泥沼の騎士 〜TSルディ子を救いたい〜   作:つばゆき

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沢山の感想ありがとうございます
しつこかったかなぁ……まぁいっか!(投下)
と思っていた前話の評価が良好だったのでバンザイ



拳二つぶん

 

 

 正門から幾らか離れた街道で、二つの馬車が隣り合っている。

 《デッドエンド》のパーティ三人と、リーリャ、アイシャの親子、そしてジンジャーは、朝焼けの橙色の光を浴びる王都を背景に、最後の別れを済ませていた。

 

「重ね重ね、皆様にはなんとお礼を申し上げたらよいか……」

「いや、俺は……あまり役に立てなかった。礼ならルディアに頼む」

 

 深々と頭を下げるリーリャにエリオットは居心地悪く身じろぎした。事実、エリオットの主観では自身はまともに動けてなどいなかったのだ。

 

「エリオット様はお嬢様の危機をお救いいただいたと聞いております。であるならば尚更お礼を申し上げないわけにはございません」

 

 だがリーリャからすれば、身命を捧げる主の無事こそが何物にも代え難いものだ。従者やメイドとしての立場を真に理解し得ぬエリオットは、しかしそういうものだと了解して、曖昧に頷いた。

 

 つい数日前まで、ルイジェルドを除いた《デッドエンド》のメンバーとアイシャは、王宮の一室を貸与されていた。

 といっても、賓客としての待遇ではない。衛兵による見張りがつき、動きも制限されたものだ。とはいえそれも当然であった。

 ボレアス家縁者を名乗り、身分証を持ったエリオット。転移災害の発生より実に二年半余り。もはや周知のそれであるとはいえ、従者の一人も連れぬことを疑う声は少なくなかった。まして、彼は宮内で刃傷沙汰を起こしている。

 沙汰を待つ必要はない。警備の薄いうちにリーリャを奪還して王都を脱するべきだ。そう提言したのはエリオットだった。かねてより決めていた、魔術による合図を送ればルイジェルドが王宮を強襲し、脱出路を拓いてくれる。リーリャが囚われている場所もジンジャーが把握しているのだ。実行に移すのは容易かった。

 侍女を誘拐され脱走されるのは、エリオットの身柄の保証をしたジンジャーの面子を潰す形となるが、ルイジェルドが人質の救出に助力したことで既に義理を通したとも言える。

 だが、いざ決行しようという段階に至って、それは頓挫した。部屋に一人の男が訪れたからであった。

 

 

 

 

 

「ザノバ・シーローンである」

 

 殿下!? と瞠目するジンジャーを意にも介さず、そう名乗ったその男はまず最初に目に留まったエリオットの前に立った。

 丸眼鏡をかけた、細面の神経質そうな男であった。上背は一八〇を優に超える長身で、いかにも運動などしなさそうな痩躯であるが、その誰憚ることのない堂々たる態度はなるほど貴人のそれである。

 

「エリオット・ボレアス・グレイラット。アスラ王国はボレアス家の末席に名を連ねる者です。この国には、帰郷の途中に立ち寄った次第。申し遅れた無礼、平に容赦を」

「うむ」

 

 ザノバの姓とジンジャーの殿下、という呼ばわりに眼前の男の身分をたちどころに悟ったエリオットは、一先ず貴族としての礼をとった。実に二年半ぶりの作法ではあるが、身体は思ったよりも反応した。

 エリオットの名乗りに首肯したザノバは、懐より一つの人形を取り出した。

 

「余が質したいのはこれだけだ。この魔族の人形、貴様のものか?」

 

 態度とは裏腹に、恭しい手つきで差し出されたのは、どこか見覚えのある──というよりも見覚えしかないルイジェルド人形である。三叉槍を携え、堂々と直立する造形は既知のものだ。

 どう見てもルディアの私物であった。広義には《デッドエンド》のものではあるが、エリオット個人のものではない。そういった意図で、とりあえずエリオットは首を振った。

 

