夜も更けた時間になってしまった。早寝組のアルとハルカには厳しかったらしく、布団を掛けた途端にヘイローが消えてしまったほどだ。
寝室をオレンジの常夜灯だけにして、ムツキとカヨコも横になる。
四人とも基本的には明かり一つない部屋で眠ることもできるのだが、アルの
『明るい部屋でも十分な睡眠を取れるよう、訓練する必要があるわ!』
という信念の下、常夜灯は基本的に点けている。
カヨコもムツキと挨拶を交わしてベッドに潜り込んだ。
大幅に時間を延長してしまったミーティング。アルの妄想顔を撮ろうとするムツキの制止。いつも以上に精神的疲労が蓄積されているようだ。
いつもの癖で横向きになる。
大体、先生が煙草を吸うくらい、別に大したことじゃないでしょ。
確かにサマになるな、とは勿論思っているけど、先生だって大人なんだから、煙草くらい吸ったって問題しないし。
“外”だと喫煙場所が一つのコミュニティになっていて、意外と重要な場所だったりするって聞いたことがあるくらいだ。
そんな取り止めのないことが頭を駆け巡る。
いつもなら考え事をしていると、なかなか寝付けないのだが、今夜は違った。
ふわふわと意識が揺れる。
思考が不明瞭になってくる。
“あの”先生と煙草。
カヨコは意識を宵闇に手放した。
◇◆◇◆◇
下から突き上げられる衝撃で目を覚ました。
等間隔に並んだ街灯が飛ぶようなスピードで流れていく。
「ごめん。起こしちゃったね」
先生の声がした。思わず視線を送る。
眼鏡の奥の、いつもの優しく柔らかい笑顔が見える。それでも先生は前を見据えたままだった。
ヘッドレストに白いシャーレのコートをかけている。
黒シャツだけで先生がハンドルを握っている。
窮屈なのか、リラックスしたいのか。空色のネクタイは緩められていて、鎖骨がチラリと目に入った。
サイドドアポケットでついていた頬杖を外し、姿勢を正す。
せっかく先生の助手席を手に入れたというのに、居眠りしてしまうなんて大失態だ。だらしのない女だと思われたに違いない。
「寝てても良かったのに……って、起こした私が言うのもおかしいかな」
「ううん。こっちこそごめんね。先生」
悪いのは変わり映えのしないハイウェイの景色と、乗り心地の良すぎる高級ワンボックスのせいだ。
センタークラスターのモニターを確認する。
時刻は午前三時四十七分。
後部座席にはアルを中心に、ムツキとハルカが集まって眠っている。
アルがおしくらまんじゅうのようになっていて、眉間に皺を寄せながら眠っている。少し眠りづらそうだが、それも愛嬌か。
だんだんと状況を思い出してきた。
先生の依頼で百鬼夜行連合まで遠征した帰り道だった。
『他校の地域に乗り付けるなら、せめて高級車くらいは必要よ!』
というアルの主張で高級車専門のレンタカーショップに赴き、店員の口車に乗せられて一番グレードの高いワンボックスカーを借りた。
ムツキはリムジンを主張していたが、依頼のための物資を積めなくて断念したのを思い出す。
たった五人のために9人乗りワンボックスが必要なのか、とは考えた。だが、ワンボックスを借りて正解だった。
後部座席の後ろ、アルたちの後ろには山と積まれた野菜や肉などの食料品が見える。
正規の報酬は先生の口座に振り込まれたのだが、それでも地域の方々の気が済まなかったらしい。
「うちで採れた野菜を」
「この蜜柑は他の学区でも人気で」
「産みたてのこの玉子を是非」
「うちの肉はどうだい? 持って帰る? じゃあ燻製肉の方がいいな!」
こんな調子でトランクルームにどんどん段ボールが重ねられていった。
隙間があると危ないから、とそこを埋めるべくビニール袋に詰められた特産品が押し込まれる。
どうやらブランド食料品らしいが、便利屋の面々は先生も含めてよくわかっていない。
だが、これだけあればしばらくは食料難にはならないだろう。
