いよいよエリちゃんの本日の二戦目が始まろうとしていた。
相手はランキング五位の強敵だ。
「あ、この人、前にも見たような」
「うん。優勝候補の筆頭のロスタムだね。こちらも相当機械化を進めている上に、遺伝子調整も行っているそうだよ。前評判ではクマとヒトとの対決だなんて言われてる」
「クマ?」
私が言うと、私の目の前にホログラムが現れた。
茶色の毛に覆われ鋭い牙をむき出しにして威嚇している大きな動物のものだ。
「クマ。哺乳網食肉目クマ科の総称。毛皮に覆われ短くて太い四肢と大きな体を持つ。表示した個体はヒグマといい、体長は一メートルから三メートル前後、最大体重は七百八十キログラムとされている。走る速度は時速四十キロから六十キロとも言われ、三分ほどその速度を維持できたそうだ。そして、鋭い牙と爪で人を殺傷することもあり、前時代では
「わーお……」
グリードの説明に私はドン引きつつも、その前評判に納得もしていた。
確かにロスタムさんの体つきにクマのような雰囲気を感じた。
機械化と遺伝子調整されたその身体は、普通にトレーニングした程度では作れない身体だ。
私は手で口を覆う。
……私だったらどう戦うだろう。
や、間違いなく逃げるが勝ちなんだけど、それでも戦わなきゃいけないとしたら、どうする?
エリちゃんは、きっと戦術があるんだろうな。
「一撃でも当たったらタダじゃ済まないね」
「さっきみたくスタミナ切れまで逃げ切るとか?」
スロウスさんの言葉にアイちゃんが首を傾げながら言うけど、私は首を横に振った。
「既に一戦しているエリちゃんにそこまでの体力が残っているか疑問だよ」
「そうだな。それに相手は体力にも優れているようだ。長期戦はエリザベートには不利だろう」
だとしたら、二撃必殺だ。
まず一撃目の攻撃で相手の動きを止める。
それから、すかさず回り込んで、背中のLSSを破壊する。
私ならそうするかな。
ただ、その一撃目が相手に通じるかどうか。
私が考えている間にも、二人はリング状で対峙した。
歓声は凄まじいもので、まるで優勝決定戦のような盛り上がりだ。
だが、リングの二人は静かな闘志と緊張を漲らせていた。
二人とも相手の力量をわかっている。
恐らく短期決戦に持ち込む気だ。
試合開始のゴングが鳴り響いても、二人は動かない。
見極めていた。
極限まで相手のスキをうかがっていた。
私も相手のロスタムの動きを凝視する。
間合いは詰められない。
一歩でも動いたらロスタムの攻撃を受ける未来が予測できた。
でもこの硬直状態は長くは続かない。
二人とも相手の集中力が少しでも切れる瞬間を待っている。
呼吸を整えて、相手に合わせて。
……………………キタ!!
今だ!! エリちゃん!!
だが、エリちゃんは動かない。
代わりに素早くロスタムが動いた!
普通の人を超えた四肢の筋肉から繰り出される右フック。
エリちゃんは躱したが、その衝撃波で顔のパーツが破壊され、体が吹き飛んだ。
「エリちゃん!」
「や! チャンスだ!」
悲鳴を上げるアイちゃんに、私は拳を握って叫ぶ。
エリちゃんは吹き飛ばされながらも態勢を立て直し、相手の後ろへと素早く回り込んだ。
そして必殺の蹴りが相手のLSSを破壊する。
勝負あり!
審判もエリちゃんの勝利宣言をし、試合はあっという間に終わった。
呆然とする相手に目もくれず、闘技場を揺らすかのような歓声にエリちゃんは大きく手を広げて応え、優雅にお辞儀をしてリングを立ち去った。
「肉を切らせて骨を断つ、作戦だったのかな」
エリちゃんの戦術を口にする私に、スロウスさんがこちらを見た。
「凄いね」
「ええ、やっぱりエリちゃんは凄いプレイヤーです」
「違う。君のことだよ」
「え?」
無表情で私を見るスロウスさんに、私は思いっきり戸惑う。
え? 何故?
