しながら、意を決して、話し始める。
「まず、マカロンをプレゼントしてくれてありがとう。すごい嬉しい。こういうの貰うの初めてだから、うん。あと、それで、ええと・・・・・・」
いや、ここにきて日和るな俺!コミュ障だろうとなんだろうとここはビシッと決めなきゃ男じゃないだろ!よし、言うぞ、言うぞ・・・・・・!
「お、俺と、付き合ってくれないか。彩乃ちゃん」
「・・・・・・っ」
やっとのことで告白を口にした俺は、しかし彩乃ちゃんはこっちに顔を向けて固まったままだ。あ、あれ、もしかしてなんか間違えたのか俺!?やっぱり勘違いだった!?と、
「う、うれ、嬉しい、嬉しいです!こちらこそよろしくお願いします!」
止まっていた映像を早回しにするように、彩乃ちゃんが立ち上がって頭を下げてくる。真っ赤な顔に笑顔を浮かべるその姿は、正直めっちゃ可愛い。
「うん、こちらこそよろしく。って、ちょっ!?」
「きゅう・・・・・・」
突然、ぐらりと彩乃ちゃんの体が傾いた。慌てて抱き留めると、彼女は目を回して意識を失ってしまったようだ。ど、どうすればいいんだこれ・・・・・・!?とりあえずソファに寝かせようとすると、意識が無いはずの体がびくりと痙攣する。
「・・・・・・ふー。嬉し過ぎて心がパンクしちまったみたいだな、こりゃ」
「ま、間宮か?」
「おう。いや、にしても彩乃とお前が付き合うことになるとはなぁ。兄かつ親友の俺としちゃ感慨深いよ」
おちゃらけたように言う彩乃・・・・・・間宮だが、やはり顔は赤面し、力が入らないのか俺に体を預けたままだ。
「馬鹿なこと言ってないで彩乃ちゃんの体を休ませてやれよ。一応、俺のか、彼女になったんだし」
「ひゅー、お熱いねぇ。んじゃ、あれだ。体に力入らないし、お前が肩貸して彩乃の部屋まで連れてってくれ。流石に意識無いまま運んでくのは大変だろうし、ベッドに寝かせてもらったら俺も抜けるからよ」
そう言って、俺の肩を借りてなんとか立ち上がる間宮。彩乃ちゃんの体が密着し、柔らかさと体温が伝わってくるが、なんとか煩悩を振り払い階段まで二人で歩いていった。
「ここから段差だからな、気を付けろよ」
「分かってるって。よっ、と」
躓いたり転んだりしないよう、ゆっくりと慎重に階段を上っていく。しかし、彩乃ちゃんの体から放たれる熱はどんどん高まっているようで、間宮もしんどそうに息を吐きながら俺の体に体重を預けてくる。意識しないように心を落ち着けながらしっかりと支えて、どうにか階段を上り切ることが出来た。
「彩乃の部屋は、ふぅ、左から二番目の扉だ」
言われた通りに扉まで向かい、開けて中に入る。ふと、女の子の部屋に入るなんて初めてだなという思考が浮かんでくるが、意図的に無視して彩乃ちゃんの体をベッドまで運んだ。
「悪いな吾妻、助かった。ふー・・・・・・」
ゆっくり息を吐きながらベッドに座り、手団扇で顔をあおぐ間宮。妙に艶めかしい雰囲気を漂わせ始めたその姿を見てると、こちらも妙な気分になってしまう。いけない、いくら彼女になってくれたとはいえ、いきなりこういう雰囲気になるのはよくないだろ。というか中身は間宮だぞ、血迷うな俺!
