お付き合いいただきありがとうございました。
ちなみに今回も妄想ではないです。
シャーレの書類作業にもかなり慣れてきた。
ヴァルキューレ警察学校 公安局と異なり書式に多様性があり、内容が自由すぎるものも多々あったが、そんなことは全く気にならない。
普段接している、公安局の血生臭いタールのような書類と比べると、可愛らしい恋文のように感じる。
──これも、先生の人徳の成せる業というわけか。
チラリと右隣の先生に視線を移す。
眉間に皺を寄せ、顔を左右に振ってディスプレイを見比べている。
段々と皺が深くなり、目付きが鋭くなっていく。
──そろそろ来るかな。
先生が音を上げる前に席を立つ。
自分用のマグカップとこっそり先生のマグカップを攫い、専用となっているドリップパックを用意する。
いつもの豆をミルに掛け、コーヒーを淹れる。
公安局内だとこんなことをする余裕はない。
淹れたてのコーヒーを二つ。
一つは当番用のデスクに、もう一つは先生の左側に。
彼女の気配に気付いた先生が、涙目で見上げた。
「カンナぁ……助けて……」
大人の男がこんな情けない声を出すなんて。
カンナと呼ばれた、ヴァルキューレ警察学校公安局のジャケットを羽織ったままの少女──尾刃 カンナは、溜め息を吐きながらディスプレイを覗き込む。
「……どうやら、AE12の数値がおかしいようですね」
「……どこ?」
「先生が今触っているセルの右上です。ああ、通り過ぎました。そう。そこです」
「ちゃんと入力してるみたいだけど……」
「前後に空白があったりしませんか?」
「んんー……あ」
「ふぅ……解決しましたね。お疲れ様です」
「やっぱりカンナは頼りになるなぁ。あ、コーヒーありがとう」
いただくね。という代わりに、マグカップを持ち上げて会釈する先生。
「恐縮です。
先生。そろそろ休憩なさっては如何ですか?」
カンナが午前八時前に到着してから今まで、先生はずっと机に張り付いていた。
昼休みもゼリー飲料で済ませ、トイレ以外で立ち上がっていない模様だ。
カンナはコーヒーを淹れたり、少し休憩がてらに歩き回ってみたりをしていたのだが、よほど追い詰められているようだった。
「そうだね。そうさせてもらうよ。
そろそろ目処もついてきたしね」
先生が伸びをすると人体から聞こえてきてはいけない音が響く。
ふぅ……と一息吐き、先生がマグを持って立ち上がった。どうやら一服に行くようだ。
先生を見送って、残りの仕事を片付ける。
といっても、大した量は残っておらず、ものの数分で片付いた。
今座っているデスクは当番生徒用のもので、皆綺麗に片付けてから帰っている。
カンナも倣って机の上を塵一つない状態にする。
ふと、先生のデスクが目に入った。
ある程度まとめられているとはいえ、当番生徒用デスクと比較すると、乱雑に散らかされている。
ユウカに言われているのであろう、レシートもデスクに放置されている。
他人のデスクに触れるのは気が引けるが、少し片付けておこうか。先生が戻って来てから説明すれば良い。
「……あ」
デスクの上に、ここに残されてはいけない物があった。
IDカードだ。
テラスの扉はオートロックで中から開けるのは鍵だけで済む。だが、外から入るには鍵とIDカードが必要だ。しかも先生のIDカードがないと開かない。
普段から首に下げている筈のそれが、何故かデスクに置かれている。
デスクワーク続きで、不要と判断したのだろうか。それとも疲労によるものか。
「まったく……仕方がない」
カンナがモモトークで先生の忘れ物を伝える。
まだテラスに到着していなければ戻ってくるだろう。
執務室からエレベーターを使用して、先生の足なら片道十分はかかる。
先生のスマホが受信したであろう、振動音が聞こえた。
──いや、聞こえてはいけないのでは?