「君、あの二人の動きを完全に読んでたよね?」
「……えーと、何となくこう来るかな? 私ならこう戦うかな? くらいでしたけど」
「それ、まともな情報もない初見の人、できないから」
「でも、それは観客目線だからできたことで、実際に戦うことになったら、そんな余裕はあっという間に蒸発すると思います」
「そうかもしれないけど」
するとグリードは片手を上げた。
「スロウスは君の才能も高く買っているということだ。そしてそれは、スロウスだけじゃない」
「……エリちゃんもその一人ですもんね」
「そうだ。それがエリザベートの暴走の引き金にもなった」
えー……。
私は急に不安になった。
いやだって、才能があるって言われてもどうすりゃいいのさ。
困惑する私の手をグリードは優しく取った。
「前にも触れたが、君の才能は稀有なものだ。少しずつでいい。そのことを自覚していくようにしよう」
「……うん」
私はひとまず頷いたけど、具体的にどうすればいいのか、さっぱりわからないままだった。
グリードは私から手を離す。
「さて、これでエリザベートの今日の試合は全て終わった。いよいよ話し合いの時間だ」
グリードが言うと、私達の目の前に動画が表示された。
私達のいる部屋と同じレイアウトの部屋に一人の男の人がいる。
シンヤさんだ。
「シンヤに簡易カメラを渡して設置するように要請した。無事に起動しているようだ。まずはエリザベートが帰ってくるのを待とう」
私とアイちゃんは揃って頷く。
緊張するー。
気付けば手汗をほんのりかいていた。
そして、エリちゃんが部屋に戻ってきた。
シンヤさんがエリちゃんに駆け寄る。
「エリィ! 顔は! 大丈夫か?!」
「大丈夫大丈夫。マトモに食らったわけじゃないからね。でも冷やさないと」
「ああ、わかってる」
シンヤさんの心配を、笑顔でエリちゃんは応じた。
シンヤさんはカバンからアイシングを取り出すと、椅子に座ったエリちゃんに手渡した。
「お疲れ様、エリィ。今日もいい戦いだったよ。絶好調だったな」
「ありがと。メッチャ調子良かった! ロスタムの攻撃、これだけでダメージで済んだのもシンヤの調整のおかげだよ!」
エリちゃんは嬉しそうに笑いながら、頬にアイシングをした。
その間に、シンヤさんは戦闘データを取る。
……これが、試合後のエリちゃんたちの姿か。
エリちゃんの表情は、連戦し連勝した充実感と喜びでとても幸せそうで胸が痛くなった。
一方のデータを取るシンヤさんの表情は、複雑そうだった。
これからのことを思えば、素直には喜べないし緊張のほうが勝るだろう。
だが、シンヤさんはすぐに表情を切り替えてエリちゃんに笑顔を向けた。
「よし! データ取得完了! アウタースーツ脱いでいいよ」
「はーい」
エリちゃんはアイシングを一度やめると、アウタースーツを脱ぎだした。
……へー、ゲッカビジンのインナースーツってああなってるんだ。
体の急所に当たる部分の布地が厚くなっているのは全てのインナースーツに共通しているが、その他の部分はストッキングくらいの薄さだった。
リンケージのケーブルの接続部分、腰から脊椎の部分が蛍光の青色になっているのがポイントになっている。
私の着ているインナースーツは、黒一色のタイツレベルだから、ここでも軽量化と機動力を選びつつもオシャレ感も出していた。
「エリちゃんもナナちゃんに負けじとスタイルいいね」
横にいるアイちゃんの言葉に、私ははたと気付く。
「……言われてみればそうだね。学生時代よりもメリハリしっかりしてるし、筋肉もだいぶついたみたい」
「……ナナちゃんは何を見ていたの?」
「インナースーツ見てた。自分のと比較してた」
「そっか。プレイヤーによって違ってくるものなの?」
「多分ね」
映像に目を戻すと、シンヤさんも手伝ってアウタースーツを脱いだエリちゃんは、再び椅子に座ると頬にアイシングをあてた。
シンヤさんは黙々とアウタースーツを磨き、特殊ケースに閉まっている。
エリちゃんはそんなシンヤさんを見つめていたけど、やがて口を開いた。
「シンヤ」
「うん? 何?」
作業の手を止めずに答えるシンヤさんに、エリちゃんは静かに微笑んだ。
「私に何か話があるんでしょ?」
わあ、気付かれてら。
エリちゃん、鋭いな。
グリードは頭の下に手をやった。
「……何故、エリザベートはシンヤの考えがわかったのだ?」
「それはわかるよ」
グリードの言葉にアイちゃんは苦笑した。
「この数年、恋人としてずっと一緒にいたんだよ。エリちゃんはシンヤさんをずっと見てたんだもん。気付くよ」
「音に聞く女の勘ってやつ?」
「それもあるだろうけど、観察の結果だよ。大好きな人のこと、もっと知りたいと思うのは当然のことで、だからしっかり観察するというか、無意識にしちゃうんだよ」
エリちゃんは微笑みながらスロウスさんに言う。
さすがは現役の彼氏持ち。
説得力が違う。
すると、グリードが体ごとアイちゃんの方を向いた。
「……なるほど、私がナナミのことをもっと知りたいと思うのは当然ということだな」
「君は突然何を言い出してんの?」
胡乱な表情になるスロウスさんだが、グリードは平然とした様子だった。
「言葉の通りだ。私はナナミのことが好きだ。そしてナナミのことをもっと知りたいと思い、そのためにつぶさに観察をしている。エリザベートもそうだったのだな、という話だ」
恥ずかしがることなく堂々と言うグリードに、私は恥ずかしくなった。
グリードさん、空気を読んでほしい。
いや、グリードにはまだ難しいのかな?