「……いえ」

「ふぅむ。しかしこれは貴様らの荷物から出てきたという報告が──」

 

 そこでザノバは言葉を切った。部屋の隅で成り行きを見守っていたルディアを見咎めたからだ。

 

「む? そこな娘」

「へぁっ」

「貴様、この人形に覚えはないか」

 

 更にもぞもぞと懐を漁ったザノバがもう一体の人形を取り出した。先ほどのルイジェルド人形とは異なり、人族の少女を模したものである。背中の中程までの髪を後頭部で結い上げ、品の良い平服に身を包んだ一〇歳ほどの少女である。

 つまるところルディアそっくりの人形であった。

 さすがにこれの言い逃れはできないと悟ったルディアはびくびくしながらも頷く。

 

「あ、あります」

「そうだろう。そうだろうとも。察するに、二、三年前の貴様がモデルと見たが」

「はあ……」

「この人形はだな、たしか二年ほど前だったか。我が弟が持っていたものでな。かつてこの王宮で宮廷魔術師を勤めていたロキシー・ミグルディアの人形と共に譲り受けたのだ。そこなジンジャーと引き換えにな」

 

 ルディアはパックスの名が出た瞬間に顔を引き攣らせたが、続く話の流れに、黙したまま直立を崩さないジンジャーに心の底から気の毒そうな視線を向けた。

 

「まぁそのようなことはどうでもよい」

 

 ザノバは纏わせていた異様な迫力をいや増してルディアに詰め寄った。昨夜の恐怖が抜けきっていないのだろう、相手が王族であるのも構わずエリオットが間に割って入ったが、ザノバは意にも介さない。

 

「さあ、余を前に虚言は許さんぞ。心して答えよ。これは誰に作らせた? その者は何処にいる!?」

「さ、さあ……」

「隠し立てするつもりか?」

「ほ、本当に身に覚えがなくてですね、はい。ロキシーも手紙では呪いの人形と疑っていたものでして」

「この至高の芸術を呪物扱いするか!?」

「ひっ!」

 

 くわ、と凄まじい形相に変化したザノバにルディアとアイシャの小さな悲鳴が重なる。

 しかしザノバも貴重な情報源を無闇に害するつもりもないと見えて、一つ咳払いを落とした。

 

「余はそれなりに芸術に通暁していると自負しているが、中でも人形には目がなくてな。パックスの奴めが持っていたこれを目にした時、雷に打たれたような衝撃が走ったものだ……

 一つの岩塊から人形を作り出しているのであろうが、これほどの繊細な技術は今までお目にかかったことはない。木彫りのそれとは話が違う!」

 

 力説するザノバの目には熱が籠っていた。

 そうしてオーク材の八角テーブルにわざわざ懐から取り出した絹のハンカチを広げ、ルディアを模した人形をそっと置くと語り出す。

 

「見よ、この人形を。

 小さなロッドを構えているのを見るに、魔術師の卵なのだろう。否、杖が贈られるのは一人前の証であったか?

 ならばこの快活ながらも何処か小生意気さを窺わせる表情は、実力に裏打ちされた自信に依るものなのかもしれない。幼くして師に認められたともなれば、なるほどそれも頷けよう。

 だが真に目を向けるべきはそこではない。

 まずは体だ。

 まだ二次性徴にも達していない、未熟な体だ。特殊な嗜好を持つものでない限りこれに欲情することはあるまい。

 しかし、その割には露出が多い。

 スカートではなく膝の見える短いズボンの、まるで少年のような格好だ。膝だけではない。腕を上げることによって服が引っ張られて僅かに見えるへそや、髪を結い上げることによって露わになったうなじなど、格好に反して存外に目につく肌面積は広い。

 しかしそれによるエロスはあまり感じないのだ。あくまで自然な、健康的なものに留められている。

 おそらく作者は、男女の境が曖昧な年頃の、中性的な魅力にこそ着目したのだ!

 見よ! この押し付けがましくない、奥ゆかしいエロスを! この年頃の少年少女特有の、秘めたる活力と見事に同居しているではないか!

