私のモデルの挑戦が始まって一週間が経った。
余裕をかましていられたのは最初の三日間だけ。
今の私は心の余裕をなくしつつあった。
本業と副業をこなしつつ、トレーニングとモデルの勉強。
それらは何とかこなせた。
だが、私を含めみんなが心配したように、切り詰めた食生活がボディブローのように、ジワリジワリと効いてきていたのだ。
カールソンさんの経験を踏まえ、リーさんが提案した栄養素の調整をした栄養食を食べることにした。
お金がかかったけど、短い期間に結果を出す必要があったから仕方がない。
未来への投資だと思うことにした。
だが、その食事の味と食感に早速飽きてきたのだ。
飲み物も水か白湯限定。
この街ではお酒よりも水の方が高価なので、これもお金が地味に出ていく要因になった。
味気のない生活とはこの事を言うのだろう。
頑張れ、私。
そうは思っていてもお腹はすく。
口が味覚と刺激を欲しがる。
夜、お腹が減りすぎて切なくて、お腹にグリードからプレゼントしてもらったメンダコのぬいぐるみを抱えて空腹をしのいだりしていた。
私はわかりやすい性格で、そんな私の変化に気付く人は多い。
だから、私の挑戦を知る人は私を気遣い、応援してくれた。
それが、挫けて逃げ出そうとする私の心を食い止めてくれていたのだった。
頑張れ頑張れ私。
たったの一ヶ月半じゃないか。
それに、あと一週間頑張ればチートデーで、久しぶりに美味しいご飯を食べられる。
グリードが奢ってくれるって言ってたじゃん。
楽しみだね、頑張ろうね。
私は自分を励まし続けた。
で、今日。
私が着ることになる
久しぶりに着ることになったビジネススーツは、すんなりと着こなせてホッとする。
着る前に測った身体測定では体重は増えたけど、下半身周りの脂肪がちょっぴり減っていた。
期間に間に合うか不安になるが、今はトレーナーのリーさんを信じるしかない。
普段は立ち寄ることのないオフィス区画へやって来た私は、早速二刃さんの本社へと向かった。
受付で事情を説明するとロビーでしばし待つよう指示を受けたので、ロビーのソファに座る。
待ちながら私はソワソワしていた。
新型のスーツを見られる期待感ももちろんあるが、カールソンさんも来るという下心もあった。
カールソンさん、あれ以来、私はすっかりファンになっていた。
が、同時にプレッシャーにもなっていた。
カールソンさんはとっても凄いプロモデルだ。
その横に素人の私が並ぶことになる。
カールソンさんの経歴に恥になるようなことはしたくない。
……前時代の洋食にパセリなる野菜があったという。
メインの料理の付け合せとしてついてきていて、栄養価は高いのにその独特の風味から食べられることがなく、捨てられることが多かったとか。
つまり比喩表現として、メインのお飾りとか役立たずとかの負のイメージが強い野菜だったらしい。
現状の私は、そのパセリにすらなれていない。
だからせめてパセリになりたいと思った。
カールソンさんを引き立てるところまで自分を持っていきたいのだ。
……お腹すいたな。
水、少しだけ飲んでしのごう。
私は持ってきた水筒を取り出した時だった。
「カリヤさん」
心臓が跳ねた。
声のした方を向けば、この街ではデフォルトのビジネススーツをバシッと着こなした燦然たるイケメンがそこに居た。
カールソンさんだ!
