音速の妹のヒーローアカデミア   作:えきねこ

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 あなたはもう、何処にも居ない。



Gone Angels

 

 

 

 

 

 

 断続的に脳髄へと響き渡る、言葉にならない「声」。空間全体に反響していたそれを、心操だけが、昔何処かで聞いたことがあった。

 幼い頃、自分の憧れを肯定してくれた、いつも自分を救けてくれた少女の声だ。

 

「綾瀬……そう、それがかつての私だった。私であったものだった」

 

 雁字搦めになった身体を震わせ、ソルフェジオはその蒼い瞳に鈍い光を宿す。心操の声に反応したはずの彼女は、しかし洗脳にかかったようにはとても見えなかった。

 

「しかし……もはや、私は何者でもない。何物かを判別することすら出来ない。かつて人間であったものの、自我の殻から新しく生れたもの。それが私。

 

 綾瀬彗は……もはや、「私」ではない」

 

 その否定の言葉と同時に、茨の動きがぴたり、と止まった。捕縛布を解き、重力に従って地面に降り立った心操は、それでも、彼女に声を掛けることをやめなかった。

 

「約束したんだ。俺は将来、立派なヒーローになって、俺の“個性”を誰かのために使いたい……その夢のスタートラインに立てたなら、真っ先に綾瀬に教えるって。言ったじゃないか、俺の“個性”を祝福してくれるって」

「……それが、綾瀬彗が……生きようと足掻いた理由……そのためだけに、彼女は人であることすら自ら(なげう)った。新しく生れる「私」があなたに会えるかもしれないという、僅かな可能性に賭けた。

 

 ……私を、生み出した」

 

 茨が崩れ落ち、黒い霞へと変わる。黒い棘に貫かれた腹へと集まっていくそれは、物質的な力をもって心操たちへ、近付くことすらままならないほどの強い圧力をかけた。

 

「あなたが約束を交わしたというその人間は、もう、何処にも居ない。此処に在るのは、その人間だったものの残滓……一度(こわ)れた魂は、例え掻き集めて固めても、元の形に戻ることはない」

「っ……それでも、アンタは、俺のことを覚えている」

 

 心操は言葉を投げ掛ける。

 自分のことを識る眼の前の少女が、「何もの」であるかを手繰りながら。

 

「そう、覚えている……かつて、私である前の私の記憶として。奥底に閉じ込めて、思い出さないようにしていた。私を殺してくれなかった記憶を、曖昧にした」

「……アンタは、綾瀬だ」

「認めなさい……綾瀬彗は、もう死んだ。私が殺した」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 幼い頃から、「無個性だから」と、他者の侮蔑と悪意のナイフで心臓を抉られ続けた。

「無個性だから」、周囲の悪意に押しつぶされて、両親が狂い、その首を吊った。

「無個性だから」、狂った信仰とエゴの名の下に、英雄を名乗る者たちから耐え難い苦痛を受けた。

 

「彼女」の心は、とうの昔に限界を超えていた。

 何度も死のうとした。

 そのための方法はいくらでもあった。

 死のうと思えばいつでも死ねたはずだった。

 生きるための道はか細いのに、死ぬための道はいくらでも選べた。

 こんなにも皮肉なことが、他にあるだろうか。

 

 それでも、「彼女」が生きようとしたのは、幼いあの日の約束に縛られていたから。

 希望は「彼女」を生に縛り付け、苦しめ続けただけだった。

 いつしか、時間の感覚すらもなくなり、身体は末端から冷えていき、心はズタズタに引き裂かれ……

 

 ……それでも鳴り続ける心臓の鼓動が、鬱陶しくてたまらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……突如として、ソルフェジオの動きが止まった。

 まるで電池が切れたかのように、その瞳から光が消えた。

 心操の“個性”が、彼女に通用したのだと。そうアンジェラが理解するのに、さして時間はかからなかった。

 

 自我の境界線が曖昧になり、自らを何と定義づけているかすらも分からなくなった彼女の正体を、心操は見抜き、其れに洗脳を仕掛けることに成功した。

 

「綾瀬彗の記憶を持つ何物か」。

 洗脳にかかった彼女を、心操はそう定義づけた。

 

 

 

 

 

 