 作者にとっても意欲作なのだろう。ロキシーの人形に比べると完成度には差があるが、発想と着眼点には目を見張るものがある。

 願わくばロキシーの人形同様、下着姿や裸になるよう着脱が可能であれば……」

 

 ザノバの熱弁にルディアは居た堪れなさのあまり顔を伏せた。「誰が好き好んで自分の裸なんてつくるか……」という声は、小さすぎてエリオットにしか聞こえなかった。

 しかしこの熱弁ぶりでは有益な情報を得るまでは退くまい。

 どう退場願うか、と考えたとき、ルディアの脳裏に閃くものがあった。

 この男、仮にも王族である。ともなれば利用できるのではないか。

 

「余がどれほどこの作品らを想っているか。

 この技術は今までにないものだ。弟子を取っているかもわからぬ。もし他の作品を作らぬまま没すればその技術は永久に失われるやもしれん。そのようなことが許されるはずもない!」

「あの……」

「ん?」

「それ作ったの……私です……」

「えっ?」

 

 頓狂な声を上げるザノバの前で、ルディアは魔術を使用して小さな土人形を手の中に作り出す。

 そのまま集中して造形を凝らすと、瞬く間にデフォルメされた鎧、剣帯、軍靴と生成されていく。ジンジャーを模した人形であった。

 

「ぉ……おぉ……」

 

 視線を上げたザノバはプルプルと小刻みに震えていた。

 

「ぉおおぉ……おお、ぉ……」

「ま、まずい! 殿下! どうかお鎮まりください!」

 

 ジンジャーが血相を変えて叫んだ。

 プルプルとしていたザノバは、内なる衝動を堪えるようにワナワナと震え始めている。

 転瞬、ザノバは咆哮するや直上に飛び上がった。

 

「おおおおおおおお!!」

 

 どことなくスローモーションに見えた滞空が数秒間続き、思い出したかのような重力の軛に囚われて、ザノバは硬い床材にダン! と全身で着地した。

 うつ伏せに。

 文字通り五体を投地したザノバは、しかし何の痛痒も感じない様子で顔面を床に擦り付けながら叫ぶ。

 

「よもや! よもや貴女様が! 製作者であるとは露とも思わず! とんだ無礼をおおおお!!」

「とりあえず殿下、頭を上げていただけると……」

「否! この思い、どうかこのまま伝えさせていただきたく!」

 

 背中と後頭部しか見えない体勢でザノバがそう叫ぶ。

 ジンジャーが必死に起こそうとしている。

 

「いつも貴女様の作品を眺めておりました……

 いつの日かお会いしたいと、この世にこれらの人形を生み出していただいたことに心の底より感謝の念を申し上げたいと、そう思っておりました」

「はあ……」

「今日ただいまより、師弟の礼を取らせていただきたく……」

 

 大丈夫なのか? というエリオットの囁く声に一応考えがありますので、と震える声で返したルディアはジンジャーを促して、ザノバが立ち上がり身嗜みを整える短い間に深呼吸を済ませた。

 大丈夫だ。この様子のおかしい男は昨夜の男たちとは違うのだ。パックスとも本当に血縁があるかも怪しいほどの方向性の違いである。

 それにこういった人種にはルディアも前世で覚えがあった。人間そのものに対する興味が欠如している、ある意味この世で女性に対し最も無害な人種である。

 

「殿下。殿下の私の作品への想い、しかと伝わりました。理解ある方の手に私の作品が渡ったこと、こちらとしても望外の悦びです」

「おお! では!」

「もとよりこの技術、秘伝とするつもりもなく、師として振舞うことに依存はありません。

 しかし……それには由々しき問題があります」

「なんですと……」

 

 ルディアは自分たちが置かれている現状をかいつまんで説明した。

 転移災害に巻き込まれ、帰郷の最中であること。しかしそれは叶わず王宮に抑留されていること。

 