再度送信するとハンガーラック辺りから聞こえる。
吊された先生のコートのポケットにスマホの重みを感じる。
先生との連絡手段は途絶えた。
今日は比較的暖かいが、コート無しで一晩中屋外で過ごせる気温ではない。更に先生の耐久力はキヴォトス最弱ときている。
「マズい……ッッ!」
コートとパスケースを掴みテラスに駆け出す。
エレベーターよりも早く移動するために、階段を五段飛ばしで駆け上がった。
~⏰~
「あれ? カンナだ」
「えぇ。お疲れ様です」
重厚な扉の先で、D.Uの夜景を眺めながら一服していただろう先生が振り返る。
かなり短くなった煙草を一口呑み、手元のスタンド灰皿に落とした。
水のいらないタイプのスタンド灰皿らしく、音もなく吸い殻は火を落とす。
「お忘れ物ですよ」
真っ白なコートを差し出す。
「ありがとう。昼は暖かかったけど、やっぱり夜は寒いね」
先生がコートを受け取り、捲っていた袖を下ろす。
コートに袖を通すと違和感を覚えたのか、ポケットに手を突っ込み始めた。
「いえ。それよりも先生、スマホをお忘れでした」
コートから抜き出したスマホを確認している。
いくつか通知が来ていたのか、目を閉じてポケットに仕舞った。
「ありがとう。助かったよ」
「それとこちらも」
「あっ」
先生の顔写真が貼られたIDカードを渡す。これがないと先生はビルに入れない。
やってしまった……と言う代わりに、顔を手で覆っている。
「本当にありがとう、カンナ。危うくここで一晩過ごすところだったよ」
「えぇ。本当に危ないところでした」
「ところで、どうやってここに?」
テラスの鍵は先生しか持っていない。
緊急時の事を考えて代表当番にも渡すべき。という意見もあり、先生も合い鍵を渡していたのだが、先生の一服に
「お忘れですか。ここ、シャーレオフィスビルは我々ヴァルキューレが警備を担当しております。
その公安局長である私が鍵を持っていても、何の不思議もありませんよ」
カンナがジャケットから鍵束を取り出す。
なるほど。理は適っている。
「以前の私なら『生徒としてここに立ち入って良いものか』ということで悩んだかもしれません」
忘れ物を全て渡したカンナが、安全柵に寄りかかる。
生徒の中では長身な方とはいえ、柵の返しを肘置きにするのは少し厳しいようだ。
「ですが、先生の一大事に比べれば、こんな違反はなんてことありません」
先生を見上げ、歯を見せて笑う。
先生もつられて目を細め、柵に置いてあったマグカップを手に取り、一口啜った。
「……しかし、感心できませんね。そのように柵をテーブル代わりにするのは。
万が一落としてしまったら、事故につながります」
いくらキヴォトスの市民とはいえ、高層ビルの上から落下してきたマグカップに当たれば怪我をする。
キヴォトス外では即死するだろうが、市民クラスの耐久力であっても気絶くらいはするだろう。
「ごめんない……気をつけます……」
先生は柵に置かず、マグカップをそのまま持っている。こういう所が素直で好感を持ってしまう。
「ご協力感謝します」
「その、カンナ」
「えぇ、どうぞ。もう一服なさってください。仕事は片付けてきましたから」
「カンナは頼りになるね」
「恐縮です」
金属音が響いた。
低い音を立て、オイルライターが火を上げる。
ビル風に煽られ、炎が揺らめく。
先生の整った顔が赤々とちらつく。
少し甘さを含んだ煙草の香りが漂い、先生が口から煙を吐き出す。
カンナも先生に倣い、遠くを見つめる。
D.Uからアビドス方面を望むテラス。
D.U郊外エリアを境に、アビドス方面に進むほど、明かりが消えていく。
溜め息のように紫煙を吐き出す先生。
背後のD.U中心街からはサイレンが聞こえてくる。
不夜城と呼ぶに相応しいD.U中心街。
ほぼ人の営みが見えないアビドス。
そういえばシャーレは、先生はアビドス対策委員会たちと親交が深い。
先生はこの夜景に何を思うのだろうか。
先生はどこを見つめているのだろうか。
横目で盗み見る。
安全柵にマグカップを持ったままの左肘をつき、ゆっくりと煙草を呑んでいる。
先ほどよりも柔らかい表情のように見える。
月明かりのせいか、それとも先生が本当にリラックスなさっているのか。
夜景を眺めながら、煙草を吹かす。
煙草のことはよくわからないが、静かに夜景を眺めるのは、少しずつ胸の澱みが流されていくように感じる。
「これが、先生の“鎧の外し方”なのですね」
小さく呟いたつもりだったが思いの外響いたらしい。
サイレンもビル風も、カンナの呟きを掻き消してはくれなかった。
「どうだろうね」
予想外の答えと共に、先生がコーヒーを一口啜った。
「リフレッシュにはなると思ってるよ。でも、カンナの言う“鎧を外す”とは思ってないかなぁ……」
思わず顔を先生に向けてしまった。
「そうなんですか?」