私は反射的に立ち上がり頭を下げた。
「こんばんは!」
「はい、こんばんは。……早速食事制限で苦労しているみたいだね」
水筒を手にする私を目敏く見て苦笑するカールソンに、たちまち頬が熱くなるのを感じた。
ま、そら見抜かれるわな。
「ええ、まあ」
「だよね。それでね、僕の奥さんにカリヤさんのこと話したんだよ。そしたら協力したいって言っていてね」
聞くところによると、カールソンさんの奥様はモデルの経験を活かして、リーさんと同じように栄養士の資格を持ったトレーナーになっているらしい。
で、カールソンさんの体調や体形の維持に一役買っているという。
……奥様、優しい、神様かよ。
見ず知らずの庶民な小娘に手を貸してくれるとは。
「その奥さんにお土産持たされたから、帰りに渡すね」
「はい! ありがとうございます!」
再度頭を下げたところで、お腹が大きく鳴った。
当然カールソンさんにも聞こえただろう。
自覚できるほど顔全体が熱くなる。
……死にてぇ。
憧れの人を目の前にしてこの醜態!
恥ずかしくて今ここで死にてぇ!!
と、こちらにスーツ姿の男の人がやって来るのが横目で見えた。
「迎えが来たようだね」
カールソンさんが言う。
どうやらスルーしてくれたようだ。
心からありがたく、そして申し訳なく思った。
……パセリへの道は遠い。
カールソンさんの言うとおり、男の人はスーツ開発の主任研究員のラーションと名乗り、名刺を空中に展開した。
そしてラーションさんの後に続いて受付を済ませて、エレベーターに乗り込む。
行く先は研究所の会議室らしい。
会議室に通されると、そこには社長のマリーさんと研究員の人たち数名が待っていた。
相変わらず挨拶もそこそこに、早速スーツのお披露目を始めるマリーさん。
室内が暗くなり、私達の目の前にホログラムが現れる。
……これは、漫画やアニメの悪役のようなデザインだな?!
それが私の第一印象だった。
前もって言われたとおり、体の線がハッキリと出るデザインで、色味は黒を基調として鮮やかな赤と緑が差し色になっている。
女性型のインナースーツは、全身ストッキングのような透け具合かつタトゥのような文様が描かれていた。
そして上乳!
寄せて上げてにしても、凄いだろこれ。
で、顔の部分はフルフェイスかつ、素顔が全く見えないようになっている。
いや、よく見ると超小さいカメラアイが赤く輝いていたが、遠目では全然見えないだろう。
頭を隠して上乳隠さず。
おまけに腰パーツも、なかなかのハイレグだ。
お尻はパーツで一応隠れるけど、動いたら隙間から見えるじゃん。
脚パーツはゴッツいのに、このギャップよ。
男受けしそうなデザインだなー。
チラリとカールソンさんを横目で見ると、恐ろしく真剣な表情でホログラムを見つめていた。
私は改めてホログラムに目をやり、マリーさんに顔を向けた。
マリーさんはニッコリと笑う。
「これが二刃工業新作の、最新型小型パワードスーツ『トラウィスカルパンテクトリ』です」
……とらうぃす、かんぱん? てくとり?
長い名前かつ、そんな響きの名前、いままで聞いたことがない。
「名前の由来は前時代のある古代神話の神から拝借しました。名前には暁の王という意味があるそうです」
「暁の王」
「明けの明星を神格化した存在です」
マリーさんは真剣な表情で新型スーツのコンセプトを語った。
謙遜でもなく何でもなく二刃さんはスーツの売上が頭打ちになっており、それを打破するスーツのの開発が至上命題になっていた。
そこで、産業用小型パワードスーツの競合であるレモーネ社が手を出さずにいるレッドオーシャン、戦闘用スーツの開発に乗り出したのである。
停滞する二刃工業に夜明けを告げる星のようなスーツを作ったのだと。
すると、私の横にいるカールソンさんが形の良い顎をなでた。
「その前向きなコンセプトからは、少々外れたデザインのように見えますが」
「ええ。だってトラウィスカルパンテクトリは太陽にはむかったジャシンですもの」
ジャシン。
ああ、邪神ね。
漫画の知識が言葉を変換する。
聞けば、そのトラウィスさん──長いから内心では省略することにする──は、神々を生贄に捧げなければ動かないと言った太陽神に対して腹を立て、ご自慢の槍を投げつけたけどあたらず、逆に槍を投げ返されてあたってしまい、冷気と石の神に変化してしまったとのことだった。
……出落ちの神様かよ。
「あの、その神様の名前で大丈夫なんでしょうか?」
思わず口走る私に、マリーさんは愉快そうに笑った。
「ええ、大丈夫。だって元になった古代の土地では、金星は災いや危険、戦争、旱魃等の異常気象の象徴だったそうです。格闘専門のスーツとしては適切な名前だと思っておりますよ」
なるほど、ね?