「どうか殿下には私たちの帰郷の力添えを頂けないかと。さすれば師弟としてのみならず、そのルイジェルド人形も進呈いたしましょう」

「であれば、実に容易いことですな!」

 

 ルイジェルド人形が貰えると知り、ザノバは満面の笑みである。

 

「余の客として招いたということに致しましょう。

 さすればエリオット殿の身分の証明の輔けになる。であろう? ジンジャー」

「まさに。

 死傷した二人については、使用人に扮して王宮に潜り込んだ賊と調べがついております。殿下がエリオット殿の身元を保証していただけるのなら、正当防衛として主張できましょう」

 

 調べが進めば、パックスが引き入れたことも明るみに出るだろうが、以降は蛇足となる情報である。ジンジャーはそこで言葉を切った。

 

「あとはパックスですな。彼奴めをどうにかすればよろしいのでしょう?」

 

 師匠。

 朗らかな笑みを向けるザノバに、ルディアはやや引きながら頷いた。

 

「それでは失礼致します。次にお会いするときは、パックスの首級を持参しましょうぞ」

「首はいらないので、どうか穏便に……」

 

 退室するザノバを見送ると、部屋になんとも言えない沈黙が降りた。

 

「その……個性的な方ですね? というより、大丈夫なんですか?」

「大丈夫ではないでしょうね」

「……えぇ?」

「すぐにおわかりになるかと」

 

 要領を得ないジンジャーの回答に首を傾げたルディアとエリオットだったが、ややもせずに王宮のどこからか魂消るような絶叫が響き渡った。

 品のない、まさに生死の際にいることがわかる声音。パックスの声だ。

 

「え? え? え?」

「殿下は三歳の頃、生まれたばかりの弟君の首を引き抜きました。先天的な魔力異常を患って生まれた殿下は、そのときにして既に《怪力の神子》としての力を発現されていたのです」

「《怪力の、神子》……?」

「殿下が元服された折、現王陛下は北方の豪族の娘を殿下と婚姻させました。しかし式の翌日には、殿下の寝所にて新婦の首無し死体が発見されました。

 殿下に《首取り王子》という忌み名が付けられた所以です」

「首取りって、なんだそれ……」

 

 エリオットが訳がわからないとばかりに首を振る。

 

「殿下がその気になれば、お命を奪わずにそれを止められる者はこの王宮には存在しません」

 

 ぴぃぃ、と以前にも聞いた警笛が王宮に響き渡った。

 悲鳴の中でばたばたと衛兵たちの走り回る音が重なり、俄かに騒がしくなり始める。

 

『ご乱心! ザノバ殿下ご乱心!! 応援求む!』

「それでは、私はこのあたりで失礼致します。御三方にはどうかこのまま待機していただけると」

「はあ……」

 

 呆気にとられたまま三人がジンジャーを見送ってしばらくすると、響いていた悲鳴が一際大きくなり、そして消えた。

 

 

 

 

 

 リーリャの視線の先では、アイシャがルディアにべったりと張り付いていた。

 あの後からずっと、食事の時から寝る時まで二人はずっと一緒である。

 リーリャがするまでもなく、アイシャは率先してルディアの身の回りの世話をしている。だがその光景は睦まじい姉妹のようで──否、まさにその通りだと再認識させられる。

 前までお嬢様に仕えることにあんなにも反発していたのに。

 リーリャはその光景を眺めていると、自然と頬が綻んでしまう。

 アイシャもまた、ルディアに救われたのだ。かつての己と同様に。そして同じように感謝し、忠誠を捧げ、憧憬を覚える。だがそこに、姉妹の情があっても良いのではないかと、今のリーリャはそう思う。少なくともルディアがそう望んでいるのなら。

 無論、行きすぎた気やすさはしっかりと咎めるつもりだが。

 

「出来れば、アイシャを旅の供にさせたいのですが」

「それは……駄目だろう。アイシャはまだ六歳だし、まだ親といるべきなんじゃないのか」

 