 ……しかし、状況が好転したわけではなかった。

 黒の霞は、宿主が意識を失ってなお燻っていた。物質的な力をもってして、ついには柳と物間の“個性”の拘束すらも振り切り、周囲に飛び散り、再び黒い茨となって暴れ狂う。地面を抉り、建物を崩し、其処に理性が無いかのように、縦横無尽に伸縮を繰り返す。ソルフェジオの間近に居る心操は、茨のあまりの猛攻に身動きが取れずにいた。

 

「っ、洗脳にかかったはずなのに、黒い茨がまた……! うわっ!?」

 

 不意に、姿勢を崩した芦戸の真上に、黒い茨が崩した巨大な瓦礫が降り注ぐ。芦戸がそれを認識した時には既に、瓦礫は眼の前にまで差し迫っていた。芦戸が瓦礫を“個性”を使って溶かすよりも、瓦礫が彼女を押し潰し、周囲に赤をぶち撒ける方が早いだろう。

 

 眼の前に迫り来る「死」を認識し……それでも、芦戸は一か八か、間に合う可能性に賭けて、“個性”を使おうと試みた。

 

 

 

 

 ……その前に。

 芦戸の眼の前で、瓦礫が粉々に破壊された。

 呆気にとられる芦戸の眼が捉えたのは、美しい空色の長髪と黒の喪服の裾を風にたなびかせ、血色の翼と七色に煌めく水晶のような羽根をその背にはためかせた、小さな同級生の姿だった。その右手には、青い光を放つ拳大の宝石が握られている。

 

「……悪かったな」

 

 突然かけられた謝罪の言葉を、芦戸はすんなりと認識することが出来なかった。何故彼女が自分に謝ったのかが、分からなかったからだ。

 

 そんな芦戸の内心を悟ってか、アンジェラは芦戸に背を向け続け、暴れ狂う茨に囚われたソルフェジオを見据えながら言う。

 

「アイツが、ソルフェジオがどういう経緯でオレの手元に来ることになったのか。これまで、アイツ自身に聞くことも、どうにかして調べようとも……知ろうと思うことすら、今まで一度もしたことがなかった。そうする必要がないと思っていた。

 

 ……なんて、知っていればこの状況を避けられたかすら分からないし、今更何を言っても言い訳にすらならないけど」

「……フーディルハイン……何、を……」

 

 この言い方ではまるで……アンジェラ・フーディルハインという少女と、彼女の“個性”の一部であるはずのソルフェジオが、全く別々の存在であるかのようじゃないか。

 

 そんな考えが芦戸の脳裏に浮かび……次の瞬間には、すんなりと「そうかもしれない」、と呑み込んでいた。

 彼女が扱う力は、“個性”とは全く別の力であるかもしれない。

 ……次に芦戸の思考を埋めたのは、「だからどうしたというのか」、という思いだった。

 

 そもそも、人知を超えたモノが存在することを、芦戸たちは既に那歩島で思い知っている。そしてアンジェラは、まるで那歩島の遺跡と同種のものを、以前から知っていたかのような物言いをしていた。彼女自身が明言していないから、決定的なことは言えないが。

 恐らく、彼女は知っていたのだろう。

 “個性”ともまた違う、人知を超えたモノが、この世界に存在していると。

 

 そうして芦戸は、ある仮説にたどり着く。

 アンジェラにとって、自分が持つ力が“個性”であるかどうかは、さして問題にもならないのではないか。

 

 ……仮説ではあれど、芦戸は当たっているのではないか、と思っていた。1年にも満たない短い付き合いではあるが、アンジェラが普通の子供とは違う視点の持ち主であることは理解しているつもりだった。

 

 アンジェラはただ、周囲に話を合わせているだけなのかもしれない。自分の持つ力が“個性”であるかどうかを、わざわざ考える必要もないことだと認識しているのであれば……

 

 ……これ以上の思考は徒労だと、大して議論する必要も、わざわざ問い詰める必要もないちっぽけなことだと、芦戸は最終的にそう結論付けた。何か理由があるのだとしても、ないのだとしても、彼女がいつか打ち明けてくれる、その日に、思いっきり文句を言ってやればいい、と。

 

「あの茨は……ソルフェジオの意思に従っているように見えて、本当は全く別のものに従って動いているんだろう。ソルフェジオ本人が洗脳にかかってなお、あれだけ暴れてるとなりゃ、そう考えるのが自然だ」

「……どうにかできるの?」

「可能性がある、とだけ」

 