「うん。“鎧を外す”ってなると、もっとこう……リラックスした感じというか……」
先生が息継ぎのように煙草を吹かす。
普段見ることのない、先生の仕草に目を惹かれる。
思ったより拳が目立ち、節々が厳めしい。
荒事に慣れた筈の自分の手が、妙に頼りなく感じる。
爪も短く切り揃えられていて、清潔感がある。
吐き出された煙を目で追う。
少しカールした髪が風にくすぐられている。
緩やかに癖のついた髪は、カンナと違って少し固そうに見える。
「そうだなぁ……うーん……」
もう一口、先生が煙草を呑んだ。
片手で口を覆うようにして、煙草を咥えて、また吹かした。
分厚くしっかりとした掌。力強さを感じる。
ずり落ちた袖口から前腕が覗いた。
少し筋の入った手首と手の甲。
その後に見える、先生の首元。
意外と喉仏がせり出ているし、顎の輪郭も自分とは違う。
灰の部分が長くなってきたのか、親指で器用に弾いて灰を灰皿に落とす。
屋台での邂逅を思い出しているのだろうか。
ヴァルキューレ公安局長として、市民はもとより他の学部生達からも畏怖を集めるカンナ。『局長』として相応しい振る舞いを続けていた結果、局長の鎧はかなり強固になっていった。
例の屋台はカンナくらいしか常連客はいなかった。
味はかなり良いものなのに、営業時間のせいか、流れて来る客がポツポツ立ち寄る程度だった。キヴォトスの学生にとっては、あのような屋台よりもオシャレなカフェやファーストフードの方が人気だ。
比較的年齢層が高いD.Uであっても、その特徴は変わらない。
店主も必要最低限にしか話してこないし、それが何より居心地が良かった。
最近になり、先生も常連になったが、カンナほど頻繁にはやってこない。
「……あの屋台に酒とかビールがあったら、本当に“鎧を外す”になるかもね」
「なるほど……先生はお酒も召し上がるんですね」
「舐める程度だけどね。
でも、あの屋台の料理なら恋しくなっちゃうかなぁ……」
何度も先生と食事をした屋台の味を、カンナも思い出す。
焼き鳥・おでん・枝豆・ラーメン。カンナ自身は酒を飲んだことがないのでわからないが、経験のある先生がそう言うならそうなのだろう。
「そういうものなのですね……なるほど」
「そこは人によって違うから、なんとも言えないけど……私はそうかな」
先生が短くなった煙草を捨てて、残りのコーヒーを呷った。
「お待たせ。ごめんね、付き合わせちゃって」
「いえ、貴重な経験でした」
口角を上げて答えるカンナ。
少し何やら思うことがあったらしい。
「それじゃ、戻ろうか」
「えぇ、あまり長居する場所でもありませんからね」
~⏰~
──シャーレオフィス・第三談話室
円卓に座するは六名の生徒。
「では、来月のエンジェル24の雑誌購買は以上ですね。
続いての議題ですが」
「ユウカさん……ホンットに……あなたという人は……」
アコが呆れた顔をユウカに向ける。
いや、呆れを通り越して侮蔑と呼んでも良いかもしれない。
「ちょっと待って!? 前のアレは確かに私の発案だったけど、今回は違うわよ!?」
「前科があるんだから、疑われても仕方ないでしょ」
「前科って呼ぶほど?」
隣でカヨコが更に呆れる。
以前の会議では
「んんっ! 今回は補足資料まで用意して貰ったので、発案者にも参加してもらいます」
咳払いで場を治めるユウカ。
ノアが立ち上がり、秘書のようにドアを開ける。
そのドアの向こうに居た人物に、セミナー組を除く全員が目を丸くした。
「ヴァルキューレ警察学校、尾刃カンナだ。
今日は組合会議の貴重な時間をいただき感謝する。
先ずは補足資料の説明から……どうした?」
アコが指先を震わせながら、カンナを指差した。
「あ、あなたが今回の発案者……?」
「人を指差すのは感心しないが、そうだ」
「……本気なの?」
驚きから戻ってきたカヨコが助太刀に入る。
「ああ、本気だとも」
「あ、あの……『先生の飲酒解禁について』とありますが……」
「そうだ。先生も大人だし、問題はないはずだが?」
「確かにそれはそうですけど……」
アヤネがトーンダウンしていく。お決まりの苦笑いに近い笑顔を浮かべて。
「問題はないだろう。
では、補足資料から説明を始めさせていただく。
先ずはアルコールを服用した場合の作用についてだが……」
カンナが救護騎士団や連邦生徒会のツテを利用してまとめた資料を読み、噛み砕いた説明を始める。
飲酒についての知識は、欠片も持ち合わせていない生徒達だ。
そもそも、キヴォトスに酒類は存在しない。精々手に入るのは調味料として加工された料理酒やワインくらいのもので、入手も容易ではない。
「──以上で補足資料の説明を終わらせていただく。
さて、議論していただきたいのは、これらを踏まえて、先生に酒類を提供していくか否か、ということなのだが──」
To Be Continued……?