 今離れれば、再会できるのは年単位で先の話である。

 姉がいるとはいえ、他に親族の保護者の居ない道行に同行させるには幼すぎる。

 

「ええ。お嬢様もそう仰られました」

 

 リーリャは唇を引き締めて、視線を伏せた。

 リーリャは苦悩していた。ルディアがこの身を救うために囚われたことに。そして、エリオットとルディアは何も言わなかったが、牢の中で何かがあったということを、なんとはなしに察していた。

 アイシャは気付いてはいない。鍛えられた魔道による技術でもって、見事に王族を味方につけた姉の姿しか見えていないようだった。

 ルディアの様子から致命的なものはなかったのだろうと当たりをつけ、詮索こそしなかったが。本音で言えば、自分こそが付いていきたかったのだ。

 それを押し込めて、パウロを支えるべくミリスに向かわねばならない。長として捜索団を率いる彼を支えられるのは自分しかいない。ノルンもその場にいるというのならば、尚更。

 お嬢様も私たちと一緒にパウロ様のもとへ向かいましょう。そんなことは、口が裂けても言えないのだ。この身を二つに裂いてしまえれば、どんなにか。

 

「エリオット様、厚かましい願いではありますが。フィットア領に着くまでの間だけで構いません。どうかお嬢様を、よろしくお願い申し上げます」

「何を言ってるんだ、ルディアにはむしろ俺が護られて……」

 

 言いさして、エリオットはそこで言葉を切った。

 そうだ。守られるばかりではいられないのだ。彼女とて弱いところはある。魔術に長け、弁舌が立ち、知恵が回る──それはあくまで彼女の一つの側面でしかないのだ。そう思い知らされた。

 そしてそれを支えられるのは己とルイジェルドしかいない。

 

「わかった。俺も護りたい」

 

 エリオットの言葉に、リーリャは何を返すのでもなく深々と頭を下げた。

 なんだか気恥ずかしくなってしまったエリオットは視線を逸らし、アイシャを膝に乗せて戯れるルディアに向けた。

 パンツがどうの、という話を捲し立てられているルディアの顔は悩ましいような、言葉を選ぶような雰囲気を窺わせたあと、妙に引き締まったような顔でいそいそと首にかけていた鉢金を外し始めた。

 その表情からは、この半年間消えなかった苦悩の色が薄れている。それはここ数日で、彼女の所作が中性的なものを残しながらも、ほんの少しだけ少女らしいものに近づいたことと関連があるのだろうか。

 

「お兄さん!」

「アイシャ。貰ったのか、それ」

「はい!」

 

 両手に鉢金を握り締めたアイシャが小走りに駆け寄る。その鉢金は、ついさっきまでルディアが首にかけていたものだろう。

 

「大切にします!」

「ああ。ルディアとはもういいのか?」

「まだ足りないですけど、いつかまた会えますし!」

 

 ちょっとお時間いいですか? とちょいちょいと手招きするアイシャに従って、街道から少し外れた木陰に入る。

 エリオットを連れ込んだはいいものの、なんと言ったものかと悩み始めたアイシャに、とりあえず切り出す。

 

「ルディアのこと変態って思ってたこと、謝ったか?」

「言っちゃったんですか!?」

「言ってないけど」

「びっくりしたぁ……でも、謝った方がいいですよね。誤解だった訳ですし」

「誤解じゃないと思うけどな」

 

 誤解ではないがそれはそれとして、あの程度の性癖で驚いていたら今後やっていけないだろう。いずれアスラに戻るなら尚更だ。

 難しい顔で俯くアイシャは、言う機会を逸したとでも思っているのかもしれない。

 

「まあそれこそ、また会ったときでいいんじゃないのか」

「そうかな……そうですよね! それで、お願いがあるんですが」

「うん?」

「それまでの間、お姉ちゃんのことをよろしくお願いします!」

 

 勢いよく頭を下げ、戻したアイシャにエリオットは苦笑した。『うちの変態の姉』から『お姉ちゃん』への出世である。

 