納得しそうになって不意に、漫画オタクの脳裏に一つの閃きがあった。
「確か、悪魔になる前のルシフェルも明けの明星の意味があったような」
「よくご存知ですね」
研究員さんの一人が笑顔で頷く。
ふ、こんな所でオタクの知識が活用されるとは。
その研究員さんは語る。
前時代の古代の金星は、とにもかくにも獰猛で危険なものであると捉えられていたらしい。
このスーツの名前の候補には、アマツミカボシ、サイセツシン、アッタルなども挙げられていたそうだが、それらは悪神、もしくは戦神としての役割を担っていたという。
「つまり、スーツのデザインは古代の金星のイメージを強く打ち出したということですか」
「そういうことです」
カールソンさんが言うのを、研究員さんは深く頷いて肯定した。
「夜明けの空に煌々と輝く不吉で獰猛なモーニングスター。なるほど、納得のデザインです」
カールソンさんが笑顔を浮かべる。
「実物を今お持ちしましょう。ホロだけでは表現しきれないものもありますからね」
マリーさんの言葉に研究員さんたちが動いた。
そしてマネキンに着せられたスーツが会議室に運ばれてくる。
私達の目の前に並べられたスーツたち。
思わず目を見張った。
…………これは、思った以上に邪神だな!?
スーツの基調となる黒。
夜明け前の深い深い闇の色を表現したかのような色と質感が生々しい。
そして禍々しく光り鮮血のような赤のラインライト。
差し色の緑が赤の光をより引き立てている。
出落ちの神なんてとんでもない。
圧倒的な存在感をもたらすスーツだった。
「これは凄い。実物のほうが圧倒的にいい!」
カールソンさんが感嘆の声を上げた。
私はといえば、圧倒されて声も出なかった。
てか私、これ、着るのか?!
着こなせるのか?!
それでも私は全身をくまなく観察しつつふと気付く。
「頭の細かい三つ編みのエクステ? ですか? 男女ともにあってだいぶ長いですけど、これも何か機能があるんですか?」
「はい。スーツの放熱の機能を果たします」
またしても意識せずに口に出た私の言葉を皮切りに、研究員さんがニコニコと主要諸元の説明を始める。
街で決められたレギュレーションのギリギリまで詰めた能力。
トラウィスさんの必殺の槍は光線だったそうだが、格闘専用なので武器は装備できない。
このスーツでは利き腕の出力を最大限に高めて、パンチの威力を上げる仕様がされているらしい。
槍を持てたら、そちらのほうが様になるんですけどね。
研究員さんは苦笑しながら言った。
カールソンさんは男性型のスーツの周りをグルグルしながら観察に余念がない。
……カールソンさんだったら、問題なく着こなせるだろうな。
頭の中でカールソンさんがスーツを着こなす想像をする。
そこには、太陽神に歯向かった金星の邪神がいた。
かっ! かっこよー! かっこよー!!
意味わからんくらいメチャ似合うー!
出落ちの神なんて言わせない!
それは、古代の人に畏敬の念を抱かせた金星の姿そのもの!
それを間近で見られる幸運よ! ありがとう!