「じゃ、じゃあ俺は帰るから」
逃げるように部屋を後にしようとする俺。しかし、間宮は俺の服の裾を握ったまま離さない。
「お、おい、離せよ」
「なぁ、吾妻・・・・・・」
俺の声が聞こえてないのか、あるいは無視しているのか。間宮はトロンと蕩けた表情で俺を見つめてくる。思わずドキリとしてしまうような、蠱惑的な表情。
「彩乃、よっぽどお前のことが好きだったんだな。そのせいで、俺もあてられちまった」
ぐいっ。間宮が腕を掴み、自身の方に引き寄せてくる。突然のことに俺はそのまま引っ張られ、彩乃ちゃんの体を押し倒すように倒れてしまった。
「ちょ、おい!?」
目の前に、彩乃ちゃんの顔がある。潤んだ瞳で俺をうっとりと眺める間宮は、完全に彩乃ちゃんの感情に流されてしまっているようだ。
「落ち着け、正気に戻れって間宮!」
俺の必死の呼びかけにも構わず、間宮は彩乃ちゃんの腕を伸ばし、俺を抱き寄せ、そして───
───ぎゅうっと、思い切り抱き着いてきた。
「悪い。少しだけ、このままでいさせて」
か細い声。何かに縋るようなその言葉に、俺はどうすることも出来ない。抱き着かれたまま、ゆっくりと時間が過ぎていく。俺は何も言えなかったし、間宮も何も言わない。彩乃ちゃんの体の荒い息と心臓の鼓動を聞きながら、俺は無限にも思える抱擁の間、身じろぎ一つ出来なかった。
数分か、数十分か、数時間かもしれない。俺にとって天国で地獄な時間が過ぎ去る中、少しずつ抱きしめられている腕の力が抜けていくのを感じた。完全に脱力したところで、そっと体を離す。
「・・・・・・」
間宮は、穏やかな寝息を立てながら眠り込んでいた。幸せそうな寝顔に安堵しながら、とりあえず毛布を掛けて部屋を出る。そして、
「っっっっっっぶね~~~~~~・・・・・・!」
閉めた扉に背中を預け、ずるずるとへたり込んだ。危なかった、性欲のままに襲いかねない所だった・・・・・・!よく耐えた、俺・・・・・・!思い返してバクバクと高鳴る心臓を押さえながら、俺は精神を落ち着ける。
「すー、はー・・・・・・。よし、帰ろう。帰って寝よう」
色々と思うことはあるし、色々な問題がある気もする。だけど、今それを考えるのは無理だ。帰って、寝て、脳を休めてから考えよう。俺は逃げるように間宮家を出て、急いで帰路に着いた。
翌日。結局何も考えられず、俺は微かに痛む頭を抑えながら高校に向かっていた。彩乃ちゃんと、こ、恋人になったのは嬉しいんだけど、間宮が幽体離脱や憑依が出来るという無茶苦茶な事実と、最後の間宮の様子が俺の思考の妨げになっている。いや、もう、ほんとどうしよう。間宮が今日から熱っぽい瞳で俺を見てきたりしたら、俺はどう対応すればいいか分からない。と、
「よぉー!昨日はありがとな!」
「うぉっ!?」
いきなり後ろから声をかけられ、背中を叩かれる。振り向くと、いつもと変わらないように見える間宮が立っていた。
「いやぁまさか彩乃とお前がくっつくなんてなぁ!あっそうだ、あとでスマホに彩乃のSNS垢送っとくわ」
昨日の最後のアレが無かったかのように、いつも通りの間宮。俺は訊ねようとした言葉を飲み込んで、別の言葉を吐き出す。
「朝から大声で言うな馬鹿。というか、絶対周囲に言いふらすなよ、俺がよくても彩乃ちゃんに悪いから」
「なんでだよ、別にいいじゃねえか。それともなんだ、秘密恋愛の方が好みなのか吾妻は」
「そういうわけじゃなくてだな・・・・・・」
いつも通りのくだらない会話をしていると、まるで昨日の彩乃ちゃんに憑依した間宮の態度が嘘みたいだ。きっとあれは、一時の気の迷いだったんだろう。そう思いながら、俺は間宮と一緒に校門をくぐった。
「そういや聞いたか?今度この辺りでドラマの撮影あるんだってよ!アレだ、小説原作のホラーのやつ!」
「いや、流石にそれだけじゃタイトル分からねえよ。他に情報無いのか?」
「あー、ヒロインがめっちゃかわいい、とか?」
「範囲が広すぎて絞れないって。ったく・・・・・・」
高校の喧騒の中、俺は間宮と喋りながらこのことを考えるのはやめようと思い直した。なんだか、その方がいいような気がしたからだ。2月15日の朝、空は曇り模様で一雨来そうな天気だった。
To be continued・・・・・・?