「親子揃って、似たようなことを……」

「お母さんもそう言ったんですか? まあお母さんはお姉ちゃんに心酔してますから」

「アイシャはそうじゃないのか?」

「そんなことありません! 尊敬しています! 本当は今からでもお仕えしたいくらいなんですが、お姉ちゃんがだめって……」

「やっぱり断られたんだな」

「とっても心苦しいので、是非とも!」

 

 どことなく姉譲りな忙しなさで勢いよくそう言い切ったアイシャは、落ち着きを取り戻すともじもじとし始めた。

 

「それでですね……えい!」

 

 メイド服の中に鉢金を押し込んで、エリオットの傍らに立つとその腕を両手でぐい、と引っ張る。

 だが体幹の鍛えられているエリオットは幾らかぐらついたものの、体重差もあってか体勢を崩すには至らない。それにむすっと頬を膨らませたアイシャは耳を貸してください、というジェスチャーをする。

 内緒話をするように腰を落としたエリオットの頬に、柔らかい感触とともにちゅっとリップ音がした。

 

「……んっ?」

「お兄さんにはとってもお世話になりました。ですのでこれはそのお礼と、報酬の先払いを兼ねて!」

 

 突然のことに思考停止したエリオットを尻目にぱたぱたとアイシャは駆けていく。そしてルディアに一際強く抱きつくと、身を翻してリーリャの待つ馬車に戻った。

 そして振り返るとじゃあね! と大きく手を振る。

 

「もういいのか?」

「ああ……」

 

 《デッドエンド》の荷馬車まで戻ると、御者の席に座ったルイジェルドがそう聴く。エリオットは曖昧に頷き、ルディアも名残惜しげに離れていく馬車に目を遣ったが、促した。

 

「もう大丈夫ですよ。一週間くらいずっと一緒にいましたし、そもそもこれきりって訳でもないですし」

「そうか。なら行くぞ」

 

 エリオットが荷台に上がったのを確認すると、ルイジェルドが手綱を引く。

 引かれた荷車が動き出した。土を踏み固められた街道は舗装された王都のそれより心地は悪いが、最早三人とも慣れたものだ。

 がたがたと揺れる荷台の中、ルディアが抱えていた杖を置くとエリオットの隣に座った。

 

「見てましたよ」

 

 にま、と久方ぶりの笑みを向けられて、エリオットは鬱陶しげに身を捩った。ドヤ顔じみて妙に鬱陶しいこの笑みは、ギレーヌ曰く母親譲りなのだという。その分性格は父親にかなり近いところがあるというのだから、遺伝というものはわからない。

 ノルンとはまた違い、アイシャはルディアとよく似ていた。時折大人びた賢しさを見せるところもそうだ。ただアイシャのそれは自身の可愛さというものを自覚した、あざとさと微笑ましさの同居するものだが、ルディアのそれは年に見合わぬ落ち着きと礼節、そしてどこか成熟した思考回路からくるものだ。

 

「だいぶ懐かれたんじゃないですか?」

「うるさいな」

 

 確かに色々と面倒を見ていた気はするし、話もしていたが。幼い少女と関わる機会などそうはない。比べる相手もいないのに、なにを。

 そう思いながら頬を指先でなぞる。

 まったく、ませた少女であった。毛色は違うが、やはりルディアと姉妹なのだと思わせる。自分があの歳の頃なんて、まだ山猿とか言われていたっけ。

 

「これでしばらくお米ともお別れですね」

「俺はもう大王陸亀(グレートトータス)の肉が懐かしいよ」

「私は思い出したくないです、それ。固いし、生臭いし、えぐみがあるし、固いし」

「よっぽど固かったんだな……」

 

 ルディアは嫌そうな顔をして、顎の付け根を両手で抑えた。彼女にとっては十数分咀嚼しても飲み込めない肉は軽いトラウマとなっているらしい。

 

「でもお弁当あるんですよ。おにぎりの。これで本当に最後です」

「抜け目ないな」

 