「ナナミさんはトレーニングと体型調整がまだ必要ですけど、カールソンさんに勝るとも劣らない金星の姿を見せて頂きたいです」
マリーさんがにこやかにプレッシャーをかけてくる。
「貴方とカールソンさんは対等の立場です。どちらが引き立て役じゃない。貴方もまた、獰猛で危険で美しく輝く金星になって下さいね」
「……は、はい」
笑顔に圧力を込めて言うマリーさんは、私の甘い考えなどお見通しだった。
……パセリになろうと思っていた。
せめてカールソンさんの足を引っ張らないよう、良き引き立て役になろうと思っていた。
でもそれじゃダメで、カールソンさんと同じ場所に立たなければならない。
私は、自分の立場をまだまだ理解しきれていなかったようだ。
「大丈夫だよ、カリヤさん」
いつの間にかカールソンさんが私の前に立っていた。
「勉強もトレーニングも順調だとリーさんから聞いている。今の調子を続けていけるよう、自分のコントロールに専念しよう」
「は、はひ!」
カールソンさんに笑顔で応援されて、私のやる気は俄然上がった。
マリーさんが苦笑するのが横目で見える。
チョロいだろ。
これが私なんだぜ。
でもいいんだ。
挑戦を成功させるためなら何にだってすがりついてやる。
もちろん、法律の範囲内でな!
こうして新型のスーツのお披露目は終わり、再びロビーへと戻ってきた。
そしてカールソンさんからキレイで可愛い紙袋を手渡される。
ん? 結構どっしりしてるな?
「はい。奥さん特製の低GIのおやつだよ」
「ありがとうございます! 中を見てもいいですか?」
「もちろん」
で、中身を見てみると、クッキーらしきものと、黄色くて平べったい謎の物体が入っていた。
どっしりの原因は、この謎の物体のようだ。
「おからクッキーとホシイモだよ」
「ホシイモ」
「サツマイモを薄く切ってオーブンで乾かしたもので、前時代から有名な低GI食品だね。僕も普段お世話になってるんだ」
ほえー、これサツマイモだったのかー。
味付けしてないんだよね。
美味しいのかな?
「低GIとはいえ、糖分は結構あるからどちらも食べ過ぎは厳禁。いいね」
「はい!」
こうしてカールソンさんと別れ、私は寄り道せずに社宅に戻った。
シャワーを浴びていつもの椅子に座ると、早速カールソンさんの奥様のおやつに手を出すことにした。
味見ですよ、味見!
特にこのホシイモ!
私は紙袋から慎重に取り出す。
……何だろうこのなんとも言い難い感触。
匂いをかぐ。
あ! サツマイモの香りがする!
ほんのりと香る甘い香りに、私は反射的にかぶりついた。
直後はほんのり甘い程度だったが、噛めば噛むほどサツマイモの甘さが増してくる。
美味しい!
しかも程よく固くねっとりしてるから、よく噛まないと飲み込めない。
噛む回数が増えれば満腹感を得やすくなるから、量を抑えることができる。
理にかなったおやつだ!
ありがとうございます、カールソンさんの奥様!
……あ、カールソンさんの奥様もネットに上がっているかな。
私はブラウザを立ち上げて検索をかけた。
真っ先に美女の画像が目に飛び込んでくる。
何っじゃ、この爆美女は!
てか、スタイルメッチャ良!
どんな服を着ていても様になるのは、旦那様と同じだ。
元の才能に驕らず、不断の努力で奇跡の美貌を保っていたオリジナルの人のモデル。
奥様があのスーツ着たほうが映えるんじゃね?!
旦那様と並んでポーズを決めている画像もあった。
済ました表情が多い中、歯を見せて笑う姿がすっごくチャーミングで問答無用で魅了される。
文句のつけようのない美男美女カップルだ。
自分の枠を超えて光の世界に挑み続けた挑戦者。
でも、この人たちもこの華やかな光の世界とは程遠い、過酷な自分との戦いをしてきた人たちなのだ。
その合間にこのホシイモを食べて、自分を励ましていたのだろう。
そう思うと、このホシイモが急に黄金の輝きを放ったように思えた。
……頑張ろう。
ホシイモ一切れを、丁寧に丁寧に、大切に大切に食べたのだった。