持参した弾薬などの消耗品は後部座席の空きスペースに積み込み、トランクは百鬼夜行連合の住民の皆様からの『お礼』で埋まってしまった。
いつものようにムツキが派手に爆薬を消費した功を奏したのもあるが。
「帰りの方が大荷物になっちゃったね」
「うん。一つくらいならって気軽に受け取ったら、ああなるなんて……」
先生と並んで苦笑いを浮かべる。
トランクに集まってくる近隣住民を見て
『まだまだ積めちゃうよ~! どんどん持ってきて!!』
などと煽り始めたムツキのいきいきとした笑顔も。
最初はカヨコも余裕を見せていた。
先生とアルの人徳、人の好さの為せる業かと感心していた。
しばらくもしないうちに、わらわらと集ってくる有志の多さで焦って途中で止めたのも覚えている。
結局、そのあとは持ち寄られたが積みきれなかった食材で宴が始まってしまった。
便利屋の依頼達成と苦難からの解放感からか、宴は大いに盛り上がった。
流石に主賓が中座するわけにはいかない、とアルが言い出して最後まで参加してしまった。
結果として、こんな深夜にゲヘナへのハイウェイを走る羽目になってしまったのだった。
日没寸前に百鬼夜行連合を出発していればこうはならなかったに違いない。
日付が変わる寸前まで続いた宴のおかげで、アルもハルカも興奮冷めやらぬといった風だった。
車に乗ってしばらくは後部座席で姦しく騒いでいたはずなのに、いつの間にか静かになってしまっていたのだった。
「皆、よく眠っているね」
「それなりにハードだったし」
「カヨコは大丈夫? 寝ててもいいんだよ」
「ううん。平気。先生にまかせっきりなのも悪いから」
先生も眠ってしまえばいいのに。
キヴォトスで運行している車は完全自動運転のものがほとんどだ。
安全に制御され、第三者からの攻撃が予想されない限りは運転手が必要ない。
この状況下で先生がハンドルを握る必要はなく、アラートが鳴るまで眠っていても問題ない。
だというのに、先生がハンドルから手を離すことはなかった。
ご丁寧にアクセルやブレーキまで自身で操作している。
曰く『大切な生徒たちが乗っているのに、ハンドルを離したくない』のだそうだ。
往路はムツキとハルカの暴走ドライブだったが、復路は先生の安全運転だった。
深夜ということも相まって、瞼が重くなってしまう。
車線を変更することもなく、滑るように進むクッションの利いた座席。
たまに話しかけられる、落ち着く声色。
心地よくゆりかごのような振動。
これで眠るなという方が無理な話なのだ。
また睡魔が襲ってくる。
その気配とは別に、ぞわりと腰から違和感がやってきて、思わず背筋を震わせてしまった。
「次のパーキング寄ろうか。ちょっと眠気覚ましに休憩したいし」
「……ありがと。先生」
タイミングよくパーキングエリアの看板が視界に飛び込んでくる。
重心の移動を感じさせず、車が減速していく。横Gをふんだんに感じた往路とは、天と地の差だった。
深夜のパーキングエリアに進入し、車が休憩所近くの駐車枠を目指していく。
「ちょっと、ごめんね」
先生の腕が助手席に伸びてくる。
助手席のヘッドレスト付近を支えに、シートベルトを外した先生が目視で後方確認をしながら、器用にハンドルを切っていく。
今まで運転席と助手席というテリトリーで区切られた先生が、身を乗り出している。
普段はシャツとネクタイで隠されている、鎖骨と首元が露わになり、眼前に迫る。
首を捻っているせいか、妙に喉仏が目に付く。
もう丸一日以上休んでいないせいか、先生の顎先の髭がほんの少し伸びている部分まで見える。
もう丸一日以上経っているせいか、先生の匂いを、いつもより濃い匂いを感じる。
だめだ。
表情を崩してはいけない。
社長と違って、ポーカーフェイスは得意中の得意のはずだ。
だというのに、カヨコの鼻梁は僅かに膨らみ、視線は先生の首元から外せない。