 荷台の隅に縛って固定された荷物から、拳大の包みを取り出したルディアが得意げに胸を張る。

 エリオットにはいまいちわからないが、彼女は米に対してなにかしら特別な思い入れがあるらしい。体調が思わしくなく、食欲のない日も米ならば口にする、という時もあったほどだ。

 食欲こそあるが特段偏った嗜好をしているわけではないエリオットにとって、ルディアの食に対する拘りや執着はなんとも理解し難いものだ。

 

「あ、これ今日のお昼ですからね。まだ食べちゃ駄目ですよ」

「わかってるよ。失礼だな」

 

 シーローン王国から進路を西に取り、一路《赤竜の下顎》を目指す。数日後には国境を越えるだろう。そうすれば、フィットア領まで半年足らずだ。

 この国には良い思い出はほとんどなかった。だが、ルディアの家族を救い出せたことだけは、諸手を挙げて喜ぶべきだ。

 

「そういえば、王様からお金貰ったんですよ。迷惑料だって。ほとんどリーリャの方に持たせたんですけど、これでフィットア領まで節制せずに済みますね」

 

 ふと。

 エリオットは、膝の上に財布と手帳を広げたルディアが、気のせいかいつもより近いことに気がついた。

 帳面で収支を確認する指先が、手元に視線を落とすその横顔が、いつもよりもほんの少しだけ鮮明に見える。

 隣り合う肩が、いつもより拳二つぶんほど近いのだ。

 何故だろう。この半年ほどの不安定な状態からどうにか脱したから? だからそれまでと同じ距離感に戻ったと?

 本当にそうか?

 

「……」

 

 その横顔をぼんやりと眺めながら、先程リーリャとアイシャに言われたことを反芻する。お嬢様を、お姉ちゃんをよろしくお願いしますと。エリオットはそれに即答できなかった。

 言われるまでもない、とすぐに応えられなかったのは、まだ自分がルディアを護るというには力不足だと、そういう認識が先に立っているからだ。ルディアを護らねばならない状況、ルディアにすら太刀打ちのできないものを相手取るには、今のエリオットでは役者不足も甚だしい。

 次に言われたときは、即答できるようになりたい。彼女の守護者として足るように。

 

 エリオットは手綱を引くルイジェルドに目を向けた。

 二人は荷車の後部に腰掛けて揺られている。御者席は風上で、ひそめた声が届く心配はない。

 いいや。いっそのこと聞こえたって。

 

「ルディア」

「はい?」

「俺が護るよ」

 

 ルディアの目が見開かれ、動きが数瞬静止した。

 

「な……なぁに? どうしたんです、急に」

 

 意図を判じかねたのか、ルディアが繕うような笑みを浮かべて小首を傾げた。その瞳の奥に感じた動揺の気配に畳み掛けるように、エリオットは静かに重ねる。

 

「俺が護る」

 

 ぽろりと、ルディアの白い指先に握られていた羽根ペンが荷台に落ちた。

 

「今はまだ、頼りないかもしれないけど。俺が、きっと」

 

 翡翠色の(ひとみ)が瞬く。

 小さく開かれた唇が震えている。

 縮まった拳二つぶんの距離だけ、その顔が鮮明に見える。

 

「あ……」

 

 琥珀色の瞳に真っ直ぐ見据えられたルディアは、小さな声を零して、何を返すこともなく顔を伏せた。目線の高いエリオットには、それだけでルディアの表情が見えなくなってしまう。

 だがその耳元から首筋まで赤くなっていることだけは、どうやっても隠しようがない。

 どうしてあんなにも不安定だったのか、ルディアはついぞ明かしてくれなかった。きっとまだ彼女には、エリオットに明かしていない秘密がある。

 それでもいい、と想う。

 今はただ、この縮まった距離が愛おしい。

 

 




 シーローン王国編終了。
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総合評価:9451/評価:8.35/完結:116話/更新日時:2025年05月03日(土) 01:29 小説情報


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