腕の良いアホトレとモブウマ娘 作:リボガンに恨みを抱く物
ついに凱旋門賞が始まる。
ゲートイン、少し暗いこの場所で静かにその時を待つ。
誰もが静かに期待を寄せる中、トランペットの音が鳴り響く。
目を閉じ、静かに聞き入る。
ゲートに入る前までは色々な事を考えていたのに、今はただ心が凪いでいる。
少し息を吐く、体の力は適度に抜けている。
ファンファーレの音も消え、誰もが息をのみ、鼓動の音すら聞こえそうな世界の中で、高揚感だけが高まっていく。
目を開き、ゲートを見つめ、駆け出す準備をする。
ゲートのフレームが軋み、鈍い音を立て、一気に開いた。
音もない世界で、ただ一人、私以外の主張の激しい足音が聞こえた。
リボンマーチだ。
彼女はたった三歩の鋭い加速で巡航速度に入り、ラビットが前に入る余地を与えなかった。
それを見て他のチームは下がる中、私だけは無意識に彼女を追っていた。
何故?
釣られた?
ラビットの後ろでスリップストリームに入り、スパートまで体力を温存する予定だったのに、今、今......私は何をしている?
今からでもそうすればいいのに、私はマーチを追っていた。
理屈では無かった、おそらく直感でもない。
ただ、その時は置いていかれては不味いと考え、それが正しい答えだと確信していた。
これこそがすべき事だと、ただただ理由もなく確信していたのだ。
マーチを追って長い長い上り坂に入る。
高低差10m、日本の競馬場の倍はあるその高低差に、しかしマーチは順応している。
前走でわかっていた事だが、マーチはこの坂を苦にしていない。
前走よりも軽やかに坂を踏破していく。
このまま引いていたら差は広がりすぎて取り返しがつかなくなる。
マーチを追った理由はそれだけでもない気はしたが、兎に角、後ろから機会を窺う。
上り坂は苦しいが、後ろに下がれば敗北が見える、前に出続けるしかない。
彼女の対戦相手はいつもこうなのだろうか?詮無いことを考える。
やがて上り坂を越えて下り坂に差し掛かる。
下り坂、やつはそれを制御せず、一気に加速を始めた。
こんな位置から仕掛けるのか。
驚愕はしたが、同時に納得もしていた、嫌な予感はこれだったのかと。
そのままのペースを維持し、フォルスストレートに入る、坂を下った勢いそのままの緩いロングスパート。
後続とはもう巻き返せない大差がついている、これを狙ったか。
スパートについて行かなくては、結局私も後続の二の舞になるだろう。
足の回転を上げて、さらに追いすがる。
残り2ハロンから仕掛けようと考える。
しかし、これだけ逃げの暴走に付き合って2ハロンもスパートが掛けられるだろうか?
だが、出来なければ負けるだろう。
最後の勝負の時に向かって、加速された時間がゆっくりと対決の時へ向かっていく。
それにつれて意識はよりクリアになり、苦しさの全てが何処かに置き去りにされ、音も消え失せ、ただマーチと私だけがいる世界になる。
加速された時間の中、ついにスパートを掛けた。
マーチとの距離感なら、ラストで追えば勝てるはずと思っていたのに、距離は離れていく。
ゆっくりと流れる時間の中で、マーチだけは普通の時間軸にいた。
遠ざかり、段々と小さくなる背中を必死に追っても、私の身体は、等倍速の時間の中に戻れなかった
ただただ、理解のできないまま、レースは終わった。
駆け寄ってきたトレーナーに、
私は10バ身差の2位だったと教えられた。
私の後ろとは15バ身差だったとも。
勝者は彼女で、私が敗者だった。
音や色が戻る中、私はガクガクと震える足を抑え、ただ一つの事だけを気にしていた。
この後のダンスを踊る事は出来るだろうか?と。