今だけしか感じられない、私だけが見られる、私だけの先生を記憶しようと、五感がフル稼働する。
タイヤが鳴るスキール音もせず、あらかじめ定められていたかのように枠内に車が収まっていった。
「お疲れ様、カヨコ……カヨコ?」
「あ、うん。お疲れ様、先生」
覗き見がバレたような居心地の悪さを感じ、慌ててドアを開ける。
「……もうちょっと、早く休憩すれば良かったかな」
後部座席で起きる気配のない三人を眺め、先生が呟いた。
◇◆◇◆◇
太陽が姿を消して幾分も経ったせいか、肌寒さを感じる。
寒さに強いカヨコですらそう感じるのだから、先生はもっと寒いようだった。その証拠に、手を自身の両腋に挟んでいる。
珍しいものが見れた。いつもは平気な顔をしている先生の、超人然とした先生のこんな情けない姿はレアだ。
気付かれないよう、紙コップのコーヒーを買って先生に近づく。
背中を丸め、本当に寒そうにしている。
「お疲れさま、先生」
声をかけると同時に、先生の背筋が伸びた。
「熱いから気を付けて」
ブラックのホットコーヒーを渡す。ありがとう、との返事に、カヨコも隣に腰を下ろした。
先生が両手で大切そうにコーヒーを抱えている。
「コート、持ってくれば良かったね」
「……見てた?」
「うん。寒そうだったから。余計なお世話だった?」
「いや、ありがたいよ。こんなに寒いとは思わなかったから」
先生がゆっくりとコーヒーを啜る。カヨコもそれに習った。
煌々と明かりのついたサービスエリアでは、星の一つも見えない。
太陽の代わりに昇った月が青白く輝いていた。
もう一口コーヒーを啜る。
先生とタイミングがシンクロし、身体だけでなく胸の奥まで温かくなってくる。
ゆっくりと溜息を吐く。
暖められたせいか、白い吐息になる。
まだ息が白くなる時期には早い……と感じるが、そうこうしているうちにそんな季節になるだろう。
ここで先生の肩に頭を預けて甘えられれば……などと考えはする。
彼女なら『ドキッとしちゃった? せーんせっ』などと終わらせられそうだが、カヨコはそうもいかないだろう。いや、やってみたかった、と言えば誤魔化せるか。
などと考えている。
無意識に視線が先生の横顔を捉える。
疲れなのか、眠気なのか。どこかボンヤリと周囲を見渡しているように感じる。
「先生。探してるの、アレ?」
肩越しに看板を親指で指す。
キヴォトスで殆ど見ない看板。先ほど用を足しに行くついでに見つけた、喫煙所の看板。
物流の要であるサービスエリアは、“外”の人たちが立ち寄ることもある。
生徒たちが利用することはないし、住民も殆ど使わない。ただ、外部を見様見真似で造り付けた完全自動管理サービスエリア。
トイレや自販機の需要はまだしも、喫煙所はどういう了見で作ったのか。
「ありがとう。じゃあ、カヨコは先に──」
「車で待ってるのもアレだし、付き合うよ。先生。
安心して。ちゃんと離れておくから」
いつもの注意喚起がくる前に釘を刺す。
先生もコーヒーをご馳走になったせいなのか、それ以上は何も言わなかった。
◇◆◇◆◇
連れ立って向かい歩き、カヨコは喫煙ブースの一歩手前で足を止めた。
何の変哲もない、意味があるのかどうかさえ怪しい、アクリルの囲いの外で。
足早に先生が灰皿の前に立ち、胸ポケットから煙草の箱を取り出し、軽く振って一本だけを咥える。
“外”の頃から使っていたであろう、傷だらけの、何の刻印もないオイルライターを片手で器用に回し開ける。
ジッポトリック。確か、そんな名前が付いていた気がする。
鮮やかな手並みで火を起こし、伏し目の先生が火口を灯す。
無音の世界に、焼けた煙草の音だけが響く。
ライターの赤さが、先生の長い睫毛と眼鏡のレンズに反射する。
そのままカチンと音を鳴らして、先生がオイルライターを振って蓋を閉めた。