スロウスさんは顔をはっきりとしかめた。
「あのさあ、こんな時にロボらしからぬ色気を出さないでよ。今はそれどころじゃないでしょ。話の流れからして、そろそろ向こうへ行くんだよ。状況、理解してる?」
ごもっとも。
スロウスさんはいつでも正しい。
私は改めて映像に目をやると、シンヤさんとエリちゃんが見つめ合っていた。
「エリィ」
「もしかして、前にも話した街に戻ろうって話?」
シンヤさんはアウタースーツのパーツをしまいながら頷いた。
「ああそうだよ。これ以上、エリィに無理強いをさせるわけにはいかないと思ってる」
「でも、今日の試合は良かったでしょ。薬の副作用もなかったし、身体も安定してたし、このままの調子でいけば──」
「今日は良かったよ。でも次回以降どうなるかわからない。……俺は、エリィのことが本当に大事で、エリィと一緒に幸せになりたい。そのために街に戻って一からやり直したいと思っている」
「そう……」
エリちゃんは悲しげに目を伏せた。
お?
もしかして私達の出番もなく二人の話し合いだけで片がつくのか?
だったらその方が──。
だが、エリちゃんは顔を上げると、シンヤさんを真っ直ぐに見つめた。
「でもシンヤ、あんなに街に対して怒ってて、見返してやるって言ってたじゃん! だからここまで頑張ってこれたんでしょ? シンヤの才能は本物だよ。シンヤの才能があったから、私、ここまで戦えたんだよ」
「それは違うよ、エリィ。エリィが俺の研究の被験体として全面協力してくれたからだ。違法薬物まで使ってサイバネ化して、心と身体をすり減らしてまで俺に尽くしてくれた結果だ」
シンヤさんは眉間にシワを寄せ、苦しげな表情でエリちゃんを見つめ返す。
「街への怒りは今でもあるよ。でもそれ以上にエリィのことが大事だって気付いたんだ。もうこれ以上、エリィを犠牲にして研究することは俺にはできない。俺の怒りのためにエリィを失うなんて耐えられない」
「私のことなんて気にしなくて良いんだよ! いくらでも利用してよ! そんで街を見返してシンヤの名前と実績を世界に残そうよ!」
「それが嫌なんだよ!」
シンヤさんはアウタースーツのケースを掴んで鋭く叫んだ。
「エリィを犠牲にして俺一人がこの世界に残っても何も意味がない! さっきも言った。俺はエリィが大事なんだ。二人でこの世界で生きていきたいんだよ!」
「……今更そんなこと言わないでよ」
エリちゃんの顔が歪んだ。
「シンヤの才能を世間に認めさせるために、あれだけ頑張ってきたじゃない! それを無しにして街にすごすご戻るって言うの?! 嫌だ! 私はシンヤを見捨てた街を許すなんてできない!」
私は目を閉じた。
ああ、これは私達の介入が必要な流れだ。
シンヤさんの心からの説得がエリちゃんに届いていない。
「どうやら、我々の出番のようだな」
「辛うじて話し合いの席についている今のうちだね」
「はい。行きましょう」
アイちゃんの促しに、私達は黙って部屋から出た。
そしてすぐ隣の控室のインターホンを鳴らす。
しばらくして、インターホンの画面にシンヤさんが現れた。
「はい」
「シンヤ。私達の出番だと推察した。開けてくれるか」
「わかりました」
いよいよ私達の戦いが始まるのだ。
……エリちゃん、悪いね。
後もう一戦、付き合ってもらうよ。
控室のドアが開き、シンヤさんが私達を招き入れた。