 瞬間、黒い茨が二人の周囲の地面を抉る。撒き散らされた瓦礫がアンジェラが展開させた簡易的な防壁にぶつかって、勢いを失いパラパラと地面に落ちた。

 

「っ、とにかく、オレがアイツに触れられれば……!」

「わかった、アタシらは隙を作ればいいのね!」

「ああ、任せた」

 

 茨の猛攻が途切れた一瞬の隙を縫い、アンジェラは防壁を解除させ、芦戸はアンジェラの背後から飛び出した。不規則に飛び交う茨の間を走り抜け、ソルフェジオの身体へと近付こうとする。しかし、殺意も情動もなく、力だけで動く物体の軌道を読み解くのは、他者の動きを読むことよりも難しく。迫りくる茨を躱すことは出来ても、思うように先には進めずにいた。

 

「アンジェラちゃんっ!」

 

 麗日の声が響く。見ると、柳のポルターガイストにかかった小さな瓦礫の欠片が茨の方へと飛んでいっていた。彼女らの考えを理解したアンジェラは、カオスエメラルドを握りしめた右の手に力を込めながら、ソルフェジオの方へと駆け出す。当然、茨は彼女の四方八方から迫る。しかし──

 

「解除」

 

 瓦礫の欠片は茨の眼前で巨大化し、茨の勢いを殺した。否、小大の“個性”にかけられた瓦礫を、元の大きさに戻したのだ。瓦礫に衝突した茨は、僅かにその勢いを弱める。その僅かな隙は、アンジェラが茨を振り切り駆け抜けるには十分だった。

 

「アシッドショット!」

「GRAPE RUSH!」

 

 なおもアンジェラに迫る茨を、芦戸が酸の弾丸で溶かし、峰田がもぎもぎボールをぶつけて動きを鈍らせる。

 

「あと一押しだ……ケテル!」

《うん!》

 

 物陰に隠れていたケテルが姿を現し、眩い光を放つ。他者の目を眩ませる、閃光の魔法だ。

 アンジェラを狙う茨の全てが、アンジェラを狙えなくなった。その隙に、アンジェラはソルフェジオの元に駆け、義手で彼女の腹に刺さった黒い棘を掴んだ。

 

「心操、大丈夫か? 大丈夫だと仮定して話すぞ。「こうなる」前のソルフェジオからナイフを渡されてるよな」

「どうして、それを」

 

 心操は懐から、ソルフェジオが投げ渡してきたナイフを取り出す。

 何故、アンジェラが今これを自分が持っているということを知っているのか。そんな疑問が彼の声に表れていた。

 

「悪い、説明してる時間はない。今からオレがこの棘を引き抜くから、タイミングを合わせてそのナイフでソルフェジオを貫け。

 それが、侵食されたソルフェジオの自我を切り離す、この場で唯一の手段だ」

 

 彼らの背後から茨が迫りくる。

 

「……分からないけど、でも、分かった」

 

 カオスエメラルドが光を放つ。

 黒鉄の義手に収束された力を、黒い棘に流し込んだ。

 

「カオス、コントロール!」

 

 瞬間、周囲に光が溢れ出す。

 迫っていた茨が、音もなく消えていく。

 赤色の翼と虹色の羽根が、まるで宗教画の天使の翼のようにはためく。

 黒い棘に侵食されたソルフェジオの身体が、カオスコントロールの力で巻き戻され、切り離されていく。つい先ほど侵食されたばかりのものを巻き戻すだけであれば、さして身体に負荷はかからない。

 

 ……しかし、カオスコントロールだけでは、侵食された自我を元に戻すことはできない。否、分離することは出来るだろうが、ソルフェジオの自我を侵したモノは、依然としてソルフェジオの中に残り続ける。アンジェラがソルフェジオから棘を引き抜いても、自我の中に残り続けるそれは、すぐにソルフェジオを再び取り込むだろう。

 

 だからこそ、自我を切り離す刃を、棘を引き抜いた直後に差し向けなければならない。

 

 

 

「今だ、心操!」

 

 アンジェラがソルフェジオの腹から黒い棘を引き抜き、叫びを上げた、その直後。

 

 心操は、手にしたナイフをソルフェジオの身体に突き刺した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ああ、分かったよ。

 君はもう……何処にも居ない。

 

 綾瀬彗は……とっくの昔に、死んでいたんだな」

 

 

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