火口が赤から灰色に変わり、無造作にライターをポケットに仕舞い、薄くなった紫煙をゆっくりと吐き出す。
口付けるような、気怠げに開いた口許。
いつもの朗らかで優しい先生ではない、陰のある少し遠くを見つめるような目許。
咥えたまま火口を赤く灯らせ、口を覆うように、人差し指と中指の間で煙草を持つ。
またゆっくりと吐き出し、灰皿の上で煙草を一振りして灰を落とす。
合間にブラックコーヒーを啜る。
先生と目があってしまった。
手持ち無沙汰にスマホを弄っていたはずが、いつの間にか注視してしまっていたらしい。
目線のピントがカヨコに注がれる。
先ほどのどこか危なげな空気は霧散し、いつもの保護者然とした先生の笑顔が帰ってきた。
「ねえ、先生」
ブースの外から声をかける。
車通りも殆どなく、声を張らなくても十二分に聞こえる。
「どうして、煙草を吸い始めたの?」
たっぷりと肺に含み、一呼吸おいて、また吐き出す。
手の甲に走る筋と浮き上がる血管が、先生らしくない厳めしさを見せる。
「……どうして、だろうね」
また一口、肺に吸い込んだ。
先生の視線はカヨコを越えて、遠くを眺め始める。
「吸わずに済むなら、それが一番良いよ」
そう言って、まだ半分ほど残った煙草を灰皿に落とし、残ったコーヒーを飲み干した。
◇◆◇◆◇
「さて……もう少しだね」
後部座席には相変わらずのおしくらまんじゅうな三人が、車を出たときのままで眠っている。
ぐっ、と先生が一つ伸びをして、再びハンドルを握る。
運転手の交代を申し入れようとしたが、それを受け入れるような先生ではない。だが──
「先生。割と疲れてたりする?」
「ありがとう。大丈夫だよ」
「だろうね。じゃあ、眠気覚ましのおまじないがあるんだけど」
「へえ……どんなお呪いかな?」
「耳、貸して」
シートベルトを着けたまま、運転席のアームレストを乗り越えて、二人が中央に身を寄せ合う。
先生は何も疑わず、カヨコに耳を差し出した。
念のために右手で口許を後部座席から見えないように隠す。
目標は先生の耳じゃない。そこのもう少し下の──
軽く息を吸い、先生の頬に唇を押し付ける。
想定外の感触に驚いたのか、先生が仰け反った。
「カ、カヨコ……?」
目覚めた時と同じように、サイドドアポケットで頬杖をつく。
違うのは熱くなった頬を見られないよう、窓の外を向いているくらいか。
「目、覚めたでしょ。行こうよ。先生」
努めて平坦な声を意識する。
曲がりなりにも、キヴォトス有数のアウトロー集団である
先生も察してくれたのか、無言でパーキングブレーキを解除してギアを入れる。
ゆっくりと外の景色が流れ始める。
窓ガラスに映る自分の表情は、よく知ったものではなかった。
◇◆◇◆◇
事務所に揃っているのは、いつも顔触れではなかった。
一番に起きて掃除や備品のチェックを始めるカヨコはおらず、ハルカが辿々しい手付きで執拗にデスクを磨いている。
マイペースなムツキを適当にハタキをかけているが、綺麗になっているかも怪しい。
「おはよう、みんな。
あれ? カヨコは?」
「おはよー、アルちゃん。そーいえば今日はねぼすけだねー」
「おはようございます! 社長!
わ、私もカヨコ課長はまだ……」
「そう、珍しいわね。起こしにいこうかしら」
普段から頑張ってくれているのもあり、もう少し寝かせてあげたい気もする。
昨日も戻りが遅かったし、疲れているのだろう。
「よーし! カヨコっちに突撃開始ー!」
言うが早いか、ハタキを放り出してムツキが事務所を飛び出した。
「ちょっと! ムツキ待ちなさい!」
「ア、アル様~!!」
このような形で時系列順にお話を追加していく予定です。
今後ともよろしくお願いします。
ムツキの凸を受けたカヨコがどうなったのかは、ご想像にお任せします。
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